「日本国憲法改正」「日本国憲法無効論封殺」「天皇譲位特例法対応」は日本の本当の支配者・米国防省の命令だ!__近衛文麿、吉田茂、岸信介の裏切りと亡国の罪を、今改めて問う__『日本国憲法』無効確認への道①

『日本国憲法』・GHQ『皇室典範』とサンフランシスコ平和条約・日米安保条約__全ては国民がその本質を知らされないまま結ばれた日本の主権を売り渡す「密約」。戦後日本政治は「講和条約締結後も、日本は主権を回復できていない」=「占領が継続している」という真実を、国民から隠し続けることに邁進してきた

「戦後レジーム」とは、ナチスの「全権委任法」によるワイマール憲法停止にも似た、『日本国憲法』による大日本帝国憲法「停止状態」のことである

戦後日本の本当の支配者は米国防総省ペンタゴン__「議事録絶対非公開」の日米合同委員会において米軍が要求し、日本外務省北米局長が受け入れて「政府間合意」とする、日本国憲法にも優越する異常な「密約法体系」で、戦後日本は日本国民が知らないうちに、立憲主義も法治主義も民主主義さえも、ドブに捨ててきた

「占領」を「安保」と呼び換えただけ__『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』を軸にしたGHQ占領法体系は「ペンタゴン立法」の安保法・密約法体系が加わって引き継がれ、実質占領は継続している

米軍関係者は、法的に『日本国憲法』の上位にある。日本当局の管理を全く受けることなく出入国でき(スパイ天国)、日本国民を殺しても罪に問われない

自衛隊の最高司令官が内閣総理大臣であるというのは表向きで、統一指揮権が在日米軍司令官にあり、自衛隊を米軍の手足として、世界のどこででも自由に使える権利(rights)・権力(power)・権能(authority)を持っている、というのが真実である

憲法改正で自衛隊を「国防軍」と呼ぶことになっても、日米安保と「統一指揮権密約」により、有事の際「日本の軍隊」は米軍に完全従属し、「日本のため」でなく、在日米軍と米軍基地を守るために戦う

既に自衛隊は、米軍とリンクした兵器・装備で「米軍の指揮下でしか動けない」「大規模新設の第442日本人部隊」になっている

朝鮮半島有事は目前__日本に主権がないことすら国民から隠す政府は、拉致被害者奪還・在半島邦人救出体制どころか、最も基本的な意味での「国家防衛」義務を放棄している上、自衛隊のシビリアン・コントロールも外して非民主的米軍支配体制を幇助している


「憲法とは権力を縛るもの」?『日本国憲法』は、「国民の代わりに権力を縛る」天皇の権威を簒奪・排除して、実権力者=日本政府・官僚の売国の暴走を許してきた。日本国民が国民投票で決める「『日本国憲法』の改正」は、「影の支配者」米国防省が望む「米軍による日本の軍事支配=日本の主権簒奪状態永続の、日本人自身による承認」となる


「象徴天皇」は「『天皇制』存続」に見せかけ国民を騙し、実質天皇と皇族を弾圧し、皇統断絶に至らせるためのまやかしである

GHQ『皇室典範』は無効であり、それを改正しても「特例法」に対する「恒久法」にはならない。『日本国憲法』とともにGHQ『皇室典範』を無効確認により即刻廃棄し、政府と官僚の売国行為を国民に代わって糺せる唯一の「至高の権威」立憲君主の天皇を、大日本帝国憲法・明治の皇室典範現存確認で取り戻す


天皇 お言葉

「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しない」

2016年8月8日の「お言葉」のなかで、天皇陛下は、「戦後70年」「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇」という言葉とともに、この言葉を、畳みかけるように最後に述べられた。また、「天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました」ともおっしゃった。このことから、陛下がお望みになっている、「国民の理解すべきこと」の肝要の部分とは、天皇陛下はお立場上具体的に仰ることはできないが、「制度としての『日本国憲法』下の『象徴天皇』とは何か」ということであろうとおもわれる

天皇陛下のご意思が「『日本国憲法』絶対尊重」にあるのであれば、「憲法に抵触しかねない」この「お言葉」は、そもそも最初から、発せられることはなかったはずである。私たち国民は、『日本国憲法』の「国民主権」「象徴天皇」そのものに問題がある、という点に議論の始まりを置くべきだということだろう。

天皇陛下の「お言葉」を拝し、大多数の国民が天皇陛下のお考えの通りに、「恒久的な方法で譲位」していただくことを支持した。

「『日本国憲法』第一章 天皇」には、「第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあり、当然この天皇陛下の譲位のご意向がかなえられることを支持した大多数の国民は、政府が畏まって速やかに譲位実現に向けて行動を開始することを期待した。

しかし、政府と政府の設置した有識者会議の保守側の人々は、国民が唖然とするほどに頑迷に、「天皇の意向の表明により、政府が譲位実現に向けて動く」ことへの抵抗を示した。

『日本国憲法』が「天皇は国政に関する権能を有しない」と規定しているからだが、それがどうしたというのだろう?そもそもこの条文に妥当性、正当性はあるのか?

「特例法」対応を積極的に支持した元官房長官・石原信雄は「(退位の恒久化は)結論を得るのに時間が掛かりすぎる」というが、「結論」ならとうに出ている。

天皇が「天皇の務め」を果たすことの実際的問題点について最も熟知する人間は、過去30年近く天皇位に在る今上陛下を除いて、他にはあり得ない。2番目、3番目は皇太子殿下、秋篠宮殿下であり、だからこそ天皇陛下も「皇室の将来については皇太子・秋篠宮が話し合って決めるのが重要」と、何度も仰っている。

その陛下が10年も前から考え抜き、宮内庁参与会議という「天皇陛下が国民の意見を聞く諮問機関」=「天皇の有識者会議」での6年間の文字通りの激論を経たうえで、「全身全霊で務めにあたることのできるものが天皇位にあるべき」「譲位すべきであって、公務軽減・公務代行や摂政設置では駄目」と仰った。これが国民が拝すべき「天皇陛下の結論」である。

政府がこの上新たな有識者会議を設置し、それが出す新たな「結論」を元に対応を考えるとしたことは、有り体に言えば「天皇の有識者会議の軽視」即ち「天皇の権威軽視」である。

実際の「議論」の中身を見れば、そのことは更に明白になる。東大名誉教授・平川祐弘は、「国民の安寧と幸せを祈ること」「時として国民の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うこと」を「天皇の務めの最も大切なこと」とされた天皇陛下のお言葉を、「陛下の個人的解釈による象徴天皇の役割」と「指摘」し、「少し休んでいただいても象徴としての意味は薄れない」と言って事実上退けた。

国学院大名誉教授・大原康男は、「同じ天皇のご存在の継続そのものが国民統合の要」だから摂政での対応で十分、とした。

この者たちは、「親に口答えをするな」という躾は受けなかったのだろうか?「親・目上の者に口答えをしない」のは、左翼がいうような「体制への絶対服従のため」などではない。議論相手への礼を尽くすと同時に、自分の発言の前に一呼吸置き、冷静に自分の考えを反芻し、相手の言い分も再度考えなおして、両方の意見のメリット・デメリットについて再考したうえで議論を構築していくための、公議公論の基本原則なのである。「親や目上の者に口答えして、生意気の誹りを受けてまでも発言する価値のある正しい意見」なのか、よく考えて発言せよ、ということである。

然るに、この者たちは、「日本国の象徴」たる天皇の、命を削る激論の末到達した「結論」に対し、何の敬意も払わなかった。

それだけでも、目も眩むような恐ろしい不敬である。

だが、この者達にも、政府にも、国会にも、メディアにも、天皇陛下の譲位のご意向表明以来の一連の対応全てが「不敬」だという自覚がない。

「『日本国の象徴』たる天皇への不敬の無自覚」こそが、「『日本国憲法』統治下の戦後日本の『心の病』」=「主権喪失」なのであるが、その自覚すらもないのが今の日本の本当の危機である。

政府の有識者会議で「保守派のオピニオン・リーダー」と呼ばれる人達が、国民の面前でこぞって天皇陛下に「口答え」して、その「権威」を踏みにじるという暴挙に及んだことは、その「日本の危機」を端的に表し、問題の本質をかえって鮮明にすることになった。

やはり「退位に反対」で、天皇の権威低下を促進する「摂政設置」を支持する人気保守ジャーナリスト・櫻井よしこは、「陛下への配慮は必要だが、国家の在り方とは分けて考える必要がある」と述べている。

つまり、これら保守系学者・ジャーナリスト達と、彼らが支持する安倍晋三政権の考える「日本という国家の在り方」は、「日本国の象徴」たる天皇陛下への配慮を二の次にしなければ成り立たない、ということである。

神の意を白す万世一系の天皇が、古代より実権力者の上に「至高の権威」として君臨してきたという歴史の事実こそが、日本を日本たらしめている。

これは「日本の歴史の真実」である。だからこそ、天皇は尊いのである。

「万世一系の天皇」とは「日本の永続性の象徴」であり、皇位の継承それ自体が、日本という国の歴史の体幹を成している。

そのことと「日本という国家の在り方」は分けて考えることなどできないはずだ。それを敢えて「分ける必要がある」ということは、この者たちの中で、「日本の国体」というものは既に変容している、ということではないのか?

天皇陛下の譲位のご意向の表明が、安倍政権によって「天皇陛下の我儘・(そんなことよりもっと大切な)憲法改正の邪魔」扱いを受けていることは、「天皇には政治に関与する権限がないだけでなく、一人の日本人として当然『日本国憲法』が保障する筈の自律権=自分の人生設計を自分で決める権利すらも、ない」という冷厳な事実を国民に示した。

「政治に関与する権限・権力をもたない」というのであれば、歴史と伝統に照らして、天皇の在り方として寧ろ正しく日本的であると言える。だが、この天皇譲位問題で国民が見た政府や有識者会議の、特に「保守派」の人々の傲慢とさえいえる態度は、まるで「天皇には権力だけでなく『権威』もない」といっているかのようだった。

そのことが、国民に深いところで安倍政権への疑念を生じさせている。そのことにも、安倍政権は自覚がないのであろうか__。

象徴天皇という表現は、私たちがその場でふと思いついてつくった」という、占領当時「新憲法」草案起草の実務責任者であったGHQ民政局次長チャールズ・ケーディスは、1981年4月9日、ニューヨーク・ウォール街のケーディスの法律事務所における、産経新聞ワシントン駐在客員特派員の古森義久とのインタビューで、次のようにいっている。

《「〔マッカーサーに宛てて出された『国務・陸軍・海軍調整委員会 State-War-Navy Coordinating Committee、通称SWNCC=現在のNSC米国国家安全保障会議』からの指令の中にも〕天皇の身柄、あるいは天皇の在位に関する限り、(天皇制廃止や天皇の廃位などの)提案はまったくありませんでした。ただ天皇が国家や政府の大権を行使しないようにするという点は明白にされていたと思います。」(「象徴天皇は私たちがつくった:チャールズ・ケーディスの証言」古森義久『WILL』2016年11月号)》

古森の記事の中のケーディスの言葉の端々には、「占領軍は天皇を殺しはしなかった。新憲法に『象徴』という、素晴らしい、日本人の思う天皇像にマッチした形として残してやった。有り難く思え」という恩着せがましい雰囲気が醸しだされている。信じられないことに、日本人であり、しかも保守と称されるはずの古森自身も、ケーディスに同意し、GHQが「象徴天皇」を日本に「与えてくれた」ことに感心してさえいるかのように、こう言う。「皇室に関して日本古来の伝統だとばかりにみえた特徴が実は占領米軍による加工の結果だったという側面もあるのである」「『神聖で不可侵な統治権』を奪われた〔が、〕それでも天皇制も皇室も、その変化の奔流を柔軟に受け入れ、新しい地位へと移行した。そして新しい環境にふさわしい形で立派に存続することとなった

天皇陛下の譲位についての議論のなかには、「天皇はそこに存在するだけで有り難い。だから公務が大変なら宮中で静かに座っていてくれるだけでいい。退位する必要ない」などという、おためごかしの無礼な「退位反対論」がみられたが、それとこのケーディス(古森)の言い草はそっくりだ。

立憲君主・天皇がその「神聖不可侵の統治権」を簒奪されることで、日本国はその主権を奪われたのだ。「『日本国憲法』に『天皇制』が残された」という欺瞞を、日本国民は正しく「嘘」として認識しなければならない。

「象徴天皇」とは、外国の軍隊に支配された戦後日本の異常な「政治的真空状態」に掛けられた擬製の覆いにすぎない。それが真実である。

「象徴天皇という新しい地位」を与えられたことが単に「時代の変化」であり、『日本国憲法』に天皇条項があることを以て「天皇制が立派に存続している」という言説は、連合国の主権簒奪の事実を覆い隠し、本当は誰が日本を支配しているか、という問いから国民の目を逸らさせようとするものだ。

『日本国憲法』が規定する「権能を簒奪された天皇」「象徴でしかない天皇」では、国体護持のための「国民意識の統合=国民の政治意志の統合」を成しえない。

現に今、「『日本国憲法』の規定よりも天皇陛下の譲位のご意向が優先されるべき」という国民の「総意」は無視されている。議会制民主主義は機能していない。

「天皇陛下のご意向表明は『立憲主義』に悖る」といった学者がいたが、それはまったく逆の話である。

「立憲君主」たる天皇が手足を縛られ口を塞がれ、「国民の代表」の立場を悪用して権力を濫用する政府・国会を総覧し、改善を促す「至高の権威」を発動できない現在の状態では、立憲政治は行えないのだ。

「象徴天皇」「国民主権」で日本を実質共和制にした『日本国憲法』こそが、ナチスが悪用した共和制のワイマール憲法と、それを機能停止させるための「全権委任法」同様に、立憲主義を蹂躙するものである。ワイマール共和制憲法が「至高の権威」として憲法の上位に置くものは「神」であるが、残念ながら「神」は独裁者の暴走を止めることができなかった。

GHQの太鼓持ちである戦後憲法学者に「政府の言いなりに判子を押すロボット」とまで侮辱された「権威・権能のない象徴天皇」は、「実体のない、物言わぬ神」と同様、権力の濫用者にとって、無視できる「都合のよい存在」なのである。しかも「象徴天皇」と持ち上げて御輿に乗せておけば、国民は「天皇陛下がそこにいらっしゃる」と満足して大人しくしている。「ポツダム緊急勅令」のように、「これは天皇の命令だ」といえば、実はそれがGHQの要求と知らずに日本国民は素直にいうことを聞く。権力を濫用する者たちにとって、これ以上に都合のよい存在はないであろう。

かくて、立憲主義国家・日本の大日本帝国憲法は、『日本国憲法』の無効事実を無視する者たちによって、「憲法停止」状態になっている。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は、天皇の統治者としての権能を簒奪したばかりでなく、天皇と皇室の自治権・財産権始め、「全ての国民が享受する」はずの「自由と権利」の一切を、非人道的なまでに剥奪した。だがそのことを、国民は知らない。

『日本国憲法』と同時に施行するための皇室典範「改正」調査会討議中、憲法学者の佐々木惣一は、「実質的には(従来の)天皇制は廃止された」とし(井上亮「『女帝』『退位』で激論:新『皇室典範』は三カ月半で作られた」『文藝春秋SPECIAL 今こそ考える皇室と日本人の運命』)皇室典範「改正」案は、天皇の肩書のみ残して実質「国民以下の地位」に貶める『日本国憲法』の趣旨に則って、その内容が白紙から検討された。GHQ『皇室典範』の内容が明治の皇室典範と殆ど変わらないというのは真っ赤な嘘である。

昭和天皇の、皇室典範改定案を皇族会議で審議したい、との希望も、当然の如く否定された。

また、「典憲」という言葉が示すように、明治の皇室典範は皇室の家憲であって憲法と同等、日本の国体を体現する天皇とその継承者を律する規範国体の表出であるがために、その改正には臣下による議会の容喙を許さないものであったが、占領軍はその皇室典範を国会による発議で改正される「一般法」に貶め、天皇と皇室を侮辱した。

一方、その名称は『皇室典範』のままにおいた。議会の中からも、「一般法ならば『皇室法』と呼ぶべき」との声も上がったにも拘らず、さしたる議論もなく名称が『皇室典範』とされたのは、当然、それが「憲法と同等の典範である」と国民に勘違いさせるためのGHQの指令である。

江崎道朗によると、ケーディスは、日本政府がGHQ草案を日本語口語体に翻訳して公表した「憲法改正草案」の字句について異議がある、と佐藤法制局長を呼び出し、激しい口調で言った。

《「第三条と第七条にあるapprovalを日本政府は同意と訳しているが、この言葉の意味について日本人に聞いたところ、同意は対等な二者の間で用いられるようだ」

「しかしGHQの意図は『内閣が天皇の上に立つ』という意味だ

そして右の拳を高く挙げて「これが内閣」、左の拳をその下の方に置き、「これが天皇」といった。》(江崎道朗「白洲次郎は何と戦ったのか」『WILL』2016年11月号)

そして勿論、「天皇の上」に位置する内閣の上には、国民の目に見えない「上」があった。

2015年8月14日に出された「戦後70年首相談話」で、「戦後レジームからの脱却」を実現してくれると国民が期待した安倍首相は、結局「村山談話」を踏襲した。その裏には、「日中共同宣言によって村山談話の踏襲が約束されている。村山談話の否定は許されない」という外務官僚からの指示があったという。

投票によって国民が選出したのではない高級官僚らが、国民の代表である内閣の上位にあり、内々に首相に「指示」して、国民がそのために支持した内閣の「救国の政策」を変更してしまう……。

だが、内閣総理大臣の行動をも統制するその官僚たちの上にも、更にまた目に見えない「上」があった。

それが、「日米共同委員会」という議事録非公開の秘密会議で、日本の官僚たちに「相談」と称する「命令」を下す戦後日本の本当の支配者、在日米軍とそれを指揮する米国防総省である。

pentagon 3

日本は、未だに米軍によって「占領」され、実質「植民地化」されている。

「米軍関係者」は、日本当局の入国管理を全く受けることなく、日本全国にある「米軍施設」を通って日本に出入りできる(「横田ルート」等)。「米軍関係者」が日本人を殺害しても、日本はその犯人を裁くどころか、拘束することもできない(「在日米軍裁判権放棄密約事件」)。

主権に関するあらゆることが、日本国民に知らされないまま「日米合同委員会」において取り決められ、それは『日本国憲法』に優先する

これが「占領軍がくれた立派な憲法、『日本国憲法』がもたらした素晴らしい国民主権・議会制民主主義」の正体だ。ナチスの「全権委任法」が行政府(内閣・官僚)に立法権を含む権力を与えたように、『日本国憲法』は、天皇から簒奪した主権を国民に与えておいて、その実占領軍=米軍がその国民の代表者=統治権の主体である政府・官僚を支配する、という「植民地間接統治法」なのである。

ずっと、「日本は『まるで』未だに米国によって占領され続けている『かのようだ』」「日本は米国の植民地である『かのようだ』」と思っていたら、「本当に」そうだった。

2016年刊の二冊の本、矢部宏治著『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』と、吉田敏浩著『「日米合同委員会」の研究:謎の権力構造の正体に迫る』、そして2015年刊の末浪靖司著『機密解禁文書にみる日米同盟』は、米国側の機密解禁文書によって、サンフランシスコ平和条約と旧・新日米安保条約、日米行政協定と日米地位協定__即ち「GHQ占領法体系」を引き継いだ「安保法体系」がどのように成立したのか、吉田茂、岸信介、佐藤栄作ら日本の首相らがそれにどのように関わっていたのかを詳らかにしてくれる。

天皇弾圧・国体破壊の『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は、日本の主権簒奪・戦後日本支配の「装置」の「一部」に過ぎなかった。

平和条約と安保条約の制定過程を知れば、なぜ戦後の歴代日本政府が『日本国憲法』無効論を封殺してきたのか、その理由が明らかになる。なぜ天皇陛下の譲位が速やかに実現されないのか、その理由が明らかになる。

日本の主権は、日本人自身の手によって売り渡されてきた。

占領下の日本は、米ソ冷戦の戦場だった。

表向きの「連合国」の一枚看板の裏で、ソ連=国際共産主義者が主導する極東委員会とGHQ=米国軍部が、極東覇権戦略の要衝である日本の支配権をめぐって激突していた。

ロシア国内のユダヤ人救済のためにロシア革命を支援した、米国のユダヤ人国際金融資本家達に動かされたルーズベルトが始めた日米戦争は、「連合国」というよりも米軍の圧倒的物量・軍事力によって米軍の勝利に終わった。

スターリンと個人的親交のあったルーズベルトは、国際共産主義・国際金融資本主義をバックに世界覇権を狙っていたが、1945年4月12日、対日勝利を目前に死亡。共産主義陣営の世界制覇戦略に影を落とす。

占領下、日本に押しつける「新憲法」の制定競争で、GHQは新憲法制定について「最終決定権」を持っていた極東委員会を完全に出し抜き、10日足らずで草案を作成して『日本国憲法』制定を強行した。このことを以て「『日本国憲法』は、共産主義者の極東委員会の『共和制憲法』よりはマシだった」という者がいるが、『日本国憲法』は、ルーズベルトの社会主義政策「ニュー・ディール政策」の体現者たちに主導されたGHQにより制定された「国民主権」の実質「共和制植民地法」であり、「宗主国」米国に隷属する「植民地・日本」か、ソビエト連邦の「極東の衛星国・日本」か、という違いしかなかった

「ソ連の衛星国になるよりは、民主主義国・アメリカの植民地でまだしも良かった」などと、日本人は誰も言わないはずだと信じたい。

GHQは、『日本国憲法』で、実権力の暴走に「拒否大権」で歯止めをかけることのできる天皇の「至高の権威」を簒奪・排除した。

そうしておいて、『日本国憲法』自体が禁ずる検閲と洗脳という人権蹂躙を犯して日本国民を騙し、『日本国憲法』と国連憲章の「平和主義」を隠れ蓑に、「民主主義」も「人道主義」も冒瀆しながら、講和締結=戦争完全終了の後も、「日本中のどこにでも、必要な期間、必要なだけの軍隊をおく権利を獲得する」(1950年9月8日、トルーマン大統領の対日平和条約基本原則。p.111、矢部同上)とする事実上の占領継続を実現した。

それは戦時国際法、国連憲章、ポツダム宣言、バーンズ回答の全てに違反していたが、トルーマンが対日平和条約交渉責任者に任命したダレスは、勿論そのことを充分承知していた。

《1951年1月26日、来日した翌日のスタッフ会議で、〔ダレスは〕

「この条約の最大の目的は、われわれが望む数の兵力を、望む場所に、望む期間駐留させる権利を確保することである」と、自分にあたえられた使命を復唱しながらも、つづけて、

しかし日本がそのような権利をアメリカにあたえた場合、日本の主権を侵害する条約をむすんだと必ず攻撃されるだろう。この提案を受けいれさせるのは非常にむずかしい」と、珍しく弱気な発言をしていた》(p.111、矢部同上)

だが、ダレスは国際法を熟知した(即ち「法的トリック」を自由自在に駆使できる)ウォール街きっての凄腕弁護士であり、国連憲章の重要な執筆者の一人であった。ダレスは国連憲章の条項と、SCAP=連合国軍最高司令官や、GHQ=連合国軍最高司令官総司令部の名称等にみられるような、ある時は「連合国軍=米軍」、またある時は「連合国軍≠米軍」という字句的混乱を最大限に利用し、日本に「主権侵害の条約」を結ばせることに成功する。

ダレスがアイゼンハワー大統領の下で国務長官を務めたほぼ同時期にCIA長官であった実弟アレン・ダレスとともに、「戦後世界の設計者」「冷戦構造の構築者」(矢部同上)と呼ばれたのは伊達ではなかった。

ダレスの作成した対日平和条約基本方針には次の二項があった。

■軍事上の具体的な問題については、平和条約とは別の二か国協定で決定する

■その二か国協定の条文については、国務省と国防省が共同で作成する

条約・協定の条文作成は本来、国務省(外務省)の役割である。そこへ敢えて「二か国協定(=旧安保条約)は「国防省と共同で」という条件を付けたのは、ダレスが「二か国協定(=旧安保条約)は米軍部自身に書かせる」ことに決めた、ということだった。(p.211、矢部同上)そして、米軍の要求とは、次のようなものであった。

「在日米軍の法的地位は変えない部分的講和(Partial Peace)」(陸軍次官ヴォーヒーズ、p.151、矢部同上)

「政治と経済については日本とのあいだに『正常化協定』を結ぶが、軍事面では占領体制をそのまま継続する」(バターワース極東担当国務次官補からアチソン国務長官宛の報告書/1950年1月18日_p.152、矢部同上)

1949年8月、ソ連が核実験に成功。同年10月には中国共産党の中華人民共和国が成立。1950年2月には中ソ軍事同盟成立。それとともに、米中ソの合意に主眼を置いたマッカーサーの「国連軍構想」と、米国務省の太平洋協定(Pacific Pact)などの集団防衛条約」による日本独立オプションの蓋然性が薄れ、国防省の部分的講和(Partial Peace)」構想に勢いをつけていた。

そして1950年6月25日、スターリンの指示に従った金日成の北朝鮮軍が、ソ連軍を後ろ盾に国境を越えて南下、朝鮮戦争が勃発朝鮮半島を舞台にした米ソ冷戦の「熱い代理戦争」の火蓋が切られ、これで日本から米軍が撤退する可能性はほぼ消滅した。

以下は、当時の陸軍省・占領地域担当特別補佐官マグルーダー陸軍少将による旧安保条約原案の、第14条「日本の軍隊」の第三節(①)から五節(③)までである。

この協定〔=旧安保条約〕が有効なあいだは、日本政府は陸軍・海軍・空軍は創設しない。ただし、それらの軍隊の兵力、形態、構成、軍備、その他組織的な特質に関して、アメリカ政府の助言と同意がともなった場合、さらには日本政府との協議にもとづくアメリカ政府の決定に、完全に従属する軍隊を創設する場合は例外とする

戦争または差し迫った戦争の脅威が生じたと米軍司令部が判断したときは、全ての日本の軍隊は、沿岸警備隊を含めて、アメリカ政府によって任命された最高司令官の統一指揮権のもとにおかれる

③日本軍が創設された場合、沿岸警備隊をふくむそのすべての組織は、日本国外で戦闘行為をおこなうことはできない。ただし、前記の〔アメリカ政府が任命した〕最高司令官の指揮による場合はその例外とする

(1950年10月27日付 米国防省による旧安保条約原案 対訳・番号は矢部氏による p.126矢部同上)

マグルーダー原案10.27⑥第14条345節

左がその原文であるが、米国務省の「Office of Historians」サイトで閲覧できる。https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1950v06/pg_1341(最後4ケタの数字はページ数。「マグルーダー原案」はp.1336からp.1342まで)

「日本は軍隊を自己裁量によって持つことは許されないが、米国政府がその必要があると判断したとき、米国政府の助言と同意がともなった場合に限り、軍隊を持つことができる。その軍隊は、米国政府の決定に完全に従属し、米国政府によって任命された最高司令官=在日米軍最高司令官の『統一指揮権』の下に置かれる。その軍隊は日本の自衛権の発動としての軍事行動は取れないが、在日米軍最高司令官の指令に従って世界中のどこへでも行って戦う」……

これでは日本は完全な属国、植民地である。この条件下では「日本の軍隊」は、第二次大戦中に米軍の一部としてドイツ戦線で奮戦し、勇猛の名をはせた「日系人部隊」と同じである。

しかし、国民は誰も知らなかったが、このマグルーダーの原案通りのことが、平和条約・安保条約を締結する前に、既に現実となっていた。

朝鮮戦争が始まるとすぐに、マッカーサーの要請によって75,000人の警察予備隊の組織が始動した。(成立は2か月後の1950年8月)

本 Inoffensive Rearmament

(GHQ軍事)顧問団が事実上の警察予備隊の本部とな」り、「(朝鮮に出撃した米軍の)各基地には、日本人の隊員1,000人につき1名、ひとつの基地ごとに最大2名の少佐級の米軍将校」が配属された。「そうした米軍の将校たちは、日本人の新入隊員達を基地に収容し、衣食住を与え、大隊に編入し、また新入隊員の中から部隊長を選び出し、(米軍の武器を使って米軍将校によって)早速軍事訓練を開始した」それはまさしく「米軍を小型にしたようなものになった」「(それが)軍隊であることに、疑問の余地はなかった」(警察予備隊創立責任者、GHQ民事局副官フランク・コワルスキー大佐。日本語訳矢部 p.198)

更に、1950年10月2日、米海軍参謀副長バークからの掃海艇派遣依頼」が、大久保武雄海上保安庁長官に発令された。大久保長官から相談を受けた吉田首相は、「国連軍に協力するのは日本政府の方針」としてこれに同意した。同月6日、米海軍司令官のジョイ中将から山崎運輸大臣に指令が発せられ、海上保安庁の特別掃海艇部隊が朝鮮水域へ出撃。実質戦闘参加し、戦死者1名、負傷者18名を出した。

この時、船長判断で3隻の船が一旦戦線を離れて帰港した。岡崎勝男官房長官に、掃海作業の継続の是非(=新憲法の不戦条項との整合性)について「政府の最高方針を承りたい」と問うた大久保長官に対し、吉田首相は「日本政府としては、国連軍に対し全面的に協力し、これによって講和条約(=平和条約)をわが国に有利に導かねばならない」との回答を与えている。(矢部同上p.205)

(後述するが、吉田が「連合国占領軍=米軍」を「国連軍」と呼んでいるのには深い訳があった。)

上述の原案起草者マグルーダー陸軍少将は、ダレスの交渉団の一員であり、彼が同じく交渉団の一員であったアリソン国務省北東アジア部長(1938年1月26日の、日本軍占領時の南京における「アリソン殴打事件」のアリソンである)と調整作業を行い、国務省担当者ラスクと協議し、トルーマンの承認を得たものに一部修正を加えたものが、1951年2月2日に日本側に提示された『日米安全保障協力協定案』であった。上記の三項は、その第8章にあたる。

この米国側協定案の中で、「基地権」の問題の箇所は「安全保障軍〔=米軍〕は、占領終了時に占領軍の管理下にあった施設〔=基地〕に駐留する」となっていた。

この『協定案』を見た日本側交渉団・条約局長西村熊雄は、「駐屯軍の特権的権能があらわに表示されているため、一読不快の念を禁じ得ない物であった」(『平和条約の締結に関する調書』〔外務省 2002年公開〕)と、後世に残る公文書に記すにしては珍しいほど強い言葉で『調書』に書き残した。(p.100 矢部同上)

この米国案への対応を協議するため、西村らは翌日2月3日に神奈川県大磯の吉田首相の別邸を訪ね、結果4点の修正案が出されることとなった。

《①【再軍備と指揮権の問題】日本の再軍備と統一司令部(=統一指揮権)について書かれた第8章は、丸ごと削除してほしい

②【基地権の問題】(a)占領の継続という印象をあたえないため、在日米軍の持つ特権については条文に具体的に書かないでほしい。(b)占領が終わったあと米軍が使用する基地は、現在の基地をそのままつかいつづけるのではなく、必要なものに限り両国の合意によって決めるというかたちにしてほしい。

③【基本原則の問題】この協定(旧安保条約)が「両国の合意にもとづく」ものだという原則をまもるため、米軍の日本への駐留については、「日本が要請〔request〕し、アメリカが同意〔agree〕する」という表現ではなく、「両国が同意〔agree〕した」と変えてほしい

④【平和条約の問題】米軍が平和条約の発効後も日本に駐留することについては、平和条約の条文には書かないでほしい。》(p。102、矢部同上)

「一読不快の念」を持つという点では、この日本側対策案も同様であった。

「米国案は『占領終了を宣言し、日本が主権と独立を回復するための講和条約』に付随する協定の文面とは言い難い」「占領継続などもってのほか」「対等な二国間が結ぶ条約・協定は『両国の同意』のみにて作成されるのが当然」と非難するのではなく、寧ろ「国民に知られてまずいことは条約には書かず、書くとしても『もっと人聞きの良い言葉』に変えてほしい」と哀願している。

この根底にあるのは、「見た目だけ『主権回復』『独立回復』になっていれば、実情が『占領継続』『敗戦奴隷状態』でも構わない__そのほうが『奴隷村の村長』として他の奴隷どもを支配するこちらに都合がよい」という吉田の卑しい売国奴根性だ。

講和締結後にも占領継続、指揮権無しの再軍備強要は主権侵害だ。到底受け入れられない」と断固撥ねつけるのが当然であったが、売国奴の吉田にとって、日本が主権を持っていようがいまいが、関係なかった。

そうでなければ、「ドイツには許した『占領憲法拒否』と『自主的再軍備』を、日本にだけは許さないという人種差別。世界中どんな小国でも持っている『自衛権』『交戦権』を日本にだけ許さず、そのうえ『天皇の統治権を簒奪して日本の国体を改変』した『日本国憲法』の制定強要。その無法を正当化するために行われた東京裁判を始めとするGHQの『War Guilt Information Program』という名の日本人と国際社会両方の洗脳プログラム__占領軍が行った数々の主権侵害・人権蹂躙を告発する」と強く出ることもできたはずだ。

「占領軍はこんな無法を働いた」「米国はこんな要求をしてきた」と国民に周知すれば、国民は黙っていない。現に、ダレスら米国側交渉団はそれを恐れていた。「国民に言うぞ」だけでも効果はあったはずだ。

『日本国憲法』の制定強要根拠となったカイロ「宣言」・ポツダム宣言のいう「日本の侵略戦争・世界征服の共謀」「台湾・朝鮮の奴隷支配」は、東京裁判でも全く立証されることのなかった、完全なる誣告であった。

「連合国の占領政策の数々の無法に対する日本からの賠償請求は、敗戦の代償としての連合国への賠償と相殺することにしてもよい。ただ歴史の真実だけは取り戻させてもらう。こちらは粛々と『日本国憲法』無効宣言と大日本帝国憲法現存宣言をして占領前に原状復帰するから、まともな平和条約を締結しよう」と、寧ろ日本側が強気に出られる場面のはずだった。

ところがそうはならなかった。なぜか?それは、「講和締結後も米軍が駐留継続」は吉田茂首相自身の以前からの計画であったからだ。

「日本政府はできるだけ早い時期の平和条約締結をめざしている。その場合、米軍を日本に駐留させる必要があるだろうが、もしその希望をアメリカ側から言い出しにくければ、日本側からオファーすることを考えてもいい」

1950年5月3日、吉田茂首相はこの極秘メッセージを、マッカーサーの頭越しに、米国政府に伝えていた。密使を務めたのは側近の池田隼人大蔵大臣である。

同時に、吉田は「外国軍の駐留を平和条約そのものに書いておく」ということも提案していた。《日本の学者たちに検討させたところ、そうしておけば、「米軍の駐留継続は憲法違反だ」という批判に対して、「平和条約は憲法に優先する」という論理で押し切れるという判断になったから》だった。(p.163, p.103 矢部同上)

『日本国憲法』9条2項を根拠に「日本は軍隊を持てないから米軍の駐留が必要」と誤魔化しながら、日本政府自らがそれを望んだという売国の事実を国民から秘匿するまやかしの密室政治・密室外交によって『日本国憲法』の「国民主権」を死文化させ、民主主義までも愚弄している。

「平和条約は憲法に優先する」?__吉田の真意は、「自分が手を結んで日本を支配させている米国防省の意向が、その支配者が敗戦奴隷・日本に持たせている『奴隷の宣誓書・日本国憲法』に優先するのは当然」であったのではないか?

最終的に、条文は「平和条約の発効後、すべての占領軍は90日以内に日本から撤退するが、その規定は二国間協定にもとづく外国軍の駐留をさまたげるものではない」という表現になった。

そもそも吉田は、西村らが「一読不快な」米国側条約案を見せられる前の1月29日、第一回吉田・ダレス会談において、「日本が自尊心を傷つけられずに承認できるような条約をつくってもらいたい」と言っていた。最初から、日本の米軍による占領継続は、吉田の頭の中では決定事項だったのだ。

「日本が」と言いながら、その実「(私〔=吉田〕の立場が悪くならないよう、次の総選挙でも勝てるよう)体裁の良い条約を作ってくれ」としゃあしゃあといい、「日本の自尊心が傷つかない」どころか、己の私利私欲のために日本の主権と誇りを売り飛ばしたのだ。

実際、協定発効後の米国務省への報告書で、ダレスらも「次期総選挙で最も親米的な吉田政権が敗北することを避けるため、日本側に条文のことで譲歩した」と言っている。(p.114 矢部同上)

しかしながら、日本側修正案③の、「条約は両国間の同意に基づく」という国際社会の常識的基本原則は、あっけなく突っぱねられる。ダレスは、米国交渉団の日本到着時の羽田空港でのスピーチで、「日本は『交渉(negotiate)の相手』ではなく『相談(consult)の相手』」と表現して、勢い込んで迎えた日本の外務官僚達の出鼻を挫いてみせていた。(p.98矢部同上)勿論、この場合の「相談」には日本における「目上の者に相談」のニュアンスはない。「交渉」においては、対等な二者の「合意」に向けた「妥協」の余地が有りうるのに対し、占領軍=米国が被占領国日本に「相談」といえば「要求とその確認」であり、それが覆る余地は全くなかった。

条約条文を外交官でなく軍人に書かせたことといい、ダレスや米国政府は「日本に対して『人種偏見』を持っていた。有色人種として『普通の白人主権国家と対等』とみなしてはいなかった」といえる。

吉田達は、しかし、第8条の再軍備についての条文の削除を頼む一方で、「非常に重要な提案をふたつ、アメリカ側に文書でつたえることにした。」

《「〔第8条のような〕文書は削除したい。しかし、それは日本が軍備をもち、交戦者〔=戦争をする国〕となることを拒否するという意味ではない」と、それまでの公式見解を180度転換し、同時に「再軍備の発足について」という別の文書をとどけて、自衛隊の前身である保安隊(5万人)の発足を約束した。つまり正式に「軍隊」を発足させることを、アメリカ側に約束した》のだった。(p.104 矢部同上)

吉田はここで、「再軍備密約」をした。『日本国憲法』施行以来最初の、日本政府による9条2項の「解釈改憲」であった。

さらに、2月3日、自宅で吉田が西村達に強調した、米国側原案の第8条を削除してもらう代わりに日本側が行った米国へのもう一つの提案とは、「こうした問題には共同委員会〔=のちの日米合同委員会〕を大いに活用すべきである」「とくに再軍備の計画や、緊急事態または戦争への対応について徹底的に研究し、計画を立てるさせるとともに、駐留軍の基地や経費、法的地位についても研究させることにする」ということであった。(p.106 矢部同上)

米軍の「占領継続」を受け入れることを前提としていた以上、ここで吉田がいう「研究」「計画」とは、「日本の独立・主権回復のために」ではなく、日本国民をうまく騙しながら、言いくるめながら、実際に米軍の要求通りに便宜を図るにはどうすればよいかを、秘密裏に話し合う」ということに他ならない。

この「願ってもない」吉田の提案をダレスが受け入れ、この後、平和条約及び安保条約の交渉は、全てこの「基本方針」に沿って進んでゆくことになる。

(『日本国憲法』+GHQ『皇室典範』+)「サンフランシスコ平和条約」+「旧安保条約」/「60年安保条約」+「行政協定」/「地位協定」+「日米合同委員会での密約」「交換公文や口頭での密約」=「米軍主権」という方程式ができあがったのである。

『日本国憲法』の「象徴天皇」「国民主権」が国民を欺いたように、「非常に公正寛大」な平和条約の陰で、それ自体が巨大な密約だった「国辱の」旧安保条約には「吉田一人が調印」して、日本国の主権を売り渡し、事実上の占領継続状態が実現した__「戦後日本の米軍による支配と日本政府・官僚による売国の密約外交」=「戦後レジーム」が、ここに誕生したのであった。

結局、「占領軍=米軍が講和締結後も日本に駐留し、特権を享受する」ということは、平和条約にも安保条約にも書かれず、あまり国民が目を通す機会のない「日米行政協定」に書かれた。

「日米行政協定」(1952年)第3条1項

合衆国は、施設及び区域(facilities and areas)〔=米軍基地〕内において、それらの設定、使用、運営、防衛または管理のため必要なまたは適当な権利(rights)、権力(power)および権能(authority)有する(shall have)

合衆国は、また、前記の施設および区域〔=米軍基地〕に隣接する土地、領水および空間または前記の施設および区域の近傍において、それらの支持、防衛および管理のため前記の施設および区域への出入りの便を図るのに必要な権利、権力および権能を有する。本条で許与される権利、権力および権能を施設および区域外で行使するに当っては、必要に応じ、合同委員会を通じて両政府間で協議しなければならない。》

前半部分は「アメリカは米軍基地の中で、何でもできる絶対的な権力を持っている」ということであり、後半部分は、「アメリカは米軍基地の外でも自由に動ける権利=基地にアクセスするための絶対的な権利を持っている」、つまりは「日本当局の関知しないところで、日本中どこでも自由に出入りし、動き回れる絶対的な権利・権力・権能をもっている」=「在日米軍基地内だけでなく、日本のどこでも在日米軍そのものには日本の主権が及ばない」=「米軍が日本の主権を握っている」ということなのである。

また、「支持」は意図的誤訳で、「軍事支援」の意味である(矢部)から、この第3条1項は「アメリカは、軍事行動を行ううえで必要な、在日米軍基地へアクセス(出入り)するための絶対的な権利を持っている」ということも言っているのである。(pp.74-78 矢部同上)

この「行政協定」は「秘密協定」として、その条文は公表されない(ダレス→吉田、1951年4月18日)ことになってはいたが、「これでは占領継続と一緒だ」という声が、いつしか国民の中から上がるのも当然だった。そこで、1960年に岸信介によって、この「日米行政協定」は改定され、「日米地位協定」となった。上記の第3条1項は、以下のように変わった。

「日米地位協定」(1960年)第3条1項

合衆国は、施設及び区域〔=米軍基地〕内において、それらの設定、運営、警護および管理のため必要なすべての措置を執ることができる(may take)

日本国政府は、施設および区域〔=米軍基地〕の支持、警護および管理のための合衆国軍隊の施設および区域への出入の便を図るため、合衆国軍隊の要請があったときは、合同委員会を通ずる両政府間の協議のうえで、それらの施設および区域に隣接し、またはそれらの近傍の土地、領水および空間において、関係法令の範囲内で必要な措置を執るものとする合衆国も、また、合同委員会を通ずる両政府間の協議の上で前記の目的のため必要な措置を執ることができる。》(pp.74-78 矢部同上)

「権利・権力・権能を有する」という表現が「必要な措置を執ることができる」と柔らかい表現に変わり、主語が「合衆国」から「日本国政府」に変わった。合衆国が譲歩し、日本政府が法的コントロールを取り戻したのか?岸信介の謳った「対等な日米新時代」がやっと来たのか?

そうではなかった。米軍の要求する「絶対的な権利」はそのままで、日米合同委員会において「関係法令」の方を改正または解釈変更して、日本国民のあずかり知らぬところで、密約によって辻褄を合わせる、というカラクリであった。

「対等な日米新時代」は、やはり見せかけだけのまやかしだったのだ。

60年安保闘争 国会前

1959年4月、60年安保改定交渉時、岸信介首相と、首相と個人的にも親しかった藤山愛一郎外務大臣の二人と、帝国ホテルの一室で密談を続けていたマッカーサー駐日大使(連合軍総司令官マッカーサーの甥)からワシントンの国務長官に宛てた極秘電報は、「彼〔藤山〕は、行政協定について提案した。日本政府は本質的にいって、行政協定を広く実質的に変更するよりも、見かけ(appearance)を改善することを望んでいる。そうした場合には、圧倒的な特権が米軍に与えられ、実質的な〔改定〕交渉にならないだろう」(1959年4月13日公電)「彼ら〔岸・藤山〕は、かなり多くの改定を考えてはいるが、その多くは形だけのもの、すなわち、国会に提出された場合に、行政協定の見かけ(appearance)を改善するだけだ」(1959年4月29日公電)

「私は行政協定の実質的変更を避けるように、岸と藤山に切れ目なく圧力をかけてきた。岸と藤山は、われわれの見解を理解してきたし、幾人かの閣僚にも反対して、行政協定に大きな圧力を加えたい扇動的な保守政治に反対する線をしっかり維持してきた」

(1959年4月29日公電)と、マッカーサー大使自身により実行された米国からの圧力の事実とともに、日本政府_岸首相と藤山外相_の、反安保勢力を封殺して米国に隷従する様を、明らかにしている。

だがこのほぼ3か月後、1959年8月3日に「ボン協定」が調印されると、社会党ら反主流派とあらゆる安保・行政協定反対勢力がこの内容を吟味し始め、岸・藤山とマッカーサー大使を慌てさせる。

「ボン協定」(正式名称「西ドイツに駐留するNATO軍の地位に関する諸協定」)の、ドイツの主権を尊重し、基地権を含めたNATO軍運営に対するドイツの自律権・自国利益追求権を保障した内容が、「藤山と岸が日本の国益を守っておらず、ドイツが交渉でドイツ人のために獲得したものも獲っていないということ」(藤山の弁、1959年9月10日マ大使→米国務長官公電)を白日の下に曝してしまったからであった。

万事休す、とマッカーサー大使も米国務省も思った。しかし、岸・藤山がマッカーサー大使に提示した「解決策」は、既に見たように、「権利・権力・権能」という直接的表現を取り払って、あたかもそれが「消失」したかのような錯覚を国会と日本国民に与え、「米軍主権」の実質は以前のまま、という「密約法体系の継続」であった。

「必要な全ての措置を執ることができる」という言い回しを「ボン協定」からとることによって、「『行政協定』の改訂版は『ボン協定』と同じ」という錯覚を与える、というアイディアも岸・藤山の提案であった。

《施設および区域内における「権利、権力および権能」の問題は、われわれの交渉がこれまで合意に達しない核心の問題だった。それが今や、その防衛責任を十分に果たすために必要なすべての措置を執ることができる(第53条第1項)という文言を、ドイツ協定は使っているようにみえる、そこには、実質的な違いはないようにみえる、ドイツ協定は現行の日米行政協定にある政治的に目障りな言いまわしは避けているのだ、と藤山は述べた。》

《コメント:ドイツ〔協定〕の条文がわれわれに受け入れられるものなら、それは好ましいことだ。しかしながら、もしワシントンが望むなら、冒頭のところでは「それらの設定、使用、運営、警護および管理のための必要なすべての措置を執ることができる」という言い回しを申し出てもよい。それは、日本にとって受け入れられるものであり、そして、現在の表現にある攻撃的な意味合いはないが、われわれが必要とし、また現に今持っているものすべてを与えてくれるものだ。》(1959年9月10日公電マ大使→米国務長官)

「ボン協定」では、NATO軍が「(NATO軍基地内の)設定、使用、運営、警護および管理のための措置」を執るためには、「ドイツ国内法と同等またはより厳しい内容を有する派遣国の国内法規を適用する」ことが定められている。それを、日米地位協定では、米国側は抜け目なく「必要な全ての措置が執れる」範囲を広げることによって、「米軍のやりたい放題=米軍主権」を守り通したというわけだ。

しかし、その抜け目なさも日本政府(岸・藤山)の「自主的な主権放棄」あってのことであった。

《いまだ協議中の行政協定の諸条項に関しては、日本の公衆に知らせることがきわめて重要なのだが、彼らは重要な政治問題を自分たちの手中にしまいこんでいる。》

(マッカーサー、1959年9月10日公電。上記4件の極秘公電は末浪靖司『機密解禁文書にみる日米同盟』pp.115-119、p.128, p.132)

この日本政府の「主権売り渡し」と米国務省の「『米軍主権』維持政策」は、砂川事件の最高裁判決(1959年12月16日)において、その最高潮への到達を見る。

砂川事件1955
砂川事件(1955年頃撮影)

「在日米軍は憲法違反」「立川基地敷地内に侵入した被告全員の無罪」を言い渡した1959年3月30日の東京地裁判決(伊達判決)をうけ、「翌年に予定されていた安保改定に影響が起こることを恐れたマッカーサー駐日大使が、判決の年内破棄をめざして激しい政治工作を展開した」(p.274、矢部同上)のだった。

一審判決が出た翌日、マッカーサー大使は藤山外務大臣を呼び出して、裁判の期間を短縮させるため、東京高裁を飛び越えて直接、最高裁に上告するように指示」「さらにその後は、田中耕太郎・最高裁長官と情報交換をしながら裁判をコントロールし、同年12月16日に計画通り、最高裁で一審判決を破棄させた」(pp.274-275、矢部同上)

田中耕太郎最高裁長官は、講和条約締結前の1950年から1960年まで、その任にあった。末浪靖司によれば、GHQと米国務省は、吉田内閣が「反共の理論家」として最高裁長官に任命した田中耕太郎の、「侵略戦争賛美派からマッカーサー元帥賛美派へ」の変節の経歴も、全て熟知していた。1960年10月24日に最高裁長官を退任する田中が、2か月前の8月18日、国際司法裁判所判事立候補への支持を取り付けるため米国務省を訪れた折には、ハワード・バーンズ国務次官補が国務長官代理への覚書で以下のように述べていた。

《占領終了と日本の主権回復から今日までの期間にわたり、〔田中耕太郎が〕最高裁長官として職務していたあいだ、日本の最高裁は、日本の戦後政治の発展方向を確定する判決を引き継ぐよう求められてきた。これらの多くの事件では、1959年12月の砂川判決のように、自衛隊を創設し、アメリカの軍事基地を許容した政府の権利を確定し、日米関係に影響するきわめて重要な効果をもたらした。》(末浪同上p.85)

因みに、矢部宏治によると、日米合同委員会の日本側代表代理のポストは、法務省大臣官房長が務めることになっているそして、歴代の法務省大臣官房長は、その多くがその後法務省トップの事務次官職を経て、検事総長になっているとのことである。

「最高裁長官」「検事総長」という日本の法律家の司法・行政のトップもまた、米軍の支配下にあって、「日本の戦後政治の発展方向を確定する判決を引き継ぎ」「日米関係に影響するきわめて重要な効果をもたらしている」ということになる。

そのことも踏まえて考えれば、「戦後レジーム」を固定化させた60年安保改定直前に、この田中耕太郎が出した砂川裁判最高裁判決が、「『日本国憲法』正当化」「『統治行為論』に基いた米軍基地問題に対する裁判権の放棄」=「日本の主権放棄」ともいえる内容になっていることは、象徴的なものがある。


砂川裁判最高裁判決・要旨(最高裁判所判例委員会編『最高裁判所刑事判例集』第13巻第13号)

①(略)

② 憲法第9条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことにともない、日本国民が過去における我が国の誤って犯すにいたった軍国主義的行動を反省し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであって、前文および第98条第2項の国際協調の精神と相まって、わが憲法の特色である平和主義を具体化したものである。

③ 憲法第9条第2項が戦力の不所持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、みずからその主体となって、これに指揮権、管理権を行使することにより、同条第1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすことのないようにするためである。

④ 憲法第9条はわが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定してはいない。

⑤ わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立をまっとうするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使であって、憲法はなんらこれを禁止するものではない

⑥ 憲法は、〔上記〕自衛のための措置を、国際連合の機関である安全保障理事会等のとる軍事措置等に限定していないのであって、わが国の平和と安全を維持するためにふさわしい方式または手段であるかぎり、国際情勢の実情に則し適当と認められる以上、他国に安全保障を求めることをなんら禁ずるものではない。

⑦ わが国が主体となって指揮権、管理権を行使し得ない外国軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても憲法第9条第2項の「戦力」には該当しない。

⑧ 安保条約の如き、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度の政治性を有するものが、違憲であるか否かの法的判断は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査に原則としてなじまない性質のものであり、それが一見きわめて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする。

⑨ 安保条約(およびこれにもとづく政府の行為)が違憲であるか否かが、本件のように(行政協定に伴う刑事特別法第2条が違憲であるか)前提問題となっている場合においても、これに対する司法裁判所の審査権は前項と同様である。

⑩ 安保条約(およびこれにもとづくアメリカ合衆国軍隊の駐留)は、憲法第9条、第98条第2項および前文の趣旨に反して違憲無効であることが一見きわめて明白であるとは認められない。(略)

(参考:矢部同上のコラム)


これは、日本人(=最高裁)が日本人として日本人に向けて書いたものではなく、『日本国憲法』同様、「日本の支配者=宗主である米軍が、植民地である日本の、敗戦奴隷である日本人(=最高裁・日本国民)に『言わせている』もの」だと認識して読むと、明快に理解できる。

②と③は、勿論「連合国=米国絶対正義」の立場から『日本国憲法』の正当性を確認させている。『日本国憲法』特に前文・9条2項は、「軍国主義の日本政府がまた侵略戦争を起こして『戦争の惨禍』に日本国民を巻き込まないように」「日本国民自身が反省し、決意して、『自ら』制定した」ものである、という二重のフィクションを、日本国民に念押しさせているのだ。

③では特に、「(日本が)戦力を保持し、みずからその主体となって、これに指揮権、管理権を行使することにより__侵略戦争を引き起こすことのないよう」と付け加えることによって、例え戦力を保持したとしても、「日本がその軍隊の主体とならず、指揮権、管理権を持たないならば、侵略戦争にはならない」と、米軍の日本の軍隊=自衛隊に対する統一指揮権を正当化しながら、サラリと超自虐的なことを言わせている。

④⑤は、要するに米軍の駐留をこじつけ的に正当化しているわけだが、ここで持ち出された「主権国として有する固有の自衛権」「国家固有の権能の行使」が、「外国軍(つまり米軍)の日本駐留」に特化されたものであることに注目する必要がある。

「日本の主権国家としての固有の権利・権能」をいうなら、そもそも東京裁判で、「大東亜戦争は自衛の戦争だった」と主張する権利が日本にはあった。「日本の『侵略』など連合国の言いがかり、誣告である」と、はっきり国際社会に向けて主張できるはずだった。

当時ほぼ全世界の先進国が日本の敵側に回っていたとはいえ、国家固有の権利・権能は、戦勝国・敗戦国という立場や、まして主観的な「善悪」などに左右されるものではない。パリ不戦条約で決められたとおり、「その戦争が自衛かどうかの決定は当事国の裁量に任されている」そしてその裁量権はどんな小国であろうとも有するからである。

だが、米軍の独裁統治となった占領下の日本は、そもそも東京裁判の「偽証罪なし、たとえ伝聞だろうが言ったもの勝ち」「反対尋問なし」「弁護側証拠は片端から却下」という出鱈目ぶりを批判することすら許されていなかった。当然その判決への上告など許されるはずもなく、連合国の誣告を告発することも叶わないまま、「侵略戦争を起こした残虐な軍隊」の冤罪を着せられたまま、無実の戦争指導者達が処刑されたにも拘らず、戦後70年を過ぎても、東京裁判の検証自体を許されていない。

「どんな小国もその国民も、国家として、人間として当然有する権利である」と、連合国の欧米列強自身が崇高に謳う「自然権」が、日本一国にだけはない。これはそういうことなのである。

⑧⑨⑩の、「米軍駐留の違憲・合憲判断」に触れたくないがために持ち出され、マッカーサー大使を至極喜ばせた、反法治主義・憲法違反の「統治行為論」についても同じことがいえる。

『日本国憲法』第81条には、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」とあり、「それが一見きわめて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外にあると解する」とする判決は、最高裁の責務放棄・憲法違反である。第一「一見きわめて明白に違憲無効と認められる」事項のみ扱うのであれば、法律の素人にもできるということになるはずだが、ここではそれは脇に置く。

「主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度の政治性を有する」問題というなら、本来なら「安保条約の合憲違憲」よりもまず、「国体破壊・主権侵害の『日本国憲法』自体の有効性・妥当性」こそが問われなければならない。

そして、『日本国憲法』の成立過程を検証すれば、大日本帝国憲法の改正方法に則っていないこと、全ては「日本人自らの手で行われた」という欺瞞の下、占領軍により暴力の威圧によって強要されたことが明白である。つまり、『日本国憲法』が大日本帝国憲法違反・国際法違反、即ち無効である、ということこそが「一見きわめて明白」である。

だが東京裁判と同様、この砂川裁判もまた「米軍の日本支配戦略の一環」に過ぎなかった。

《マッカーサー大使をはじめアメリカ大使館は、最高裁砂川裁判の動きをそのつど詳しくワシントンの国務省に報告していました。砂川事件の被告弁護団が提出した答弁書や大法廷での弁論内容は直ちに英訳され、マッカーサーやレンハート公使のコメントをつけて国務省に送られました。》

《大法廷で弁護団は、米軍駐留が憲法違反であることを証明するために、米第七艦隊の艦船が横須賀基地から出て台湾海峡の紛争に出動していることを指摘しました。すると、その弁論は直ちに英訳されてアメリカ大使館からワシントンの国務省に送られ、さらに国防総省や統合参謀本部をへて太平洋艦隊司令部に回送され、そこで反論が書かれました。それが日本に送り返され、米大使館→外務省→法務省→最高検察庁という逆のルートで最高裁大法廷に提出されました。》(p.70 末浪同上)

砂川裁判で、米軍駐留を違憲として争った日本人が相手にしていたのは、日本国ではなく米軍太平洋艦隊司令部であった。

つまり、この砂川裁判最高裁判決は、米軍太平洋艦隊司令部によって書かれたということだ。

同じ日本人の憲法学者・最高裁長官・最高検察庁は、米軍の意向を日本人に伝える「使い走り」に過ぎなかった。

この判決が意味することは、であれば、単に「在日米軍を国が合憲と認めた」ということに留まらない。

最高裁判決だけでなく、「米軍の駐留は違憲」とした東京地裁の伊達判決にも言えることだが、「講和条約締結後の外国軍の駐留」を、「『日本国憲法』に違反か否か」だけで捉えようとしているところで、既に日本側関係者一同が思考停止している。

普通の独立国家の最高裁判決としては途轍もなく支離滅裂でも、既に述べたように「宗主」米軍が「植民奴隷」日本にいわせている「宣誓書」としてみれば、その真意は一目瞭然だ。

日本は、「『日本は侵略国家であった』とした東京裁判の判決を受け入れたが故に、戦力放棄の『日本国憲法』を自主的に制定した」という二重の虚構を全面的に受けいれ、疑うことをしない。(②③)

自衛隊は日本のための戦力ではなく、日本はその主体ではない。同様に自衛隊の指揮権も管理権も、日本が持てば侵略戦争を引き起こすので、それらの権能は米軍が持つ方がよい。(④⑤)

『日本国憲法』は連合国総司令部GHQの名のもとに連合国総司令官=米陸軍大将マッカーサーが書かせたものであるから、米軍が米軍のために都合よく解釈してよいのである。そして、日本で憲法や条約、協定が「国連」といったら、それは米軍のことなのである。(⑥)

日本の実権力たる立法・行政・司法は米軍に支配されており、日本の「至高の権威」天皇はその日本の実権力の下位にある。つまり、日本は全体として米軍に主権を握られている。『日本国憲法』は宗主たる米軍が植民奴隷・日本を統制するために書いたものであるから、『日本国憲法』によって宗主・米軍が統制されることはあり得ない。(⑧⑨⑩)

これが、砂川裁判最高裁判決の本当の意味だ。

マッカーサー大使は、ダレス国務長官に宛てた公電の中で、

《日本政府が確信をもって予測しているように、最高裁がこの一審判決を明確なかたちでくつがえすことができれば、(略)日本が自衛のために適切な措置をとる権利をもつことを、健全なかたちであきらかにすることになるでしょう》(1959年4月1日、藤山外務大臣に直接最高裁へ上告するよう指示した翌日。p.282、矢部同上)

と言っていたが、「日本が自衛のために適切な措置をとる権利」とは「どんな小国でも持っている、自衛のために自前の軍隊で戦争をする権利」のことではなく、「米軍に日本に駐留してもらい、日本以外の侵略国が攻めてきたときには米軍に守ってくれるようお願いする権利」のことである。

旧安保条約第一条には「平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起された日本国における大規模の内乱及び騒じよう{前3文字強調}を鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる」とあり、それは「米軍は日本全土を自由に利用し、在日米軍基地から世界中のどこへでも出撃」することのできる権利を「日本から与えられており」その武力を「外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することが『できる』」_つまり『米軍は日本を守ってもいいが、守らないのも自由だ』_という意味である。

第一次交渉で合意した条文(「2月9日案」)には、米軍の日本駐留は、「日本の防衛だけを目的とする(would be designed solely for)」と書かれていたことを考えると、まさに完全な詐欺にあったと言っていいような変更》(矢部同上 p.238)が、いつの間にかなされていた。

主権を米軍に握られた植民地・日本の「安全」は、宗主・米軍が米軍自身の利益のために必要と判断した場合にのみ守られる、という程度のものでしかないのだ。

では、マッカーサー大使の言う「健全なかたちであきらかにする」とはどういう意味か?それはもちろん、これまでの「不健全なかたち」=「密約」という形でなく、「最高裁判決」=「堂々たる最高裁判所の司法判断」という「健全なかたち」で、「米軍の、駐留を始めとする日本における特権」=「米軍主権」の正当化がなされた、ということなのである

だが、これでも、米国にとっては十分ではなかった。1950年の警察予備隊設立、および海上保安庁の特別掃海艇部隊の朝鮮戦争への出撃、という既成事実によって『日本国憲法』9条2項は初めて「解釈改憲」され、その後も9条2項の空洞化・死文化は続いているが、「戦力不所持」が『日本国憲法』に書かれている、という事実は変わらない。

「『戦力不所持』『交戦権放棄』が憲法に書かれている」という事実は、日本を丸裸にしたい勢力=国際共産主義者にとって「最後の砦」であるが、反対に、日本の「軍隊」を米軍従属で完全装備にして、「442日系人部隊」のように、米軍の手足として100%使いこなしたい米軍・米国防総省にとっては「譲渡証明・保証書のついていない高額機械」を使用するような、「いつ『それは貴方のものではない』『働きを保証するという約束をした覚えはない』と言われるかわからない」という心許無さがあるのだろう。

現実に、2015年に安倍内閣が「平和安全法制」を成立させるまで、日本政府は「憲法9条があるから」を理由に、自衛隊の「海外派兵」の要請を幾度となく断ってきた。

だが、やっといま、「集団的自衛権」=「自衛隊の海外派兵」が安倍内閣により「健全なかたち」で法的に認証された。残るは本丸・『日本国憲法』の改正なのである。

1953年には、来日したニクソン副大統領が「『日本国憲法』は誤りだった、改正して9条を削除してくれ」と要請。2004年には、アーミテージ米国務副長官が「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と発言しているが、「健全なかたち」=「『日本国憲法』に明記された日本の軍隊の米軍従属」を望んだマッカーサー2世もまた、その駐日大使の任期中に「憲法改正」を「要請」していた

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『日本国憲法』の「主権在民」「アメリカ流民主主義」、天皇の「人間宣言」は間違っていた。どうか一日も早くGHQの押しつけ憲法を捨てて、日本の歴史と伝統に合った憲法を制定して昔の姿に回復してください…。

1960年2月9日、マッカーサー大使は、汎洋婦人友好会理事長の山野千枝子女史ら7名と会見して、こう発言した。(以下、『WILL』2016年11月号「マッカーサー元帥の非礼を許して下さい」をもとに書く)

米占領軍の、「新憲法へのアメリカ流の民主主義の採用」「日本の国体を無視した天皇の人間宣言」「日本の国柄に合わぬ異質の民主主義憲法の強制」が、根本から間違っていた。

マッカーサー大使はそう言ったのだ。

《実は、民主主義が日本においてこんな姿になるとは誰も想像しなかったのでありまして、全く驚きのほかありません。アメリカは色々な民族の寄り合い国家でありますから、それらを統一し新しい国を建てるのには民主主義が役立ったからといって、日本のように昔から固く団結した国民に対しては、逆にその結合をばらばらにしてしまうという不思議な反対現象が起るものであることを初めて知って驚いたのです。》

《アメリカ国務省は日本の天皇は「現人神」であって、日本はすべて天皇中心でなければならぬことを15年後の今日になって、はっきりと知ったのであります。》(同上)

マッカーサー大使は、アメリカ流ではなく日本型の、天皇を中心とした立憲主義・民主主義についての真実を、ある意味正確に言い当てていた。そして、米国務省は本当に、「天皇の人間宣言は占領統治に不必要で、寧ろ日本人のアメリカへの敵愾心を煽ることになってしまった」と考えるに至ったと推測できる。つい数か月前の砂川事件で、全学連など運動家だけでなく、一般農民らも参加して全共闘運動・安保闘争に火をつけたデモのあまりの激しさに、マッカーサー自身も米国務省も、危機感を募らせていたのだ。だが、勿論のこと、マッカーサーは肝心なことは隠したままだった。

どうか今日お出でいただきました各位が率先されて、一日も早く憲法を日本の歴史と伝統の土台に立ったもとの姿に還元してください」とマッカーサー大使が話しかけている相手は、美容家の山野千枝子氏と、この記事の元になったマッカーサー大使との会見手記を書いたデザイナーの蜂須賀年子氏ら汎洋婦人友好会の面々で、蜂須賀氏の旧華族のコネクションはともかく、実際に政府の政策に影響を与え得る力があるかと言えばそれは「否」であった。だからこそ、女史らはマッカーサーにこう頼んだのである。「大使のお言葉通りのいきさつで行われた三つの政策がまちがっていたということを、全国民に知らせて、天皇制の復元や憲法の改正を実現するきっかけとしたいから、アメリカの日本占領政策はまちがっていたという何らかのメッセージをいただけないでしょうか」と。それに対するマッカーサーの反応はこうだった。

日本はすでに独立しているのですから、もしそこまでのことを公に表明すると、日本への内政干渉として非難されるでしょう。過去のあやまちは認めますが、大使としてそこまでのことはできません。

「日本は独立国家」?「だから『占領政策』『憲法制定強制』間違いだったと駐日米大使が公言することは『内政干渉』になる」??

いや、日本が「独立国家」などではないことを一番よく知っているのはマッカーサーだったはずだ。つい1カ月半前に、日本の独立国家としての地位を否定して駐留する在日米軍の、主権侵害的特権の維持のために、日本の司法の頭を押さえつけながら「砂川裁判最高裁判決」を米軍太平洋艦隊司令部に書かせることによって、日本の主権を何重にも侵害する行為を犯した米国防総省のお先棒を、マッカーサー自身が担いだばかりだった。

「人民主権」という共和制を以て、「万世一系の天皇が統治する」=「至高の権威・天皇を最高権力者の更に上に置いて権力の暴走を抑える」という日本の伝統的統治形態=国体を改変したことは、「過去のあやまち」「占領政策の過誤」等という程度を遙かに超越した重大犯罪行為である

「新憲法制定は日本人が自主的に行った」という虚偽で占領軍の憲法制定強要を隠蔽したこと、その隠蔽行為自体を検閲により隠蔽したこと、「日本は侵略国家」という虚偽・誣告で日本人全体・国際社会全体を洗脳し、人々の目を真実から逸らさせたことは、GHQが「新憲法制定強要」「日本の国体改変」を犯罪と認識していたことの証左である。

重大犯罪の隠蔽を、日本人全体の名誉を棄損し、民族の誇りを失わせて国力を殺ぐ誣告・冤罪によって隠蔽するという、更に悪辣で、二重・三重に非道な「人道に対する罪」を、彼らは犯した。

マッカーサー大使が汎洋婦人友好会の純真な婦人たちを相手に述べた「伯父・マッカーサー元帥の犯した過ちへのお詫び」と「速やかなる憲法改正のおねがい」とは、つまるところ、占領軍=米国の犯した重大犯罪の軽減化であり、「米国の犯罪」を「マッカーサー元帥=米軍=米国防省の犯罪」として自らが属する米国務省を無関係化すること、そして、最も重要なことは、政治的立場にない一般日本国民としてのご婦人方が、「駐日米国大使の立場で公言できないマッカーサーの事情」を鑑みてくれ、「内々に」憲法改正の機運を「日本国民の内側から」高めてくれることであった。

だが、『日本国憲法』改正はなされなかった。

岸信介

岸内閣は1957年、「改憲」「自主憲法制定」を謳って「憲法調査会」を立ち上げていた。

新安保条約と日米地位協定は1960年1月19日、訪米した岸首相とアイゼンハワー大統領によって調印された。それから半年後、そしてマッカーサー大使の「個人的なお詫びの個人的な立場での表明」から5か月後の7月19日、岸内閣は安保闘争の大混乱の責任を取る形で、内閣総辞職に追い込まれた。

吉田茂の側近であった池田隼人がその後継となって1964年7月3日、「憲法調査会」は12巻の付属文書を含め5400ページに及ぶ『憲法調査会報告書』を、内閣と国会に提出した。

これほど綿密な調査がなされながら、たった71ページの『憲法無効論に関する報告書』(付属文書第10号)が、たったの100字ほどで、ほんの申し訳程度に無効論を紹介しているだけである。

93ページの『憲法制定の経緯に関する小委員会報告書の概要』を読むだけでも、『日本国憲法』の無効理由が満載なのだが、米軍に主権を売り渡し、言わば「敗戦奴隷の植民地=日本の奴隷頭」となることで利権を貪って来た吉田茂や岸信介らが、自らの既得権を「無効」にし、自らの売国の事実を公表することと同義の「『日本国憲法』無効論」を国民に周知するわけはない。

「『日本国憲法』無効論の無視」=「国体破壊・主権侵害による日本支配の継続」という一点で、吉田も岸も、マッカーサー大使・米国務省も、目指すものは一致していた。

ただ、「憲法改正」即ち「92項破棄」で「日本の軍隊が米軍の指揮下で戦う場合のみ集団的自衛権を有すること」を憲法に明示し、「一人前の軍隊」に格上げされた自衛隊の、米軍への隷属を「健全なかたち」で規定することを目指した岸・マッカーサーの構想と、吉田茂の「日本支配構想」は違っていた。

吉田の目指したものは、「9条2項」を利用して指揮権・管理権ごと軍事力を米軍まかせにして日本の経済発展に寄与させ、その旨味を吸い上げる「日本経済支配」であったと思われる。

吉田の側近・池田隼人が首相になって岸の「憲法改正」を潰し、そこから国民の目を逸らせるため庶民受けのよい「所得倍増計画」を打ち立てたことは、当然吉田の「9条利用」の筋書きに沿ったものとみて間違いないであろう。

これは想像の域を超えないが、この吉田の「日本支配計画」は、米英の国際金融資本家の意を受けたルーズベルト、チャーチルらと何らかの連携があって、日米開戦前から準備されたものだったかもしれない。

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当ブログ別稿「原爆と真珠湾:あの戦争の真実を、オバマ広島演説の自己欺瞞が覆い隠している」にも書いたが、日米開戦の嚆矢は、確かに日本側の「真珠湾奇襲攻撃」であった。が、その「第一撃」は、「日本挑発行動8項目」をルーズベルトに進言した「マッカラム覚書」(1940年10月7日付)に始まる、「事実上の戦争行為」である米国の「日本資産凍結」(1941年7月26日)「対日石油禁輸」(1941年8月1日)といった日本への経済封鎖など、ルーズベルトの稠密な謀略により「日本が撃たされた」ものであった。

そして、石油備蓄の限界から、「緒戦で優勢を確保し、短期決戦で有利な講和につなげる」作戦しか道のなかった日本軍の、渾身の「第一撃」を「卑怯な騙し討ち」にしたのは、他ならぬ駐米日本大使館の外務官僚たちであった。

参事官井口貞夫は、開戦前日に受けた本省からの「訓令次第何時にても米側に手交し得る様文書の整理其外予め万端の手配を了し置かれ度し」「手交時間は12月7日午後1時」「重要な文書であるので現地のタイピストを使わず書記官クラスを使え」との明白な指示を無視して、大使館内に緊急体制を敷かなかった。電信課責任者・堀内正名の宿直の申し出も、不要とした。そして7日午前4時頃、電信課員を一斉に引き揚げさせた。そのくせ帰国後、東郷茂徳外務大臣に手交遅延の理由を問われて「自分の管掌事務ではない」と電信課員に責任を擦り付けている。

大使館内でただ一人タイプが打てる外務官僚で、開戦前日に暗号で送られてきた「最後通告」の解読文を、タイプに打ち込む担当であった一等書記官奥村勝蔵は、6日午後8時頃までには解読が完了していた第13部までの浄書をせずに、友達の家にトランプをしに行ってしまった。7日当日朝送られてきた第14部電信は、70語8行しかない短いものであったから、前夜13部の浄書をそのまま仕上げていれば、7日午後1時の手交時間には絶対に間に合ったはずである。

ドイツ語が専門で英語は流暢ではなかったが、「ルーズベルトと旧知の仲」であることで駐米大使となった野村吉三郎は、1時間20分も遅れて国務省のハルと面会し、「日本軍の真珠湾卑怯撃ち」を面罵された後、日本大使館に詰めかけた米国新聞記者たちを相手に、「本省が指定した手交時間は1時=真珠湾攻撃開始22分前前」であった事実(つまり外務省の「不手際」のせいであるという事実)を述べて日本の名誉を護ることをしなかった。

1941年12月1日の御前会議において、天皇から「最終通告の手交前に攻撃開始の起こらぬように気をつけよ」との注意があったことは野村も承知していたはずである。現に11月27日付発電で、「交渉打ち切りの意思表示をしないと、逆宣伝に利用される可能性があり、大国としての信義にも関わる」と野村自身が意見具申していたのだ。ハルが言ったとおり、例え浄書が間に合わなくても、本省の指示通り午後1時に米国務省へ赴き、「重要文書の手交がある」事実のみ伝えるだけでも、「大国としての信義」を通すことはできたのである。

ここまで状況証拠が並んでいては、これらは「職務怠慢」「失態」に見せかけた、外務省の「未必の故意」であった、と判断するほかない。

では、吉田茂は、この「真珠湾『卑怯撃ち』確定作戦」には関わったのか?状況証拠はある。

吉田は井口を51年に、奥村を53年に外務次官に抜擢している。

GHQ占領開始直後、外務大臣に就任した吉田は奥村をまず参事官に抜擢。1945年9月27日の第一回天皇・マッカーサー会見の時、宮内大臣、侍従長ら随員5名をさしおいて通訳官としてただ一人会見そのものに同席させる。このことは吉田が天皇・マッカーサー会見の内容についてコントロールする力を持ったことを意味する。

ジョージ・アチソン政治顧問代理は国務省宛の電信(19451027日付)で、昭和天皇がマッカーサーとの会見で「真珠湾のことは東條に騙された」と語ったと書いているが、「卑怯撃ち」は完全に外務省のせいと解っている今、この「昭和天皇の発言」が吉田の「外務省の責任隠し」であった可能性は低くない。昭和天皇がそう仰ったのが事実だとしても、後述するように、吉田は1945214日の『近衛上奏文』作成にも絡んでおり、昭和天皇の歴史観に多少の操作を加えることもできる立場にあった。

井口貞夫は外務次官として、1951年1月に始まった平和条約締結への交渉団に加えられた。先述したように、交渉団には西村熊雄条約局長のように、米国案の「日本は全部オレ達のもの」的傲岸不遜な文面に「一読不快」の念を覚えるまともな日本人もいた。だが、そういう人間は、実質的交渉の蚊帳の外に置かれた。

占領終了後の日本を、それとわからない形で米国に売り渡す密約は、吉田自身の手でとうの昔に結ばれており、(1950年5月3日、密使・池田隼人)ウォール街の敏腕弁護士・ダレスの手練手管に、日本側交渉団はなすすべもなかった。というよりも、ダレスのやり方があまりに複雑・巧妙で、ナイーブな日本人は、自分達が嵌められていることに気づきもしなかった。だが、井口貞夫だけは全てを知っていた。ダレスら米国側交渉団が井口一人をミーティングの前夜に呼び出して、条文の変更内容を伝えることもあった。井口貞夫は吉田茂と米国務省の間の「密約交渉外務省窓口」だったのであろう。

吉田茂

吉田が3歳になる前に養子縁組をした、実父・竹内綱の親友・吉田健三は、1868年から3年間、ジャーディン・マセソン商会の横浜支店長であった。竹内綱と吉田健三も武士として活躍した明治維新の折、長州五傑や坂本龍馬らを武器商人として支援したグラバー商会は、ジャーディン・マセソン商会の長崎代理店である。サッスーン財閥と同様「東インド会社」を前身とし、アヘン密輸・密売で巨万の富を得たジャーディン・マセソン商会は、ロビー活動により英国軍の派遣を勝ち取り1840年の「アヘン戦争」勃発に深く関係していた。「アヘン戦争」による収益を英国に送金するために創立された香港上海銀行(HSBC)は、最大株主であるサッスーン財閥を筆頭に、ジャーディン・マセソン商会やロスチャイルド系役員で構成されていた。

吉田茂は、40歳で急死した養父・吉田健三の50万円という莫大な遺産を、わずか11歳で相続し、自嘲気味に「吉田財閥」と呼んでいた。

吉田茂の、ジャーディン・マセソン商会の「中国でのアヘン密輸・密売事業=中国利権」との養父を通した接点、1906年の外務省入省後20年の殆どを中国大陸で過ごした経歴と、それにもかかわらず「親英米派」と呼ばれる事実は、吉田が「英米の国際金融資本家とのコネクションを背景にした、市場としての中国重視」の側面を持つことを示唆している。

吉田は1939年に「待命大使」となって外交の第一線を退いたことになっているが、政治的活動は一層活発に行っていた。

殊に、「親英米派」として日米開戦前には「開戦回避工作」、開戦後は東条内閣の倒閣運動、「戦争の早期終結を目指す工作」を進め、陸軍当局・憲兵隊から「ヨハンセン(吉田の反戦)グループ」と呼ばれてマークされる一派のリーダーと目されていた。

その一派の顔ぶれは、同様に軍当局・憲兵隊の暗号の呼び名でいえば、「コーゲン」(近衛文麿)、「シーザー」(幣原喜重郎_外務次官当時の上司)、「ハリス」(鳩山一郎)の他、岳父・牧野伸顕(同じく親英米派)、樺山愛助(ロックフェラー財団などの国際的的文化事業にも携わった事業家)原田熊雄(元西園寺公望秘書_母親はドイツ武器商人を父に持つ日独ハーフ)、さらには米内光政ら海軍「穏健派」まで広がっていた。

1945年2月14日の『近衛上奏文』は、この「ヨハンセン・グループ」の天皇への「戦争早期終結工作」であった。一説によれば(「ヨハンセングループ」「岩淵辰夫」wiki)吉田茂、近衛の秘書・殖田俊吉、ジャーナリストの「イワン」こと岩淵辰夫らが『上奏文』草稿作成に関与している。

上奏前日の2月13日、近衛は吉田邸を訪れ書き上げた『上奏文』をみせ、牧野伸顕にも見せるため「写し」が取られたが、この「写し」を吉田邸の女中・書生として入り込んでいた軍当局のスパイが押さえ、4月15日、「上奏文内容流布」「陸軍当局の『赤化』中傷」(陸軍刑法第99条違反、「造言飛語」罪)の疑いで吉田と殖田、岩淵が逮捕される。

原田、樺山、「皇道派中枢」小畑俊四郎、更には近衛の逮捕も、憲兵隊司令部は狙っていたとされるが、近衛、原田が取り調べを受けるにとどまった。

『近衛上奏文』の主旨は、「米英は日本の国体変革までは考えていないから、早急に降伏し戦争終結する方がよい。戦争の長期化は、世界同時革命を諦めていないソ連・コミンテルンを利するのみである。彼らが背後から扇動している親ソ・革新派(「統制派」)の将校たちを一掃すれば米英の覚えもめでたく、戦争終結に際し配慮してくれるだろうが、(「統制派」の一掃を)しなければ、敗戦後日本に共産革命が起り、それこそが国体を危うくする」というものだった。

これら陸軍内部の革命分子が「満州事変、支那事変を起こし、これを拡大して遂に大東亜戦争(対米英戦争)にまで発展させた」と『上奏文』は批判しているが、実のところ、20世紀の「中国の対日戦争」というものが全て、中国国民党による共産党絶滅作戦「北伐」からの、「抗日」の名を借りた中国共産党の「生き残り・漁夫の利」作戦であったことと、国際金融資本家の走狗となった国際共産主義者によって日本が対米英戦争に引きずり込まれた、という事実を考えれば、これらの戦争が共産主義者によって引き起こされた、という点で、『上奏文』は嘘は言っていなかった、とはいえる。

だが、勿論『近衛上奏文』は、国際共産主義者の背後で米英の国際金融資本家達が策動している事実、ひいては「ヨハンセングループ」を率いた近衛や吉田らがこれに直接関与している可能性が濃い、という事実には言及しなかった。

ともあれ、満州事変(1931年9月18日)にも支那事変(1937年7月7日)にも、ソ連・中共・軍閥が三つ巴で絡んでおり、それへ引きずり込まれた日本は、何度も休戦協定を結んで早期終結を図ったのである。だが、協定を結ぶ度、それらを嘲笑うかのような中国側の協定違反、更には中国軍による挑発、なかんずく日本軍民の虐殺事件(「通州事件など」)が何度も引き起こされ、休戦協定を破壊した。にも拘らず、日本軍は、昭和天皇の戦火拡大への憂慮に鑑み、終始「隠忍自重」「不拡大方針」を貫いていた。

その軍部の努力を全て水の泡にして、「日本を中国大陸の奥深くまで誘い込み、泥沼の長期戦に引きずり込んで疲弊させる」という毛沢東の計画(19367月延安にてエドガー・スノーに語る)を実現させた張本人こそ、誰あろう、近衛文麿その人であった。

近衛文麿

第一次近衛内閣は1937年6月4日発足。

1900年の義和団の乱の事後処理に関する北京議定書を根拠に、北京に合法駐留していた日本軍の、空砲を使った中国側も公認の夜間演習に、突如暗闇から実弾が撃ち込まれた「盧溝橋事件」が起るのは、その僅か1か月後の7月7日。

近衛は7月11日盧溝橋事件の和平成立のその日に「北支へ3個師団派兵」声明を発表して和平を破壊したほか、軍部が「これで蒋介石は降参する」「戦争は終わる」と期待した首都・南京陥落(1937年12月12日)の後も、「トラウトマン工作打切」声明・「国民党政府を対手とせず」宣言(いづれも1938年1月16日)によって「支那『事変』→泥沼の『全面戦争』化」を決定的にした。

「支那事変」の呼び名は、近衛内閣により1937年9月に閣議決定されたものである。

「不拡大方針・紛争早期解決」の為と称されたが、戦後東京裁判の影響で、「本当のところは、『戦争』となれば、1935年に米国で成立した『中立法』によって第三国からの物資援助が受けられなくなるからだ」と「日本軍のやることはなんでも悪かった」という文脈で語られることになった。しかし、この戦争を「事変」と呼ぶことで、実は日本は不利益しか得ていない。

■戦争ではないから、大本営設置を戦時に限定していた大本営条例により、大本営が設置できなかった。これは大本営が行うべき陸海軍の一元的情報共有と戦争指導に齟齬をきたした、ということである。旧条例を廃止し、新たに戦時以外に事変でも設置可能にした「大本営令」が制定(1937年11月18日)されて初めて、1937年11月20日大本営は設置された。

■1937年5月1日、米陸軍航空隊大尉クレア・シェンノートが、蒋介石夫人・宋美齢により国民党軍に招聘され、米軍パイロットによる対日航空戦隊フライング・タイガースが、ルーズベルトの承認と資金援助の元に結成された。

■「援蒋ルート」を使った米英ソの国民党への資金・物資援助こそは、日中戦争が終わらない最大の理由であった。国民党は、資金・物資・軍事教練・反日プロパガンダ……戦争継続に必要な全てを米英ソ(独)に頼っていた。これらの国の援助なしには、対日戦争は遂行できなかった。

日中戦争を「事変」と呼ぶことにより、これら米英ソ(独)の事実上の「参戦行為」は『中立法』違反ではない、と強弁できたのである。この「援蒋ルート」さえ無ければ、支那事変は「事変」のまま終わり、日米戦争の必要もなかった可能性がある。

1940年7月22日発足の第二次近衛内閣は、その僅か4日後の7月26日「大東亜共栄圏の建設」を政策とする『基本国策要綱』を閣議決定。同年9月27日には、軍部も昭和天皇も危惧した日米戦争への道を意味する「日独伊三国軍事同盟」を遂に締結。更に同年10月12日に「革新的新体制運動の指導的組織・大政翼賛会」を結成した。

戦後、連合国によって「日本がファシズム国家であった証拠」とされているこれら三つのことは、全て近衛内閣によってなされた。「大政翼賛会」総裁の近衛文麿は、その発会式での演説で「大政翼賛会の綱領は大政翼賛・臣道実践という語に尽きる」と述べて革新派を落胆させたが、「天皇親政」を強調したことにより同会を本来の「革新(=共産主義)新体制」とは反対の「天皇制ファシズム」の象徴としてしまった。

そして、「米英に敵対」することを宣言したも同然の「三国同盟」によって米英に対日戦争準備の口実を与えておいて、近衛は「戦争開始の責」だけは東條内閣に丸投げした。

国際共産主義者と米英の国際金融資本家を利する形での日本の対中・対米戦争は、このようにして近衛文麿によってお膳立てされた。

近衛文麿は、国際共産主義者に囲まれていた。

第一次近衛内閣で、近衛はそれまで全く面識のなかった風見章を内閣書記官長に抜擢。第二次近衛内閣では、司法経験どころか司法知識もゼロの風見を、司法大臣に大抜擢している。その風見が自ら接近し内閣嘱託に抜擢した尾崎秀実(以上、風見章『近衛内閣』による)は、1928年から上海を拠点に諜報活動をしていた、コミンテルンのスパイであった。

1941年10月15日に尾崎秀実は「ゾルゲ事件」の首謀者の一人とし逮捕され、1944年、ロシア革命記念日にあたる11月7日に、もう一人の首謀者でソ連・コミンテルン・スパイ、リヒャルト・ゾルゲと共に処刑された。(ちなみに、このゾルゲ事件において容疑者とされた者の中には、「『日本国憲法』起草者」の一人であるベアテ・シロタ・ゴードンとその父レオ・シロタもいた)

尾崎の友人で、やはり近衛内閣の嘱託であった西園寺公一も、同じく尾崎の友人の衆議院議員犬養健も、尾崎秀実、風見章ともに近衛の政治研究会「朝飯会」のメンバーであった。両者はゾルゲ事件で参考人として取り調べを受けたが、西園寺は自らも国家機密漏洩が発覚しスパイ容疑で逮捕、禁錮1年6月、執行猶予2年の判決を受ける。

「ゾルゲ事件」は近代法下の日本初の「外患誘致」による検挙が検討されたが、何故か見送られ、結局国防保安法、軍機保護法、軍用資源秘密保護法、治安維持法違反などによる「格下げ」起訴となった。何故……?「ゾルゲ事件」を「外患誘致」と呼ばないなら、他の何も「外患誘致」とは呼べなくなってしまう。

「ゾルゲ事件」の捜査開始は1940年6月27日であったが、ゾルゲがドイツ人であるため、ドイツ大使館などから様々な圧力がかかってきた。第二次近衛内閣で司法の素人である風見章を司法大臣に抜擢した近衛は、続く第三次近衛内閣では、最初自らが首相兼任で司法大臣に収まったが、1941年7月25日、1940年1月17日から検事総長だった岩村道世司法官を、司法大臣に任命する。男爵家の五男岩村は、吉田茂と小学校の同窓である。

尾崎は近衛内閣嘱託、ゾルゲはナチスの在日代表で、ドイツ大使よりも格上の実力者であり、政治的配慮から、特高は一斉検挙を見送って、尾崎逮捕を先にした。1941年10月15日の逮捕当日の尾崎の自供で、ゾルゲがコミンテルン・スパイであることが再確認された。が、ゾルゲ逮捕令状がなかなか出されない。「ゾルゲを取り逃がしてしまう」と特高が焦っているとき、第三次近衛内閣では、近衛のルーズベルトとの会談計画が不調に終わり、それが元で10月16日、内閣総辞職となってしまう。司法大臣の後継もわからない状態では逮捕令状も出せない。10月18日ようやく東久邇内閣の成立、岩村司法大臣の留任が決定し、ゾルゲ逮捕が実現する。

正真正銘の外患誘致事件が起こっているときに、近衛や吉田の関係者・意を呈する人物が司法大臣の職に在ったことは、「外患誘致不適用」決定に何の関係もなかったと言えるだろうか?

吉田茂のヨハンセン・グループも、「対米英戦開戦回避工作、戦争早期終結工作に奔走した」と「反戦=善」の文脈でばかり言われているが、憲兵隊の容疑は「反軍部工作」「英米への通牒工作」である。特に後者は、れっきとした「外患誘致」「外患予備・陰謀」「利敵行為」疑惑であって、「造言飛語」罪での立件後不起訴となったことをもって、「外患誘致」ではなかったという証拠ということはできない。

岸はA級戦犯容疑者として巣鴨に拘留されたが不起訴となっている。CIA協力者として読売新聞・正力松太郎、朝日新聞・尾崎竹虎と共に釈放されたのである。先述のゾルゲ事件時の司法大臣・岩村道世もA級戦犯指定・拘留後、不起訴となり釈放されている。吉田に至っては、最初からA級戦犯指定者リストにすら乗っていない。

『近衛上奏文』が「米英は国体変革は考えていない」と言っていることに対し、昭和天皇は「軍部ではあるといっているが」と近衛に下問した。近衛はグルー米国大使の態度を例に挙げ、「(米英は)我が皇室に対しては十分な敬意と認識とをもっていると信じます」と答えている。

だが、米国主導となり国際共産主義者を排除し、「日本に民主主義を教えに来た」はずの占領軍は、「人民主権」の『日本国憲法』で、事実上共和制の強要=国体変革をし、「至高の権威」天皇の排除でその後の米国=米軍の日本支配への道筋をつけた。

軍部の観測は、正しかったのだ。


日本国憲法公布原本

今年2017年は『日本国憲法』施行70年である。それを記念し、国立公文書館が、いつもは非公開の公布原本などを、4月8日から5月7日まで特別展示している。

この特別展では、GHQが参考にしたと言われる高野岩三郎の「共和制」憲法草案要綱の他、「機密」と印が押されたGHQ草案「マッカーサー憲法草案」の英文の原資料も見られるそうだ。

『日本国憲法』は「押しつけ」だったのか、「押しつけ」ではなかったのか、という議論にだけは、一応「押しつけだった」という決着をつけて見せた、ということか?

だがこれは、「例え日本人が書いたのでなく、『押しつけ』であったとしても、内容が良ければよい」というもう一段上の思考停止ポイントへの誘導である。

「押しつけだから改憲」の動きに対して、「『押しつけだから気に入らない』というのでは、『いまの日本国憲法に内容的問題がない』と自白しているようなもの」と、憲法学者・木村草太が釘を刺す(インタビュー「憲法改正 自公維民4党の論点」『文藝春秋』2017年5月号)が、これもまた、「押しつけだから気に入らない」と『日本国憲法』への批判を十把一絡げにして「感情論」扱いし、「王様の新しい服は馬鹿には見えない」方式で、問題の本質から遠ざかるよう世論を誘導する為にする、的外れな議論である。

「『日本国憲法』に内容的問題がない」?「国体改変」「主権簒奪」「天皇弾圧」「人権侵害」……重大な内容的「問題」に加えて、その制定過程には「瑕疵」どころか国際法違反、大日本帝国憲法違反他、重大犯罪とその隠匿が含まれているが……。さすが「連合国の太鼓持ち」戦後憲法学者は、思考停止の度合いも半端なものではない。

『日本国憲法』公布原本の最終面には、昭和天皇の御名御璽に続いて、内閣総理大臣・吉田茂の名が、一際大きく筆書きされている。「GHQ勅選内閣」の各大臣の名が続く。

この公布原本は、天皇の御名御璽がある、天皇による「日本国憲法公布記念式典の勅語」「憲法改正の勅語」がある、という事実を以て、「枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を〔天皇が〕裁可するという『法的に正式な』手続きを以て『日本国憲法』は制定された」という虚構を、本物のように見せかけているのに過ぎない。

天皇の御名御璽があるがために、人々は畏れ多くて口に出してこなかったのかもしれないが、この公布・憲法改正勅語は「おかしい」。

まず、この公布が正式なものであれば「大日本帝国憲法を改正」と言うべきところを、両勅語は「帝国憲法を改正」と略称を使っている。これらの勅語は「正式」ではないのだ。

そして、「占領下の大日本帝国憲法の全面的改正」「『日本国憲法』の制定」自体が、大日本帝国憲法と、それにつけられた明治天皇による皇祖神への誓いである「告文」と「憲法発布勅語」にたいする違反行為である。

■大日本帝国憲法の憲法発布勅語には「将来若此の憲法の或る條章を改定するの必要なる時宜を見るに至らば朕及び朕が継統の子孫は発議の権を執り之を議会に付し議会はこの憲法に定めたる要件に依り之を議決するの外朕が子孫及び臣民は敢えて之が紛更を試みることを得ざるべし」とあり、「大日本帝国憲法の一部の條章(全部ではなく)を改定」する必要が生じた場合は、「天皇が、天皇大権である憲法改正発議権を執行」し、議会の議決により改正できるが、その他の場合は、天皇以外の皇位継承者も臣民も、憲法の改正をすることができない。

■大日本帝国憲法第75条には「憲法及び皇室典範は摂政を置くの間之を変更することを得ず」とあり、内閣・議会は勿論、天皇までもSCAPマッカーサーの隷下に置かれた(subjected to)占領期は、「摂政を置くの間」と同等かそれ以上の「国家の変局」であるから、当然憲法改正など許されない。

■大日本帝国憲法の告文には「皇祖皇宗及皇考ノ神佑ヲ祷(イノ)リ併セテ朕カ現在及将来ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆(アヤマ)ラサラム͡コトヲ誓フ庶幾(コイネガワ)クハ」とあり、現在と将来の大日本帝国臣民に率先して、自分=天皇が皇室典範と大日本帝国憲法を遵守し誤ることがないようにします、と誓いが立てられている。

■『日本国憲法』の「国民主権」は、大日本帝国憲法の謳う「大日本帝国憲法は万世一系の天皇之を統治す」という日本の統治政体の完全変更=国体改変であって、「憲法の一部條章の改正」などではなかった。この重大な変更を、「国民の総意で決めた」というが、そんな「総意」は存在しなかった。

『日本国憲法』の制定は、天皇をして明治天皇の立てた代々の天皇が護るべき誓いを破らせた。

『日本国憲法』によって主権を奪われたのみならず、日本国を象徴する天皇に、皇祖への誓いを破らせるという恥辱を与えた『日本国憲法』という偽憲法を、その頭上に戴き、「嘘」の生を生きるという二重の恥辱を、日本国民は与えられたのだ。

日本国民にとって耐え難いのは、その恥辱を日本国民に与え続けているのが、支配者である米国防省ではなく、その支配者に取り入って甘い蜜を吸っている日本人の「奴隷の王たち」=日本政府と官僚たちである、ということである。

『日本国憲法』は、『帝国憲法改正案』として、1946年6月20日、第90回帝国議会に政府案として提出された。

1946年7月25日から8月20日までの間に13回、「秘密会」で開かれた「帝国憲法改正案委員小委員会」(「改正委員」ではなく「改正委員」であることに注目)の内容は、実質「改正案」の日本語訳をGHQ草案の英文と突き合わせ、「もっといい訳がないか」と推敲していただけだった。

英文を日本語訳することは、意訳が許されていたとしても、時として非常に難しい。「新憲法」条文作成に於いて、GHQは日本政府に「(GHQ草案の)一字一句たりとも変えたり削除したりしてはならん」と厳命していたから、その日本語訳は非常な悪文ににならざるを得なかった。「小委員会」の委員たちは、その悪文を、変えたり削ったりせずに「憲法らしく格調高い名文にせよ」と言われて格闘していたのだ。

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『日本国憲法』施行50年を迎えるまで、その「改正案委員会」の審議が一般国民に「秘密」にされていたという事実は、国民の「知る権利」が満たされてこそ実現する、公議公論による「国民の自由意思による総意の形成」が蔑ろにされてきたことを意味する。

そして、「秘密解禁」となってから今年『日本国憲法』施行70年を迎えるまでの20年間、歴代日本政府は、全国公立図書館に置く、大学法科・憲法学科での必修図書に指定するなど、積極的にこの文書の存在を国民に周知する努力を「しない」ことによって、真実を国民から隠匿し続けてきた。偽憲法『日本国憲法』の「素晴らしさ・立派さ」は、2000万部の一般国民向け冊子や、カルタや紙芝居にまでなって、国民全世帯・子供たちをすら洗脳したものだが…。

「国会議員と憲法調査会に限り閲覧が許可」されていた時期に、国会議員と憲法調査会委員が、全員と行かなくともその多くが、熱心にこの文書を読み漁ったかどうかも怪しい。

国民は、自力で真実への道を探り当てねばならない。だが真実は、それを探し求める者の前には姿を現すのだ。この『衆議院帝国憲法改正案委員小委員会速記録』を、読んでみよう。

「天皇は、国政に関する権能を有しない」という、「国民主権」と対になって天皇から国権を剥奪した重要な「国体破壊」条文を、帝国議会ではどのように議論したのだろうか?

 


大島〔多藏〕委員 〔中略〕「政治に関する権能を有しない。」となって居るのを、「政治に関与しない。」と言葉を変えるだけです、「有しない」となると、天皇が日本国の象徴であるという地位を考えます時に、「権能を有しない」という言葉がどうも不穏当な感じを国民に与える〔後略〕

林〔平馬〕委員 私の方はそれと少し違います、先程申したように、「天皇は、この憲法の定める国務のみを行う」としてしまって、その次の「政治に関する権能を有しない。」は不必要である、殊に天皇も国民でありますから、国民の天皇が政治に関与する権能がないということは、どうしても民主主義の立場から矛盾して居る、理論的にもおかしいじゃないか、無能力扱いにするとも言われるし、国民感情から見ても、政治に関する権能がないということは、国民が頗る満足しない言葉でもあるし、それがない為に何も弊害が生ずることでもないから、「天皇は、此の憲法の定める国務のみを行う」だけで必要にして十分だと、我が党では考えて居る訳です。

鈴木〔義男〕委員 しかしそれはかなり重大な意味を持つ、英文では国務は「ステート・ファンクションズ」政治の方は「パワーズ・リレーテッド・トゥ・ガヴァーメント」、それは「ネヴァー・シャル・ヒー・ハヴ」で、持ってはならないぞと云う非常に強い命令形になって居る、「ステート・ファンクションズ」と云えば、犬養さんの言われたように儀礼的なものを含んで居り、また儀礼的なものが勝って居る言葉であって、象徴としての天皇がお持ちになる権能としてはまことに相応しいものである、政治に関与してはいけないのが原則で、象徴という立場からも当然のことであるというのだから、やはりどうしても書いておかなければ、後に問題を起こし、禍を生ずると思う。「国政」とすることは大して異議はないが、削ることには反対です。

(1946年7月27日土曜日『第90回帝国議会 衆議院  帝国憲法改正案委員小委員会速記録』p.73-74 筆者注:旧仮名遣いを現代仮名遣いに、カタカナ表記をひらがな表記に変えた)


大島委員は、「天皇は国政に関する権能を有しない」という条文の「不穏当」さを、正しく察知していた。彼の言う通り、原文の「Never shall he [the Emperor] have powers related to government」は、「国政に関する権力を全く持たない」と直訳すれば「政治に関与しない」と意訳してもよさそうなものである。「政治に関与しない」ならば、天皇の本来の統治の在り方として国民にもすんなり受け入れられたことであろう。だが、鈴木委員が指摘したように、GHQの意図したところは、「天皇には、絶対に、金輪際、国政に関する権力を持たせてはならない」という、傲岸不遜なまでの最上級の厳命の形であった。しかも、「powers」を「権力」ではなく「権能」と訳した日本政府の人間は、そこに「権威」の意味も込めたと思われる

6年後、1952年に日米安全保障条約の付随文書として「秘密裏に」締結された日米行政協定の第3条1項日本語条文は、

「合衆国は、施設及び区域(facilities and areas)〔=米軍基地〕内において、それらの設定、使用、運営、防衛または管理のため必要なまたは適当な〔つまり、あらゆる〕権利(rights)、権力(power)および権能(authority)を有する(shall have)

となっていた。1946年当時の帝国議会議員は知る由もなかったが、今この事実を知る我々には、この二つの条文が、まさに対を成していることが分かる。

「天皇は国政に関する権能を有しない」とは、天皇は国政に関するいかなる権利(rights)、権力(power)および権能(authority)も有しない(shall never have)」ということなのだ。

天皇=日本は主権を剥奪され、合衆国が主権を握っている。

『日本国憲法』は、天皇を「象徴」と呼ぶことで、国民に「至高の権威たる天皇は存続している」ような錯覚を与えてきたが、実質は、「権利も権力も権威も持たない存在」なのだ。

林委員は、「天皇は此の憲法の定める国務のみを行う」とあれば、わざわざ国民が「天皇陛下を馬鹿にしている、無能力扱いしている」と腹を立てかねないような表現を使ってまで無用な反復は必要ない、と尤もなことを述べているが、鈴木委員が「いやいや、GHQがこう書けと言っているんだから書いておかないと、後々問題になって『禍』になる」と、完全に怯えきったような様子が感じられる。

「GHQのアメリカ人がそうしろというなら、そうするほかしかたないじゃないか」

GHQによって、衆議院議員357人中321人を含む日本国民20万人が公職追放され、その家族を含めれば100万人が路頭に迷う様を目の当たりにしていては、正論を吐いてGHQに楯突こうとする者よりも、そういって諦め、自分と家族の生き残りを図ろうとする日本人が多かったことはやむを得ないだろう。

「いう通りにしなければ、もっと沢山の原子爆弾を日本全土に落として、日本人を殲滅する」と脅された昭和天皇が、天皇の大権を簒奪し、日本を実質植民地にする『日本国憲法』の公布文書に御名御璽を押す屈辱を従容と受け入れたことも、日本国民の命と引き換えの苦渋の決断であった。

だが、吉田茂の「再軍備(=主権回復)よりも経済復興が先決」は違う。日本の為を思う「苦渋の決断」などではなかった。

日本の為を思うなら、日本民族全体の未来を考えるなら、「経済復興よりもまず主権回復・原状復帰」が唯一正しい道であった。少なくとも、日本国民には真実を知り、選択肢の全てを知ったうえで、公議公論の上決断を下す「自決」の権利があった。

吉田茂は、日本国民のその権利を否定したのだ。

再軍備を迫るダレスに対し、「日本国憲法9条がある。国民の支持は得られない」として、再軍備を拒否し続けていた吉田は、しかしその実、来る52年10月11日の総選挙の争点にするため自ら実施した世論調査で、「再軍備に賛成60%、反対40%」という、全く予想外の結果が出ていたことを、ダレスに隠していた。(有馬哲夫『大本営参謀は戦後何と戦ったのか』)

60%の日本国民が、実は「再軍備」を望んでいた。つまり、なぜか占領後も居残っている米軍を当てにするのではなく、自前の軍隊で、半島で起こっている戦争、そして将来また起こるであろう戦争を戦うべきだという覚悟が、徴兵されればまた戦争に行く覚悟が、できていた、ということである。

これは、「戦後は誰もが戦争に嫌気がさしていて、もう二度と戦争なんかしたくなく、だから『日本国憲法』9条は国民全員に喜んで受け入れられた」という戦後の定説と違う。

日本国民は、戦後の私たちが聞いていたような「腑抜け」でも「腰抜け」でもなかった。だからこそ、GHQも吉田茂ら売国の徒らも、国民には真実を知られないよう検閲・洗脳までもして必死に隠し通そうとしたのだろう。

日本人の気質は変わっていない。気概は、今もある。

唯一つ欠けていることは、「無知の知」なのだ。

日本には主権がない。日本は独立国ではない。日本は実質米国の植民地である。

私たちの敬愛する万民の父母、天皇が弾圧されている。政治権力どころか、国民があると信じている「権威」もない。天皇よりも、内閣が上位にある。

日米合同委員会という秘密会議で、『日本国憲法』よりも上位にあると嘯く米軍が日本を支配しており、日本のエリート官僚は使い走りとしてその「虎の威」を借りている。日本国民には絶対にその実態が知らされることはない。

自衛隊は在日米軍の完全支配下にあり、そのことも全く日本国民の知る所ではない。即ち、「シビリアン・コントロール」の完全喪失であり、それは民主主義の対極である。

北朝鮮に拉致された被害者全員奪還の目途すら立っていないのは、日本に主権がなく、自前の軍隊を自律的に動かす権限が日本にないからである。

いま日本に起こっていることは、ナチス、ソ連のスターリン、中国共産党の独裁政権下で起こったことと限りなく似ている。

「民主主義」といいながら非民主的、「平和主義」といいながら暴力至上主義的、「人権尊重」といいながら日本丸ごと人権蹂躙されつづけている。

国民全体を言論統制によって無知の状態に置いている、今の日本はまさにジョージ・オーウェルの『1984』の世界そのままだ。

全ては『日本国憲法』が、「国民主権」によって天皇の「至高の権威」を簒奪・排除したことに起因する。

天皇は、統治権を総攬し、立憲君主として不裁可権を行使する「権力」を持ってこそ、「究極のオンブズマン」として、民主主義になくてはならない「実権力のチェック機能」を発揮することができる。

フランス革命かぶれの左翼が「王様が権力を持っていては民主主義にならない」と寝惚けたことをいって「国民主権」に固執した結果が、戦後日本の無法状態を招来したという事実に、日本国民は気づかねばならない。

だから、「国民主権」を残す改憲ではだめなのだ。

「国民主権」は、崩壊学級の猿山の喧嘩状態の中、気の弱いクラス委員長が「静かにしてくださ~い」と消え入りそうな声で嘆願し続けるほどの「権威」しか持たない。

それこそが、米軍の「番長」が「国民主権」に拘った本当の理由だ。米軍が日本に押し付けたかった「民主主義」とは、北朝鮮の独裁制の隠れみのとしての「民主主義」と同じもののことだ。

国民全体は、「権威」には成り得ない。「数千年続く万世一系」という特殊な地位である天皇だからこそ、「至高の権威」になれるのである。

日本は、大日本帝国憲法下の原状を回復し、「至高の権威」天皇を取り戻さねばならない。

「至高の権威」天皇を持たない日本は、主権も回復できず、民主主義・立憲主義も回復できない。

吉田茂、岸信介、近衛文麿、その他の売国奴たちの子孫がいまも日本の政権中枢にいる。彼らは明らかに、祖父たちの遺志を継ごうとしている。70年の間に共犯者も増え続け、もはや「売国・亡国、みんなでやれば怖くない」雰囲気になっていないか?

真実を知ったとき、しかし、国民がこれらの者たちを許すのか、私は何とも言えない。だが、もし彼らが『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認、大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認をして、原状復帰、主権回復、平成の大政奉還を実現してくれるなら、私個人は彼らを許そう。

日本国民が真実を知るとき、日本は命より大切な「誠」を、取り戻すことができる。

それさえ取り戻させてくれるなら、私は売国・亡国の徒に憐れみをかけ、許してやってもよいと思うがどうか。

 

 

「象徴天皇制」「人民主権」の『日本国憲法』は「共和国憲法」であるという真実を、「押しつけ論」が隠している__『日本国憲法』無効論で改憲・護憲両派の「敗戦トラウマ」を解消する__正確な現状認識だけが日本を護る④

『日本国憲法』は、GHQ『皇室典範』と対で天皇の権能を簒奪した、実質的「共和国憲法」である。これを始末する唯一の手立てである『日本国憲法』無効論の不周知は、連合国による国体破壊の現実を国民から隠す売国行為、連合国の犯罪幇助である

 日本国民は、「象徴天皇」の意味を善意に解釈して「天皇=国体は護持された」と信じた。だがそれは連合国による「偽装」であった__「70年も改正されずに来た=国民に浸透している」という欺瞞を、制定経緯の再検証で粉砕する

2016年11月3日「文化の日」__『日本国憲法』が公布されて70年を迎えるこの日、「押し付け論は現実逃避 憲法公布きょう70年」と朝日新聞は書いた。11月4日からはシリーズ記事「憲法を考える・押しつけって何?」も始まった。

「なんと、遂に朝日が無効論に言及?」と一瞬思った。「日本国憲法無効論」をネットで検索すると、ウィキペディアの「憲法無効論」がトップにくるが、そこでは「日本国憲法無効論」=「押しつけ憲法論」と呼ばれているようだからである。だが違った。朝日記事が言っているのは「改憲派」のことであった。

最近では、もう滅多に「無効論」という名称すらも使われなくなってきている気がする。完全に、無視されている。これは、日本国憲法無効論を国民が知れば、改憲派も護憲派も一緒に吹っ飛んでしまう、という両派の危機感の表れであろう。

「改憲派の重鎮」小林節と「護憲派の泰斗」樋口陽一が、仲良く安倍政権の憲法改正推進を批判する対談本『「憲法改正」の真実』を出したのも、その流れと見える。なぜなら、彼らが同書で批判しているのは、実は「安倍政権批判」に名を借りた「『日本国憲法無効論』見下し論」だからである。小林節は、「無効論」の名は全く出さずに、「安倍批判」ついでに「無効論」を小馬鹿にしてみせている。

〈(岸信介の孫・安倍晋三、吉田茂の孫・麻生太郎らのように、敗戦時の日本の指導者達の子孫である)自民党世襲議員のなかに、旧体制下の支配層たちの「敗戦のルサンチマン(怨恨)」が脈々と受け継がれ、アメリカに「押しつけられた憲法」を憎悪するという構図になっているのでしょう。/ だから、彼らはハーグ陸戦条約の「占領地の基本法は、占領に支障なき限り、占領した側が勝手に変えてはいけない」という意味を半端に読み違えて占領下につくられた憲法は、国際法上無効だなどと言い出してしまう。そのうえ、日本国憲法が国際法上無効なのだから、正当な憲法は我が日本民族がみずからつくった明治憲法しかないという、とんでもない主張を平然と出してきたりするわけです。〉

「(押し付け憲法は)無効だなどと言い出してしまう」「正当な憲法は明治憲法しかないという、とんでもない主張を平然と出してきたりする」__全く恥ずかしいね(笑)と、「無効論」を「無効論」と呼ばずに軽蔑して見せている。

だが、「『日本国憲法』の制定がハーグ陸戦法規違反でない」或いは「ハーグ陸戦法規に違反しているからと言って『日本国憲法』が無効であるとは言えない」ということへの論拠を、小林は提示していない。そして、勿論、『日本国憲法』の無効理由は「ハーグ陸戦法規違反」だけではない。(当ブログ別稿「【日本国憲法無効論】『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効理由」をご覧ください。)ご立派な憲法学者なのに、「無効論」をまともに勉強していないようである。

押しつけかどうかという以前に、そもそも『日本国憲法』には、「日本の国体を文字であらわす」という、憲法としての本質的資質がない。

日本の国体とは、「万世一系の天皇を至高の権威としていただくこと」であるから、天皇の権能を簒奪した『日本国憲法』には、日本の憲法としての実質的資格が全くない。

大日本帝国憲法は、日本の歴史と伝統をふまえた正当な憲法である。だが、大日本帝国憲法だけが日本の憲法なのではない。戦後の憲法学者は、日本のように万世一系の天皇が一貫して戴かれた数千年の歴史を持たないフランスなどの、「強権の為政者を引きずり下ろし、永遠に縛りつけておくための憲法」を絶対視しているから、話が全くかみ合わないのだ。

さて、朝日の「押しつけ論は現実逃避」「押しつけって何?」に戻ろう。

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朝日新聞2016年11月3日・4日

〈「押しつけ憲法論」を唱える政治勢力は、国としての主権回復を訴える。〉と、朝日記事筆者・編集委員の大野博人は言う。そして〈主権回復を掲げる運動は今日、日本やその憲法についてだけ見られる現象ではない。〉として、英国のEU離脱や、米大統領選のトランプ登場まで引き合いに出して、日本の状況が特殊でないことを強調しようとする。

だが、日本の憲法問題の様相は、国際基準に照らして、かなり特殊である。英国や米国が取戻そうとしているのは、厳密には「主権」ではなく「主導権」であり、日本のように、暴力と脅迫で国体改変を伴う『日本国憲法』制定を強要され、その犯罪を正当化・隠蔽する為に「日本悪玉史観」の誣告を受け、その誣告を真実と信じ込むよう国民全体が洗脳され、今でも連合国の犯罪幇助者らによって洗脳され続けている、という三重の「主権侵害・人権蹂躙」を受けているわけではない。

だが、勿論朝日はその真実を隠したいからこそ「日本だけが特別ではない」とうそぶいているのだ。

グローバル化や高齢化で不平等感が広がり、将来への不安が募る。政治家が国境のない世界から国の枠に戻れば解決すると呼びかける。人々の心も揺れる。この時代の空気が日本の押しつけ論にも表れている。〉〈最近、憲法公布を記念する「文化の日」を「明治の日」に変えようとという動きさえ出ている。近代国家の出発点への郷愁。押しつけ論への傾斜と重なる。しかし、「かつての」国や自分を取り戻すという回顧的発想は、「今とこれからの」困難や不安の軽減にはつながるまい〉(同上)

朝日記事は、不平等感に何の関係があるのかわからない「高齢化」を間に挟んで「グローバル化…で不平等感が広がり、将来への不安が募る」という「現実」を、グローバリストのせいだけではないかのように誤魔化している。

要するに、「押しつけ論」は単なる「センチメンタルな勘違い」だといっているのだ。「国境のない世界」の方が本当は素晴らしく、明治への郷愁も「false memory(過誤記憶)」だから、何の意味もない、と。

中国が着々と有事(戦争状態)に向けて軍区再編など体制を整え、尖閣・沖縄への侵略に備えて演習を繰り返し、潜水艦で日本の領海を侵犯したり、戦闘機も飛ばしてきているなか、「日中の信頼醸成を急げ」「中国は緊張を高めるな」などと寝惚けたことを社説に書くような朝日新聞の、まさに面目躍如たる「お花畑」な文章だ。

だがここに、朝日新聞の立ち位置が明瞭に表れている。連合国=国際主義者・国際共産主義者の推進する「国際化=グローバリゼーション」である。

そして、グローバリストの主敵は祭祀王・天皇とそれを戴く日本である、という事実を、朝日は国民の目から隠そうとしている。

グローバリズム・国際共産主義は、扇動に乗りやすい無知な(権力者によって無知な状態にされた)大衆を操って混沌と対立を招来し、社会不安を醸成して暴力革命・革命戦争を起こす。既に国際市場を統制しているグローバリストは、戦争特需を最も享受できる地位にあり、敵も味方もなく全ての交戦国が彼等の顧客となる。しかも、彼らは戦争を実際に開始した国の政府に戦争開始の咎を擦り付け、裏で政府を操って戦争を引き起こした張本人達は「我関せず」と涼しい顔をしていられる仕組みに守られている。

戦争が起こった方が得をする者、戦争が起こって欲しいと願うのは、グローバリストと国際共産主義者なのである。

ところが日本人は、なかなか共産主義者のオルグに乗せられないばかりか、戦前、コミンテルン日本支部としてスタートした共産党創立の時点で、彼らが「天皇制打倒」を持ち出した途端に共産主義を激しく拒絶し、完全にそっぽを向いていた。(『田中清玄自伝』)

共産主義になびく様な人間は、もともと唯物論的でこの世が全てだと思っている。神もなければあの世もない。だから自分は貧乏で他の者が金持ちだったりすると「不公平だ」と短絡する。文化大革命の中国のように、「持てる者」からは、その者を殺してでも富を奪え!という扇動に乗りやすい。

だが、日本は八百万の神を奉る神の国である。例え人が見ていなくとも「お天道様が見ている」から悪いことはできないし、邪なことをすれば自分の魂が穢れる、だからしたくないのが日本人の性分である。森羅万象のみならず、人の作ったものにすら魂の宿る国柄にあって、祭祀を通してその神々の声を聴き、神々の意思を知り、人々に「しらす」のが天皇である。

天皇は祭祀王であり、人の幸せを祈る祭祀は、利他の精神を育み、共棲と融和を重んじる文化を生む。

だから日本では戦後、戦前と同じように、一致団結の精神で高度経済成長を達成し、「一億総中流」という言葉も生まれたが、そもそも古今和歌集の古代から、「詩歌の前で、帝も貧者も平等」の文化が日本にはあった。

日本人は、かつて「世界で最も自分の持っているものに満足する人々 (contented people)」であるといわれたことがある。そのような人々は、共産主義による暴力革命など欲しない。だから、グローバリストと共産主義者にとって、最悪に不都合な、排除すべき「敵」なのである。

共産主義社会においては、大衆は「皆平等に無知で貧乏」のままに置かれるから、そこから抜け出して「指導層」に入るためには「理論武装」し、常に他者を「理論」で威圧する必要がある。共産主義思想自体が、「無知な大衆を扇動して革命を起こし混沌を招来する」ことが目的であるから、自然その「理論」は矛盾に満ちたものとなるが、大衆を丸め込むことができれば、それで良いのである。だから、左翼学者は常に偉そうに上から目線で人を小馬鹿にしている。

小林節や朝日新聞が「どうしようもない奴らだ、恥ずかしいね」と肩をすくめ、首を振りながら「改憲派(無効論)は回顧的」といってみせているのは、「偉い学者先生やクオリティ・ペーパーが『駄目』と言っているのだからダメなのだろう」と、何も考えていない大衆に思い込んでほしいからだが、彼らがほのめかしているのは、つまり明治と戦前が、そして大日本帝国憲法と、その下で「日本を統治していた天皇」が、悪いものだった、ということである。

連合国・国際共産主義者が、敗戦国日本に、大日本帝国憲法を「改正」させ、『日本国憲法』を制定させた表向きの根拠は、「大日本帝国憲法が、天皇制強権支配と侵略的軍国主義の温床である」ということであった。

だがそれは事実ではなかった。「天皇制強権支配」も「侵略的軍国主義」も、「誣告」であった。

連合国は誣告の罪を犯し、国際法に違反し、検閲・洗脳の人権蹂躙を侵し、日本の国体改変を行った。

そして、彼らはそのことを承知していた。だからこそ、「『日本国憲法』は、連合国・GHQの強制ではなく、新しい主権者である国民の自由な意思によって制定された」という虚偽によって、偽装しなければならなかった。

そのことは、GHQ・SCAP=マッカーサーへの「指令書」SWNCC文書の中で、彼ら自身が告白している。

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http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/059/059_005l.html

〈Only as a last resort should the Supreme Commander order the Japanese Government to effect the above listed reforms, as the knowledge that they had been imposed by the Allies would materially reduce the possibility of their acceptance and support by the Japanese people for the future.( 最高司令官がさきに列挙した諸改革の実施を日本国政府に命令するのは、最後の手 段としての場合に限られなければならない前記諸改革が連合国によつて強要された ものであることを日本国民が知る時には、それらを、将来、日本国民が承認し[支持]する可能性は著しくうすれるのである。)〉(p.5 SWNCC228、p.29『 憲法制定の経過に関する 小委員会報告書の概要』pdf)

これは、「SCAP・マッカーサーは日本政府に命令しなかった」という意味ではない。彼らは間接的・遠回しに、公職追放などで脅迫しながら、すべてのことを「日本に命令」した。「あくまでも、日本人自身が自主的にやっていることであると『偽装』すべし」ということなのである。そのために、GHQには5000人もの日本人が占領軍の手足となって働いていた。

このような『日本国憲法』の出自の真実を、日本国民が70年後の今も知らされていない、つまり未だに日本国民が検閲され、洗脳され続けているという事実を知ることなしに、憲法論議は始められない。

『日本国憲法』制定過程の実情を知れば、大多数の日本国民は『日本国憲法』無効論の正当性を理解し、それを支持する。

だが、国際共産主義者だけでなく、日本政府までも、「日本国憲法無効論」をひた隠しに隠し続けている。

1956年6月11日に設置された憲法調査会が、1964年7月3日に内閣と国会へ提出した『憲法調査会報告書』の役目は、『日本国憲法』の制定が連合国による強要であったという真実を国民に周知することであるはずだった。

そして、「日本国憲法無効確認」によって、占領以前の「まともな国・日本」とその正当な憲法・大日本帝国憲法を取り戻そう、と日本国民に訴えるのが、憲法調査会報告書を受け取った内閣と国会の義務であった。

天皇陛下に上奏し、民主主義的議会制立憲君主国の日本に戻るべく、日本国憲法とGHQ皇室典範の無効確認・大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認を、天皇陛下に粛々と宣言していただくのが、総理大臣の使命であった。

だが、そうはならなかった。

調査会報告書のその膨大な量の調査結果にも拘らず、結論は「押しつけとも、押しつけではないともいえない」という日本人得意の玉虫色で終始した。

「憲法調査会」も、内閣も国会も、独立回復後23年を経てなお、連合国の顔色を窺うかのように、『日本国憲法』の制定経過のいかがわしさ__連合国の明白な犯罪性__に触れることはなかった。

_____〈すなわち、原文が英文で日本政府に交付されたという否定しえない事実、さらにたとえ日本の意思で受諾されたとはいえ、手足を縛られたに等しいポツダム宣言受諾に引き続く占領下においてこの憲法が制定されたということは、明らかなのであるから、この面に関する限り、それを押しつけられ、強制されたものであるとすることも十分正当であるというべきである。特に、日本側の受諾の相当大きな原因が、天皇制維持のためであつた事も争えない事実である。ただ、それならば、それは全部が押しつけられ、強制されたといい切ることができるかといえば、当時の広範な国際環境ないし日本国内における世論なども十分分析、評価する必要もあり、さらに制定の段階において、いわゆる日本国民の意思も部分的に織り込まれたうえで制定された憲法であるということも否定することはできないであろう。要するにそれらの点は、この報告書の全編を通じて、事実を事実として判読されることを期待する以外にない。〉(p.77『 憲法制定の経過に関する 小委員会報告書の概要』pdf〔p.82〕太字・下線引用者)____

朝日新聞の「64年調査会、評価踏み込まず」に「事情は決して単純ではない」とあるように、調査会はその肝心要の目的である『日本国憲法』制定の真実について、評価をこの調査報告書の読者に「事実を事実として判読されることを期待する」と、丸投げした。明白な結論を、自らの口で、国民に発表することを放棄したのである。だが、この報告書は本編が781ページ、それに「『憲法無効論に関する報告書(憲法調査会報告書附属文書第10号)』も含めて12冊の付属文書が付いた、膨大な文書である。93ページのダイジェスト版はPDFで読めるが、それにしたところで、真面目に働く普通の庶民はこのようなものを読んでいる暇がない。

国民に代わって吟味調査し、真実を追求して、それを国民に報告するための「憲法調査会」ではなかったのか?

そもそも、『日本国憲法』制定過程の重大問題を、「押しつけ」か、「押しつけでないか」の二分論に集約・矮小化することこそが問題である。

『日本国憲法』は、どんな国の、どんな立場の、どんな人間が、どこをどう見ても、「押しつけ」であって、そこに疑問をはさむ余地はない。

『憲法調査会報告書の概要』の、『日本国憲法』は「押しつけではないともいえる」根拠とは、「制定の段階においていわゆる日本国民の意思も部分的に織り込まれ」ていることであった。

占領当時の「広範な国際環境」とは「連合国・国際共産主義の独裁」状態であったし、「日本国内における世論」は、『報告書』も言及するように、大多数が「天皇支持」であったのだから、これらは「押しつけではない」理由どころか、むしろ「押しつけ」の理由である。

だが、その「部分的に織り込まれた」「いわゆる日本国民の意思」とはどんなものであったのかを、『概要』の「制定過程に関する総括的考察」は、全く書いていない。

GHQが、憲法改正担当国務大臣・松本烝治による草案を、完全に一蹴した理由は、「(松本案では)天皇の権威および権力が、現実的にはなんら変更もされず弱められてもいない(……)天皇制度はそのまま残り、しかも、議会による立法を必要としない皇室典 範に基づき依然運営される」からであった。(p.21『憲法制定の経過に関する 小委員会報告書の概要』[p.25 pdf] 太字引用者)

即ち、『日本国憲法』により連合国が企図する「日本の政治的再編成」の要は以下の通りであった。

◆天皇の権威及び権力のはく奪

◆天皇制度を残さない

◆皇室典範を『日本国憲法』の下位法とする=議会による立法を必要とする=天皇と皇室の自治自律をはく奪し、内閣に統制させる

◆内閣が、天皇の上位

松本案の他にも、7つの政党・民間団体・個人が試案を発表したが、このうち5案は「天皇制維持」で松本案とほとんど変わらず、GHQは同様に却下した。他2案は共産党と高野岩三郎個人によるものであり、「共和制」を採用していた。

GHQが唯一「可」的な批評を加えたのが、この高野岩三郎の「日本共和国憲法草案」であった。

調査会報告書が「GHQがその意思を『部分的に織り込んだ』としている『日本国民』」とは、「天皇制廃止」「共和制樹立」を謳う、左翼運動の仲間うちでも「超過激」といわれる左翼思想の持主だったのである。

調査会報告書は、その重大な事実を指摘することなく、「GHQが日本国民の意思を部分的に織り込んだらしい」(確たる証拠はない)から「押しつけではないともいえる」という府抜けた調子でお茶を濁した。

かくて、調査会は、「膨大なエネルギーを使い、押しつけ議論に区切りをつけた」。そして、「以降、押しつけ論とともに政界での改憲の機運は薄れていく」(押しつけって何?1⃣)

一般国民はもとより、選挙・国会対策に忙しすぎる政治家たちもまた、『憲法調査会報告書』が読者に丸投げした総括を「総括」として終わったこととし、『報告書』が期待したように「(報告書を丹念に読み)事実を事実として判読」することはなかった。

そして、「象徴天皇制」を謳う『日本国憲法』は、天皇の権威・権能をはく奪することで実質的に「天皇制廃止」をした「共和国憲法」である、という真実は、事実上国民から隠された。

それが、「『日本国憲法』無効論は『終わった議論』」といわれて無視されている理由なのである。

だが、知的好奇心旺盛な日本人なら、「無効論は全く終わってなどいない」ことが理解できるだろう。

インターネットのおかげで、現在少なくとも93ページの『憲法制定の経過に関する 小委員会報告書の概要』は、pdfで一般国民も家にいながら読むことが可能だ。

報告書が伝える、『憲法改正草案要綱』が発表された当時の新聞の論調によれば、日本人は新憲法の中に「天皇」の規定がある、という単純な事実をもって「国体が護持された」「天皇制問題がこれで解決された」と喜んでいた。

だが、それと同時に、「本当に国体は護持されているのか」と疑問を持つ者もいることにも触れている。(河原春作枢密院顧問官 【枢密院における憲法改正草案要綱に対する主な論点】『概要』p.50 [pdf p.55])

つまり、日本人は「大日本帝国憲法がGHQによって改正させられる」と正しく認識し、天皇の地位はどうなるのか、日本の国体は護持されるのか?と心配していた。だからこそ、「象徴」という「不思議な言葉」(当時皇太子妃であった美智子様の感想)に取って代わられてはいたものの、とにもかくにも、「天皇」について規定があるならそれは「天皇存続」ということであろう、と解釈して喜んだのである。

だが、日本人は騙されていた。ナイーブでお人好しの日本人は、「条件付き降伏だ」といっておいて後「いや、無条件降伏だ」と言い募り、「日本人を奴隷にはしない」といいながら、検閲・洗脳という非人道的占領政策によって、日本人を事実上「一億総前科者」「敗戦奴隷」に貶めた連合国の卑怯ぶりを、全く甘く見ていた。

「民主主義」を掲げる先進的欧米の立派な大国が、ここまで非道なことをするとは思わなかったであろう。

占領下、天皇も政府も議会も、全て日本人はSCAPマッカーサーの超大権力に隷属させられていた当時と違って、1951年5月3日には、解任されたマッカーサーの後任、リッジウェイによる「占領諸法令を再検討する権限を日本政府に与える」旨の宣言が出され、同年9月8日にはサンフランシスコで平和条約の締結をみ、事実上日本は独立国となった。

それから23年を経て、尚も続く日本人自身による「自虐洗脳」によってか、「戦後レジーム」利権の利得ゆえか、「調査会報告書」を受け取った内閣も国会も、『日本国憲法』が実質「共和国憲法」である事実を、遂に追及することはなかった。

%e6%97%a5%e6%9c%ac%e5%9b%bd%e6%86%b2%e6%b3%95%e5%a4%b1%e5%8a%b9%e8%ab%96ましてそのことを国民に周知し、一刻も早く無効確認・現存確認による占領以前の原状回復をせんと働きかける者はいなかった。いたのかもしれないが、全く無視され、忘れ去られるままにされた。(菅原裕『日本国憲法失効論』は1961年11月10日に初版が発行されている。)

ナパーム弾による全国絨毯爆撃と2発の原爆で日本の国土の壊滅を見せつけられ、20万人の公職追放で連合国に「右翼」とレッテルを張られたものが家族ともども路頭に迷うさまを目の当たりにし、日本人は極度の心的外傷(トラウマ)を負った。小林節が言った「敗戦のルサンチマン」ではなく、「敗戦トラウマ」であった。

全国絨毯爆撃ですべてを失った日本国民は、昭和天皇の二度の「玉音放送」に慰められ、「朕と汝等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説に依りて生ぜるものに非ず」「朕は朕の信頼する国民が朕と其の心を一にして、自ら奮い、自ら励まし、以て此の大業を成就せんことを庶幾(こいねが)う」と仰せられた『新日本建設に関する詔書』(所謂「人間宣言」)に励まされた。そして、ひたすらに前へ進んだ。

だが、連合国=権力側の手足となって日本国民を欺く手伝いをした政府・官僚・学界・メディアは、今も国民をだまし続けている。「敗戦トラウマ」は、日本と日本人を裏切り続けたこの者たちに、より濃く、深く、残っている。

「敗戦トラウマ」患者である政府・官僚・学界・メディアは、『日本国憲法』無効論が、連合国の逆鱗に触れ、今も続く「公職追放」の脅迫によって、何もかも失うことになる、と怯えきっている。

『日本国憲法』無効論を、改憲派も護憲派も、徹底的に無視し続けるのは、この「連合国恐怖症」のせいであろう。

だが、占領の真実に向き合い、「連合国は犯罪者」という現実を認識することでしか、この「敗戦トラウマ」から立ち直ることはできない。

幸い、先日の米大統領選で、日本の敵・北朝鮮と中国から闇献金を受け取り、国際共産主義の黒幕・ユダヤ国際金融資本家ともズブズブの関係だったビルとヒラリー・クリントンの民主党は、日本の自主防衛・核武装を叫ぶビジネスマン、トランプの共和党に大統領の座をさらわれた。国際主義者・グローバリストの専横に、アメリカの「普通の人々」が、NOと言ったのだ。

「戦後レジーム」の継続を、歴史認識の面から強化していた、NYタイムズらアメリカの反日左翼メディアにケンカを売ったトランプが、大統領になるのである。

グローバリストのヨーロッパでの牙城・EUも、英国の離脱によってその崩壊に拍車がかかるだろう。

これは『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認と、大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認をする千載一遇のチャンスである。

「嘘も百回言えば本当になる」と言ったのはナチスのプロパガンダ相・ゲッベルスだが、偽憲法である『日本国憲法』は、70年使おうが、100年使おうが、本物の日本の憲法にはならない。

改正しても、『日本国憲法』のいかがわしい出自に触れ、連合国の犯罪を告発し、日本に着せられた「侵略国家」「制奴隷を持った軍隊」の汚名が誣告である、と世界に周知するのでなければ、「戦後レジーム」は終わらない。日本は永遠に「敗戦奴隷」のままなのである。

連合国の犯罪を告発しなければ、国際社会もまた、永遠に、第二次世界大戦の反省をしないままである。

日本だけではない、世界が騙されている。

来春キプロス島で開かれる国際憲法学界の部会のテーマは「押しつけ憲法(imposed constitution)」だそうだ。

「日本の憲法の際立った特徴は(70年間一度も改正されなかった)長い耐用年数で、私たちに押しつけ憲法の概念の見直しを促している」「押しつけかそうでないかという二分論は、日本の憲法への理解を妨げてしまう。大切なのは、日本の例から憲法への信頼を醸成したのは何かを探ることだ」(国際憲法学界部会責任者コンティアード教授 『押しつけって何?1⃣)

『日本国憲法』が70年間一度も改正されなかったのは、『日本国憲法』が日本人の信頼を得たからではなく、日本人が戦後71年間ずっと、『日本国憲法』が、かけがえのない日本の国体の現身である天皇の権威と権能を簒奪し、天皇と日本国民を苦しめ続けている、という真実を、知らされないままできたからである。

『日本国憲法』は、今も日本をだまし続けている。

この事実を、日本人だけでなく、世界と共有することで、世界は連合国=国連のいう「人権主義」「平和主義」「民主主義」がどんなものか、今一度立ち止まって真剣に考える機会を得る。

国連安保理常任理事国といえども、違法行為は裁かれるという当然のことを、世界は確認する。

国連が自身の裁きを受け入れられないなら、それは国連に自浄作用がないということを意味し、そのような機関は存続する資格がない。

世界に対立と混沌をもたらした国際主義・共産主義の犯罪を問い、天皇という「至高の権威」を取り戻した日本は、白人至上主義・暴力至上主義の旧弊を打ち破り、国際社会に真の意味での法治主義をもたらす。

『日本国憲法』無効論が、国際法を豊かにし、国際社会に真に貢献する日本を再生するのである。

【皇后陛下お誕生日に際し】「生前退位」という語による天皇陛下への不敬に接した皇后陛下の「衝撃と痛み」__そらとぼけるメディア、宮内庁、無為無策の政府

「新聞の一面に『生前退位』という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした」

皇后陛下は10月20日、82歳になられた。

宮内記者会の質問「この1年を振り返って感じられたことをお聞かせください」に答える文書の形で、皇后陛下がお気持ちを語られた。(「皇后陛下お誕生日に際し」http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/3)

熊本地震、阿蘇噴火、珍しく東北・北海道を襲った台風などの自然災害、今年1月に天皇陛下と訪問されたフィリピン、リオ・オリンピックとリオ・パラリンピック、日本研究者の発見になる新元素ニホニウム、大隈良典博士のノーベル賞受賞等に加え、続く視覚障害者の線路転落事故にも「最近心にかかること」として言及された。

終盤、皇后陛下は「天皇陛下のお気持ちの表明」について述べられた。

 

「8月に陛下の御放送があり,現在のお気持ちのにじむ内容のお話が伝えられました。私は以前より,皇室の重大な決断が行われる場合,これに関わられるのは皇位の継承に連なる方々であり,その配偶者や親族であってはならないとの思いをずっと持ち続けておりましたので,皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされたこの度の陛下の御表明も,謹んでこれを承りました。ただ,新聞の一面に「生前退位」という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は,歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので,一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の感じ過ぎであったかもしれません。」

「皇室の重大な決断が行われる場合,これに関わられるのは皇位の継承に連なる方々」

天皇陛下も、即位20年の会見で「将来の皇室の在り方については皇太子とそれを支える秋篠宮の考えが尊重されることが重要」とおっしゃっている。皇后陛下はこれを敷衍して「(皇后陛下御自身を含め、皇位継承に連なる方々の)配偶者や親族であってはならない」とはっきりと述べられた。皇位継承に全く関係のない国会・政府はもとより、素人からなる「有識者会議」なるものに至っては何をかいわんやであろう。

明治維新後に、近代立憲国家としての日本を欧米列強に示すため、大日本帝国憲法とともに制定された『皇室典範』とは、長い伝統に基づく皇室の在り方を記した天皇家の「家憲」であり、大日本帝国憲法と同等のものであった。

大日本帝国憲法第74条第1項には「皇室典範の改正は帝国議会の議を経るを要せず」とあり、議会はその改正に関与できなかった。

そもそも、憲法・典範の改正の発議権は、天皇お独りに属する大権である。

皇室の伝統に精通しない者、皇統断絶を企むGHQ『憲法・典範』を絶対とする、連合国の下僕と成り下がった者達が「皇室の在り方を考える」と言っているのをきくと、背筋が寒くなってくるのである。

そして、7月13日のNHKのスクープの後、新聞の一面に極太文字で書かれた「生前退位」の文字。この語が与えた衝撃を、皇后陛下は「大きなもの」とおっしゃった。

御所にて行われる「天皇陛下の有識者会議」ともいえる「宮内庁参与会議」。その2010年7月22日の会合において、天皇陛下が仰ったのは、「私は譲位すべきだと思っている」であった。皇后陛下もずっとご一緒に、陛下の「譲位」のご意向をどう表明するか、どう実現するかについて、6年間も話し合ってこられたのだ。

「それまで私は,歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかった…」と皇后陛下も仰っている通り、7月13日にNHKが最初に発し、翌日の新聞各紙が一面に太文字で書き、数人の識者から疑問視する声が上がった後も殆どのマスコミが使い続けている「生前退位」とは、国民の誰もが聞いたことのない言葉であった。

皇后陛下は、以前、「象徴天皇」という言葉に関しても、「不思議な言葉…」と微妙な違和感を表現されたことがある。

天皇陛下は、そのお立場の故に、公の場で不平不満を仰るようなことは絶対にない。

1975年、今上陛下が皇太子時代に妃殿下と訪問された沖縄で、左翼過激派に火炎瓶を投げつけられた時にも、眉ひとつ動かされなかったという。幸い皇太子殿下に御怪我は無かったが、妃殿下は警察官に庇われて地面に倒れ、打撲傷を負われた。(ひめゆりの塔事件)「帝王たるもの常に泰然自若、それに比べてやはり庶民出の妃殿下は一瞬避けた…」といって宮中でいじめられたというような、まことしやかな噂もあったくらいである。

このたびも、「新聞の一面に『生前退位』という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした」と、天皇陛下のお心を気遣われながらも、「それまで私は、歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の感じ過ぎであったかもしれません」と、一歩引いた表現に留めておられる。

が、皇后陛下は「痛みを覚えた」と仰っている。少し考えれば明らかなように、「生前」とは「死ぬ前」のことであり、「死」を直接に連想させる言葉である。さらに、「生前__」と言う熟語は「生前贈与」のように、多くの場合「そう遠くない将来に死が訪れるであろう人」の行動について使われるのであるから、もっと酷い。そして、「退位」には必ずしもポジティブな意味合いがない。それを天皇陛下ご自身のお言葉である「譲位」とすり替えることまでしてNHKが使い、日本中のマスコミ、知識人達が、あろうことか「保守」と呼ばれる者達までが、連日連呼している。これはどう見ても天皇陛下への「お葬式いじめ」だ。

日本報道検証機構は、皇后さまの談話を受け、受け止めや「生前退位」という表現が適切だったかどうかについて、NHKをはじめ主要新聞各社に質問した。NHK広報部からは「国会の答弁等でも『生前退位』『退位』という言葉が使われており、視聴者に意味が伝わりやすいよう、この表現を使っています。ニュースの文脈に応じて、『譲位』という言葉も含め、適宜使い分けています」との回答があった。今後も使い続ける方針かどうかも質問したが、明言しなかった。

(「『生前退位』は『歴史の書物にない表現』 皇后さま、違和感表明 NHKの反応は…」日本報道検証機構 弁護士 楊井人文 Yahoo! News http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20161022-00063507/)

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小野寺まさる氏の10月20日のTwitterによると、どこかの新聞が「おことわり」としてこの「生前退位」という語について弁解しているようだ。しかし、弁解にも何もなっていないどころか、全く意味不明である。「存命中に位を譲ることは明治以降の歴史で例がないことから、意味を分かりやすくするために使っています」?いや、「存命中に位を譲ることは明治以降の歴史で例がない」からといって「譲位」の意味が分からなくなっているということは全くないし、そもそも、意味を分かりやすくするためになら「死」を連想させる不吉な言葉を、天皇という日本の最高権威・「万民の父母」に対して使ってよいと考えるその感性がおかしいだろう。

「言霊のさきわう国」日本では、人々は不吉な言葉はなるべく使わない。まして、目上の人に使うなどもってのほかだ。日本人はこういう感性を無くしかけているのか、それとも日本の伝統に暗い外国人の仕業か?

小野寺氏のツイートが言うように、「生前退位」という不敬語の「出典」は、1984年の社民党と公明党の一議員による国会議論であった。このマスコミ・知識人の「生前退位」連呼は、社民党・公明党とこれらの党が代表する人物、或いは外国を、天皇よりも高い権威とみなす者達の差し金であるに違いない。

いづれにせよ、NHKら「『生前退位』いじめ」に加担していたマスコミは、皇后陛下の全く正当なご指摘を受け、右往左往している。日本経済新聞などは、泡を食ったあまり皇后陛下の仰ったことを完全に捻じ曲げ、見出しだけ読む人を騙そうとしている。

〈皇后さま、82歳に 生前退位 反響に「衝撃」〉

〈天皇陛下の生前退位の意向に対する社会の反響の大きさに「衝撃は大きなものでした」とつづり、「驚きと共に痛みを覚えた」と振り返られた。〉(日本経済新聞2016年10月20日)

皇后陛下が「陛下の生前退位に対する社会の反響に『大きな衝撃』」を受けられた?そうではない、皇后陛下が衝撃を受けられたのは「生前退位」という言葉の不敬に対してだ。「衝撃を受けた」という文章のすぐ後に「歴史の書物の中にもこんな表現見たことがなかった」と続くのだから、どこをどう読んでもこれは「生前退位」という語について仰ったのだとしか見えない。そして、それは只の衝撃ではなかった。「痛み」であったのだ。「私の感じ過ぎであったのかもしれません」とは、先に言ったことが良くないことであるがために、「そんなはずはない。思い過ごしかもしれない」と、いじめに加担した者達への非難の度合いを和らげてくださっているのだ。そもそも社会の反響というなら、90%の国民が天皇陛下の譲位のご意向を支持し、速やかに実現するように心から祈っているのだ。「痛み」であるはずがない。

現に本文の方は、「陛下の意向が初めて報道された直後の心境としては」を「衝撃は大きなものでした」の直前に置いている。「報道の直後」では「社会の反響」などあまりわからない。そして、「理由として、生前退位という表現に『接したことが一度もなかった』ために、『一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の考え過ぎであったかもしれません』と吐露された」となっている。「吐露する」とは、隠していたことを打ち明けることなのだから、やはり皇后陛下の仰っているのは「『生前退位』という言葉に傷つきました。天皇陛下が黙っておられるので黙っていましたが、この機会に打ち明けます」ということではないのか?

極めつけに、この記事の最後には「生前退位に関して皇后さまが『痛み』という表現を使われたことについて」、宮内庁関係者の推量を挙げている。

「生前という言葉の裏側にあるものを連想されたのではないか」

今それが分かるのなら、NHKの最初の報道の時に分かったであろう。だが、宮内庁は何の抗議もしなかった。政府も黙っていた。マスコミは調子に乗っていまだに連呼している。

安倍首相におねがいします。

今すぐ、天皇陛下を愚弄する「生前退位」という不敬な言葉の使用をやめさせてください。

天皇陛下のお気持ちを、皇后陛下のように「謹んで承る」気持ちがあるなら、日本国民の「天皇陛下のご意向を実現して欲しい」という願いを叶える気持ちがあるなら、天皇陛下が既に通り過ぎられた事項、天皇陛下にしかお判りにならない事項を議論している有識者会議は中止し、皇室問題は天皇陛下に全てお任せください。

天皇陛下のご意向を実現するのに、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が障害になっていることを直視し、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は、そもそも傲慢・無知な連合国が皇統断絶を企図して制定させた偽典憲であることを思い出し、これらの無効確認、大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認を天皇陛下に宣言して頂くよう、ご奏上ください。

もうすぐ『日本国憲法』施行70周年の記念日がやってきます。

この屈辱の日を祝うという欺瞞から、天皇陛下と日本国民を解き放ってください。

 

(関連稿『「生前退位」という言葉の連呼は、天皇陛下に対する「お葬式いじめ」ではないのか?』)

 

 

 

【天皇陛下の譲位のご意向表明】 有識者会議も、特例法も、GHQ『皇室典範』改正も、「連合国への隷属」継続が前提の、亡国への道__正確な現状認識だけが日本を護る③

天皇との6年に亘る激論の末、「参与会議」が証明した「無効論」無視の議論の絶望的不毛

「摂政では駄目なんだ」:天皇陛下は強い口調で、きっぱりと仰った

 天皇陛下の「有識者会議」=「宮内庁参与会議」は、6年にも亘る天皇陛下御自身との激論を経てなお、天皇陛下の譲位のご意向実現の具体的方法について、結局何も決められなかった。この上誰が、どんな議論をして、何を、どう決めるというのか?

 

「私は譲位すべきだと思っている」

「天皇という存在は、摂政によって代行できるものではない。皇太子に譲位し、天皇としての全権と責任を譲らなければならない」

「(大正天皇の摂政設置は)大正天皇ご自身の意思に反するものであり、踏襲されるべき先例ではない」

「前提として天皇の高齢化という条件は必要だと考えるが、退位は、天皇の自由な意思で行われなければならない」

天皇陛下は、強い口調で、きっぱりとおっしゃった…。天皇からのお召しを受けた各界の「有識者」(宮内庁職員ではなく、あくまで「天皇の私的なご相談役」「経験や専門の知見を活かすというより、国民としての立場」での発言を要請され、3年ごとに更新される)3名と宮内庁長官、侍従長を加えた5名で、御所にて開かれる、皇室の重要事項に関して議論する「宮内庁参与会議」__その2010年7月22日の会議に於ける天皇陛下のご発言である。(『文藝春秋』2016年10月号「総力特集 『天皇 生前退位の攻防』  真相スクープ  『皇后は退位に反対した』」__この時のメンバーは元宮内庁長官・湯浅利夫、元外務事務次官・栗山尚一、東大名誉教授・三谷太一郎。2016年9月現在は元検事総長・原田明夫、元警察庁長官・國松孝次ら)

「陛下は激論も辞さないご姿勢でした。摂政案は、こちらがどう申し上げても受け入れられなかった。お考えはすでに固まっているなと思いました」(上記「参与会議」出席者)

話し合いをしながら食事ができるように、人数分並べられたお互いの弁当が、ぶつからないように気を使うほど幅の狭いテーブルをはさんで、午後7時から始まる「参与会議」はその日、稀にみる激論となり、深夜12時を回るまで、天皇の話__「摂政」ではなく「譲位」でなければならないことを「参与会議」出席者に納得させること__は尽きることなく続いた。

〈そんな参与会議で、10年7月以降、退位についての議論が重ねられた。天皇は「譲位」「退位」を主張して譲らず、自分が「上皇」になることで、どのような不都合があるのかとも問いかけられた。〉

〈当初は摂政の設置で解決するべきだとしていた皇后も、天皇の固い意思を確認されて、やがて退位を支持するようになる。〉

長い議論を経て、出席者たちも天皇を説得するのは不可能であることを悟るようになった。11年ごろには、議論は「退位」を前提としたものへと移っていた。〉(同上)

5年前、2011年ごろには、既に、天皇陛下の「有識者会議」である「参与会議」は、「天皇陛下の譲位のご意向は固く翻しがたいものである」との結論に達していたのである。

『文藝春秋』が表紙の大見出しにもした「皇后は退位に反対した」ことは、事実であるにしても実際にはそのこと自体が「スクープ」というほどのことではない。「参与会議」の出席者によれば、皇后陛下は「議論にお強く」「非常にシャープで、議論を厭わない」方であるらしい。その皇后さまも、数度の「参与会議」での議論を経て、陛下のご意思の固いのを確認され、当初の「退位反対」「摂政設置」のご意見を翻され、譲位を支持されるようになった。皇后さまの討論における通常のご姿勢を考えるなら、それは、ただ単に天皇陛下の固いご意思に根負けした、ということではないであろう。天皇陛下のご意向の後ろにある、事実と経験に基づく論拠に、納得された、ということであるはずだ。

当初、参与の誰もが「摂政設置」を主張していた。彼らの根拠は次の様なものであった。

「摂政に公務を任せる分、陛下のご公務が減ったとしても、国民の理解は得られる」

「皇太子殿下に摂政として経験を積んでいただくことは、将来的にも悪いことではない」

冒頭に引用したのが、これらに対する天皇陛下の反論である。

「摂政では、駄目なんだ」「天皇という存在は、摂政によって代行できるものではない」

陛下は、父君・昭和天皇の皇太子時代の、大正天皇の摂政をなさったご経験、そして今上陛下御自身の昭和天皇の公務代行をなさったご経験から、そう仰っている。

日本の歴史と伝統によれば、天皇の地位は、「万世一系の男系の血筋」をその継承資格としている。

天皇は、古代より連綿と、ただ一筋の血筋で125代続いてきた、というその事実により、世界に一人の希少なご存在であり、そうであるからこそ、世界一貴いご存在なのである。

何百年、何千年も生きている古木に霊が宿ると、日本人は信じる。天皇のご存在もまた、それと同様の霊的なご存在であるが故に尊いのである。

天皇の本質は「祭祀王」である。「天皇の務め」の本質は、祭祀である。

宮中祭祀の中には、天皇にしか行えない「秘儀」がある。「即位した天皇」だけが為す秘儀によって、「天皇霊」がその御身体に宿り、正真正銘の「天皇」になられる。

天皇によってのみなし得る「祭祀=天皇の務め」がある、ということである。

摂政や「公務代行者」には、それが務まらない。天皇が崩御され、次代の天皇が即位されるまで、その祭祀は行われない、行うことが出来ない、ということである。

祭祀王=天皇が、その第一の務めたる祭祀を執り行えない。天皇にとって、これ以上の屈辱があろうか?そしてそれは、日本の国体にとっての不仕合せである。

それが、8月8日の陛下の「御言葉」にある「天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であることに変わりは(ない)」ということである。

大正天皇の摂政設置は、大正天皇ご自身の意思に反して行われたことであり、踏襲されるべき先例ではない、と天皇陛下ははっきりと仰っている。昭和天皇も、晩年の御不例の際、ご自身の大正天皇の摂政体験を以て、「摂政設置」を嫌われたといわれている。

「摂政設置」は「天皇の権威の低下」に直結する。

それでなくとも、連合国によって、彼らが日本に強要した『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』によって、天皇の権威は貶められている。

「大変過ぎる公務を、陛下が自ら増やしてしまった」「だから無理ならば止めればいい」という、無知で非情な言説が「識者」達の間に散見される事にも、それは表れている。

「天皇の務め」=「公務」を、式典や行事に出席すること、外国からの賓客を接受すること、出掛けて行って人に会うこと…、等と矮小化しているのだ。

これは天皇の神霊性を軽視・無視しているということ、つまりは天皇の権威の否定である。

GHQ『皇室典範』は、宮中祭祀を「天皇家の私事」として規定し、「公務」として認識していない。天皇を「祭祀王」として認識することを、憚っている。

人種間、国家間の対立を煽って混沌を招来し、利己主義を奨励し、無秩序・無政府状態を醸成して、世界戦争を起こし、世界同時暴力革命を達成するのが目的の国際共産主義者たちにとって、「八紘一宇=人類は皆家族」であらゆる人種を融合する祭祀王=天皇と、その天皇を「万民の父母」として奉じる世俗的家族主義・利他主義の日本人は、一人残らず消してしまいたい邪魔な存在である。

だから連合国は、「祭祀王=天皇」も「立憲君主=天皇」も、その存在を否定し、貶めた。

GHQによって廃止されかけた「宮中祭祀」を、「天皇家の私事」であるということにしてでも存続させた、という経緯が占領期にあったにしても、「国民のために祈る」という行為を「天皇家の私事」とすることは、「祭祀は天皇が勝手にやっているわたくしごと」とみなすこと、つまり「天皇の権威の軽視・無視・否定」を促進しているというその事実を、いま私達は見過ごしてはならない。

「宮内庁参与会議」は、「天皇の譲位のご意向を表明する」ということの他には、何も決められなかった__障害となったのは、政府と『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』であった。

「宮内庁参与会議」では、先述したように、2011年ごろには「天皇の譲位」を前提とした議論に移っていた。しかし、その後5年間、「参与会議」は大きな障害に立ちはだかられ、議論は進まなかった。決まったのは、「天皇のご意向をどういった言葉で表現し、いつ表明するべきか」ということだけであった。

「参与会議では、14年の時点で、翌年の15年12月のお誕生日会見で、退位に関するお気持ちを表明するという案が出ていて、ビデオメッセージという形式も考えていました」(宮内庁関係者  『文藝春秋』10月号 同上記事)

つまり、「参与会議」はたったこれだけのことを決定するのに3年を要し、しかもその決定された「お気持ち表明」は、今年8月8日にようやく実現するまで、さらに2年の「待った」をかけられたわけだ。

退位を実現させるために、政府をどのように動かすか。また、お気持ちの表明にあたり、政府の了承をどのように取り付けるか。それが、当初から最大の問題だったのです。」(宮内庁関係者 同上)

憲法にも皇室典範にも規定がない「退位」の実現には、典範改正か特別法の制定が必要になるため、政府の協力が必要となる。〉(同上)

当時の民主党政権と宮内庁とは、2009年12月の「小沢一郎、陛下のご体調に配慮した『一か月ルール』無視で習近平・天皇特例会見を強要」の一件以来、当然の如くギクシャクしていた。「大変異例なこと。もう二度とこういうことは有ってほしくない」と会見で発言した羽毛田宮内庁長官を、小沢は「一役人が内閣の方針にどうこう言うなら、辞表を出してからいうべきだ」と、公に批判した。宮内庁側からは、とても「退位」の件を相談できる雰囲気ではなかった、というのである。

「宮内庁長官といえど、皇室に関することを独断で発言することはできません。長官の発言は、ほぼ天皇のご意思と見ていい。自由に発言できない天皇のお気持ちを代弁した長官を、小沢氏は叱り飛ばしたのです。」(皇室担当記者  同上)

民主党には他にも「大韓航空機爆破事件」の北朝鮮元工作員(現在韓国在住)金賢姫の「超国賓待遇招聘・ヘリコプターで海自・米海軍基地上空『遊覧飛行』」(2010年7月)「秋篠宮殿下への『早く座れよ』不敬発言」(2010年11月)の中井洽議員という外患誘致容疑者がいるが、小沢同様、中国・韓国・北朝鮮への忠誠心の方が日本への愛国心より大きそうなのは間違いなく、その天皇・皇族への不敬は目に余る。

国会議員の半分は反日・天皇制廃止論者、あとの半分の殆ども、米国追従で、GHQの洗脳で脊髄を犯されており、日本の国体の危機を感じ取る感性を喪失している。このような連合国の意のままに操られる「敗戦利得者」のような人々に囲まれて激務をこなす陛下の焦燥感、孤独感は如何ばかりか…。想像に難くない。

2012年2月、天皇陛下は心臓冠動脈のバイパス手術を受けられた。

今上陛下が、おそらくは敗戦時の十代の頃から、70年以上も、我々国民には想像もできない類の「悪意」に対峙してこられたであろうことを思うと、もうこれ以上、一日たりとも長くお待たせすることはできない。

それが分かっていながら、政府は「有識者会議」による検討、「特例法」制定という間違った道を選んだ。

9月23日、政府が発表した有識者会議の名称は、「天皇の公務負担軽減等に関する有識者会議」である。「公務負担軽減」__天皇の「譲位」の実現を話し合うのではなく、「参与会議」が6年前に通り過ぎ、天皇ご自身が却下された議題を、また掘り起こすというのである。

「私は譲位すべきだと思っている」

この問題の出発点となる2010年7月22日の「宮内庁参与会議」=「天皇陛下の有識者会議」は、陛下のこのお言葉で始まった。

「公務削減」は論外、「摂政設置」は不適切。「譲位」しかない。天皇陛下は6年前、そこから話を始められたのだ。

『週刊新潮』2016年7月28日号によれば、陛下念願のフィリピン訪問を果たされた後の今年春先に、宮内庁は天皇陛下のご公務の大量削減案を提出したところ、「(陛下は)いつになく強いご難色を示され(……)『こうした案を出すくらいなら、以前より私が考えてきたことは、なぜできないのでしょうか』というようなお言葉」で、叱責されていた。(侍従職関係者による)

宮内庁長官は、「参与会議」だけでなく、皇室の将来を案じておられる天皇陛下をお助けするため、皇后陛下が提案され、2009年から実現した、天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下の「三者会談」にもオブザーバーとして臨席している(当初は羽毛田信吾長官、2012年から風岡典之長官)。

にも拘らず、陛下のご苦悩の原因が『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』による天皇の権威の軽視・無視・排除にあるのだ、という真実から、目を背け続けている。

9月26日に、退任した風岡長官の後任として、宮内庁長官に就任した山本信一郎は、2016年7月13日の最初のNHKの「天皇陛下のご意向表明」報道の際、宮内庁として「生前退位」の検討をしているかと聞かれ、「その大前提となる(天皇陛下の)お気持ちがないわけだから、検討していません」と語っていた。

天皇が自身の意向を表明し、それに呼応して政治が動けば「違憲」となる、だからこの「お気持ちの存在自体の否定」は天皇陛下を御守りしようとしてのこと、という「善意の解釈」が複数の「識者」からも聞こえてきている。

だが、それは話が逆さまだ。天皇の「譲位」についての規定がないどころか、崩御に至るまでその地位にあって公務を行い続けよ、と規定し、天皇自身の身の振り方についても天皇自身で決定できず、「主権者(=国民)=政府・国会」の下位に天皇を貶め、その決定に身を委ねさせる『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の非人道性、理不尽さに、まず疑問を投げかけるべきではないのか?

このようなおかしなものを『憲法』『典範』と呼んでいていいのか、これらが本当にその名を冠する資格があるのか、なぜ誰も問おうとしないのか?

天皇陛下の譲位のご意向の実現を阻んでいるのは、「『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が有効である」という欺瞞である。

宮内庁、政府、国会…。現在この問題を動かす立場にあるものの誰もが、『日本国憲法』が天皇の政治への関与を禁じている、GHQ『皇室典範』には退位の規定がない、というところで思考が止まってしまっている。

宮内庁も、そしてなぜか「憲法改正」に執心する政府自民党も、『日本国憲法』の遵守に懸命で、「無効論」への言及すら聞こえてこない。

内閣官房副長官・杉田和弘は、天皇陛下のご意向が明らかになった7月13日直後、「皇室典範改正となれば、きっと物議を醸す。また、陛下のご発言が政治に影響を及ぼしたという事実自体が、憲法違反となりかねない」と周囲に言っていた。(『文藝春秋』2016年10月号上記記事)

杉田内閣官房副長官は、宮内庁長官の政府側のカウンター・パートであり、「有識者会議」の運営など、「天皇陛下のご意向」問題の実働部隊である、皇室典範改正準備室(こちらも独自に天皇の公務削減について検討していた)のトップである。

「陛下のご意向問題実働部隊」の皇室典範改正準備室の長までが、陛下を「違憲」呼ばわりし、「物議を醸すから」とGHQ『皇室典範』改正について躊躇しているのだ。

だが、『日本国憲法』もGHQ『皇室典範』も、改正の必要はない。いや、改正などして、これら無効なものを「有効認定」するようなことはしてはならないのだ。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認、そして大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認で、政府や識者が「困った、困った」と言って頭を抱えている問題は、全て解決するといってもよい。

にも拘らず、誰もが必死になって「無効論」という言葉すら国民の耳に届かないようにしているように思える。

「無効論」を知らないのか?そんなはずはない。自民党内だけでも、過去には稲田朋美、西田昌司らが「日本国憲法無効論」に言及していた。(「憲法無効論 渡部昇一・稲田朋美 YouTube」「現憲法無効論を主流にできるのか 週刊西田 一問一答 YouTube」)

稲田朋美防衛相は、衆議院議員に初当選の翌年2006年から、毎年行ってきた8月15日の靖国神社参拝を今年は見送り、なぜかアフリカ・ジブチを訪問させられた。これを画策したものが、彼らの「日本国憲法無効論」を圧殺しているとみて間違いないであろう。

陛下の譲位のご意向は、実現に向かうどころか、「保守」であるはずの政府自民党によって、また「ふりだし」に戻された。

安倍政権は、この「有識者会議」のメンバー選定にあたり、敢えて皇室問題・憲法の専門家を除いた。過去の発言などから、『結論ありきの人選』との批判を浴びかねず、議論が皇室制度全体に及ぶことへの懸念もありそうだ。議論を早期に取りまとめたい政権の思惑も透ける」と、日本経済新聞は推察する。(2016年9月24日)

要するに、安倍政権は「何も決めない」「(憲法改正のため)早期決着」という結論ありきの人選で、座長には安倍首相に近いとされる経団連(中国寄りか?)名誉会長・今井敬を据え、これまでの「有識者会議」経験者である御厨貴東大名誉教授、清家篤慶応義塾長らを含めた。御厨貴は「時間のかかる方法を避け、特例法で対応する必要がある」といっている。(同上)

「政治、歴史、行政など幅広い分野から選び、国民的議論を印象づける狙いもありそうだ」(同上)というが、この有識者会議の設置を以て「国民的議論が深まった」とされてはかなわない。

第一、「国民としての視点からの自由な意見の聴取」なら、天皇陛下が「参与会議」でもう済ませておられる。6年もかけて。これ以上何を、皇室問題の素人である人々から聞こうというのか?

それに、安倍政権は、「特例法で対処する」と、もう決めている。

しかも、「有識者会議」の議論が始まる前に、「特例法」について、既に法制局の「お墨付き」を取っている。

9月30日、横畠裕介内閣法制局長官が、衆院予算委員会で、「皇室典範そのものを改正せずとも、特例法を制定すれば天皇陛下の譲位の実現が可能である」との「見方を示した」

官邸幹部が「横畠氏の答弁は政府として(有識者会議の)意思統一したものではない」と弁解がましくいい、菅義偉官房長官も「法制局長官は有識者会議で幅広く検討を行うという前提に立ち、あくまでも一般論として言われたこと」と言っているが、これはどう見ても「お墨付き」だし、加えて御厨貴東大名誉教授の声もあり、「(有識者会議には)国民目線で真っ白な視点で議論してもらう」という政府の言は言っているだけ、の感が否めない。

法制局長官答弁は、正確には「皇室典範は特例、特則を定める別法も含みうる」とのことだが、これは『日本国憲法』第2条の「皇位は国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」というのを、「国会の議決した」法律が、皇室典範だけでなく、特例法も対象になる、という解釈である。

特例法は、例え法制局長官のお墨付きがあったとしても、「解釈改憲」にすぎない。

安保法制の時と同様、いづれ野党に矛盾を突かれ、退位後の天皇の地位が自衛隊同様の「違憲」の存在にされてしまうだろう。

「日本の国体の破壊装置」である、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は偽物だ。そんな偽物を国の根幹に据えていることの不条理に知らぬふりをし、そこから噴き出す矛盾に蓋をして回るだけでは、いつか大爆発を起こして汚物をまき散らすことになろう。そして、今のままではその時は近い。

「国民的議論を深めている」というポーズだけの、何も決めない「有識者会議」、天皇陛下のご意向の真意を理解し、「無効論」という法理的に正しい道を探ろうともせず、今上陛下御一代のみの譲位を「解釈によって許可」する「特例法」__これは、天皇陛下への侮辱である。

天皇陛下は、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」ると仰った。それを承った国民は、その大多数が「今上天皇だけでなく、その後の天皇もずっと譲位を可能に」と、政府に要望した。

それを、政府は無視したのである。

政府自民党、安倍政権にお願い申し上げる。

今からでも遅くはない。「有識者会議」に日本国憲法無効論者を招聘し、無効論を国民に周知していただきたい。

正真正銘の公議公論に「日本国憲法無効論」を付し、国民に天皇陛下を補翼する機会を与えて頂きたい。

そうして、天皇陛下に心からの御安らぎを、差し上げて頂きたい。

1947年9月25日、昭和天皇の憲法の師・清水澄博士、大日本帝国憲法に殉ず

『日本国憲法』は、「国民の総意により」成立していない__美濃部達吉顧問官は「憲法改正」に反対して起立せず、枢密院議長・清水澄博士は連合国の無法な「新憲法」制定に抗議の意を表すため、入水自殺した

清水博士の「自決の辞」は、新憲法施行の日の1947年5月3日に書かれた。

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釜坂信幸氏ブログ 『枢密院議長、清水澄博士の思い…。』より

この「自決の辞」に言及されている「共和制採用を希望する私擬憲法案」とは、高野岩三郎の『日本共和国憲法私案要綱』のことであろう。

元東京大学経済学部教授であり、社会統計学者であった高野岩三郎は、敗戦直後の1945年10月29日、左派の同志と共に「憲法研究会」を設立、同年12月に『憲法草案要綱』を発表した。

高野はこの『憲法草案要綱』で「天皇制廃止」「国民主権」を唱え、GHQも新憲法草案の作成の参考にしたそうであるが、左派の「憲法研究会」でも最も過激な左翼思想の持主であったため、GHQ憲法草案の「象徴天皇制」すらも生温い、とばかりに「大統領制」「土地国有化」などを盛り込んだ『日本共和国憲法私案要綱』を発表。自身の所属する「憲法研究会」を含め、天皇制存続を容認する潮流を「囚われたる民衆」と称して批判した。(参考:高野岩三郎 wikipedia)

GHQは、『日本国憲法』の制定が連合国によってなされたことも、その無法で卑劣なる制定に抗議して入水自殺した枢密院議長・清水博士や、不起立で反対の意を示した美濃部達吉顧問官など強硬な反対者がいたことも、当然ながら検閲によって、国民に知られないようにした。(当ブログ別稿『「日本人の魂の武装解除」:GHQ検閲リスト30項目で連合国が隠したかったこと』をご参照ください。)

日本国憲法改正の勅語、憲法公布記念式典の勅語には「日本国民の総意に基いて…」「この憲法は…自由に表明された国民の総意によって確定されたのである…」とある。が、これもGHQの脅迫に怖気づいた日本政府が、何とかつじつま合わせに天皇陛下にお願いして書いていただいたものである、と当時の法制局長官・入江俊郎氏が、1954年の自由党憲法調査会に於いて告白している。(p.73 菅原裕『日本国憲法失効論』新装版)

占領下の日本には、立憲君主の天皇を棄て、『日本国憲法』を自ら選び取る「自由に表明された国民の総意」など、かけらも存在していなかった。

高野岩三郎の『憲法草案要綱』の「国民主権」などを、GHQが参考にしたらしいことを以て、「『日本国憲法』は『押し付け憲法』ではない、日本人の発案によるものである」などと言う輩もあるが、連合国・国際共産主義者であろうと日本人の社会主義者であろうと、「万世一系の天皇がこれを統治する」=「日本の国体」を、姑息卑怯な手を使って改変しようとしたことに変わりはない。

高野は「象徴天皇制」を生温いといい、「天皇制廃止」「共和制」をしつこく主張したが、連合国は、「天皇制廃止」を諦めたのではなかった。

連合国は、『日本国憲法』の「象徴天皇」という「不思議な言葉」によって、「日本の国体が護持された」と日本国民と天皇を騙し、「国体破壊の時限爆弾」を仕掛けたのである。

天皇は、連合国によって、その主権者=元首=立憲君主としての地位を簒奪された。

天皇の正当な地位を、近代的立憲主義のもとに規定した大日本帝国憲法を、連合国は「天皇制強権支配の温床」と呼んで廃棄し、その代わりに『日本国憲法』という「連合国への隷従宣誓書」を、「日本人自身が自由な意思で選び取った」という虚構を打ち立て、世界に宣伝し、徹底的な検閲とプロパガンダで日本人を洗脳した。その洗脳は、今も続いている。

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War Guilt Information Program という洗脳プログラムには、「東京裁判」も含まれるが、最も日本国民一般に影響を与えたのは、連合国の「東京裁判史観」=「太平洋戦争史」(「大東亜戦争」の名称は検閲によって禁止された)に基づくNHKラジオの『真相箱』であろう。(先述の高野岩三郎は、占領初期より検閲・公職追放リスト作成などでGHQに協力した5100人の日本人のリーダー格として活躍し、1946年、GHQのプロパガンダ機関と堕したNHKの戦後初代会長に就任している。社会党顧問でもあった。)

WGIPが振りまいた「戦前の日本は悪かった」「大日本帝国憲法は悪法だった」という嘘の刷り込みが、「大日本帝国憲法を改正」し「民主的で正しい」『日本国憲法』を日本人に「受け入れ」させる土壌をつくった。

清水博士はご自分の無力を嘆いて入水し、「幽界より国体を護持」せんとされた。今、「戦後レジーム」という名の連合国利権を失いたくない利己的な輩が跳梁跋扈する日本に於いては、国民は誰も『日本国憲法』無効論の存在すら知らされず、「無効論」を知る少数の国民ができることの微小さは、占領下のそれと、さほど変わっていない。

だが、日本人は、最後まであきらめない。

清水澄博士の、大日本帝国憲法と天皇陛下への御忠義と誠心が、私達日本人に勇気を与えてくださることを念じ、ここに博士のご冥福をお祈りし、博士の御遺志を継いでいくことを誓うものである。

すめらぎいやさか。

(日本人が『日本国憲法』の真実を知るために、是非読んでおきたい参考図書を以下に挙げます。特に国会議員・官僚・学者、そして「有識者会議」のメンバーの皆さんは必読。逆説的ですが、「無効論」を知れば、「有識者会議」も、「特措法」「特例法」も、『皇室典範』改正も、「憲法改正」も、全く必要ないことが、そして、寧ろ害悪をしかもたらさないことが、お解かり頂けます。『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認と、大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認で、天皇陛下の譲位のご意向を速やかに実現し、なおかつ天皇に主権者=元首=立憲君主としての政治的権威をお返しすることで、正気を無くした日本人に喝を入れる。それが、今一番にしなければならない大切なことです。)

『日本国憲法』無効確認が連合国=国連の欺瞞を正し、国際法が真に機能する法治主義国際社会の未来を示す__正確な現状認識だけが日本を護る①

敵国条項があることによって、「『天皇制ファシスト国家』日本は『正義の』連合国の敵」という大嘘が「国際社会の暗黙の了解」であり続ける。

だから、国連は、敵国条項を未来永劫、絶対に外さない。ましてや、「拒否大権」という伝家の宝刀を持つ安保理常任理事国に、日本を据えたりはしないだろう。

だが、そんなものを欲しがる必要もまた、日本にはない。国連=連合国には本当の権威がないからだ。

連合国=国連が、「第二次世界大戦は『ファシスト枢軸』と『正義の連合国』の戦争だった」という明白な嘘を存在理由にしなければならないこと自体が、国連の「虚構の権威」を象徴している。「人権」という一見美しげな衣に包まれているが、その内側には黒々とした暴力至上主義が透けて見える。

日本に日中戦争・日米戦争を仕掛けた連合国の主体は、国際共産主義者であったが、第二次世界大戦の実相は、「国際共産主義者」vs「民族主義的全体主義=ナチズム」の戦いに巻き込まれた「祭祀王=天皇の国・日本」がアジア・アフリカの有色人種の代表として欧米植民地主義に抗った、ということであった。

既に欧米の植民地になっていたアジア諸国は、宗主国の軍隊に「植民地軍」として編入されて、日本に敵対することになったが、インド、インドネシア、フィリピン等では、独立戦争を戦うための軍隊の組織・訓練・武装を日本軍が行い、実際に敗戦後も数千の日本兵が残留して、ともに独立戦争を戦った。

あの戦争は、日本とアジアにとっては「大東亜戦争」であった。GHQの検閲で「太平洋戦争」と言い換えさせられ、日本とアジア諸国がともに戦った記憶は改竄されたのであった。

連合国の嘘により、日本は第二次世界大戦の悪役にされたが、それは同時に、「アジアの盟主」としての日本を叩き潰すことで、有色人種を二度と白人植民地主義国に楯突かせないためであった。

日本を骨の髄まで「敗戦奴隷」にするには、日本人の魂の象徴である天皇の権威を剥奪するのが一番である。

それが、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』制定を強制した連合国の本音である。

連合国は、日本に『日本国憲法』を制定させることで、ヒトラー・ナチスの『全権委任法』によるワイマール憲法停止よろしく、正当な日本の憲法であり、近代立憲君主国の憲法として立派に機能していた大日本帝国憲法を停止し、正統な君主であり主権者である天皇の権能を剥奪した。

のみならず、正当な天皇家の家憲である皇室典範を、同名の『皇室典範』という、臣下が恣意的に天皇のあり方を決定できる「ただの法律」と挿げ替えて、祭祀王たる天皇の主たる務めである祭祀を「天皇の私事」とし、皇室全体を統率する権能も奪って皇室運営を不可能にし、皇位継承・皇統維持の手立てさえ天皇自身が決定できない仕組みにした。

しかも、「『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の制定は、『正義の連合国』の賢き指示により、『天皇制ファシズムの強権支配と侵略的軍国主義』を反省した日本自身が行った」ということにされ、日本中、世界中が洗脳されてそれを信じた。

連合国は、原爆投下と全国無差別絨緞爆撃による、究極の暴力で恫喝しながら、日本をひれ伏させ、『日本国憲法』を遵守するよう誓わせた。

政府と行政のみならず、メディアと教育を支配した連合国は、戦後は「公職追放」によって脅迫しながら「日本人自身によって」「自主的に検閲・洗脳」を継続させた。

講和条約でも「東京裁判の判決を受け入れる」ことを誓わせた。東京裁判は「日本の戦争犯罪」など何一つ証明しなかったにもかかわらず。

これら連合国の犯罪の事実のどこにも、「正義」などない。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認は、この連合国の犯罪を全て白日の下に曝す。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認だけが、日本をこの犯罪の行われた以前の、大日本帝国憲法下の原状に回復させる。

「大日本帝国憲法は軍国主義的憲法だった」「戦前の原状とは『天皇制強権支配』だ」というのは事実ではない、連合国の洗脳による虚偽の記憶である、と、日本人は気付かなければならない。

立憲主義と、民主主義のある日本、祖国の歴史と伝統に誇りを持ち、利他の心で諸外国と友好関係を築くことのできる、私達の日本を取り戻せるのである。

連合国が、自身の犯罪を正確に認識することも、連合国自体にとっても、国際社会にとっても重要である。今のままでは、連合国=国連の謳う「自由」も「民主主義」も「人権」も、暴力至上主義者の言う大嘘に過ぎない。それでは国連は、いつまでたっても「国際社会の権威」たり得ない。

本物の権威でないから、連合国=国連は他者の振るう暴力を止められず、自身も他国の紛争への仲裁に、暴力を使うしかなく、暴力の連鎖を止めることが出来ない。

連合国=国連が自身の犯罪を認識することだけが、本当の世界平和への第一歩となる。

日本の権力者たちよ、『日本国憲法』無効論の無視・故意の不周知は、暴力至上主義・国連の無法の片棒担ぎと知れ!

(2016年9月26日・2016年12月14日改訂)

 

「生前退位」という言葉の連呼は、天皇陛下に対する「お葬式いじめ」ではないのか?

「退位」というのは「王位・帝位を退く」という意味しかなく、必ずしも次代への連続性を意味しない。清朝のラスト・エンペラーは退位し、清朝は滅びた。

そして、「退位」は王位・帝位にあるものが行為者であるから、当然その行為者の「死」の前に、つまり「生前」に行われる。

この「いわずもがな」で、しかも「死」を連想させる「生前」という語を、「次はないかもしれない」という意味を含む「退位」に付けた「生前退位」とは、不敬であると同時に、「お葬式いじめ」に匹敵する非道な言葉である。

国民がいままで聞いたこともないこんな言葉を思いついたのは誰だ?

その語の最初の使用者であるNHKか、それとも「天皇陛下のご意向」をリークした「宮内庁関係者」か?

「生前譲与」がOKならこれだってOKでしょ、という軽いノリだったのか?だが、竹田恒泰氏も言っているように、自分の親にでも「生前譲与してよ」のように、平気でこの言葉を使える日本人がいるのか?

天下のNHK、「日本国民のための、日本国民の知性を代表する公共放送」であるはずのNHKが、こともあろうに天皇・皇室がらみの報道で使用される表現にこれほど無頓着であった、という事実、そして、竹田恒泰氏や加地伸行氏らがそれぞれYouTubeやTwitter、論文(加地伸行『「生前退位」とは何事か』_『WILL』2016年9月号)で指摘した後も、反省の色なく、カッコもつけずにしれっと使い続けるのが朝日新聞、日経新聞を始めとする左翼親中メディアに限らず、保守系メディア・識者の中にも散見される、という事実が、この問題の深刻さを象徴している。

『日本国憲法』の「象徴天皇」と、昭和天皇の「人間宣言」を、国民が好意的に解釈して安心しているうちに、連合国・GHQの国際共産主義的洗脳教育で養成された反日的「戦後エリート」達の支配層への蔓延によって、「天皇の軽視」「天皇の権威の喪失」=国体の危機が現実のものとなっている。

最終目標は天皇の処刑

天皇陛下の御命を狙い、日本の国土、尖閣・沖縄の侵略に着々と歩を(船を)進めている中国と、その手下・韓国と北朝鮮が、連合国の「戦後レジーム」利権に乗っかって日本政府と官庁、NHKとメディアの中枢に浸透し、好き放題をやっている。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認・大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認だけが、この無礼・無法を「許さない」と、世界に宣言する効果を持つ。

もう、黙っていてはいけない。天皇陛下と日本の名誉の為に、行動を起こそう。

安倍政権は、せめて「『日本国憲法』無効論」を国民に周知し、公儀公論に付し、正しい方向へ、舵を取るべきだ。