「真・天皇機関説」と「世界倫理オンブズマン」が、「金と権力」の暴虐を許さない「至高の権威」で「通貨発行権」の私人による独占統制を永久に廃し、日本と世界の庶民を「無自覚の債務奴隷」の軛から解放する___『日本国憲法』無効確認が世界から戦争と貧困を根絶する[総合版5/5]

昭和天皇 礼装
昭和天皇

「八紘一宇」という「世界一家族主義」、「世界の庶民ファースト」「世界の諸国ローカル・ファースト」と「公平公正」「公議公論」の「真正民主主義」「国民経済優先主義」で、ロスチャイルドの詐欺・陰謀の真実を、世界の諸国民とともに検証する

ロスチャイルドは、「通貨発行権」という、誰も知らない「金と権力の統制メカニズム」を、世界の諸国の中央銀行を私有・独占・統制することによって掌握し、世界人類を国家ごと「債務奴隷」にする「戦争金融サギ」を仕掛け、国連をフロントとする「新世界秩序」と呼ばれるロスチャイルド金融帝国独裁体制を、現実の世界政治経済システムの「裏側」に構築した

「ロスチャイルド『通貨発行権』私有・独占・統制」の告発・検証・永久禁止によって、瀕死の世界経済は完全回復し、戦争・テロは根絶され、「移民問題」「南北問題[貧困・国家間格差]」「歴史問題」「憲法と民主主義の問題」………世界のあらゆる重大問題も、全て解決する

ロスチャイルド/グローバリスト金融権力に潰された、独立前のアメリカ植民地13州や江戸幕藩体制下諸藩の「政府・国民に債務の発生しない地域通貨」発行による「地産地消・循環型地域経済」の成功・繁栄に見るように、「通貨発行権」は本来、国民・地域住民のニーズと経済規模を忠実に反映する国家/地方政府によって、インフラ整備・公共事業など、国民・地域住民全体の福祉・健康・安全・快適のために行使されるべきものである。[MMT – Modern Monetary Theory 現代貨幣理論]

ところが、ロスチャイルドが設計・構築した現在の世界金融経済システムの下では、ロスチャイルドの「通貨発行権」掌握によって、世界の諸国の政府が、悉く「グローバリズム帝国主義・植民地主義経済推進」「国民貧困化・債務奴隷化」というロスチャイルドの「全世界金融経済侵略」「世界の諸国の主権侵害」の幇助者・共犯者となって、ロスチャイルド「イルミナティ」「スカル&ボーンズ」が本体のCIA/MI5・MI6/モサド、ロスチャイルドが創出した国際共産主義、民族主義、超国家主義などの過激政治運動体、ロスチャイルドの融資で統制される財界・学界・言論界とともに自国民をペテンにかけ、国連・BIS・IMFをフロントとする「新世界秩序」ねずみ講の浅ましい「中間搾取者」となり、ねずみ講ピラミッドを下方に拡大するために邁進している。


日本国民が知らないうちに日本企業の90%の大株主となっている日本銀行は、明治維新・日本銀行設立で日本経済侵略幇助[外患誘致罪]をさせて以来ロスチャイルドが「下僕」として使役する日本政府と天皇とで半々に所有した株を、ロスチャイルドGHQ『日本国憲法』第88条で天皇の私有財産を没収してからは、「政府55%、民間45%」と称しながら100%統制する、イングランド銀行、FRB、ECB、BISと同様の「ロスチャイルドの中央銀行」である。

日本銀行は、幕末維新の時、幕府側を支援していたフランス・ロスチャイルド家第4代当主アルフォンスが、フランス蔵相レオン・セーを通じて、1877年渡欧した松方正義に指示して設立させた

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日本銀行

「日本銀行はわが国唯一の中央銀行です。日本銀行は、日本銀行法によりそのあり方が定められている認可法人であり、政府機関や株式会社ではありません。」

日本銀行HP『日本銀行の概要』 https://www.boj.or.jp/about/outline/index.htm/)


ロスチャイルドGHQが「占領前の」1942年(日米戦争開戦1年後の昭和17年)に作った法律「日本銀行法」(1997年、ロスチャイルド金融連合指令による「金融ビッグバン」とともに全改正)により「認可法人」と定められた日銀は、株主名も配当金額も公表する義務を持たない「秘密組織」である。

日本は明治維新以来、「通貨発行権」をロスチャイルドに統制される、ロスチャイルドの「経済植民地」であった

55%の日銀株を保有する「政府」とは具体的に誰なのか、いくらの配当金が、いつ、誰にどのように支払われ、どのような目的に使われているかを、一切公表する義務がないと口を拭ってきた日銀と政府は、民主主義と日本国民の人権を完全に蹂躙するとともに、重大横領罪も犯している可能性がある。

明治維新・日本銀行設立が、ロスチャイルド「世界戦争金融サギ」の一環、中国経済侵略・アヘン戦争に続く日本経済侵略の幇助・外患誘致であった事実、「明治維新の志士」の系譜を継ぐ近代日本の政治権力が、悉く「革命政権融資者」ロスチャイルド国際金融連合の人事で動いてきた事実を正しく認識しない限り、「日銀は政府の子会社」という言説の欺瞞が理解できない_日本政府は日銀の「丁稚」「広報係」に過ぎない。

日銀も、FRBも、イングランド銀行も、BISも、世界の中央銀行は全て「ロスチャイルド国際金融コンツェルンの子会社」である

日本銀行設立に8年遅れて制定された大日本帝国憲法は、古来日本と世界の民を「大御宝(おおみたから)」と呼んできた「万世一系の万民の父母」「至高の権威」天皇に、立憲君主の「不裁可権・拒否大権」を与え、政体三権[立法・行政・司法]と「第4の権力」言論機関に等しく「公僕」「公器」として、国民を護り、国民のために働く義務と責任を負わせる役目を果たしていたから、戦前の日本はロスチャイルドの思うような「理想の植民地」にはならなかった。

ロスチャイルド国際連合が、「南京大虐殺・中国侵略」の誣告を根拠に、武力の強圧を背景に不法に制定した『日本国憲法』は、天皇の「政治権力のチェック機能」=「至高の権威」と「日本の独立国家主権」を無効化・有名無実化するとともに、日本国民が、日本と世界の諸国民をロスチャイルド「新世界秩序」の植民地奴隷の軛から解放し、ロスチャイルドから世界の「通貨発行権」=経済主権を奪還する「正義と誠」の源=日本精神を、完全否定・圧殺している。

日本国憲法公布原本
ロスチャイルド金融「謹製」の偽憲法『日本国憲法』

「『日本国憲法』と日米安保、国連憲章『敵国条項』の無効事実」の周知と国連脱退宣言によって、日本と世界の諸国民は「戦後レジームからの脱却」「ロスチャイルド『新世界秩序』打倒」の大義を知る

「真正民主主義」に覚醒した世界の諸国民の政府が、「至高の権威」の監視の下、「国民の中央銀行」に命じて発行する「債務の発生しない『政府通貨』」と、世界の諸国の諸地域が、地産地消の循環型経済で地域ごとの「実体経済」発展を目指して発行する「地域通貨」の両輪で、世界の諸国民が、債務や重税に苦しむことのない、誠実な努力が必ず報われる、安全で快適な社会を実現する


【PHASE 9_ロスチャイルド「マネー」イリュージョン】

戦争は、ロスチャイルド金融連合の投資銀行が国家に戦費を貸し、或いはロスチャイルドの中央銀行が政府発行の戦時国債を引き受けて政府と国民に債務を課し、税金から利息を取り、ロスチャイルド国際金融軍産複合体が国家に武器を売って儲けるために、ロスチャイルドの「人心攪乱部隊」国際共産主義者、超国家主義者とマス・メディア、ロスチャイルドの「暴力装置」CIA/MI6/モサドが起こす。

貧困は、ロスチャイルドが中央銀行の「通貨発行権」を私有/独占統制し「信用創造」のトリックを私用・悪用して国民経済を破壊する「グローバリズム帝国主義・植民地主義経済」「ねずみ講サギ」を周知せず、放置する限り、根絶できない。

戦争貧困も、日本と世界の諸国民が250年にも亘って「詐欺師/イリュージョニスト」ロスチャイルドに騙されていた、という苦い事実をはっきりと認識し、ロスチャイルド「通貨発行権・信用創造サギ」「戦争金融サギ」と「『新世界秩序』ねずみ講サギ」を告発することのみが、根絶することができる

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George Orwell

「欺瞞が蔓延する世界では、真実を告げることが革命的行為となる」In a time of universal deceit — telling the truth is a revolutionary act.___George Orwell

ジョージ・オーウェルは、『アニマル・ファーム』『1984』でロスチャイルド「新世界秩序」全体主義の世界人類総奴隷化に警鐘を鳴らした。

「経済主権」である「通貨発行権」の、私企業による行使の始まり

そもそもの経済の歴史の初めから、両替商・銀行・金融業者は、預金者のお金を勝手に「運用」する形で「コイン」「銀行券(Bank Note)」=「地金との引換証」を発行し、それを「又貸し」したうえ、「悪徳行為」としてあらゆる宗教が禁止していた「利子」をとり、「利ざや」で儲けるという詐欺行為で成り立ってきた。その「悪徳・犯罪行為」を銀行業者間で隠蔽し、「取り付け騒動」の時には融通しあうため形成した「秘密の銀行カルテル」を、トラスト化して、国家を顧客にして「格上げ」肥大化したものが、中世の英国で始まった「通貨発行権」の私有・独占・統制を可能にする「中央銀行」の正体である。

  • 1694年_英国で、「政府の財政管理」「紙幣発行」「国債市場整備」を、国王の認可を受けて行う「初の近代的中央銀行」として、「株式会社 イングランド銀行」が、ウィリアム・パターソンらによって設立される

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ウィリアム・パターソンは、「第二次百年戦争」の戦費調達に悩む英国政府に、「民間から集めた」125万ポンドを8%の利息で貸し付ける財政計画を持ち掛け、「その資金総額を上限とする[100%の地金の裏打ちのある]紙幣の発行」許可を、国王から得た。[「通貨発行権」の私企業への委任]

17世紀の英国では、30年戦争、清教徒革命、名誉革命……度重なる戦争と革命で、その財政は疲弊し、国王の正統性が揺らいで絶対王政の終焉をもたらした。

「権威」を喪失した国王が、「経世済民」の手段たるべき「通貨発行権」を、「国民への説明責任のない」私人の営利追及団体に与えた。

これが、19世紀に「新世界秩序」という新・世界植民地奴隷カーストロスチャイルド国際金融ねずみ講を形成してゆく「通貨発行権」の、私企業による私有・独占・統制システムの嚆矢であった。

「株式会社イングランド銀行」に「通貨発行権」を委任した国王は、明らかにウィリアム・パターソンら銀行家が、125万ポンドの「お金の現物」を金庫に持っていて、それを英国政府に貸している、と思い込んでいた。だから「その資金総額分の兌換紙幣の発行」に限り、許可したのだ。しかし現実には、「イングランド銀行」の金庫には75万ポンド分の地金しかなく、パターソンら銀行家は国王と国民の「貨幣に関する勘違い」を故意に訂正せず、国王と国民は、「無」から創出された125万ポンドの「債務」に対し、8%の「利子」を払わされる「ペテン」にかかった

現在、全世界の中央銀行とECB、「中央銀行の中央銀行」BISの統制権をロスチャイルド銀行に掌握されている世界は、17世紀英国王と同様のペテンにかかっている。

Money Image

ロスチャイルド中央銀行の「信用創造」サギ

「信用創造」とは、「お金(貨幣・マネー)」という、必ずしも実体を伴わない「概念上の経済ユニット」を、「無」から作り出すことである

2008年の所謂「リーマン・ショック」で、620億ドルの損失を出した保険会社AIGに対し、アメリカ合衆国の中央銀行 FRB は、2008年9月16日の850億ドルを皮切りに2009年3月までに4回の損失補填を行い、総額1600億ドルで救済した。同時期9月14日にはメリル・リンチが、9月15日には創業158年のリーマン・ブラザースが相次いで破綻していたが、「経済全体への影響が大きい」ことではAIGと全く同条件の両行は救済せず、「銀行」ですらないAIGを、FRBはなぜ救済したのか?

2009年3月15日、FRBは前代未聞の議長のオンエア・インタビュー(『60 Minutes』米国CBS)をFRB本部で行い、ベン・バーナンキFRB議長(2006年~2014年)がこの間の事情についてスコット・ペリーの質問に答えた。議長の説明は、時に矛盾に満ちており、聞くものを納得させるものではなかったが、「損失補填」の実際の説明は、「信用創造」の核心に迫っていた。


Ben Bernanke Explains

バーナンキ「沢山の人々が、[メリル・リンチとリーマン・ブラザースを]『潰してしまえ』と言いましたし、市場原理に任せるなら、それは避けられないことだということは、分かりきったことでした。リーマン・ブラザースの件で、金融危機の最中にトップクラスの国際的巨大企業を破綻させるべきではない_[連鎖的に多くの銀行が破綻してしまう]_ということが証明されたわけですが、[メリル・リンチとリーマン・ブラザースを救済しなかったこと]は「失敗」ではありませんでした。救済の術がなかったのです。仕方がありませんでした。FRBは資本を『[金融]機関 (institution)』に投下することはできないのです。私達にできることは、[AIGの場合のように]価値のある担保に対して貸し出しをすることだけです。」

バーナンキ「AIG救済は、[FRBが]この18か月間にしたことのうち私個人にとって最も腹立たしいことでした。アメリカ国民が怒るのは当然です。国民の税金が、危険なギャンブルをした会社の立て直しにつぎ込まれるのですから。全く不公平この上ない。しかし、合衆国経済全体にも影響が及びそうであったため、やむをえませんでした………。」

ペリー「[一連の損失補填には]国民の税金が使われているのですか?」

バーナンキ「いえ、国民の税金ではないのです。[中央銀行が市中銀行にお金を貸すとき、中央銀行は]ただ単にコンピューターを使って[当該市中銀行が中央銀行に持っている口座に]貸出金額を打ち込むだけです。それは、『お金の貸出』というよりむしろ『紙幣の印刷』に近いものです。

(インタビュー・英文スクリプトからの抜粋・ブログ筆者拙訳 https://www.realclearpolitics.com/articles/2009/03/bernanke_60_minutes.html)


悪徳企業 AIG の損失補填のため、FRB は1600億ドルという、米国家予算の5%にもなる巨額の「お金」を、「無」から創造して貸し付けた。[「信用創造」]

バーナンキの言うとおり、FRB が AIG に貸し付けた「お金」は、貸付[「信用創造」]の時点では「国民の税金ではない」のだ[支出の先行(「スペンディング・ファースト」)]。しかしながら、FRB – Federal Reserve Board 連邦準備理事会は、AIG への損失補填を、連邦政府の金融政策として行ったのであるから、この1600億ドルは、「連邦政府が FRB から利息付きで借りたお金」つまり、「連邦政府のFRBへの借金の利息を、米国民が連邦政府への税金で払う義務を負う『債務』」である、ということになる。

「[中央銀行である]FRB は[メリル・リンチ、リーマン・ブラザースのような]金融機関に『資本投下』できない、AIG は魅力ある担保を持っていたので貸付が可能だった」とバーナンキ FRB 議長はいうが、同じロスチャイルドの中央銀行・イングランド銀行は、やはりリーマン・ショックで破綻した「RBS – Royal Bank of Scotland」に対し、200億ポンドの損失補填をして救済し、「英国民のイングランド銀行への負債」を創出した。

Lehman Brothers Sep 15 2008

「リーマン・ショック」で破綻したとき、1850年創立のリーマン・ブラザースは世界的な金融機関であり、政府債券の引き受けも行う、ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー、メリル・リンチに次ぐ米国第4位の投資銀行であった。この4行は全てロスチャイルド系銀行であり、「リーマン・ショック」後にリーマン・ブラザース、メリル・リンチが買収されたのもバークレイズ、野村・ホールディングス(日本、香港、オーストラリア支店)とバンク・オブ・アメリカ_そうではない銀行を探すのは難しいが_これも全てロスチャイルドの統制下にある銀行・金融機関であった。要するに、1929年の世界金融大恐慌を始め、近現代のあらゆる金融恐慌がそうであったように、「リーマン・ショック」もまた、ロスチャイルド「通貨発行権力」が仕組んだ、世界の諸国民に債務を負わせながら行う「ロスチャイルド財閥拡張再編」にすぎなかった。

ワーテルローの戦いとロスチャイルドのイングランド銀行支配

ナポレオン戦争を、イングランド銀行をも上回る額で両面融資し、短期間でヨーロッパ各地の戦場の軍隊に直接金塊を届ける能力のあったロスチャイルド5人兄弟の金融・情報・運輸ネットワークは、1815年6月18日のワーテルローの戦いの帰結__ウェリントン将軍の英蘭普連合軍の勝利__を、ウェリントンその人のメッセンジャーがロンドンに到達するよりも24時間も早く、知ることができた。

NM Rothschild

「金融王」としてのし上がりつつあるロンドン・ロスチャイルド家のネイサンが、その日、浮かない顔で英国債を「売り」に出しているのを見たロンドン証券取引所の投資家たちは、「ウェリントン敗北」と信じ込み、我先に英国債をたたき売る。当然、英国債は暴落。紙くず同然になった英国債を、ネイサンは秘密の代理人を使って大量に買い漁った。その翌日、「ウェリントン勝利」の報が伝わると、英国債は反転暴騰。ネイサン・ロスチャイルドに約100万ポンドの利益をもたらし、その1日の儲けだけで財産が2500倍にも膨らんだ。

ロスチャイルドは、国債市場を操作し、国家予算級の巨利を得て、イングランド銀行とロンドン証券取引所_国際金融の中心地「ザ・シティ」そのもの_の支配権を確立した。

「ワーテルローの戦いの、本当の勝利者はロスチャイルドであった」と、ヨーロッパの人々は語り継いだ。


「UK には『金融財政[決定権]finance 』がありません。「ザ・シティ」が持っているのです。そして、「シティ」は UK の一部分ですらありません。衝撃的な事実です。EU には民主的選挙がありますが、シティにはないので、EU の一部でもありません。シティ独自の選挙で票を投じるのは、シティの銀行家達ですから。英国女王は、[ロンドン市長とは別人である]シティ・オブ・ロンドンの市長の許可なしにシティに立ち入ることもできません。女王は「シティ」の主権者ではないからです。」 ”The U.K. does not have ‘finance’_ The City of London has. And [The City] is not  part of U.K._ [it] is outside of the [U.K.].It’s really shocking. It is not part of EU [either] because [if it is] you have to have democratic elections and The City doesn’t. It’s the banks [in the City] who have the vote [for the City’s own election]. The Queen cannot enter [The City] without [The Lord Mayer of The City’s] permission. She is not its sovereign.” _『円の支配者』著者リチャード・ヴェルナー


UK 政府から独立した金融経済政策決定機関である「シティ」の支配者となったロスチャイルドは、政府への大きな影響力を発揮し、1844年、「通貨発行権」をイングランド銀行に独占集中させる「ピール条例」を可決・施行させる。

「通貨発行権」を持つものは、通貨の発行量・流通量及び金利を決定し、通貨の価値を左右し、融資=「信用創造」に方向性を与えることによって全ての産業・商業の盛衰を恣意的に操ることができる

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「『神の』見えざる手」?

近現代の国債証券株式取引市場は、「アーキテクト(システム設計者)」であるロスチャイルドら金融テクノクラートによって、まるで「[神の]見えざる手」が起こす「自然現象」であるかのように、巧みに操作される___それがアダム・スミス『国富論』の「見えざる手」の本当の意味である。

ロスチャイルドの世界金融大恐慌惹起と金為替本位制操作 

1929年の世界金融大恐慌も、ロスチャイルドの私企業 FRB による株式市場操作、緊縮政策と国際金本位制操作によって惹起・拡大され、世界各国がロスチャイルド「世界戦争金融サギ」のプロットに沿って翻弄された。


《金本位制と国際的不況》「[………]第一次世界大戦の間は停止されていた国際金本位制が、綿密な計画の下、1920年代に金為替本位制』という『改造版』となって再設置された」

『国際金本位制』に則る国家間では、原理原則として、固定為替レートを維持することが要求された。更に、恐慌当時、国際金本位制国家群において、米国経済が(フランスの競合はあったものの)覇権的であったため、追従する国々は、米国と同様の通貨発行量緊縮・デフレに合わせることを強制された」

《The Gold Standard and the International Depression》
「[The] international gold standard, which had been suspended during World War I, was laboriously rebuilt during the 1920s (in a somewhat modified form called the gold-exchange standard). Countries that adhered to the international gold standard were essentially required to maintain a fixed exchange rate with other gold-standard countries. Moreover, because the United States was the dominant economy on the gold standard during this period (with some competition from France), countries adhering to the gold standard were forced to match the contractionary monetary policies and price deflation being experienced in the United States.」

Remarks by Governor Ben Bernanke, At the Conference Honor Milton Friedman, University of Chicago, Chicago, Illinois, November 8, 2002, On Milton Friedman’s Ninetieth Birthdayhttps://www.federalreserve.gov/BOARDDOCS/SPEECHES/2002/20021108/ )


いつの間にか「金『為替』本位制」にすり替わって、実質「米ドル本位制」の性格を持った金本位制を、「金融アーキテクト」ロスチャイルドは、宗主国が植民地に課する不平等条約のように利用し、その「ON/OFF」のタイミングを指示・強制することによって、どの国がいつ恐慌から回復するか、いつまで恐慌のダメージを引きずるかを、コントロールしていた。

【PHASE 10_ロスチャイルド金融連合の対日包囲網_世界金融大恐慌の嵐のただ中で「日露戦争債」を「満州事変・支那事変/『太平洋戦争』債」に借り換えさせた「戦争金融サギ」】

高橋是清
日露戦争以来のロスチャイルド金融担当_高橋是清

日本は、高橋是清の卓抜した「プレ・ケインズ的積極経済」「リフレ政策(当時はインフレ政策と呼ばれた)」のおかげで、世界金融大恐慌からの「早期回復」に成功したことになっているが、その実、ロスチャイルド金融権力の「金本位制コントロール」下の非白人国=「経済植民地」として、「満州・中国侵略」の冤罪を着せられたうえ、散々に搾取されつくしてロスチャイルドへの借金を増やした、というのが現実に起こったことの真相であった。


以下に、富田俊基『1930年代における国債の日銀引き受け』を基に、ロスチャイルド国際金融連合の「金本位制サギ」のカラクリを俯瞰する。

  • 1917年9月_他の「金本位制『条約』締結国」同様、日本が金輸出禁止[金本位制停止]
  • 1930年1月_金輸出解禁[金本位制再開]_同時に、1928年開設の野村證券ニューヨーク出張所で、6.5%利付公債の日本本店買い注文が10万ドル単位で連日殺到
  • 1930年2月_選挙で「金解禁で景気回復」「緊縮財政」を謳った浜口雄幸の民政党が躍進
  • 1930年5月_日本政府が、償還期限の迫った第2回4%利付英ポンド建て公債[1905年11月発行の「日露戦争債」]を、5.5%利付(クーポン・レート。複利計算では6.2%)60年公債_米ドル建て7100万ドル、英ポンド建て1250万ポンド、合計2億6,440万円_に借り換え[1924年2月の、クーン・ローブに替わって日本の国債引き受けとなった米ロスチャイルド代理人 J・P・モルガンへの6.5%利付米ドル建て公債 1億5000万ドル(約3億円)及び6%利付英ポンド建て公債 2500万ポンド(約2億4400万円)合計5億4,500万円(手数料を引くと手取りは 86%の 4億6,600万円)の「関東大震災公債(正式名称は震災善後処理公債)」に続く、「第2の国辱公債」

「この借り換えを円滑に行うことも、金解禁を実施した有力な要因の一つとされている」

  • 1931年9月18日_柳条湖事件[ロスチャイルド国際共産主義コミンテルンの策動による「満州事変」勃発]
  • 1931年9月20日_英国が金本位制離脱[「満州事変」で、ロンドンの日本国債に大きなリスク・プレミアムが課される_英貨日本国債暴落]

野党政友会が、「民政党の金解禁不況」を批判

  • 1931年12月11日_若槻内閣総辞職[幣原喜重郎「平和外交」とワンセットの「国際均衡優先」の井上財政に幕]
  • 1931年12月12日_犬養毅政友会内閣成立[翌13日日曜日に金輸出禁止閣議決定]

「高橋積極財政期」_管理通貨制度への移行[戦争統制経済]

  • 1932年11月_国債の日銀引き受け開始[日銀による「戦争準備」国債の市中売却は数年の間順調に運ぶが、1935年下期に変調_国債減額=軍事費削減が軍部の反発招く
  • 1936年_「反ユダヤ金融」がらみの「2.26事件」で高橋是清、殺害さる[この直後に公定歩合引き上げ_3.5%利付公債、再び順調に市中消化始まる]
  • 1937年7月7日_再びコミンテルンの策動により盧溝橋事件_支那事変勃発[コミンテルン近衛文麿が、ロスチャイルド代理人「スカル&ボーンズ」毛沢東の計画通り、「国民党政府を対手とせず」声明発表などにより日中戦争泥沼化を策謀_「戦時体制・大政翼賛経済」に突入]

「[………]国債消化策も強化され、経済規模を上回る国債が「順調に」消化されていった資本移動規制によって鎖国した日本経済に国債を詰め込んだのである」

「規制された国内の国債市場では、終戦に至るまで金利は低位安定を保ち、大量の国債が消化された。しかし、ロンドン市場でのポンド建て日本国債の金利は、すでに1931年9月以降の満州事変で大きく上昇を始めた。すでにわが国の敗戦とその後のインフレを予想していたかのようである

(『1930年代における国債の日銀引き受け』富田俊基 『知的資産創造』2005年7月号 )


「9.11」のわずか数日前に、「ハイジャックされ、ワールド・トレード・センター・ビルやペンタゴンに激突した」せいで「9.11」後に暴落したユナイテッド航空やアメリカン航空等の株が、異常に大量に「プット・オプション」で買われていたという事実があるが、「満州事変」前の日本国債にも、同様のことが起こっていた

また、ロスチャイルド金融権力は、「満州事変が起こる前に」、英ポンド建て「日露戦争債」を、「関東大震災公債」のように英ポンド/米ドル・マルチ外貨建ての「満州事変・支那事変債、『太平洋戦争』債」として高利で借り換えさせ、明治維新以来、ロスチャイルド極東連合の「経済植民地」であった日本の「宋主権」を、「これから起こさせる日米戦争『太平洋戦争』」で、「最初から決定済みの敗戦」の後、表向き米国に移譲するための「変換装置」とした。

国民から隠蔽されている、今も続いているロスチャイルドGHQの「日本占領」の真実

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GHQ 司令部として接収された第一生命ビル

占領軍 GHQ の本当の支配者はマッカーサーではなく、「経済植民地日本の新しい『総督』」米ロスチャイルド連合の投資銀行/武器商ディロン・リード、「宗主」ロスチャイルドとその代理人 J・P・モルガン、そして「統治執行官」ロスチャイルド「スカル&ボーンズ」CIAであった

  • クラレンス・ダグラス・ディロンディロン・リード会長米国務省副長官「砂川裁判・最高裁『米軍基地合憲判決』」の黒幕1960-1962 GATT「ディロン・ラウンド」責任者JFK の軍事政策顧問としてベトナム戦争を強硬推進
  • ジェイムズ・フォレスタルディロン・リード社長、米国防省長官SWNCC 三人委員会の一人「ポツダム宣言」「日米安保」起草者)
  • ウィリアム・ドレイパーディロン・リード副社長、米戦争省副長官GHQの実質的政策決定者「日米安保」起草者
  • L・E・バンカー元モルガンGHQ/SCAP副官
  • ヘンリー・スティムソン「スカル&ボーンズ」OSS(後のCIA)創設者の一人、SWNCC 三人委員会の一人、1929~1933年国務長官、1940年に陸軍長官「スティムソン・ドクトリン」「ポツダム宣言」起草者
  • ジョゼフ・ドッジGHQ経済部顧問ドレイパーの「盟友」「ドッジ・ライン」起草者、「池田ミッション」
  • コーデル・ハル(1980年代にディロン・リード顧問、日米開戦時の「ハル・ノート」起草〈実質起草者はコミンテルン・スパイのウィリアム・デクスター・ホワイト〉1944年まで米国務省長官ジェイコブ・シフの親戚「国連憲章」起草者
  • ジョゼフ・グルー(元駐日大使、ACJ「American Council on Japan 米対日評議会」ジョン・モルガンの従兄弟でモルガン・グレンフェル代理人妻アリスは「黒船」ペリー提督の兄オリバーのひ孫=ロスチャイルドの親戚
  • ハリー・F・カーンCIAACJ 対日評議会「自称」創設者、『Newsweek』外信部長、岸信介ら日本政府要人の「監視役」ロスチャイルドの「フランクフルト・ゲットーからの血盟」カーン一族
  • コンプトン・パッケナム(日本生まれのコミンテルン・スパイACJ 対日評議会、『Newsweek』東京特派員、岸信介の英語教師/選挙工作員
  • ジェイムズ・リー・カウフマンディロン・リード債権執行代理人/弁護士ACJ 対日評議会GHQ批判「カウフマン報告」を『Newsweek』に掲載、元東京大学教授)
  • ジョン・フォスター・ダレス米国務長官顧問対日講和条約交渉団代表国連憲章原案起草者弟アレン・ダレスは「JFK に首にされ『JFK暗殺を共謀』したCIA長官 1953-1961」ロバート・ランシングは叔父妻がデイヴィッド・ロックフェラーの従姉妹
  • アヴェレル・ハリマンACJ 「Allied Council on Japan 連合国対日理事会」[極東委員会の出先機関]設置者、元駐ソ連大使、『Newsweek』大株主、満州の鉄道利権を狙う米国鉄道王、クーン・ローブが「財務管理」

ACJ 連合国対日理事会会員:

  • ロックフェラーのスタンダード・オイル
  • 戦後の原発政策に関わってくるモルガン系GEウェスティング・ハウスなどの経営者
  • ロスチャイルドのFirst National Bankのジョン・L・カーティス 等

日本の「真珠湾の卑怯撃ち」以前から、「天皇制の温存」など「戦後の日本占領政策」の要諦はグルー、スティムソンらによって話し合われていた

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1920年代・30年代からヒトラー・ナチスの外債の3分の2、ソ連と日本の公債引受人となっていたディロン・リードは、連合国占領軍の「経済総司令官」としてドイツと日本に乗り込み、「経済基地植民地」として来る「東西冷戦」の東と西の最前線・橋頭堡として両国を最も効率的・最大限に搾取できるよう、中央銀行法[日銀法]、金融業法などを施行・改正させ、GHQ内「ニューディーラー」達の反トラスト_財閥解体[集中排除、「民主化・非軍事化」]をマッカーサーの頭越しに換骨奪胎させて事実上中止させ、日本財閥の米ロスチャイルド連合への吸収再編成を行った

明治維新で勃興したロスチャイルドの日本財閥・三菱を中心に、日本銀行の核となった三井、住友などが米国ロスチャイルド金融連合に完全に組み込まれた


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以下に、『渡辺武日記 対占領軍交渉秘録 大蔵省財政史室編』に基づき、ディロン・リードによる「日本経済占領」の要諦を俯瞰する。

「占領下日本の経済政策についての立案者の中心人物は、おそらくドレイパー将軍であったと思われる。」(p. 683 「著者の回想」)

  • 1947年8月21日_ディロン・リードの「非公式」代理人ジェイムズ・リー・カウフマンが首相官邸にて来栖大蔵大臣(ディロン・リード役員としてのドレイパーと、13年来の旧知の仲)、池田隼人次長、櫛田理財局長、長沼弘毅管理局長、日銀加納理事、山本弁護士、渡辺武大蔵省終戦連絡部長と会談

「敗戦国日本」への、GHQの本体であるロスチャイルド連合ディロン・リードの、「対日債権行使[借金取り立て]の方針」が、ここに発せられる

「(K)ヂロン・リード[原文ママ]として今直に厳格な態度で外債問題の処理を迫る考はない。ただ戦時中に行はれた事に付て知りたがって居る。自分は外債処理法を見たが担保権の消滅が債権者としては大問題なり。」(1947年8月21日、p. 112)

戦時中の戦時統制経済体制下、政府の設備命令、生産命令などによって生じた民間の負担を政府が統合して補償することになっていた。ディロン・リードGHQは、その900億円にも上る政府債務補償の打ち切りを命令し、民間の補償請求額に対し100%の課税を要求した。

日本を、自ら起こした戦争に引きずり込んだ張本人が、「戦争は引き合わないものだ、戦争に協力したものが補償を受けることは認められない」という恥知らずな偽善を振りかざしたうえに、事実上日本に主権を放棄させた『日本国憲法』と「日米安保_講和後の米軍『占領』継続」と同様に、これを「[GHQの]命令としてではなく、日本政府の発意に基づく措置として実行しろと迫った」(p. 677「著者の回想」)のだった。

[1947年8月25日、(1)(2)省略](3)債務者は政府より旧債務者の承継人に戻すこと。(4)担保権回復の申請は、bondholder[ディロン・リード]より Fiscal Agent[以下 F. A.、ロスチャイルド]に請求して F. A. をして為さしめ若し F. A. が躊躇するにおいては bondholder より直接為すこと」(p. 114、カウフマンが栗栖蔵相と渡辺に申し渡す)

ディロン・リードは、「新規公債発行/引受人選定は必ずディロン・リードを通せ」と命令して、日本に『経済主権・管財権』がないことを強調した

「new loan はしかるべく Dillon, Reed [原文ママ、Read が正しい綴り]あたりへ連絡すべし」(1947年8月29日、カウフマン第4回会談におけるカウフマンの発言 p. 118)

ロスチャイルド金融連合は、極左「ニューディーラー」のウェルシュやケーディスが、日本の財閥徹底解体・廃止を目指して立案した「集中排除法」を、ロスチャイルド NCB「ナショナル・シティ・バンク」支配人チェンバレン(私人)へのドレイパーからの電報による直接指示によって、財閥解体の「肝」である金融業・保険業への適用を除外させて完全に換骨奪胎し、事実上「財閥解体中止」、カウフマンが「独占禁止法」から外国企業への適用除外をウェルシュに言明したうえ、『極東委員会指令230号』に見られるようなGHQの「行き過ぎた社会主義思想」を批判した所謂「カウフマン報告」を米『Newsweek』1947年12月1日号に掲載して「悪しき GHQ 極左政策から日本を護った善き GHQ(ディロン・リード)」というストーリーで「迫りくる国際共産主義の脅威」を演出して見せ、日本と米国の国民をたばかった。[ロスチャイルド「スカル&ボーンズ」が常套とするヘーゲル弁証法「止揚」効果]

[集中排除法]の問題は完全に high level の政治的問題なるを以て、Welsh, Kades 等の[職権的に低い]level の言動に左右されてはならない。自分はこの問題に付ては正式の意見を述べる唯一の qualify された人間は Marquat[ESS 局長]であるから、栗栖氏が Marquat を訪問して率直に意見を聞き、どの程度のことは必要かといふことをはっきりさせて片山総理に報告すべきである[と思う]。下僚の意見は狭い見地から申して居ること故とりあふ必要なし。」バンカー SCAP 副官が1947年11月21日の面会時に渡辺に。p. 149)

ディロン・リードは、日銀を「FRB『連邦準備制度』方式の株式会社」にするつもりだった

[1948年8月9日、マッカーサーからワシントン打電、8月17日に日本側内示の『金融業法』案によると]大蔵省から通貨及び信用政策等の監督権限を切り離して、別個の行政委員会を作って、これが紙幣の印刷、為替管理、保険会社、預金部、農林中金等を所管することになっていた。また、日銀は株式会社とし、その議決は日本の銀行が一行1票をもって行なうというようなものであった。」(p. 678「著者の回想」)

国民が選挙した国会議員の内閣が主導する行政実務機関・大蔵省から「金融経済政策決定権」を切り離し、「国民への説明責任を持たない民間法人=私人」たる中央銀行の政策委員会に委ねること、しかもその事実を国民から隠蔽することは、民主主義の蹂躙を意味している。そして、『日本国憲法』で主権を喪失した「敗戦奴隷」日本には、それに抵抗する権利は何も与えられていなかった。

[1948年9月1日、このGHQ『金融業法』案について、GHQとの定例会見で、北村蔵相は]政治と経済政策を分離することは政党政治の建前上問題ありといふ。Marquat は経済の安定が第一で政治を弄ぶのはそのあとの問題なりとし、内閣更迭毎に通貨政策が変わるのはこまる。対日援助が不要ならば別であるが必要といふならこの方針をとり入れてほしい[………]といふ。」(p. 259)

ロスチャイルド/ディロン・リードGHQは、「日本国民の命が惜しければ言うとおりにしろ」と脅迫して、「民間=私人」であるロスチャイルド・コンツェルン金融テクノクラートの日銀「通貨発行権」統制支配を、まんまと「法制化」した

[ディロン・リード代理人であるドッジは]金融業法は出さないこととし、その代わりに日銀を改組して政策委員会というものを作るという決定を下した。」( 1949年4月25日、ドッジを単独で尋ねた渡辺に、ドッジが口頭で。p. 686 「著者の回想」)


日本銀行政策委員会は、日本銀行の公定歩合の決定などを行う最高意思決定機関。

第二次世界大戦以前の日本銀行には政策委員会はなかったが、ジョゼフ・ドッジ来日後の1949年6月にGHQによる役員会(ボード)の「民主化」の意向から、日本銀行法の一部改正によって政策委員会が設置された

(日本銀行政策委員会 wikipedia )


  • 1946年4月30日、8月16日_ディロン・リードGHQは、米国の中央銀行 FRB ‐ Federal Reserve Board「連邦準備理事会」を模した日銀政策委員会とともに、ロスチャイルド金融連合の「上意」を日本政府に「下達」する金融経済政策立案機関として、ロスチャイルド人事で構成される経済同友会、経団連を設立[日本商工会議所とともに「経済三団体」と呼ばれる]
経済 大塚万丈 経済同友会
経済同友会 大塚万丈著

〈経済同友会、経団連が日本政府に「下達」した戦後日本の金融政策〉

  • 貿易自由化__グローバリズム帝国主義経済
  • 国際協調__ロスチャイルド「新世界秩序」国連への隷従
  • [日本政府の頭越しの、外国要人との]民間外交
  • 国鉄・農協・郵便局など「国営会社」の民営化__[国民の生活に直接かかわる公共サービスを営利目的化、ロスチャイルド国際金融軍産複合体の統制下におく=国民のライフ・ライン握る
  • [国民経済を保護する]規制の緩和・撤廃__[ロスチャイルド国際金融軍産複合体・グローバル企業の参入を容易にし、結果、国民経済破壊
  • 行政改革_中央省庁再編・[金融]構造改革_道州制__FRB 型「金融準備制度」への移行
  • 税制・財政・社会保障制度・労働市場改革__消費税16%、外国人労働者受け入れ
  • 日中関係改善__「南京大虐殺」「中国侵略」「慰安婦性奴隷強制連行」の誣告・再確認で日本人の名誉と尊厳を踏みつけにしながらの対中国ビジネス拡大
  • 株主権の尊重__[日本銀行を通して上場企業の4割、日本全体で90%の企業の大株主であるロスチャイルドの権利が、日本国民の「幸福追求権」よりも優先?]

創出された不況、朝鮮戦争勃発と「国連軍のフリをした米軍の日本占領継続」の正当化

  • 1948年3月23日_ドレイパーが「ジョンストン使節団」と二度目の来日
  • 1948年6月_昭和電工疑獄がもとで芦田均内閣崩壊、「GHQ/GSの山崎巌内閣の策動を排して、第二次吉田茂内閣が[ニューディーラー]GHQの白眼視のなかで成立」(p. 698)
  • 1948年10月9日_米国家安全保障会議決定「NSC 13/2」により対日方針転換[民主化・非軍事化・財閥解体 → 経済復興・財閥解体中止/再編成]
  • 1948年12月_ドレイパー、「経済安定の9原則」をGHQ/SCAPに指示[「マッカーサーの9原則」として出される]
  • 1949年2月1日_ドレイパー、盟友ドッジを日本に送り込み、「経済安定政策」を取らせる[ドッジ・ライン]

古典的な自由主義経済理念の信奉者であったドレイパーが、その信頼する盟友ドッジに行わせた「強烈な経済安定政策」とは、グローバリズム帝国主義・植民地主義経済の定石「非インフレ=デフレ政策」「緊縮財政」「国内消費抑制」「輸出振興」であり、台風対策費68億、学校投資5億、農業振興費5億など公共事業費が25億円削減された。日本はこの「ドッジ予算」によって、深刻なデフレに見舞われることになる。

英国ロスチャイルドが日本外債の fiscal agent となることに付希望申出あり。[米国務省北東アジア局長]Allison とも相談の結果まだ日本側が相手方に agent として依頼する立場にない旨申入れることに打合。」(1949年11月2日、p. 402)

  • 1949年11月16日_「[………]近くDraper が来朝[………]Dillon Reed[原文ママ]の人として」(p. 417)
  • 1949年12月28日_渡辺武、アメリカ政府のガリオア資金による日本の指導者招待計画の第一陣として一行10人ほどで渡米。[目的①吉田首相らの紹介状を持参しての金融機関との「個人的コンタクト」作り、②世銀、IMFと接触、GATT、IMFへの加盟の可能性調査、③戦後大蔵省の海外財務執行の体制構築_渡辺は初の「国内」財務官に就任]
  • 1950年1月26日・2月3日_渡辺武、NYクーン・ローブ商会で会長ジョン・M・シフ、サー・ウィリアム・ワイズマンに会う
  • 1950年3月1日_渡辺武、ペンタゴンでクーン・ローブのディクソンと会う
  • 1950年5月_吉田茂は、側近・池田隼人大蔵大臣を米国務省へ派遣し、GHQ経済顧問ジョゼフ・ドッジに秘密裡に「占領終了後の米軍駐留の継続を、日本が自ら積極的に希望すること、それを約した条約ないし協定の密約、『日本国憲法』に違反しないようなやり方の研究」について「吉田が提案」した「私信」を手交させた[池田ミッション]

「国連は私が創った」と豪語した男ジョン・フォスター・ダレスのCIA/コミンテルン/日本大蔵省との朝鮮戦争直前秘密会談「戦後日本『基地植民地』統治計画」

Senator_John_Foster_Dulles_(R-NY)
ジョン・フォスター・ダレス上院議員

「[1950年6月22日_朝鮮戦争勃発の3日前]夜、Newsweek の Harry Kern の斡旋で Packenham の家で昨日来日した Dulles [J. F.]国務長官顧問と夕食を共にして、7:30から10:30に亘る三時間色々と日本の平和条約問題等について懇談した。[外務省]沢田廉三、[宮内庁]松平康昌、国警の海原〔治〕氏同席、又 Allison 東北アジヤ局長も同席した。」(p. 517ーp. 520)

[中略]

「(Kern)日本に軍事基地を置くとしてどちらから切り出すべきものと思ふか。」

「(W)アメリカ及日本の世論を考へると日本から申出る形をとることがしかるべしと思ふ。」

「(K)吉田首相は反対のやうである。」

「(D)アメリカとしては仮に日本の工業を全部破壊して撤退して了ってもよいわけだ。日本は完全に平和となる。しかし日本人はうえ死にするかもしれない。自分は日本がロシヤにつくかアメリカにつくかは日本自体で決定すべきものと思ふ。」

[中略]

「(D)[………]日本はいつ経済的に自立すると考へるか。」

「(W)計画上は1952-53で balance するといふが、その為には必しも実現し得るか否か不明の事を前提としなければならない。船、銀行保険等の貿易外収入が戦前日本の貿易上の unbalance をうめていたが、今はこれがない。ただ仮に占領費または[講和後の米軍]軍事基地に対して日本が行ふ service 及物資を弗[ドル]で払ふならば[米国からの]援助費なしでもやってゆける勘定になるかもしれない。尚一時バランスがとれても人口が1967年には1億になるといはれて居り、将来に付ては不安がある。

「(D)支那以外の地域との貿易でやってゆけると考へるか。」

「(W)アメリカの日本に対する直接援助がなくとも未開発地開発等の計画によって支那以外の地域が日本から物資を買付ける力が養はれれば可能であらう。」

[中略]

「(W)自分はアメリカとそれ以外の地域の貿易は上手な人とポーカーをやっているやうなもので、すべてのチップが一人にあつまりそれを再配分しないとゲームがつづけられないやうなものだと思ふ。」

[中略]

「(K)今若し日本が平和条約を持たないことになったら日本人はどう思うだらう。」

「(D)自分は平和条約がないといふのではないが、仮定的な質問としてこんどわれわれ[講和条約交渉団]が来たが何等かの理由で平和条約が出来なかったとすればどう感ずるだらうか。その場合勿論ある程度の sugar-coating が必要であらうが。」

「(W)失望するに違ひない。しかし前途に平和の希望を持たせ且その sugar-coating が例へば司令部は軍事的占領に止め行政面は少くとも表面上は日本政府に単に少数の人が advice を与へる形をとるならば、今よりそれほど悪くならないであらう。」

(以上、『渡辺武日記 対占領軍交渉秘録 大蔵省財政史室編』からの抜粋引用、要約終わり)


この、CIA カーンの斡旋による、コミンテルン・パッケナムの自宅での「秘密会見」に集ったNY ロスチャイルド銀行連合の大物弁護士で『国連憲章』作成者ダレスと、大蔵省で元子爵・渡辺の「判じ物」的な会話は、すでに計画され、決定済みの事柄_即ち、ロスチャイルド金融連合が国際連盟結成の時から予定していた侵略国・日本の第二次世界大戦での完全敗戦→無条件降伏→完全占領→「不戦の誓い」で交戦権否定・戦力不保持=主権放棄の『日本国憲法』制定→「思いもよらない」朝鮮戦争勃発=「東西冷戦」の開始による「再軍備」必須『日本国憲法』の平和主義を「礼賛」する日本国民の「積極的な希望により」、「国連軍」を騙った米軍の日本永久占領=日本完全基地植民地化」のシナリオ通りに事が進んでいることの「確認」が為された、と考えれば完璧に辻褄が合う。ダレスはこの「秘密会見」の直前に北朝鮮の「前線」を訪れており、ペンタゴン→スターリン→金日成の順で出された指令により3日後6月25日に「北朝鮮の『サプライズ・アタック』により朝鮮戦争が勃発」することが決定済みであった。吉田茂・池田隼人→ドッジ(ドレイパー)の「池田ミッション」によって「日本からの米軍駐留リクエスト」の件も織り込み済み………。

しかし、多くの日本国民は、占領軍GHQ の横暴に爆発寸前であった。100万人の無辜の日本国民が、原爆投下・全国焼夷弾爆撃で命を奪われ、さらに多くの人々が負傷した上に家を焼かれて、8,000万人が焼け野原で餓死寸前になった。「南京大虐殺」「中国侵略」の誣告がロスチャイルド国際連合によって為され、偽裁判「東京裁判」他の連合国軍事裁判のその誣告によって、1,000人もの台湾人・朝鮮人を含む無実の日本軍将兵が死刑になった。「日本軍国主義」の誣告を根拠にした「公職追放」で20万人が職を失い、その家族100万人が路頭に迷った。ロスチャイルドGHQ の検閲・洗脳で、「敗戦国・日本」の国民は「多くの国民が、その事実をまだ鮮明に覚えていた。

60%の日本人は、実は「早期講和で主権『完全』回復=占領軍撤退=自前の『再軍備』」を望んでいた。「平和の『日本国憲法』万歳」の声を期待して自ら行ったその世論調査結果を、吉田茂は握りつぶした。

サンフランシスコ講和条約
サンフランシスコ講和条約に署名する吉田茂

「サンフランシスコ講和条約」は、日本国民の「主権回復への渇望」をなだめる「おためごかし」として締結された「空文」であった

日本に主権を「放棄」させた『日本国憲法』は、その「無効事実」を国民から隠蔽されたままロスチャイルドの下僕・日本政府によって護持され、新たに「日本全土基地化・日本全土治外法権化・自衛隊の米軍統一指揮権」という「完全植民地化条項」を持つ「日米地位協定」を結ぶための「もう一つの空文」、対等な独立主権国同士の「同盟」ではない=米国が一方的に日本の国土と日本の軍隊を米軍基地・米軍の属軍として利用するためだけの「日米安保条約」が結ばれ、日本の「基地経済植民地化」が固定された。[「昭和維新」

「[米軍]法務局は日本を、米軍が『治外法権の地位』を保持することが必要な『恐らくは “野蛮な法律と監獄を持った未開の国家″』として扱うことを主張している」____米国務省北東アジア局長ジョン・アリソンからウィリアム・シーボルトGHQ外交局長への覚書、1951年4月2日(FRUS Ⅵ)

「[朝鮮戦争の勃発が、アメリカが憎悪し、全く信用することのできない「かつての」敵国・日本を「再軍備」させ、「同盟国」にしなければならないというジレンマに、アメリカを陥らせたが]そのジレンマをアメリカは、日本を『恒久的な軍事的従属』のもとにおく米日の軍事同盟を構築することによって解決した。事実、占領終結時に両国が結んだ旧安保条約は、第2次世界大戦後アメリカが各国と結んだ条約や協定のなかで、もっとも不平等なものだった________ジョン・ダワー『War Without Mercy』(邦題:容赦なき戦争)1986年

更に、日本を「同盟国」ではなく「監視対象」として規定する国連憲章「敵国条項」が、世界の諸国に向けて「日本=侵略国」の誣告を「真実」と宣伝していた。

「敵国条項」は、1995年に大多数の賛成票をもって「死文化」決議がなされたが、決議をもって「一件落着」の印象だけを日本と世界に与えただけで、その実いまだ批准されず、国連憲章からの削除は成立していない。日本政府も、日本国の名誉回復のための一切の努力をしていない。そもそも、「死文化」とは、「日本が侵略したのは本当だが、そろそろ許してやる」といった体のもので、無意味なばかりか、更なる侮辱でしかない。本当になされなければならないのは、「南京大虐殺」「中国侵略」「慰安婦=性奴隷・徴用工の強制連行」が連合国/国連の日本に対する誣告、名誉毀損というれっきとした犯罪であること、東京裁判以来70余年、反証の機会も与えられずに侮辱・面罵され続けてきた日本国民への、重篤な人権侵害であることの全世界の諸国民への証明・周知である。「陰謀家・サギ師」ロスチャイルドが作らせた国際法には「誣告罪」「名誉棄損罪」は当然ないが、東京裁判の「遡及法」が「巨悪の断罪のため」許された事に鑑み、日本に告発の機会は与えられるべきであるし、そもそも金融マフィアのロスチャイルド国際連合の作った法律・条約に従わねばならない筋合いはない。

「堂々と親米一途に徹すべく」「カネのかかる軍備はアメリカにやってもらう(笑)」と、秘密の「昭和維新」を成し遂げた「ロスチャイルドの丁稚」吉田茂は、チャーチルぶって葉巻を吸いながら、うそぶいていた。

【PHASE 11_ロスチャイルド金融連合の日本金融経済侵略_倒幕・明治維新から「昭和維新」「平成維新」「令和維新」へ】

1814年、東インド会社の利権継承からアヘン戦争を経て、日本に到達したロスチャイルドのアジア・アフリカ・南北アメリカ_第三世界支配は、「麻薬・奴隷・鉄道」がその「三種の神器」であった。ロスチャイルドが中国で統合したアヘン戦争利得者 WASP が「スカル&ボーンズ」を結成して米国政財界を取り仕切った。ナポリ・ロスチャイルド家の非嫡出子オーガスト・ベルモントが、ロスチャイルドが起こした「1837年の金融パニック」のさなかにロスチャイルド代理人として「南米麻薬・奴隷利権金融統合」のため渡米、米国フリーメーソンの大立者ペリーの娘と結婚して日本への「黒船砲艦外交」を実現させ、義理の伯父である民主党の大立者ジョン・スリデルの引き立てで民主党全国議会議長となり、ロスチャイルドの「アメリカ合衆国南北分断」「新奴隷制度への移行」のための南北戦争で政治的に活躍した。

フランクフルトのゲットーから身を起こし、神聖ローマ帝国ヘッセン公の宮廷御用達両替商となり、ヘッセン人傭兵斡旋業でヨーロッパ随一の資産家であったウィルヘルム9世の財産運用のおかげで「金融王」にのしあがったロスチャイルドは、「世界一の金持ち」になるのが最終目標ではなかった。

「世界総金融帝国植民地化」「世界人類総債務奴隷化」_ロスチャイルドはその最終目標を、全世界の諸国の中央銀行を私有・独占・統制して全世界の諸国の政府を支配下に置き、全世界人類の「賃金・食糧・水・エネルギーなどの『ライフ・ライン』」を統制することで達成した


『Forbes』富豪リスト上位42人は、世界人口の半分に当たる所得額最低位37億人とほぼ同じ額の資産を所有している。2017年6月までの1年間で、その37億人が全く資産を増やしていないにも拘らず、世界人口の1%の富裕層はその資産を株価の上昇などによって84兆円増やした。それは、1日1.9ドル未満で暮らす絶対的貧困をなくすのに必要な額の7倍である

昨年度の統計では、所得額最低位37億人とほぼ同額の資産を有する者の数は64人であった。(つまり、所得の格差は年々加速度的に拡大している)

ほんの数年後には、世界全人口の1%が、99%の合計と同額の資産を持つようになると予測される

____2018年1月22日 Oxfam Report, World Economic Forum, Davos


Amazon のベゾス、Zara のオルテガ、Facebook のザッカーバーグ………。これらの「超富豪」達は、アジア・アフリカ・南アメリカの「奴隷」達が 一生かかっても稼ぎだせない額の富を、たったの2、3日で得る。しかし、これら「超富豪」でさえも、彼らの融資元である「金融皇帝」ロスチャイルドは、いつでも、どこでも、文字通り「指先三寸」で「奴隷」の地位に転落させることが可能な、巨大な金融権力を持っている。

Rothschild pokes Charles
神妙な表情のチャールズ皇太子をつつく第三代ロスチャイルド男爵ヴィクター

権勢を誇ったはずの英国王/女王でさえも、ロスチャイルドの「超地球的」金と権力の前には、為す術もなくなってしまった。それは、英国はじめ世界の王家が、只の「利権利得者」「守銭奴」に堕し、「Efficiency[実務的]能率」の政治に対する、揺るぎない「Dignity 尊厳的原理」であることを、やめてしまったからであった。

【PHASE 12_「民主主義」幻想、『日本国憲法』無効確認による「至高の権威」回復と「真・天皇機関説」】

日本の天皇は、「万世一系の男系男子のみの継承」により、「尊厳的原理を白すもの」「至高の権威」としての威信を保ってきた。

この世に生まれ落ちた瞬間からその肩に負わされるその重責を、自身の運命として受け入れることを「帝王学」として学び、幼時から常に「未来の天皇」としての重圧を感じて生きる「非人道的」なまでの「無私の人生」を、おそらくは「諦観」とともに達観して生きることができる___「天皇」になる人間には、そのような資質と覚悟が要求される。


平成の天皇

「日本国憲法には、皇位は世襲のものであり、また、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であると定められています。

私は、この運命を受け入れ、象徴としての望ましいあり方を常に求めていくよう努めています。したがって、皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない自由はのぞんでいません。」

(1994年6月4日、平成の御世の天皇として訪米前の、文書によるお言葉)


だからこそ、日本の天皇は尊い。常人には想像もつかない、荒行ともいえる過酷な祭祀、無私の人生_プライバシーを望むことすらゆるされない、常に「完璧」を求められる、非人間的なまでの重圧………。これは寧ろ「人身御供」ではないのか。だが、日本には「至高の権威」が必要だ。

だからこそ、ロスチャイルド GHQ は、『日本国憲法』「国民主権」によって、大日本帝国憲法下の立憲君主・天皇の「不裁可権・拒否大権」という権威の裏付けを取り上げ、「国政に関与する権能を有しない」「象徴天皇」と規定して、天皇を「至高の権威」=「政治権力のチェック機能」たり得ない存在にした。


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「一語一句変更はまかりならん」と厳命されたロスチャイルド GHQ による「新憲法」英文草稿を、政府が日本文へ翻訳した直訳の悪文を、「格調高い文章」に直すよう命じられた帝国議会議員たちは、国民にその「植民地統治法的性格」が明らかにならないよう、「一語一句」の選択に非常に苦労した。

大島〔多藏〕委員 [中略]「政治に関する権能を有しない。」となって居るのを、「政治に関与しない。」と言葉を変えるだけです、「有しない」となると、天皇が日本国の象徴であるという地位を考えます時に、「権能を有しない」という言葉がどうも不穏当な感じを国民に与える[後略]


帝国議会の「帝国憲法改正委員会」が連日やっていたことが、実は「翻訳・校正作業」に過ぎなかったことを明らかにする文書『衆議院帝国憲法改正案委員小委員会速記録』は、1956年5月10日、第3次鳩山一郎内閣時代に、衆議院議院運営委員会によって、「国会議員に限り閲覧を許可されること」とされ、「それ以外には、特例として憲法調査委員会に閲覧が許可されたのみ」となった。

『日本国憲法』の起草の真実は、GHQ 占領が終わったはずの日本の国民議会によって、「焚書処分」にされたのであった。

1995年9月に衆議院事務局から『衆議院帝国憲法改正案委員小委員会速記録』が書籍として出版されるまで、この真実が国民の目に触れることはなかった。そして、晴れて出版されたときには、既に国民の大多数が「戦争を知らない世代」となり、「『日本国憲法』が GHQ に押し付けられたもの」と知っていても、「自国の憲法が占領軍によって書かれた」ことの意味を正しく理解するどころか、何の感慨も抱かない、憲法などどうでもいい、日本という国に無関心な国民に、日本人は変わり果てていた。

  • 軍隊のシビリアン・コントロール
  • 国民が政治意思を託して選出した国会議員による、完全公開される国民会議における有意義で活発な議論を経て成される立法
  • 財力・人脈・家柄に左右されない、純粋に「国民の、国民による、国民のための政治・経世済民」を行う気概のある議員の選出
  • 国民が正しく政治判断をするための情報の開示
  • 政治体制_政策決定過程の全てを建設的批判にさらす可視性・透明性
  • 政策決定者の国民への説明責任

正しく機能する民主主義が存在するために必要な条件を、明治維新以来の「近代化に成功し、欧米列強に肩を並べた」と信じた日本は、何一つ持ったことがなかった。おそらく世界のどこにも、本当の「民主主義」などはなかった。

『日本国憲法』は、「平和憲法」などではない。ロスチャイルド国際金融軍産複合体の戦争経済を翼賛する、無政府主義の「憲法」である

『日本国憲法』は、勤勉に、つつましく生きる日本国民を搾取し、その幸福を奪う人権蹂躙「憲法」である

『日本国憲法』は、「究極のオンブズマン」天皇の「至高の権威」を封じ込め、犯罪者達のやりたい放題を許す「無法者の憲法」である

『日本国憲法』は、自ら禁止する検閲と言論弾圧で自らの犯罪性を糊塗している欺瞞と偽善の「憲法」である

日本国民は、このような恥知らずの偽憲法を「最高法規」として戴く奴隷根性を、即刻捨て去り、「無効確認」により『日本国憲法』、「日米安保」、国連憲章「敵国条項」を廃棄・拒否し、日本の国連脱退宣言により、無自覚な世界の諸国民にも己の「債務奴隷」としての立場を認識してもらい、ともにロスチャイルド「通貨発行権力」の犯罪を告発・検証・断罪・永久禁止するために立ち上がるべきである。

「至高の権威」は「無謬」ではない。国民の輔弼を受け、「説明責任」を果たす義務がある[「真・天皇機関説」]

世界に存在する真の対立軸は、「ロスチャイルド vs 世界の庶民」唯一つである。

『日本国憲法』が日本に主権を放棄させている事実、『日本国憲法』が無効である事実を承知しているはずなのに『日本国憲法』への遵守を誓ったということの説明を、国民は天皇から受ける権利がある。その権利は、「不敬」の二文字で弾圧されてはならず、当然臣民は「万民の父母」天皇への崇敬を損なってはならない。

国際法には国家に対する「誣告罪」「名誉棄損罪」が設置されなければならない。

【五箇条の御誓文】

  1. 広く会議を興し、万機公論に決すべし。
  2. 上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。
  3. 官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
  4. 旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
  5. 智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。

Hanna Arendt

全体主義の支配対象として理想的な者とは、熱心なナチ党員でも、共産主義者でもなく、経験による現実感、思考の基準というものが、自分の中に存在しなくなってしまった人々である________彼らは事実と虚構、真実と欺瞞の間の相違がわからなくなってしまっている」(“The ideal subject of totalitarian rule is not the convinced Nazi or the convinced Communist, but people for whom the distinction between fact and fiction (i.e., the reality of experience) and the distinction between true and false (i.e., the standards of thought) no longer exist.” )________ハンナ・アーレント『全体主義の起源』

目の前にある情報が「くだらない妄想・トンデモ話・陰謀論」かどうかは、多方面からの情報収集・吟味によって自分自身で判断すべきことであって、その判断を他人任せにして恬として恥じない者は、ロスチャイルド「新世界秩序」の「理想の奴隷」「家畜」になり果てる。


理想的な奴隷とは、自分が奴隷であることを否定し、にも拘らず、奴隷そのものの行動を取る者、それが何であろうと、主人の意のままに行動する者のことである」(The ideal slave is one who denies that he is a slave and yet acts exactly as slaves have always done – doing the bidding of his master come what may.)________『New World Order』アダム・ヴァイスハウプト(イルミナティ創設者)


この事実を知ったものには、真実を世界の国民に周知する義務がある

「邪悪が勝利を収めるのに必要なことは、善良な人々の不作為だけである」(The only thing necessary for the triumph of evil is for good men to do nothing.)________エドマンド・バーク

JFK暗殺、9.11、東日本大震災と福島原発『事故』の真相究明、戦争・テロと貧困・格差の原因追求を、ロスチャイルド国際連合の「世界平和と人権」サギが妨害している___『日本国憲法』無効確認が世界から戦争と貧困を根絶する[総合版4/5]

「『日本国憲法』が『国民主権=民主主義と平和と人権』を日本にもたらす」とは、「幸福のツボ」を売りつける「霊感商法」と同じ、ロスチャイルドねずみ講「新世界秩序」の奴隷ダマしの詐欺テクニック

「陰謀論を信じるのはバカ」とは、「王様の新しい服が見えないのはバカ」と同じ、陰謀家・サギ師本人とその共犯者が謀略・サギを仕掛ける「カモ」に対して放つ「思考停止の呪文」である

玉石混交の「陰謀論」の言論山から「真実の剣」を抜き取る勇気ある者たちが、ロスチャイルドの戦争統制経済金融サギ「ねずみ講」=「新世界秩序」の「債務奴隷」の軛から、世界の庶民を解放する


【PHASE 7(1812ー現在)_「陰謀論」として隠蔽される、ロスチャイルド「新世界秩序」の「影の執行人」による米英の首相・大統領の暗殺・暗殺未遂】

「一人の有権者の『無知』が、民主主義社会においては、全体の安全保障を脅かす」(The ignorance of one voter in a democracy impairs the security of all.)_J・F・ケネディ

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John Fitzgerald Kennedy

J.F.K.ジョン・F・ケネディ大統領は、エイブラハム・リンカーン大統領と同様に、「国家と国民の、ロスチャイルド中央銀行への『債務』が発生しない『政府紙幣』を発行」したために、暗殺された

アメリカ独立宣言

■1776年7月4日_アメリカ合衆国「独立宣言」

アメリカの「独立」は、ヨーロッパ金融権力からの「通貨発行権の独立」「経済主権の自律・独立」でなければならない____

「Founding Fathers アメリカ建国の父たち」は、しかしながら、その「独立の理念」において、一枚板ではなかった。

アメリカ合衆国「独立宣言」に署名した60名のうち41名は、ロスチャイルドがロビー組織として利用するフリーメーソンであり、従って「親・ヨーロッパ金融権力派」「国際貿易推進派」であって、90%が農業従事者で「国際貿易」よりも「国内経済=国民経済」を重視してほしいアメリカ合衆国国民を、真に代表しているとは言えなかった。

【アメリカ合衆国憲法起草の真実】

アメリカ合衆国憲法起草にあたって、独立13州から70名が、憲法起草会議への代表として選ばれるが、実際に参加したのは55名であった。

植民地時代のアメリカ13州の、「Colonial Scrip 植民地通貨」の発行による経済繁栄を、イングランド銀行をはじめとするヨーロッパ金融権力が、「植民地通貨」の植民地自身による発行を禁止した「通貨法」によって破壊する様を自らの目で目撃したトマス・ジェファーソンも、「独立宣言」起草・署名者でありながら、憲法起草会議参加を拒否した「建国の父」の一人となった。

起草会議では、「議会が『紙幣発行の権威(authority)』を持つ」とする条項が拒否され、と同時に「連邦政府が『紙幣発行の権能(ability)』を持つことを『特に否定』する」条項もまた、拒否された

つまり、アメリカ建国の理念を高らかに謳い上げるはずのアメリカ合衆国憲法は、その起草の時点で既に「換骨奪胎」され、肝心要の「通貨発行権」について、故意に曖昧にされていた。

憲法起草会議は紛糾し、結局署名したのは殆どが「ヨーロッパ金融権力迎合派」の39名だけであった。

■1786年_アメリカ合衆国憲法制定

アメリカ合衆国憲法起草・署名者で「建国の父」の一人であるアレクサンダー・ハミルトンが、ヨーロッパ金融権力側の人間として活発に「国際主義自由貿易」を提唱し1791年、「第一合衆国銀行 First Bank of the United States」が20年期限付き営業認可を得、なし崩し的に「ロスチャイルド中央銀行」が設立されてしまう。

ロスチャイルド中央銀行の「国際主義・自由貿易」重視の金融政策は、東部エスタブリッシュメントの国際銀行家達のみを肥え太らせ、アメリカ合衆国の国民経済は、破綻寸前に追い込まれた

  • 1811年_第一合衆国銀行の20年の認可が失効。再認可が「独立戦争の英雄」アンドリュー・ジャクソン議員らによって、合衆国議会で拒絶される
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Andrew Jackson

合衆国憲法の下、合衆国議会が紙幣発行の権限を有するならば、その権限は議会が行使するために与えられたものであって、個人や企業に委託されるべきものではない(If Congress has a right under the Constitution to issue paper money, it was given them to use by themselves, not to be delegated to individuals or corporations.)__アンドリュー・ジャクソン(1811年当時、アメリカ合衆国議会議員_その後、1829年から1837年までアメリカ合衆国大統領)

第一合衆国銀行の株の75%(25,000株のうち18,000)は英国の銀行家が持っており、その株の殆どを所有する「イングランド銀行の支配者」ネイサン・ロスチャイルドは、「脅迫」の言葉でこの「不認可」のニュースに対し返答した。

「もし[『中央銀行』合衆国銀行の]認可更新への申請が受理されないならば、アメリカ合衆国は『最も破滅的な戦争』に巻き込まれることを覚悟せよ」(“Either the application for renewal of the charter is granted, or the United States will find itself involved in a most disastrous war.”)____イングランド銀行の支配者ネイサン・ロスチャイルド

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Nathan Mayer Rothschild

「この小生意気なアメリカ人どもに、目にもの見せてやれ。植民地奴隷の地位に、逆戻りさせてやれ」

(“Teach those impudent Americans a lesson. Bring them back to colonial status.”)_________ネイサン・ロスチャイルドが、1811年、「第二合衆国銀行」の不認可の知らせを聞いた後、英国政府に「命令」

  • 1812年5月11日_「経済恐慌」におけるロスチャイルド中央銀行の責任の所在を追求し、ロスチャイルドの「命令」による「アメリカ合衆国との戦争」に反対した英国首相パーシヴァルが、暗殺される

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Spencer Perceval
  • 1812年6月_「第2の独立戦争」勃発________1815年2月、英国側(ロスチャイルド=イングランド銀行)の勝利に終わる
  • 1816年_「第二合衆国銀行」設立

1820年代には、ヨーロッパ各国の大蔵大臣がロスチャイルド5人兄弟に買収され、国の借金を作り、公債を発行して、その2倍近い金額をロスチャイルド商会に支払った(安部芳裕『金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った』)

1822年、ハプスブルク家がロスチャイルド一族全員に男爵位を授与。[ロスチャイルド家が本物の「金融貴族」に]この頃、外債が洪水のように契約され、ロスチャイルドは公債請負人として最も活躍した(イングランド銀行Wikipedia)

  • 1829年_「Jackson and No Bank!(ジャクソンに投票し、ロスチャイルドの中央銀行を排除しましょう!)」のスローガンで「庶民の味方」アンドリュー・ジャクソンが、「グローバル・トレード」派(「ロスチャイルド中央銀行」派)議員たちの激しい抵抗にもかかわらず、大統領に当選

■1833年9月10日_アンドリュー・ジャクソンが「第二合衆国銀行」から全ての連邦準備預金を引き揚げ、いくつかの国立銀行に分配し、事実上「ロスチャイルドの中央銀行」を「閉鎖」状態に追い込む

1750年代のアメリカ植民地13州の「植民地通貨発行」による経済繁栄が英国政府―イングランド銀行に取らしめた一連の「アメリカ植民地『緊縮財政・税制』統治」、「第一・第二の独立戦争」、「第一・第二の中央銀行設立紛争」を、アメリカ合衆国「独立」勢力側は、正しく「Bank War [ロスチャイルド金融権力の中央]銀行戦争」と呼んだ。ロスチャイルド御用達歴史学者は、「ボストン茶会事件」を引き起こした「茶税法」などの「英国による重課税」こそが「独立戦争」の直接の原因だというが、真の核心は、常に「通貨発行権」にあった

アンドリュー・ジャクソンによる「中央銀行閉鎖」(ロスチャイルド中央銀行の排除)後、アメリカ合衆国の「国内経済=国民経済」は著しく繁栄した

1835年1月1日、ジャクソンの連邦政府は税収入や国有地の売却益などにより、合衆国全体の負債を完済することができた_この時が合衆国史上、後にも先にも、唯一の「負債完済」の例である。 

  • 1835年1月30日_アンドリュー・ジャクソン暗殺未遂事件
  • 1836年_アンドリュー・ジャクソンによる「閉鎖」状態のまま、「第二合衆国銀行」の20年認可が失効。議会が再度「合衆国銀行」の認可更新を拒否
  • 1837年_「ロスチャイルドの中央銀行」閉鎖と再認可拒否に対するネイサン・ロスチャイルドの報復として、「Panic of 1837 (1837年の金融恐慌)」が引き起こされる

■1837年_金融恐慌のさなかにロスチャイルドの代理人オーガスト・ベルモントが渡米、同時にモルガン商会の祖ジョージ・ピーボディがロンドンでネイサン・ロスチャイルドに「秘密のロスチャイルド代理人」に任命され、ロスチャイルドのアメリカ連合統合開始

  • 1860年_ロスチャイルドが「アメリカ合衆国の南北分断」「奴隷制度の改変」のため南北戦争を引き起こす

リンカーンは、ロスチャイルドの支配下にあるニューヨークの銀行に南北戦争のための融資を頼んだところ、25%から35%という途方もない高利子を突き付けられる。

  • 1862年2月_リンカーン大統領、南北戦争の戦費を賄うために、利子もつかず、債務も発生しない「政府紙幣(グリーン・バック)」を発行

  • 1865年4月14日_リンカーン大統領、暗殺される

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Abraham Lincoln
  • 1881年7月2日_「ロスチャイルドの中央銀行システム」「ロスチャイルドの『通貨発行権』支配」を批判したジェイムズ・A・ガーフィールド大統領が、暗殺者に撃たれ、その傷がもとで同年9月19日に死亡する

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James A. Garfield

「どの国であろうと、国の通貨の流通量を決定できる者こそが、すべての産業と商業の絶対的支配者となる頂点にいる極少数の権力者たちによって、経済システム全体が、どのようにでも、いとも簡単に操作されていることを理解するなら、インフレや金融恐慌がどのくらいの期間続くかなどということも、この者達が決定しているということが、当然わかるであろう」(”Whosoever controls the volume of money in any country is absolute master of all industry and commerce. And when realize that the entire system is very easily controlled, one way or another, by a few powerful men at the top, you will not have to be told how periods of inflation and depression originate.”)________________ジェイムズ・A・ガーフィールド、「暗殺者襲撃」の2週間前に

  • 1963年6月4日_ケネディ大統領が「大統領令11110号」を発令、リンカーンの肖像が描かれた「政府紙幣」を発行

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J.F.ケネディ政権下で発行された政府紙幣 $5札(1963年)

■1963年11月22日_ケネディ大統領、テキサス州ダラスで暗殺される

  • 1981年3月30日_ロナルド・レーガン大統領の暗殺未遂
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Ronald Reagan

ロナルド・レーガンは、1980年の大統領選の際、ロスチャイルド金融帝国の重役会議「Round Table 円卓会議」のひとつ、デイヴィッド・ロックフェラーとズビグニュー・ブレジンスキーが設立した「Trilateral Commission 三極委員会」から送り込まれた者たちが、ブレジンスキー本人の「国家安全保障顧問」をはじめ、カーター政権の要職を19も独占していたことを指摘し、

「三極委員会は国際銀行業、多国籍企業などの利益のためだけに存在する集団」

と痛烈に批判した。大統領に当選したレーガンは、しかし、自らの政権の10の要職を「三極委員会」人事で占められることを止めることはできなかった。ロシア大統領を抑えて世界で最も強大な権力を持つといわれる米国大統領ですら、所詮はロスチャイルド「新世界秩序」のヒエラルキーの中では、「世界政治経済政策の真の決定権力」であるロスチャイルド金融貴族の下部組織、国際金融軍産複合体・グローバル銀行/企業「執行者階級」の「下っ端」にすぎない。レーガンは、1921年にロスチャイルドの米国連合シンクタンク「CFR 外交問題評議会」が設立されて以降の大統領で唯一、そのメンバーになることを許されなかった人物であるといわれている。

  • 1982年6月30日_ロナルド・レーガン大統領が「The Private Sector Survey on Cost Control (PSSCC) 物価統制についての民間部門調査」いわゆる「The Grace Commission グレース委員会」を結成、「民間企業」である連邦準備制度 FRB の「無駄遣い」を調査させる

[連邦政府が納税者から]集めた[お金]の100%は、[連邦政府が FRB から借金したお金の]返済に回されている。アメリカ合衆国の全国民からの所得税収入は、そのお金で政府がやってくれると国民が期待していることに、5セントすらも使われないままに、あとかたも無くなってしまうのである」(100% of what is collected is absorbed solely by interest on the Federal Debt … all individual income tax revenues are gone before one nickel is spent on the services taxpayers expect from government. )_1984年1月15日にレーガン大統領に提出された「グレース委員会報告書」


【PHASE 8(1774-現在)_政府・政府機関(CIA/FBI、MI5/MI6)によるロスチャイルドの陰謀・サギ等犯罪行為の隠蔽、プロパガンダ・世論誘導、「分裂と混沌」の創出】

英首相パーシヴァル、米大統領ジャクソン、リンカーン、ガーフィールド、ケネディ、レーガン………ロスチャイルドが、世界金融経済システムの「裏の設計者」であることを始めた1774年の秘密会議から、史実に残っているだけでも6人もの英米の政治リーダーたちが、明らかにロスチャイルド「通貨発行権力」を批判し、反抗し、排除しようと試みたことにより暗殺され、暗殺未遂の目に遭った。

それほどまでに、ロスチャイルド金融権力は、彼らの「通貨発行権と信用創造サギ」「『世界平和』戦争金融サギ」について、世界に知られるのを恐れている

マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの、12人の実力者との1774年秘密会議の最初から、「ロスチャイルド金融帝国の世界統一政府」による世界金融経済支配実現のカギを握っていたのは、「情報を制して世界を制する言論統制システムの構築」であった。

  • 1774年_初代ロスチャイルドのフランクフルト秘密会議「25のアジェンダ」

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6.我々の富の力は、いかなる力によっても損なわれないような強さを獲得するときまで、表面化しないよう保たれなければならない

7.群集心理を利用して、大衆に対する支配権を獲得すべきだ

13.誹謗・中傷・偽の情報を垂れ流し、なおかつ自分達には絶対に非難の矛先が向かないよう情報の出口を完全に支配すべきである

14.貧困と恐怖によって大衆を支配する。秩序が回復されたとき、災厄は犯罪者や責任能力のないものによって引き起こされたと見せかけ、その犯罪者・精神異常者を処刑すれば、我々自身を救世主の如く見せかけることもできる

20.最終目標である「世界政府の樹立」に到達するためには、大規模な独占、莫大な富の蓄積が必要とされるであろう

24.代理人は、我々が誤りと知っている理論・原則を教え込むことで、社会の若年層の精神を惑わせ腐敗させる目的で、あらゆる階級、あらゆるレベルの社会、政府に潜入しなければならない

25.国家法及び国際法を利用しつつ、ゴイム[非ユダヤ人]の文明を破壊しなければならない。我々に対してゴイムが武装蜂起する前に、恐怖の組織を諸国家の各都市に組織する


  • 1776年_ロスチャイルドのアダム・ヴァイスハウプトへの融資によりフリーメーソン内に「イルミナティ」結成_[国際共産主義と超国家主義・白人至上主義、ユダヤ原理主義の推進]
  • 1832年_「イルミナティ」のWASP(アメリカ東部エスタブリッシュメント「白人・アングロサクソン・プロテスタント」)版「スカル&ボーンズ」がイェール大学のフラタニティとして結成_米国政財界の中枢を支配していく[米国中央情報部CIAは、スティムソンら陸軍省の「スカル&ボーンズ」が結成した「OSS 戦略事務局」の後身]
  • 1835年_ロスチャイルドがシャルル・ルイ・アヴァスを融資してパリに「世界最古の通信社」AFP通信が設立される
  • 1840年_「ロスチャイルド中国連合」「スカル&ボーンズ」を結成したラッセル、タフトと、明治維新を融資する「ジャーディン・マセソン」らが、アヘン戦争を引き起こす
  • 1843年_1820年代、30年代にアメリカ合衆国で「秘密結社」の排斥運動がおこり、「非・秘密結社」の国際組織として「B’nai B’rith ブナイ・ブリス(契約の子孫)」がユダヤ人のみのフリーメーソンの下部組織として結成される
  • 1851年_AFP アヴァスの部下ポール・ジュリアス・ロイターがロスチャイルドの融資でロンドンにロイター通信を設立_[「ジャーナリスト」と「スパイ」は同義。ロイターから英国情報部MI5・MI6が派生していく]
  • 1856年_「ロスチャイルドの秘密の代理人」ジョージ・ピーボディ(J・P・モルガン)が、世界最大の電信電話会社AT&T の設立を融資する
  • 1888年_「ワイアレスの真の発明者」ニコラ・テスラのナイアガラ・フォールズ・パワー・プロジェクトに、ロスチャイルドが「ロスチャイルド代理人」J・P・モルガンらとともに融資_テスラの「無料エネルギー」の発明とそれに伴う突然の融資打ち切り]
  • 1888年_ロスチャイルドがダイアモンドの「デ・ビアス」セシル・ローズを融資
  • 1891年_南ア首相となった「デ・ビアス」セシル・ローズの主導でロスチャイルド金融帝国最高司令部「Round Table 円卓会議」が結成される[幹部グループにはロスチャイルドを筆頭に、「アパルトヘイト」を創出する「ミルナー幼稚園」のアルフレッド・ミルナー、ユダヤ国家建設をロスチャイルドに要請した「バルフォア宣言」のバルフォア(ロスチャイルド一族)らが名を連ねた]
  • 1897年_「テスラの特許を流用したラジオ技術で」成功した(1943年、米国最高裁判決)グリエルモ・マルコーニがロスチャイルドの融資でマルコーニ無線通信会社を設立[「マルコーニ(株価)スキャンダル」と、マルコーニの後のムッソリーニ・ファシスト党支持]
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ワシントンのパイク像撤去運動で演説する市民権活動家(1990年)
  • 1913年(FRB 設立と同年)_「ブナイ・ブリス」が、ロスチャイルド「新世界秩序」批判を「反ユダヤ的・反シオニズム」と糾弾し弾圧する「ADL_Anti – Defirmation League 名誉毀損防止同盟」を結成[メディア・学界支配と、「有色人種地位向上委員会」など全米の数多の「草の根運動」組織への支援で票田を確保、政財界・米国議会への強大な圧力団体になる]

「K. K. K.」創立メンバーの一人、「イルミナティ」アルバート・パイクの銅像撤去運動で、ADL はアルバート・パイクとパイクが創設したフリーメーソン「スコティッシュ・ライト」を擁護する論陣を展開していた。

■1919年_第一次世界大戦の講和ヴェルサイユ会議で、「アングロ=アメリカ(英米)のリーダーシップによる『新世界秩序』構想」がロスチャイルド欧米連合によって示される

■1920年、1921年_ヴェルサイユ会議「新世界秩序」構想を受け、英国、米国にロスチャイルドのシンク・タンク「RIIA Royal Institute of International Affairs 王立国際問題研究所」(通称チャタム・ハウス)がセシル・ローズら「円卓会議」メンバー主導で、「CFR Council on Foreign Relations 外交問題評議会」がデイヴィッド・ロックフェラー、ポール・ウォーバーグ(クーン・ローブ)の主導で設立される

「JFK暗殺」「9.11_アメリカ同時多発テロ」「3.11_東日本大震災(人工地震)・福島原発『事故』」では、米英日政府が組織した調査機関によって「事件・事故調査報告書」が出され、「公式の『陰謀論』潰し」として力づくの「終結」がはかられた。だが、それぞれの「政府の公式見解」には、子供でもわかる「疑問点・矛盾点・不審点・問題点」があった。

【JFK 暗殺】

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1963年11月29日、ケネディの後任リンドン・ジョンソン大統領によって組織された「JFK暗殺事件」調査委員会「ウォレン・コミッション」は、1964年9月24日の報告書で「ケネディ大統領は、『単独犯』リー・ハーヴェイ・オズワルドが、『テキサス・スクール・ブック・デポジトリー』ビル(パレードする大統領のリムジンの進行方向に向かって右側後方)の6階から発射した3発の銃弾のうち2発によって殺害された(大統領の背中からのどに突き抜けた第一の銃弾が、大統領の前、中座席にいたコナリー・テキサス州知事の胸、手首も貫通した後、太腿で止まった[シングル・ブレット・セオリー])」「第二の銃弾が『右側後方』から大統領の頭部右半分を損傷、致命傷となった」「マフィアや政府、外国(キューバのカストロ等)による『陰謀』はなかった」と結論した。だが、

現在までに全世界の何百万という人々に視聴されたであろう、暗殺の瞬間をとらえたビデオ画像で、ケネディ大統領の頭は、「右下前方」から撃たれたように、「右前頭頂部」の半分を大きく吹き飛ばしながら、「左後方」(ジャクリーン夫人の方)へのけ反っている。だから、ジャクリーン夫人は咄嗟にオープン・トップのリムジンのトランクの上へ_狙撃者から離れるように、「後方へ」逃げようとしたのである。

ジャクリーン夫人も、コナリー知事も、ナヴィゲーター・シートに座っていたシークレット・サービスのロイ・ケラーマンも、「[JFK の頭を吹き飛ばした]銃弾は前方から来た」と証言していたにも拘らず、ウォレン・コミッションは「[大統領のリムジンの進行方向に向かって右側前方の草地]『グラッシイ・ノル』後方の茂みから銃声を聞いた、硝煙が立ち上るのを見た、火薬の匂いがした」という多くの市民の証言とともに、「前方からの銃撃」説を完全に無視して「リー・ハーヴェイ・オズワルドの後方からの銃撃・単独犯行」説に執着した。[ケネディ大統領の頭を吹き飛ばして致命傷を与えた銃弾は、グラッシィ・ノルの「後方茂み」からではなく、グラッシィ・ノルの「下の下水溝」から発射された_それが多くの「陰謀論」ですら避けて通る真実であった_ADL、「Debunkers [陰謀論の]論破屋」など、「陰謀家」側の工作員が、混乱を狙って発表する「陽動作戦的『陰謀論』」は数多く存在する

【9.11_アメリカ同時多発テロ】

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『The 9/11 Commission Report: Final Report of the National Commission on Terrorist Attacks Upon the United States』は、事件後442日も経過(この間に恐らく多くの証拠が「紛失」)した2002年11月27日にブッシュ政権・議会によって組織され、「オサマ・ビン・ラーディンの『アル・カイーダ』が計画・指揮して起こしたテロリスト・アタックである」と結論付けた。

「4機のハイジャックされたジェット旅客機のうち、3機が『WTC ワールド・トレード・センター・ビル』1と2、ペンタゴンに激突し、1機はホワイト・ハウスか米国議会議事堂を狙うためワシントンD. C. に向かう途中、ペンシルバニア州のシャンクスヴィルに墜落した」という大前提で調査はされているのに、肝心の「結論」でそうとはっきり言わないのは、それが、現実に起こったこと、人々が目撃したこと、科学的な常識と、大きく矛盾するからである。

現に、ペンタゴンの「テロ事件」現場にいたラムズフェルド国務長官は、2001年10月12日、雑誌のインタビューで「[ペンタゴンの]建物を破壊した『ミサイル』」と言っている

(https://archive.defense.gov/Transcripts/Transcript.aspx?TranscriptID=3845)

■1973年に完成したWTCビル1(北棟)・2(南棟)、いわゆる「ツイン・タワー」は、1945年のエンパイア・ステート・ビルへのB-25爆撃機の衝突事故を踏まえ、当時最大級のジェット機707型が「時速977kmで『数機』激突してもなんともない」ように設計されていた。そもそもジェット機の機体は、飛行中に鳥が一羽ぶつかれば鼻面がへこむほど「ヤワい」ので、エンパイア・ステート・ビルに突っ込んだB-25のように、エンジンが外れて吹っ飛ぶか、おそらく壁面で殆どバラバラになり、地上に落下し、散乱したはずであろうと思われる。少なくとも、私たちがメディアに「見せられた」映像のように「93階から99階を切り裂くように突入し、反対側に突き抜ける」ということは、物理的に不可能であった。そのことは、WTCと同等かそれ以上の堅固さで建設されているはずの「アメリカ合衆国軍事力・科学力の粋」ペンタゴンにおいて、もっと顕著なはずであったが、


77便はペンタゴン西側外壁の1階部分に激突したが、衝突の瞬間にボーイング757の胴体前部はバラバラになり、その後一瞬のうちに機体中央部と尾翼部が勢いを保ったまま外壁を突き抜けた最も深くまで到達したのは尾翼部の破片であり、5層ある外壁のうち3層を突き破り、94m内側まで貫通していた。(アメリカ同時多発テロ事件 Wikipedia 下線ブログ筆者)


757の機体の前部は「衝突の瞬間にバラバラ」になったにも拘らず、胴体部分よりもさらに強度の落ちる主翼とともに「衝突の瞬間にバラバラ」になるはずの「尾翼部」が、「勢いを保ったまま[5層あるうちの3層の、鋼鉄製の堅牢な「コア」部分と]外壁を突き抜け」て「94m内側まで貫通」することは、物理的に本当に可能だろうか?そもそも、「尾翼部」が破壊したはずのペンタゴンの外壁の屋根は、「77便の激突」直後には破壊されず原形を保っていたのだ。ラムズフェルド国務長官は、ペンタゴンを破壊したもの(そしておそらくは、シャンクスヴィルの野を抉ったもの)の正体を、正しく伝えていたそれは「旅客機」ではなく、「ミサイル」であった。

911 Shanksville Crash Site 2
ペンシルバニア州シャンクスヴィルの「ユナイテッド93便の墜落」現場

WTC 1&2、ペンタゴン、シャンクスヴィル………4か所の「テロ事件」現場とも、4機のジェット旅客機の激突・墜落があったにしては、旅客機の残骸も何百人もの乗客の遺体・遺品も、殆ど全く見つかっていない。現場に急行した報道関係者の多くも、そのことに言及し、「異常だ」といっていた。しかしながら、あらゆるものが神隠しに遭ったように「行方不明」になった「激突・墜落」現場で、19人の「ハイジャック犯」のうち4人のパスポートだけが、殆ど無傷で発見されたことは、「奇跡」でなければ、なんであろうか?「陰謀論」を徹底排除する「政府公式見解」も「反『陰謀論』者」も、「奇跡」は信じるらしい。

WTCに限らず、高層建築物は「倒壊しない」構造になっている。歴史上、いまだかつて「オフィス火災」で倒壊した高層ビルは、ただの一つも存在しない。高層ビルの骨組みに使われる鋼鉄の溶解には摂氏1500度の高熱が必要だが、通常の火災では、ケロシン・ベースのジェット燃料が大量に投入されたとしても、せいぜい摂氏1000度にしかならない。ジェットエンジンは、ジェット燃料の燃焼で溶けたりしない。米国政府から委託を受けて「9.11」の調査報告書を作成した「NIST_National Institute of Standards and Technology 米国立規格技術研究所」 は、ジェット燃料の「高熱」による「パンケーキ・セオリー」を持ち出してWTCの崩壊を説明したが、NIST自身の示したCGによる「崩壊再現画像」でも、ビルの崩壊は「ジェット機に激突された場所から先に、左右対称に」起こっている。そして、「パンケーキ・セオリー」では「ジェット機の激突」などなかった「WTC 7 ビル」の崩壊が、説明できない

WTC 1&2「ツイン・タワー」とWTC 7は、「Controlled Demolition 制御爆破解体」でしか起こりえない「完全左右対称」「10秒以内の垂直崩落(フリー・フォール)速度」で崩壊した

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「ツイン・タワー」の崩壊粉塵の中から、米軍が開発したナノ・テクノロジーを使った軍用鋼鉄破断爆薬「Nano-Thermite ナノ・サーマイト」の特徴的な赤とグレーの微小破片が検出された。

そして、「ナノ・サーマイト」の使用がなければ、WTC崩壊跡「グラウンド・ゼロ」の瓦礫の下を摂氏2000度の溶融鋼鉄が、火山から流れ出た溶岩のように溜まって、何週間もの間、瓦礫撤去の消防隊員らの靴底が溶けるほどの温度を保ち続けたことの説明がつかない。[ツイン・タワーの火災が全鎮火したのは、2001年12月13日。史上最長の火災継続記録であった]

【3.11_東日本大震災(人工地震)・福島原発『事故』】

311 津波

東日本大震災(東北太平洋沖大地震、2011年3月11日)は、阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震、1995年1月17日)と同様の、「人工地震」に特徴的な地震波形を示していた

「人工地震」は、ボーリングによって地中・海底1km程に空けた穴での核爆発などにより起こすため、その「地震波形」はP波・S波と大きく2段階のピークがある自然地震と異なり、最初(爆発時)に針が振り切れる程の高いピークが来たのち、「余震」がないまま収束するパターンを示す。

■気象庁は、東日本大震災発生3日目の3月13日の発表で、「震源域で地盤の巨大な破壊が3つ連続して発生」しており、このような複雑な破壊は「[自然地震では]極めてまれ」としていた(その後発表内容を変更)[核爆発を3つ連続して起こした人工地震]

■東日本大震災発生時に、米太平洋艦隊・原子力空母「ロナルド・レーガン」が福島沖160kmの地点に、海底10kmの掘削能力を持つ日米共同運営の地球探査船「ちきゅう」号が、「下北八戸沖の海底探査のため」青森県八戸港にいた(東北沖大地震の震源地は男鹿半島の東南東約130km付近_北緯38度6分12秒 東経142度51分36秒)

■阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)の震源地は、建設中の明石海峡大橋の真下であったが、明石海峡大橋の建設は、原発・空港・橋梁など国家規模の建設事業のほか、核ミサイルの製造・発射施設の建設・解体など軍需産業にも深く関わる巨大グローバル・ゼネコン「ベクテル」が行っており、地震発生のまさにその時期に、震源地でボーリング工事を行っていた。ベクテルの経営権は、武器商/戦争金融投資銀行で「戦後日本の支配者・ロスチャイルド代理人」ディロン・リードが1980年代から持っている

米国は、第二次世界大戦末期の1944年12月7日(米国時間の「真珠湾攻撃」と同日)、この「地震兵器」によって東南海地震を起こし、愛知県半田の中島飛行機製作所で働いていた学徒ら1200人の命を奪ったうえに、数日後被災地にB29から「地震の次は何をお見舞いしましょうか」と毛筆で書いた宣伝ビラを撒いて、震災に打ちひしがれた人々を恫喝していた。(2011年8月10日 NHK総合 「証言記録 市民たちの戦争『封印された大震災 ~愛知・半田~』」)

(東南海地震後にB29から撒かれた「米国式地震を注目せよ」と書かれたビラ)

■2003年、小泉政権・内閣府「原子力安全委員会」は、「津波などによる全電源喪失という最悪事態」の際、原子炉冷却水供給を継続して「炉心溶融(メルトダウン)」を防ぐ、文字通り「最後の頼みの綱、最後の砦」ともいうべき「蒸気凝縮系機能」を、わざわざ10億円(最終的には15億円)をかけて、福島第一原発から撤去していた


「福島原発『内部文書』入手!_非常時冷却システムを撤去した勝俣会長」ジャーナリスト上杉隆『週刊文春』2011年6月9日号

311 福島原発 安全装置撤去

福島原発の設計時には、『蒸気凝縮系機能』という、最後の砦となる冷却システムが存在していました
それはどうなったのかと東電に聞くと、『ない』というのです」

「このシステムはECCS(緊急炉心冷却装置)の一系統なのです。通常の場合は原子炉を止めても、高圧炉心スプレーと低圧炉心スプレーなどの系統で冷却が出来る。しかし、これらの系統は電源がないと動かない。蒸気凝縮系機能は、電源がなくても作動する。
ある意味、震災などの非常時には、いちばん大事な役割を果たすはずだった冷却システムなのです」

_______上原春夫佐賀大学元学長(福島第1原発の復水器の設計に携わった。事故後、政府の招きで訪れていた東電本店でのやりとり)

■2003年2月17日_「第10回 原子力安全委員会 定例会議」において、経産省「原子力安全・保安院」原子力発電安全審査課担当官が「安全弁を開く(「ベント」する)ことで[全電源喪失状態に陥ったとしても]炉心の冷却は可能」「蒸気凝縮系機能の削除は妥当」と説明_[「ベント」とは、「放射性物質の原子炉建屋外への放出」を意味する_それこそは、「人道上するべきではない『最後の非常手段』」なのであり、卑しくも国民の安全を第一に考えるべき「公僕=国民の僕」たる経産省原子力安全・保安院が、軽々しく「ベントするから大丈夫」などと言えるはずのない、言ってはならないことであった]

(ブログ筆者注:「第10回 原子力安全委員会 定例会議 議事録」によると、東電による「削除」の申請は2002年7月5日で、勝俣の東電会長就任は2003年であるので、勝俣会長が直接「削除申請」に関与していない可能性はある)(太字・アクセント・[ ]内 ブログ筆者による)


「保安院『米の原発 全電源喪失対策』持ち腐れ」『朝日新聞』(砂押博雄、奥山俊宏、上地兼太郎)2012年1月27日付

311 保安院 持ち腐れ

■2002年2月_「9.11」後のテロ対策の一環として米国の「NRC_Nuclear Regulatory Commission 原子力規制委員会」が「原発に航空機が激突しても事故を拡大させないこと」を目指し、米国の104基の原発に対策を義務化_[米国行政命令 条項「B5b」]

【「B5b」の「全電源喪失時対策」_2011年6月にNRCのウェブサイトで初公開された指導文書

  • ポータブル・バッテリーや圧縮空気ボトルなどの配備
  • ベント弁や炉心冷却装置を手動で操作する手法の準備
  • これらの手順書の整備や運転員の訓練………など

■2006年・2008年_保安院が米国NRCへ職員を派遣、「B5b」に関する詳細な情報提供を受ける

「[06年、08年のNRCへの職員派遣後]保安院はB5bの対策を、国内の原発の事故対策や安全規制にどう活用するか検討を続けた。だが、[保安院は]原発での全電源喪失やテロは『想定外』として緊急性の高い課題とは考えず、電力会社や内閣府原子力委員会などに伝えていなかったという

「福島第一原発1~4号機では、東日本大震災で津波に襲われた後、電源が全て失われて原子炉が冷却できず、ベント弁の操作に手間取った結果、炉心溶融や水素爆発が起こった」

「NRCのビル・ボーチャード運営部長は、福島第一原発の事故後に米国で開かれた公聴会で『(B5bは)日本で起きた非常に深刻な事態にも対処できる』と述べている」

■政府の事故調査・検証委員会(畑山洋太郎委員長)が「『B5b』無視」の経緯を保安院担当者から聞き取り調査を行なった

「この対策が取られていれば、東京電力福島第一原発事故の被害の拡大を防げた可能性があると、東電や政府関係者は指摘」

(太字・アクセント・[ ]内ブログ筆者による)


「福島第一原発はロシアからサイバー攻撃を受けていた_政府・東電から『緊急出動要請』された技術者が重大証言」ジャーナリスト入江吉正『週刊ポスト』2011年12月9日号

311 サイバー攻撃

■福島第一原発に、「東日本大震災の3年ほど前」に導入された、自動運転を安全に行うための「制御システム」が、津波による全電源喪失と同時にダウン

原発建屋内に無数にある「ベント」弁を含めた圧力弁、注水弁、シールドと呼ばれる放射能遮断装置などが動かせない状態に陥る

■2011年3月14日(東日本大震災発生3日後)_「緊急出動要請」を受けた制御システム開発者(A氏)が、システム復旧・再稼働の手続きを妨害するウイルスの侵入を確認_[A氏は逆ハッキングによって、ハッキングの発信元を「北の寒いところ」と特定_ロシアと推定]

「ウイルス侵入の事実については、(第一原発にいた)東電担当者や政府関係者に伝え、原子力安全・保安院にも届いているはずです。しかし、その後に開発者である自分や私の会社に改善策についての相談は何もありませんA氏_太字・アクセントはブログ筆者による)


福島第一原発1~4号機メルトダウンの直接の原因は、政府・東電の公式見解も認めるように、地震でも津波でもなく、「全電源喪失」「緊急炉心冷却不能」「早期ベントの失敗」であり、これらは日本政府・小泉内閣、内閣府原子力安全委員会、経産省原子力安全・保安院、東電勝俣会長の「蒸気凝縮系機能撤去」「『B5b』全電源喪失対策無視」によって、故意・計画的に惹き起こされた

「[米NRC『B5b』が]過酷事故対策や安全規制に活用されていなかったとの批判については、大事故を二度と起こさないための教訓として今後に生かしたい」と、保安院原子力安全技術基盤課が言っている、と朝日新聞「保安院 持ち腐れ」記事は言う。だが、

常識で考えれば2006年、保安院がNRCから第一回目に「B5b」の情報提供を受けた時点で、2003年2月17日の「第10回 原子力安全委員会 定例会議」で保安院自身が「ECCS 緊急炉心冷却装置からの削除が妥当」と説明した「蒸気凝縮系機能」は、即刻「再設置」されるべきであったにもかかわらず、その時から東日本大震災までの5年間も、原発事故が起こってしまった後でさえも、東電も保安院も原子力安全委員会も、日本政府も、何もしなかった。

原発運転員の「緊急マニュアル」の「過酷事故への対応」の章にも、「全電源喪失」の項はなかった

民主党・菅直人首相は、「福島第一」で吉田所長以下69人が、文字通り命懸けで事態を収拾しようと寝食を削って奮闘しているさなかの3月12日早朝、「ベントを早くしろ」とせっつく為だけに福島第一視察を断行し、過酷事故対応に重大な遅延を生じさせた。

■「2003年2月17日 第10回 原子力安全委員会 定例会議 議事録」によれば、「蒸気凝縮系機能」の削除は、2001年11月7日、中部電力浜岡原発1号機に起こった「余熱除去系の蒸気凝縮系配管の破断事故」への対策だと原子力安全委員会(東電申請書/保安院)は説明しているが、原子力安全・保安院自身が作成した浜岡原発事故調査報告書は、事故原因が「蒸気凝縮系機能」自体の欠陥であるとは述べておらず、「機能自体の削除の必要」などどこにも示唆されていない。


【『失敗知識データベース』による「浜岡原発事故調査報告書」まとめ】

事象 [………]原子炉内で高温水の放射線分解によって、水素ガスと酸素ガスが発生する。その濃度は、水蒸気中で約2 ppmである。なお、腐食抑制のために少量(0.3~0.4 ppm)の水素ガス注入を行っているが、その結果として高温水中の酸素ガスと水素ガスの濃度は減少する傾向にある。それ以外の水素ガスの発生源としては、腐食による生成が考えられる。いずれにせよ、水蒸気中に水素ガスと酸素ガスが共存する。水蒸気が凝縮すれば、水素ガスと酸素ガスが局所的に蓄積・滞留する。水素ガスと酸素ガスの燃焼によって、上記の圧力上昇は容易に生ずる。
燃焼が発生するには、発火源が必要である。8 ppmの溶存酸素を含む高温水による機器の腐食を抑制するために、高温水への水素ガス注入に加えて、触媒として白金とロジウムが使用されている。白金は水素ガスの発火源となることが知られている。ロジウムも同様と考えられる。長期間の閉止によって、配管内の局所に他の部位から流入した白金とロジウムが堆積し、水素ガスと酸素ガスの燃焼の発火源となった可能性が高い。また、硫化鉄などの腐食生成物も、発火源となる。手動起動試験の実施によって、流入する水蒸気の流速と温度変化が、発火のきっかけを与えたと考えられる。気体が高速で流れると、管壁に摩擦熱が発生する。[………]
原因 (1) 高温水と水蒸気は流動していることが前提であり、水蒸気の凝縮による可燃性ガスの発生の考慮がなかった。
(2) 腐食の抑制を目的とする白金とロジウムの使用が、燃焼の発火源となる考慮がなかった。
対処 (1)定期試験を実施する(蒸気を流す)前に、水とガスを抜き取る必要がある。
(2)腐食抑制の方法について、検討し直す必要がある。
対策 原子力発電所の配管の内部での燃焼による事故を始めて経験した。高温水と水蒸気の環境では燃焼は起きないという常識を捨て、水蒸気の凝縮による可燃性ガスの生成と燃焼の発火源の可能性を洗い直す必要がある。
シナリオ 無知、知識不足、思い込み、[………]可燃性ガス発生、白金とロジウムの使用、不良現象、化学現象、燃焼、過大圧力発生、配管、破損、大規模破損、破裂、蒸気漏洩

(『失敗知識データベース』作成者:[配管の破断に詳しい]小林英男 東京工業大学教授(金属材料工学)http://www.shippai.org/fkd/cf/CB0011006.html)(抜粋、下線ブログ筆者)


浜岡原発の「蒸気凝縮系機能」の配管破断の原因は、「化学反応によって配管内で破断の原因となる高圧力を起こす物質」である「白金とロジウム」を投入したことにあった。

端的に言えば、「投入してはならない物質を投入した」ことによる、「無知、知識不足、思い込み」による「人的ミス」によって起きたのであって、「蒸気凝縮系機能」の事態の欠陥・不具合・機能不全などによるものではなく、「機能削除」の必要は全くなかった。

保安院は、全てを知りながら東電幹部・原子力安全委員会と結託して「全電源喪失時の最後の砦『蒸気凝縮系機能』の削除」という「自殺行為」、いや、数多くの日本国民の命を奪い、生を破壊するまぎれもない「破壊工作」を行ったことになる。

もし仮に、「東電、行政・内閣の関係者すべてに『悪気』はなかった」「何も知らなかった」という戯言が通ったとしても、少なくとも

東電、経産省・保安院と、その「チェック機関」であるはずの内閣府・原子力安全委員会の「無能力・愚鈍さ」、日本政府自民党・小泉内閣の「任命責任」は全国民に周知され、公開討論の場で検証され、「民主主義」の名の下に総括されて、関係者全員の「重大業務上過失致死・傷害・器物破損・国益毀損罪」が法の名において問われ、正当に裁かれなければならなかった

日本の国家安全保障にかかわる重大事実

  • 「蒸気凝縮系機能」削除・撤去の事実
  • 「保安院『米原発「B5b」全電源喪失対策』持ち腐れ」の事実
  • 「全電源喪失と同時に原発自動運転制御システムがダウン」「システム復旧・再稼働を妨害するウイルス侵入[サイバー攻撃]」の事実

が、政府・東電の『福島原発事故調査報告書』から「書き洩らされている」という事実、それを政府・東電の「上部組織」である米NRCも「IAEA International Atomic Energy Agency 国際原子力エネルギー機関」(ロスチャイルド一族が会長を務める、ロスチャイルド国連の下部組織)も、全く問題にしなかったという事実によって、

福島第一原発1~4号機メルトダウン『事故』は、東電、経産省・原子力安全・保安院、内閣府・原子力安全委員会、政府自民党・小泉内閣、NRC、IAEA(ロスチャイルド国際連合)によって、『故意・計画的に』惹き起こされたと確信できる

2012年1月27日に「保安院 持ち腐れ」記事を掲載した朝日新聞は、その後はそのことに触れることなく、2014年5月20日には、「福島第一の原発所員、命令違反し撤退 吉田調書で判明」として、「東日本大震災・福島原発事故のヒーロー『フクシマ・フィフティー』」(実際には69人)と海外でも絶賛された、吉田昌郎所長とともに放射線被曝の危険の中、過酷事故に文字通り命を懸けて勇敢に対応し続けた「福島第一」の職員の9割(650人_総勢719人のうち「避難した方」)が、「実は『吉田所長の命令に反して』卑怯にも『職場放棄』して逃げていた」という捏造記事を世界に配信した。

これは、朝日新聞の1970年代「南京大虐殺」、1990年代「慰安婦=性奴隷 強制連行」大キャンペーンと全く同様の「フェイク・ニュース」であり、日本の名誉と尊厳を傷つける国家反逆級の「名誉毀損」「誣告」であった

朝日記事の言う「撤退」の実相は、女性を含む非技術系職員を含む650人が、過酷事故に対処する多忙な吉田所長ら69人の邪魔にならないよう、自律的に判断して粛々と被害状況のましな福島第二原発へ「一時退避」したという話であって、一旦は「福島第一」内の放射線量の少ない場所で待機するように、との「指示」(命令ではなかった)を出した吉田所長も、「よく考えれば[福島第二]に行った方がはるかに正し[かった]」と、事故調査委員会に語っていた。何より、「福島第二」に移動した職員の相当数は、同日正午以降に「福島第一」に戻っていた。当の吉田所長は、原発事故後に発症した食道ガンで、記事の前年2013年7月9日に亡くなっている。しかも、「吉田調書」は公開されておらず、朝日が独自ルートで入手しての「独占スクープ」であったから、読者には朝日の捏造がわからない仕組みになっていた。朝日記事は、完全に事実を捻じ曲げた「言いがかり」であったばかりか、「死人に口なし」「読者の検証不可能」で言いたい放題の、卑怯卑劣・非道な名誉毀損・誣告であった。

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「仕方がない」_人間の力では抗うことのできない大自然の暴威に対し、「災害列島」日本の歴史上の全ての被災者たちは、挫けず前向きに生きていくための諦観の言葉で、慰めあい、肩を寄せ合って生きてきた。だが、阪神・淡路大震災も東日本大震災も、「仕方がない」で諦めさせられるべき「自然災害」ではない。

東電、経産省・保安院、「最短10分の週一会議で年収1650万円の国家公務員」内閣府・原子力安全委員会小泉政権に甘い汁を吸わせて「原発サボタージュ」に従事させ、巨大な「震災復興・放射能除染事業利権」ベクテル、アレバら国際金融軍産複合体グローバル企業に与え、中国の尖閣侵略・東シナ海ガス田強奪を許した裏で、関東大震災で1億5000万ドルの高利国債(「国辱国債」)の債権者となったモルガン商会を「秘密の代理人」とするロスチャイルドは、東日本大震災で暴落した日本の国債、企業株、「放射能汚染で人の住めなくなった土地」を買いまくった

「ロスチャイルドの中央銀行」日銀が日本の上場企業の5割、日経平均企業の9割の大株主となっている、という事実がそれを証明している。(日銀の「ETF購入」は2010年から始まった_「プット・オプション」?)


■「ETF爆買いの果て、日銀が日経平均企業9割で実質大株主-試算『Bloomberg』2016年4月25日

■「日銀、企業の4割で大株主 イオンなど5社で『筆頭』『日本経済新聞』2018年4月27日

■「日銀が上場企業の5割で大株主の異常さ。株価が下がれば日本は大変なことになる『Money Voice』2019年5月9日


「9.11」でも、2001年9月11日の数日前に、アメリカン・エアラインやユナイテッド・エアラインなど「9.11」関連企業の株が、異常に多数「プット・オプション」で買われていたという事実がある。

これは「陰謀論」ではない。「陰謀の事実」である

そうではない、というなら、ぜひ全日本国民の目前で、公開討論による「ファクト・チェック」をしてみようではないか_「南京大虐殺」「慰安婦=性奴隷 強制連行」でも、「『日本国憲法』無効論」でも、「反・庶民ファースト」「ロスチャイルド側」の左翼学者・メディア保守言論人・政府自民党も、「『公議公論』に付す」ということを徹底的に避ける。異論は全否定で封殺する_全体主義的言論弾圧である。

「『9.11』陰謀の最高指揮官」として据えられ、「対テロ戦争」を開始した第43代米国大統領ジョージ・W・ブッシュは、「JFK暗殺」計画・指揮グループの一員で81年から89年までレーガン政権下CIA長官を務めたのち第41代大統領として「湾岸戦争」を開始した父、ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ「ヒトラー・ナチス」に融資して「第二次世界大戦」を起こさせたアメリカ・ロスチャイルド連合の「ユニオン・バンク」「ブラウン・ブラザース・ハリマン」プレスコット・ブッシュ(W・ブッシュの父方祖父)とジョージ・ハーバート・ウォーカー(W・ブッシュの母方祖父)や彼らの先祖同様、「スカル&ボーンズ」のメンバーであった。

ブッシュ家もウォーカー家も、1932年の「スカル&ボーンズ」創設1940年の「アヘン戦争」惹起まで遡ってロスチャイルド中国・東アジア連合として麻薬・奴隷交易で財を成した東部エスタブリッシュメントの「名家」である。

■2000年12月、WTC「ツイン・タワー」は「早急の処置を要する問題あり」との査定評価が出され、南北両棟のエレベーター・シャフトの「Upgrade」、及びWTC 1(北棟)の92~102階とWTC 2(南棟)の77~97階の「防火対策処置」がなされた。「9.11」で「2基のジェット機が激突」して破壊されたのは、WTC 1が「93~99階」、WTC 2が「77~85階」である。

これらの工事を委託されたのは、WTC 1「北棟」の38階にオフィスを構えていた「Turner Construction Company」で、CEOのトム・レパードは、『9.11調査報告書』を書いた「NIST National Institute of Standards and Technology」を所管する商務省長官カルロス・グティエレスと大統領ジョージ・W・ブッシュの二人と、個人的に親密な間柄にあった。

■「9.11」で「5人のテロリストにハイジャックされ、ペンタゴンに激突したアメリカン・エアライン77便」の出発空港「ワシントン・ダレス空港」、アメリカン・エアラインとWTCビル群のセキュリティを委託されていた「Securacom セキュラコム(現ストラテセック)」は、ジョージ・W・ブッシュの弟マーヴィン・P・ブッシュが1993年から2002年3月まで会長を務めた会社であった。

■「3.11」の前年、2010年4月に福島第一原発のセキュリティを委託された「マグナBSP」は、核兵器を製造するイスラエル軍基地ディモナをベースとし、テル・アヴィヴや中国にも拠点を持つ、れっきとしたイスラエル国防省・通産省のフロント組織である。

「マグナBSP」が「福島第一」セキュリティ担当となった直後の2010年6月、米国・イスラエル両政府がジョージ・W・ブッシュの許可で「イランの核施設攻撃」のため共同開発したマルウェア「Stuxnet」が「流出」[David E. Sanger 「Obama Order Sped Up Wave of Cyberattacks Against Iran」『New York Times』2012年6月1日付]、日本でも発見されている。

「マグナBSP」は、東日本大震災・福島原発事故当時、各原子炉制御室を含めた福島原発全てに、秘密裡に、原子炉建屋内では禁止されている「双方向のインターネット回線」を設置しており、常時接続で「Stuxnet」によって原子炉運転パネルに「通常運転中」を偽装させながら、各原子炉を「リモート・コントロール」する能力を持っていた。

東電がマグナBSPのインターネット設置の事実を知ったのは、東日本大震災で福島第一1~4号機が水素爆発してしまった後の2011年3月15日イスラエル『エルサレム・ポスト』紙記事によってであった。

政府・東電の『福島原発事故調査報告書』に、もちろん、そのような記述はない。

「イスラエル・マフィアを警戒して」イスラエル国民へのビザは厳しく制限している日本政府が、「日本の国民と国土への安全保障」に直結する「福島原発の安全保障」を、イスラエルがイスラエルの国家安全保障を委託するため2001年1月に設立したセキュリティ会社に任せたのはなぜか?

数多くの厳然たる事実から導き出される答えは唯一つ____

「JFK暗殺」「9.11」「3.11」は、CIA(FBI)/イスラエル情報部モサド、米国務省・国防総省とイスラエル政府の共同作戦であり、日本政府・保安院・原子力安全委・東電のトップは全て承知の上協力した「米国民と日本国民を犠牲にした日米ロスチャイルド連合の非道な金儲け」であったのである。

「巨大地震・津波が想定外だった」「保安院と『原子力ムラ』政治家・官僚の『原子力安全神話』過信が招いた『人災』」………………それらは「ロスチャイルドメディア・言論人」による「原因追求」のフリをした、新たな「思考停止ポイント」にすぎない。

私たち庶民は、「世界の庶民ファースト」で世界の諸国民と手を携え、情報読解能力を磨いてロスチャイルド「新世界秩序」の本当の陰謀を暴き、真実の力と勇気をもって「まじめに働くものがバカを見ない社会」に、世界を変えてゆかねばならない。

(以下、「『真・天皇機関説』と『世界倫理オンブズマン』が、『金と権力』の上に立つ『至高の権威』を日本と世界にもたらし、『地域通貨による地産地消の循環型経済』で全世界の庶民が幸福になれる社会を実現する_『日本国憲法』無効確認が世界から戦争と貧困を根絶する[総合版5/5]」(仮題)に続きます。)

 

 

ロスチャイルド国際連合は、『日本国憲法』と日米安保条約によって、日本の主権と独立を簒奪し、日本民族の名誉と尊厳を蹂躙している__『日本国憲法』無効確認が世界から戦争と貧困を根絶する[総合版3/5]

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「南京大虐殺」「中国侵略」「慰安婦=性奴隷」………………ロスチャイルド連合国史観の誣告罪放置が、世界で戦争・テロ・国際間不信・不和を創出している

ロスチャイルド「新世界秩序」は非民主主義、エセ人道主義のグローバリズム帝国主義「戦争金融サギ」世界基地植民地奴隷制度

ロスチャイルド金融テクノクラート独裁体制下、ロスチャイルド金融軍産複合体の米国務省・米国防総省の下部組織「日米合同委員会」が、国民が誰も知らないままに、ロスチャイルド日銀とともに、戦後日本を奴隷支配している

日米合同委員会の決定は、『日本国憲法』に優先する

「植民地統治法」に過ぎない『日本国憲法』を、「憲法」という最高法規として戴く日本は、独立主権国家ではない

「『象徴天皇』で日本は国体を護持した」「『日本国憲法』で国民が『主権者』となり、日本は『民主主義』国家となった」「サンフランシスコ『平和』条約で、『連合国の日本占領』は終わった」という大嘘を信じ込まされた「戦後日本」の国民は、ロスチャイルドによって同様にたぶらかされた世界の諸国民とともに、虚偽の「繁栄」とまやかしの「人権主義」、奴隷の「自由と平和」の中で、長く緩やかな滅亡への坂道を下っている………………

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東京裁判法廷_市ヶ谷の旧陸軍士官学校

【PHASE 6(1945-1951)_東京裁判、『日本国憲法』、日米安保条約と日米合同委員会[War Guilt Information Program ]】

  • 1945年8月15日_昭和天皇の「鶴の一声」玉音放送により、日本8000万の民が武器を置き、「停戦」成る。[「奴隷化」を意味する「敗戦」を「終戦」と言い換えて日本国民を油断・脱力させる]
  • 1945年8月28日_ロスチャイルド国際連合(米国と英連邦=オーストラリア・ニュージーランド・英領インド)による日本本土進駐開始
  • 1945年8月30日_連合軍総司令官マッカーサー元帥一行(ロスチャイルドCIA/『Newsweek』)来日_[誰も知らないままに、ロスチャイルド国際連合の「日本占領」=「終わらない日本植民地統治」始まる]

日本と世界の諸国民は、ロスチャイルド「新世界秩序」の世界基地植民地化の嚆矢「日本占領」によって、ロスチャイルド国際連合の「戦争金融モノポリーゲーム」の「駒」にされた

ロスチャイルド「新世界秩序」の「世界金融モノポリー・ゲーム」は、互いに互いを「悪」と呼び合う「国際共産主義 vs 国家主義・民族主義・保守主義」の基本対立軸上で進行する。

ロスチャイルド国際金融テクノクラートは、「世界金融モノポリー・ゲーム」の「銀行」役であり、ゲームの創始者であるから、「元締め独り勝ち」は最初から決まっている

第一次と第二次、二つの世界大戦によって、世界はロスチャイルド国際金融連合によって、「世界金融モノポリー・ゲーム」に強制参加させられた

第二次世界大戦によって、世界の領土は、ロスチャイルド国際共産主義陣営とロスチャイルド資本主義陣営とに、二分された

ロスチャイルド国際金融テクノクラートは、国際共産主義者に「ソビエト連邦」という名で隷下の共産主義諸国を「衛星国」=「植民地奴隷」化させ、資本主義・保守主義者にはロスチャイルド中央銀行「政策委員会」・御用経済学者を使って「自由貿易」「証券株式市場主義」「グローバリズム経済」「金融ビッグバン」「プライマリー・バランス重視」「難民・外国人労働者受け入れ」など、ロスチャイルド「新世界秩序」に都合の良い政策を行わせて、結局両陣営・全世界が「基地植民地」化、「債務奴隷」していく「ゲーム」をプレイさせた。

「国際共産主義の脅威」に対抗して、「サンフランシスコ対日平和条約」に参加・調印した「民主主義・資本主義国家群」が、東西冷戦対立軸の「西側陣営」としてロスチャイルド国際連合「国連」が盟主となる「サンフランシスコ体制」を構築するためにこそ、ドイツと日本は「悪のファシズム枢軸」でなければならなかった。そして、「ロスチャイルド国際連合の正しい導きによって改心した敗戦国」ドイツと日本は、「正義の国際連合」の監視のもと、国連憲章「敵国条項」に縛られながら、それぞれ「NATO 北大西洋条約機構」と西側陣営の極東の要衝に位置する最前線基地として「国際社会に復帰」する。

「『邪悪なるファシズム枢軸』ドイツと日本が、『ホロコースト』『南京大虐殺』『世界侵略共同謀議』という『平和に対する罪』『人道に対する罪』を犯した」_それは「世界大戦の勝者」であるロスチャイルド「新世界秩序」が書いて世界に与えた「正しい歴史認識」である

この「ロスチャイルドによる『正しい歴史認識』」を世界中に浸透させるため、ロスチャイルド国際金融連合は「War Guilt Information Program 」という名の戦争贖罪認識誘導「洗脳プログラム」で、日本国民だけでなく世界の諸国民全体を「思想教育」した。

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【War Guilt Information Program_東京裁判、検閲・焚書・洗脳、『日本国憲法』、国連憲章「敵国条項」】

  • 1945年9月2日_ポツダム宣言受諾により約束されたはずの「有条件降伏」(占領は「保障占領」であるべき)が、「無条件降伏」(デベラチオ=戦亡・征服として、「被占領国は占領国に何をされても文句を言えない状態」)に書き換えられた卑怯なる降伏文書に、米軍艦ミズーリ号上で日本が調印させられる

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  • 1945年9月10日_GHQが「言論統制」を示唆した「新聞報道取締方針」「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」( 連合国軍最高司令官指令 SCAPIN-16 )を発令
  • 1945年9月18日_朝日新聞が、1945年9月15日と9月17日の二つの記事について二日間の業務停止命令( SCAPIN-34 )を受ける

「『正義は力なり』を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反の戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであらう」_鳩山一郎、1945年9月15日付 朝日新聞

「求めたい軍の釈明 『比島の暴行』発表へ国民の声___ほとんど全部の日本人が異口同音にいってゐる事は、かかる暴虐は信じられないといふ言葉である」_朝日新聞 1945年9月17日

  • 1945年9月21日_ロスチャイルドGHQが「Press Code for Japan 日本に与うる新聞遵則」(SCAPIN-33)発令
  • 1945年9月22日_同「Radio Code for Japan 日本放送遵則」(SCAPIN-43)発令

これはロスチャイルド国際連合による事実上の言論弾圧検閲_「言論の自由」も日本人の「基本的人権」も踏みにじった全体主義独裁体制であった

(GHQの検閲30項目の詳細については、拙ブログ別稿[「日本人の魂の武装解除」:GHQ検閲リスト30項目で連合国が隠したかったこと]もご覧ください)

検閲は連合軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)参謀部のうち情報担当のG2(参謀2部)所管の「Civil Censorship Detachment(CCD)民間検閲支隊(GHQスタッフ370名、日本人嘱託5700名)により実施された。新聞記事の紙面全てがチェックされ、その数は新聞記事だけで一日5000本以上であった。(プレスコード wiki

  • 1945年12月8日_ロスチャイルドGHQ版「正しい歴史認識」の日本国民への刷り込み『太平洋戦争史』が全国の新聞紙上で全10回の連載開始。NHKラジオ第一・第二では『真相はこうだ』が1945年12月9日から10回に亘り放送。その後『真相箱』『質問箱』と名を変えて1948年1月まで継続
  • 1946年4月_『太平洋戦争史』が高山書院から聯合軍総司令部(GHQ)民間情報教育局資料提供、中屋健弌として刊行_「黒塗り」された学校教科書の補助教材として使われる[学校児童のロスチャイルド国際連合史観による洗脳]
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1937年9月、占領した中国北部・保定地区を行進する日本軍

大東亜戦争で、中国と東アジア諸国を、「植民地奴隷」の地位から解放せんと日本が戦った「本当の敵」は、第二次世界大戦時には「アジア・アフリカ・南北アメリカの有色人種全体の『奴隷主』」となっていたロスチャイルド国際金融カルテルであった

ロスチャイルド国際連合GHQは、「検閲30項目」によって、実際の戦場に赴いた日本兵―殆どが農村出身の「普通の日本人」―にとって、真に「植民地解放の戦争」であった大東亜戦争の呼称を禁じ、「満州事変・支那事変で始まる『15年戦争』=太平洋戦争」という「東アジアに対する日本の侵略戦争」という捏造された歴史とすり替えて、本当はロスチャイルド国際連合が負うべき東アジア諸国への賠償を、まんまと日本に肩代わりさせたのだった。

だが、「南京大虐殺」など無かった

【「南京大虐殺」がロスチャイルド国際金融軍産複合体によって捏造された虚構である証拠】

1.「南京安全区国際委員会」はロスチャイルド「スカル&ボーンズ」キリスト教宣教師 とロスチャイルド国際軍産複合体の巣窟、『南京安全区国際委員会報告書』は、中国国民党監修の「反日戦争プロパガンダ」であった

「虐殺派」が「客観的な立場の虐殺目撃者」「決定的な南京大虐殺の証拠」ともてはやす南京安全区国際委員会のメンバーは、中国国民党に雇われた「南京の日本軍の残虐行為」宣伝工作員と、米・英・独・ベルギー・デンマークの石油・貿易・保険会社―ロスチャイルド国際金融軍産複合体の権益利得者達で構成されていた。

本Documents on Rape of Nanking1903年の「Yale in China」(イェール大学ディヴィニティ・スクールの支援で中国各都市へのキリスト教学校、病院の設立)開設以来、キリスト教伝道の名の下で、中国の巨大な人口を、世界一の収穫量を誇る「アヘン農園」の奴隷労働力として使用するため「民は生かさず殺さず、愚かに保て」の共産主義をソ連ともども支援してきた「スカル&ボーンズ」イェール大学は、「Yale in China」の学生であった毛沢東を「スカル&ボーンズ」に取り立て、漢民族の「復興・自立と発展」を目指す「三民主義」孫文の国民党を冷たくあしらうようになっていた。国民党に雇われた南京のアメリカ人宣教師たちが必死で「反日プロパガンダ工作」に励んだのには、このような背景_本国からの支援途絶の可能性という、深刻な金銭問題があった。(『南京安全区国際委員会報告書』及び国際委員会メンバーの日記、書簡などのアーカイブは全て、イェール大学ディヴィニティ・スクール図書館に所蔵されている)

■1937年12月12日_熾烈を極めた南京攻略戦のただ中に、南京北部の揚子江で起きた、日本軍艦による二つの米英軍艦の「誤爆・誤沈」事件(「パネイ号事件」「レディバード号事件」)は、そもそも米英軍艦が、退却する中国軍兵を自国旗の下に多数匿っていたこと[米国の「中立法」違反]に起因していた。しかも、米海軍砲艦パネイ号はロックフェラーの「スタンダード・オイル」のタンカーを、英海軍砲艦クリケット号とスカラブ号はロスチャイルド「ジャーディン・マセソン」の倉庫船を護衛航行中であった。

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中国国民党・蒋介石とその妻・宋美齢、アメリカ陸軍准将スティルウェル、1937年頃

[1937年6月の、蒋介石の妻・宋美齢の要請に応じた米空軍「義勇部隊」(「フライング・タイガース」_日米戦争開戦後の1941年設立、と「公称」)の設立とともに、再三の「中立法」違反]

■南京安全区国際委員会会長ジョン・ラーべ_ドイツの武器商「ジーメンス」南京所長(孫文のころからソ連の政治顧問・軍官学校教官を受け入れていた国民党は、1928年からドイツ軍の軍事顧問団を招聘して兵士の訓練、トーチカの構築など軍の「近代化」を任せていた)[ドイツのヴェルサイユ条約違反、日独伊三国同盟違反]と、

本 Eyewitnesses to Massacre

米国人宣教師たち_国際委員会秘書ルイス・S・C・スマイスジョン・G・マギー牧師、南京大学教授マイナー・シャール・ベイツ、医師ロバート・O・ウィルソン、南京大学病院理事ジェイムズ・H・マッカラム、YMCA書記ジョージ・A・フィッチ、金陵女子文理学院教授ミニー・ヴォートリンら_は、市民になりすまして[国際法違反の「便衣兵」]安全区に潜んだ国民党軍宣伝工作部隊の中国人が持ち込む「日本軍の悪行」を検証もせずそのまま『南京安全区国際委員会報告書』にまとめ、随時日本大使館へ抗議を行うほか、上海にいる国民党宣伝工作員『New York Times』ティルマン・ダ―ディン『What War Means』著者ハロルド・ティンパーリーなどへ資料として抗議文書を回送、また家族や友人たちへの手紙で「南京の悲惨な状況」を訴えたりしていた。

「[1936年12月の「西安事件」の時]南京の米国人YMCA書記[フィッチ]は、南京放送で『蒋介石は共産党軍に殺された』『西安は共産党軍に占領され、略奪・強姦事件が多発している』などという[国民党を利する、反共産党の]荒唐無稽な捏造報告をおこなっていた」と、「ゾルゲ事件」の時、尾崎秀実とは深い関係にあったコミンテルン・スパイで、当時毛沢東の共産党・八路(パーロ)軍と行動を共にし、西安事件の現場にもいたドイツ『フランクフルターツァイトゥング』紙の特派員アグネス・スメドレーは、1943年の自著『Battle Hymn of China』に書いた。

スメドレーはまた、「あまりにも多数の八路軍兵士が[プロパガンダ工作のため]日本兵の軍服を着ている」と1937年12月5日のジャーナルに書き込んだ。(『China Fights Back』London Victor Gollancz, 1938)

NYT 4 JAN 1938 B

「元中国軍将校らが米国人の難民キャンプに:大佐とその部下達 南京での犯罪を日本軍のせいにしていたと白状」

「南京に留まって国際難民救済委員会を結成していた米国人大学教授達には非常に不面目なことに、彼ら自身の難民キャンプに敗軍の将校とその6人の部下を匿っていたことが発覚。」「しかも、あろうことかその大佐を、難民キャンプの幹部に据えていた。」「彼らは南京防衛戦で退却の際、軍服を捨て去り、大学構内に潜伏していた。」「彼らは、日本軍の掃討部隊に、建物内に隠匿した6丁のライフルと5丁の回転式拳銃、砲台から外した機関銃と弾薬を発見された後、自分たちの真の身元を白状した。」「これらの元中国軍将兵たちは、南京で略奪を働いたこと、そして或る夜、難民キャンプから女の子達を暗闇に引き摺り込み、翌日この暴行を日本軍のせいにしたことを、米国人をはじめとする外国人の面前で告白した」「この元将兵たちは逮捕された。そして軍法会議にかけられ、おそらくは処刑されることであろう。」(『New York Times』1938年1月4日付け、拙訳:ブログ筆者)

南京 ヒスイ勲章

特に「活躍」したベイツとヴォートリンは、そのプロパガンダ工作員としての功績を讃えられ、南京陥落の翌年、国民党・蒋介石から「秘密裏に」ヒスイ勲章を授与されていた

(『American Goddess at the Rape of Nanking』掲載の左写真のキャプションに「1938年7月、国民党政府からミニーに、秘密裡に授与されたヒスイ勲章『The Order of Jade』、写真撮影Dr. Chia-lun Hu 」とある)

2.南京の人口「20万人」は、南京陥落後2週間で「25万人」に、1年後には「40万人」に増加していた

本 ラーベ日記

1937年11月28日(日本軍の南京城外到達は12月10日)、南京警察長官王固磐(ワン・コーパン)が「南京には[貧乏で他市へ疎開することもできなかった]中国人難民が20万人残っている」と繰り返し発表している、と国際委員会会長で「名誉市長」のジョン・ラーべが日記に書く。そして、ラーベは「13日に[日本軍により]南京が陥落した時点で、我々[安全区国際委員会]は殆ど全ての市民[20万人]を、日本軍の爆撃で殆ど損傷の無かった安全区に、集めていた」と、1937年12月17日付日本大使館宛ての手紙に書いた。

1938年1月14日の外交官補・福田篤泰に宛てた手紙では、ラーベは「[1937年のクリスマス前後に始まった]日本軍の中国人難民への『良民証』登録・発行により、南京在住の中国人難民の数は25~30万人となった」と書いた。

また、東京裁判では1946年8月29日、「南京大虐殺」に関する審議において、被告側弁護人レヴィンが、ウェッブ裁判長に対し南京で30万人が殺されたという証言があるが、当時の南京には20万人しかいなかったはずであります」と質し、ウェッブが慌てて「あなたはその証拠を持っているかもしれないが、今はそれを提出する時ではない」と退ける一幕があった。「その証拠を提出する」機会は、決して訪れることはなかったが………。

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(p. 4,551,  “The Tokyo Major War Crimes Trial: the Transcripts of the Court Proceedings of the International Military Tribunal for the Far East” Edited by R. John Pritchard)

「[1937年12月13日の]陥落当時25万人だった南京の人口も、今では40万人に増えた。[………]最近の帰還者は主に市外への避難者だ。(戦場となる)南京市から安全を求めて避難したにも拘らず、匪賊が過酷な取り立てを行う不安定な僻地で、お金を(そして多くの場合は着る物も)使い切ってしまったのだ。」_マイナー・シャール・ベイツ、1938年11月29日付の「友人への手紙」、『Eyewitnesses of Massacre』p.44

日本軍占領下の南京は、陥落から数か月で、わずか1600人の日本軍によりインフラも復旧され、商売するにも安全であったから、「良民証」を保持した中国人市民と、婦女子を含む600人の日本人居留民の、南京城内外の自由な往来があった。

そして何より、中国の良民は、「清野作戦」「三光作戦」など、匪賊同然の無法を同胞に働く中国軍をむしろ恐れ、正しい規律と軍隊としての頼もしい強さで、それらから守ってくれる日本軍を、慕っていた。

「何人かの中国人は、『略奪・強姦・放火は中国軍がやったのであって、日本軍ではない』と証明する準備がある、とまで言っている」時々、我々(外国人)は狂人や白痴を相手にしているのかと思うことがある……」_ジェイムズ・H・マッカラム、1938年1月9日、『Eyewitnesses of Massacre』p.238

3.南京国際委員会の外国人の誰も、日本軍の「不法殺害」を一件たりとも目撃していない

東京裁判で、国際委員会/南京国際赤十字会会長のマギー牧師は、自分自身で目撃した「日本兵による中国人の殺害」は、「日本兵の誰何に答えず、脱兎のごとく逃げ出した男が撃たれた」という、「戦場では当たり前の、合法的殺害」ただ一件である、と証言した。(Pritchard 前掲書、p.3,929)

南京安全区報告書も、国際委員会クルーガーとハッツが目撃した「日本軍による便衣兵の合法的処刑」(第185件)以外は全てが伝聞であり、しかも、たった数件の例外を除いた殆ど全ての報告は「検証すらしていない、また聞き」であると告白している。(『Documents of the Rape of Nanking』p.78)

4.東京裁判は、[南京大虐殺を]命令・認可・許可したという「訴因54」では、中支那方面軍司令官・松井石根大将を不起訴にするほかなかった

そのかわり、「戦時国際法の徹底遵守・違反行為の防止義務の無視」という「訴因55」ただひとつで、松井大将を死刑にした。(他の殆どの被告が有罪とされた「連合国・各国への侵略謀議」の全てでも、不起訴となった)

「妊婦を強姦してその腹を銃剣で裂き、胎児を引きずり出して空に放り投げ、それを銃剣で突き刺せるかを競うゲームに、皆で興じた」などという荒唐無稽なエピソードが満載の連合国版「南京大虐殺」は、司令官の命令なしに、一般の日本軍将兵=普通の日本人が、暴走して起こした、と東京裁判が判定し、世界は今もそれを「正しい歴史認識」として信じている。

(詳しくは、拙ブログ別稿「『南京大虐殺』の虚構」の完全証明をご覧ください)

「〔東京裁判の〕多数派の判事の判決の要旨を見るにつけ、私はそこに自分の名を連ねることに嫌悪の念を抱くようになった。これは極秘の話ですが、この判決はどんな人にも想像できないくらい酷い内容です」_________東京裁判オランダ判事B・V・A・レーリンク、1948年7月6日、友人の外交官への手紙

ロスチャイルド国際連合の「日本と世界の諸国民に対する政治プロパガンダ・洗脳装置」に過ぎなかった東京裁判は、国際法史・人類史の汚点である

【東京裁判は、日本の「中国侵略」も証明していなかった】

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奉天の張作霖爆殺事件直後の現場検証

満州事変の発端といわれる「張作霖爆殺事件」(1928年6月4日)と「柳条湖事件」(1931年9月18日)も、支那事変の発端「盧溝橋事件」(1937年7月7日)も、その前年の「西安事件」(1936年12月12日、国民党・蒋介石を、父親を殺そうとしていたという話もある張作霖の息子・張学良と共産党が拉致監禁、「国共合作」を強要)も、全て国際共産主義者・コミンテルンがその謀略の中心であったことが明らかになっている。

そもそも、1927年3月24日、蒋介石らの国民革命軍が南京の外国領事館などを襲撃した「南京事件」も、コミンテルンのミハイル・ボロディンが主導したものであった。孫文、蒋介石による国民党「北伐」は中国共産党を「討伐」しての中国統一が目的のはずであったが、1928年に始まる「第二次北伐」は、ソ連のヴァシリー・ブリュヘルの下で計画されるなど、「世間知らず」の日本にとっては、「欧州情勢」のみならず、中国情勢も十分に「奇々怪々」であった。

日本が「侵略戦争」を始めるまでもなく、中国は既に、国民党、共産党、軍閥、匪賊にソ連・コミンテルンと麻薬・鉄道利権に群がる米英ロスチャイルド連合が入り乱れて、路傍に死体が転がっているのが日常の、前世紀から続く血生臭い時代の中にあった。

誰が誰の「敵」か「味方」かは関係ない_誰もがロスチャイルドの銀行に金を借りて戦争をしていた_武器、工業資源、麻薬_世界のどこでもそうであるように、中国で商売をするものが、中国ロスチャイルド連合を通さずに商売をすることは不可能であった

「5.15事件」(1932年)「2.26事件」(1936年)は、ドイツのヒトラー・ナチス台頭と同様、日本に「ファシズム台頭」の「前科」を与えるためにロスチャイルド戦争金融がバックについた、ロスチャイルド作「世界戦争の世紀」の二つのエピソードに過ぎなかった

近衛文麿と吉田茂は、コミンテルン・スパイ尾崎秀実の明らかな外患誘致「ゾルゲ事件」に、コミンテルンとロスチャイルドの両側から深く加担していたから、近衛・吉田の「昭和維新」実行委員会、ロスチャイルド連合「ヨハンセン・グループ[ヨシダの反戦グループ_特高警察が命名]」に火の粉をふりかける可能性のある「外患誘致」が適用されないまま、1944年11月7日、尾崎は、治安維持法などの罪状でリヒャルト・ゾルゲとともに主犯格で死刑となった。(近衛の「華族仲間」で尾崎秀実同様の近衛内閣嘱託であった西園寺公一は逮捕され、懲役1年6か月、執行猶予2年の判決を受け、保釈されるも公爵家廃嫡となった。同事件の他の懲役受刑者たちは、1945年コミンテルンGHQによって釈放されている。)

コミンテルン近衛とロスチャイルド吉田は「共作」の「近衛上奏文」で、「悪いのは国際共産主義者」と昭和天皇に「言い逃れ」の上奏をした。

日本の保守も左翼も、同じ「ロスチャイルド穴のムジナ」であった

『日本国憲法』は、ロスチャイルドの国際連盟設立のために「14か条の平和原則」を書いたルイス・ブランダイスの弟子、GHQ民政局次長チャールズ・ケーディスが指揮して起草され、ロスチャイルドの忠実な下僕・吉田茂によって世に出された

日本国憲法公布原本

【『日本国憲法』の真の機能】

『日本国憲法』の制定そのものが、日本の憲法制定権力=国家主権の簒奪 [ワイマール憲法を停止させ、ヒトラー・ナチスに無制限の立法権を与えた「全権委任法」同様の、大日本帝国憲法停止=「立憲政治」「『御前会議』のある議会制民主主義」の抹殺と、ロスチャイルド国際連合人事の自民党「戦後55年体制」「戦後レジーム」独裁体制の基礎を確立]

「象徴天皇」による、天皇の国家権力のチェック機能=「至高の権威」を補完する不裁可権力・拒否大権の簒奪

「国民主権」による、天皇の統治権の簒奪[国体の改変]と、天皇の権威の矮小化[天皇を、ロスチャイルドが統制する内閣の下に置いて「偽りの主権者=国民」とその代表者「国会」ともども支配する]

「第88条」による、天皇の「禁治産者」_[日銀の株の半分を含む天皇の私有財産を、ロスチャイルド内閣の管理下に置く_天皇の非権力化

「第9条」による、日本の「国家防衛の権利と義務」=主権の放棄

「前文」による、東京裁判史観(ロスチャイルド国際連合史観)の踏襲と、ロスチャイルド国際連合への永遠の隷従の宣言_[ロスチャイルド「新世界秩序」下の国際社会―米英仏ロ中―に日本国民の生殺与奪の権を与える_日本民族の名誉・尊厳・誇り・基本的人権を蹂躙]

日本は、卑怯卑屈な『日本国憲法』を最高法規として戴くことで、主権国家であることをやめ、ロスチャイルド国際連合の「植民地奴隷」となった

偽憲法『日本国憲法』を「憲法」としていただくことの真の意味を知りながら、吉田茂はロスチャイルド国際連合から恥知らずな「偽憲法」をうやうやしく承り、それを日本国民に押し付けた。

吉田茂は、『日本国憲法』を、国際法(1907年ハーグ陸戦法規)違反、大日本帝国憲法違反の不法な「占領統治法」「日本に主権と独立を放棄させる『国家転覆法』」である、と告発し、『日本国憲法』の無効確認・廃棄と、同時に大日本帝国憲法の現存確認で、日本の主権と独立、名誉と尊厳、民族の誇りを回復すべきであった講和条約締結時に、それを「故意に」しなかった


◆真珠湾攻撃を「卑怯撃ち」の「(侵略戦争の)第一撃」にした、外務省の故意の「宣戦布告」手交遅延

◆日本を植民地奴隷化した『日本国憲法』の制定と、その邪な正体を隠蔽しながらの護持

◆日本全土基地化・日本全土治外法権化、統一指揮権で「完全植民地化」を図った日米安全保障条約・協定密約

◆「新GHQ」として「戦後日本」をロスチャイルド国際連合に統制させる、ディロン・リード米国務省・国防総省の下部組織「日米合同委員会」設置提案


吉田茂が殆ど一人で遂行した「昭和維新」は、どんな極刑でも償わせることが不可能な、あまりに巨大な、現在・過去・未来の日本と日本国民への裏切りであった

「ジャーディン・マセソン」横浜支店を「庭」として幼年時代を過ごしたのち、「誰も知らない『昭和維新』」の志士となった吉田茂は、ロスチャイルドの明治維新の志士たち、実父・竹内綱と養父・吉田健三からロスチャイルドの金脈と人脈を相続した、「生え抜きのロスチャイルドの下僕」であった

吉田茂
吉田茂

■吉田茂は、「真珠湾の卑怯撃ち(対米英戦争の第一撃=対米英『侵略戦争』の開始)」が日本によってなされ、日本が「負けるとわかっている無謀な戦争」に飛び込んでいくよう、外務省待命大使として裏側から在米国大使館を指揮して工作した

日本軍の、物量における圧倒的不利をはねかえすための渾身の真珠湾奇襲攻撃を、「卑怯撃ち」にしてしまった「日米交渉打切り(事実上の宣戦布告)文書」の「米国務省への手交遅延」、その「A級戦犯」三人、「英語が苦手であったにも拘らず、フランクリン・D・ルーズベルトと旧知の仲であることで在米大使となった」野村吉三郎は戦後参議院議員を二期も務め、井口貞夫奥村勝蔵は1951年と1953年、サンフランシスコ講和条約・日米安保条約締結の重要局面に、吉田茂によって外務官僚トップである外務次官に抜擢されている。奥村勝蔵は、通訳として、「天皇・マッカーサー元帥初会談」でも通訳に抜擢、古参官僚を尻目に何故か「たった一人で」同席した。井口貞夫は、講和条約交渉の際、ダレスと吉田の「窓口」を務め、西村熊雄ら他の外務省条約局スタッフが誰も知らない「裏の事情」を只一人知っていた。

■1950年5月_吉田茂は、側近・池田隼人大蔵大臣を米国務省へ派遣(所謂「池田ミッション」)し、GHQ経済顧問ジョゼフ・ドッジに秘密裡に「私信」を手交させ、「占領終了後」の「米軍の駐留」(=明白な「植民地」状態)を「日本が自ら、積極的に希望すること」「それを約した条約・協定[日米基地協定・日米地位協定・統一指揮権密約]の締結」「これらが『日本国憲法』に違反しないよう研究すること」を「”オファ”した(申し出た)」

「池田氏は、政府はできるだけ早い平和条約を願っているという吉田首相からのドッジあて次のような私信を持ってきた。そうした条約は、米軍の駐留条項を確保する必要があるから、もしアメリカ政府がそうした条件を提案することを躊躇するようであれば、日本政府が何らかの方法をみつけて提案してもよい〔と吉田は言っている〕。憲法の角度から研究して、そうした米軍基地を存続させるために、条約が必要であれば条約を結んでもよく、また基地の継続を申し出ても『日本国憲法』に違反しない、そうした条項は条約それ自身か別の協定でもよい、と」___________ジョゼフ・ドッジ報告書、1950年5月2日 主題 日本の池田大蔵大臣との平和条約に関する討議、機密(宛名なし)_Joseph N. Dodge, May 2, 1950. Subject: Discussion of Japanese Peace Treaty with Mr. Ikeda, Finance Minister of Japan. Top Secret. RG59, Office of Legal Advisor, Office Assistant Legal Advisor Eastern Affairs, Subject Country Files, 1941- 1962, Box 2)__末浪靖司『9条「解釈改憲」から密約まで 対米従属の正体 米公文書館からの報告』(日本語訳と〔 〕註、末浪靖司) 

■吉田茂は、「60%の日本国民が、『講和条約を結んで主権回復』後は(米軍が撤退し、日本の自前の軍隊で)再軍備を望んでいる」ことを示す、自ら実施した世論調査結果を握りつぶして、「日本国民は『日本国憲法』(9条)を大切に思っている(だから再軍備は出来ない。だから米軍の駐留継続は仕方がない)」という嘘をついて、「米国講和交渉団代表ダレスの再軍備の要求をはねつけた」(=「愛国的・平和的行動をとった」)とみせかけながら、その実、ロスチャイルド国際連合の「基地植民地化」を積極的に推進した

■吉田茂は、「日本全土米軍基地化・完全自由使用(=日本全土治外法権)」を確定する「事実上の植民地統治法」日米安全保障条約に、たった一人で(売国行為を隠蔽しながら)署名した

サンフランシスコ講和条約
サンフランシスコ講和条約に署名する吉田茂

「安保条約に対する第一の疑問は、これが平和条約のその日、わずか数時間後、吉田首相ひとりで調印されていることである。という意味は、半永久的に日本の運命を決すべき条約のお膳立てが、まだ主権を一部制限され、制限下にある日本政府、言葉を変えていえば手足の自由をなかばしばられた日本政府を相手に、したがって当然きわめて秘密裏にすっかり取り決められているのである。」

「いいかえれば、[日米安保条約は]決して独立国の条約ではない」

________________寺崎太郎(天皇の側近であった寺崎英成の兄で、1946年5月、第1次吉田内閣における外務次官)『寺崎太郎外交自伝』(私家版)


【明治維新の核心④】_「八紘一宇」の祭祀王・天皇がその「至高の権威」を以て任命する征夷大将軍・徳川将軍家が、「プリムス・インテル・パーレス_同輩中の第一等位」的に統率する、「失政の責任を取って切腹」「不適格な将軍・領主を家老衆合議の上『押し込め』」が有り得る封建諸侯の疑似「連邦制度」・江戸幕藩体制の転覆

ロスチャイルド国際金融カルテルが中央銀行を通じて国家を経済支配する、切腹どころか「国民への説明責任」すら持たない金融テクノクラートの密室独裁政治体制こそが、ロスチャイルドの「『通貨発行権』簒奪による世界金融侵略」の核心であった

  • 1952年4月27日_日米合同委員会が、対日講和条約、日米安保条約、日米行政協定(現・日米地位協定)発行に伴い、発足

日米合同委員会

[日米合同委員会] 〔本会議 米国代表〕在日米軍司令部副司令官、〔代表代理〕在日米大使館公使、在日米軍司令部第五部長、在日米軍司令部参謀長、在日米空軍司令部副司令官、在日米海軍司令部参謀長、在日米兵隊基地司令部参謀長

〔本会議 日本代表〕外務省北米局長、〔代表代理〕法務省大臣官房長、農林水産省経営局長、防衛省地方協力局長、外務省北米局参事官、財務省大臣官房審議官

議事録完全非公開の秘密会議「日米合同委員会」で、在日米軍「副」司令官が、外務省「北米局長」をトップとする日本の官僚たちにディロン・リード米国務省・米国防総省の「上意」を「下達」する

「日米合同委員会の公式議事録は、日米両政府に属する公式文書として、見做され、日米双方の合意がない限り公表されない。合同委員会の会合や活動に関するプレス・リリースも、日米双方の合意がない限り発表されない」________在日米軍司令部内部文書『合同委員会と分科委員会』

「新GHQ」日米合同委員会の決定は、天皇と日本国民が隷従させられている日本の最高法規『日本国憲法』に優先する

「協議」「合意」と言いながらその実態は、秘密会議で米軍が「要求」し、「憲法をも超越する会議に所属する自分」の姿に自己陶酔した日本官僚が嬉々として従い、「日本全土米軍基地・治外法権化」等、『日本国憲法』と、国会で正規に成立した日本の全ての法律に優先する「合意事項」=「密約」を乱発している

■日米合同委員会が、官僚の「長」であるはずの行政府・内閣の上位にある

■「戦後」日本の総理大臣、最高裁長官、検事総長は、米国務省・米国防総省が選んでいる

  • 軍隊のシビリアン・コントロール
  • 国民が政治意思を託して選出した国会議員による、公開される国会における立法
  • 国民が正しく政治判断をする為の、十分な情報の開示
  • 政策決定過程の全てを建設的批判にさらす可視性・透明性

明治維新でロスチャイルドが規制した、健全な民主主義の発展に必要なものを、「戦後」日本はロスチャイルド国際連合によって完全に奪われた。

「国民への説明責任」を持たないロスチャイルド国際銀行金融連合の日本銀行「政策委員会」が経済面で、ロスチャイルド国際金融軍産複合体の在日米軍=米国防総省・米国務省「日米合同委員会」が軍事面で、「戦後」日本の政治・外交権力を統制・支配している

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ディロン・リード会長クラレンス・ダグラス・ディロン

日本を事実上の「米国の基地植民地」とし、日本が主権と独立を喪失することと同義である「日本全土治外法権」を米軍に与える日米安全保障条約は、ディロン・リード社長ジェイムズ・フォレスタル米国防長官と、占領軍経済政策最終決定権を持っていた同社副社長ウィリアム・ドレイパー陸軍次官が書いた

対日講和条約交渉の米国側代表であり、『国連憲章』起草者の一人であるジョン・F・ダレスの下で働いていたディロン・リード会長クラレンス・ダグラス・ディロン(1959年から国務次官、財務長官を歴任)が、自衛隊(警察予備隊、保安隊)発足前後に米国の軍事産業要人を引き連れて来日し、三菱重工などディロン・リードが解体中止させ再編成した日本の軍事産業を、米国ロスチャイルド連合に統合した。

クラレンス・ダグラス・ディロンはまた、株式会社「日本技術生産協力会」(後に「日本兵器工業会」_1988年に解散後は社団法人「日本防衛装備工業会」)を設立、戦後日本の兵器・軍需装備品の生産・販売・購入がディロン・リードを通して行われるシステムを構築した。


ロスチャイルド国際金融連合の「日本占領」を以て、「全世界の敵・悪の枢軸ファシズム国家ドイツ・日本・イタリアとの戦争に勝利した『連合国』即ちロスチャイルド国際金融連合のフロント組織『国連』が、『世界統一政府』的・世界の指導者的立場に立ち、世界の諸国から『拠出金』という税金を吸い上げながら、『東西冷戦体制』『対テロ戦争体制』の舵取りをする(=世界戦争経済で儲ける)ことの正当性・正統性」が捏造された

「東京裁判史観」とは、ロスチャイルド国際金融連合の世界戦争経済支配に「正義の国連」という「化けの皮」を着せるために為された日本への誣告である

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真珠湾で日本軍に撃沈される米海軍艦ミズーリ号

日本は中国・米国を侵略していない

日本では通常「侵略戦争」と呼ばれる、国際法における「War of Aggression」とは、「正当防衛によらず、領土の獲得や他国民の支配を目的とし、『自発的に』起こした戦争」のことである。中国とソ連の国際共産主義者・赤軍の度重なる挑発で始まった満州事変や支那事変、ルーズベルトの謀略の「ABCD包囲網」__数千万人の失業者が発生すると予測された石油・屑鉄などの禁輸等、米国務長官ケロッグも「戦争行為」と呼んだ経済制裁__で撃たされた「真珠湾への第1撃」、それを「卑怯撃ち」にして米国民の怒りを煽った吉田外務省の「日米交渉打切り文書(宣戦布告)の故意の手交遅延」で始まった「太平洋戦争」は、断じて侵略戦争ではない。

「共同謀議」で裁かれるべきは、ロスチャイルド国際連合の方であった

(拙ブログ別稿「原爆と真珠湾:あの戦争の真実を、オバマ広島演説の自己欺瞞が覆い隠している」をご覧ください)

「[……]日本は産品が、蚕を除いてほとんど何もありません。日本には綿がない、羊毛がない、石油製品がない、スズがない、ゴムがない、その他多くの物がない、が、その全てがアジア地域にはあった。もし、それらの供給が断ち切られたら、日本では1000万人から1200万人の失業者が生じるであろうことを、日本は恐れていました。それゆえ、日本が戦争に突入した目的は、主として安全保障(security)によるものでした____ダグラス・マッカーサー元帥、総司令官解任後の1951年5月3日から開催された米国上院議会「軍事外交共同委員会」における証言

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日本軍将兵を追いかけて川を渡る慰安婦  (日本の慰安婦 wikipedia)

戦場慰安婦は「性奴隷」などではなく、「強制連行」など無かった

朝鮮での女性の月給が20円だった時代に、「月収300円以上」の戦場慰安婦(生活のため「醜業」に従事した職業婦人)は、新聞広告や口コミで応募者が殺到、大がかりな軍事行動を伴う「強制連行」など、必要も意味も全くなかった

本 Moon Oku-chu Ianfu Book

軍票でもらえる給料のほか、宴会などでもらったチップ(現金)を戦地郵便貯金に貯め、ほんの数年でダイヤモンドやワニ革バッグを買ったり、東京に家が5・6軒建てられるほども稼いだ、文玉珠の例もある。文玉珠は、酔って日本刀で切り掛かってきた客の日本兵を、逆に刺し殺してしまったが、軍法会議で「正当防衛」が認められ、無罪放免となり、馴染み客の日本兵たちから「よかったな」と喜んでもらっていた。それのどこが「性奴隷」なのか?

(拙ブログ別稿「「慰安婦『強制連行・性奴隷』説」は完全に破綻している__慰安婦には「職業選択・廃業・外出・外泊の自由」があった。__唯一客観的に検証された朝鮮人元慰安婦・文玉珠の体験記を精読する①」をご覧ください)


日本の主権の放棄を意味する『日本国憲法』と日米安保条約のそもそもの根拠とされた、独り日本を「悪玉」扱いする東京裁判史観「南京大虐殺」「中国侵略」と「慰安婦=性奴隷」の誣告は、ロスチャイルド国際連合による原爆投下を正当化すると同時に、日本と世界の国民を思考停止させ、「戦争の総括」「貧困・格差の原因究明」がなされることを阻止して、戦争金融サギ・グローバリズム帝国主義「新世界秩序」による全人類奴隷支配という、ロスチャイルドが問われるべき「世界平和と人道に対する罪」を隠蔽している

少し調べればわかることを調べもせず、日本人は自分達の祖父を、父を、兄を、「侵略者」「虐殺者」「強姦魔」と決めつけて、無実を信じてあげることも、それを証明する努力も、怠ってきた。

日本国民は、『日本国憲法』が、私達の祖父、父への冤罪を根拠に制定された事実、『日本国憲法』を「憲法」として戴くことで、私たち自身を「永遠に更生不可能な前科者」としてなぶり続けているのだ、という事実から目を背けたまま、70年余も過ごしてしまった。

日本人の思考停止は、しかし、世界の諸国民にも思考停止をもたらした。特に100万もの無辜の民を殺害した原爆投下や東京大空襲など全国無差別焼夷弾爆撃の是非を今も問い続けるアメリカ合衆国の国民にとっては、欺瞞のロスチャイルド国際連合史観の蔓延は、むしろ歪んだ「戦争贖罪認識」となって、日本同様にその国民精神を蝕むことになった。

「日本人は第二次世界大戦時に『中国侵略』『南京大虐殺』をしたのだから、原爆を落とされても仕方がない。(それにくらべたら、日本兵の頭蓋骨を置物として故郷で待つガールフレンドに贈るのくらい、可愛いものじゃないか!)」(http://time.com/3880997/young-woman-with-jap-skull-portrait-of-a-grisly-wwii-memento/)

「日本人は『20~41万人』の朝鮮人、中国人、フィリピン人などアジア各国及びオランダの女性・少女を拉致して性奴隷にしたのだから、北朝鮮が数人の日本人を拉致したことを非難する資格はない」(https://en.wikipedia.org/wiki/Comfort_women)

戦争の真実を知らなければ、戦争を総括することは出来ない。総括なしには、真の反省もあり得ない。戦争を始めたのは、本当は誰なのか。その目的は何だったのか。その真実を知って初めて、戦争を永遠に、本当に、「放棄」することへの第一歩が踏み出せる

(以下、「『日本国憲法』無効確認が世界から戦争と貧困を根絶する[総合版4/5]」に続きます

ロスチャイルドの「通貨発行権」統制により、日本と世界の庶民は「新世界秩序」カーストの「無自覚の債務奴隷」にされた__『日本国憲法』無効確認で世界から戦争と貧困を根絶する[総合版1/5]

FRB設立・世界金融大恐慌からナチス台頭、原爆投下と日本の敗北・占領、東西冷戦を経て対テロ戦争へ………「世界戦争の世紀」のシナリオはロスチャイルドが書いた___『日本国憲法』無効確認が世界から戦争と貧困を根絶する[総合版2/5]

を既読でない方は、こちらからどうぞ)

FRB設立・世界金融大恐慌からナチス台頭、原爆投下と日本の敗北・占領、東西冷戦を経て対テロ戦争へ………「世界戦争の世紀」のシナリオはロスチャイルドが書いた___『日本国憲法』無効確認が世界から戦争と貧困を根絶する[総合版2/5]

三つの世界大戦の後に、ロスチャイルドの「世界金融革命」「世界金融統合」が完成する

ロスチャイルドの「イルミナティ」3代目首領アルバート・パイクが1871年、「三つの世界大戦」を予告する

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「メ―ソンの黒い教皇」アルバート・パイク

「未来計画」(アルバート・パイクが「イルミナティ」2代目首領ジュゼッペ・マッチ―ニに宛てた書簡)

  1. 第1次世界大戦は、ツァーリズムのロシアを破壊し、広大な地をイルミナティのエージェントの直接の管理下に置くために仕組まれることになる。そして、ロシアはイルミナティの目的を世界に促進させるための〝お化け役″として利用されるだろう
  2. 第2次世界大戦は、「ドイツの国家主義者」と「政治的シオニスト」の間の圧倒的な意見の相違の操作の上に実現されることになる。その結果、ロシアの影響領域の拡張と、パレスチナに「イスラエル国家」の建設がなされるべきである
  3. 第3次世界大戦は、シオニストとアラブ人との間に、イルミナティ・エージェントが引き起こす、意見の相違によって起こるべきである。世界的な紛争の拡大が計画されている
  4. キリストの教会と無神論の破壊の後、ルシファーの宇宙的顕示により、真の光が迎えられる

(『教科書が絶対に教えない 闇の世界史』ウィリアム・ガイ・カー)

第一次世界大戦を経て、ロスチャイルド金融貴族が「世界平和のための国際機構」国際連盟を設立し、「ロスチャイルドの世界中央銀行」BIS(国際決済銀行)によって世界を統率する「ヴェルサイユ体制」が構築され、「バルフォア宣言」によるロスチャイルド主導の「ユダヤ国家建設」への布石が打たれた

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国際連盟の会場は仏ロスチャイルド家の居城 シャトー・ド・プレニー

世界金融大恐慌と「ファシズムの脅威」で世界の諸国をロスチャイルド国際連合「連合国」として金融統合し、第二次世界大戦を勃発させたロスチャイルドは、アメリカ・ドルを「新・国際基軸通貨」とする金融システム「ブレトン・ウッズ体制」と、「新・超大国」アメリカが「世界の警察」として第二次大戦後の東西冷戦の世界を統率する軍事システム「サンフランシスコ体制」の両輪で、「新世界秩序」金融カースト制度を構築した

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NY国連本部ビルの土地は、ロックフェラーが購入・提供した

「鉄の壁」崩壊[東西ドイツ統合]と「天安門事件」に象徴される「東西冷戦終結」が促進した「ヨーロッパ統合」=「EU結成」の一方で、世界は「民族対立」の時代へと誘導された

ロスチャイルド国際金融軍産複合体が起こした自作自演テロ「アメリカ同時多発テロ(通称「9.11」)」が引き金となった「対テロ戦争」の末に、第三次世界大戦ーユダヤ対アラブ・イスラムの、エルサレムと世界の完全支配をかけた「善と悪の間で戦われる世界最終戦争(アルマゲドン)」が、引き起こされるのか?

【PHASE 3(1910-1919)___FRB設立と第一次世界大戦[国際連盟とBISのヴェルサイユ体制への布石]】

  • 1907年_ロスチャイルド金融連合によってアメリカに金融恐慌が起こされる(「1907年のパニック」)_ポール・ウォーバーグが「この教訓を生かすため、中央銀行の設立が必要」と繰り返し主張を始める
  • 1910年_ロンドン・モルガン商会がモルガン・グレンフェルに改組[米ロスチャイルド連合と英ロスチャイルド連合を連結]

■1910年_ロスチャイルドが二度もその「永続的設立」に失敗した「ロスチャイルドのアメリカ中央銀行」設立を今度こそ成功させる為、J・P・モルガン所有のジキル島で秘密会議が持たれる

この秘密会議の出席者は、

  • ポール・ウォーバーグ ロスチャイルド代理人で、クーン・ローブ創業者ソロモン・ローブの娘婿、クーン・ローブ商会共同経営者
  • フランク・ヴァンダーリップ ロックフェラーとクーン・ローブを代表する「ナショナル・シティ・バンク・オブ・ニューヨーク」頭取
  • ネルソン・オルドリッチ J・P・モルガンの投資パートナーで、ジョン・D・ロックフェラーJr の義父、共和党上院議員/院内幹事、全国通貨委員会委員長
  • エイブラハム・アンドリュー 連邦財務次官補/通貨委員会特別補佐官
  • ヘンリー・デイヴィソン J・P・モルガン共同経営者
  • チャールズ・ノートン J・P・モルガンの「ファースト・ナショナル・バンク・オブ・ニューヨーク」頭取
  • ベンジャミン・ストロング J・P・モルガンの「バンカーズ・トラスト・カンパニー」社長、後にニューヨーク連邦準備銀行の初代総裁

■1912年_ロスチャイルドの「候補者全員融資」で「出来レース」の大統領選挙の末、ウッドロー・ウィルソン大統領が誕生

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ウッドロー・ウィルソン

大統領候補者3人の支援者は、ウッドロー・ウィルソンがポール・ウォーバーグとジェイコブ・シフ、ウィリアム・タフトがポール・ウォーバーグの従兄弟フェリックス・ウォーバーグ、セオドア・ルーズベルがオットー・カーン…………4人全員がロスチャイルド代理人・クーン・ローブ商会の共同経営者で、フランクフルトのゲットーからのロスチャイルドの「血の盟友」たちであった。

■1913年_「ロスチャイルドの中央銀行」FRB(連邦準備制度)設立

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FRB 連邦準備銀行

米国の「通貨発行権力」[通貨の流通量・価格の決定]「金融政策決定権」を持つ連邦諮問評議会とニューヨーク連邦準備銀行は、事実上、ロスチャイルドの支配下におかれた

ニューヨーク連邦準備銀行の株主は、NCB(ナショナル・シティ・バンク)、FNB(ファースト・ナショナル・バンク)、NBOC(ナショナル・バンク・オブ・コマース)等………これらの銀行の株主は全てロスチャイルド系投資銀行:

  • ロスチャイルド銀行(ロンドン、ベルリン)
  • ラザール・フレール(パリ)
  • イスラエル・モーゼス・シフ銀行(イタリア)
  • ウォーバーグ銀行(アムステルダム、ハンブルグ)
  • リーマン・ブラザース(ニューヨーク)
  • クーン・ローブ商会(ニューヨーク)
  • ゴールドマン・サックス(ニューヨーク)
  • チェイス・マンハッタン銀行(ニューヨーク)

FRBの株を、米国政府は一株も所有していない

アメリカ・ドルは「米国債を担保に、ニューヨーク連邦準備銀行が政府に貸し付けた債券」であり、即ちアメリカ国民はロスチャイルドの銀行に借金して、税金を払い、物品やサービスを購入するたびにロスチャイルドに「本当は払わなくてもよい利子」(25~35%)を払い続けている。

1ドルは連邦準備制度に対する1ドルの負債を表している。連邦準備銀行は無から通貨を創造し、合衆国財務省から政府債券を購入する。利子の付いた流通資金を合衆国財務省に貸し出し、合衆国財務省に対する小切手貸付けと帳簿に記帳するのである。財務省は10億ドルの利付債の記帳をおこなう。連邦準備銀行は財務省に対して債権の代価の10億ドルの信用を与える。こうして10億ドルの債務を無から創造するのだが、それに対してアメリカ国民は利息を払う義務を負うことになるのである」_ライト・パットマン下院議員、1964年、「下院銀行通貨委員会」公聴会での証言

「通貨発行権」を、ロスチャイルドが、或いは他の誰かが「私有」するということは、ロスチャイルドが作り上げた「金融ねずみ講」に、国民全員が何も知らないままに「強制加入」させられ、その「ねずみ講」の頂点に座るロスチャイルド、或いは他の「誰か」に、永久に利子を払い続ける、ということである。

  • 1914年_イルミナティが組織した「青年ボスニア」が第一次世界大戦の引き金を引く[米モルガン商会が英国の公債引受人(fiscal agent)となる]
  • 1915年5月7日_ロスチャイルド金融連合が仕組んだ「偽旗攻撃」(ドイツUボートにアメリカ人128人が乗ったイギリス客船を撃沈させた)ルシタニア号事件で、アメリカの「孤立主義政策」が一転する
  • 1915年_フセイン・マクマホン協定、1916年_サイクス・ピコ条約、1917年_バルフォア宣言 [ロスチャイルド一族による「中東三枚舌外交」-「ユダヤ vs アラブ」の対立構図の創出]

  • 1917年_クーン・ローブ商会の融資でロシア革命 [ロスチャイルドのバクー石油利権確立、ロシア国内のユダヤ人解放と、レーニン、トロツキーらユダヤ人が支配するソビエト連邦誕生]

  • 1918年_「ロスチャイルドの国際連盟設立趣意書」であった「14か条の平和原則」をドイツが受け入れ、第一次世界大戦が終結
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「ポピー」英王立戦争博物館 2018年
  • 1919年_ヴェルサイユ講和会議 [国際連盟・BIS(「中央銀行の中央銀行」国際決済銀行)設立への布石]

  • 1919年_ロンドン金属取引所でロスチャイルド5社が金取引の独占体制確立
  • 1919年_ドイツ・ナチス党、イタリア・ファシスト党が結成_米ロスチャイルド連合の融資を受けて急成長する

ロスチャイルド金融連合によってドイツに課せられた1320億マルクの巨額賠償金(外貨支払い)をBISが吸い上げ、それを英国への融資元・米モルガン商会に返済する一方、モルガン、ウォーバーグ(クーン・ローブ)、ロックフェラー、ハリマン、ブッシュら米ロスチャイルド連合が、BIS、イングランド銀行、チェイス・パリ銀行を通じてヒトラー・ナチスへ融資(貸付)していた。これら全ての金の動きに米ロスチャイルド金融連合に有利な金利・為替レートが設定されていたことは言うまでもない。

  • 1923年_第一次世界大戦後の連合国のドイツへの賠償金督促と経済封鎖のため、ドイツ銀行は国債を乱発、物価が25000倍にもなるハイパー・インフレが起こる
  • 1924年_モルガン商会が、クーン・ローブ商会に替わって、関東大震災(1923年)の発生を受けて日本政府が発行した総額1億5,000万ドルの高利「国辱公債」震災善後処理公債を引き受け

 

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京橋の第一相互ビルディング屋上より見た日本橋および神田方面の惨状(関東大震災wiki)

【PHASE 4(1928-1945)__世界金融大恐慌と第二次世界大戦[ブレトン・ウッズ体制への布石]】

1928年「パリ不戦条約」で、欧米列強にとって全く無意味な「『侵略戦争』の非合法化」をロスチャイルド国際連盟が謳った時、「1931年に満州事変、1937年に支那事変、1941年に対米英戦争で、日本が『侵略戦争』を引き起こし、ドイツとともに『悪のファシズム枢軸』として『正義と民主主義の連合国』に完膚なきまでに打ち負かされ、『無条件降伏』して『征服』(デベラチオ=全部占領)される」というストーリーが、既に決定されていた。

1929年世界金融大恐慌は、日本・ドイツと世界の諸国の経済を破壊し、ロスチャイルド金融帝国からの借金で世界戦争へと向かわせるために、ロスチャイルドのFRBが引き起こした_[世界の諸国の「ロスチャイルドの債務奴隷」化]

  • 1929年_ダイアモンドの採掘、加工、販売………全てをセシル・ローズの(つまりロスチャイルドの)「デ・ビアス」を介するシステム「CSO 中央販売機構」が設立され、ロスチャイルドのダイアモンド世界独占統制が確立

■1930年5月17日_「中央銀行の中央銀行」「ロスチャイルドの世界中央銀行」BIS(国際決済銀行、通称「バーゼル・クラブ」)設立

BIS
スイス・バーゼルのBIS

■1930年5月_高橋是清がジェイコブ・シフのクーン・ローブ商会から借りた「日露戦争債」(4%利付英国スターリング・ポンド建て、1905年11月発行)を、再び高橋是清が、アメリカ・ドル建て7100万ドルと英ポンド建て1250万ポンドに分けて「借り換え」る(発行金利6.2%、毎年の利払費530万円増→[第2の「国辱公債」]富田俊基『1930年代における国債の日本銀行引き受け』 

■1931年_満州事変、1937年_支那事変を、ロスチャイルド「コミンテルン」が引き起こす[日本が「15年『侵略』戦争」に引きずり込まれる]

  • 1931年、1932年_ロスチャイルド一族フランシス・リンドレーと、モルガン一族であり、「黒船」ペリー提督の兄オリバーのひ孫アリス・ペリーを妻に持つジョゼフ・グルー(両者ともモルガン・グレンフェル代理人)が、それぞれ駐日英大使、駐日米大使として着任[日本政府の「侵略戦争」遂行監視]
  • 1933年_ナチスが政権を取り、ヒトラーが首相に就任(翌年「総統」に)
  • 1933年_フランクリン・デラノ・ルーズベルトが大統領に選出される
  • 1937年_ジェイコブ・シフの親戚コーデル・ハルが、幕末・明治からの「不平等条約」日米通商航海条約を、「日本の中国侵略に抗議する」として一方的に破棄

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近衛文麿
  • 1938年_ロスチャイルド「コミンテルン」と通じた近衛文麿が、1月「国民政府を対手とせず」声明でトラウトマン工作をぶち壊しにし、日中戦争を泥沼化させる。11月、1940年7月の「基本国策要綱」とともに東京裁判で「世界侵略計画」と断罪される「東亜新秩序」声明を出す
  • 1939年_ヒトラー・ナチスのポーランド侵攻、続くソビエト連邦のポーランド侵攻で第二次世界大戦勃発[ヨーロッパ最大のユダヤ人口を擁するポーランドのユダヤ人が、ドイツ・ソビエト両サイドから「国外退去命令」を受ける→新ユダヤ人国家・イスラエルへの移入への布石]

「もし、ヨーロッパ内外の国際ユダヤ金融業者たちが今一度、世界を戦争の惨禍に叩き込むことに成功したとしても、その結果は、世界のボルシェヴィズム化でもなければ、ユダヤ民族の勝利でもない。それは『ヨーロッパからのユダヤ民族の消滅』である!」(If the international Jewish financiers in and outside Europe should succeed in plunging the nations once more into a world war, then the result will not be the Bolshevisation of the earth, and thus the victory of Jewry, but the annihilation of the Jewish race in Europe!)____アドルフ・ヒトラー、ドイツ第三帝国議会での演説、1939年1月30日

■1939年_原爆開発製造「マンハッタン計画」が、チャールズ・ハンブローと、後にIAEA(国際原子力機関)を創設するベルトラン・ゴールドシュミット(両者ともロスチャイルド一族)の監督の下、GE、ウェスティングハウス、デュポンら米ロスチャイルド連合の主導で始動。原料ウランは米コロラド州、カナダ、コンゴのロスチャイルド支配下の鉱山から調達された。

  • 1940年9月27日_近衛文麿が「日本の『ファシズム枢軸』への加担」となる「日独伊三国同盟」締結
  • 1940年10月7日_「ルーズベルトのお気に入り」海軍情報部極東部長マッカラムによる「ABCD包囲網」など「日本に第一撃を撃たせるための8項目」計画書
  • 1941年11月_米軍マーシャル参謀本部長が秘密記者会見で、フィリピン基地から日本都市を焼夷爆撃する構想を述べる(荒井信一『空爆の歴史―終わらない大量虐殺』)
  • 1941年12月8日(米国時間で7日)_ロスチャイルドの下僕・吉田茂の外務省とルーズベルトの友人・野村吉三郎駐米大使の「痛恨の大失態」=「宣戦布告文書の米国務省への手交遅延」によって「卑怯撃ち」にされた真珠湾攻撃で、対米英「侵略」戦争「太平洋戦争」開戦

第二次世界大戦は、ロスチャイルドに融資・血縁姻戚関係で繋がるチャーチル、ルーズベルト、スターリン、ヒトラー、近衛文麿、吉田茂によって注意深く計画され、そして遂行された

  • 1943年11月_東京で大東亜会議開催[大東亜共栄圏ー欧米列強の植民地にされている東アジア諸国との軍事連携=独立戦争への協力]
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左からビルマ、満州、中華民国、日本、タイ、フィリピン、自由インド仮政府の首脳
  • 1944年7月_ロスチャイルド一族ヘンリー・モーゲンソーJrの主導によるブレトン・ウッズ会議_IMF(国際通貨基金)IBRD(国際復興開発銀行)設立[アメリカ・ドルを新・国際基軸通貨に設定]

第二次世界大戦は、ロスチャイルド「新世界秩序」の金融基盤を構築する世界金融パラダイム・シフトのための戦争であった

ロスチャイルド国際金融軍産複合体が、アメリカ合衆国を「世界の軍需工場」「世界の金と軍需物資の集散地」としたため、第二次世界大戦中に世界の金(ゴールド)の65%が米国に集中した。

  • 1944年9月_ハイドパーク協定で、チャーチルとルーズベルトが「原爆を、(ドイツではなく)日本に使用する」ことを密約(英国立公文書館所蔵秘密文書 PREM3/139/9)
  • 1944年12月19日_日本占領政策最終決定権力を持つことになる国務・陸軍・海軍調整委員会 (State-War-Navy Coordinating Committee)「SWNCC」が、ロスチャイルド連合ステティニアス国務長官、スティムソン陸軍長官、フォレスタル海軍長官によって設置される

  • 1945年3月10日_東京大空襲ー米軍の夜間無差別爆撃・焼夷弾集中投下攻撃により死者10万人、罹災者100万人超
  • 1945年8月6日と8月9日_「悪のファシズム枢軸」日本の広島・長崎への、ロスチャイルド国際連合の「正義の」原爆投下

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1945年8月9日、上空18kmまで上昇した長崎での核爆発によるキノコ雲(第二次世界大戦wiki)

ウランとプルトニウム、二種類の原爆の威力を確かめる為、わざわざ2回に分けて行われた、ロスチャイルド国際金融軍産複合体による原爆投下は、軍事的には、「東西冷戦」「軍拡競争」「核拡散」を見越した「国際兵器見本市」であり、戦争金融経済的には、民間人をも巻き込んだ「原子力エネルギーを基盤とする大量生産・大量消費時代の開幕」を告げる、あまりにも邪悪な、あまりにもむごたらしい「ファンファーレ」であった

【PHASE 5(1945-1951)_第二次世界大戦の終結と日本占領】

  • 1945年8月15日_「平和と安全と正義の新秩序」(=「新世界秩序」)を日本に到来させるための、「無責任な軍国主義勢力の駆逐」を連合国側の「条件」の一つとするポツダム宣言受諾=日本の降伏による戦争終結を告げる昭和天皇の玉音放送_[天皇統治の国体護持を日本側からの「条件」とした、「有条件降伏」]

ポツダム宣言は、「モルガン一族」ジョゼフ・グルー国務次官、「スカル&ボーンズ」ヘンリー・スティムソン陸軍長官、「ディロン・リード社長」ジェイムズ・フォレスタル国防長官らロスチャイルド一族による「三人委員会」によって書かれた

  • 1945年8月30日_連合軍総司令官SCAPダグラス・マッカーサー元帥が、「バターン死の行進」にあてつけた「バターン号」で厚木飛行場に乗り込む
マッカーサー日本に乗り込む
コミンテルン・スパイであった『Newsweek』のコンプトン・パケナムを含めたマッカーサー一行

[天皇も日本政府も、その下に隷属させる強大な権力者」マッカーサーは、それでも、連合軍GHQの「表向きの」長であるというに過ぎなかった。

日本を支配する占領軍GHQを、さらにその上から統制し、日本の「真の支配者」として君臨していたのは、ロスチャイルドCIA(『Newsweek』のハリー・カーン)と、「モルガン」ジョゼフ・グルーが取り仕切るACJ「American Council on Japan 米国対日評議会」(1948年6月結成)と、GHQ/SCAPの下部組織[実質的には極東委員会の出先機関]として駐ソ米国大使アヴェレル・ハリマンが設置したACJ「Allied Council on Japan 連合国対日理事会」(1945年12月設立)であり、その「奥の院」には、米国務省・国防総省を支配するアメリカ・ロスチャイルド連合の雄、投資銀行/武器商のディロン・リード社がいた

『Newsweek』の大株主は、ロスチャイルドのモルガンメロンゴールドマンハリマンであるが、「日本占領」時の実権者は、満州の鉄道利権を狙っていたアヴェリル・ハリマンであった。

ACJの会員名簿には、ロックフェラーのスタンダード・オイル、戦後の原発政策に関わってくるGEウェスティング・ハウスなどの経営者や、ロスチャイルドのFirst National Bankのジョン・L・カーティスなどが名を連ねていた。

GHQの敗戦国・日本への第一声は、「ディロン・リードへの借金返済」であった

1933年にアメリカがソ連を公認した時、ソ連の公債を引き受けたディロン・リードは、ヒトラー・ナチスの1920年代、30年代の外国融資の3分の2を引き受けており、「連合軍の日独占領」とは、文字通りの「ディロン・リードの借金取り立て」にほかならなかった。

「昭和維新」のクライマックス、「ロスチャイルド国際連合による日本占領」の核心は、明治維新に続く日本経済侵略・金融支配と、経済システムの大改造にあった

【明治維新の核心②】_「富は知恵を妨げる」「清貧」の武士道精神を、徳川幕府とともに破壊して、「金と謀略」のロスチャイルド金融帝国の経済侵略「通貨発行権・戦争金融サギ」に都合の良い「近代的」証券株式市場の整備

【明治維新の核心③】_江戸期日本財閥の解体と、「ロスチャイルドの新興財閥」三菱を加えた再編成[日本ロスチャイルド連合統合]

ディロン・リード副社長ウィリアム・ドレイパー陸軍次官は、日本占領・経済政策立案の中心人物として、SCAPマッカーサーの頭越しに、「ニューディーラー」達の反トラスト・カルテル法「集中排除法(財閥解体法)」から金融・保険業を除外させて換骨奪胎し、事実上財閥解体中止、「日本を『反共の砦』にするための再軍備」=いわゆる「逆コース」を推進させた

吉田茂が「池田ミッション」で密約したGHQ経済顧問ジョゼフ・ドッジはドレイパーの「盟友」、SCAP副官L・E・バンカーは元モルガン、そして『Newsweek』1947年12月1日号で極東委員会の財閥解体に関する秘密文書「FEC230」を暴露、GHQの「急進的社会主義政策」を批判した「知日派」(戦前に東大教授も務めた)弁護士ジェームズ・L・カウフマンはディロン・リードの「非公式」の代理人であった。

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『渡辺武日記 対占領軍交渉秘録 大蔵省財政史室編』は、「日本占領」の実相が、ロスチャイルド国際金融連合による、日本経済全体の、米英ロスチャイルド連合への「吸収合併」であったことを、如実に物語っている。

渡辺武のもとには、英ロスチャイルドとJ・P・モルガンから、それぞれ1949年11月2日(『日記』p. 402)と1950年9月22日(『日記』p. 556)に、日本の外債引き受けをしたい旨の申し入れが入るが、ディロン・リード代理人カウフマンから「new loan は全てディロン・リードを通せ」と申し渡されていた(1947年8月29日、『日記』p. 118)ため、これらの案件の処理はGHQ(ディロン・リード米国務省・国防総省)へ回された。そして、講和条約締結後も、「日本が日本の財務管理をできる立場」に戻ることはなかった。

日本銀行を、FRBのような株式会社にするのがディロン・リードの当初の意向であったが、結局のところ米国の「第一・第二合衆国銀行」と同じ「認可法人」という範疇に置くにとどめ、しかし、Federal Reserve Board(連邦準備制度)同様の「Board 政策委員会」と、その下部組織として「経済三団体」を設立することで、FRB同様の機能を持たせたロスチャイルド人事の経済支配体制を、日本にも確立した。

  • 1946年4月30日_経済同友会、経済団体連合(経団連)、日本商工会議所の「経済三団体」が、米国青年会議所などを参考に、日本銀行「政策委員会」を補完する組織としてディロン・リードGHQの肝いりで設立される_[日本政府にロスチャイルド国際金融連合の「上意」を「下達」する「経済政策指揮系統」の確立]


明治維新の時も、日本銀行と横浜正金銀行の設立は大日本帝国憲法の制定に先行したが、「昭和維新」でも、やはり日本銀行「政策委員会」と「経済三団体」の設立が、『日本国憲法』制定に先行した。

このことは、明治維新と「昭和維新」が、本質的にロスチャイルド金融帝国の日本経済侵略であったことの証左である。

明治維新よりずっと前、18世紀終わりに「初代ロスチャイルド」であるマイヤー・アムシェルが12人の実力者と謀った「世界支配計画」の本質が、世界の諸国民が何も知らないままに為される「世界金融統合」による、世界人類の「債務奴隷支配」であることの証左が、その一局面として為されて来た明治維新、「昭和維新」、「平成維新」なのである。

「民主主義」「国民主権」「人権尊重」などというものは、彼らが「愚かな民を、愚かなままに保って支配する」そのためにばらまいた、無意味な「ただの言葉」に過ぎない。

(以下、「ロスチャイルド国際連合は、『日本国憲法』と日米安保条約によって、日本の主権と独立を簒奪し、日本民族の名誉と尊厳を蹂躙している____『日本国憲法』無効確認が世界から戦争と貧困を根絶する[総合版3/5]に続きます)

(前稿ロスチャイルドの「通貨発行権」統制により、日本と世界の庶民は「新世界秩序」カーストの「無自覚の債務奴隷」にされた__『日本国憲法』無効確認で世界から戦争と貧困を根絶する[総合版1/5]

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ロスチャイルドの「通貨発行権」統制により、日本と世界の庶民は「新世界秩序」カーストの「無自覚の債務奴隷」にされた__『日本国憲法』無効確認で世界から戦争と貧困を根絶する[総合版1/5]

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「私が『通貨』を統制してさえいれば、国家の政事を誰が執り行うかなどは、どうでもよいことである」(I care not who controls nation’s political affairs, so long as I control her currency.)_マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド、1790年

世界の中央銀行=「通貨発行権力」私有・独占統制が、ロスチャイルドの世界金融経済支配のカラクリ

明治維新・日本銀行設立は、「昭和維新」「平成維新」へと続くロスチャイルドの日本経済侵略の嚆矢、そして世界で同時進行していたロスチャイルドの世界経済侵略の一環であった

アメリカ独立戦争、フランス革命、ワーテルローの戦い(ナポレオン戦争)、南北戦争、アヘン戦争と明治維新、イタリア統一、金とダイアモンドの「デ・ビアス」セシル・ローズ融資とボーア戦争、ウッドロー・ウィルソン大統領擁立とFRB設立、第一次世界大戦とロシア革命で、ロスチャイルドは、フランス、イギリスとヨーロッパ、中国・日本(朝鮮)とアジア、イタリアとバチカン、南アフリカ、南北アメリカとドイツ、トルコ、ロシアの「通貨発行権」を手に入れた。

「戦争と革命の世紀」「格差社会から階級世界へ」のシナリオは、ロスチャイルドが書いた

安倍晋三首相が「戦後70年談話」で卑怯卑屈な隷従を誓った「新世界秩序」とは、ロスチャイルドがグローバリズム帝国主義経済と戦争金融サギで、250年をかけて構築してきた「ねずみ講」、世界人口の1%が世界の富の99%を収奪独占する犯罪的超格差社会を実現した「新・世界カースト制度」のことである。

新世界秩序カースト

世界金融大恐慌、ニクソン・ショック(オイル・ショック)、リーマン・ショックも「昭和・平成バブルの狂乱と崩壊」も「デフレ・スパイラル」も、「ロスチャイルドの忠実な下僕」FRB(連邦準備制度)と日本銀行が引き起こした

ロスチャイルドの「グローバリズム帝国主義経済」が、「トラスト」「カルテル」「談合」「ねずみ講」「インサイダー取引」「租税回避」………あらゆる金融経済サギ・犯罪行為が横行する「金融サギ師のパラダイス」へと、世界を変えた

ロスチャイルド金融テクノクラートにファイナンスされたロスチャイルド国際金融軍産複合体=グローバル企業が、ロスチャイルドが創設した「世界統一政府」国連やEU、BISなど国際金融機関と、ロスチャイルドが決めた「超大国」米国の政府(国務省・国防総省・CIA)を支配して、世界の庶民の賃金・水・食糧・エネルギー等「ライフ・ライン」を統制し、文字通り世界人類と地球環境の「生殺与奪の権」を握っている。

「南北問題」「格差問題」はロスチャイルドが創出した

「先進国」と「後進国」、工業国と農業国、都市と地方、「ホワイト・カラー」と「ブルー・カラー」…………「格差」が拡大すればするほど、ロスチャイルド・グローバリズム帝国主義経済下でグローバル企業のコストは限りなくゼロに近づき、利益は巨大化する。

「富める者は貧しき者を治め、借りる者は貸す人の奴隷となる」_ユダヤ教の聖典『旧約聖書』「箴言」22-7

■イングランド銀行、日本銀行、FRB(連邦準備制度)、ECB(欧州中央銀行)

■BIS(「中央銀行の中央銀行」国際決済銀行)、世界銀行、IMF(国際通貨基金)

■「世界統一政府」国連、EU(欧州連合)

■「世界のシンクタンク=世界政策決定機関」RIIA(英国王立国際問題研究会)・CFR(米国外交問題評議会)、WTO(世界貿易機関)、WHO(世界保健機関)

世界の諸国の中央銀行、国際金融機関、国連・EUなどの国際機関は、日本人と世界の諸国民が考えるような「政府機関」「公共機関」ではない

ロスチャイルドが大株主のロスチャイルドの私企業(民間法人)、ロスチャイルドが奥の奥で統制する事実上の私設機関、まぎれもないロスチャイルドの私的営利団体でありながら、「Independent Organisation[(国家・政府からの)独立組織]」「公共性」という、「中立性」「客観性」と混同させる曖昧な文言を盾に、世界の諸国民の税金(「公的資金」「拠出金」)で運営され、「外交特権」を振りかざしてこれら非民主的・犯罪的事実を隠蔽し、たった700人の支配者達に世界の富を集中させるための「政策」を、全世界の諸国に実行させている。

ロスチャイルド金融テクノクラートの「円卓会議」ビルダーバーグ会議が、BIS「バーゼル・クラブ」、シティ・オブ・ロンドン「ザ・シティ」、NYウォール街、ブリュッセルEU本部など「世界の金融政策決定権力」を支配している

世界の諸国は、ロスチャイルドの中央銀行に金を借り、国家権力[行政(内閣・官僚)・立法(国民議会)・司法(最高裁・検察庁)]と「第4の権力」メディアをロスチャイルド金融テクノクラートに牛耳られながら国家運営をしている。

ロスチャイルドが、世界の「キング・メーカー」であり、「ルール・メーカー」である

独占禁止法[トラスト・カルテル禁止]、集中排除法[GHQの財閥解体]、大店法、種子法など、「国を経(おさ)め、民を済(すく)う」国民経済(実体経済)を保護するはずの法律・規制は、世界の諸国の立法機関を「通貨発行権」で統制する「世界の経済省・司法省」ロスチャイルド国際金融詐欺集団によって換骨奪胎・廃止されてきた。

1986年まで世界は「資金洗浄(マネー・ロンダリング)規制」を持ってすらいなかった。「タックス・ヘイブン(租税回避地)」問題に至っては、世界の代表的タックス・ヘイブンであるケイマン諸島の課税システムは、シティ・オブ・ロンドンの課税システムそのまま、即ち英国の金融政策決定機関である「ザ・シティ」そのものがタックス・ヘイブンの本家本元なのである。犯罪行為をする側の人間が、規制や法律を作っている。

ロスチャイルドが書かせた『日本国憲法』の「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」は、ロスチャイルドの世界金融サギのプロパガンダ

世界の「通貨発行権」を統制するロスチャイルドが、世界の諸国の「経済主権」「通貨主権」を握る「世界の影の主権者=統治者」である

「左翼 VS 右翼」「世界 VS ファシズム」「世界 VS コミュニズム」「世界 VS テロリズム」の対立構造は、ロスチャイルドが作った

世界に存在する真の対立構図は「世界の庶民 VS ロスチャイルド」だけ____

「ロスチャイルド」とは、個人の名前ではない。「ロスチャイルド」とは、「銀行の銀行」「金融財閥」として世界の「金と権力」を統制し、「金と権力」で世界を動かす「ロスチャイルド家とその閨閥」のことである。

ロスチャイルドの世界支配への道程は、ロスチャイルド商会250年の「戦争金融ビジネス史」

【PHASE 1(1774-1844)_ロスチャイルド家の勃興】

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ロスチャイルド商会創業の地、フランクフルトのユダヤ人ゲットー
  • 1774年_マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの12人の実力者との秘密会議_[世界革命計画「25のアジェンダ」始動]

アメリカ植民地13州に「世界一の生活水準」と、失業者も乞食もいない経済繁栄をもたらした「植民地貨幣」の発行を規制・禁止する「通貨法」や東インド会社のダンピングを許す「茶法」などによる、英国議会・イングランド銀行の長年に亘る植民地経済破壊ののち、1775年の「交易禁止法」により、ついにアメリカ独立戦争(「Bank War・経済戦争」)が勃発

アメリカ独立戦争は、ヨーロッパ金融権力からのアメリカ植民地13州の「経済主権の独立」を意味した

  • 1812年_「ロスチャイルド家の資産は絶対に秘密にせよ」という遺言をのこし、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド死去
  • 1815年_ワーテルローの戦い_[ネイサン・ロスチャイルドのイングランド銀行支配]
  • 1820年代_[ロスチャイルド5人兄弟のヨーロッパ支配]
  • 1844年_ライオネル・ロスチャイルドの政治工作で「ピール条例」成立_[イングランド銀行の通貨発行権独占と金本位制確立]

「他者の資産流用」「信用創造」「利子をとる」という詐欺行為・悪徳行為を基盤に成り立っている銀行・金融業を、19世紀初頭、ドイツのゲットーから「宮廷ユダヤ」に、そして「金融王」と呼ばれるまでにのし上がったロスチャイルドが、

  • 国家の「通貨発行権」私有独占統制
  • 「英国スターリング・ポンド建て外国債のロンドンでの取引」の発明
  • 為替レートの恣意的設定・固定
  • 「金本位制」支配

によって史上初の「国際基軸通貨」設定と英国とヨーロッパ経済の「金融化」を為し、自らが帝王となってその頂点に座す「金融テクノクラート帝国」の「金融ねずみ講」ピラミッドに進化させた。

ロスチャイルド御用達の経済学者たちはこれを「近代化」と呼ぶ。だがその実相は、「グローバリズム帝国主義経済」による世界の国民経済の破壊と世界の諸国家の衰退、ロスチャイルド金融テクノクラートの「独り勝ち」を意味していた。

【PHASE 2(1776-1917)_革命の世紀[「第三世界」アメリカ・アジア・アフリカ植民地利権統合]】

  • 1776年_ロスチャイルドの融資でフリーメーソン「グランド・オリエント(大東社)」内に国際共産主義の源となる「イルミナティ」結成、『新世界秩序』出版[国際共産主義の創出]

[イルミナティ行動綱領] 

  1. 全ての既成政府の廃絶とイルミナティの統括する世界統一政府の樹立 
  2. 私有財産と遺産相続の撤廃 
  3. 愛国心と民族意識の根絶 
  4. 家族制度と結婚制度の撤廃と、子供のコミューン(自治体)教育の実現 
  5. すべての宗教の廃絶
  • 1784年_ドイツ・バイエルン政府が「イルミナティ」を非合法組織と認定、大東社の閉鎖を命じる
  • 1789年_ロスチャイルドとフリーメーソン融資でフランス革命勃発

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啓蒙思想によって「理性を持たない半人間」と定義された植民地奴隷の有色人種とその混血には、フランス革命「人権宣言」が謳った「人権」は認められなかった

  • 1791年・1816年_第一・第二合衆国銀行(ロスチャイルドの「認可」中央銀行)設立
  • 1832年_ロスチャイルドが東インド会社から継承した東アジア・中国麻薬利権につながるラッセル、タフトによる「イルミナティ」のアメリカWASP版「スカル&ボーンズ」結成

ロスチャイルドの「スカル&ボーンズ」が、1942年に米陸軍省内にOSS「戦略事務局」(1947年にCIA「中央情報局」に改組)を設立する。

「スカル&ボーンズ」が、過去2世紀のアメリカ合衆国の政財界を取り仕切ってきた

  • 1837年_米国議会の「第三合衆国銀行」不認可への報復としてロスチャイルドが「1837年の金融パニック」を引き起こす
  • 1837年_ロスチャイルドの代理人オーガスト・ベルモントが渡米_[米国ロスチャイルド連合統合開始]
  • 1837年_渡英したジョージ・ピーボディを、ネイサン・ロスチャイルドが秘密裡に会見、ロスチャイルド代理人とする。その後、子供のいないピーボディは、ジュニアス・スペンサー・モルガンJ・P・モルガンの父を後継者に指名

「トラストのトラスト」「アメリカの制度、法律、国家そのもの」とまで謳われたモルガン商会は、ロスチャイルドの秘密のアメリカ代理人であった

  • 1840年_ロスチャイルドが統合したジャーディン・マセソン、「インドのロスチャイルド」と呼ばれた「アヘン王」サスーン、ロスチャイルド以前のロンドン証券取引所の支配者ベアリングラッセルら中国ロスチャイルド連合によってアヘン戦争が引き起こされる

  • 1849年_オーガスト・ベルモントがマシュー・ペリー提督の娘キャロラインと「意味のある結婚」、義父に日本への砲艦外交を示唆する

アメリカ東海岸フリーメーソンの大立者ペリーとの結合により、ロスチャイルド・ベルモントはペリー、モルガンとともに「ボストン財閥」を形成、またアメリカ東部エスタブリッシュメントの雄ディロン・リードの支配権もディロン、ペリー、ベルモントで分け合うことになる。

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オーガスト・ベルモントとマシュー・ペリー提督
  • 1835年_ロスチャイルドがシャルル・ルイ・アヴァスに融資してフランスに「世界最古の通信社」AFP通信を設立させる
  • 1851年_アヴァスの部下ポール・ジュリアス・ロイターがイギリス・ロンドンにロイター通信を設立

「世界最古の通信社」AFPとロイターは、「情報を制する者が、金融経済・政治外交・軍事を制して世界を制する」ことを知っていたロスチャイルドの融資によって設立された。

  • 1853年_日本の前に上海に寄港したマシュー・ペリー提督は、中国ロスチャイルド連合ラッセル社のウォーレン・デラノ(フランクリン・デラノ・ルーズベルトの祖父)と会談
  • 1853年_ペリー黒船来航、翌年再来し江戸幕府と不平等条約を結ぶ
  • 1859年_中国ロスチャイルド連合ジャーディン・マセソン代理人でロスチャイルド傘下のロイズ保険の代理人でもあるトマス・ブレイク・グラバーが来日、長崎にグラバー商会を開業、坂本龍馬の亀山社中に倒幕のための武器を調達するなど、江戸幕府転覆勢力のネットワーク構築を開始。また、岩崎弥太郎を支援し、三菱財閥育成

  • 1860年_南北戦争_[新奴隷制度への移行]

南北戦争は、強大な国家に育ちつつあるアメリカを分断するため、欧州の金融権力によって誘発された」_ドイツの「鉄血宰相」オットー・ビスマルク1876年(1921年『ラ・ヴィエーユ・フランス』誌に発表)

1862年2月_リンカーン大統領が、債務の発生しない政府紙幣「グリーン・バック」を発行する

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1862年にリンカーンが発行した合衆国政府紙幣 「グリーン・バック」

全ての通貨は、政府が創造し、発行し、流通させるべきである。そして『信用創造量』は政府の支払い能力と消費者の購買力の両方に見合ったものでなければならない。この原理原則に則るなら、納税者は莫大な額の『利息』を払うことから解放される。その時、お金は人間の『主人』であることをやめ、人間の『しもべ』となる____民主主義が、『金と権力』の上位に立つのである」“The Government should create, issue, and circulate all the currency and credits needed to satisfy the spending power of the Government and the buying power of consumers. By the adoption of these principles, the taxpayers will be saved immense sums of interest. Money will cease to be master and become the servant of humanity. Democracy will rise superior to the money power.”)___アブラハム・リンカーン

[政府紙幣の発行のためには]まず、財務省が印刷する紙幣を法的に有効な通貨と認める法案を議会で可決させる。そしてその印刷した紙幣で兵隊達の給料を払って、そのお金を使って軍需物資を調達すれば今度の戦争[南北戦争]にも勝つことができる。国民はそんな紙幣を信用するか? もし米国大統領がその通貨を法的に認めさえすれば、国民はこの事に関しては選択できない。(通貨決定の権利は)憲法によって明確に議会に与えられているのだから、国民は政府の決定を全面的に承認し、(新通貨は)今まで流通していたいかなる通貨とも同じように価値がある」___リンカーン大統領の財務長官チェイス

南北戦争を「奴隷解放の戦争」とすることは、ロスチャイルドが決めた_人道的見地から奴隷を本当に「解放」する為ではなく、「奴隷主に奴隷扶養コスト、奴隷の逃亡を防ぎ抑圧するための軍隊コストがかからない『改良型』奴隷支配制度への移行」の為に

  • 1862年7月_「ロスチャイルドの中央銀行」イングランド銀行が、「南北戦争を『奴隷解放』戦争とすること」「リンカーンのグリーン・バック紙幣排除」を謳う『Hazard Circulation ハザード・バンキング回報』(↓)を、米国の銀行業間に配布した

《「奴隷制度は戦争の力で廃止されるであろう。それには、私も、私のヨーロッパの友人たちも賛成である。なぜなら奴隷制度は労働力を所有することにほかならず、それには労働者の面倒を見ることが伴う。一方、ヨーロッパ流のやり方では、資本家が賃金を管理することによって労働力を支配する。これは通貨を管理することによって可能となる」》

《「銀行業務の基本としては、債券が用いられねばならない。(中略)

グリーン・バックと呼ばれている政府発行紙幣を、いかなる期間も通貨として流通させてはならない。我々がそれを管理できないからである」》

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1865年4月_リンカーン大統領暗殺

  • 1865年_オーガスト・ベルモントに続き、ジェイコブ・シフもロスチャイルド代理人として渡米、クーン・ローブ商会創設者ソロモン・ローブの娘と結婚してクーン・ローブ商会頭取となり、後に日本に戦費を融資して日露戦争を戦わせることになる

この時期、クーン・ローブ商会がジョン・D・ロックフェラー、エドワード・R・ハリマン、アンドリュー・カーネギーの後援者となり、それぞれの財閥育成を支援。以降、ロックフェラーの〔恐らくは、ハリマン、カーネギーも〕財務はクーン・ローブ商会によって管理され、投資などはクーン・ローブの承認なしには行えない仕組みになっている。

シフはまた、モルガン、ビドル、ドレクセルといった三大有力者を統合して、ロスチャイルドのウォール街銀行連合を結成した。

  • 1865年_ジャーディン・マセソン、サスーン、ベアリングらロスチャイルド国際金融連合が、アヘン戦争によって得た巨利を「中国から取り戻し」、安全・迅速に英国に送金するための銀行 HSBC「香港上海銀行」を、ロスチャイルドを大株主として上海に設立。トマス・グラバーが日本でのHSBC 代理人となる

1868年、ロスチャイルド「ジャーディン・マセソン」に融資を受けた伊藤博文ら長州5傑ほか、薩摩、土佐などの倒幕勢力(「マセソン・ボーイズ」)により、明治維新、成る

「倒幕」勢力は英ロスチャイルドが、幕府側は仏ロスチャイルドが支援していた_[ロスチャイルドの常套「リスク・ヘッジ(両建て作戦)」]

抜け目のないロスチャイルドは、「幕末維新戦争」の両陣営に、アメリカ南北戦争の余剰軍需物資を供給していた。

「昭和維新」「平成維新」へと継続していく「ロスチャイルド外資」の日本経済侵略の嚆矢であった明治維新は、「志士」達の意図したところの如何にかかわらず、中国をアヘン戦争で侵略した中国ロスチャイルド連合「ジャーディン・マセソン」の融資を受けての倒幕(国家転覆)を開始した時点で、まぎれもない外患誘致(外国の侵略幇助)国家反逆行為となった

【明治維新の核心①】_ロスチャイルドの融資による「革命」戦争で国家転覆(倒幕)、ロスチャイルド融資を受けた「維新の志士」達による明治「革命」中央集権政府の樹立、「ロスチャイルドの中央銀行」日本銀行の設立と、江戸幕藩体制下で分散されていた「通貨発行権」の日本銀行(ロスチャイルドの政府と天皇)への集中

  • 1877年_仏ロスチャイルド家4代目当主アルフォンスの部下であったフランス蔵相レオン・セーが、渡欧した松方正義に、中央銀行[日本銀行]を創設するようアドバイスする
  • 1882年(大日本帝国憲法制定に先んじること8年)_日本銀行設立_創業者・松方正義が初代「総裁」となり、日本における金本位制を確立

 

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横浜正金銀行

日本銀行の設立に先立つこと3年の1879年、貿易金融・外国為替に特化した「裏の日銀」横浜正金銀行が、「マセソン・ボーイ」井上馨と福沢諭吉の支援で設立されている(営業開始は「ロスチャイルドのHSBC 香港上海銀行が洋銀券を撒いている時分」の1880年)

幕末の洋銀(メキシコ・ドル銀貨)流通[為替両替サギ]による金貨の大量流出[欧米列強の帝国主義的収奪]、明治期のHSBC 香港上海銀行などの洋銀券の流通[ロスチャイルド外資による洋銀相場サギ]は、日本の「通貨主権」の蹂躙であった

横浜正金銀行は、1906年高橋是清が第7代頭取に就任すると、日本の租借地だった関東州(遼東半島)・中国における銀行券(横浜正金銀行券)の発行を許可される。1938年には、HSBC 香港上海銀行を傘下に収め、中国における徴税権を得る1941年12月23日、敵産管理法により、ロスチャイルドのニューヨーク・ナショナル・シティー銀行、HSBC 香港上海銀行、チャータード銀行、オランダ系銀行2行の5行について、政府から財産管理を命ぜられる。

  • 1870年_「イルミナティ」2代目首領ジュゼッペ・マッチーニが組織した「青年イタリア」の主導で1815年から始まったイタリア統一運動が終了

[ローマ教皇領のイタリア王国併合によって領地収入が途絶え、財政困難に陥ったバチカンにロスチャイルドが救いの手を差し伸べ、以降「ユダヤの宿敵」ローマ・カトリック=バチカンの財政管理をロスチャイルドが行うことになる]

  • 1875年_ロスチャイルド融資でディズレイリ首相の英国がスエズ運河を買収
  • 1888年_ロスチャイルドが「デ・ビアス」のセシル・ローズを融資
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「アフリカのナポレオン」セシル・ローズ
  • 1890年_セシル・ローズが南アフリカ・ケープ植民地の首相になり、「アパルトヘイト」を創出するアルフレッド・ミルナー、「バルフォア宣言」(ユダヤ国家建設)のバルフォア(ロスチャイルド一族)らとともにロスチャイルドの「円卓会議」RIIA、CFR設立を主導していく
  • 1894年-1895年_日清戦争―下関講和会議は「マセソン・ボーイ」伊藤博文と、ロスチャイルド中国代理人・李鴻章とで取り仕切られた
  • 1904年-1905年_日露戦争―ロシア皇帝の財産管理をしており、かつまた、バクー油田の利権をめぐってロシアと交渉中であったロスチャイルドは、日本への直接融資を避け、ニューヨークのロスチャイルド代理人ジェイコブ・シフ「クーン・ローブ」に融資させた

【日清戦争・日露戦争の核心】____1814年の東インド会社利権継承、アヘン戦争によって東アジア植民地利権支配を確立したロスチャイルドは、日清・日露戦争によって石油・鉄道などの満州・シベリア利権支配に邪魔な満州(女真)族の清帝国と帝政ロシアの弱体化に成功し、「韓国併合」によって年予算の10%にも上る日本国民の税金を投入しながら朝鮮利権も確立、さらに両戦役によって、日本に未来永劫「利息部分」だけを払わせ続ける「不滅の負債」を負わせ、日本の大債権者(=所有者)となった

「金融業者達の目的は、消滅不可能な債務の創造による世界支配である」_ヘンリー・フォード

「明治維新という近代化=帝国化が、欧米列強帝国主義の侵略・植民地化を日本に回避させた」_そして「富国強兵」によって遂には「不平等条約を改正し、列強と平等・対等になり、『近代的産業国家』として列強と肩を並べるまでになった」という、150年にもわたる幻想の中で、日本国民はその血税を「ロスチャイルド世界戦争金融サギねずみ講」への上納金として納め続けてきた。

1919年のヴェルサイユ会議で、世界平和の理想に燃え、「列強の一員となって国際社会に発言権を得た」と勘違いした日本が提案した「人種差別撤廃条項」を、「全会一致でないから」という理由で(多数決なら11対5で賛成多数であったにも拘らず)冷然と拒絶したのが、ロスチャイルド金融連合に擁立され、米国議会がクリスマス休暇で事実上「開店休業中」の1912年12月23日に、だまし討ち的にロスチャイルド銀行連合の私企業であるFRB「連邦準備制度」を設立してしまった売国奴、ウッドロー・ウィルソン大統領その人であったことは、決して偶然ではない。

(以下、「FRB設立・世界金融大恐慌からナチス台頭、原爆投下と日本の敗北・占領、東西冷戦を経て対テロ戦争へ………「世界戦争の世紀」のシナリオはロスチャイルドが書いた『日本国憲法』無効確認が世界から戦争と貧困を根絶する[総合版2/5]

ロスチャイルド国際連合は、『日本国憲法』と日米安保条約によって、日本の主権と独立を簒奪し、日本民族の名誉と尊厳を蹂躙している__『日本国憲法』無効確認が世界から戦争と貧困を根絶する[総合版3/5]

JFK暗殺、9.11、東日本大震災と福島原発『事故』の真相究明、戦争・テロと貧困・格差の原因追求を、ロスチャイルド国際連合の「世界平和と人権」サギが妨害している___『日本国憲法』無効確認が世界から戦争と貧困を根絶する[総合版4/5]

に続きます)

 

東京裁判と対で、天皇と日本人を虐待し侮辱する『日本国憲法』の「改正」では、日本の「主権と独立を喪失した敗戦奴隷」の立場は変えられない__『日本国憲法』無効確認への道②

国連における『日本国憲法』無効確認・大日本帝国憲法現存確認だけが、日本を東京裁判史観の洗脳から解き放ち、完全な独立主権国家にする

『日本国憲法』の改正は、たとえ「全部改正」であっても、「自主憲法」にはならない__制定の根拠となった東京裁判史観=「日本侵略国家説」が連合国の誣告であることを告発しない限り、「連合国隷従」=「戦後レジーム」から脱却できない

『日本国憲法』の最も大きな役目のひとつは、「日本が侵略者」「連合国が正義」と日本国民に繰り返し言い聞かせ、信じ込ませること__本当の侵略者=連合国の、現実の日本侵略・支配を疑わせないことである

講和条約締結後、吉田茂の密約によって設置された日米合同委員会が「新GHQ」となり、日本と世界の国民を偽の歴史観で洗脳する、国際法にも国際倫理にも反した「連合国=米軍の日本占領」が、現実に継続している

「南京大虐殺」「中国侵略」「満州・台湾・朝鮮植民地奴隷支配」そして「慰安婦強制連行・性奴隷」__

連合国の、「東京裁判史観という日本への誣告」と、それを利用した日本と日本国民に対する「恐喝」にも似た終わりなき搾取を止めさせるためには、その罪を全世界の目前で__国連という場で__告発する、即ち「『日本国憲法』無効確認・大日本帝国憲法現存確認」をするほかに道がない

『日本国憲法』は、日本国の象徴・天皇の統治大権を否定して「主権者」国民を支配して日本ごと支配するための「共和制『憲法』」であり、自衛権・交戦権という国家の「自然権」をも否定する、日本民族のアイデンティティー否定の人権蹂躙「憲法」である

大日本帝国憲法発布

「ナチ全権委任法」がヒトラー独裁政権を「民主主義的・合法的」に成立させたように、「国民主権」の『日本国憲法』が、大日本帝国憲法と天皇を排除して、「戦後レジーム=国連(連合国)至上主義独裁」を「憲法」の名を騙りながら実現させた

「戦後保守55年体制」を引き継ぐ自民党安倍政権の「憲法改正」とは、「至高の権威」天皇の「総攬=実権力の監視機能」を排除し、統治権力(=主権)を連合国(=米軍)に支配させる「『新世界秩序』独裁政治に都合のいい『日本国憲法』の護持」「『新世界秩序』利権の保護」

『日本国憲法』の制定は、それ自体が犯罪であって、『日本国憲法』の制定過程の検証とは、連合国の犯罪と日本政府の「犯罪幇助」を検証するということにほかならない__

だから、それを証明する『日本国憲法』無効論は、70年以上周知されないできた

吉田茂は、「サンフランシスコ講和条約で日本に主権・独立を回復させた」という嘘の裏で、「新GHQ」として機能する日米合同委員会という「ブラック・ボックス」を設置して、「肝心なことは全て米軍と日本官僚の間で秘密裏に決定する、在日米軍による日本占領永続体制」を作った

月2回行われる日米合同委員会の秘密会議で、「米国防省・米軍の意向」を各省庁トップが「伺い」、「日本のためになる」態を装った、その実米国を利するための「法律の調整」が行われる__立法権のない官僚たちによって、「事実上の立法行為」が行われ、三権分立と「権力の監視」という民主主義の根底が崩れ去っている

この「日米合同委員会体制」継続に必要な「権利・権力・権威」を「日米行政協定→日米地位協定」が担保し、行政協定・地位協定を新旧日米安全保障条約が、旧日米安全保障条約をサンフランシスコ講和条約が担保している__そしてさらにその裏で、「国連憲章」と「連合国製『日本国憲法』」が「日本の敗戦奴隷の地位」を担保している

「連合国=正義」を謳う『日本国憲法』と、サンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約の基幹となった国連憲章は、「『幻の国連軍』詐欺」と敵国条項で日本国民をたばかり、束縛し、隷従を強いながら、偽善的人道主義を振りかざして国際金融資本の日本搾取装置となっている

日本政府の「『日本国憲法』無効論の不周知」「連合国の犯罪告発への及び腰」は、「無作為」「未必の故意」による北朝鮮の日本人拉致事件の不解決=「テロの容認・幇助」に、ひいては戦争・テロで儲ける「新世界秩序」の「世界搾取幇助」につながっている

『日本国憲法』無効論を「非現実的な無責任論」と罵倒し、無効論の国民への周知を妨げる「憲法改正」論者こそは、暴力団・連合国の恫喝に怯えて「現実逃避」し、連合国の同胞への「言論弾圧」に手を貸す「敗戦奴隷根性」に染まっている

「大日本帝国憲法=天皇制=戦前の日本=極右=悪」という連合国のプロパガンダによる洗脳が、戦後の日本人を卑怯卑屈な「大日本帝国アレルギー」にした

人類融和の祭祀王・天皇を戴く「強く、誇り高き大日本帝国」と「大東亜戦争の真実」が、日本人を再び世界の庶民の為に起ち上がらせる。そのために、大日本帝国憲法をとりもどす

今上天皇 

2016年「天皇陛下のおことば」は「平成の人間宣言」だった

国難突破解散」__そう安倍晋三首相が銘打った2017年衆院選は、10月22日開票され自公圧勝という結果で終わった。だがそれは、選挙前の世論調査で内閣支持率が37.1%と、不支持率41.8%を下回っていたにも拘らずの「ねじれ勝利」である。日本の選挙民には、2009年「政権交代選挙」で、「驕れる自民党にお灸をすえる」つもりでうっかり「悪夢の民主党政権」を誕生させてしまったことへのトラウマがある。

第4次安倍内閣は、「圧倒的多数の日本の世論」を味方につけて発足したのではない__「自民党が嫌でも、政権を任せられるまともな野党がないから、仕方なかった」__ということに過ぎない。

安倍政権も、それは充分承知しているらしく、「謙虚に向き合う」として、争点の一つだった「憲法改正」も「与党だけで発議しない」と野党への配慮を見せた。だが、安倍首相よ。それこそが日本国民のフラストレーションの原因だと、気付いていただきたい。

「天皇譲位問題」でも、「憲法改正」でも、自民党は天皇陛下御自身のお考えや国民の意見よりも、反日的思考形態を政策の基本におく公明党や革新野党との「すり合わせ」ばかりを重視してきている。

政府が「広く国民の意見を聞く」として開いた「天皇陛下の公務の負担軽減等に関する有識者会議」は、そもそも名称からして「公務の軽減は問題外」と仰っていた天皇陛下のお考えに反していたうえ、安倍政権による人選で、明らかに最初から安倍政権の「特例法対処」方針に収斂する議論をしていた。

天皇の問題も憲法の問題も、ともに離して考えることのできない「日本国の主権」に関わる問題である。

天皇陛下の問題提起は、まさにその「日本の主権」「日本の独立」について考えるべきであることを、国民に示唆していた。

「象徴天皇」とは何なのか、「象徴天皇」をかくまでに縛り付ける『日本国憲法』とは、一体なにものか、と。いま日本がこのような混沌の中にあることの原因は、戦後の日本人の、「経済大国」になってなお止まらぬ自信喪失の原因は、この「憲法」にあるのではないのか、と国民に自問させた。

だが、政府自民党の態度には、天皇陛下の譲位のご意向の表明を「『日本国憲法』への反抗」と見、陛下のご意向実現への国民の圧倒的支持を「『日本国憲法』護持への脅威」と見做しているような、ピリピリした苛立ちと警戒感が感じられた。

《当時、安倍晋三首相の周辺は、「天皇に弓を引く政権だとなれば、内閣が倒れかねない」と漏らしていた。政府関係者は「天皇のパワーが示された。政治と皇室の分離をいっそう徹底すべきだ」と訴える。》(2017年11月1日 朝日新聞『平成と天皇 第3部 政治の波間で③ 陛下の「おことば」権威なのか』二階堂友紀 ※太字引用者)

この「天皇陛下のご意向表明」によって巻き起こった一連の騒動を、日本国民の一人として眺めながら、なにやら「天皇・国民」対「政府自民党」のような、あってはならない対立構造が出現している、と感じたのは気のせいではなかったのだ。

政府自民党は、明らかに、「天皇陛下が、連合国の日本統治法である『日本国憲法』とその下位法である『GHQ皇室典範』の規定に反して、『連合国の日本統治規定にない譲位』をしたいという『わがまま』を、よりにもよって『連合国=米軍の意向』である『憲法改正』を前にして言い出した」ということに苛立ち、その天皇に完全に従う様子の国民の態度に「天皇の権威」の伸張を感じとって、焦っていた。2016年7月13日のNHK「天皇陛下、生前退位のご意向」スクープの直後の首相官邸付近からの最初のリアクションが、天皇陛下のご体調・ご心痛への心配ではなく、「寝耳に水」「聞いてない」という「不快感」だったことでもそれは明らかだ。

《「〔今上陛下が〕被災地訪問などで国民一人ひとりと向き合うことで、ソフトだが市井の人々の内面まで届く強固な『国体』が確立された」と分析し、「おことば」後の流れに危惧を抱》く原武史放送大教授の《「天皇の言動によって、民意や政治が動かされる危険性に、もっと自覚的になるべきだ」》、横田耕一九大名誉教授(憲法学)の《「戦後72年が過ぎ、天皇に影響を受けることなく主体的に判断しなければならないという意識が、薄れてきてはいないか。それは政治家だけでなく、主権者たる国民も同じだ」》(《 》内前出朝日新聞『陛下の「おことば」権威なのか』太字引用者)という、「戦前=天皇中心の国体=悪」という連合国史観で脳を飽和させた物言いが、拝中極左新聞である朝日新聞ばかりか、「知日派外国人」からは「極右」とまで言われる、安倍政権とその周辺の言論人達からも聞こえてくる。

天皇陛下の「おことば」とは「勅語」である。「勅語」は、勿論「権威」である。この者たちのいう「権威であってはいけない」理由とは、一体全体、何なのか?

1946年1月1日、占領軍の「天皇の権威を殺ぐ」方針により出された所謂人間宣言」において、昭和天皇は、それを逆手にとって、「連合国の言う『天皇制強権によって信じることを強制され、盲従を強いられた神話的権威』などではない、現実に基いた『万民の父母』としての人間天皇と『赤子』としての国民の間にある紐帯の、以前と変わらぬ確かな存在」を示し、日本国民を安心させた。

2016年8月8日のおことばで、今上陛下が仰ったことも、これと同じである。


皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共におこなって来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井しせいの人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした


ここに示されたことは、「天皇と国民の関係性に見る日本の在り方」=「『疑似家族国家』としての日本の『国体』」というものの永続性の確認であり、この不確実な時代に在って「天皇の高齢化の問題」=「天皇の人間としての限界」に接した国民の不安を払拭する「父母の赤子に対する慈しみ・慰め・いたわりの言葉」であって、まさしく「平成の人間宣言」であった。

【「天皇=権威」の国民意識に危機感を覚える「戦後レジーム利得者」達

この「おことば」に対し、国民が等しく感動を覚え、天皇の「譲位」の意向の早期の、そして恒久的な実現を望んだことは、政府筋がいうような安っぽい「同情」などではなく、人間として尊敬する「父母」天皇への、その一生を捧げた「務め」に対する「かたじけなさ」「もったいなさ」……、と言った方が正確であろう。

この国民感情を無視し、反対に「国民の気持ちはわかるが、しかし」と「否定」する政府とメディア・論壇を含む権力層は、「天皇と国民の紐帯」の強さに危機感を覚え、「陛下の『おことば』権威なのか」〔「否、権威などではない!」〕「政治判断を天皇の言動に左右されてはいけない」〔「連合国の『日本国憲法』によれば天皇は権威がないのだから、『政治権力の総攬=監視=チェック』は連合国に逆らうことになり、してはいけない!」〕「『主権者である国民とその代表者である政治家』はその『危険性』を自覚せよ」〔「国民の知らないうちに、連合国と政治権力が好き勝手に国民を搾取できるように、連合国によって制定された『日本国憲法』を、『戦後レジーム利権』保護の為遵守せよ!」〕という必死の、だが浮足立った煽動を、「保守」も「極左」も横並びに喚いているように見える。

朝日の記事にみえる「政府関係者」の「政治と皇室の分離を徹底すべき」とは、「天皇に政治への口出しをさせない」というだけでなく、「『至高の権威』的な政治権力の総攬=不裁可権の『不在』を徹底させる」ということであろう。『日本国憲法』GHQ草案の日本語訳の文言について、ケーディスが色をなして日本政府に詰め寄った様に、「内閣が天皇の上に立つ」という原則を徹底させることがGHQの意図であったからである。

そもそも『日本国憲法』は、そのためにこそ制定されたのだから。

だからこそ、「天皇の譲位」問題は「特例法」での対処でなければならなかった。

政府の「特例法による対処」とはつまり、「譲位を『天皇の意向通りに』ではなく、『〔連合国=米軍の意向を忖度する〕政府が』特例法を設置して『特別に』今回だけ『許可する』」ということ、即ち「〔連合国=米軍の下位にある〕内閣が、天皇の上位に位置する」という『日本国憲法』の大前提を、天皇と国民にはっきりと示す必要があった、ということである。

「日本国の象徴」である天皇の、「高齢による務めの完遂への不安から導かれた『譲位』の意向」という、「国政への関与」というより寧ろ「皇位継承=日本の国体の健全な永続の為に必要な措置への提言」を、政府自民党も野党も、憲法学者も、「保守」言論人達でさえも、「天皇の、国政への関与を禁じた『日本国憲法』への歯向かい」として扱い、天皇陛下に対し不敬千万な口調で、「譲位の必要などない」「『日本国憲法』と『GHQ皇室典範』が言う通り、摂政を置けばよい」「天皇陛下はそこに黙って座っておればよいのだ」と横柄に「たしなめて」見せ、そのうえ、「恒久的に天皇自身の意向による譲位に可能性を開く」ということについて、大多数の国民の支持があったという事実を無視し、「特例法の設置で『GHQ皇室典範』にも『日本国憲法』にも全く指一本触れることなく処理する」ことを「政府の独断で」決めてしまった。

日本国民の大多数が「天皇陛下のご意向表明は〔『日本国憲法』に違反していたとしても〕問題ない」と考えたという事実は、「国民が、日本の『最高法規』である『日本国憲法』よりも、天皇の方を『最高権威』として認識している」という真実の浮き彫りであった。

日本国民の「天皇=最高権威」観は即ち、無意識・無自覚ではあるが「米軍主権」「連合国主権」の現状への反発でもあり、安倍政権の「民意無視」は、『日本国憲法』(=日本の最高法規=米軍)絶対主義を忠実に実行して見せた「宗主国=米軍へのへつらい」に他ならなかった。

そして、天皇が日本国の象徴であること、天皇と日本国民が「疑似家族」として一体となる国柄を思う時、「天皇に弓を引く」行為とは、即ち「日本と日本国民に弓を引く」行為と同一である。

それは、吉田茂が「国民の60%が再軍備〔=真の独立〕を望んでいた」という事実を隠し、「『日本国憲法』を受け入れた国民は再軍備を望んでいない」と反対のことを言い、「経済復興が先だ」という詭弁で日本国民を騙しながら、「再軍備」「講和後も米軍による占領状態継続」「日本政府による日本の主権放棄」を秘密裏に決定したことにも匹敵する、「国家反逆」的行為であった。

【「戦後民主主義」政治家・言論人たちの「大日本帝国憲法アレルギー」と「見ザル・言わザル・聞かザル」

大日本帝国憲法を停止した『日本国憲法』のいう「国民主権」とは、「国民の代表・公僕」であるはずの政府・国会と官僚が、その実、「主権者」であるはずの日本国民ではなく、米軍・米国防省の意向を忠実に反映させた政策決定をすることであり、「象徴天皇」とは、天皇主権の否定、即ち日本と日本国民の福利の為に統治権を総攬する「至高の権威」としての天皇大権を簒奪され、「権利も権力も権威も喪失した、無力な天皇」「日本国と日本国民の血税が、政治によって私物化され、私利私欲のために恣意的に運用されていることを、止めさせることができない天皇」であった。

連合国が「大日本帝国憲法下の『天皇制強圧政治・侵略的軍国主義』を糺す」といって「憲法改正」させ、『日本国憲法』を持たせたのは、日本を実質「共和制」の「人民主権」にして、天皇を、永い歴史の始めから、実権力側ではなく無力な民の側に立ち、民を護って来た天皇を無力化することにより、日本全体を支配する為であった。

戦後日本政治が隠し続けてきたその真実が、「天皇陛下の譲位のご意向」問題によって滲み出てきた。「保守言論人」らが「天皇陛下のクーデター」とまで言って警戒したのは、『日本国憲法』の正体について国民が関心を持つことによって、その真実が明るみに出ることを恐れたためである。

「女系天皇」につながる「女性宮家」を推進し、「万世一系の男系天皇による皇位継承」の歴史と伝統に基く国体を破壊せんとする左翼・野党どころか、「尊王」であるとばかり国民が思っていた「保守本流」であるはずの自民党政治家・言論人達までが、こぞって「GHQ製『日本国憲法』を遵守せよ」「連合国に歯向かうな」と天皇陛下に楯突いて見せた、その光景に、さすがのお人好しの日本国民も、戦後保守と連合国の癒着する微かな、しかし確かな、「腐臭」を嗅ぎ取った。

その「腐臭」の源は、連合国の「日本統治法」である『日本国憲法』そのものに在る。

占領中はもちろん「独立回復」後も、現在に至るまで、吉田茂以下、戦後日本政府は、日本の主権喪失状態と米軍の占領状態継続の事実を国民に知らせる「日本国憲法無効論」を国民から隠すことで、積極的に連合国の日本植民地支配を、国民を騙しながら、幇助し続けている。

そして「日本国憲法無効論」の無視は、そのまま「大日本帝国憲法=天皇制=悪」という連合国の誣告・日本国家転覆プロパガンダに連動している。

都議会にも日本政府にも無視された「日本国憲法無効・大日本帝国憲法復活請願」

今年7月2日の東京都議選において、長年の自民党の派閥政治にウンザリした都民が、ここでは「自民党にお灸をすえる」ため替わりに票を投じたのが、都民ファーストの会である。同会はできたての新会派ながら大躍進を果たし、過去最低の23議席「大惨敗」の自民党を抑え、堂々127議席中55議席を獲得し、東京都議会第一会派に躍り出た。

野田数 帝国憲法復活請願

代表の野田数は、東京「維新の会」都議員だった2012年に「日本国憲法の無効と大日本帝国憲法の復活請願」を、希少な「『日本国憲法』無効論者」である西村眞悟議員や南出喜久治弁護士らとともに、都議会に提出していた。請願の要旨は、

憲法、典範、拉致、領土、教育、原発問題などの解決のために必要な国家再生の基軸は原状回復論でなければならないことを公務員全員が自覚すべきであるとする決議がなされること。占領憲法(日本国憲法)が憲法としては無効であることを確認し、大日本帝国憲法が現存するとする決議がなされること」

であって、「国会議員・官僚=公僕」「日本の公僕は、日本全体の為に奉仕する」という当たり前の感覚を失って久しい日本政治が襟を正して聞くべき、究極の正論であった。が、この時野田数等は、日本維新の会の橋下徹代表には「ありえない。大日本帝国憲法復活なんてマニアの中だけの話だ」と非難され、「(東京維新の会との)今後の連携を見直す」とまで言われてしまった。

この「大日本帝国憲法復活の請願」は結局、東京都議会の審査会討論で、共産党議員吉田信夫の「憲法にうたわれた戦争放棄、主権在民などの諸原則は、決して一方的に押しつけられたものではなく、侵略戦争への深い反省に立った日本国民の願いを反映したものであり、世界の流れを反映したもの」つまり「『日本国憲法』は押しつけではなく、日本と世界の『正義の民意』に沿って書かれた」という、連合国(国際共産主義者)のおためごかしの主張が唯一の意見陳述として受け入れられ、全会一致で不採択となった。

この審議会には、無効論者である西村眞悟、南出喜久治らは勿論、野田数ら都議側申請者達も、「審議委員ではない」という理由で参加が許されておらず、その意見を陳述し、共産党議員吉田の反対意見に反論し、反対者を説得する機会は与えられなかった。

国会、地方議会は「国民の意見を政治に反映する」=「国民の政治参加」の場であるはずだが、このようにして、喪失した日本の主権を取り戻すための重要な議論が、国民もよく知らないうちに、潰されてしまったのである。

国民は何も知らない。日本国民は、議会と政府によって、「無知」の状態に置かれている。

「日本『属国』の現状を見ザル」「『日本国憲法』無効と大日本帝国憲法現存の事実確認請願を聞かザル」「『日本国憲法』無効論の存在すら国民に言わザル」__こんな「思考停止ザル」達が、日本滅亡を望む共産主義者だけでなく、「保守」と呼ばれる政治家・言論人にまで蔓延して、日本政治を絶望の崖縁に立たせている。

「せめて日本国憲法無効論を国民に周知し、公議公論に付すべし」

__この請願すら無視することは、民主主義の根幹精神の蹂躙である。「保守」どころか、立憲主義・議会制民主主義下の「主権者国民の代表」としての資格を喪失している。

野田数が2016年に小池都知事の特別秘書(政策担当)となったときも、都民ファーストの会が今年都議選で自民党を「歴史的大惨敗」させたときも、朝日系オンライン・メディアHaffPost日本版や週刊誌、素人ネットユーザーたちがツイッターなどSNSで「大日本帝国憲法復活を主張するガチウヨ」「時代遅れの極右」と騒いだものの、主要メディア記事は概して「『日本国憲法』無効」「大日本帝国憲法復活」の文言を、おそらくは意図的に、完全無視した。従って、この都議選で都民ファーストの会を支持して一票を投じた都民の意識に、この勇気ある請願の件があったかどうかは不明のままだ。

「憲法論議を深める」と、改憲論者はことあるごとに言うのだが、肝心要の「『日本国憲法』の問題点とは何か」「大日本帝国憲法とはどういう憲法であったか」を知らずに、どうして「憲法論議」が深まるというのか。なぜ「大日本帝国憲法は悪法」と決めつけられるのか。

「大日本帝国憲法復活の請願」を否定した都議会でも、既に誰もが事実として知っている「『日本国憲法』押しつけ論」さえ否定し、東京裁判史観=「日本侵略国家」説を振り回す共産党議員の意見のみで議論らしい議論はなされないままに不採択を決めてしまい、「『日本国憲法』無効論も大日本帝国憲法復活論も、『トンデモ論』だ」という大前提で、「保守」も「革新」も一様に思考停止状態である。

その否定・無視の仕方は、単に「大日本帝国憲法には瑕疵があった」という程度の「批判」を遙かに超えて、寧ろ、「その名を口にしたくもない」という感情的な、一種「大日本帝国憲法アレルギー」とでも呼びたくなるような様相ですらある。

『日本国憲法』無効論に、『青山繁晴が、怒って、怒って、怒る!』?

共同通信記者から三菱総合研究所勤務を経てシンクタンク経営者、そして安倍晋三本人に請われて2016年から参議院議員となり、支持者から「国士」とも呼ばれる青山繁晴が、自身のTV番組『青山繁晴が答えて、答えて、答える!』憲法無効論者の不遜と無責任【桜H29/4/14】で、視聴者の「日本国憲法無効→大日本帝国憲法復活」についてどう思うか、との質問に対し、「一体何を言ってるんだ!」「無責任だ、不遜だ!」「許せない!」と声を荒げ、質問書を机から払い飛ばすほどの癇癪を起したのは、まさに「激烈なアレルギー反応」としか言いようのない光景であった。

問題の質問とは、「廃憲について___今回の選挙〔引用者注:この質問は2016年7月に番組に送付されたもの〕で憲法改正が可能な状況になりました。しかし、本当に必要なのは日本国憲法の無効化であると考えます。大日本帝国憲法に戻すべきです。日本の憲法は、日本の歴史、文化、伝統に基いたものでなくてはなりません。また前文は天皇陛下のお言葉でなくてはなりません。現在、国民の殆どは廃憲を認めないでしょう。しかし帝国憲法が正統な日本の憲法です。たとえ民意が廃憲に反対しても、帝国憲法に戻すべきだと考えます。青山さんは廃憲についてどう考えますか?」というものであった。

質問者は言い方を間違えている。「日本国憲法を〔恣意的に〕無効化する」のではなく、『日本国憲法』は始原的に無効なのである。「本当に必要なのは『日本国憲法』無効確認」である、というのが正しい。また、「廃憲」は「憲法の無効化」と同じで、「元々有効に成立したものを恣意的に『廃棄する』『無効にする』」というニュアンスがあり、厳密にいえば「『日本国憲法』無効確認・大日本帝国憲法現存確認により原状回復→調整完了=廃棄」の「日本国憲法無効論」とは趣旨が異なる。

ただ、「たとえ民意が廃憲に反対しても」という部分に最も激しく「イカッた」と、青山繁晴自身もいうのだが、これは青山が「民意が反対しても」を「民意を無視してでも」「民主主義に反してでも」と捉えた故であろう。確かにそう聞こえる。だが、勿論それは質問者の意図ではない、と思う。

『日本国憲法』無効論を国民は知らないから、基礎知識のないままに『廃憲』と聞けば胡散臭く思い、反対するだろう、だが、大日本帝国憲法が日本の歴史、文化、伝統に基いた、正統な日本の憲法であることは紛れもない事実であるから、『日本国憲法改正』ではなく、まず大日本帝国憲法に戻し、大日本帝国憲法の改正方法に基いて、大日本帝国憲法を改正するのが法的に正しいやり方だ」というのが、質問者の言いたかったことだろう。だとすれば、そこを読み取って「語弊」「言葉足らず」を指摘するだけで事は足りたはずだ。

それをせず、質問者を10数分にわたって「面罵」した青山は、自分では何度も否定しているが、非常に「感情的」であり、同時にその「怒り」を正当化しようとしているように見えた。

前文と9条が決定的におかしい、ということすら理解しない国民に『〔日本国憲法は〕無効だ、帝国憲法に戻す』と言って、戻るのか?いい加減なことを言うな!」

「はっきり言って、〔無効論は憲法改正の〕邪魔になるんだ。理屈だけでものをいうんじゃない!」

「北朝鮮拉致被害者を、早く救出しないと、〔被害者もその家族も〕皆亡くなってしまうんだよ!そんなときに、憲法廃止すればいいなんて、何を言ってるんだね、君は!」

青山は、自分で「僕はものすごくイカっている」と言っているのだから、紛れもなく「感情的」なのだった。言っていることにも整合性を欠いていた。論理的・理性的に、「なぜ無効論者が無責任で不遜か」を、質問者と視聴者に解り易く説明することに、完全に失敗していた

この件について視聴者から批判的コメントが多数寄せられたため、青山が「釈明」することになった『青山繁晴が、答えて、答えて、答える!』憲法無効論者の評論に感じた落胆【桜H29/5/5】でも、「明々白々にハーグ条約違反なのだから、勿論『日本国憲法』は本来無効だ」と言いながら、「なぜ無効論ではなく『憲法改正』でなければならないのか」の説明はなかった

4月14日に言っていた「憲法改正論者がこれまで『血を流して』一生懸命やってきたのに」というのは理由になっていない。それではまるで、「王様は裸だ」といった子供を「確かに王様は裸だが、それを知っていて敢えて言わない『大人の事情』を理解せず、真実を言ってしまうのは無責任だ」とこき下ろしているのと同じではないか。

青山は、「『日本国憲法』無効論は、憲法改正の為に頑張って来た人たちの気持ちを汲んで、言わないでおくべきだ」と言いたいのか?だとしたら、それこそが「感情論」であり、民主主義への冒涜ではないのか?

この「釈明番組」は、青山に寄せられた「お前は国賊だ。殺してやる」などという不穏当で感情的・「犯罪的」なコメントについての繰り言、「マナー違反の若者を叱るべき時に叱ることの是非」という、完全に的外れな論題へとシフトしてしまっていた。

なるべく「無効論」から遠ざかろう、話題を変えよう、としているようにすら見えた

「『日本国憲法』無効論は感情論だ」「大日本帝国憲法の復活を望むのはセンチな懐古趣味に過ぎない」というのが、これまで無効論者・大日本帝国憲法復活論者に投げつけられてきた決まり文句であった。だが、冷静な視聴者に「不当」と批判された青山繁晴の「無効論者への怒り」が、「論理的根拠がなく、ただひたすら感情的なのは、寧ろ『反無効論』の方である」という事実を明確にしてくれた。

青山は、2015年に「日本オリジナルの憲法に立ち返る志を持とう」という一文を発表している。(「美しい日本の憲法を作る国民の会」2015.10.01)

上記2つの『青山繁晴が…答える!』で青山が興奮しながら言おうとしたことは、この一文がベースになっているようなので、この一文と『答える!』他での青山の発言を合わせ、論点をまとめ、青山の考える「大日本帝国憲法の問題点」とは何かを、以下に箇条書きにしてみる。

  • 昭和天皇があれほど「民主主義国(英米)とは戦うな」と反対したのに、戦争を止められなかった
  • 陸海軍への指揮権ではなく、統帥権という曖昧な定め」しかなかった
  • 帝国議会はあったが、議院内閣制ではなかった〔筆者注:首相は、元老や重臣会議が推挙した人々の中から、天皇が任命した〕
  • 「不磨の大典」として、一字一句たりとも変えられなかった
  • 西洋からの輸入物だった

結論から先に言えば、このうちのどれも「大日本帝国憲法には重大な欠陥があった」こと、「大日本帝国憲法の欠陥により戦争が起こった(戦争を止められなかった)」ことを証明してなどいない。

そもそも戦争は、起こす者がいるから起こるのだ。満州事変、支那事変を経て、対米英戦争へと、中国、ソ連、日本と米国内の国際共産主義者ら(とそれを操った国際金融資本)によって、日本は完全に戦争に「引きずり込まれた」。それら共産分子と国際金融資本の手先は、軍部にも、メディアにも、日本政府内にもいた。

近衛文麿、そして吉田茂が、その中心にいたことは間違いない。吉田茂は「反戦主義者」という隠れ蓑の下で、国際共産主義者を動かしている、更に上の方__英米の国際金融軍産複合体上層部とつながっていた。

吉田茂が近衛や外務省を使って、密かに英米の上層部・暗部と結んで果たした役割は、「反戦」どころか、寧ろ「戦争開始工作」「日本国家転覆」であった。

226事件

統帥権問題も、問題は大日本帝国憲法にあったのではない。青山はさりげなく「戦争が起きたという事実」と「 『統帥権』及び『指揮権』を問題にする者たちがいたという事実」をリンクさせて「大日本帝国憲法の問題」であるかのように書いているが、それは違う。

大日本帝国憲法の下、天皇には「統帥大権」(第11条)がある。だが、それと同時に、第3条にいう「天皇の神聖不可侵」=「天皇の無答責」がある。つまり天皇の尊厳や名誉が汚されないよう、「国政は国務大臣が輔弼し、その責任を負う」(第55条)のである。

これは、連合国のいう「天皇絶対主義」、戦後左翼のいう「天皇の責任逃れ」という意味ではないのはもちろんだ。

天皇は日本の国体の象徴である。「天皇の尊厳や名誉が汚される」とは、「日本国の尊厳や名誉が汚される」と同義なのである。臣民_日本国民と日本国民の代表たる国務大臣_が日本国の尊厳や名誉を護らねばならないのは当然の話だ。

大日本帝国と大日本帝国憲法の「問題点」として挙げられることが常である「統帥権問題」数件のうちで、もっとも有名な「統帥権干犯問題」とは、1930年のロンドン海軍軍縮会議で、浜口雄幸内閣が海軍の要求していた「対英米比7割」よりも少ない比率で妥協して調印したことを、野党・政友会や国粋団体が「外務省にはそんな権利はない」「(天皇大権である)統帥権の干犯である」と屁理屈をこねてみせた__いわば「いちゃもん」をつけた事件である。

「クーデター未遂」である5.15事件や2.26事件と一緒に、「統帥権を笠に着て、『自分達に命令できるのは陛下だけ』と『暴走』するようになった軍部を、政府が止められなくなって、戦争に突入していった」事の実例のように言われている。

しかし、浜口雄幸首相は「天皇の条約(外交)大権が、外交官にも委嘱されている。だから軍隊についても政府が委嘱されて、ロンドン会議に全権を送った。どこが悪いのか」と衆議院本会議で堂々と回答し、政友会もこの答弁に納得している。(渡部昇一・南出喜久治『日本国憲法無効宣言』)

立憲君主としての天皇の「統治大権」の肝は、本質的に「不裁可権」「拒否大権」である。この大権を以て「権力を総覧」してこそ、「至高の権威」としての「権力のチェック機能」たりうるわけである。

大日本帝国憲法下、天皇は大日本帝国陸海軍の「大元帥」であり「最高指揮官」であったが、それは当然、戦場において軍隊を実際に率いて戦闘行為に参加するという意味ではなく、「大日本帝国軍の尊厳と名誉の象徴」なのであり、その地位の権威によって「軍権力のチェック機能」を果たしていたのである。

立憲政治にとって重要なことは、権力と権威の分散である。天皇は国務大臣の決定を「裁可」するだけで、国務大臣が決定の責をとり、「至高の権威」天皇は、立憲君主として「不裁可権力はあるが行使しない」のである。数少ない例外を除いて…。それが、張作霖爆殺事件で犯人を徹底追及しなかった田中義一首相への叱責であり(昭和天皇は後に、このことが田中内閣解散に繋がったことを「若気の至り」と後悔しているが)、2.26事件で自ら軍を率いて「賊軍を討伐する」意思をあらわしたこと、そして終戦の決断__ポツダム宣言の受諾であった。そしてそれは、内閣・議会が紛糾して機能不全に陥ったとき、「仁政を行う至高の権威」天皇がとった「数少ない例外的緊急措置」であって、必要な行動であった。

大日本帝国憲法下、天皇は「立憲君主」として立派に機能していた、ということだ。

「この明治憲法が抱えていた欠陥が終戦に至るまでの日本の軍国主義化を助長した」と『統帥権Wikipedia』はいう。青山も同意見なのだろう。だが、Wikipediaの筆者と青山は、「軍部が暴走して戦争に突入した」という東京裁判史観に染まりすぎていないか?

現に、「中国大陸で暴走していた」といわれる関東軍は、満州事変前夜の1928年、張作霖ほかの軍閥、中国共産党とそれを排除しようとする「北伐」軍=蔣介石との三つ巴の内乱、さらにそれらを支援して漁夫の利を得んとする英米、ソ連と日本の金融資本の暗躍で混沌を極めていた満州で、日本人・朝鮮人居留民の「保護を名目に軍を派遣し、両軍を武装解除して満州を支配下に置く計画を立てていたが、満鉄沿線外へ兵を進めるのに必要な『勅命』が下りず、この計画は中止された」(張作霖爆殺事件Wikipedia)という。

天皇の「作戦不裁可」(或いは「裁可の遅延」)が、関東軍の作戦行動を中止させていたということは、「天皇が大日本帝国憲法下の立憲君主として、軍部を抑制できていた」ということにならないか?

青山の言う「議院内閣制ではなかった」「不磨の大典で改正できなかった」というのも、決定的な大日本帝国憲法の「欠陥」とは思えない。自分でも言っている通り、『日本国憲法』こそが「不磨の大典」化して「一字一句も変えられない」ではないか。

『日本国憲法』は所詮は「共和制『憲法』」であり、共和制憲法は「人民主権」を謳いながら、人民の自由には決してならない、「不磨の大典」である。

フランス人権宣言

フランス革命後の人権宣言、フランス共和国憲法、ソ連・スターリン憲法、中華人民共和国憲法、北朝鮮=朝鮮民主主義人民共和国憲法、「キリング・フィールド」期カンボジアのクメール・ルージュによる共和国憲法など、共産主義・社会主義・反王政による「人民主権」を謳う共和制憲法は、全て歴史の必然として暴力至上主義独裁体制となった。

《スターリン憲法は、民主主義の発展と国民の幅広い権利の擁護を明記しており、西側先進国の進んだ民主主義手法、人権制度を取り入れつつ、それを如何にしてソ連型社会主義ないしはスターリン主義体制に適用していくかという点を重視して組み立てられていた》(ヨシフ・スターリンwiki 太字引用者)

《ソビエト連邦の各憲法は、言論の自由、結社の自由、信教の自由などの政治的権利を宣言し、更に一連の経済的権利、社会的権利、全市民の義務などを規定し、議会は定期的な選挙で選出されるとされた。しかし各憲法でのソビエト連邦共産党による指導的役割の規定により、実際には国家や社会の全ての政治的決定権は共産党が行う一党独裁制となった》(ソビエト連邦の憲法wiki 太字引用者)

《中国は、労働者階級が指導する労農同盟を基礎とした人民民主独裁の社会主義国家である。社会主義制度は、中国の基本制度であり、いかなる組織又は個人による社会主義制度の破壊を禁止する(憲法第1条)》(『中国憲法の概要』尹 秀鍾・中国律師(弁護士)2012年 8月 9日 太字引用者)

共和政体は改正の対象にすることはできない》(フランス共和国憲法wiki、「第16章 改正」 下線引用者)

共和制憲法の謳う「民主主義」「人権」「国民の権利の擁護」「言論の自由」とはその実、何の権利・権力・権威も持たない人民を、一握りの「指導的立場」にある人間が恣意的に統制し、その国全体を支配する為の、単に聞こえの良いスローガンに過ぎない。

王族・貴族、地主等の旧支配階級から権力と資産を奪い取って「新しい支配階級」に収まった「指導者」達は、それを人民に平等に分け与えるという「公約」をあっさり翻して全てを独占し、「人民主権」の下で人民はやはり「独裁指導者」に搾取され、「平等に」貧乏になった

現在の中国・ロシアや北朝鮮が、彼等「国際共産主義者」らが反吐が出るほど嫌悪し(て見せ)た「アメリカ帝国主義」と全く同様、国の全人口の1%が国富の半分を独占する超格差社会になってしまっている現実を見れば、「人民主権」が実は「人民搾取・支配」の方便だとはっきりわかる。

そもそも共和制憲法が、社会主義・共和政体を絶対として憲法の改正対象から外したところで既に、「社会主義・共和政体に疑問を持つ」国民の権利も言論の自由も、その疑問をすくいあげて「公議公論」に付すべき民主主義も、全て蹂躙している。

「大日本帝国憲法は、改正に改正を重ねて、成熟させねばならなかったのに、一字一句も変えられなかった。それが大日本帝国憲法の、大いなる欠陥だ」と青山は言っているが、『日本国憲法』がそうであるように、共和制憲法が全体主義独裁を維持する為に独善的に「不磨の大典」であることと、その根幹を「国体」におく大日本帝国憲法が、「至高の権威」を「皇祖皇宗の教え=規範国体」とその体現者たる天皇におくことで、当然、安易な改正が難しくなることとは、問題の性質が違うだろう。

国体の規範とは、安易に変えてはならないもの、時代の変遷と共に流行の如く変わるべきではないものだからである。

青山は、番組の放映年月日をいうときに、「私達の大切な『オリジナル・カレンダー』・皇紀では……年」というし、仁徳天皇の「民のかまど」のエピソードを挙げて「日本は古代から『民意』というものを大事にしてきた」と言い、また、聖徳太子の『十七条憲法』(『日本書紀』に登場する「憲法十七条_いつくしきのりとをあまりななをち」が正式な呼び方)を「世界史の奇跡としてわれわれが持った」と、最大限の尊敬を以て紹介している。

これは、生き方の手引きである。利害の調整ではないから、現憲法の百三条の長さより、はるかに短い。そして子供が読んでも分かる簡潔さと明晰さがある。美しい憲法とは、まさしくこれだ。》

まったくそのとおりだ。この一文のタイトル『日本オリジナルの憲法に立ち返る志を持とう』にも、「日本には日本の民主主義、立憲主義がある」との考察にも、膝を叩いて賛成する。

だが、それがなぜ「わたしたちは根っこの目標を定め直し、日本の憲法を初めて創るべき」になるのかわからない。

大日本帝国憲法は『西洋からの輸入物』だから駄目なので、わたしたちの憲法を創る、その前に現憲法に最低限度の改正を実現する」と、「日本には日本の民主主義」「日本オリジナルの憲法に立ち返る」と自分自身が言ったことと全く逆方向のことを、青山は言うのだ。

『青山繫晴が…答える!』で、「大日本帝国憲法は、問題の多い憲法だった…そんなものに戻して、どうするのか」と、青山は言い放った。

南出喜久治の『とこしへのみよ』によれば、大日本帝国憲法だけでなく、『古事記』『日本書紀』、その中の『神武天皇のご詔勅』『憲法十七条』などや、『万葉集』、『五箇条ノ御誓文』、所謂『軍人勅諭』や『教育勅語』なども、これすべて「実質的意味の憲法」であるという。

私達日本人は、その悠久の歴史の中に、沢山の日本製「憲法」を、既に持っているのだ。

そして、これらの「憲法」の中心には、天皇の存在がある。

1854年、ペリーの砲艦外交により江戸幕府が結んだ日米和親条約は、最恵国待遇を米国のみに与える不平等条約であって、これを解決する為、日本も西洋並みの最新式政治形態を運用できる実力があることを、対外的に見せつける必要に迫られた。このような状況下、大日本帝国憲法が西洋式憲法及び立憲君主政体を下敷きにしたことは、当然の流れであった。

しかし、大日本帝国憲法は、単なる「西洋からの輸入物」ではない。

その根幹には、「西洋の帝王」と一線を画する「万世一系」の歴史を持ち、同時に民衆と対立関係にない「万民の父母」たる天皇の存在があった。

伊藤博文が教えを請うたグナイスト、シュタインは、「憲法はその国独自の歴史と伝統と文化に根差したものでなければならない」と言った。

古代より「憲法_いつくしきのり」を、民を支配するためでなく、民とともにより善き道を歩むために発してきた天皇、まさしく日本の「歴史と伝統と文化」を象徴する、「宗教の長」ではない、人類融和の祈りを捧げる「祭祀王」天皇が、その大本をしっかりと支える大日本帝国憲法、それが、「ただの西洋からの輸入物」であろうはずがない。

ひるがえって、『日本国憲法』こそは「西洋からの輸入物」どころか、日本の「歴史と伝統と文化」を破壊するため反日外国人たちが「やっつけ仕事」で作成した、「憲法」という名に値しない「偽憲法」である。

青山は、「『悪法も法なり』であるから、『日本国憲法』の改正方法を使って、コツコツ、一つ一つ改正していく他ない」という。だが、「悪法も法なり」は、その法が有効であれば、の絶対条件付きの話だろう。『日本国憲法』が無効であることは、青山も承知しているではないか。それを、「日本の憲法を『初めて』創る」「その前に現憲法に最低限度の『改正』を実現する」とは、一体どういう意味なのか?筋が通らない。

「北朝鮮拉致被害者を、一刻も早く救出しなければ!」と急き立てながら、「コツコツ、一つ一つ、改正していく」?

完全に破綻している。そして、青山の「憲法改正」論の破綻ぶりは、青山の「親分」である安倍晋三首相の「憲法改正」論の破綻ぶりと、軌を一にしている。

安倍晋三は、憲法改正派→(『日本国憲法』有効追認派?)→無効派(?)→再び憲法改正派???

《「『日本国憲法』は、ハーグ条約に違反していますので、サンフランシスコ講和条約で独立を回復した時に、『これは無効である』と言って……これは、過半数で無効にできますから……そして、まさに、自分たちの手で、憲法を書く。結果として、似たものになるということは、充分あり得るでしょうし……」(2009年5月3日『たかじんのそこまで言って委員会 憲法スペシャル』)》

これは第一次安倍政権を辞任後、野党時代の安倍晋三の発言である。しかしこの2年前の2007年10月18日、第1次安倍内閣時代に、第165回衆議院国家基本政策委員会会合同審議会において、野党民主党党首小沢一郎との党首討論冒頭で、メディアは殆ど報じなかったが、「占領憲法の効力論」が「討論」されていた。そこでは、安倍は「『日本国憲法』有効論」をとっていた。

小沢が「占領中に、占領軍の、少なくとも、深い影響、関与のもとになされた日本国憲法である、(中略)という論理の一貫性からいえば、(中略)日本国憲法は本来無効だ、ということになる、と安倍首相は言っているように思われるが、どうか」と質問したことに対し、安倍首相は、ナチス・ドイツ占領終了後のフランスが「占領憲法破棄」をしたことなどを挙げたうえで、

《「しかし、日本は昭和27年に講和の条約を結び、独立を回復した後も、基本的に現行憲法のもとにおいて今日までの道のりを歩いてきたわけでございます。」

「ですから、現在、であるから、それが無効だという議論は、私はもう既に意味はないのではないのだろうか、このように思っています。」

「私も、現行憲法をすべて否定しているわけではありません。現行憲法の持っている主権在民、自由と民主主義、そして基本的人権、平和主義、この原則は、私は世界的、普遍的な価値であろう、このように思っておりますし、基本的に私は、認識としては、〔日本国憲法は〕既に国民の中に定着し、それを我が国国民が選んだのも私は事実であろう、こうかんがえています」》

これは、安倍晋三が「(共産党議員吉田信夫が言ったような)『日本国憲法』有効論から、無効論に一時的に『鞍替え』した」という話ではなく、青山同様(それとも青山が「安倍同様」なのか)、「無効論について無知なくせに無効論を否定・無視している」という批判をかわすため、アリバイ的に「無効論はもちろんよく知っているが、熟考の結果、『現実的でない』と判断したので、無効論について議論する必要はない」という論理で言っているだけだろう。青山繫晴、安倍晋三の無効論理解はいかにも生半可である。その証拠に、無効論の要である「連合国占領以前の、大日本帝国憲法下の日本への原状回復」と「連合国の犯罪告発」がすっぽり抜け落ちている。

「『日本国憲法』有効論」とは、「日本=侵略国史観」の受容・容認=日本人の父祖への日本人による誣告

1964年の憲法調査会報告書も、「日本国憲法無効論」はまさしく「アリバイ的に」言及しただけで「押しつけでも、内容が良いからいい」という「敗戦奴隷」根性丸出しの結論に終わったが、安倍の言っていることは、まさにそれだ。

ここには、「侵略戦争を反省して『日本国憲法』を受け入れた日本人」とは、「『自分達の祖父が、父が、兄が、友が、侵略者・虐殺者だった』という誣告を『事実』として受け入れ、平然としている、日本人としての矜持も反骨精神も失った、腑抜けの日本人」である、という自覚がない。

日本が主権を取り戻し、独立を回復することは、「侵略国」「虐殺軍」の冤罪を雪いで、日本の尊厳と名誉を取り戻すことと、同義でなければならない。

本 美しい国へ

2006年に出版し、50万部以上のベストセラーとなった『美しい国へ』で、安倍は「国の骨格は、日本国民自らの手で、白地から作り出さなければならない。そうしてこそはじめて、真の独立が回復できる」「憲法の改正こそが、『独立の回復』の象徴であり、具体的な手立てだった」と、「保守合同」で55年体制を築いた自由民主党の結党の理由の「第二」、「自主憲法制定」を説明した。

だが、この高邁な「目標」は、「第一の理由:経済の復興」の「後回し」にされ、《その結果、弊害も現れることになった。損得が価値判断の重要な基準となり、損得を超える価値、たとえば家庭の絆や、生まれ育った地域への愛着、国に対する想いが、軽視されるようになってしまったのである。》(安倍晋三『美しい国へ』)

〔「経済復興」を第一の、「独立の回復」を第二の目標としたことは〕順番としてはやむをえなかったのだろうが》(同上)というところで、安倍は完全に間違っている。

日本は(吉田茂は、岸信介は)、主権と独立の回復を、経済復興の二の次には、絶対に、してはならなかった。

例え戦災・焼け野原・貧窮の時代がもう何年余計に続いたとしても、自立自尊の精神で、独立独歩で歩き出すのと、「敗戦奴隷」として軛をかけられたまま、鞭を当てられて走り出すのとでは、国民精神の在り方が根底から違ってくる。

『日本国憲法』無効確認をしなかった、ということは、連合国の「日本=侵略国」の誣告を告発しなかった、ということであり、それは「独立」の嘘の裏で日本人が知らぬうちに置かれた「被占領国民=敗戦奴隷」という立場が、永久に日本民族の精神に「奴隷の焼き印」として焼き付けられ続けることになってしまった、ということであった。

日本国民が必死に働いて達成した「高度経済成長」にも「GNP世界第2位」にも、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の掛け声にも、国際社会からは常に「戦争中、お前達は残虐な侵略者だったのに」「安保のタダ乗りでうまい汁を吸った」「エコノミック・アニマル」「働き蟻」と、冷たい侮蔑の目が向けられ、全く誇らしいところは一つもなかった。

しかも、実際には「好景気」と「不況」が数年ごとに交互に日本経済を襲い、日本の庶民が心の底から経済的安定を実感できる状況には程遠かった。「一億総中流」の言葉が流行ったときにも、「うちは貧乏のままだが」と思った国民も多かったのではないのか。

朝鮮戦争特需で潤い、「もはや戦後ではない」と、鳩山一郎内閣が経済白書に「戦後復興完了宣言」を出した「神武景気」(54年~57年)も、結局は日本経済の上層部を潤わせただけ、と「天照らす景気」などと揶揄されたことが、「高度経済成長」というものの本質を表している。

また、安倍は祖父・岸信介の60年安保改定を、「〔岸は〕この片務的な条約を対等に近い条約にして、まず独立国家の要件を満たそうとしていたのである。今から思えば、日米関係を強化しながら、日本の自立を実現するという、政治家として当時考えうる、極めて現実的な対応であった」と絶賛しているが、前稿「日本国憲法無効確認への道①」でみたように、岸の「対等な日米関係新時代」は、全くの噓だった。

戦後日本政治・外交における「米軍と日本の官僚との『異常な』直接的関係」

岸の結んだ新・安保条約は、当時の駐日大使マッカーサー(連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の甥)の米国務省あての通信にもあるように、「見かけだけが改善されていた」だけで、「米軍の日本占領」の実質は全く変わらなかった

1972年、沖縄返還交渉を担当した米大使館シュナイダー駐日公使は、《「日米合同委員会のメカニズムに存在する、米軍司令官と日本政府の関係は、極めて異常なものです」「(本来なら、他のすべての国のように)米軍に関する問題は、受け入れ国の中央政府の官僚とアメリカ大使館の外交官によって処理されなければなりません」「(ところが日本ではそうなっていないのは)要するに日本では、アメリカ大使館がまだ存在しない占領中に出来上がった、米軍と日本の官僚との異常な直接的関係が、いまだに続いている、ということなのです。」》と駐日大使への報告に書き残した。

《その後もアメリカ国務省は、日米合同委員会のアメリカ側代表を米軍司令官から外交官(駐日公使)に交替させて、委員会全体を駐日大使のコントロールのもとにおこうと何度も試み》たが、《そのたびに軍部の抵抗によって》《「日米合同委員会はうまく機能しており、日本政府がその変更を求めている事実はない。アメリカ政府は日米合同委員会の構造を、より公式なものにする方向へ動くべきではない」(1972年5月29日、太平洋軍司令官の見解)》《と拒否されてしまった》(矢部宏治『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』)

1952年の「独立」後も、米軍の軍事占領が継続していたことを、アイゼンハワー大統領が主導して作成した『世界の米軍基地に関する極秘報告書(ナッシュ報告書)』の基礎資料となった、ホーシー駐日公使作成の1957年極秘報告書が明らかにしている。

「このような強制された基地のあり方に対し、これまで日本人はおどろくほどわずかな抵抗しかせず」「日本の主権が侵害されるなか、米軍基地の存在を黙って受け入れてきた」》(同上)

日本はいまだに占領されたままであること、国民が「敗戦奴隷」として洗脳され、人権を蹂躙され、搾取されているということを、日本国民は気づかないでいる。日本政府がその事実を隠蔽しているからである。

「(『日本国憲法』の)前文・9条が決定的におかしいということすら理解しない国民」に「無効論」を持ち出すことは「憲法改正の助けにならない」と、青山はフラストレーションを日本国民の「憲法への無関心・不理解」に向ける。「どうして日本はこんな社会なのか」「世界のどんな国の国民でも理解することを、日本人だけが理解しない」と嘆いてみせる。これを本気で言っているのなら、青山本人も、『日本国憲法』のこともGHQ占領政策のことも、何も本当には理解していない、ということになろう。

日本国民が、9条・前文の「日本国の、国防を含めた主権発動の(連合国による)禁止」という、どこからどうみても「決定的におかしい」、世界標準・国際倫理に照らして異常な条文を、何の疑いもなく「平和条項」と呼んで有り難がっているのは、GHQの洗脳でそう信じ込まされてきたからだ。

マッカーサー日本に乗り込む

検閲と洗脳で「受け入れさせられた」東京裁判史観と『日本国憲法』

『日本国憲法』は第21条1項で「言論、出版その他一切の表現の自由を保障」し、2項で「検閲を禁止」しているが、連合国製「新憲法」制定前、占領の最初期から、GHQ/SCAPは5000人の日本人スタッフを動員して、大規模で稠密な検閲を実施していた。その日本人スタッフの月給は、《当時どんな日本人の金持ちでも預金は封鎖され、月に500円しか出せなかったのに、900円ないし1200円の高給》であり、《その経費は全て終戦処理費》__つまり日本国民の税金で、日本国民が日本国民を検閲し、言論統制させられていたのである(《 》内 岡崎久彦『百年の遺産__日本の近代外交史話73』)

その検閲30項目を以下に挙げる。(当ブログ別稿『「日本人の魂の武装解除」:GHQ検閲リスト30項目で連合国が隠したかったこと』も合わせてご覧ください

  1. SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
  2. 軍事裁判(東京裁判)への批判
  3. SCAPが憲法を起草したことについての批判
  4. 検閲への言及
  5. アメリカ合衆国への批判
  6. ロシア(ソ連)への批判
  7. 英国への批判
  8. 朝鮮人への批判
  9. 中国への批判
  10. その他の連合国への批判
  11. (個々の連合国でなく)連合国全般への批判
  12. 満州における日本人の待遇への批判
  13. 連合国の戦前の政策への批判
  14. 第三次世界大戦への言及
  15. 西側世界対ロシアの問題(冷戦)に関する論評
  16. 直接・間接を問わず日本の戦争擁護のプロパガンダ
  17. 直接・間接を問わず日本と日本の天皇が神の子孫とその国であるというプロパガンダ
  18. 軍国主義的プロパガンダ
  19. 国粋主義的プロパガンダ
  20. 大東亜(共栄圏)プロパガンダ
  21. その他のプロパガンダ
  22. 戦争犯罪の正当化と戦犯の擁護
  23. (占領軍兵士と日本人女性の)交渉
  24. 闇市の状況
  25. 占領軍への批判
  26. (日本人の)飢餓の誇張
  27. 暴動・社会不安の扇動
  28. 虚偽の報道
  29. 不適切なSCAP(或いは地方軍政部)への言及
  30. 解禁されていない報道の公表

 

この検閲30項目で、連合国GHQが成し遂げたかったこと、それは、「天皇を頂点とする大日本帝国憲法下の政治システム=悪」「連合国による占領前の日本の歴史・伝統・文化=全て悪」「日本=野蛮で残虐な侵略国」という決めつけ、そしてその一方での「連合国列強=文明的な民主主義国・世界を導く正義の番人」というプロパガンダの強調である。

連合国、特に米国が、日本を「征服」することの、「国際倫理的な正当化」である。

開拓期のアメリカは、北米インディアンの土地収奪を「インディアン=野蛮な虐殺者」「アメリカ騎兵隊=白人開拓者を虐殺者の魔の手から護る文明的な正義の味方」というプロパガンダで正当化した。

この「異民族征服・奴隷化の定石」を、「日本征服」にも適用したわけである。

『日本国憲法』制定はハーグ陸戦法規違反というだけでなく、「日本民族を奴隷化したりしない」と謳ったポツダム宣言にも違反していた、ということである。

また、「征服者」の常として、連合国は敗戦国日本の歴史を書き換えた。

実質「アジア解放戦争」となった大東亜戦争の呼称を禁止し、「対米戦争」の側面を強調した「太平洋戦争」という名称を強要し(今また「アジア・太平洋戦争」に変えろ、といわれているようだが)、『太平洋戦争史』というGHQ製「偽歴史書」を、歴史教科書として学校で使用し、『真相はこうだ』『真相箱』というラジオ番組の下敷きにして、「事実として」老若男女問わず日本国民全体に教え込んだ。

未発表刊行物などに対する検閲とは別に、既刊書籍などを対象に7769点の「没収宣伝用刊行物指定」=「焚書」が行われた。「焚書」リストはGHQによって作成されたが、実際の没収は日本政府によって行われた。東京大学文学部も、GHQに協力した。(西尾幹二『GHQ焚書図書開封1』)

「検閲」「焚書」「洗脳」によって、日本人は歴史を奪われ、記憶を消され、代わりに「侵略戦争の加害者」としての「偽の贖罪感」を植え付けられた「敗戦奴隷」となった。

マッカーサーの言ったように、占領中「日本列島は丸ごと巨大な強制収容所」と化していた。「日本人は誰も、SCAP/GHQの許可なしには何もできない、どこへ行くことも許されない」状態であった。

事実、1945年9月10日に発令された「新聞報道取締方針」「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」(SCAPIN-16)によって、同盟通信、朝日新聞、ニッポン・タイムズ、東洋経済新報らが、24~48時間の業務停止命令を受けた。業務再開が許可されたときには、これらの通信社、新聞社は、GHQの宣伝機関となり果てていた。

検閲には事前検閲と事後検閲があったが、事後検閲は、印刷工程が全て終了し、書店などへの配達も完了してから検閲に引っかかった場合、全費用が水の泡となり、出版社に莫大な損失を与える。このことは検閲がGHQの手を離れ、日本人自身による「自主検閲」へと形を変えて継続することに、実質的な脅迫行為である「公職追放」とともに、大いに寄与した。

このようにして、1951年の「独立」後、「目に見える占領軍」GHQの替わりに「目に見えない占領軍」日米合同委員会に支配されるようになった時、「日本人による日本人の検閲・洗脳」を継続できるシステムが、既に社会に構築されていた

『日本国憲法』が無効であるという事実を知らない日本国民は、占領期の吉田茂内閣を始めとする日本政府、外務省、文部省、法務省、……、最高裁、検察庁、……、日本の三権=政治・行政・司法の全てが、「公職追放」という「GHQの踏み絵」を踏んで「GHQの子飼い」となった者たちで構成されていた、という事実、そしてその状態は今も継続している、という真実も知らない

戦後日本の「国策」は米国防省・米軍が決定し、その決定に沿って日本政府が日本国家運営をしてきた。

これが「戦後レジーム」というものの正体である。

安倍政権が『日本国憲法』無効論を国民に周知せず、「憲法改正」「自衛隊明記」を推進する本当の理由

安倍晋三は、『日本国憲法』を「改正」すべき理由を、3つ挙げている。

  1. 現行憲法は、GHQが短期間で書き上げ、それを日本に押し付けたものである
  2. 昭和から平成へ、20世紀から21世紀へと時が移り、9条など、現実にそぐわない条文もある
  3. 新しい時代にふさわしい、新しい憲法を私たちの手で作ろうというクリエイティブな精神によってこそ、われわれは未来を切り開いていくことができる

(2004年、安倍晋三・岡崎久彦『この国を守る決意』 ※番号まとめ引用者)

ここには、「『日本国憲法』が日本の主権を侵害し、日本人の尊厳と名誉を傷つけ、日本の独立を妨げている」という、日本と日本国民にとって、真に重要な事実への言及がない

3番目の「クリエイティブな精神で作る、新しい時代にふさわしい新しい憲法」も、「日本の歴史・伝統・文化に立脚」という「憲法」のあるべき姿から外れている。

「国の骨格は、日本国民自らの手で、白地から作り出さなければならない。そうしてこそはじめて、真の独立が回復できる」と『美しい国へ』でも言ったように、安倍晋三の国家観・憲法観は「今生きている者達のためだけ」のものであるらしい。

《〔自民党憲法改正推進本部会合でも〕戦力不保持や交戦権の否認をうたった〔9条〕2項削除にこだわる声が出たが、「2項維持の方が他党の賛同を得やすい」と〔1・2項を残して自衛隊を明記する〕首相案を「現実的」と支持する意見が目立った》(朝日新聞2017年12月21日「9条改憲文案 年内見送り」太字引用者)という記事から推して、安倍首相の本心は、先の衆院選の時の言葉通り、公明党や野党と歩調を合わせながら「日本の主権侵害・名誉棄損という『日本国憲法』の有害部分には手を触れず」しかし「自衛隊明記」だけは何としても、ということのようだ。

「憲法に自衛隊明記」が、「『本当に』日本の主権と独立を取り戻す」ことのできる「無効論」よりも、安倍政権にとって重要なのはなぜか?

吉田茂の「統一指揮権密約」によって、「自衛隊は、有事には米軍総司令官の指揮権の下に入る」ことになっている

自衛隊は、本当に戦争になれば、日本と日本国民を守る「国防軍」ではなく、米軍の一部となり、米軍と米軍基地を守る軍隊となるのである。

1977年、横浜市の住宅街に米軍のファントム偵察機が墜落し、日本人の子供2人が死亡した事件では、《その時すぐに現場に飛んできた自衛隊のヘリコプターは、日本人の負傷者に対してなにも救助活動をせず、なんとパラシュートで脱出して無傷だったふたりの米軍パイロットだけを乗せて、厚木基地へ帰ってしまった》のである。(《 》内矢部宏治『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』下線引用者)

「戦時」「有事」でなくとも、日本国民の生命より、米軍将兵の命、或いは「米軍の法的地位」の方が優先されている、理不尽な「日本全土治外法権」の現実が既にある。

ところが、米軍にとっては、これでも十分ではないのである。なぜなら、

「警察予備隊」そのままのポジティブ・リストの「自衛隊法」で動く自衛隊のままでは、ネガティブ・リストの軍規・軍法で動く米軍と完全協調して動くことができない。

自衛官が戦地で敵と対峙しても、「敵兵に味方を撃ち殺されてからでなければ、自衛官は反撃できない」「しかも、その『味方を撃ち殺した当の敵兵』にしか、反撃はできない」「これらの鉄則を破れば、その自衛官は『殺人罪』に問われる可能性が高い」「しかも、軍法も無ければ軍法会議もないので、当該自衛官は戦線を離れ、日本に一時帰国して、日本の裁判所で裁かれる必要がある」「その裁判での証拠とする為に、自衛隊は、演習時に自分達の行動を逐一『敵に背を向け、突撃する友軍を、前から』ビデオで録画する訓練もしている」(イラク派遣の時の「ヒゲの隊長」として有名な佐藤正久参議院議員が、「ビデオを抱えた隊員が、戦場で真っ先に死ぬ!」と憤慨している)等々と、バカバカしくもくだらない、信じられないような本当の話が、現実としてある。

更に、交戦権否定の『日本国憲法』下の自衛官は戦時国際法の規定する『合法な交戦者』ではないから、中国の「便意兵」のように、「非合法戦闘員」となり、法によって護られない。「非合法戦闘員」は、国際法上の人道的待遇が与えられる「正式な捕虜」の資格がないから、たとえ個人が白旗を挙げて降参していても、その場で撃ち殺されても文句が言えない、ということになる。

そんな状態では、いざ本物の戦場で、「米軍の手足」となって軍事行動に携わることに支障をきたす。「日本国民の命は後回し」の現実を目の前にしたとき、国のために自分の命は捨てる覚悟の自衛隊員の士気が、「米軍の手駒」となったときにも、高く保てるという保証もない。

だから「自衛隊は〔世界基準の軍規・軍法を持つ〕軍隊である」と憲法に書かれる必要がある。それが、安倍政権が必死で「自衛隊を憲法に明記する」と言っている本当の理由である。

そこでは、日本国民である自衛官の生命と名誉を守るためではなく、「米軍の都合」が優先されている。

『日本国憲法』は、日本国民である自衛官の生命も名誉も守らない。自衛官の基本的人権・生存権が全く保証されていない。

「憲法に自衛隊を明記」で「軍隊」に格上げされても、自衛隊は米軍に付属する、米国人司令官に指揮される「日系人部隊」と同等の立場であって、「祖国日本を護る国防軍」ではない。

「憲法改正」「加憲」では、日本の主権と独立は取り戻せない。安倍政権のしようとしていることは、「在日米軍による占領体制」「戦後レジーム利権」の継続、護持である。

だが、既に多くの米国側外交官が指摘しているように、現在の「米軍の日本占領=基地植民地状態」は、「異常」であり、「不正」であり、「不法行為」なのである。

その不法行為をやめさせる『日本国憲法』無効確認をしないこと、『日本国憲法』無効論を周知さえしないことは、米軍の共犯或いは犯罪幇助、自分たちの犯罪隠蔽と言ってよい。

南出喜久治は、「『日本国憲法』無効確認とは、即ち『犯罪者の自白=認罪』である」と言った。(『日本国憲法無効宣言』)

吉田茂、岸信介、そして安倍晋三に至る「戦後レジーム利権」利得者達が、『日本国憲法』無効論を必死に国民から隠してきたのは、自分達の行為が「国家反逆罪」にも値する、日本と日本国民への裏切りである、ということを十分承知していたからであり、そして、その「極刑に値する罪を自白」=「認罪」するつもりがない、する勇気がない、ということなのだろう。

日本の根幹の歪みは、原状回復=大日本帝国憲法の復原でしか直せない】

日本国民は、いまだかつて、一度も『日本国憲法』無効の事実を周知されたことがない。

70年使ってきたからと言って、「『日本国憲法』が日本国民に受け入れられている」とは言えない。

無効論の存在すら大多数の日本国民が知らない状態を、日本政府自身が作ってきたことを棚に上げて、「『日本国憲法』を日本国民自身が『選び』、それが『定着している』」というのは、欺瞞である。

連合国の犯罪の「共犯者」である日本政府が、「このような強制された基地のあり方に対し、(……)おどろくほどわずかな抵抗しかせず」「日本の主権が侵害されるなか、米軍基地の存在を黙って受け入れてきた」ことを以て、「日本国民全体が合意していることだから、この異常な状態=占領状態を継続しても構わない」ということは絶対にできない。

日本国民は知らされていないからである。合意などした事実はないからである。

そもそも、「たとえ民意が廃憲に反対しても」という語弊の有る言い方を、『青山繫晴が…答える!』の質問者がしてしまったのは、切羽詰まった現状への焦燥感ゆえの舌足らず、というだけでなく、質問者がせっかく「日本国憲法無効論」というものの存在に気づきながら、「廃憲」「無効化」と混同してしまっていること、その混同は「正確・詳細な日本国憲法無効論の周知」を、戦後日本政府が「故意に怠ってきた」ことに起因している。

「『日本国憲法は無効だ』などというのは無責任だ」と青山は言うでは聞く。

『日本国憲法』無効論の存在を周知しないまま、「改憲(加憲)か、護憲か、二通りの選択肢しかない」と国民を騙したまま、国民投票に持ち込んでその結果を「日本国民が自らの政治意志で決定したこと」とすることは、無責任、いや、「詐欺行為」ではないのか?


「国民の知る権利尊重」「選択肢の開示」は民主主義の根幹である。

■『日本国憲法』は大日本帝国憲法と国際法及び国際倫理に違反して制定されたものであり、始原的に無効であるという事実

■その根幹精神が日本と日本国民を侮辱し虐待する、非人道的なものであるという事実

■日米安保条約と並んで、米軍による「日本基地植民地支配」を担保するものであるという事実

■「新GHQ」=日米合同委員会の決定により、日本政府が日本国民の血税を使って、連合国=国際金融軍産複合体に都合の良い政策を立て、実行しているという事実

日本国の存立にかかわるこれらの事実を、「戦後レジーム利権」利得者達が隠匿してきた。

『日本国憲法』無効論隠匿は、国家反逆に匹敵する大罪である。

『日本国憲法』無効と大日本帝国憲法現存の事実を確認するということは、日本に主権と独立を回復するにとどまらず、天皇に大権をお返しすることで、内閣と官庁と議会が「日本国家の公僕として」「天皇陛下の監視の下で」「責任ある国家運営」をする、という立憲主義国家の本来ある姿に、日本がたちかえる、ということである。

「70年も使ってきて、今更『無効だ』という議論には意味がない」?

『日本国憲法』無効確認と大日本帝国憲法現存確認によって、日本は主権喪失状態を脱するのである。意味がないわけはないだろう。

「憲法が無効だということになれば、そこから派生した法律全部が無効ということになり、大変なことになる、だからそんなことはできない」と、青山は2017年7月17日の『虎ノ門ニュース』で言っていたが、「大変なこと」になるのは、「無効論不周知という犯罪隠蔽」が白日の下にさらされる「戦後レジーム利権利得者」達だけである。

『日本国憲法』無効確認と大日本帝国憲法現存確認は、日本国民には「百害を排除して百利を与える」のである。

寧ろ、GHQ『皇室典範』や「第2の『日本国憲法』」である教育基本法など、「派生した法律全部」を一旦無効確認で始末するほか、現実に、現在の日本の危機的混迷を収拾する術はない

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『日本国憲法』無効確認と大日本帝国憲法現存確認こそが、唯一法的に、倫理的に、現実的に、正しく、即応性・実効性のある「救国の具体策」である

『日本国憲法』無効確認と大日本帝国憲法現存確認が、具体的に何を意味するかを以下に挙げる。

『日本国憲法』無効確認によって、「国民主権」、前文、9条1項2項など、日本の主権を侵害し、天皇と日本国民の尊厳と名誉を毀損する「有害部分」が即時廃棄される。

天皇と皇室を虐待するGHQ製『皇室典範』も、即刻廃棄され、明治の皇室典範が大日本帝国憲法とともに復活し、天皇の譲位問題など皇位継承関係の問題は、本当は120名以上存在するという、GHQによって皇籍離脱させられた皇位継承者達の処遇も合わせ、皇族による皇室会議にて話し合われることになる。

大日本帝国憲法現存確認=占領前の原状回復によって、自衛権・交戦権問題は即時消失する。

日本は、世界中のどの国も持っている自然権である交戦権も自衛権も、当然持っている、という事実が確認される

「国家主権の発動」としての、国家防衛を、自律的に行うことのできる「まともな」独立主権国家に、日本は立ち返るのである。

もう二度と、「破防法は合憲か違憲か」「個別的自衛権はないが、集団的自衛権ならあるのではないか」などという、馬鹿げた「憲法解釈論議」に大切な国政の時間を費やす必要がなくなる。

70年もの間に完全に「米軍依存体質」にされてしまった日本の軍事力の「米軍離れ」をどう実現していくか、独立主権国家として、真の「同盟」はどの国と結ぶべきか、など、喫緊の、本当に重要な問題を、議論することができる。

日本国民の生命と財産を守る「国防」こそが、「国家の第一の役割」である、と教科書に書くことができるようになる。

大日本帝国憲法現存確認により、自衛隊は、即時、大日本帝国陸海空軍という、ネガティブ・リストの軍法・軍規で動く「まともな軍隊」になる。

同時に、北朝鮮有事を目前に喫緊に必要な「戦時情報組織」や、GHQによって削除された大日本帝国憲法下の刑法の「利敵行為」3項目__事実上の「スパイ防止法」__などが、即時復活する。

戦後、「敗戦奴隷国」日本で、好き勝手に日本破壊工作に従事してきたスパイ・敵性行為者・売国奴を一網打尽に検挙し、その罪を相応に償わせることができる。

米軍の意向(米軍の都合)を忖度することなしに、北朝鮮拉致被害者奪還作戦を遂行することが、やっとできるようになる。

『日本国憲法』無効確認・大日本帝国憲法現存確認と同時に、これら事実確認をすることの説明として行われる、東京裁判という連合国の誣告告発により、「侵略国」「侵略軍」の汚名は、日本と日本軍から雪がれる。

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大日本帝国陸海空軍は自信と誇りを取り戻し、日本と世界は初めて、真実に基づいた戦争の世紀の総括を、始めることができるようになる。

「敵国条項」の不当が指摘され、検閲と洗脳という「人道に対する罪」が告発される。

何より、議会制民主主義・立憲主義に最も必要な「権力のチェック機能」である、「不裁可権・拒否大権を持つ『至高の権威』天皇」が、復活する!

連合国=米英ロ仏中とその「手下」である韓国・北朝鮮による日本政治の「内部浸食」を、国民の側に立って政治権力を「総攬」する「至高のオンブズマン」天皇がくいとめる。

「『日本国憲法』が無効ということになれば、『日本国憲法』下で選出された国会議員は皆職を失うことになってしまう」と半ば「脅し」的な「無効論=非現実的」論もよく聞くが、これも全く的外れな心配だ。

『日本国憲法』無効確認と大日本帝国憲法現存確認をしたからといって、「『日本国憲法』フリー」の状態に戻れるわけではないのは当然のことだ。『日本国憲法』は天皇大権を剥奪して立憲君主制という日本の政体を「棚上げ」してしまったわけだから、帝国議会も貴族院も枢密院も、なくなってしまった。調整が必要なのはいうまでもない。しかし、『日本国憲法』制定時も、法律間の調整は1年半で終わっている。逆に大日本帝国憲法に戻すことだけが不可能なわけはあるまい。

『日本国憲法』制定後の調整は、日本が主権を喪失して「敗戦奴隷状態」であることを日本国民には隠し、GHQの顔色を見、「公職追放」に怯えながらの屈辱的作業であった。だが、

大日本帝国憲法の現存事実を確認するとき、それは日本が主権を取り戻し、晴れて真の独立を回復した時なのである。

占領以前の「原状回復」が成され、戦後日本の「根幹の歪み」が真に正されるのである。

日本は、『日本国憲法』制定以来、大日本帝国憲法を「拉致」され、「規範国体」を体現する天皇の大権が封じられることで、「憲法真空状態」になっていた。それが日本民族を、屋台骨を抜かれた「腑抜け状態」にしていた__それがついに正常に戻るのである。

「『日本国憲法』無効確認で職を失う」のは、「戦後レジーム利権」利得者だけである。そして、

国連における『日本国憲法』無効確認は、そのまま「連合国史観=東京裁判史観=『日本侵略国家説』の否定」「連合国の誣告罪の告発」となる。

全世界に向けて、日本の冤罪が晴らされたことを宣言するのに等しい。

日本人は、もう「一億総前科者」ではなくなる__晴れて、心から、自信と誇りを取り戻すことができるのだ。

日本国民の、喜びと希望に輝く笑顔で、日本列島が満ち溢れるだろう。

どんな苦難にも立ち向かえる、そんな勇気が、凛凛と国民の心に沸き立つところを想像してみよ。「大変なこと」?一体何がそんなに大変なのか?

本当の「民主主義」「民意」とは何か、を考える

「『日本国憲法』は無効である」という真実を、日本国民が知らされていない現状では、「憲法問題」に関して「民意」など存在しえない。

真実を知らない国民が国民投票で何を決定しようと、それを「民意」と呼んではならない。

「国政に反映されるべく、国民が意思決定をするにあたり、決定事項についての必要不可欠な情報の開示が、政府によって故意に遮断されている」となれば、それは民主政治ではない。それは、全体主義的言論弾圧である。

そのように考えるとき、『青山繫晴が…答える!』の質問者の、「たとえ民意に反しても大日本帝国憲法に戻すべき」は、語弊の有る言い方ではあるにしても、完全に間違っているわけではない。なぜなら、

『日本国憲法』無効確認と大日本帝国憲法現存確認をすることに、「民意」は関係ない。

『日本国憲法』が無効であるということも、大日本帝国憲法が現存しているということも、ともに歴然たる「事実」だからである。

「事実確認」をすることに、「民意を問う」ことは必要ない。

「日本はこの事実確認により、本日晴れて、完全なる独立と主権を回復いたしました」と発表することは、「民意を問わねばならない」ことではない。寧ろ、憲法に関する「本当の民意」は、『日本国憲法』無効と大日本帝国憲法現存の事実確認をした後でなければ、得ることはできないのだ。

『日本国憲法』が無効である、大日本帝国憲法が現存している、と正しく認識することで、初めて理解できる真実が、ある。

そもそも、大日本帝国憲法が現存していなければ、「戦争放棄」「交戦権否定」の『日本国憲法』の、一体どの部分を以て、「交戦=戦争行為」の一部である「停戦」「終戦」「講和の締結」を為したというのか?

青山は、大日本帝国憲法の天皇の役割の規定が曖昧だったせいで、戦争を終わらせることができなかったように言っているが、大日本帝国憲法第1章「天皇」第13条は、「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」と規定している。

「和ヲ講ス」とは「講和」、即ち交戦国同士の合意により戦争を終決させ平和を回復する行為のことであり、休戦協定を経て講和条約を結ぶまでの「一切の戦争行為の終了」を意味する。つまり、

大日本帝国憲法が現存していたからこそ、大日本帝国憲法下の天皇大権である「講和大権」「条約締結大権」(第1章「天皇」第13条)によって、サンフランシスコ講和条約は締結できたのである。

逆に言えば、「『日本国憲法』を有効とするなら、法的根拠を持たないサンフランシスコ講和条約は無効」ということになる。「日本はまだ戦争状態にある」ということになってしまう。それこそ「非現実的」ではないのか?

日本が占領され続けるために、東京裁判史観と『日本国憲法』が必要だった、この二つは、連合国の「新世界秩序」構想という、出処を同じくする悪質・非人道的なプロパガンダであった、と知ることで、初めて理解できる歴史の真実が、あるのだ。

「日本は侵略国だった」という大前提で始める議論は、歴史問題であろうと人権問題であろうと、全て歪にねじれる。

「憲法=constitution」とは、「体質」「国柄」という意味である。その「日本とはこういう国」と説明するはずの「憲法」が、70年もの間、「日本とは、軍隊を持てば必ず侵略する、悪逆非道の国です」と日本人の頭を叩き続けて来たのだ。

いまの日本政治の根幹には、腐臭を放つ膿のような歪み、倒錯がある。その原因は、『日本国憲法』という、嘘で固めた、日本民族の精神虐待装置にあった。『日本国憲法』無効確認が、それを日本人に悟らせてくれるのだ。

『日本国憲法』が本当に意味することは、「天皇という存在がその中心的役割を果たして、開闢以来培われてきた日本の歴史・伝統・文化」の全否定、即ち日本民族の魂のアイデンティティー=日本精神の全否定であった。

他民族の国家アイデンティティーを破壊しようとする卑怯卑劣な団体=国連に、用はない。

『日本国憲法』無効確認と大日本帝国憲法現存確認を国連で__「国連=連合国の指導者達=安保理常任理事国は、特に米国は、非常に不適切なやり方で第二次世界大戦後の日本と国際社会を搾取してきた」と、国際社会の見守る中、当の国連安保理常任理事国たちの目を見据えて、告発し、脱退を宣言するべきである。

主権と独立を回復し、尊厳と名誉も回復した日本が、国際社会の特権階級だけを利する国際連合を脱退し、「本当に」国際社会の「底辺部の底上げを図る」新組織__大東亜共栄圏のような、「グローバルではなく、地域社会の共栄」を図り、その地域社会の代表者で構成する組織__の設立を宣言すれば、多くの後進・中小国家がついてくるであろう。

現在の、「国際共産主義者の巣窟」と化した国連と「新世界秩序」に嫌気がさしている、米英仏ロ中の指導者層の中にも、賛同者はみつかるであろう。

《わたしは政治家を見るとき、こんな見方をしている。それは、「闘う政治家」と「闘わない政治家」である。》

「闘う政治家」とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家のことである。「闘わない政治家」とは、「あなたの言うことは正しい」と同調はするものの、けっして批判の矢面に立とうとしない政治家だ。

わたしは、つねに「闘う政治家」でありたいと願っている。》(安倍晋三『美しい国へ』)

父の最後の一年間を見ていて、「これは命を賭けるに値する仕事だろう」と思いました。そして政治家は「国民の生命と財産を守る」ということを常に忘れてはいけないと心に刻みました。》(安倍晋三『この国を守る決意』)

「憲法の改正こそが、『独立の回復』の象徴であり、具体的な手立て」(『美しい国へ』)とは、吉田茂がデザインし岸信介が護持した「戦後レジーム利権」保護のための、「おためごかし」の欺瞞である、と安倍晋三は認めよ。

『日本国憲法』無効確認と大日本帝国憲法現存確認を国連で為した時、「批判」は日本国民や世界の国民からではなく、「戦後レジーム利権」利得者と、国連をも私利私欲のため利用している「国際社会の特権階級」から浴びせられる。そこでは安倍首相、あなた自身の生命が危険に晒される可能性もある。

安倍首相、あなたは今一度、自らの胸に手を当てて、問うていただきたい。

あなたの心には今も、「政治家は国民の生命と財産を守る」と、刻まれているか?

日本人には、生命よりも、財産よりも、大切にしたいものがある」ということを、知っているか?

日本人が、生命よりも、財産よりも、大切にしたいと思うもの、それは、日本の尊厳と名誉である」と、知っているか?

日本人の尊厳と名誉を護るために、「闘う政治家」になれるか?

『日本国憲法』無効論から、目を背けるな。

『日本国憲法』無効論は、究極の、「救国の具体論」であると認めて、国民に周知せよ。

『日本国憲法』無効確認と大日本帝国憲法現存確認を、国連で為せ。

国民にせっつかれて、「仕方ない」と愚図々々しながらやるよりも、腹を決めて、自分から進んでやった方がいい。それが、本当の「闘う政治家」の姿だ。

本 この国を守る決意

「日本国憲法改正」「日本国憲法無効論封殺」「天皇譲位特例法対応」は日本の本当の支配者・米国防省の命令だ!__近衛文麿、吉田茂、岸信介の裏切りと亡国の罪を、今改めて問う__『日本国憲法』無効確認への道①

『日本国憲法』・GHQ『皇室典範』とサンフランシスコ平和条約・日米安保条約__全ては国民がその本質を知らされないまま結ばれた日本の主権を売り渡す「密約」。戦後日本政治は「講和条約締結後も、日本は主権を回復できていない」=「占領が継続している」という真実を、国民から隠し続けることに邁進してきた

「戦後レジーム」とは、ナチスの「全権委任法」によるワイマール憲法停止にも似た、『日本国憲法』による大日本帝国憲法「停止状態」のことである

戦後日本の本当の支配者は米国防総省ペンタゴン__「議事録絶対非公開」の日米合同委員会において米軍が要求し、日本外務省北米局長が受け入れて「政府間合意」とする、日本国憲法にも優越する異常な「密約法体系」で、戦後日本は日本国民が知らないうちに、立憲主義も法治主義も民主主義さえも、ドブに捨ててきた

「占領」を「安保」と呼び換えただけ__『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』を軸にしたGHQ占領法体系は「ペンタゴン立法」の安保法・密約法体系が加わって引き継がれ、実質占領は継続している

米軍関係者は、法的に『日本国憲法』の上位にある。日本当局の管理を全く受けることなく出入国でき(スパイ天国)、日本国民を殺しても罪に問われない

自衛隊の最高司令官が内閣総理大臣であるというのは表向きで、統一指揮権が在日米軍司令官にあり、自衛隊を米軍の手足として、世界のどこででも自由に使える権利(rights)・権力(power)・権能(authority)を持っている、というのが真実である

憲法改正で自衛隊を「国防軍」と呼ぶことになっても、日米安保と「統一指揮権密約」により、有事の際「日本の軍隊」は米軍に完全従属し、「日本のため」でなく、在日米軍と米軍基地を守るために戦う

既に自衛隊は、米軍とリンクした兵器・装備で「米軍の指揮下でしか動けない」「大規模新設の第442日本人部隊」になっている

朝鮮半島有事は目前__日本に主権がないことすら国民から隠す政府は、拉致被害者奪還・在半島邦人救出体制どころか、最も基本的な意味での「国家防衛」義務を放棄している上、自衛隊のシビリアン・コントロールも外して非民主的米軍支配体制を幇助している


「憲法とは権力を縛るもの」?『日本国憲法』は、「国民の代わりに権力を縛る」天皇の権威を簒奪・排除して、実権力者=日本政府・官僚の売国の暴走を許してきた。日本国民が国民投票で決める「『日本国憲法』の改正」は、「影の支配者」米国防省が望む「米軍による日本の軍事支配=日本の主権簒奪状態永続の、日本人自身による承認」となる


「象徴天皇」は「『天皇制』存続」に見せかけ国民を騙し、実質天皇と皇族を弾圧し、皇統断絶に至らせるためのまやかしである

GHQ『皇室典範』は無効であり、それを改正しても「特例法」に対する「恒久法」にはならない。『日本国憲法』とともにGHQ『皇室典範』を無効確認により即刻廃棄し、政府と官僚の売国行為を国民に代わって糺せる唯一の「至高の権威」立憲君主の天皇を、大日本帝国憲法・明治の皇室典範現存確認で取り戻す


天皇 お言葉

「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しない」

2016年8月8日の「お言葉」のなかで、天皇陛下は、「戦後70年」「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇」という言葉とともに、この言葉を、畳みかけるように最後に述べられた。また、「天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました」ともおっしゃった。このことから、陛下がお望みになっている、「国民の理解すべきこと」の肝要の部分とは、天皇陛下はお立場上具体的に仰ることはできないが、「制度としての『日本国憲法』下の『象徴天皇』とは何か」ということであろうとおもわれる

天皇陛下のご意思が「『日本国憲法』絶対尊重」にあるのであれば、「憲法に抵触しかねない」この「お言葉」は、そもそも最初から、発せられることはなかったはずである。私たち国民は、『日本国憲法』の「国民主権」「象徴天皇」そのものに問題がある、という点に議論の始まりを置くべきだということだろう。

天皇陛下の「お言葉」を拝し、大多数の国民が天皇陛下のお考えの通りに、「恒久的な方法で譲位」していただくことを支持した。

「『日本国憲法』第一章 天皇」には、「第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあり、当然この天皇陛下の譲位のご意向がかなえられることを支持した大多数の国民は、政府が畏まって速やかに譲位実現に向けて行動を開始することを期待した。

しかし、政府と政府の設置した有識者会議の保守側の人々は、国民が唖然とするほどに頑迷に、「天皇の意向の表明により、政府が譲位実現に向けて動く」ことへの抵抗を示した。

『日本国憲法』が「天皇は国政に関する権能を有しない」と規定しているからだが、それがどうしたというのだろう?そもそもこの条文に妥当性、正当性はあるのか?

「特例法」対応を積極的に支持した元官房長官・石原信雄は「(退位の恒久化は)結論を得るのに時間が掛かりすぎる」というが、「結論」ならとうに出ている。

天皇が「天皇の務め」を果たすことの実際的問題点について最も熟知する人間は、過去30年近く天皇位に在る今上陛下を除いて、他にはあり得ない。2番目、3番目は皇太子殿下、秋篠宮殿下であり、だからこそ天皇陛下も「皇室の将来については皇太子・秋篠宮が話し合って決めるのが重要」と、何度も仰っている。

その陛下が10年も前から考え抜き、宮内庁参与会議という「天皇陛下が国民の意見を聞く諮問機関」=「天皇の有識者会議」での6年間の文字通りの激論を経たうえで、「全身全霊で務めにあたることのできるものが天皇位にあるべき」「譲位すべきであって、公務軽減・公務代行や摂政設置では駄目」と仰った。これが国民が拝すべき「天皇陛下の結論」である。

政府がこの上新たな有識者会議を設置し、それが出す新たな「結論」を元に対応を考えるとしたことは、有り体に言えば「天皇の有識者会議の軽視」即ち「天皇の権威軽視」である。

実際の「議論」の中身を見れば、そのことは更に明白になる。東大名誉教授・平川祐弘は、「国民の安寧と幸せを祈ること」「時として国民の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うこと」を「天皇の務めの最も大切なこと」とされた天皇陛下のお言葉を、「陛下の個人的解釈による象徴天皇の役割」と「指摘」し、「少し休んでいただいても象徴としての意味は薄れない」と言って事実上退けた。

国学院大名誉教授・大原康男は、「同じ天皇のご存在の継続そのものが国民統合の要」だから摂政での対応で十分、とした。

この者たちは、「親に口答えをするな」という躾は受けなかったのだろうか?「親・目上の者に口答えをしない」のは、左翼がいうような「体制への絶対服従のため」などではない。議論相手への礼を尽くすと同時に、自分の発言の前に一呼吸置き、冷静に自分の考えを反芻し、相手の言い分も再度考えなおして、両方の意見のメリット・デメリットについて再考したうえで議論を構築していくための、公議公論の基本原則なのである。「親や目上の者に口答えして、生意気の誹りを受けてまでも発言する価値のある正しい意見」なのか、よく考えて発言せよ、ということである。

然るに、この者たちは、「日本国の象徴」たる天皇の、命を削る激論の末到達した「結論」に対し、何の敬意も払わなかった。

それだけでも、目も眩むような恐ろしい不敬である。

だが、この者達にも、政府にも、国会にも、メディアにも、天皇陛下の譲位のご意向表明以来の一連の対応全てが「不敬」だという自覚がない。

「『日本国の象徴』たる天皇への不敬の無自覚」こそが、「『日本国憲法』統治下の戦後日本の『心の病』」=「主権喪失」なのであるが、その自覚すらもないのが今の日本の本当の危機である。

政府の有識者会議で「保守派のオピニオン・リーダー」と呼ばれる人達が、国民の面前でこぞって天皇陛下に「口答え」して、その「権威」を踏みにじるという暴挙に及んだことは、その「日本の危機」を端的に表し、問題の本質をかえって鮮明にすることになった。

やはり「退位に反対」で、天皇の権威低下を促進する「摂政設置」を支持する人気保守ジャーナリスト・櫻井よしこは、「陛下への配慮は必要だが、国家の在り方とは分けて考える必要がある」と述べている。

つまり、これら保守系学者・ジャーナリスト達と、彼らが支持する安倍晋三政権の考える「日本という国家の在り方」は、「日本国の象徴」たる天皇陛下への配慮を二の次にしなければ成り立たない、ということである。

神の意を白す万世一系の天皇が、古代より実権力者の上に「至高の権威」として君臨してきたという歴史の事実こそが、日本を日本たらしめている。

これは「日本の歴史の真実」である。だからこそ、天皇は尊いのである。

「万世一系の天皇」とは「日本の永続性の象徴」であり、皇位の継承それ自体が、日本という国の歴史の体幹を成している。

そのことと「日本という国家の在り方」は分けて考えることなどできないはずだ。それを敢えて「分ける必要がある」ということは、この者たちの中で、「日本の国体」というものは既に変容している、ということではないのか?

天皇陛下の譲位のご意向の表明が、安倍政権によって「天皇陛下の我儘・(そんなことよりもっと大切な)憲法改正の邪魔」扱いを受けていることは、「天皇には政治に関与する権限がないだけでなく、一人の日本人として当然『日本国憲法』が保障する筈の自律権=自分の人生設計を自分で決める権利すらも、ない」という冷厳な事実を国民に示した。

「政治に関与する権限・権力をもたない」というのであれば、歴史と伝統に照らして、天皇の在り方として寧ろ正しく日本的であると言える。だが、この天皇譲位問題で国民が見た政府や有識者会議の、特に「保守派」の人々の傲慢とさえいえる態度は、まるで「天皇には権力だけでなく『権威』もない」といっているかのようだった。

そのことが、国民に深いところで安倍政権への疑念を生じさせている。そのことにも、安倍政権は自覚がないのであろうか__。

象徴天皇という表現は、私たちがその場でふと思いついてつくった」という、占領当時「新憲法」草案起草の実務責任者であったGHQ民政局次長チャールズ・ケーディスは、1981年4月9日、ニューヨーク・ウォール街のケーディスの法律事務所における、産経新聞ワシントン駐在客員特派員の古森義久とのインタビューで、次のようにいっている。

《「〔マッカーサーに宛てて出された『国務・陸軍・海軍調整委員会 State-War-Navy Coordinating Committee、通称SWNCC=現在のNSC米国国家安全保障会議』からの指令の中にも〕天皇の身柄、あるいは天皇の在位に関する限り、(天皇制廃止や天皇の廃位などの)提案はまったくありませんでした。ただ天皇が国家や政府の大権を行使しないようにするという点は明白にされていたと思います。」(「象徴天皇は私たちがつくった:チャールズ・ケーディスの証言」古森義久『WILL』2016年11月号)》

古森の記事の中のケーディスの言葉の端々には、「占領軍は天皇を殺しはしなかった。新憲法に『象徴』という、素晴らしい、日本人の思う天皇像にマッチした形として残してやった。有り難く思え」という恩着せがましい雰囲気が醸しだされている。信じられないことに、日本人であり、しかも保守と称されるはずの古森自身も、ケーディスに同意し、GHQが「象徴天皇」を日本に「与えてくれた」ことに感心してさえいるかのように、こう言う。「皇室に関して日本古来の伝統だとばかりにみえた特徴が実は占領米軍による加工の結果だったという側面もあるのである」「『神聖で不可侵な統治権』を奪われた〔が、〕それでも天皇制も皇室も、その変化の奔流を柔軟に受け入れ、新しい地位へと移行した。そして新しい環境にふさわしい形で立派に存続することとなった

天皇陛下の譲位についての議論のなかには、「天皇はそこに存在するだけで有り難い。だから公務が大変なら宮中で静かに座っていてくれるだけでいい。退位する必要ない」などという、おためごかしの無礼な「退位反対論」がみられたが、それとこのケーディス(古森)の言い草はそっくりだ。

立憲君主・天皇がその「神聖不可侵の統治権」を簒奪されることで、日本国はその主権を奪われたのだ。「『日本国憲法』に『天皇制』が残された」という欺瞞を、日本国民は正しく「嘘」として認識しなければならない。

「象徴天皇」とは、外国の軍隊に支配された戦後日本の異常な「政治的真空状態」に掛けられた擬製の覆いにすぎない。それが真実である。

「象徴天皇という新しい地位」を与えられたことが単に「時代の変化」であり、『日本国憲法』に天皇条項があることを以て「天皇制が立派に存続している」という言説は、連合国の主権簒奪の事実を覆い隠し、本当は誰が日本を支配しているか、という問いから国民の目を逸らさせようとするものだ。

『日本国憲法』が規定する「権能を簒奪された天皇」「象徴でしかない天皇」では、国体護持のための「国民意識の統合=国民の政治意志の統合」を成しえない。

現に今、「『日本国憲法』の規定よりも天皇陛下の譲位のご意向が優先されるべき」という国民の「総意」は無視されている。議会制民主主義は機能していない。

「天皇陛下のご意向表明は『立憲主義』に悖る」といった学者がいたが、それはまったく逆の話である。

「立憲君主」たる天皇が手足を縛られ口を塞がれ、「国民の代表」の立場を悪用して権力を濫用する政府・国会を総覧し、改善を促す「至高の権威」を発動できない現在の状態では、立憲政治は行えないのだ。

「象徴天皇」「国民主権」で日本を実質共和制にした『日本国憲法』こそが、ナチスが悪用した共和制のワイマール憲法と、それを機能停止させるための「全権委任法」同様に、立憲主義を蹂躙するものである。ワイマール共和制憲法が「至高の権威」として憲法の上位に置くものは「神」であるが、残念ながら「神」は独裁者の暴走を止めることができなかった。

GHQの太鼓持ちである戦後憲法学者に「政府の言いなりに判子を押すロボット」とまで侮辱された「権威・権能のない象徴天皇」は、「実体のない、物言わぬ神」と同様、権力の濫用者にとって、無視できる「都合のよい存在」なのである。しかも「象徴天皇」と持ち上げて御輿に乗せておけば、国民は「天皇陛下がそこにいらっしゃる」と満足して大人しくしている。「ポツダム緊急勅令」のように、「これは天皇の命令だ」といえば、実はそれがGHQの要求と知らずに日本国民は素直にいうことを聞く。権力を濫用する者たちにとって、これ以上に都合のよい存在はないであろう。

かくて、立憲主義国家・日本の大日本帝国憲法は、『日本国憲法』の無効事実を無視する者たちによって、「憲法停止」状態になっている。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は、天皇の統治者としての権能を簒奪したばかりでなく、天皇と皇室の自治権・財産権始め、「全ての国民が享受する」はずの「自由と権利」の一切を、非人道的なまでに剥奪した。だがそのことを、国民は知らない。

『日本国憲法』と同時に施行するための皇室典範「改正」調査会討議中、憲法学者の佐々木惣一は、「実質的には(従来の)天皇制は廃止された」とし(井上亮「『女帝』『退位』で激論:新『皇室典範』は三カ月半で作られた」『文藝春秋SPECIAL 今こそ考える皇室と日本人の運命』)皇室典範「改正」案は、天皇の肩書のみ残して実質「国民以下の地位」に貶める『日本国憲法』の趣旨に則って、その内容が白紙から検討された。GHQ『皇室典範』の内容が明治の皇室典範と殆ど変わらないというのは真っ赤な嘘である。

昭和天皇の、皇室典範改定案を皇族会議で審議したい、との希望も、当然の如く否定された。

また、「典憲」という言葉が示すように、明治の皇室典範は皇室の家憲であって憲法と同等、日本の国体を体現する天皇とその継承者を律する規範国体の表出であるがために、その改正には臣下による議会の容喙を許さないものであったが、占領軍はその皇室典範を国会による発議で改正される「一般法」に貶め、天皇と皇室を侮辱した。

一方、その名称は『皇室典範』のままにおいた。議会の中からも、「一般法ならば『皇室法』と呼ぶべき」との声も上がったにも拘らず、さしたる議論もなく名称が『皇室典範』とされたのは、当然、それが「憲法と同等の典範である」と国民に勘違いさせるためのGHQの指令である。

江崎道朗によると、ケーディスは、日本政府がGHQ草案を日本語口語体に翻訳して公表した「憲法改正草案」の字句について異議がある、と佐藤法制局長を呼び出し、激しい口調で言った。

《「第三条と第七条にあるapprovalを日本政府は同意と訳しているが、この言葉の意味について日本人に聞いたところ、同意は対等な二者の間で用いられるようだ」

「しかしGHQの意図は『内閣が天皇の上に立つ』という意味だ

そして右の拳を高く挙げて「これが内閣」、左の拳をその下の方に置き、「これが天皇」といった。》(江崎道朗「白洲次郎は何と戦ったのか」『WILL』2016年11月号)

そして勿論、「天皇の上」に位置する内閣の上には、国民の目に見えない「上」があった。

2015年8月14日に出された「戦後70年首相談話」で、「戦後レジームからの脱却」を実現してくれると国民が期待した安倍首相は、結局「村山談話」を踏襲した。その裏には、「日中共同宣言によって村山談話の踏襲が約束されている。村山談話の否定は許されない」という外務官僚からの指示があったという。

投票によって国民が選出したのではない高級官僚らが、国民の代表である内閣の上位にあり、内々に首相に「指示」して、国民がそのために支持した内閣の「救国の政策」を変更してしまう……。

だが、内閣総理大臣の行動をも統制するその官僚たちの上にも、更にまた目に見えない「上」があった。

それが、「日米共同委員会」という議事録非公開の秘密会議で、日本の官僚たちに「相談」と称する「命令」を下す戦後日本の本当の支配者、在日米軍とそれを指揮する米国防総省である。

pentagon 3

日本は、未だに米軍によって「占領」され、実質「植民地化」されている。

「米軍関係者」は、日本当局の入国管理を全く受けることなく、日本全国にある「米軍施設」を通って日本に出入りできる(「横田ルート」等)。「米軍関係者」が日本人を殺害しても、日本はその犯人を裁くどころか、拘束することもできない(「在日米軍裁判権放棄密約事件」)。

主権に関するあらゆることが、日本国民に知らされないまま「日米合同委員会」において取り決められ、それは『日本国憲法』に優先する

これが「占領軍がくれた立派な憲法、『日本国憲法』がもたらした素晴らしい国民主権・議会制民主主義」の正体だ。ナチスの「全権委任法」が行政府(内閣・官僚)に立法権を含む権力を与えたように、『日本国憲法』は、天皇から簒奪した主権を国民に与えておいて、その実占領軍=米軍がその国民の代表者=統治権の主体である政府・官僚を支配する、という「植民地間接統治法」なのである。

ずっと、「日本は『まるで』未だに米国によって占領され続けている『かのようだ』」「日本は米国の植民地である『かのようだ』」と思っていたら、「本当に」そうだった。

2016年刊の二冊の本、矢部宏治著『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』と、吉田敏浩著『「日米合同委員会」の研究:謎の権力構造の正体に迫る』、そして2015年刊の末浪靖司著『機密解禁文書にみる日米同盟』は、米国側の機密解禁文書によって、サンフランシスコ平和条約と旧・新日米安保条約、日米行政協定と日米地位協定__即ち「GHQ占領法体系」を引き継いだ「安保法体系」がどのように成立したのか、吉田茂、岸信介、佐藤栄作ら日本の首相らがそれにどのように関わっていたのかを詳らかにしてくれる。

天皇弾圧・国体破壊の『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は、日本の主権簒奪・戦後日本支配の「装置」の「一部」に過ぎなかった。

平和条約と安保条約の制定過程を知れば、なぜ戦後の歴代日本政府が『日本国憲法』無効論を封殺してきたのか、その理由が明らかになる。なぜ天皇陛下の譲位が速やかに実現されないのか、その理由が明らかになる。

日本の主権は、日本人自身の手によって売り渡されてきた。

占領下の日本は、米ソ冷戦の戦場だった。

表向きの「連合国」の一枚看板の裏で、ソ連=国際共産主義者が主導する極東委員会とGHQ=米国軍部が、極東覇権戦略の要衝である日本の支配権をめぐって激突していた。

ロシア国内のユダヤ人救済のためにロシア革命を支援した、米国のユダヤ人国際金融資本家達に動かされたルーズベルトが始めた日米戦争は、「連合国」というよりも米軍の圧倒的物量・軍事力によって米軍の勝利に終わった。

スターリンと個人的親交のあったルーズベルトは、国際共産主義・国際金融資本主義をバックに世界覇権を狙っていたが、1945年4月12日、対日勝利を目前に死亡。共産主義陣営の世界制覇戦略に影を落とす。

占領下、日本に押しつける「新憲法」の制定競争で、GHQは新憲法制定について「最終決定権」を持っていた極東委員会を完全に出し抜き、10日足らずで草案を作成して『日本国憲法』制定を強行した。このことを以て「『日本国憲法』は、共産主義者の極東委員会の『共和制憲法』よりはマシだった」という者がいるが、『日本国憲法』は、ルーズベルトの社会主義政策「ニュー・ディール政策」の体現者たちに主導されたGHQにより制定された「国民主権」の実質「共和制植民地法」であり、「宗主国」米国に隷属する「植民地・日本」か、ソビエト連邦の「極東の衛星国・日本」か、という違いしかなかった

「ソ連の衛星国になるよりは、民主主義国・アメリカの植民地でまだしも良かった」などと、日本人は誰も言わないはずだと信じたい。

GHQは、『日本国憲法』で、実権力の暴走に「拒否大権」で歯止めをかけることのできる天皇の「至高の権威」を簒奪・排除した。

そうしておいて、『日本国憲法』自体が禁ずる検閲と洗脳という人権蹂躙を犯して日本国民を騙し、『日本国憲法』と国連憲章の「平和主義」を隠れ蓑に、「民主主義」も「人道主義」も冒瀆しながら、講和締結=戦争完全終了の後も、「日本中のどこにでも、必要な期間、必要なだけの軍隊をおく権利を獲得する」(1950年9月8日、トルーマン大統領の対日平和条約基本原則。p.111、矢部同上)とする事実上の占領継続を実現した。

それは戦時国際法、国連憲章、ポツダム宣言、バーンズ回答の全てに違反していたが、トルーマンが対日平和条約交渉責任者に任命したダレスは、勿論そのことを充分承知していた。

《1951年1月26日、来日した翌日のスタッフ会議で、〔ダレスは〕

「この条約の最大の目的は、われわれが望む数の兵力を、望む場所に、望む期間駐留させる権利を確保することである」と、自分にあたえられた使命を復唱しながらも、つづけて、

しかし日本がそのような権利をアメリカにあたえた場合、日本の主権を侵害する条約をむすんだと必ず攻撃されるだろう。この提案を受けいれさせるのは非常にむずかしい」と、珍しく弱気な発言をしていた》(p.111、矢部同上)

だが、ダレスは国際法を熟知した(即ち「法的トリック」を自由自在に駆使できる)ウォール街きっての凄腕弁護士であり、国連憲章の重要な執筆者の一人であった。ダレスは国連憲章の条項と、SCAP=連合国軍最高司令官や、GHQ=連合国軍最高司令官総司令部の名称等にみられるような、ある時は「連合国軍=米軍」、またある時は「連合国軍≠米軍」という字句的混乱を最大限に利用し、日本に「主権侵害の条約」を結ばせることに成功する。

ダレスがアイゼンハワー大統領の下で国務長官を務めたほぼ同時期にCIA長官であった実弟アレン・ダレスとともに、「戦後世界の設計者」「冷戦構造の構築者」(矢部同上)と呼ばれたのは伊達ではなかった。

ダレスの作成した対日平和条約基本方針には次の二項があった。

■軍事上の具体的な問題については、平和条約とは別の二か国協定で決定する

■その二か国協定の条文については、国務省と国防省が共同で作成する

条約・協定の条文作成は本来、国務省(外務省)の役割である。そこへ敢えて「二か国協定(=旧安保条約)は「国防省と共同で」という条件を付けたのは、ダレスが「二か国協定(=旧安保条約)は米軍部自身に書かせる」ことに決めた、ということだった。(p.211、矢部同上)そして、米軍の要求とは、次のようなものであった。

「在日米軍の法的地位は変えない部分的講和(Partial Peace)」(陸軍次官ヴォーヒーズ、p.151、矢部同上)

「政治と経済については日本とのあいだに『正常化協定』を結ぶが、軍事面では占領体制をそのまま継続する」(バターワース極東担当国務次官補からアチソン国務長官宛の報告書/1950年1月18日_p.152、矢部同上)

1949年8月、ソ連が核実験に成功。同年10月には中国共産党の中華人民共和国が成立。1950年2月には中ソ軍事同盟成立。それとともに、米中ソの合意に主眼を置いたマッカーサーの「国連軍構想」と、米国務省の太平洋協定(Pacific Pact)などの集団防衛条約」による日本独立オプションの蓋然性が薄れ、国防省の部分的講和(Partial Peace)」構想に勢いをつけていた。

そして1950年6月25日、スターリンの指示に従った金日成の北朝鮮軍が、ソ連軍を後ろ盾に国境を越えて南下、朝鮮戦争が勃発朝鮮半島を舞台にした米ソ冷戦の「熱い代理戦争」の火蓋が切られ、これで日本から米軍が撤退する可能性はほぼ消滅した。

以下は、当時の陸軍省・占領地域担当特別補佐官マグルーダー陸軍少将による旧安保条約原案の、第14条「日本の軍隊」の第三節(①)から五節(③)までである。

この協定〔=旧安保条約〕が有効なあいだは、日本政府は陸軍・海軍・空軍は創設しない。ただし、それらの軍隊の兵力、形態、構成、軍備、その他組織的な特質に関して、アメリカ政府の助言と同意がともなった場合、さらには日本政府との協議にもとづくアメリカ政府の決定に、完全に従属する軍隊を創設する場合は例外とする

戦争または差し迫った戦争の脅威が生じたと米軍司令部が判断したときは、全ての日本の軍隊は、沿岸警備隊を含めて、アメリカ政府によって任命された最高司令官の統一指揮権のもとにおかれる

③日本軍が創設された場合、沿岸警備隊をふくむそのすべての組織は、日本国外で戦闘行為をおこなうことはできない。ただし、前記の〔アメリカ政府が任命した〕最高司令官の指揮による場合はその例外とする

(1950年10月27日付 米国防省による旧安保条約原案 対訳・番号は矢部氏による p.126矢部同上)

マグルーダー原案10.27⑥第14条345節

左がその原文であるが、米国務省の「Office of Historians」サイトで閲覧できる。https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1950v06/pg_1341(最後4ケタの数字はページ数。「マグルーダー原案」はp.1336からp.1342まで)

「日本は軍隊を自己裁量によって持つことは許されないが、米国政府がその必要があると判断したとき、米国政府の助言と同意がともなった場合に限り、軍隊を持つことができる。その軍隊は、米国政府の決定に完全に従属し、米国政府によって任命された最高司令官=在日米軍最高司令官の『統一指揮権』の下に置かれる。その軍隊は日本の自衛権の発動としての軍事行動は取れないが、在日米軍最高司令官の指令に従って世界中のどこへでも行って戦う」……

これでは日本は完全な属国、植民地である。この条件下では「日本の軍隊」は、第二次大戦中に米軍の一部としてドイツ戦線で奮戦し、勇猛の名をはせた「日系人部隊」と同じである。

しかし、国民は誰も知らなかったが、このマグルーダーの原案通りのことが、平和条約・安保条約を締結する前に、既に現実となっていた。

朝鮮戦争が始まるとすぐに、マッカーサーの要請によって75,000人の警察予備隊の組織が始動した。(成立は2か月後の1950年8月)

本 Inoffensive Rearmament

(GHQ軍事)顧問団が事実上の警察予備隊の本部とな」り、「(朝鮮に出撃した米軍の)各基地には、日本人の隊員1,000人につき1名、ひとつの基地ごとに最大2名の少佐級の米軍将校」が配属された。「そうした米軍の将校たちは、日本人の新入隊員達を基地に収容し、衣食住を与え、大隊に編入し、また新入隊員の中から部隊長を選び出し、(米軍の武器を使って米軍将校によって)早速軍事訓練を開始した」それはまさしく「米軍を小型にしたようなものになった」「(それが)軍隊であることに、疑問の余地はなかった」(警察予備隊創立責任者、GHQ民事局副官フランク・コワルスキー大佐。日本語訳矢部 p.198)

更に、1950年10月2日、米海軍参謀副長バークからの掃海艇派遣依頼」が、大久保武雄海上保安庁長官に発令された。大久保長官から相談を受けた吉田首相は、「国連軍に協力するのは日本政府の方針」としてこれに同意した。同月6日、米海軍司令官のジョイ中将から山崎運輸大臣に指令が発せられ、海上保安庁の特別掃海艇部隊が朝鮮水域へ出撃。実質戦闘参加し、戦死者1名、負傷者18名を出した。

この時、船長判断で3隻の船が一旦戦線を離れて帰港した。岡崎勝男官房長官に、掃海作業の継続の是非(=新憲法の不戦条項との整合性)について「政府の最高方針を承りたい」と問うた大久保長官に対し、吉田首相は「日本政府としては、国連軍に対し全面的に協力し、これによって講和条約(=平和条約)をわが国に有利に導かねばならない」との回答を与えている。(矢部同上p.205)

(後述するが、吉田が「連合国占領軍=米軍」を「国連軍」と呼んでいるのには深い訳があった。)

上述の原案起草者マグルーダー陸軍少将は、ダレスの交渉団の一員であり、彼が同じく交渉団の一員であったアリソン国務省北東アジア部長(1938年1月26日の、日本軍占領時の南京における「アリソン殴打事件」のアリソンである)と調整作業を行い、国務省担当者ラスクと協議し、トルーマンの承認を得たものに一部修正を加えたものが、1951年2月2日に日本側に提示された『日米安全保障協力協定案』であった。上記の三項は、その第8章にあたる。

この米国側協定案の中で、「基地権」の問題の箇所は「安全保障軍〔=米軍〕は、占領終了時に占領軍の管理下にあった施設〔=基地〕に駐留する」となっていた。

この『協定案』を見た日本側交渉団・条約局長西村熊雄は、「駐屯軍の特権的権能があらわに表示されているため、一読不快の念を禁じ得ない物であった」(『平和条約の締結に関する調書』〔外務省 2002年公開〕)と、後世に残る公文書に記すにしては珍しいほど強い言葉で『調書』に書き残した。(p.100 矢部同上)

この米国案への対応を協議するため、西村らは翌日2月3日に神奈川県大磯の吉田首相の別邸を訪ね、結果4点の修正案が出されることとなった。

《①【再軍備と指揮権の問題】日本の再軍備と統一司令部(=統一指揮権)について書かれた第8章は、丸ごと削除してほしい

②【基地権の問題】(a)占領の継続という印象をあたえないため、在日米軍の持つ特権については条文に具体的に書かないでほしい。(b)占領が終わったあと米軍が使用する基地は、現在の基地をそのままつかいつづけるのではなく、必要なものに限り両国の合意によって決めるというかたちにしてほしい。

③【基本原則の問題】この協定(旧安保条約)が「両国の合意にもとづく」ものだという原則をまもるため、米軍の日本への駐留については、「日本が要請〔request〕し、アメリカが同意〔agree〕する」という表現ではなく、「両国が同意〔agree〕した」と変えてほしい

④【平和条約の問題】米軍が平和条約の発効後も日本に駐留することについては、平和条約の条文には書かないでほしい。》(p。102、矢部同上)

「一読不快の念」を持つという点では、この日本側対策案も同様であった。

「米国案は『占領終了を宣言し、日本が主権と独立を回復するための講和条約』に付随する協定の文面とは言い難い」「占領継続などもってのほか」「対等な二国間が結ぶ条約・協定は『両国の同意』のみにて作成されるのが当然」と非難するのではなく、寧ろ「国民に知られてまずいことは条約には書かず、書くとしても『もっと人聞きの良い言葉』に変えてほしい」と哀願している。

この根底にあるのは、「見た目だけ『主権回復』『独立回復』になっていれば、実情が『占領継続』『敗戦奴隷状態』でも構わない__そのほうが『奴隷村の村長』として他の奴隷どもを支配するこちらに都合がよい」という吉田の卑しい売国奴根性だ。

講和締結後にも占領継続、指揮権無しの再軍備強要は主権侵害だ。到底受け入れられない」と断固撥ねつけるのが当然であったが、売国奴の吉田にとって、日本が主権を持っていようがいまいが、関係なかった。

そうでなければ、「ドイツには許した『占領憲法拒否』と『自主的再軍備』を、日本にだけは許さないという人種差別。世界中どんな小国でも持っている『自衛権』『交戦権』を日本にだけ許さず、そのうえ『天皇の統治権を簒奪して日本の国体を改変』した『日本国憲法』の制定強要。その無法を正当化するために行われた東京裁判を始めとするGHQの『War Guilt Information Program』という名の日本人と国際社会両方の洗脳プログラム__占領軍が行った数々の主権侵害・人権蹂躙を告発する」と強く出ることもできたはずだ。

「占領軍はこんな無法を働いた」「米国はこんな要求をしてきた」と国民に周知すれば、国民は黙っていない。現に、ダレスら米国側交渉団はそれを恐れていた。「国民に言うぞ」だけでも効果はあったはずだ。

『日本国憲法』の制定強要根拠となったカイロ「宣言」・ポツダム宣言のいう「日本の侵略戦争・世界征服の共謀」「台湾・朝鮮の奴隷支配」は、東京裁判でも全く立証されることのなかった、完全なる誣告であった。

「連合国の占領政策の数々の無法に対する日本からの賠償請求は、敗戦の代償としての連合国への賠償と相殺することにしてもよい。ただ歴史の真実だけは取り戻させてもらう。こちらは粛々と『日本国憲法』無効宣言と大日本帝国憲法現存宣言をして占領前に原状復帰するから、まともな平和条約を締結しよう」と、寧ろ日本側が強気に出られる場面のはずだった。

ところがそうはならなかった。なぜか?それは、「講和締結後も米軍が駐留継続」は吉田茂首相自身の以前からの計画であったからだ。

「日本政府はできるだけ早い時期の平和条約締結をめざしている。その場合、米軍を日本に駐留させる必要があるだろうが、もしその希望をアメリカ側から言い出しにくければ、日本側からオファーすることを考えてもいい」

1950年5月3日、吉田茂首相はこの極秘メッセージを、マッカーサーの頭越しに、米国政府に伝えていた。密使を務めたのは側近の池田隼人大蔵大臣である。

同時に、吉田は「外国軍の駐留を平和条約そのものに書いておく」ということも提案していた。《日本の学者たちに検討させたところ、そうしておけば、「米軍の駐留継続は憲法違反だ」という批判に対して、「平和条約は憲法に優先する」という論理で押し切れるという判断になったから》だった。(p.163, p.103 矢部同上)

『日本国憲法』9条2項を根拠に「日本は軍隊を持てないから米軍の駐留が必要」と誤魔化しながら、日本政府自らがそれを望んだという売国の事実を国民から秘匿するまやかしの密室政治・密室外交によって『日本国憲法』の「国民主権」を死文化させ、民主主義までも愚弄している。

「平和条約は憲法に優先する」?__吉田の真意は、「自分が手を結んで日本を支配させている米国防省の意向が、その支配者が敗戦奴隷・日本に持たせている『奴隷の宣誓書・日本国憲法』に優先するのは当然」であったのではないか?

最終的に、条文は「平和条約の発効後、すべての占領軍は90日以内に日本から撤退するが、その規定は二国間協定にもとづく外国軍の駐留をさまたげるものではない」という表現になった。

そもそも吉田は、西村らが「一読不快な」米国側条約案を見せられる前の1月29日、第一回吉田・ダレス会談において、「日本が自尊心を傷つけられずに承認できるような条約をつくってもらいたい」と言っていた。最初から、日本の米軍による占領継続は、吉田の頭の中では決定事項だったのだ。

「日本が」と言いながら、その実「(私〔=吉田〕の立場が悪くならないよう、次の総選挙でも勝てるよう)体裁の良い条約を作ってくれ」としゃあしゃあといい、「日本の自尊心が傷つかない」どころか、己の私利私欲のために日本の主権と誇りを売り飛ばしたのだ。

実際、協定発効後の米国務省への報告書で、ダレスらも「次期総選挙で最も親米的な吉田政権が敗北することを避けるため、日本側に条文のことで譲歩した」と言っている。(p.114 矢部同上)

しかしながら、日本側修正案③の、「条約は両国間の同意に基づく」という国際社会の常識的基本原則は、あっけなく突っぱねられる。ダレスは、米国交渉団の日本到着時の羽田空港でのスピーチで、「日本は『交渉(negotiate)の相手』ではなく『相談(consult)の相手』」と表現して、勢い込んで迎えた日本の外務官僚達の出鼻を挫いてみせていた。(p.98矢部同上)勿論、この場合の「相談」には日本における「目上の者に相談」のニュアンスはない。「交渉」においては、対等な二者の「合意」に向けた「妥協」の余地が有りうるのに対し、占領軍=米国が被占領国日本に「相談」といえば「要求とその確認」であり、それが覆る余地は全くなかった。

条約条文を外交官でなく軍人に書かせたことといい、ダレスや米国政府は「日本に対して『人種偏見』を持っていた。有色人種として『普通の白人主権国家と対等』とみなしてはいなかった」といえる。

吉田達は、しかし、第8条の再軍備についての条文の削除を頼む一方で、「非常に重要な提案をふたつ、アメリカ側に文書でつたえることにした。」

《「〔第8条のような〕文書は削除したい。しかし、それは日本が軍備をもち、交戦者〔=戦争をする国〕となることを拒否するという意味ではない」と、それまでの公式見解を180度転換し、同時に「再軍備の発足について」という別の文書をとどけて、自衛隊の前身である保安隊(5万人)の発足を約束した。つまり正式に「軍隊」を発足させることを、アメリカ側に約束した》のだった。(p.104 矢部同上)

吉田はここで、「再軍備密約」をした。『日本国憲法』施行以来最初の、日本政府による9条2項の「解釈改憲」であった。

さらに、2月3日、自宅で吉田が西村達に強調した、米国側原案の第8条を削除してもらう代わりに日本側が行った米国へのもう一つの提案とは、「こうした問題には共同委員会〔=のちの日米合同委員会〕を大いに活用すべきである」「とくに再軍備の計画や、緊急事態または戦争への対応について徹底的に研究し、計画を立てるさせるとともに、駐留軍の基地や経費、法的地位についても研究させることにする」ということであった。(p.106 矢部同上)

米軍の「占領継続」を受け入れることを前提としていた以上、ここで吉田がいう「研究」「計画」とは、「日本の独立・主権回復のために」ではなく、日本国民をうまく騙しながら、言いくるめながら、実際に米軍の要求通りに便宜を図るにはどうすればよいかを、秘密裏に話し合う」ということに他ならない。

この「願ってもない」吉田の提案をダレスが受け入れ、この後、平和条約及び安保条約の交渉は、全てこの「基本方針」に沿って進んでゆくことになる。

(『日本国憲法』+GHQ『皇室典範』+)「サンフランシスコ平和条約」+「旧安保条約」/「60年安保条約」+「行政協定」/「地位協定」+「日米合同委員会での密約」「交換公文や口頭での密約」=「米軍主権」という方程式ができあがったのである。

『日本国憲法』の「象徴天皇」「国民主権」が国民を欺いたように、「非常に公正寛大」な平和条約の陰で、それ自体が巨大な密約だった「国辱の」旧安保条約には「吉田一人が調印」して、日本国の主権を売り渡し、事実上の占領継続状態が実現した__「戦後日本の米軍による支配と日本政府・官僚による売国の密約外交」=「戦後レジーム」が、ここに誕生したのであった。

結局、「占領軍=米軍が講和締結後も日本に駐留し、特権を享受する」ということは、平和条約にも安保条約にも書かれず、あまり国民が目を通す機会のない「日米行政協定」に書かれた。

「日米行政協定」(1952年)第3条1項

合衆国は、施設及び区域(facilities and areas)〔=米軍基地〕内において、それらの設定、使用、運営、防衛または管理のため必要なまたは適当な権利(rights)、権力(power)および権能(authority)有する(shall have)

合衆国は、また、前記の施設および区域〔=米軍基地〕に隣接する土地、領水および空間または前記の施設および区域の近傍において、それらの支持、防衛および管理のため前記の施設および区域への出入りの便を図るのに必要な権利、権力および権能を有する。本条で許与される権利、権力および権能を施設および区域外で行使するに当っては、必要に応じ、合同委員会を通じて両政府間で協議しなければならない。》

前半部分は「アメリカは米軍基地の中で、何でもできる絶対的な権力を持っている」ということであり、後半部分は、「アメリカは米軍基地の外でも自由に動ける権利=基地にアクセスするための絶対的な権利を持っている」、つまりは「日本当局の関知しないところで、日本中どこでも自由に出入りし、動き回れる絶対的な権利・権力・権能をもっている」=「在日米軍基地内だけでなく、日本のどこでも在日米軍そのものには日本の主権が及ばない」=「米軍が日本の主権を握っている」ということなのである。

また、「支持」は意図的誤訳で、「軍事支援」の意味である(矢部)から、この第3条1項は「アメリカは、軍事行動を行ううえで必要な、在日米軍基地へアクセス(出入り)するための絶対的な権利を持っている」ということも言っているのである。(pp.74-78 矢部同上)

この「行政協定」は「秘密協定」として、その条文は公表されない(ダレス→吉田、1951年4月18日)ことになってはいたが、「これでは占領継続と一緒だ」という声が、いつしか国民の中から上がるのも当然だった。そこで、1960年に岸信介によって、この「日米行政協定」は改定され、「日米地位協定」となった。上記の第3条1項は、以下のように変わった。

「日米地位協定」(1960年)第3条1項

合衆国は、施設及び区域〔=米軍基地〕内において、それらの設定、運営、警護および管理のため必要なすべての措置を執ることができる(may take)

日本国政府は、施設および区域〔=米軍基地〕の支持、警護および管理のための合衆国軍隊の施設および区域への出入の便を図るため、合衆国軍隊の要請があったときは、合同委員会を通ずる両政府間の協議のうえで、それらの施設および区域に隣接し、またはそれらの近傍の土地、領水および空間において、関係法令の範囲内で必要な措置を執るものとする合衆国も、また、合同委員会を通ずる両政府間の協議の上で前記の目的のため必要な措置を執ることができる。》(pp.74-78 矢部同上)

「権利・権力・権能を有する」という表現が「必要な措置を執ることができる」と柔らかい表現に変わり、主語が「合衆国」から「日本国政府」に変わった。合衆国が譲歩し、日本政府が法的コントロールを取り戻したのか?岸信介の謳った「対等な日米新時代」がやっと来たのか?

そうではなかった。米軍の要求する「絶対的な権利」はそのままで、日米合同委員会において「関係法令」の方を改正または解釈変更して、日本国民のあずかり知らぬところで、密約によって辻褄を合わせる、というカラクリであった。

「対等な日米新時代」は、やはり見せかけだけのまやかしだったのだ。

60年安保闘争 国会前

1959年4月、60年安保改定交渉時、岸信介首相と、首相と個人的にも親しかった藤山愛一郎外務大臣の二人と、帝国ホテルの一室で密談を続けていたマッカーサー駐日大使(連合軍総司令官マッカーサーの甥)からワシントンの国務長官に宛てた極秘電報は、「彼〔藤山〕は、行政協定について提案した。日本政府は本質的にいって、行政協定を広く実質的に変更するよりも、見かけ(appearance)を改善することを望んでいる。そうした場合には、圧倒的な特権が米軍に与えられ、実質的な〔改定〕交渉にならないだろう」(1959年4月13日公電)「彼ら〔岸・藤山〕は、かなり多くの改定を考えてはいるが、その多くは形だけのもの、すなわち、国会に提出された場合に、行政協定の見かけ(appearance)を改善するだけだ」(1959年4月29日公電)

「私は行政協定の実質的変更を避けるように、岸と藤山に切れ目なく圧力をかけてきた。岸と藤山は、われわれの見解を理解してきたし、幾人かの閣僚にも反対して、行政協定に大きな圧力を加えたい扇動的な保守政治に反対する線をしっかり維持してきた」

(1959年4月29日公電)と、マッカーサー大使自身により実行された米国からの圧力の事実とともに、日本政府_岸首相と藤山外相_の、反安保勢力を封殺して米国に隷従する様を、明らかにしている。

だがこのほぼ3か月後、1959年8月3日に「ボン協定」が調印されると、社会党ら反主流派とあらゆる安保・行政協定反対勢力がこの内容を吟味し始め、岸・藤山とマッカーサー大使を慌てさせる。

「ボン協定」(正式名称「西ドイツに駐留するNATO軍の地位に関する諸協定」)の、ドイツの主権を尊重し、基地権を含めたNATO軍運営に対するドイツの自律権・自国利益追求権を保障した内容が、「藤山と岸が日本の国益を守っておらず、ドイツが交渉でドイツ人のために獲得したものも獲っていないということ」(藤山の弁、1959年9月10日マ大使→米国務長官公電)を白日の下に曝してしまったからであった。

万事休す、とマッカーサー大使も米国務省も思った。しかし、岸・藤山がマッカーサー大使に提示した「解決策」は、既に見たように、「権利・権力・権能」という直接的表現を取り払って、あたかもそれが「消失」したかのような錯覚を国会と日本国民に与え、「米軍主権」の実質は以前のまま、という「密約法体系の継続」であった。

「必要な全ての措置を執ることができる」という言い回しを「ボン協定」からとることによって、「『行政協定』の改訂版は『ボン協定』と同じ」という錯覚を与える、というアイディアも岸・藤山の提案であった。

《施設および区域内における「権利、権力および権能」の問題は、われわれの交渉がこれまで合意に達しない核心の問題だった。それが今や、その防衛責任を十分に果たすために必要なすべての措置を執ることができる(第53条第1項)という文言を、ドイツ協定は使っているようにみえる、そこには、実質的な違いはないようにみえる、ドイツ協定は現行の日米行政協定にある政治的に目障りな言いまわしは避けているのだ、と藤山は述べた。》

《コメント:ドイツ〔協定〕の条文がわれわれに受け入れられるものなら、それは好ましいことだ。しかしながら、もしワシントンが望むなら、冒頭のところでは「それらの設定、使用、運営、警護および管理のための必要なすべての措置を執ることができる」という言い回しを申し出てもよい。それは、日本にとって受け入れられるものであり、そして、現在の表現にある攻撃的な意味合いはないが、われわれが必要とし、また現に今持っているものすべてを与えてくれるものだ。》(1959年9月10日公電マ大使→米国務長官)

「ボン協定」では、NATO軍が「(NATO軍基地内の)設定、使用、運営、警護および管理のための措置」を執るためには、「ドイツ国内法と同等またはより厳しい内容を有する派遣国の国内法規を適用する」ことが定められている。それを、日米地位協定では、米国側は抜け目なく「必要な全ての措置が執れる」範囲を広げることによって、「米軍のやりたい放題=米軍主権」を守り通したというわけだ。

しかし、その抜け目なさも日本政府(岸・藤山)の「自主的な主権放棄」あってのことであった。

《いまだ協議中の行政協定の諸条項に関しては、日本の公衆に知らせることがきわめて重要なのだが、彼らは重要な政治問題を自分たちの手中にしまいこんでいる。》

(マッカーサー、1959年9月10日公電。上記4件の極秘公電は末浪靖司『機密解禁文書にみる日米同盟』pp.115-119、p.128, p.132)

この日本政府の「主権売り渡し」と米国務省の「『米軍主権』維持政策」は、砂川事件の最高裁判決(1959年12月16日)において、その最高潮への到達を見る。

砂川事件1955
砂川事件(1955年頃撮影)

「在日米軍は憲法違反」「立川基地敷地内に侵入した被告全員の無罪」を言い渡した1959年3月30日の東京地裁判決(伊達判決)をうけ、「翌年に予定されていた安保改定に影響が起こることを恐れたマッカーサー駐日大使が、判決の年内破棄をめざして激しい政治工作を展開した」(p.274、矢部同上)のだった。

一審判決が出た翌日、マッカーサー大使は藤山外務大臣を呼び出して、裁判の期間を短縮させるため、東京高裁を飛び越えて直接、最高裁に上告するように指示」「さらにその後は、田中耕太郎・最高裁長官と情報交換をしながら裁判をコントロールし、同年12月16日に計画通り、最高裁で一審判決を破棄させた」(pp.274-275、矢部同上)

田中耕太郎最高裁長官は、講和条約締結前の1950年から1960年まで、その任にあった。末浪靖司によれば、GHQと米国務省は、吉田内閣が「反共の理論家」として最高裁長官に任命した田中耕太郎の、「侵略戦争賛美派からマッカーサー元帥賛美派へ」の変節の経歴も、全て熟知していた。1960年10月24日に最高裁長官を退任する田中が、2か月前の8月18日、国際司法裁判所判事立候補への支持を取り付けるため米国務省を訪れた折には、ハワード・バーンズ国務次官補が国務長官代理への覚書で以下のように述べていた。

《占領終了と日本の主権回復から今日までの期間にわたり、〔田中耕太郎が〕最高裁長官として職務していたあいだ、日本の最高裁は、日本の戦後政治の発展方向を確定する判決を引き継ぐよう求められてきた。これらの多くの事件では、1959年12月の砂川判決のように、自衛隊を創設し、アメリカの軍事基地を許容した政府の権利を確定し、日米関係に影響するきわめて重要な効果をもたらした。》(末浪同上p.85)

因みに、矢部宏治によると、日米合同委員会の日本側代表代理のポストは、法務省大臣官房長が務めることになっているそして、歴代の法務省大臣官房長は、その多くがその後法務省トップの事務次官職を経て、検事総長になっているとのことである。

「最高裁長官」「検事総長」という日本の法律家の司法・行政のトップもまた、米軍の支配下にあって、「日本の戦後政治の発展方向を確定する判決を引き継ぎ」「日米関係に影響するきわめて重要な効果をもたらしている」ということになる。

そのことも踏まえて考えれば、「戦後レジーム」を固定化させた60年安保改定直前に、この田中耕太郎が出した砂川裁判最高裁判決が、「『日本国憲法』正当化」「『統治行為論』に基いた米軍基地問題に対する裁判権の放棄」=「日本の主権放棄」ともいえる内容になっていることは、象徴的なものがある。


砂川裁判最高裁判決・要旨(最高裁判所判例委員会編『最高裁判所刑事判例集』第13巻第13号)

①(略)

② 憲法第9条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことにともない、日本国民が過去における我が国の誤って犯すにいたった軍国主義的行動を反省し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであって、前文および第98条第2項の国際協調の精神と相まって、わが憲法の特色である平和主義を具体化したものである。

③ 憲法第9条第2項が戦力の不所持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、みずからその主体となって、これに指揮権、管理権を行使することにより、同条第1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすことのないようにするためである。

④ 憲法第9条はわが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定してはいない。

⑤ わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立をまっとうするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使であって、憲法はなんらこれを禁止するものではない

⑥ 憲法は、〔上記〕自衛のための措置を、国際連合の機関である安全保障理事会等のとる軍事措置等に限定していないのであって、わが国の平和と安全を維持するためにふさわしい方式または手段であるかぎり、国際情勢の実情に則し適当と認められる以上、他国に安全保障を求めることをなんら禁ずるものではない。

⑦ わが国が主体となって指揮権、管理権を行使し得ない外国軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても憲法第9条第2項の「戦力」には該当しない。

⑧ 安保条約の如き、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度の政治性を有するものが、違憲であるか否かの法的判断は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査に原則としてなじまない性質のものであり、それが一見きわめて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする。

⑨ 安保条約(およびこれにもとづく政府の行為)が違憲であるか否かが、本件のように(行政協定に伴う刑事特別法第2条が違憲であるか)前提問題となっている場合においても、これに対する司法裁判所の審査権は前項と同様である。

⑩ 安保条約(およびこれにもとづくアメリカ合衆国軍隊の駐留)は、憲法第9条、第98条第2項および前文の趣旨に反して違憲無効であることが一見きわめて明白であるとは認められない。(略)

(参考:矢部同上のコラム)


これは、日本人(=最高裁)が日本人として日本人に向けて書いたものではなく、『日本国憲法』同様、「日本の支配者=宗主である米軍が、植民地である日本の、敗戦奴隷である日本人(=最高裁・日本国民)に『言わせている』もの」だと認識して読むと、明快に理解できる。

②と③は、勿論「連合国=米国絶対正義」の立場から『日本国憲法』の正当性を確認させている。『日本国憲法』特に前文・9条2項は、「軍国主義の日本政府がまた侵略戦争を起こして『戦争の惨禍』に日本国民を巻き込まないように」「日本国民自身が反省し、決意して、『自ら』制定した」ものである、という二重のフィクションを、日本国民に念押しさせているのだ。

③では特に、「(日本が)戦力を保持し、みずからその主体となって、これに指揮権、管理権を行使することにより__侵略戦争を引き起こすことのないよう」と付け加えることによって、例え戦力を保持したとしても、「日本がその軍隊の主体とならず、指揮権、管理権を持たないならば、侵略戦争にはならない」と、米軍の日本の軍隊=自衛隊に対する統一指揮権を正当化しながら、サラリと超自虐的なことを言わせている。

④⑤は、要するに米軍の駐留をこじつけ的に正当化しているわけだが、ここで持ち出された「主権国として有する固有の自衛権」「国家固有の権能の行使」が、「外国軍(つまり米軍)の日本駐留」に特化されたものであることに注目する必要がある。

「日本の主権国家としての固有の権利・権能」をいうなら、そもそも東京裁判で、「大東亜戦争は自衛の戦争だった」と主張する権利が日本にはあった。「日本の『侵略』など連合国の言いがかり、誣告である」と、はっきり国際社会に向けて主張できるはずだった。

当時ほぼ全世界の先進国が日本の敵側に回っていたとはいえ、国家固有の権利・権能は、戦勝国・敗戦国という立場や、まして主観的な「善悪」などに左右されるものではない。パリ不戦条約で決められたとおり、「その戦争が自衛かどうかの決定は当事国の裁量に任されている」そしてその裁量権はどんな小国であろうとも有するからである。

だが、米軍の独裁統治となった占領下の日本は、そもそも東京裁判の「偽証罪なし、たとえ伝聞だろうが言ったもの勝ち」「反対尋問なし」「弁護側証拠は片端から却下」という出鱈目ぶりを批判することすら許されていなかった。当然その判決への上告など許されるはずもなく、連合国の誣告を告発することも叶わないまま、「侵略戦争を起こした残虐な軍隊」の冤罪を着せられたまま、無実の戦争指導者達が処刑されたにも拘らず、戦後70年を過ぎても、東京裁判の検証自体を許されていない。

「どんな小国もその国民も、国家として、人間として当然有する権利である」と、連合国の欧米列強自身が崇高に謳う「自然権」が、日本一国にだけはない。これはそういうことなのである。

⑧⑨⑩の、「米軍駐留の違憲・合憲判断」に触れたくないがために持ち出され、マッカーサー大使を至極喜ばせた、反法治主義・憲法違反の「統治行為論」についても同じことがいえる。

『日本国憲法』第81条には、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」とあり、「それが一見きわめて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外にあると解する」とする判決は、最高裁の責務放棄・憲法違反である。第一「一見きわめて明白に違憲無効と認められる」事項のみ扱うのであれば、法律の素人にもできるということになるはずだが、ここではそれは脇に置く。

「主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度の政治性を有する」問題というなら、本来なら「安保条約の合憲違憲」よりもまず、「国体破壊・主権侵害の『日本国憲法』自体の有効性・妥当性」こそが問われなければならない。

そして、『日本国憲法』の成立過程を検証すれば、大日本帝国憲法の改正方法に則っていないこと、全ては「日本人自らの手で行われた」という欺瞞の下、占領軍により暴力の威圧によって強要されたことが明白である。つまり、『日本国憲法』が大日本帝国憲法違反・国際法違反、即ち無効である、ということこそが「一見きわめて明白」である。

だが東京裁判と同様、この砂川裁判もまた「米軍の日本支配戦略の一環」に過ぎなかった。

《マッカーサー大使をはじめアメリカ大使館は、最高裁砂川裁判の動きをそのつど詳しくワシントンの国務省に報告していました。砂川事件の被告弁護団が提出した答弁書や大法廷での弁論内容は直ちに英訳され、マッカーサーやレンハート公使のコメントをつけて国務省に送られました。》

《大法廷で弁護団は、米軍駐留が憲法違反であることを証明するために、米第七艦隊の艦船が横須賀基地から出て台湾海峡の紛争に出動していることを指摘しました。すると、その弁論は直ちに英訳されてアメリカ大使館からワシントンの国務省に送られ、さらに国防総省や統合参謀本部をへて太平洋艦隊司令部に回送され、そこで反論が書かれました。それが日本に送り返され、米大使館→外務省→法務省→最高検察庁という逆のルートで最高裁大法廷に提出されました。》(p.70 末浪同上)

砂川裁判で、米軍駐留を違憲として争った日本人が相手にしていたのは、日本国ではなく米軍太平洋艦隊司令部であった。

つまり、この砂川裁判最高裁判決は、米軍太平洋艦隊司令部によって書かれたということだ。

同じ日本人の憲法学者・最高裁長官・最高検察庁は、米軍の意向を日本人に伝える「使い走り」に過ぎなかった。

この判決が意味することは、であれば、単に「在日米軍を国が合憲と認めた」ということに留まらない。

最高裁判決だけでなく、「米軍の駐留は違憲」とした東京地裁の伊達判決にも言えることだが、「講和条約締結後の外国軍の駐留」を、「『日本国憲法』に違反か否か」だけで捉えようとしているところで、既に日本側関係者一同が思考停止している。

普通の独立国家の最高裁判決としては途轍もなく支離滅裂でも、既に述べたように「宗主」米軍が「植民奴隷」日本にいわせている「宣誓書」としてみれば、その真意は一目瞭然だ。

日本は、「『日本は侵略国家であった』とした東京裁判の判決を受け入れたが故に、戦力放棄の『日本国憲法』を自主的に制定した」という二重の虚構を全面的に受けいれ、疑うことをしない。(②③)

自衛隊は日本のための戦力ではなく、日本はその主体ではない。同様に自衛隊の指揮権も管理権も、日本が持てば侵略戦争を引き起こすので、それらの権能は米軍が持つ方がよい。(④⑤)

『日本国憲法』は連合国総司令部GHQの名のもとに連合国総司令官=米陸軍大将マッカーサーが書かせたものであるから、米軍が米軍のために都合よく解釈してよいのである。そして、日本で憲法や条約、協定が「国連」といったら、それは米軍のことなのである。(⑥)

日本の実権力たる立法・行政・司法は米軍に支配されており、日本の「至高の権威」天皇はその日本の実権力の下位にある。つまり、日本は全体として米軍に主権を握られている。『日本国憲法』は宗主たる米軍が植民奴隷・日本を統制するために書いたものであるから、『日本国憲法』によって宗主・米軍が統制されることはあり得ない。(⑧⑨⑩)

これが、砂川裁判最高裁判決の本当の意味だ。

マッカーサー大使は、ダレス国務長官に宛てた公電の中で、

《日本政府が確信をもって予測しているように、最高裁がこの一審判決を明確なかたちでくつがえすことができれば、(略)日本が自衛のために適切な措置をとる権利をもつことを、健全なかたちであきらかにすることになるでしょう》(1959年4月1日、藤山外務大臣に直接最高裁へ上告するよう指示した翌日。p.282、矢部同上)

と言っていたが、「日本が自衛のために適切な措置をとる権利」とは「どんな小国でも持っている、自衛のために自前の軍隊で戦争をする権利」のことではなく、「米軍に日本に駐留してもらい、日本以外の侵略国が攻めてきたときには米軍に守ってくれるようお願いする権利」のことである。

旧安保条約第一条には「平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起された日本国における大規模の内乱及び騒じよう{前3文字強調}を鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる」とあり、それは「米軍は日本全土を自由に利用し、在日米軍基地から世界中のどこへでも出撃」することのできる権利を「日本から与えられており」その武力を「外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することが『できる』」_つまり『米軍は日本を守ってもいいが、守らないのも自由だ』_という意味である。

第一次交渉で合意した条文(「2月9日案」)には、米軍の日本駐留は、「日本の防衛だけを目的とする(would be designed solely for)」と書かれていたことを考えると、まさに完全な詐欺にあったと言っていいような変更》(矢部同上 p.238)が、いつの間にかなされていた。

主権を米軍に握られた植民地・日本の「安全」は、宗主・米軍が米軍自身の利益のために必要と判断した場合にのみ守られる、という程度のものでしかないのだ。

では、マッカーサー大使の言う「健全なかたちであきらかにする」とはどういう意味か?それはもちろん、これまでの「不健全なかたち」=「密約」という形でなく、「最高裁判決」=「堂々たる最高裁判所の司法判断」という「健全なかたち」で、「米軍の、駐留を始めとする日本における特権」=「米軍主権」の正当化がなされた、ということなのである

だが、これでも、米国にとっては十分ではなかった。1950年の警察予備隊設立、および海上保安庁の特別掃海艇部隊の朝鮮戦争への出撃、という既成事実によって『日本国憲法』9条2項は初めて「解釈改憲」され、その後も9条2項の空洞化・死文化は続いているが、「戦力不所持」が『日本国憲法』に書かれている、という事実は変わらない。

「『戦力不所持』『交戦権放棄』が憲法に書かれている」という事実は、日本を丸裸にしたい勢力=国際共産主義者にとって「最後の砦」であるが、反対に、日本の「軍隊」を米軍従属で完全装備にして、「442日系人部隊」のように、米軍の手足として100%使いこなしたい米軍・米国防総省にとっては「譲渡証明・保証書のついていない高額機械」を使用するような、「いつ『それは貴方のものではない』『働きを保証するという約束をした覚えはない』と言われるかわからない」という心許無さがあるのだろう。

現実に、2015年に安倍内閣が「平和安全法制」を成立させるまで、日本政府は「憲法9条があるから」を理由に、自衛隊の「海外派兵」の要請を幾度となく断ってきた。

だが、やっといま、「集団的自衛権」=「自衛隊の海外派兵」が安倍内閣により「健全なかたち」で法的に認証された。残るは本丸・『日本国憲法』の改正なのである。

1953年には、来日したニクソン副大統領が「『日本国憲法』は誤りだった、改正して9条を削除してくれ」と要請。2004年には、アーミテージ米国務副長官が「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と発言しているが、「健全なかたち」=「『日本国憲法』に明記された日本の軍隊の米軍従属」を望んだマッカーサー2世もまた、その駐日大使の任期中に「憲法改正」を「要請」していた

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『日本国憲法』の「主権在民」「アメリカ流民主主義」、天皇の「人間宣言」は間違っていた。どうか一日も早くGHQの押しつけ憲法を捨てて、日本の歴史と伝統に合った憲法を制定して昔の姿に回復してください…。

1960年2月9日、マッカーサー大使は、汎洋婦人友好会理事長の山野千枝子女史ら7名と会見して、こう発言した。(以下、『WILL』2016年11月号「マッカーサー元帥の非礼を許して下さい」をもとに書く)

米占領軍の、「新憲法へのアメリカ流の民主主義の採用」「日本の国体を無視した天皇の人間宣言」「日本の国柄に合わぬ異質の民主主義憲法の強制」が、根本から間違っていた。

マッカーサー大使はそう言ったのだ。

《実は、民主主義が日本においてこんな姿になるとは誰も想像しなかったのでありまして、全く驚きのほかありません。アメリカは色々な民族の寄り合い国家でありますから、それらを統一し新しい国を建てるのには民主主義が役立ったからといって、日本のように昔から固く団結した国民に対しては、逆にその結合をばらばらにしてしまうという不思議な反対現象が起るものであることを初めて知って驚いたのです。》

《アメリカ国務省は日本の天皇は「現人神」であって、日本はすべて天皇中心でなければならぬことを15年後の今日になって、はっきりと知ったのであります。》(同上)

マッカーサー大使は、アメリカ流ではなく日本型の、天皇を中心とした立憲主義・民主主義についての真実を、ある意味正確に言い当てていた。そして、米国務省は本当に、「天皇の人間宣言は占領統治に不必要で、寧ろ日本人のアメリカへの敵愾心を煽ることになってしまった」と考えるに至ったと推測できる。つい数か月前の砂川事件で、全学連など運動家だけでなく、一般農民らも参加して全共闘運動・安保闘争に火をつけたデモのあまりの激しさに、マッカーサー自身も米国務省も、危機感を募らせていたのだ。だが、勿論のこと、マッカーサーは肝心なことは隠したままだった。

どうか今日お出でいただきました各位が率先されて、一日も早く憲法を日本の歴史と伝統の土台に立ったもとの姿に還元してください」とマッカーサー大使が話しかけている相手は、美容家の山野千枝子氏と、この記事の元になったマッカーサー大使との会見手記を書いたデザイナーの蜂須賀年子氏ら汎洋婦人友好会の面々で、蜂須賀氏の旧華族のコネクションはともかく、実際に政府の政策に影響を与え得る力があるかと言えばそれは「否」であった。だからこそ、女史らはマッカーサーにこう頼んだのである。「大使のお言葉通りのいきさつで行われた三つの政策がまちがっていたということを、全国民に知らせて、天皇制の復元や憲法の改正を実現するきっかけとしたいから、アメリカの日本占領政策はまちがっていたという何らかのメッセージをいただけないでしょうか」と。それに対するマッカーサーの反応はこうだった。

日本はすでに独立しているのですから、もしそこまでのことを公に表明すると、日本への内政干渉として非難されるでしょう。過去のあやまちは認めますが、大使としてそこまでのことはできません。

「日本は独立国家」?「だから『占領政策』『憲法制定強制』間違いだったと駐日米大使が公言することは『内政干渉』になる」??

いや、日本が「独立国家」などではないことを一番よく知っているのはマッカーサーだったはずだ。つい1カ月半前に、日本の独立国家としての地位を否定して駐留する在日米軍の、主権侵害的特権の維持のために、日本の司法の頭を押さえつけながら「砂川裁判最高裁判決」を米軍太平洋艦隊司令部に書かせることによって、日本の主権を何重にも侵害する行為を犯した米国防総省のお先棒を、マッカーサー自身が担いだばかりだった。

「人民主権」という共和制を以て、「万世一系の天皇が統治する」=「至高の権威・天皇を最高権力者の更に上に置いて権力の暴走を抑える」という日本の伝統的統治形態=国体を改変したことは、「過去のあやまち」「占領政策の過誤」等という程度を遙かに超越した重大犯罪行為である

「新憲法制定は日本人が自主的に行った」という虚偽で占領軍の憲法制定強要を隠蔽したこと、その隠蔽行為自体を検閲により隠蔽したこと、「日本は侵略国家」という虚偽・誣告で日本人全体・国際社会全体を洗脳し、人々の目を真実から逸らさせたことは、GHQが「新憲法制定強要」「日本の国体改変」を犯罪と認識していたことの証左である。

重大犯罪の隠蔽を、日本人全体の名誉を棄損し、民族の誇りを失わせて国力を殺ぐ誣告・冤罪によって隠蔽するという、更に悪辣で、二重・三重に非道な「人道に対する罪」を、彼らは犯した。

マッカーサー大使が汎洋婦人友好会の純真な婦人たちを相手に述べた「伯父・マッカーサー元帥の犯した過ちへのお詫び」と「速やかなる憲法改正のおねがい」とは、つまるところ、占領軍=米国の犯した重大犯罪の軽減化であり、「米国の犯罪」を「マッカーサー元帥=米軍=米国防省の犯罪」として自らが属する米国務省を無関係化すること、そして、最も重要なことは、政治的立場にない一般日本国民としてのご婦人方が、「駐日米国大使の立場で公言できないマッカーサーの事情」を鑑みてくれ、「内々に」憲法改正の機運を「日本国民の内側から」高めてくれることであった。

だが、『日本国憲法』改正はなされなかった。

岸信介

岸内閣は1957年、「改憲」「自主憲法制定」を謳って「憲法調査会」を立ち上げていた。

新安保条約と日米地位協定は1960年1月19日、訪米した岸首相とアイゼンハワー大統領によって調印された。それから半年後、そしてマッカーサー大使の「個人的なお詫びの個人的な立場での表明」から5か月後の7月19日、岸内閣は安保闘争の大混乱の責任を取る形で、内閣総辞職に追い込まれた。

吉田茂の側近であった池田隼人がその後継となって1964年7月3日、「憲法調査会」は12巻の付属文書を含め5400ページに及ぶ『憲法調査会報告書』を、内閣と国会に提出した。

これほど綿密な調査がなされながら、たった71ページの『憲法無効論に関する報告書』(付属文書第10号)が、たったの100字ほどで、ほんの申し訳程度に無効論を紹介しているだけである。

93ページの『憲法制定の経緯に関する小委員会報告書の概要』を読むだけでも、『日本国憲法』の無効理由が満載なのだが、米軍に主権を売り渡し、言わば「敗戦奴隷の植民地=日本の奴隷頭」となることで利権を貪って来た吉田茂や岸信介らが、自らの既得権を「無効」にし、自らの売国の事実を公表することと同義の「『日本国憲法』無効論」を国民に周知するわけはない。

「『日本国憲法』無効論の無視」=「国体破壊・主権侵害による日本支配の継続」という一点で、吉田も岸も、マッカーサー大使・米国務省も、目指すものは一致していた。

ただ、「憲法改正」即ち「92項破棄」で「日本の軍隊が米軍の指揮下で戦う場合のみ集団的自衛権を有すること」を憲法に明示し、「一人前の軍隊」に格上げされた自衛隊の、米軍への隷属を「健全なかたち」で規定することを目指した岸・マッカーサーの構想と、吉田茂の「日本支配構想」は違っていた。

吉田の目指したものは、「9条2項」を利用して指揮権・管理権ごと軍事力を米軍まかせにして日本の経済発展に寄与させ、その旨味を吸い上げる「日本経済支配」であったと思われる。

吉田の側近・池田隼人が首相になって岸の「憲法改正」を潰し、そこから国民の目を逸らせるため庶民受けのよい「所得倍増計画」を打ち立てたことは、当然吉田の「9条利用」の筋書きに沿ったものとみて間違いないであろう。

これは想像の域を超えないが、この吉田の「日本支配計画」は、米英の国際金融資本家の意を受けたルーズベルト、チャーチルらと何らかの連携があって、日米開戦前から準備されたものだったかもしれない。

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当ブログ別稿「原爆と真珠湾:あの戦争の真実を、オバマ広島演説の自己欺瞞が覆い隠している」にも書いたが、日米開戦の嚆矢は、確かに日本側の「真珠湾奇襲攻撃」であった。が、その「第一撃」は、「日本挑発行動8項目」をルーズベルトに進言した「マッカラム覚書」(1940年10月7日付)に始まる、「事実上の戦争行為」である米国の「日本資産凍結」(1941年7月26日)「対日石油禁輸」(1941年8月1日)といった日本への経済封鎖など、ルーズベルトの稠密な謀略により「日本が撃たされた」ものであった。

そして、石油備蓄の限界から、「緒戦で優勢を確保し、短期決戦で有利な講和につなげる」作戦しか道のなかった日本軍の、渾身の「第一撃」を「卑怯な騙し討ち」にしたのは、他ならぬ駐米日本大使館の外務官僚たちであった。

参事官井口貞夫は、開戦前日に受けた本省からの「訓令次第何時にても米側に手交し得る様文書の整理其外予め万端の手配を了し置かれ度し」「手交時間は12月7日午後1時」「重要な文書であるので現地のタイピストを使わず書記官クラスを使え」との明白な指示を無視して、大使館内に緊急体制を敷かなかった。電信課責任者・堀内正名の宿直の申し出も、不要とした。そして7日午前4時頃、電信課員を一斉に引き揚げさせた。そのくせ帰国後、東郷茂徳外務大臣に手交遅延の理由を問われて「自分の管掌事務ではない」と電信課員に責任を擦り付けている。

大使館内でただ一人タイプが打てる外務官僚で、開戦前日に暗号で送られてきた「最後通告」の解読文を、タイプに打ち込む担当であった一等書記官奥村勝蔵は、6日午後8時頃までには解読が完了していた第13部までの浄書をせずに、友達の家にトランプをしに行ってしまった。7日当日朝送られてきた第14部電信は、70語8行しかない短いものであったから、前夜13部の浄書をそのまま仕上げていれば、7日午後1時の手交時間には絶対に間に合ったはずである。

ドイツ語が専門で英語は流暢ではなかったが、「ルーズベルトと旧知の仲」であることで駐米大使となった野村吉三郎は、1時間20分も遅れて国務省のハルと面会し、「日本軍の真珠湾卑怯撃ち」を面罵された後、日本大使館に詰めかけた米国新聞記者たちを相手に、「本省が指定した手交時間は1時=真珠湾攻撃開始22分前前」であった事実(つまり外務省の「不手際」のせいであるという事実)を述べて日本の名誉を護ることをしなかった。

1941年12月1日の御前会議において、天皇から「最終通告の手交前に攻撃開始の起こらぬように気をつけよ」との注意があったことは野村も承知していたはずである。現に11月27日付発電で、「交渉打ち切りの意思表示をしないと、逆宣伝に利用される可能性があり、大国としての信義にも関わる」と野村自身が意見具申していたのだ。ハルが言ったとおり、例え浄書が間に合わなくても、本省の指示通り午後1時に米国務省へ赴き、「重要文書の手交がある」事実のみ伝えるだけでも、「大国としての信義」を通すことはできたのである。

ここまで状況証拠が並んでいては、これらは「職務怠慢」「失態」に見せかけた、外務省の「未必の故意」であった、と判断するほかない。

では、吉田茂は、この「真珠湾『卑怯撃ち』確定作戦」には関わったのか?状況証拠はある。

吉田は井口を51年に、奥村を53年に外務次官に抜擢している。

GHQ占領開始直後、外務大臣に就任した吉田は奥村をまず参事官に抜擢。1945年9月27日の第一回天皇・マッカーサー会見の時、宮内大臣、侍従長ら随員5名をさしおいて通訳官としてただ一人会見そのものに同席させる。このことは吉田が天皇・マッカーサー会見の内容についてコントロールする力を持ったことを意味する。

ジョージ・アチソン政治顧問代理は国務省宛の電信(19451027日付)で、昭和天皇がマッカーサーとの会見で「真珠湾のことは東條に騙された」と語ったと書いているが、「卑怯撃ち」は完全に外務省のせいと解っている今、この「昭和天皇の発言」が吉田の「外務省の責任隠し」であった可能性は低くない。昭和天皇がそう仰ったのが事実だとしても、後述するように、吉田は1945214日の『近衛上奏文』作成にも絡んでおり、昭和天皇の歴史観に多少の操作を加えることもできる立場にあった。

井口貞夫は外務次官として、1951年1月に始まった平和条約締結への交渉団に加えられた。先述したように、交渉団には西村熊雄条約局長のように、米国案の「日本は全部オレ達のもの」的傲岸不遜な文面に「一読不快」の念を覚えるまともな日本人もいた。だが、そういう人間は、実質的交渉の蚊帳の外に置かれた。

占領終了後の日本を、それとわからない形で米国に売り渡す密約は、吉田自身の手でとうの昔に結ばれており、(1950年5月3日、密使・池田隼人)ウォール街の敏腕弁護士・ダレスの手練手管に、日本側交渉団はなすすべもなかった。というよりも、ダレスのやり方があまりに複雑・巧妙で、ナイーブな日本人は、自分達が嵌められていることに気づきもしなかった。だが、井口貞夫だけは全てを知っていた。ダレスら米国側交渉団が井口一人をミーティングの前夜に呼び出して、条文の変更内容を伝えることもあった。井口貞夫は吉田茂と米国務省の間の「密約交渉外務省窓口」だったのであろう。

吉田茂

吉田が3歳になる前に養子縁組をした、実父・竹内綱の親友・吉田健三は、1868年から3年間、ジャーディン・マセソン商会の横浜支店長であった。竹内綱と吉田健三も武士として活躍した明治維新の折、長州五傑や坂本龍馬らを武器商人として支援したグラバー商会は、ジャーディン・マセソン商会の長崎代理店である。サッスーン財閥と同様「東インド会社」を前身とし、アヘン密輸・密売で巨万の富を得たジャーディン・マセソン商会は、ロビー活動により英国軍の派遣を勝ち取り1840年の「アヘン戦争」勃発に深く関係していた。「アヘン戦争」による収益を英国に送金するために創立された香港上海銀行(HSBC)は、最大株主であるサッスーン財閥を筆頭に、ジャーディン・マセソン商会やロスチャイルド系役員で構成されていた。

吉田茂は、40歳で急死した養父・吉田健三の50万円という莫大な遺産を、わずか11歳で相続し、自嘲気味に「吉田財閥」と呼んでいた。

吉田茂の、ジャーディン・マセソン商会の「中国でのアヘン密輸・密売事業=中国利権」との養父を通した接点、1906年の外務省入省後20年の殆どを中国大陸で過ごした経歴と、それにもかかわらず「親英米派」と呼ばれる事実は、吉田が「英米の国際金融資本家とのコネクションを背景にした、市場としての中国重視」の側面を持つことを示唆している。

吉田は1939年に「待命大使」となって外交の第一線を退いたことになっているが、政治的活動は一層活発に行っていた。

殊に、「親英米派」として日米開戦前には「開戦回避工作」、開戦後は東条内閣の倒閣運動、「戦争の早期終結を目指す工作」を進め、陸軍当局・憲兵隊から「ヨハンセン(吉田の反戦)グループ」と呼ばれてマークされる一派のリーダーと目されていた。

その一派の顔ぶれは、同様に軍当局・憲兵隊の暗号の呼び名でいえば、「コーゲン」(近衛文麿)、「シーザー」(幣原喜重郎_外務次官当時の上司)、「ハリス」(鳩山一郎)の他、岳父・牧野伸顕(同じく親英米派)、樺山愛助(ロックフェラー財団などの国際的的文化事業にも携わった事業家)原田熊雄(元西園寺公望秘書_母親はドイツ武器商人を父に持つ日独ハーフ)、さらには米内光政ら海軍「穏健派」まで広がっていた。

1945年2月14日の『近衛上奏文』は、この「ヨハンセン・グループ」の天皇への「戦争早期終結工作」であった。一説によれば(「ヨハンセングループ」「岩淵辰夫」wiki)吉田茂、近衛の秘書・殖田俊吉、ジャーナリストの「イワン」こと岩淵辰夫らが『上奏文』草稿作成に関与している。

上奏前日の2月13日、近衛は吉田邸を訪れ書き上げた『上奏文』をみせ、牧野伸顕にも見せるため「写し」が取られたが、この「写し」を吉田邸の女中・書生として入り込んでいた軍当局のスパイが押さえ、4月15日、「上奏文内容流布」「陸軍当局の『赤化』中傷」(陸軍刑法第99条違反、「造言飛語」罪)の疑いで吉田と殖田、岩淵が逮捕される。

原田、樺山、「皇道派中枢」小畑俊四郎、更には近衛の逮捕も、憲兵隊司令部は狙っていたとされるが、近衛、原田が取り調べを受けるにとどまった。

『近衛上奏文』の主旨は、「米英は日本の国体変革までは考えていないから、早急に降伏し戦争終結する方がよい。戦争の長期化は、世界同時革命を諦めていないソ連・コミンテルンを利するのみである。彼らが背後から扇動している親ソ・革新派(「統制派」)の将校たちを一掃すれば米英の覚えもめでたく、戦争終結に際し配慮してくれるだろうが、(「統制派」の一掃を)しなければ、敗戦後日本に共産革命が起り、それこそが国体を危うくする」というものだった。

これら陸軍内部の革命分子が「満州事変、支那事変を起こし、これを拡大して遂に大東亜戦争(対米英戦争)にまで発展させた」と『上奏文』は批判しているが、実のところ、20世紀の「中国の対日戦争」というものが全て、中国国民党による共産党絶滅作戦「北伐」からの、「抗日」の名を借りた中国共産党の「生き残り・漁夫の利」作戦であったことと、国際金融資本家の走狗となった国際共産主義者によって日本が対米英戦争に引きずり込まれた、という事実を考えれば、これらの戦争が共産主義者によって引き起こされた、という点で、『上奏文』は嘘は言っていなかった、とはいえる。

だが、勿論『近衛上奏文』は、国際共産主義者の背後で米英の国際金融資本家達が策動している事実、ひいては「ヨハンセングループ」を率いた近衛や吉田らがこれに直接関与している可能性が濃い、という事実には言及しなかった。

ともあれ、満州事変(1931年9月18日)にも支那事変(1937年7月7日)にも、ソ連・中共・軍閥が三つ巴で絡んでおり、それへ引きずり込まれた日本は、何度も休戦協定を結んで早期終結を図ったのである。だが、協定を結ぶ度、それらを嘲笑うかのような中国側の協定違反、更には中国軍による挑発、なかんずく日本軍民の虐殺事件(「通州事件など」)が何度も引き起こされ、休戦協定を破壊した。にも拘らず、日本軍は、昭和天皇の戦火拡大への憂慮に鑑み、終始「隠忍自重」「不拡大方針」を貫いていた。

その軍部の努力を全て水の泡にして、「日本を中国大陸の奥深くまで誘い込み、泥沼の長期戦に引きずり込んで疲弊させる」という毛沢東の計画(19367月延安にてエドガー・スノーに語る)を実現させた張本人こそ、誰あろう、近衛文麿その人であった。

近衛文麿

第一次近衛内閣は1937年6月4日発足。

1900年の義和団の乱の事後処理に関する北京議定書を根拠に、北京に合法駐留していた日本軍の、空砲を使った中国側も公認の夜間演習に、突如暗闇から実弾が撃ち込まれた「盧溝橋事件」が起るのは、その僅か1か月後の7月7日。

近衛は7月11日盧溝橋事件の和平成立のその日に「北支へ3個師団派兵」声明を発表して和平を破壊したほか、軍部が「これで蒋介石は降参する」「戦争は終わる」と期待した首都・南京陥落(1937年12月12日)の後も、「トラウトマン工作打切」声明・「国民党政府を対手とせず」宣言(いづれも1938年1月16日)によって「支那『事変』→泥沼の『全面戦争』化」を決定的にした。

「支那事変」の呼び名は、近衛内閣により1937年9月に閣議決定されたものである。

「不拡大方針・紛争早期解決」の為と称されたが、戦後東京裁判の影響で、「本当のところは、『戦争』となれば、1935年に米国で成立した『中立法』によって第三国からの物資援助が受けられなくなるからだ」と「日本軍のやることはなんでも悪かった」という文脈で語られることになった。しかし、この戦争を「事変」と呼ぶことで、実は日本は不利益しか得ていない。

■戦争ではないから、大本営設置を戦時に限定していた大本営条例により、大本営が設置できなかった。これは大本営が行うべき陸海軍の一元的情報共有と戦争指導に齟齬をきたした、ということである。旧条例を廃止し、新たに戦時以外に事変でも設置可能にした「大本営令」が制定(1937年11月18日)されて初めて、1937年11月20日大本営は設置された。

■1937年5月1日、米陸軍航空隊大尉クレア・シェンノートが、蒋介石夫人・宋美齢により国民党軍に招聘され、米軍パイロットによる対日航空戦隊フライング・タイガースが、ルーズベルトの承認と資金援助の元に結成された。

■「援蒋ルート」を使った米英ソの国民党への資金・物資援助こそは、日中戦争が終わらない最大の理由であった。国民党は、資金・物資・軍事教練・反日プロパガンダ……戦争継続に必要な全てを米英ソ(独)に頼っていた。これらの国の援助なしには、対日戦争は遂行できなかった。

日中戦争を「事変」と呼ぶことにより、これら米英ソ(独)の事実上の「参戦行為」は『中立法』違反ではない、と強弁できたのである。この「援蒋ルート」さえ無ければ、支那事変は「事変」のまま終わり、日米戦争の必要もなかった可能性がある。

1940年7月22日発足の第二次近衛内閣は、その僅か4日後の7月26日「大東亜共栄圏の建設」を政策とする『基本国策要綱』を閣議決定。同年9月27日には、軍部も昭和天皇も危惧した日米戦争への道を意味する「日独伊三国軍事同盟」を遂に締結。更に同年10月12日に「革新的新体制運動の指導的組織・大政翼賛会」を結成した。

戦後、連合国によって「日本がファシズム国家であった証拠」とされているこれら三つのことは、全て近衛内閣によってなされた。「大政翼賛会」総裁の近衛文麿は、その発会式での演説で「大政翼賛会の綱領は大政翼賛・臣道実践という語に尽きる」と述べて革新派を落胆させたが、「天皇親政」を強調したことにより同会を本来の「革新(=共産主義)新体制」とは反対の「天皇制ファシズム」の象徴としてしまった。

そして、「米英に敵対」することを宣言したも同然の「三国同盟」によって米英に対日戦争準備の口実を与えておいて、近衛は「戦争開始の責」だけは東條内閣に丸投げした。

国際共産主義者と米英の国際金融資本家を利する形での日本の対中・対米戦争は、このようにして近衛文麿によってお膳立てされた。

近衛文麿は、国際共産主義者に囲まれていた。

第一次近衛内閣で、近衛はそれまで全く面識のなかった風見章を内閣書記官長に抜擢。第二次近衛内閣では、司法経験どころか司法知識もゼロの風見を、司法大臣に大抜擢している。その風見が自ら接近し内閣嘱託に抜擢した尾崎秀実(以上、風見章『近衛内閣』による)は、1928年から上海を拠点に諜報活動をしていた、コミンテルンのスパイであった。

1941年10月15日に尾崎秀実は「ゾルゲ事件」の首謀者の一人とし逮捕され、1944年、ロシア革命記念日にあたる11月7日に、もう一人の首謀者でソ連・コミンテルン・スパイ、リヒャルト・ゾルゲと共に処刑された。(ちなみに、このゾルゲ事件において容疑者とされた者の中には、「『日本国憲法』起草者」の一人であるベアテ・シロタ・ゴードンとその父レオ・シロタもいた)

尾崎の友人で、やはり近衛内閣の嘱託であった西園寺公一も、同じく尾崎の友人の衆議院議員犬養健も、尾崎秀実、風見章ともに近衛の政治研究会「朝飯会」のメンバーであった。両者はゾルゲ事件で参考人として取り調べを受けたが、西園寺は自らも国家機密漏洩が発覚しスパイ容疑で逮捕、禁錮1年6月、執行猶予2年の判決を受ける。

「ゾルゲ事件」は近代法下の日本初の「外患誘致」による検挙が検討されたが、何故か見送られ、結局国防保安法、軍機保護法、軍用資源秘密保護法、治安維持法違反などによる「格下げ」起訴となった。何故……?「ゾルゲ事件」を「外患誘致」と呼ばないなら、他の何も「外患誘致」とは呼べなくなってしまう。

「ゾルゲ事件」の捜査開始は1940年6月27日であったが、ゾルゲがドイツ人であるため、ドイツ大使館などから様々な圧力がかかってきた。第二次近衛内閣で司法の素人である風見章を司法大臣に抜擢した近衛は、続く第三次近衛内閣では、最初自らが首相兼任で司法大臣に収まったが、1941年7月25日、1940年1月17日から検事総長だった岩村道世司法官を、司法大臣に任命する。男爵家の五男岩村は、吉田茂と小学校の同窓である。

尾崎は近衛内閣嘱託、ゾルゲはナチスの在日代表で、ドイツ大使よりも格上の実力者であり、政治的配慮から、特高は一斉検挙を見送って、尾崎逮捕を先にした。1941年10月15日の逮捕当日の尾崎の自供で、ゾルゲがコミンテルン・スパイであることが再確認された。が、ゾルゲ逮捕令状がなかなか出されない。「ゾルゲを取り逃がしてしまう」と特高が焦っているとき、第三次近衛内閣では、近衛のルーズベルトとの会談計画が不調に終わり、それが元で10月16日、内閣総辞職となってしまう。司法大臣の後継もわからない状態では逮捕令状も出せない。10月18日ようやく東久邇内閣の成立、岩村司法大臣の留任が決定し、ゾルゲ逮捕が実現する。

正真正銘の外患誘致事件が起こっているときに、近衛や吉田の関係者・意を呈する人物が司法大臣の職に在ったことは、「外患誘致不適用」決定に何の関係もなかったと言えるだろうか?

吉田茂のヨハンセン・グループも、「対米英戦開戦回避工作、戦争早期終結工作に奔走した」と「反戦=善」の文脈でばかり言われているが、憲兵隊の容疑は「反軍部工作」「英米への通牒工作」である。特に後者は、れっきとした「外患誘致」「外患予備・陰謀」「利敵行為」疑惑であって、「造言飛語」罪での立件後不起訴となったことをもって、「外患誘致」ではなかったという証拠ということはできない。

岸はA級戦犯容疑者として巣鴨に拘留されたが不起訴となっている。CIA協力者として読売新聞・正力松太郎、朝日新聞・尾崎竹虎と共に釈放されたのである。先述のゾルゲ事件時の司法大臣・岩村道世もA級戦犯指定・拘留後、不起訴となり釈放されている。吉田に至っては、最初からA級戦犯指定者リストにすら乗っていない。

『近衛上奏文』が「米英は国体変革は考えていない」と言っていることに対し、昭和天皇は「軍部ではあるといっているが」と近衛に下問した。近衛はグルー米国大使の態度を例に挙げ、「(米英は)我が皇室に対しては十分な敬意と認識とをもっていると信じます」と答えている。

だが、米国主導となり国際共産主義者を排除し、「日本に民主主義を教えに来た」はずの占領軍は、「人民主権」の『日本国憲法』で、事実上共和制の強要=国体変革をし、「至高の権威」天皇の排除でその後の米国=米軍の日本支配への道筋をつけた。

軍部の観測は、正しかったのだ。


日本国憲法公布原本

今年2017年は『日本国憲法』施行70年である。それを記念し、国立公文書館が、いつもは非公開の公布原本などを、4月8日から5月7日まで特別展示している。

この特別展では、GHQが参考にしたと言われる高野岩三郎の「共和制」憲法草案要綱の他、「機密」と印が押されたGHQ草案「マッカーサー憲法草案」の英文の原資料も見られるそうだ。

『日本国憲法』は「押しつけ」だったのか、「押しつけ」ではなかったのか、という議論にだけは、一応「押しつけだった」という決着をつけて見せた、ということか?

だがこれは、「例え日本人が書いたのでなく、『押しつけ』であったとしても、内容が良ければよい」というもう一段上の思考停止ポイントへの誘導である。

「押しつけだから改憲」の動きに対して、「『押しつけだから気に入らない』というのでは、『いまの日本国憲法に内容的問題がない』と自白しているようなもの」と、憲法学者・木村草太が釘を刺す(インタビュー「憲法改正 自公維民4党の論点」『文藝春秋』2017年5月号)が、これもまた、「押しつけだから気に入らない」と『日本国憲法』への批判を十把一絡げにして「感情論」扱いし、「王様の新しい服は馬鹿には見えない」方式で、問題の本質から遠ざかるよう世論を誘導する為にする、的外れな議論である。

「『日本国憲法』に内容的問題がない」?「国体改変」「主権簒奪」「天皇弾圧」「人権侵害」……重大な内容的「問題」に加えて、その制定過程には「瑕疵」どころか国際法違反、大日本帝国憲法違反他、重大犯罪とその隠匿が含まれているが……。さすが「連合国の太鼓持ち」戦後憲法学者は、思考停止の度合いも半端なものではない。

『日本国憲法』公布原本の最終面には、昭和天皇の御名御璽に続いて、内閣総理大臣・吉田茂の名が、一際大きく筆書きされている。「GHQ勅選内閣」の各大臣の名が続く。

この公布原本は、天皇の御名御璽がある、天皇による「日本国憲法公布記念式典の勅語」「憲法改正の勅語」がある、という事実を以て、「枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を〔天皇が〕裁可するという『法的に正式な』手続きを以て『日本国憲法』は制定された」という虚構を、本物のように見せかけているのに過ぎない。

天皇の御名御璽があるがために、人々は畏れ多くて口に出してこなかったのかもしれないが、この公布・憲法改正勅語は「おかしい」。

まず、この公布が正式なものであれば「大日本帝国憲法を改正」と言うべきところを、両勅語は「帝国憲法を改正」と略称を使っている。これらの勅語は「正式」ではないのだ。

そして、「占領下の大日本帝国憲法の全面的改正」「『日本国憲法』の制定」自体が、大日本帝国憲法と、それにつけられた明治天皇による皇祖神への誓いである「告文」と「憲法発布勅語」にたいする違反行為である。

■大日本帝国憲法の憲法発布勅語には「将来若此の憲法の或る條章を改定するの必要なる時宜を見るに至らば朕及び朕が継統の子孫は発議の権を執り之を議会に付し議会はこの憲法に定めたる要件に依り之を議決するの外朕が子孫及び臣民は敢えて之が紛更を試みることを得ざるべし」とあり、「大日本帝国憲法の一部の條章(全部ではなく)を改定」する必要が生じた場合は、「天皇が、天皇大権である憲法改正発議権を執行」し、議会の議決により改正できるが、その他の場合は、天皇以外の皇位継承者も臣民も、憲法の改正をすることができない。

■大日本帝国憲法第75条には「憲法及び皇室典範は摂政を置くの間之を変更することを得ず」とあり、内閣・議会は勿論、天皇までもSCAPマッカーサーの隷下に置かれた(subjected to)占領期は、「摂政を置くの間」と同等かそれ以上の「国家の変局」であるから、当然憲法改正など許されない。

■大日本帝国憲法の告文には「皇祖皇宗及皇考ノ神佑ヲ祷(イノ)リ併セテ朕カ現在及将来ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆(アヤマ)ラサラム͡コトヲ誓フ庶幾(コイネガワ)クハ」とあり、現在と将来の大日本帝国臣民に率先して、自分=天皇が皇室典範と大日本帝国憲法を遵守し誤ることがないようにします、と誓いが立てられている。

■『日本国憲法』の「国民主権」は、大日本帝国憲法の謳う「大日本帝国憲法は万世一系の天皇之を統治す」という日本の統治政体の完全変更=国体改変であって、「憲法の一部條章の改正」などではなかった。この重大な変更を、「国民の総意で決めた」というが、そんな「総意」は存在しなかった。

『日本国憲法』の制定は、天皇をして明治天皇の立てた代々の天皇が護るべき誓いを破らせた。

『日本国憲法』によって主権を奪われたのみならず、日本国を象徴する天皇に、皇祖への誓いを破らせるという恥辱を与えた『日本国憲法』という偽憲法を、その頭上に戴き、「嘘」の生を生きるという二重の恥辱を、日本国民は与えられたのだ。

日本国民にとって耐え難いのは、その恥辱を日本国民に与え続けているのが、支配者である米国防省ではなく、その支配者に取り入って甘い蜜を吸っている日本人の「奴隷の王たち」=日本政府と官僚たちである、ということである。

『日本国憲法』は、『帝国憲法改正案』として、1946年6月20日、第90回帝国議会に政府案として提出された。

1946年7月25日から8月20日までの間に13回、「秘密会」で開かれた「帝国憲法改正案委員小委員会」(「改正委員」ではなく「改正委員」であることに注目)の内容は、実質「改正案」の日本語訳をGHQ草案の英文と突き合わせ、「もっといい訳がないか」と推敲していただけだった。

英文を日本語訳することは、意訳が許されていたとしても、時として非常に難しい。「新憲法」条文作成に於いて、GHQは日本政府に「(GHQ草案の)一字一句たりとも変えたり削除したりしてはならん」と厳命していたから、その日本語訳は非常な悪文ににならざるを得なかった。「小委員会」の委員たちは、その悪文を、変えたり削ったりせずに「憲法らしく格調高い名文にせよ」と言われて格闘していたのだ。

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『日本国憲法』施行50年を迎えるまで、その「改正案委員会」の審議が一般国民に「秘密」にされていたという事実は、国民の「知る権利」が満たされてこそ実現する、公議公論による「国民の自由意思による総意の形成」が蔑ろにされてきたことを意味する。

そして、「秘密解禁」となってから今年『日本国憲法』施行70年を迎えるまでの20年間、歴代日本政府は、全国公立図書館に置く、大学法科・憲法学科での必修図書に指定するなど、積極的にこの文書の存在を国民に周知する努力を「しない」ことによって、真実を国民から隠匿し続けてきた。偽憲法『日本国憲法』の「素晴らしさ・立派さ」は、2000万部の一般国民向け冊子や、カルタや紙芝居にまでなって、国民全世帯・子供たちをすら洗脳したものだが…。

「国会議員と憲法調査会に限り閲覧が許可」されていた時期に、国会議員と憲法調査会委員が、全員と行かなくともその多くが、熱心にこの文書を読み漁ったかどうかも怪しい。

国民は、自力で真実への道を探り当てねばならない。だが真実は、それを探し求める者の前には姿を現すのだ。この『衆議院帝国憲法改正案委員小委員会速記録』を、読んでみよう。

「天皇は、国政に関する権能を有しない」という、「国民主権」と対になって天皇から国権を剥奪した重要な「国体破壊」条文を、帝国議会ではどのように議論したのだろうか?

 


大島〔多藏〕委員 〔中略〕「政治に関する権能を有しない。」となって居るのを、「政治に関与しない。」と言葉を変えるだけです、「有しない」となると、天皇が日本国の象徴であるという地位を考えます時に、「権能を有しない」という言葉がどうも不穏当な感じを国民に与える〔後略〕

林〔平馬〕委員 私の方はそれと少し違います、先程申したように、「天皇は、この憲法の定める国務のみを行う」としてしまって、その次の「政治に関する権能を有しない。」は不必要である、殊に天皇も国民でありますから、国民の天皇が政治に関与する権能がないということは、どうしても民主主義の立場から矛盾して居る、理論的にもおかしいじゃないか、無能力扱いにするとも言われるし、国民感情から見ても、政治に関する権能がないということは、国民が頗る満足しない言葉でもあるし、それがない為に何も弊害が生ずることでもないから、「天皇は、此の憲法の定める国務のみを行う」だけで必要にして十分だと、我が党では考えて居る訳です。

鈴木〔義男〕委員 しかしそれはかなり重大な意味を持つ、英文では国務は「ステート・ファンクションズ」政治の方は「パワーズ・リレーテッド・トゥ・ガヴァーメント」、それは「ネヴァー・シャル・ヒー・ハヴ」で、持ってはならないぞと云う非常に強い命令形になって居る、「ステート・ファンクションズ」と云えば、犬養さんの言われたように儀礼的なものを含んで居り、また儀礼的なものが勝って居る言葉であって、象徴としての天皇がお持ちになる権能としてはまことに相応しいものである、政治に関与してはいけないのが原則で、象徴という立場からも当然のことであるというのだから、やはりどうしても書いておかなければ、後に問題を起こし、禍を生ずると思う。「国政」とすることは大して異議はないが、削ることには反対です。

(1946年7月27日土曜日『第90回帝国議会 衆議院  帝国憲法改正案委員小委員会速記録』p.73-74 筆者注:旧仮名遣いを現代仮名遣いに、カタカナ表記をひらがな表記に変えた)


大島委員は、「天皇は国政に関する権能を有しない」という条文の「不穏当」さを、正しく察知していた。彼の言う通り、原文の「Never shall he [the Emperor] have powers related to government」は、「国政に関する権力を全く持たない」と直訳すれば「政治に関与しない」と意訳してもよさそうなものである。「政治に関与しない」ならば、天皇の本来の統治の在り方として国民にもすんなり受け入れられたことであろう。だが、鈴木委員が指摘したように、GHQの意図したところは、「天皇には、絶対に、金輪際、国政に関する権力を持たせてはならない」という、傲岸不遜なまでの最上級の厳命の形であった。しかも、「powers」を「権力」ではなく「権能」と訳した日本政府の人間は、そこに「権威」の意味も込めたと思われる

6年後、1952年に日米安全保障条約の付随文書として「秘密裏に」締結された日米行政協定の第3条1項日本語条文は、

「合衆国は、施設及び区域(facilities and areas)〔=米軍基地〕内において、それらの設定、使用、運営、防衛または管理のため必要なまたは適当な〔つまり、あらゆる〕権利(rights)、権力(power)および権能(authority)を有する(shall have)

となっていた。1946年当時の帝国議会議員は知る由もなかったが、今この事実を知る我々には、この二つの条文が、まさに対を成していることが分かる。

「天皇は国政に関する権能を有しない」とは、天皇は国政に関するいかなる権利(rights)、権力(power)および権能(authority)も有しない(shall never have)」ということなのだ。

天皇=日本は主権を剥奪され、合衆国が主権を握っている。

『日本国憲法』は、天皇を「象徴」と呼ぶことで、国民に「至高の権威たる天皇は存続している」ような錯覚を与えてきたが、実質は、「権利も権力も権威も持たない存在」なのだ。

林委員は、「天皇は此の憲法の定める国務のみを行う」とあれば、わざわざ国民が「天皇陛下を馬鹿にしている、無能力扱いしている」と腹を立てかねないような表現を使ってまで無用な反復は必要ない、と尤もなことを述べているが、鈴木委員が「いやいや、GHQがこう書けと言っているんだから書いておかないと、後々問題になって『禍』になる」と、完全に怯えきったような様子が感じられる。

「GHQのアメリカ人がそうしろというなら、そうするほかしかたないじゃないか」

GHQによって、衆議院議員357人中321人を含む日本国民20万人が公職追放され、その家族を含めれば100万人が路頭に迷う様を目の当たりにしていては、正論を吐いてGHQに楯突こうとする者よりも、そういって諦め、自分と家族の生き残りを図ろうとする日本人が多かったことはやむを得ないだろう。

「いう通りにしなければ、もっと沢山の原子爆弾を日本全土に落として、日本人を殲滅する」と脅された昭和天皇が、天皇の大権を簒奪し、日本を実質植民地にする『日本国憲法』の公布文書に御名御璽を押す屈辱を従容と受け入れたことも、日本国民の命と引き換えの苦渋の決断であった。

だが、吉田茂の「再軍備(=主権回復)よりも経済復興が先決」は違う。日本の為を思う「苦渋の決断」などではなかった。

日本の為を思うなら、日本民族全体の未来を考えるなら、「経済復興よりもまず主権回復・原状復帰」が唯一正しい道であった。少なくとも、日本国民には真実を知り、選択肢の全てを知ったうえで、公議公論の上決断を下す「自決」の権利があった。

吉田茂は、日本国民のその権利を否定したのだ。

再軍備を迫るダレスに対し、「日本国憲法9条がある。国民の支持は得られない」として、再軍備を拒否し続けていた吉田は、しかしその実、来る52年10月11日の総選挙の争点にするため自ら実施した世論調査で、「再軍備に賛成60%、反対40%」という、全く予想外の結果が出ていたことを、ダレスに隠していた。(有馬哲夫『大本営参謀は戦後何と戦ったのか』)

60%の日本国民が、実は「再軍備」を望んでいた。つまり、なぜか占領後も居残っている米軍を当てにするのではなく、自前の軍隊で、半島で起こっている戦争、そして将来また起こるであろう戦争を戦うべきだという覚悟が、徴兵されればまた戦争に行く覚悟が、できていた、ということである。

これは、「戦後は誰もが戦争に嫌気がさしていて、もう二度と戦争なんかしたくなく、だから『日本国憲法』9条は国民全員に喜んで受け入れられた」という戦後の定説と違う。

日本国民は、戦後の私たちが聞いていたような「腑抜け」でも「腰抜け」でもなかった。だからこそ、GHQも吉田茂ら売国の徒らも、国民には真実を知られないよう検閲・洗脳までもして必死に隠し通そうとしたのだろう。

日本人の気質は変わっていない。気概は、今もある。

唯一つ欠けていることは、「無知の知」なのだ。

日本には主権がない。日本は独立国ではない。日本は実質米国の植民地である。

私たちの敬愛する万民の父母、天皇が弾圧されている。政治権力どころか、国民があると信じている「権威」もない。天皇よりも、内閣が上位にある。

日米合同委員会という秘密会議で、『日本国憲法』よりも上位にあると嘯く米軍が日本を支配しており、日本のエリート官僚は使い走りとしてその「虎の威」を借りている。日本国民には絶対にその実態が知らされることはない。

自衛隊は在日米軍の完全支配下にあり、そのことも全く日本国民の知る所ではない。即ち、「シビリアン・コントロール」の完全喪失であり、それは民主主義の対極である。

北朝鮮に拉致された被害者全員奪還の目途すら立っていないのは、日本に主権がなく、自前の軍隊を自律的に動かす権限が日本にないからである。

いま日本に起こっていることは、ナチス、ソ連のスターリン、中国共産党の独裁政権下で起こったことと限りなく似ている。

「民主主義」といいながら非民主的、「平和主義」といいながら暴力至上主義的、「人権尊重」といいながら日本丸ごと人権蹂躙されつづけている。

国民全体を言論統制によって無知の状態に置いている、今の日本はまさにジョージ・オーウェルの『1984』の世界そのままだ。

全ては『日本国憲法』が、「国民主権」によって天皇の「至高の権威」を簒奪・排除したことに起因する。

天皇は、統治権を総攬し、立憲君主として不裁可権を行使する「権力」を持ってこそ、「究極のオンブズマン」として、民主主義になくてはならない「実権力のチェック機能」を発揮することができる。

フランス革命かぶれの左翼が「王様が権力を持っていては民主主義にならない」と寝惚けたことをいって「国民主権」に固執した結果が、戦後日本の無法状態を招来したという事実に、日本国民は気づかねばならない。

だから、「国民主権」を残す改憲ではだめなのだ。

「国民主権」は、崩壊学級の猿山の喧嘩状態の中、気の弱いクラス委員長が「静かにしてくださ~い」と消え入りそうな声で嘆願し続けるほどの「権威」しか持たない。

それこそが、米軍の「番長」が「国民主権」に拘った本当の理由だ。米軍が日本に押し付けたかった「民主主義」とは、北朝鮮の独裁制の隠れみのとしての「民主主義」と同じもののことだ。

国民全体は、「権威」には成り得ない。「数千年続く万世一系」という特殊な地位である天皇だからこそ、「至高の権威」になれるのである。

日本は、大日本帝国憲法下の原状を回復し、「至高の権威」天皇を取り戻さねばならない。

「至高の権威」天皇を持たない日本は、主権も回復できず、民主主義・立憲主義も回復できない。

吉田茂、岸信介、近衛文麿、その他の売国奴たちの子孫がいまも日本の政権中枢にいる。彼らは明らかに、祖父たちの遺志を継ごうとしている。70年の間に共犯者も増え続け、もはや「売国・亡国、みんなでやれば怖くない」雰囲気になっていないか?

真実を知ったとき、しかし、国民がこれらの者たちを許すのか、私は何とも言えない。だが、もし彼らが『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認、大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認をして、原状復帰、主権回復、平成の大政奉還を実現してくれるなら、私個人は彼らを許そう。

日本国民が真実を知るとき、日本は命より大切な「誠」を、取り戻すことができる。

それさえ取り戻させてくれるなら、私は売国・亡国の徒に憐れみをかけ、許してやってもよいと思うがどうか。