『日本国憲法』は、ロスチャイルド「連合国」が日本を「基地植民地」化するために書いた「証文」__『日本国憲法』無効確認が世界から戦争と貧困を根絶する[はじめに]

『日本国憲法』を無効確認で廃棄しない限り、日本は「真正民主主義の独立主権国家」に戻れない

『王様の新しい服』を売り込みに来た詐欺師は、「この糸・生地・服が見えないものはバカである」という一言で、「これは詐欺ではないか」と疑いを持つこと、そう発言することを、王様以下大臣・家来・臣民ともども、国ぐるみで封じ込めました。人々の社会的地位への固執、社会的孤立への恐怖に訴えた、巧みな詐術です。「社会人」ではない、恐れを知らない子供だけが、「王様は裸だ」と「大人の事情」を無視して真実を述べ、「バカには見えない服サギ」は失敗し、王様と国の大人たちが恥をかいてお話は終わります。しかし、この寓話の教訓を、「純真な子供以外は皆騙された。バカだった」とするなら、それは誤りです。

なぜなら、王様や家来、国の大人達は、「詐欺師に騙された=『王様の新しい服はバカには見えない』と本当に信じ込んだ」というよりも、「それはおかしい」という疑問を呈することができない「空気」に支配され、「言論抑圧された」ということに他ならないからであり、その点こそが、私達が私たち自身の現実世界において教訓とするべき点であるからです。

「バカには見えない糸」を、詐欺師が、「大勢の家来達の面前で」「王様に、真っ先に見せ」「王様がまず『家来たちにバカと思われたくない』という思いにとらわれて、『自分にはこの糸が見える』と宣言してしまった」ことが、この言論抑圧=「バカには見えない服サギ」の成功の要でした。

「権威」が「是」としたことを、非力無力な一般大衆が「非」とすることは困難です。「権威者」が「権力者」と同一である絶対君主制の下では、尚更です。

しかし、「民主主義社会」に於いては、「権威」も「権力」もない「一般大衆」に、「権力者が『是』としたものを、『非』ではないのか、と追及する『権利』」があるはずです。

そして、「万世一系の万民の父母」たる天皇が、「絶対権威」「至高の権威」として「権力者」の上位に常に在る形を「国体」としてきた日本では、天皇が「大御宝」と呼ぶ「天下の御百姓」=臣民は、天皇がこの国体により統治を始めた日本国開闢以来、その「権利」を持つ仕合わせな民であったといえます。

「『国体』という権威の下、万民は平等」が「国是」であったのです。(仁徳天皇の「民のかまどの煙」の逸話、『万葉集』に天皇の歌と並んで収録された「貧窮問答歌」の存在が、そのことの好例となるでしょう)

しかし、連合国GHQ製『日本国憲法』は、「象徴天皇」「国民主権」で「日本に初めて民主主義をもたらした」と喧伝しながら、その実、天皇を内閣の下に置くという、実質的な「至高の権威=国体の剥奪」を実施しました。

「不裁可権・拒否大権」という、「あっても使わない権力[=立憲政治の常道]」によって政治権力の暴走を抑止する、文字通りの「至高の権威」を持つことで、「臣民の『権利』を権力者に守らせる『究極のオンブズマン』」であった天皇=国体を、連合国=国連への永遠の隷従を誓わせる『日本国憲法』によって、日本国民は永遠に喪失させられたのです。

考えてもみてください。天皇が国会に臨席して閣僚や議員達に睨みを効かせる「御前会議」が今もあったら、国会開催経費のために国民の血税を一日3億円も浪費しながら、居眠りしたり、下品なヤジを飛ばしながら些末で低次元の問題追及に明け暮れるような現在の国会の惨状は、有ったでしょうか?

「連合国にもらった民主主義」によって、「戦後日本」の政治は地に落ちました。日本が本来持っていた「民主的国体」が否定され、「連合国=国連」至上主義・全体主義独裁体制になっているのです。

このことが明らかなのに、なぜ日本は変われないのでしょうか?

それは、「国の最高法規」である『日本国憲法』が、「間違っているはずがない」、「国の最高権力」である日本政府・内閣がそれに対して何も言わず、何もしないのだから、「問題ないのに決まっている」と、国民全体が「性善説的に、漠然と信じ込んでいる」からです。

「検閲」を禁じる『日本国憲法』のいかがわしい正体を隠蔽するために日本人を検閲し、洗脳した「連合国」GHQ

日本国民がそのような虚構を信じるに至ったのには、連合国GHQによる用意周到な検閲・焚書・捏造された歴史観による洗脳を用いた、日本国民への徹底した言論弾圧と、諸外国への「東京裁判=連合国史観」の宣伝がありました。これは『War Guilt Information Program』という作戦名で、米国防総省文書で証明できる、れっきとした事実です。

連合国の占領は、1951年のサンフランシスコ平和条約により終了した建前になっていますが、その第11条には「日本が東京裁判他、軍事裁判による連合国の判決をすべて受け入れること」が講和の条件として明記されています。

また、『日本国憲法』「第9条」に規制により軍隊を持てない日本を「代わりに守ってくれる」という触れ込みで米軍が「(実際には存在しない)国連軍の代表」として駐留継続することとなり今に至っていますが、その根拠法となる「日米安保」には、日本国民が知らないうちに密約により「植民地化」を意味する「日本全土基地化・日本全土治外法権」が謳われているのです。

1929年のパリ不戦条約締結の折、白人欧米列強の間で確認された「侵略戦争か自衛戦争かは、戦争当事国が判断できる」という取り決めは、有色人種国・日本には適用されず、「南京大虐殺・中国侵略」という、少し調べれば虚構と分かる冤罪を着せられているのに無実を証明する機会も与えられませんでした。

国連憲章「敵国条項」により、今も「世界の敵」として、国連加盟国が「日本が『また』侵略しようとしている」と「感じただけ」で、国連決議なしに攻撃されても文句を言えない日本は、第2次世界大戦の敗戦により、「連合国」の植民地にされてしまったのです。

「究極のオンブズマン」「政治権力のチェック機能」であった天皇の「至高の権威」を、それを担保していた大日本帝国憲法とともに停止させた『日本国憲法』が、日本を「植民地」として「連合国」に差し出す「証文」として使われている

民主主義・法治主義を標榜しながら、国民への情報開示を極限まで制限し、検閲・焚書と洗脳で言論統制する政治体制を、全体主義独裁と呼びます。ヒトラー・ナチスがそうでしたし、「連合国」GHQによる占領/植民地統治下の現在の日本もそれに当てはまります。

『日本国憲法』無効論および東京裁判・GHQ占領政策研究は、戦後一貫して日本政府によってタブー視されてきました。第二次安倍政権下の「占領政策研究会」は、発足の矢先に、中心となる二人のうち谷垣禎一が自転車事故で命も危ぶまれるほどの重傷、稲田朋美は「陸自日報問題」で失脚。「GHQ占領政策と東京裁判研究」は、その後完全に忘れ去られ、日本政府には誰一人として「再開しよう」と提案する者さえいません。

戦時国際法を教え、第2次世界大戦中の連合国軍の日本への原爆投下や東京を始めとする全国200都市へのナパーム弾による無差別絨毯爆撃の是非、東京裁判や占領政策を検証する大学は、日本には存在しません。

安倍晋三首相は、しかしながら、『日本国憲法』が「戦時国際法・ハーグ条約陸戦法規違反」故に無効である、と認識しています。

【2007年10月18日 第165回衆議院国家基本政策委員会会合同審議会 野党民主党党首小沢一郎との党首討論】

《小沢一郎「占領中に、占領軍の、少なくとも、深い影響、関与のもとになされた日本国憲法である、(中略)という論理の一貫性からいえば、(中略)日本国憲法は本来無効だ、ということになる、と安倍首相は言っているように思われるが、どうか」》

これに応え、安倍首相は、ナチス・ドイツ占領終了後のフランスが「占領憲法破棄」をしたことなどを挙げたうえで、以下の様に述べています。

《「しかし、日本は昭和27年に講和の条約を結び、独立を回復した後も、基本的に現行憲法のもとにおいて今日までの道のりを歩いてきたわけでございます。」

「ですから、現在、であるから、それが無効だという議論は、私はもう既に意味はないのではないのだろうか、このように思っています。」》

『日本国憲法』は、確かに無効だけれども、70年間使ってきたから、もう「有効」ということでよい、と安倍晋三首相は言っているのです。しかし、そこには「『日本国憲法』が、日本の主権を簒奪している」という事実への言及がありません。

日本を連合国の基地植民地にするという『日本国憲法』の真実の機能を日本国民に知らせずして、「70年使ってきたから」という横着な理由で「国会決議も何も必要ない、『無効確認』一つで日本の主権と独立が取り戻せる権利」を、ドブに捨てて見せたということです。

これを民主主義への冒涜、日本国民の基本的人権の侵害と呼ばずして、他に何と呼べばよいのでしょうか?

「貴方は、知らないうちに『植民地奴隷』にされているのですよ」と言われて不愉快にならない人はいないでしょう。でも、それが現実です。その現実を直視し、正しく客観的に認識・理解して初めて、「植民地奴隷の軛」は、私たち自身で外すことができるのです。

『日本国憲法』は、無効です。「連合国」=国連は、平和と人権を謳いながら、世界の諸国の「通貨発行権」を私有・独占・統制し、世界の諸国民を「基地植民地奴隷」にしているロスチャイルド金融マフィアの私設フロント機関です。

「ロスチャイルド陰謀論を信じるバカ」という、学界・メディアをほぼ100%掌握しているロスチャイルド金融連合の「大本営発表」を鵜呑みにして思考停止することなく、国連やBIS/IMF、WHO/WTO、FRBや日銀がロスチャイルドの私設機関であることの合理性・妥当性をご自分で検証してみてください。

「全体主義の支配対象として理想的な者とは、熱心なナチ党員でも、共産主義者でもなく、経験による現実感、思考の基準というものが、自分の中に存在しなくなってしまった人々である________彼らは事実と虚構、真実と欺瞞の間の相違がわからなくなってしまっている」(“THE IDEAL SUBJECT OF TOTALITARIAN RULE IS NOT THE CONVINCED NAZI OR THE CONVINCED COMMUNIST, BUT PEOPLE FOR WHOM THE DISTINCTION BETWEEN FACT AND FICTION (I.E., THE REALITY OF EXPERIENCE) AND THE DISTINCTION BETWEEN TRUE AND FALSE (I.E., THE STANDARDS OF THOUGHT) NO LONGER EXIST.” )________ハンナ・アーレント『全体主義の起源』

Hanna Arendt

【天皇陛下の譲位のご意向表明】 有識者会議も、特例法も、GHQ『皇室典範』改正も、「連合国への隷属」継続が前提の、亡国への道__正確な現状認識だけが日本を護る③

天皇との6年に亘る激論の末、「参与会議」が証明した「無効論」無視の議論の絶望的不毛

「摂政では駄目なんだ」:天皇陛下は強い口調で、きっぱりと仰った

 天皇陛下の「有識者会議」=「宮内庁参与会議」は、6年にも亘る天皇陛下御自身との激論を経てなお、天皇陛下の譲位のご意向実現の具体的方法について、結局何も決められなかった。この上誰が、どんな議論をして、何を、どう決めるというのか?

 

「私は譲位すべきだと思っている」

「天皇という存在は、摂政によって代行できるものではない。皇太子に譲位し、天皇としての全権と責任を譲らなければならない」

「(大正天皇の摂政設置は)大正天皇ご自身の意思に反するものであり、踏襲されるべき先例ではない」

「前提として天皇の高齢化という条件は必要だと考えるが、退位は、天皇の自由な意思で行われなければならない」

天皇陛下は、強い口調で、きっぱりとおっしゃった…。天皇からのお召しを受けた各界の「有識者」(宮内庁職員ではなく、あくまで「天皇の私的なご相談役」「経験や専門の知見を活かすというより、国民としての立場」での発言を要請され、3年ごとに更新される)3名と宮内庁長官、侍従長を加えた5名で、御所にて開かれる、皇室の重要事項に関して議論する「宮内庁参与会議」__その2010年7月22日の会議に於ける天皇陛下のご発言である。(『文藝春秋』2016年10月号「総力特集 『天皇 生前退位の攻防』  真相スクープ  『皇后は退位に反対した』」__この時のメンバーは元宮内庁長官・湯浅利夫、元外務事務次官・栗山尚一、東大名誉教授・三谷太一郎。2016年9月現在は元検事総長・原田明夫、元警察庁長官・國松孝次ら)

「陛下は激論も辞さないご姿勢でした。摂政案は、こちらがどう申し上げても受け入れられなかった。お考えはすでに固まっているなと思いました」(上記「参与会議」出席者)

話し合いをしながら食事ができるように、人数分並べられたお互いの弁当が、ぶつからないように気を使うほど幅の狭いテーブルをはさんで、午後7時から始まる「参与会議」はその日、稀にみる激論となり、深夜12時を回るまで、天皇の話__「摂政」ではなく「譲位」でなければならないことを「参与会議」出席者に納得させること__は尽きることなく続いた。

〈そんな参与会議で、10年7月以降、退位についての議論が重ねられた。天皇は「譲位」「退位」を主張して譲らず、自分が「上皇」になることで、どのような不都合があるのかとも問いかけられた。〉

〈当初は摂政の設置で解決するべきだとしていた皇后も、天皇の固い意思を確認されて、やがて退位を支持するようになる。〉

長い議論を経て、出席者たちも天皇を説得するのは不可能であることを悟るようになった。11年ごろには、議論は「退位」を前提としたものへと移っていた。〉(同上)

5年前、2011年ごろには、既に、天皇陛下の「有識者会議」である「参与会議」は、「天皇陛下の譲位のご意向は固く翻しがたいものである」との結論に達していたのである。

『文藝春秋』が表紙の大見出しにもした「皇后は退位に反対した」ことは、事実であるにしても実際にはそのこと自体が「スクープ」というほどのことではない。「参与会議」の出席者によれば、皇后陛下は「議論にお強く」「非常にシャープで、議論を厭わない」方であるらしい。その皇后さまも、数度の「参与会議」での議論を経て、陛下のご意思の固いのを確認され、当初の「退位反対」「摂政設置」のご意見を翻され、譲位を支持されるようになった。皇后さまの討論における通常のご姿勢を考えるなら、それは、ただ単に天皇陛下の固いご意思に根負けした、ということではないであろう。天皇陛下のご意向の後ろにある、事実と経験に基づく論拠に、納得された、ということであるはずだ。

当初、参与の誰もが「摂政設置」を主張していた。彼らの根拠は次の様なものであった。

「摂政に公務を任せる分、陛下のご公務が減ったとしても、国民の理解は得られる」

「皇太子殿下に摂政として経験を積んでいただくことは、将来的にも悪いことではない」

冒頭に引用したのが、これらに対する天皇陛下の反論である。

「摂政では、駄目なんだ」「天皇という存在は、摂政によって代行できるものではない」

陛下は、父君・昭和天皇の皇太子時代の、大正天皇の摂政をなさったご経験、そして今上陛下御自身の昭和天皇の公務代行をなさったご経験から、そう仰っている。

日本の歴史と伝統によれば、天皇の地位は、「万世一系の男系の血筋」をその継承資格としている。

天皇は、古代より連綿と、ただ一筋の血筋で125代続いてきた、というその事実により、世界に一人の希少なご存在であり、そうであるからこそ、世界一貴いご存在なのである。

何百年、何千年も生きている古木に霊が宿ると、日本人は信じる。天皇のご存在もまた、それと同様の霊的なご存在であるが故に尊いのである。

天皇の本質は「祭祀王」である。「天皇の務め」の本質は、祭祀である。

宮中祭祀の中には、天皇にしか行えない「秘儀」がある。「即位した天皇」だけが為す秘儀によって、「天皇霊」がその御身体に宿り、正真正銘の「天皇」になられる。

天皇によってのみなし得る「祭祀=天皇の務め」がある、ということである。

摂政や「公務代行者」には、それが務まらない。天皇が崩御され、次代の天皇が即位されるまで、その祭祀は行われない、行うことが出来ない、ということである。

祭祀王=天皇が、その第一の務めたる祭祀を執り行えない。天皇にとって、これ以上の屈辱があろうか?そしてそれは、日本の国体にとっての不仕合せである。

それが、8月8日の陛下の「御言葉」にある「天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であることに変わりは(ない)」ということである。

大正天皇の摂政設置は、大正天皇ご自身の意思に反して行われたことであり、踏襲されるべき先例ではない、と天皇陛下ははっきりと仰っている。昭和天皇も、晩年の御不例の際、ご自身の大正天皇の摂政体験を以て、「摂政設置」を嫌われたといわれている。

「摂政設置」は「天皇の権威の低下」に直結する。

それでなくとも、連合国によって、彼らが日本に強要した『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』によって、天皇の権威は貶められている。

「大変過ぎる公務を、陛下が自ら増やしてしまった」「だから無理ならば止めればいい」という、無知で非情な言説が「識者」達の間に散見される事にも、それは表れている。

「天皇の務め」=「公務」を、式典や行事に出席すること、外国からの賓客を接受すること、出掛けて行って人に会うこと…、等と矮小化しているのだ。

これは天皇の神霊性を軽視・無視しているということ、つまりは天皇の権威の否定である。

GHQ『皇室典範』は、宮中祭祀を「天皇家の私事」として規定し、「公務」として認識していない。天皇を「祭祀王」として認識することを、憚っている。

人種間、国家間の対立を煽って混沌を招来し、利己主義を奨励し、無秩序・無政府状態を醸成して、世界戦争を起こし、世界同時暴力革命を達成するのが目的の国際共産主義者たちにとって、「八紘一宇=人類は皆家族」であらゆる人種を融合する祭祀王=天皇と、その天皇を「万民の父母」として奉じる世俗的家族主義・利他主義の日本人は、一人残らず消してしまいたい邪魔な存在である。

だから連合国は、「祭祀王=天皇」も「立憲君主=天皇」も、その存在を否定し、貶めた。

GHQによって廃止されかけた「宮中祭祀」を、「天皇家の私事」であるということにしてでも存続させた、という経緯が占領期にあったにしても、「国民のために祈る」という行為を「天皇家の私事」とすることは、「祭祀は天皇が勝手にやっているわたくしごと」とみなすこと、つまり「天皇の権威の軽視・無視・否定」を促進しているというその事実を、いま私達は見過ごしてはならない。

「宮内庁参与会議」は、「天皇の譲位のご意向を表明する」ということの他には、何も決められなかった__障害となったのは、政府と『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』であった。

「宮内庁参与会議」では、先述したように、2011年ごろには「天皇の譲位」を前提とした議論に移っていた。しかし、その後5年間、「参与会議」は大きな障害に立ちはだかられ、議論は進まなかった。決まったのは、「天皇のご意向をどういった言葉で表現し、いつ表明するべきか」ということだけであった。

「参与会議では、14年の時点で、翌年の15年12月のお誕生日会見で、退位に関するお気持ちを表明するという案が出ていて、ビデオメッセージという形式も考えていました」(宮内庁関係者  『文藝春秋』10月号 同上記事)

つまり、「参与会議」はたったこれだけのことを決定するのに3年を要し、しかもその決定された「お気持ち表明」は、今年8月8日にようやく実現するまで、さらに2年の「待った」をかけられたわけだ。

退位を実現させるために、政府をどのように動かすか。また、お気持ちの表明にあたり、政府の了承をどのように取り付けるか。それが、当初から最大の問題だったのです。」(宮内庁関係者 同上)

憲法にも皇室典範にも規定がない「退位」の実現には、典範改正か特別法の制定が必要になるため、政府の協力が必要となる。〉(同上)

当時の民主党政権と宮内庁とは、2009年12月の「小沢一郎、陛下のご体調に配慮した『一か月ルール』無視で習近平・天皇特例会見を強要」の一件以来、当然の如くギクシャクしていた。「大変異例なこと。もう二度とこういうことは有ってほしくない」と会見で発言した羽毛田宮内庁長官を、小沢は「一役人が内閣の方針にどうこう言うなら、辞表を出してからいうべきだ」と、公に批判した。宮内庁側からは、とても「退位」の件を相談できる雰囲気ではなかった、というのである。

「宮内庁長官といえど、皇室に関することを独断で発言することはできません。長官の発言は、ほぼ天皇のご意思と見ていい。自由に発言できない天皇のお気持ちを代弁した長官を、小沢氏は叱り飛ばしたのです。」(皇室担当記者  同上)

民主党には他にも「大韓航空機爆破事件」の北朝鮮元工作員(現在韓国在住)金賢姫の「超国賓待遇招聘・ヘリコプターで海自・米海軍基地上空『遊覧飛行』」(2010年7月)「秋篠宮殿下への『早く座れよ』不敬発言」(2010年11月)の中井洽議員という外患誘致容疑者がいるが、小沢同様、中国・韓国・北朝鮮への忠誠心の方が日本への愛国心より大きそうなのは間違いなく、その天皇・皇族への不敬は目に余る。

国会議員の半分は反日・天皇制廃止論者、あとの半分の殆ども、米国追従で、GHQの洗脳で脊髄を犯されており、日本の国体の危機を感じ取る感性を喪失している。このような連合国の意のままに操られる「敗戦利得者」のような人々に囲まれて激務をこなす陛下の焦燥感、孤独感は如何ばかりか…。想像に難くない。

2012年2月、天皇陛下は心臓冠動脈のバイパス手術を受けられた。

今上陛下が、おそらくは敗戦時の十代の頃から、70年以上も、我々国民には想像もできない類の「悪意」に対峙してこられたであろうことを思うと、もうこれ以上、一日たりとも長くお待たせすることはできない。

それが分かっていながら、政府は「有識者会議」による検討、「特例法」制定という間違った道を選んだ。

9月23日、政府が発表した有識者会議の名称は、「天皇の公務負担軽減等に関する有識者会議」である。「公務負担軽減」__天皇の「譲位」の実現を話し合うのではなく、「参与会議」が6年前に通り過ぎ、天皇ご自身が却下された議題を、また掘り起こすというのである。

「私は譲位すべきだと思っている」

この問題の出発点となる2010年7月22日の「宮内庁参与会議」=「天皇陛下の有識者会議」は、陛下のこのお言葉で始まった。

「公務削減」は論外、「摂政設置」は不適切。「譲位」しかない。天皇陛下は6年前、そこから話を始められたのだ。

『週刊新潮』2016年7月28日号によれば、陛下念願のフィリピン訪問を果たされた後の今年春先に、宮内庁は天皇陛下のご公務の大量削減案を提出したところ、「(陛下は)いつになく強いご難色を示され(……)『こうした案を出すくらいなら、以前より私が考えてきたことは、なぜできないのでしょうか』というようなお言葉」で、叱責されていた。(侍従職関係者による)

宮内庁長官は、「参与会議」だけでなく、皇室の将来を案じておられる天皇陛下をお助けするため、皇后陛下が提案され、2009年から実現した、天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下の「三者会談」にもオブザーバーとして臨席している(当初は羽毛田信吾長官、2012年から風岡典之長官)。

にも拘らず、陛下のご苦悩の原因が『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』による天皇の権威の軽視・無視・排除にあるのだ、という真実から、目を背け続けている。

9月26日に、退任した風岡長官の後任として、宮内庁長官に就任した山本信一郎は、2016年7月13日の最初のNHKの「天皇陛下のご意向表明」報道の際、宮内庁として「生前退位」の検討をしているかと聞かれ、「その大前提となる(天皇陛下の)お気持ちがないわけだから、検討していません」と語っていた。

天皇が自身の意向を表明し、それに呼応して政治が動けば「違憲」となる、だからこの「お気持ちの存在自体の否定」は天皇陛下を御守りしようとしてのこと、という「善意の解釈」が複数の「識者」からも聞こえてきている。

だが、それは話が逆さまだ。天皇の「譲位」についての規定がないどころか、崩御に至るまでその地位にあって公務を行い続けよ、と規定し、天皇自身の身の振り方についても天皇自身で決定できず、「主権者(=国民)=政府・国会」の下位に天皇を貶め、その決定に身を委ねさせる『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の非人道性、理不尽さに、まず疑問を投げかけるべきではないのか?

このようなおかしなものを『憲法』『典範』と呼んでいていいのか、これらが本当にその名を冠する資格があるのか、なぜ誰も問おうとしないのか?

天皇陛下の譲位のご意向の実現を阻んでいるのは、「『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が有効である」という欺瞞である。

宮内庁、政府、国会…。現在この問題を動かす立場にあるものの誰もが、『日本国憲法』が天皇の政治への関与を禁じている、GHQ『皇室典範』には退位の規定がない、というところで思考が止まってしまっている。

宮内庁も、そしてなぜか「憲法改正」に執心する政府自民党も、『日本国憲法』の遵守に懸命で、「無効論」への言及すら聞こえてこない。

内閣官房副長官・杉田和弘は、天皇陛下のご意向が明らかになった7月13日直後、「皇室典範改正となれば、きっと物議を醸す。また、陛下のご発言が政治に影響を及ぼしたという事実自体が、憲法違反となりかねない」と周囲に言っていた。(『文藝春秋』2016年10月号上記記事)

杉田内閣官房副長官は、宮内庁長官の政府側のカウンター・パートであり、「有識者会議」の運営など、「天皇陛下のご意向」問題の実働部隊である、皇室典範改正準備室(こちらも独自に天皇の公務削減について検討していた)のトップである。

「陛下のご意向問題実働部隊」の皇室典範改正準備室の長までが、陛下を「違憲」呼ばわりし、「物議を醸すから」とGHQ『皇室典範』改正について躊躇しているのだ。

だが、『日本国憲法』もGHQ『皇室典範』も、改正の必要はない。いや、改正などして、これら無効なものを「有効認定」するようなことはしてはならないのだ。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認、そして大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認で、政府や識者が「困った、困った」と言って頭を抱えている問題は、全て解決するといってもよい。

にも拘らず、誰もが必死になって「無効論」という言葉すら国民の耳に届かないようにしているように思える。

「無効論」を知らないのか?そんなはずはない。自民党内だけでも、過去には稲田朋美、西田昌司らが「日本国憲法無効論」に言及していた。(「憲法無効論 渡部昇一・稲田朋美 YouTube」「現憲法無効論を主流にできるのか 週刊西田 一問一答 YouTube」)

稲田朋美防衛相は、衆議院議員に初当選の翌年2006年から、毎年行ってきた8月15日の靖国神社参拝を今年は見送り、なぜかアフリカ・ジブチを訪問させられた。これを画策したものが、彼らの「日本国憲法無効論」を圧殺しているとみて間違いないであろう。

陛下の譲位のご意向は、実現に向かうどころか、「保守」であるはずの政府自民党によって、また「ふりだし」に戻された。

安倍政権は、この「有識者会議」のメンバー選定にあたり、敢えて皇室問題・憲法の専門家を除いた。過去の発言などから、『結論ありきの人選』との批判を浴びかねず、議論が皇室制度全体に及ぶことへの懸念もありそうだ。議論を早期に取りまとめたい政権の思惑も透ける」と、日本経済新聞は推察する。(2016年9月24日)

要するに、安倍政権は「何も決めない」「(憲法改正のため)早期決着」という結論ありきの人選で、座長には安倍首相に近いとされる経団連(中国寄りか?)名誉会長・今井敬を据え、これまでの「有識者会議」経験者である御厨貴東大名誉教授、清家篤慶応義塾長らを含めた。御厨貴は「時間のかかる方法を避け、特例法で対応する必要がある」といっている。(同上)

「政治、歴史、行政など幅広い分野から選び、国民的議論を印象づける狙いもありそうだ」(同上)というが、この有識者会議の設置を以て「国民的議論が深まった」とされてはかなわない。

第一、「国民としての視点からの自由な意見の聴取」なら、天皇陛下が「参与会議」でもう済ませておられる。6年もかけて。これ以上何を、皇室問題の素人である人々から聞こうというのか?

それに、安倍政権は、「特例法で対処する」と、もう決めている。

しかも、「有識者会議」の議論が始まる前に、「特例法」について、既に法制局の「お墨付き」を取っている。

9月30日、横畠裕介内閣法制局長官が、衆院予算委員会で、「皇室典範そのものを改正せずとも、特例法を制定すれば天皇陛下の譲位の実現が可能である」との「見方を示した」

官邸幹部が「横畠氏の答弁は政府として(有識者会議の)意思統一したものではない」と弁解がましくいい、菅義偉官房長官も「法制局長官は有識者会議で幅広く検討を行うという前提に立ち、あくまでも一般論として言われたこと」と言っているが、これはどう見ても「お墨付き」だし、加えて御厨貴東大名誉教授の声もあり、「(有識者会議には)国民目線で真っ白な視点で議論してもらう」という政府の言は言っているだけ、の感が否めない。

法制局長官答弁は、正確には「皇室典範は特例、特則を定める別法も含みうる」とのことだが、これは『日本国憲法』第2条の「皇位は国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」というのを、「国会の議決した」法律が、皇室典範だけでなく、特例法も対象になる、という解釈である。

特例法は、例え法制局長官のお墨付きがあったとしても、「解釈改憲」にすぎない。

安保法制の時と同様、いづれ野党に矛盾を突かれ、退位後の天皇の地位が自衛隊同様の「違憲」の存在にされてしまうだろう。

「日本の国体の破壊装置」である、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は偽物だ。そんな偽物を国の根幹に据えていることの不条理に知らぬふりをし、そこから噴き出す矛盾に蓋をして回るだけでは、いつか大爆発を起こして汚物をまき散らすことになろう。そして、今のままではその時は近い。

「国民的議論を深めている」というポーズだけの、何も決めない「有識者会議」、天皇陛下のご意向の真意を理解し、「無効論」という法理的に正しい道を探ろうともせず、今上陛下御一代のみの譲位を「解釈によって許可」する「特例法」__これは、天皇陛下への侮辱である。

天皇陛下は、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」ると仰った。それを承った国民は、その大多数が「今上天皇だけでなく、その後の天皇もずっと譲位を可能に」と、政府に要望した。

それを、政府は無視したのである。

政府自民党、安倍政権にお願い申し上げる。

今からでも遅くはない。「有識者会議」に日本国憲法無効論者を招聘し、無効論を国民に周知していただきたい。

正真正銘の公議公論に「日本国憲法無効論」を付し、国民に天皇陛下を補翼する機会を与えて頂きたい。

そうして、天皇陛下に心からの御安らぎを、差し上げて頂きたい。

1947年9月25日、昭和天皇の憲法の師・清水澄博士、大日本帝国憲法に殉ず

『日本国憲法』は、「国民の総意により」成立していない__美濃部達吉顧問官は「憲法改正」に反対して起立せず、枢密院議長・清水澄博士は連合国の無法な「新憲法」制定に抗議の意を表すため、入水自殺した

清水博士の「自決の辞」は、新憲法施行の日の1947年5月3日に書かれた。

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釜坂信幸氏ブログ 『枢密院議長、清水澄博士の思い…。』より

この「自決の辞」に言及されている「共和制採用を希望する私擬憲法案」とは、高野岩三郎の『日本共和国憲法私案要綱』のことであろう。

元東京大学経済学部教授であり、社会統計学者であった高野岩三郎は、敗戦直後の1945年10月29日、左派の同志と共に「憲法研究会」を設立、同年12月に『憲法草案要綱』を発表した。

高野はこの『憲法草案要綱』で「天皇制廃止」「国民主権」を唱え、GHQも新憲法草案の作成の参考にしたそうであるが、左派の「憲法研究会」でも最も過激な左翼思想の持主であったため、GHQ憲法草案の「象徴天皇制」すらも生温い、とばかりに「大統領制」「土地国有化」などを盛り込んだ『日本共和国憲法私案要綱』を発表。自身の所属する「憲法研究会」を含め、天皇制存続を容認する潮流を「囚われたる民衆」と称して批判した。(参考:高野岩三郎 wikipedia)

GHQは、『日本国憲法』の制定が連合国によってなされたことも、その無法で卑劣なる制定に抗議して入水自殺した枢密院議長・清水博士や、不起立で反対の意を示した美濃部達吉顧問官など強硬な反対者がいたことも、当然ながら検閲によって、国民に知られないようにした。(当ブログ別稿『「日本人の魂の武装解除」:GHQ検閲リスト30項目で連合国が隠したかったこと』をご参照ください。)

日本国憲法改正の勅語、憲法公布記念式典の勅語には「日本国民の総意に基いて…」「この憲法は…自由に表明された国民の総意によって確定されたのである…」とある。が、これもGHQの脅迫に怖気づいた日本政府が、何とかつじつま合わせに天皇陛下にお願いして書いていただいたものである、と当時の法制局長官・入江俊郎氏が、1954年の自由党憲法調査会に於いて告白している。(p.73 菅原裕『日本国憲法失効論』新装版)

占領下の日本には、立憲君主の天皇を棄て、『日本国憲法』を自ら選び取る「自由に表明された国民の総意」など、かけらも存在していなかった。

高野岩三郎の『憲法草案要綱』の「国民主権」などを、GHQが参考にしたらしいことを以て、「『日本国憲法』は『押し付け憲法』ではない、日本人の発案によるものである」などと言う輩もあるが、連合国・国際共産主義者であろうと日本人の社会主義者であろうと、「万世一系の天皇がこれを統治する」=「日本の国体」を、姑息卑怯な手を使って改変しようとしたことに変わりはない。

高野は「象徴天皇制」を生温いといい、「天皇制廃止」「共和制」をしつこく主張したが、連合国は、「天皇制廃止」を諦めたのではなかった。

連合国は、『日本国憲法』の「象徴天皇」という「不思議な言葉」によって、「日本の国体が護持された」と日本国民と天皇を騙し、「国体破壊の時限爆弾」を仕掛けたのである。

天皇は、連合国によって、その主権者=元首=立憲君主としての地位を簒奪された。

天皇の正当な地位を、近代的立憲主義のもとに規定した大日本帝国憲法を、連合国は「天皇制強権支配の温床」と呼んで廃棄し、その代わりに『日本国憲法』という「連合国への隷従宣誓書」を、「日本人自身が自由な意思で選び取った」という虚構を打ち立て、世界に宣伝し、徹底的な検閲とプロパガンダで日本人を洗脳した。その洗脳は、今も続いている。

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War Guilt Information Program という洗脳プログラムには、「東京裁判」も含まれるが、最も日本国民一般に影響を与えたのは、連合国の「東京裁判史観」=「太平洋戦争史」(「大東亜戦争」の名称は検閲によって禁止された)に基づくNHKラジオの『真相箱』であろう。(先述の高野岩三郎は、占領初期より検閲・公職追放リスト作成などでGHQに協力した5100人の日本人のリーダー格として活躍し、1946年、GHQのプロパガンダ機関と堕したNHKの戦後初代会長に就任している。社会党顧問でもあった。)

WGIPが振りまいた「戦前の日本は悪かった」「大日本帝国憲法は悪法だった」という嘘の刷り込みが、「大日本帝国憲法を改正」し「民主的で正しい」『日本国憲法』を日本人に「受け入れ」させる土壌をつくった。

清水博士はご自分の無力を嘆いて入水し、「幽界より国体を護持」せんとされた。今、「戦後レジーム」という名の連合国利権を失いたくない利己的な輩が跳梁跋扈する日本に於いては、国民は誰も『日本国憲法』無効論の存在すら知らされず、「無効論」を知る少数の国民ができることの微小さは、占領下のそれと、さほど変わっていない。

だが、日本人は、最後まであきらめない。

清水澄博士の、大日本帝国憲法と天皇陛下への御忠義と誠心が、私達日本人に勇気を与えてくださることを念じ、ここに博士のご冥福をお祈りし、博士の御遺志を継いでいくことを誓うものである。

すめらぎいやさか。

(日本人が『日本国憲法』の真実を知るために、是非読んでおきたい参考図書を以下に挙げます。特に国会議員・官僚・学者、そして「有識者会議」のメンバーの皆さんは必読。逆説的ですが、「無効論」を知れば、「有識者会議」も、「特措法」「特例法」も、『皇室典範』改正も、「憲法改正」も、全く必要ないことが、そして、寧ろ害悪をしかもたらさないことが、お解かり頂けます。『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認と、大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認で、天皇陛下の譲位のご意向を速やかに実現し、なおかつ天皇に主権者=元首=立憲君主としての政治的権威をお返しすることで、正気を無くした日本人に喝を入れる。それが、今一番にしなければならない大切なことです。)

心理的「主権喪失状態」__それが戦後日本の問題の本質。日本に「主権=立憲君主・天皇=国体」を取り戻す__それが『日本国憲法』無効確認の核心。__正確な現状認識だけが日本を護る②

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が有効であるという大前提そのものが、連合国の洗脳の結果である__天皇=国体主権の戦前に、連合国の言う「天皇独裁」など無かった、という事実を思い出せ

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2016年8月8日の天皇陛下の御言葉を、外交評論家の加瀬英明は「天皇によるクーデター」と呼んだ。天皇陛下が皇室典範が規定する摂政制度を退けられたことで、「天皇が法を改めるよう要求されることは、あってはならない」、と。(『孤独の人』 『WILL』10月号)

だが、天皇の権力・権威を奪い日本解体を目指す「クーデター」は、もう既に戦後70年余り、日本で進行中だ。批判されるべきは、本当の「クーデター」主犯の連合国(=米国と国際共産主義者)とそのおこぼれに与る敗戦利得者たちであって、天皇陛下では決してない。

明治の皇室典範で、天皇の譲位を認めないことを規定した当時は、まさか日本が「天皇制打倒」を目論む輩に、こうまで蹂躙されようとは、誰も想像だにしていなかった。敗戦国日本に対する連合国の無法がこれほどまでとは、日本政府も天皇ご自身すらも、予想されていなかったに違いない。

戦争の勝者に国家元首の主権を奪われながら、70年も外国占領軍擬製の『憲法』を奉戴し、また国民全てが騙され、その事実を誰も知らずにいたなどという話は、諸外国にも例がないのであるから、「英国やオランダ等での退位の状況と比較」などしても、全く意味がない。寧ろ、「英国女王は元首で主権者である」という改めて確認した事実に接して、「何故天皇陛下は日本の元首であらせられながら、主権者ではないのか」との疑問を、「日本の天皇は象徴だから」で済ませてしまう思考停止ぶりをこそ、責められてしかるべきであろう。

偽憲法である『日本国憲法』を「憲法」として戴く戦後日本は、「欺瞞の世界」であって、『日本国憲法』が無効であり、大日本帝国憲法が現存している「真実の日本」と、二層構造を成しているのである。

加瀬英明は「あってはならない」と言ったが、大日本帝国憲法下の「真実の日本」に於いては、「憲法改正の発議の大権」は天皇にこそあるのであって、天皇陛下は何も間違っておられない。

強いて言うなら、この度の天皇陛下の「ご意向の表明」とは、連合国の「クーデター」に対する「カウンター・クーデター」であったと言うべきであろう

「天皇陛下のお気持ち表明」とは、この「国家の変局」を国民に報せる「警鐘」であった。

日本人は、70余年に及ぶ連合国の洗脳によって、正気を失っている。

『日本国憲法』が制定されたとき子供であった人々__「軍国少年少女」であったろう人々が、その幼い頭に「日本は軍国主義によって悪い戦争をした」「今日からこの新しい憲法で民主主義になるのだ」と叩き込まれ、その人々に育てられた世代__生まれた時から『日本国憲法』の日本であった世代が、今、日本の支配層、権力層の中枢にいる。

『日本国憲法』の日本が、彼等にとっての「ナショナル・アイデンティティー」なのだ。

彼等にとっては、『日本国憲法』が日本の憲法であって、それが有効かどうかなどとは、考えたこともない、当然すぎることなのだ。

だが、天皇陛下と同じ世代__いわゆる「昭和一桁生まれ」の人々は、自分の親たち、実際に戦争に行った世代が、「新しい、民主的な『憲法』」をもてはやす風潮を、冷めた目で見つめていたことを、知っている。

『日本国憲法』という、文字通り「勝ち組の御輿」を我先に担ごうとしたものと、それを苦々しい思いで眺めていたものとに、占領期の日本は引き裂かれていた。

そのバラバラになりかけの日本を繋ぎ止めたのは、「人間宣言」しても尚「戦前と少しも変わらない『万民の父母』としての天皇」であった。

戦後の「欺瞞の日本社会」にあって、天皇の存在だけが、戦前と変わらず真実のままなのである。

「天皇陛下の譲位のご意向」を、「『日本国憲法』絶対教」の人々が「個人的なお気持ち」に格下げしてみせても、大多数の一般国民は、陛下のメッセージの行間に、本能的に「国家の変局」を感じ取った。9割もの国民が、「違憲」のはずの陛下の「ご意向表明」を「問題ない」と言っているのはその表れである。

だが、陛下を一番理解しサポートするべき宮内庁や、本来、経済よりも安全保障よりも「天皇陛下の御言葉」=「日本の国体の根幹」こそが優先事項であると理解すべき日本政府・国会の反応が鈍すぎる。

日本を動かす立場にある政治指導者達、その深い学識で国民を啓蒙する立場にある学者達の誰にも、「天皇陛下の仰っていることの本質は、単なる老齢による公務遂行の困難についてのお悩みにはとどまらない、日本国家の変局、国体に関する重大事である」との認識があるようには見えない。

占領軍によって、国体改変__国家の歴史と伝統の破壊__を目指して制定された『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の、法的正当性を、天皇陛下の「御言葉=警鐘」を戴いた後にも、なお、支配層・権力層の誰も問わないとは、日本が連合国の洗脳教育で、飽和状態にあることの証左であろう。

皮肉なことに、これら官僚・政治家・識者達の、陛下の国民へのメッセージに対する、鈍感で的外れなコメントの数々を読むと、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』そのものが、天皇陛下の「譲位」のご意向の実現を阻んでいる、ということがはっきりとわかる。

「連合国への服従誓約書」=『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が、どのように天皇の存在を抑圧しているか、日本の「欺瞞の戦後社会」がどのように形成されているか、箇条書きで見てみよう。

『日本国憲法』は天皇から主権を剥奪し、「象徴天皇」とした。

●「象徴天皇」を、天皇も国民も、「『万民の父母』天皇とその『赤子』国民の関係性の象徴」「日本の歴史と伝統そのものの象徴」と解釈した。これは日本の国体の解釈として正しいが、連合国の本音ではなかった。

●GHQ『皇室典範』は、明治の皇室典範と違って天皇家の「家憲」ではなく、只の法律、『日本国憲法』の下位法である。「憲法」と同格の「皇室典範」は議会の干渉を許さなかったが、GHQ『皇室典範』は、寧ろ皇位継承という日本国の根幹の問題に、皇位継承の当事者である天皇の関与を許さない皇室弾圧法、日本の国体破壊法である。

連合国の本音の「象徴天皇」とは、国政に関与を許されず、臣下たる国民にその進退を完全に任せる、無力な「飾り物」としての天皇像であった。

●「国民主権」とは、本当の「主権者」である連合国が、連合国子飼いの「戦後エリート」を操って、「主権者国民」の名を騙って行う「側近政治」のことである。

この「側近」達は、「宮内庁関係者」「政府関係者」等という匿名性に隠れ、日本政府の政策を実際に決定してゆく。

「有識者会議」も、法的根拠がなく、国民の意思を必ずしも反映しない、という点で「側近政治」である。その後ろに誰がいるのか、国民は知らない。

学者も政治家も、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が無効であるという事実から、必死で国民の目を逸らせようとしているように見える。

『日本国憲法』がアイデンティティーとなった彼らにとっては、『日本国憲法』無効論とは、自分たちのアイデンティティーを破壊するものに他ならないのであろう。

彼等の言っていることは要するにこうだ:「天皇陛下の『譲位』のご意向を実現するためには、現行『皇室典範』を改正する必要がある。そうなると議論に何年も要することになり、せっかく盛り上がってきた『憲法改正』論議に水を差す、だから特措法でお茶を濁そう」__。

だが、これは完全に本末転倒だ。

安倍政権は、何のために憲法改正したいのか?

「美しい日本を、とりもどす」ためではなかったのか?

今現在、日本が美しくないのは何故だ?

連合国の暴力に屈服し、敗戦利権の「戦後レジーム」にしがみつく、金と権力の亡者ばかりが日本の支配層・権力層に幅を利かせている。

国連総会の場で日本を「JAP」と呼ぶような、民度の低い北朝鮮から、拉致された日本人被害者を、正当な作戦行動により奪還することもできない。

祖国を護るために戦って散華した、英霊の御霊を祀る靖国神社に参拝することすら、唯物論亡者の親玉・中国と、その腰巾着・韓国の顔色を伺って自由にできない。

自分で戦うことを放棄し、米国に護ってもらう他に道はないのだから仕方がないと、経済政策も安全保障政策も、何もかも米国の言いなり。

明らかに「外患誘致」犯し放題の、極度の親中沖縄県知事や、朝鮮半島の回し者・民主党(当時)の元首相達、日本の名誉を極限まで傷つけた『村山談話』『河野談話』の責任者たちも起訴できず、中国侵略間近の尖閣に自衛隊を常駐させることもできない。

外務省を始めとする「戦後エリート」達は、連合国が占領期に犯した罪の数々を、日本に転嫁するために擦り付けた「東京裁判史観」を、きちんと検証もせずに頭から信じ込んで、日本の先人が残した歴史と伝統に泥を塗って、恬として恥じることがない。

この情けなく、醜く浅ましい「敗戦奴隷」の日本の姿を、私たち国民は、「変えたい」と、そう願った。

だからこそ、日本国民は、二度の安倍政権を誕生させたのではなかったのか?

安倍首相が、日本の為に必死でやっておられることは知っている。『日本国憲法』の始末は「無効論」によらず、「まず『9条第2項を改正』、それから『漸次改憲』することが最も『現実的』」との考えであるらしいということも…。だが、考え直していただきたい。

「天皇陛下の譲位のご意向の表明」が明らかにした問題は、「戦後レジーム」下の数ある問題の「ひとつ」ではない。戦後日本の「本質的問題」なのである。その「本質的問題」とは、

戦後日本は「主権喪失」状態であり、「国体」=「日本のアイデンティティー」をも、いま喪失しようとしている

ということである。

連合国が、天皇の主権者としての権能を、不法に、暴力により強奪したことは、許されざる罪である。その事実を隠蔽し続けることも、罪である。国家の主権侵害、国民の知る権利の侵害である。

このようなことが70年もまかり通ってきたこと自体が、連合国の日本への人種差別に根差していることを考えれば、その犯罪性は二重になる。

その犯人・連合国は、連合国自身が日本に与えた『日本国憲法』が禁ずる「検閲・言論弾圧」を以て、自らの犯行を隠匿している。

この問題を解決できるのは、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認・大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認しかない。『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の「改正」では、「本質的問題」を解決できない。なぜなら、戦後日本の問題は、全て、連合国に与えられた偽の「憲法」という「国体破壊法」、偽の「皇室典範」という「天皇弾圧法」、偽の歴史、偽の罪悪感によってもたらされている。

『日本国憲法』自体が欺瞞であるが故に、それから派生した法律も、深刻な矛盾をはらむことは当然である。

国家の根幹である憲法が、偽物であってはならないのである。

連合国の犯罪を告発し、真実の歴史を回復することでしか、戦後日本の問題は解決しない。

「『日本国憲法』は無効である」と世界に宣言すること、「連合国が押し付けた『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は無効である」と、日本が宣言「できる」ことを、世界に見せつけることの他に、敗戦国・日本が真の主権と名誉を回復する道はない。

「『日本国憲法』の改正」には、「連合国の犯罪の告発」が含まれない。そこが問題である。それでは、日本は主権を連合国に差し出したままだからである。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は、天皇の権威を低下させ、日本の国体を破壊している元凶である。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が、皇室問題=国体問題=日本国主権問題の最高権威である天皇の「意向の表明」すらも「違憲」扱いにし、国体破壊工作の阻止を阻んでいる。

天皇陛下の譲位のご意向の実現だけでなく、皇室の将来、皇統の安定的継承については、皇室問題の最高権威である天皇陛下と、その陛下が仰っているように、皇太子殿下と、秋篠宮殿下とでご検討いただくのが筋である。

にも拘らず、政府は『日本国憲法』にもGHQ『皇室典範』にも規定のない「有識者会議」で「時間をかけてゆっくり」考えるといっている。問題の核心である「無効論」を無視したままで、何に考えを巡らせるのか?そんな時間はないのだ。

『日本国憲法』は日本の「憲法」ではない、偽物である。GHQ『皇室典範』は、偽物の上に、国民によって決められる「ただの法律」である。

外国に不法に押しつけられた偽物「憲法」が、ひとつの国家の命運・存亡を左右していいはずがない。

天皇陛下が従うべきは『日本国憲法』などではなく、日本の本当の「主権」の在する「国体」のみである。

昭和天皇と今上陛下が70年余堪えてこられた「堪えがたき」こととは、この欺瞞の中に、国民が生きねばならないこと、この恐るべき禍のことである。

国民にこの禍を経験させている「万民の父母」たる陛下の御苦しみを察せよ。この禍は、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認により、今すぐ取り除かねばならない。

(2017年6月21日加筆)

原爆と真珠湾:あの戦争の真実を、オバマ広島演説の自己欺瞞が覆い隠している

「『日米同盟』と『友情』という『希望の選択』」? 原爆投下正当論の修正と、本当の「人道に対する罪」:東京裁判・War Guilt Information Program・「『日本国憲法』の制定」の認罪で「真に対等な日米同盟」を実現せよ__感動のスピーチを「きれいごと」で終わらせないために…。

真珠湾を「騙まし討ち」にした責任を隠蔽してきた外務省と、『日本国憲法』無効・廃棄のチャンスをむざむざ捨てた吉田茂の「未必の故意」を追及し、日本と米国に真の和解を!

「我々には共同責任がある__歴史を直視し、他のどんな違ったやり方をすれば、あのような苦しみを撲滅することができるのか、問う責任が」

“…we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.”

2016年「伊勢志摩G7サミット」のため来日中のオバマ米国大統領は、5月27日広島を訪問し、原爆記念碑に献花した後、被爆者を含めた聴衆を前に感動的な、そして歴史的な演説をした。

「核なき世界」という崇高な理想を唱えて、ノーベル平和賞を受賞した「スピーチのオバマ」の面目躍如たる、格調高さと誠実さを、ともに感じさせる文面である。

「科学の発展は、これまでにない効率の良い殺人機械をも作り出してしまう」(”Science…can be turned into ever more efficient killing machines.”)

「将来、広島と長崎の名が人類最初の核攻撃を受けた場所としてでなく、我々人類の倫理観の覚醒の始まりの象徴として人々に知られるように」(in a future…Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare but as the start of our own moral awakening.)

だがこれは、「(米国が、でなく)科学の発展が、生み出した」原爆という大量殺戮兵器の存在を「人類共通の責任」とすることにより、「その悪魔の兵器を日本の無辜の民に対して使用した」という道義的責任に蓋をした、姑息な言い方でもある。

「原爆投下という『加害責任』を認め謝罪する」ことに繋がりうる言葉を、オバマは慎重に、だが徹底的に排除した。

「原爆投下により戦争終結が早まり、日本が戦争を続行した場合に日本本土決戦で犠牲になったはずの、数百万の米兵と日本の軍民の命が救われた」とする「原爆投下正当論」は、米国の退役軍人・高齢世代を中心に今もなお根強くある。(「日本人の命も救ってやった」という恩着せがましさよ。)

オバマはこれらの正当論者、特に強硬な退役軍人にライス米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)を通じて「米国はいかなる状況でも謝罪しない」と明言することで黙認を取り付け、戦後長らく「タブー」とされてきた広島訪問を、実現した。次期大統領共和党候補指名確実のトランプも、オバマの広島訪問について「大変結構なこと、謝罪しない限りは」と選挙集会で語っていた。

事実、オバマ大統領は黙とうはしたものの、「頭を下げる」というジェスチャーはこれもまた注意深く避けた。

また、演説そのものにも、「非道な戦争行為はお互いさま」「いや、米国と連合国はやはり正義=日本とドイツの悪行を思い出せ」というニュアンスがそこここに散りばめられていた。

「But we have a shared responsibility to look directly into the eyes of history」(歴史を直視する共同責任がある)

Empires has risen and fallen. Peoples have been subjugated and liberated. And at each juncture, innocents have suffered……」(ナチス・ドイツの第三帝国と大日本帝国?「南京大虐殺」?)

「……some 60 million people would die. Men, women, children, no different than us. Shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death.」(「バターン死の行進」とナチ・ホロコースト?)

「shared responsibility」とは、米国の「原爆投下正当論」者にとっては「日本が最初に悪事を働いたのだから、当然日本に大半の責任があるが、原爆のとてつもない殺傷能力は米国の予想もはるかに超えていた。確かにoverkill(過剰殺戮)だったかもしれない…」という「過剰防衛」くらいの責任の度合いであるが、大方の日本人にとってみれば「米国が(『共同』とはいえ)責任を認めた」とはつまり、「これで戦後が終わる」というくらいの重みのある文言である。だから米国の退役軍人はオバマの広島訪問を黙認し、日本人は歓迎一色に染まった。

オバマの広島演説は、安倍首相の戦後70年談話と対をなす「玉虫色の日米和解エールの交換」というべきものであった。

おそらくは、安倍首相(日本)とオバマ大統領(米国)の間には「これで戦後レジームの脱却云々は手打ちにして、今後は『日米同盟調整メカニズム』がスムースに運ぶようお互い努力しよう」という了解があったのであろう、と想像する。

日米同盟強化作戦__といえば対等な同盟の共同作戦のように聞こえるが、実のところ、米国が日本の「集団的自衛権」の行使を、事実上米国が自軍の展開を削減したいアジア地域での、中ロ牽制の役割に特化して、日本に特別に認める、ということである。米国が「被保護国・日本の影の宗主国」として主導権を握る状況に変わりはない。

「対等な日米同盟」は、今のままでは、実現にほど遠い。

オバマ大統領は「The United States and Japan have forged not only an alliance but a friendship」(米国と日本は「同盟関係」だけでなく、「友情」も培ってきた)といい、安倍首相は「熾烈に戦い合った敵は70年の時を経て、心の紐帯が結ぶ友となり、深い信頼と友情によってむすばれる同盟国となりました。」と、昨年2015年の米上下両院合同会議での演説での言葉を引いて、オバマの言葉に応えた。

だが、両者のいう「友情」「同盟」には温度差が歴然としてある。

「オバマ大統領は日本にいる間、真珠湾への卑怯な騙まし討ちのことを話し合ったのか?何千人ものアメリカ人の命が失われたのだ___ドナルド・J・トランプ」(Twitter)

Does President Obama ever discuss the sneak attack on Pearl Harbor while he’s in Japan? Thousands of American lives lost. ___Donald J. Trump https://twitter.com/realDonaldTrump

米国は原爆投下を正当化した。だが日本はひどいことをした。」「訪問を謝罪の枠組みにはめると、本来必要のない議論が起きます。」ジェニファー・リンド 米ダートマス大准教授(朝日新聞2016年4月23日)

「米大統領の広島訪問は、日米関係だけにとらわれると原爆投下についての謝罪の有無が問題になり、逆に日本による真珠湾攻撃の責任も持ち出され、国家のメンツやナショナリズムを刺激しかねない。」入江昭 ハーバード大名誉教授 (朝日新聞2016年5月29日)

「訪問と同時に謝罪も求めると、過去の戦争の評価をし直すことになる。」美根慶樹 平和外交研究所代表・元軍縮大使(朝日新聞2016年5月28日)

米国人保守はともかくとして、左翼学者とはいえ、日本人までもが「真珠湾攻撃」を「卑劣な騙まし討ち」として認識し、まるで「米国の原爆投下への謝罪」に対し「日本の真珠湾攻撃への謝罪」が当然必要かのような話になっている。「米国に謝罪など求めれば、ヤブ蛇的に日本の戦争犯罪のことも突かれてしまうぞ」と、暗にほのめかしてさえいる。

このことこそが、「戦後レジーム」の中にどっぷり浸かった人々の自己欺瞞なのだが、それに気づいていないのか、それとも他の日本人に気づかせたくないのか…。

オバマの最初の大統領選の際、対抗馬のマケインの副大統領候補として奮戦した、当時アラスカ州知事のサラ・ペイリンは「私たちが始めたわけではない戦争を、米軍が終わらせたことが間違いだったと示唆した」と今回のオバマの広島訪問を非難した。

だが本当に、アメリカは日米戦争を「始めなかった」のだろうか?

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Memorandum for the Director  Subject: Estimate of the Situation in the Pacific and Recommendations for Action by the United States p.4/4

米国は1940年10月7日付のマッカラム覚書で、「日本に最初の一撃を撃たせるため」の経済封鎖・石油禁輸など8つの項目を挙げ、その通りに日本を挑発して戦争に向かわせた。

1941年7月23日、側近に国際共産主義者を配したルーズベルトは、コミンテルンのスパイであったラフリン・カリー大統領補佐官の、中国国民党と連携しての日本爆撃計画に承認のサインをしている。

1941年7月26日、同じくコミンテルンのスパイであったハリー・デクスター・ホワイト財務省通貨調査局長の提案で在米日本資産が凍結され、日本の金融資産は無価値となった。

日本側がまだ必死で戦争回避の交渉を続けていた1941年11月に米国から突きつけられ、事実上の対日最後通牒となった「ハル・ノート」の実質作成者は、そのホワイトであった。

ルーズベルトは、日本を対米戦争に向かわせるまでに、完全に追い詰めた「ハル・ノート」の存在を、米国議会に隠したまま、日本の「真珠湾の騙まし討ち」を非難する演説をして、ハミルトン・フィッシュら参戦反対論者を騙し、対日参戦の決議を勝ち取った。

しかも、米国海軍の太平洋での機動力を殺ぐ為の「空母狙い」の真珠湾「奇襲」攻撃は、事前に日本側の暗号を解読し、攻撃目標を察知していたルーズベルトによって、その効果を半減させられた。

1941年12月7日(ハワイ時間)、真珠湾に、空母はいなかった。太平洋艦隊の主力、2隻の空母USSエンタープライズとUSSレキシントン、そして21隻の最新鋭戦艦は、ワシントンからの突然の命により、攻撃数日前にパール・ハーバーを離れ、ウェーキーとミッドウェイにそれぞれ派遣されていた。

マッカラムの「日本挑発行動8項目」の存在を知らされていなかった、真珠湾基地の太平洋艦隊司令長官H.E.キンメル大将は、暗号解読により日本の宣戦布告・ハワイへの攻撃が間近であることを察知し、これを洋上で迎え撃つため、独断で北太平洋へ帝国海軍機動艦隊の捜索部隊を出すが、ホワイトハウスはこれを知ると部隊の引き返しを命じてきた。

日本が機動艦隊を差し向けてくるのが確実な北太平洋を、「空白海域」として米国海軍の航行を禁止する、というのがホワイトハウスの命令であった。日本には自由で順調な航海の後、計画通り真珠湾に「卑怯な騙まし討ち」をかけてもらわねば困るからである。

キンメルと、真珠湾に残されたスクラップ待ちの老朽戦艦たちは、ルーズベルトによって、日本を誘い出すための囮とされたのだった。

1941年12月16日、キンメルは真珠湾の「失策」により少将に降格された。1999年5月25日、キンメルと、同時に降格されたウォルター・ショート米陸軍ハワイ部隊司令官の、名誉回復と階級復元が米国議会で決議されたが、当時の大統領クリントンも、ジョージ・W・ブッシュもオバマも、実行に移していない。

Pearl Harbor resauces 2
“Japan’s Decision for War in 1941” by Jeffrey Record / “FDR: The Other Side of the Coin” by Hamilton Fish, LL.D. / “Day of Deceit: The Truth about FDR and Pearl Harbor” by Robert B. Stinnett

対米戦争を日本に決意させた根本原因は、経済と名誉の問題だった。1941年7月の、ルーズベルトによる在米日本資産の凍結に続く対日経済封鎖は、日本にとって経済的・軍事的破滅の脅威であった。」(”The roots of Japan’s decision for war with the United States were economic and reputational. The termination of U.S. trade with Japan that followed Roosevelt’s freezing of Japanese assets in July 1941 threatened to destroy Japan economically and militarily.” p.48, Japan’s Decision for War 1941, Jeffrey Record)

「(日本国内に無く、アジアには有る日本の製造業が必要とする原材料の)供給が途絶えたら、1000万から1200万の失業者が発生すると、日本は恐れたのです。彼らの開戦目的は、つまり、大部分が安全保障に拠るところが大きかったといえます。」(“They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore in going to war was largely dictated by security.” ) (ダグラス・マッカーサー元連合国軍総司令官の米国議会上院軍事外交共同委員会での証言、1951年5月)

1928年12月7日、ケロッグ米国務長官は、米国議会上院の不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)批准の是非をめぐる討議において、経済封鎖は戦争行為そのものだと断言している。
東京裁判史観は「日本はパリ不戦条約に違反して侵略戦争を行った」というが、その不戦条約の中心人物であるケロッグ自身が「経済封鎖は『戦争行為』である」と断言したということはつまり、真珠湾攻撃の何か月も前に、経済封鎖を日本に仕掛けていた米国こそが、日米戦争において真の「最初の一撃を撃ったもの」であり、真の「侵略者」である、ということになる。
しかし、ケロッグが説明したように、侵略戦争かどうか、自衛戦争であるかどうかを決めるのは、戦争当事国の裁量に任されている。
米国が「侵略ではない」といえば、侵略ではないのだろう。矛盾と欺瞞だらけの国際社会に、我々は生きている。
ここで明白なのは、しかし、全世界のどの国も当然持っている「侵略かどうか、自衛かどうかを決める裁量権」を、独り日本だけには「与えられていない」ということである。それを決めるのは、連合国なのだ。

連合国が与えた『日本国憲法』によって、日本は自分の行う戦争が「自衛かどうか」を決めることができなくされている。

『日本国憲法』が、日本に「国連(連合国)至上主義」の軛をかけ、GHQの洗脳から日本国民が解き放たれるのを阻んでいる。

日本を、今でも事実上の敵国と規定する国連憲章の敵国条項(第53条・第107条)は、1995年の国連総会で、「既に死文化している」という過半数の賛成により、その削除が採択されたにも拘らず、批准されず、いまだ削除されずにいる。キンメルらの名誉回復が米国議会によって決議されながら、大統領によって実効化されずにいるのと同じだ。ここにも「玉虫色」の、「見せかけだけの正義」がある。

敵国条項によれば、「連合国の敵(つまり日本)が侵略戦争を仕掛けている、と連合国(の一国)が信じれば、安保理の許可なしに(日本を)攻撃してよい」ということになっている。つまり、日本を攻撃したければ「日本が侵略しようとしている」と言えばよく、反対に日本はそれへの反撃すらも自衛と認めてもらえない可能性がある。

この戦慄すべき不平等、唾棄すべき日本への差別。

このことを連合国が認識し、国際社会に周知しない限り、彼らのいう「同盟関係」「友情」という言葉に誠はない。

欺瞞に満ちた「偽りの同盟」は「1945年8月のソ連による満州侵略」の再現に繋がる__そこに心からの信頼関係はない。

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米国と連合国は、「日本は『天皇制強権支配』『侵略的軍国主義』によって日本国民を抑圧し、世界征服の野望に燃えて、アジア諸国を侵略した」という誣告=嘘を根拠に、日本の憲法を挿げ替えた。

連合国は、「象徴天皇制」「国民主権」を謳う『日本国憲法』によって、優れた立憲君主として立派に機能していた天皇から政治的権能を奪い、皇室弾圧法である『GHQ占領典範』によって皇室の自治権を奪って、皇統の危機を招来している。

広島と長崎に原爆を落とし、冷酷にも研究対象としてその被害者を観察した米国は、同じ冷酷さで日本人を洗脳した。歴史を書き換え、戦前の日本そのものを「邪悪な存在」として全否定し、「米国・連合国=正義の味方」史観ともいうべき虚構を日本人の頭に刷り込んだ。

『日本国憲法』第21条が禁止する検閲を、徹底的に行使することによって、連合国は今もなお日本人の「知る権利」を蹂躙しながら、日本の言論を弾圧し続けている。洗脳は、今も続いている。

その効果で、中国の露骨な「西太平洋での覇権」を目指す侵略行為を目の当たりににしながら、日本人の多くが、「中国を侵略した日本は中国に意見できない」という、植え付けられた贖罪意識によって、声を上げるのを遠慮してしまう。

同様に、原爆投下正当論は日本人の中にも浸透している。「南京大虐殺」「従軍慰安婦強制連行」等をいまだに事実と思い込んでいる人々は、「原爆投下が日本軍のアジアでの残虐行為をやめさせた」という偽のロジックに反論できない。

だが、本当に、日本と日本人は連合国の言うような邪悪な存在だったのか?

天皇は「国家神道」を臣民に強要して強権支配していたのか?大日本帝国憲法は日本人を搾取する悪法だったのか?日本人の天皇陛下への思慕は、強制されたものだったのか?

Hiroshima Hersey
ジョン・ハーシー『Hiroshima』

被爆者は「戦争を起こした天皇」を憎みながら、死んでいったのか?

第二次大戦中、従軍記者として『ライフ』誌などに寄稿していたジョン・ハーシーは、『ザ・ニューヨーカー』誌の企画記事を書くため、原爆投下の一年後の広島を訪れた。『ザ・ニューヨーカー』1946年8月31日号の大部分を占める長編記事として初出版されたハーシーの『Hiroshima』は、ハーシーがその被爆体験を聞き取った沢山の生存者のうち、6人の体験に焦点を当てて構成されている。

その6人の広島市民(ドイツ人イエズス会神父をふくむ)がハーシーに語った原爆体験は、しかし、原爆の明白な超絶的破壊力にも拘らず、「阿鼻叫喚の地獄絵図」ではなかった。いや、4000度の熱線により即死、或いは即日死を免れた生存者も、多くは恐ろしい火傷を負っていた。程度の差こそあれ、誰もが何かしらの傷を負い、家を破壊され、路頭に迷っていた。咽喉が渇き、空腹だった。それは恐ろしく、悲惨な光景だったであろう。

にも拘らず、日本人は静かだった。

「西洋人であるクラインゾルゲ神父にとって、何百人もの負傷者たちが、ひとかたまりになって、身の毛もよだつような恐ろしい傷に苦しんだ川辺の木立__その場の静けさは、神父の原爆体験の中でも、最も恐ろしく、また畏怖の念を起こさせる、不思議な光景のひとつであった。負傷者たちは静かだった。涙を流して泣くものはいなかった。傷の痛みに大声をあげる者もほとんどおらず、不平を言うものもいなかった。多くのものが死んでいったが、みなひっそりと死んでいった。子供たちですら、泣く者はいなかった。話をする者さえいなかった。クラインゾルゲ神父が、原爆の熱線により、顔形も判別できないほどに焼けただれた人々に水を与えた時、彼らは自分の分をすすったあとで、少し起き上がり、神父にお辞儀をするのだった。」

(“To Father Kleinsorge, an Occidental, the silence in the grove by the river, where hundreds of gruesomely wounded suffered together, was one of the most dreadful and awesome phenomena of his experience./ The hurt ones were quiet; no one wept, much less screamed in pain; no one complained; none of the many who died did so noisily; not even the children cried; very few people even spoke. And when Father Kleinsorge gave water to some whose faces had been almost blotted out by flash burns, they took their share and then raised themselves a little and bowed to him in thanks.” p.49, Hiroshima)

大災害に襲われた時、日本人は騒がない。そのことを、戦争を知らない私たちも、2011年のあの未曽有の大震災の後に確認した。日本人は、太古から自然災害を被り続けるうち、いつしか「文句を言っても仕方がない。今自分のできる最善のことをするだけだ」という達観した態度を身に着けた。それは、子供でも女性でも同じだった。

広島ジャザブイン[ママ]女学校のノブトキ・カヨコは、原爆が炸裂した時、何人かの友達と一緒にお寺の大きな塀の脇で休んでいた。少女たちは爆風で崩落した重量のある塀の下敷きになり、動けなくなった。すぐにその隙間から煙が立ち込めてきて、重い塀の下で、少女達は窒息しそうになっていた。

「少女達の一人が国歌の『君が代』を歌いだした。ほかの少女達も一緒になって歌い、そして死んでいった。[カヨコ] は塀に割れ目を見つけ、何とか必死に這い出した。赤十字病院に運ばれた時、[カヨコ]は友達がどんな風に…皆で一緒に国歌を歌いながら死んでいったか…を伝えた。彼女らはまだ13歳であった。」

“One of the girls begun to sing Kimi ga yo, national anthem, and others followed in chorus and died. Meanwhile one of them found a crack and struggled hard to get out. When she was taken in the Red Cross Hospital she told how her friends died, tracing back in her memory to singing in chorus our national anthem. They were just 13 years old.  p.116, Hiroshima)

広島大学の文学と科学の教授であるヒライワ博士は、東大生の息子と一緒に、原爆に破壊された二階建ての自宅の下に埋もれていた。二人とも、非常な重みの下で、一寸も動くことができなかった。家は既に火に包まれている。

「息子が言った。『お父さん、もうどうにもなりません。覚悟を決めて、お国の為に命を捧げましょう。天皇陛下に万歳三唱しましょう。』 父は息子の音頭で『天皇陛下、万歳!万歳!万歳!』と三唱した。『天皇陛下に万歳三唱したところ、』ヒライワ博士は言った。『不思議なもので、心が静まり、元気が出てきて、とても安らいだ気分になったのです。』その後、息子は脱出に成功し、瓦礫を掘り起こして父親を引っ張り出した。助かったのだ。その時の体験を思い出しながら、ヒライワ博士は繰り返した。『私たちは日本人でなんと仕合わせなことでしょうか!天皇陛下のために死のうと覚悟を決めた時、私は生まれて初めて、あんなふうな素晴らしい気分を味わいました。』」

(“His son said, ‘Father, we can do nothing except make our mind up to consecrate our lives for the county. Let us give Banzai to our Emperor.’ Then the father followed after his son,  ‘Tenno-heika, Banzai, Banzai, Banzai!’ In the result, Dr. Hiraiwa said, ‘Strange to say, I felt calm and bright and peaceful spirit in my heart, when I chanted Banzai to re’ Afterward his son got out and digged down and pulled out his father and thus they were saved. I thinking of their experience of that time Dr. Hiraiwa repeated, ‘What a fortunate that we are Japanese!’ It was my first time I ever tasted such a beautiful spirit when I decided to die for our Emperor.'” p. 115, Hiroshima)

私たち日本人は誰もが、天皇が、ヨーロッパの専制君主のような「搾取者」「強権支配者」等ではない、ということを知っている。

天皇は戦前も、今も変わらず、「立憲君主」であり、「万民の父母」である。GHQの「人間宣言」は、日本の文化と伝統に無知な外国人の、ピントの外れた天皇観からの発想であって、日本人には至極当たり前の話であった。

日本人は原爆に怯えて終戦を決意したのではない。寧ろ、「一億玉砕」を覚悟している国民に、天皇が「もうよい、矛を収めよう」と語りかけたのが「玉音放送=終戦の詔勅」であった。

天皇の「堪え難きを堪え忍び難きを忍び…万世の為に太平を開く 総力を将来の建設に傾けん」という言葉をうけ、敗戦の無念を胸にしまい、日本の明日の為にしっかり生きてゆこう、とういう天皇の言葉を体現すべく、心を一つに立ちあがったのだ。

日本国民が『日本国憲法』を「受け入れた」のは、天皇が公布の詔勅を出したからである。

「この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであって、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によって確定されたのである。即ち、日本国民は、みづから進んで戦争を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基づいて国政を運営することを、ここに、明らかに定めたのである。」(日本国憲法公布記念式典の勅語)

1946年11月3日、貴族院議場で挙行された『日本国憲法』公布記念式典で、国民の熱烈な歓呼を受けたのは『日本国憲法』ではなく、天皇の存在であった。

だが、日本人は知らなかった。この詔勅そのものが、『日本国憲法』誕生のいかがわしさを糊塗するために、「何とかつじつまを合わせようというので(天皇にお願いして)受けた」(公布当時の法制局長官・入江俊郎)ものであったということを。

「帝国憲法を全面的に改正した」といいながら、帝国憲法の改正方法に全く則っておらず、また改正の限界を超越しており、帝国憲法違反であることも、そもそも占領軍による「憲法改正の強要」はハーグ陸戦法規違反であることも、日本人は知らされなかった。

「国体護持」の条件付きで呑んだポツダム宣言に違反して、「象徴天皇制」「国民主権」という左翼全体主義的制度に「国体改変」したGHQの、日本人への差別的な人権無視を批判することさえ、日本人は許されなかった。

全国焼夷弾爆撃と原爆ニ発で「日本国土の完全破壊」を示唆。「天皇の身柄は保証せず」と恐喝。公職追放で、家族ともども路頭に迷う100万人の困窮を見せつけられながら、明日は我が身と怯える帝国議会議員による、実質「英語で書かれたGHQ憲法草案の日本語翻訳作業」でしかなかった「憲法改正委員会」を、「自由に表明された国民の総意」と呼ばせる、連合国の無法無体を、検閲という全体主義的行為によって、GHQは日本国民から隠し通した。

そして、ポツダム宣言のいう「無責任なる軍国主義」「日本国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出づるの過誤」の「証拠」として、偽証罪なし「訴えたもの勝ち」の東京裁判で、2年にも亘って偽の「日本の戦争犯罪」を並べ立て、日本と日本人に無数の冤罪を着せた。

連合国が固執した「憲法改正」の拠り所となった「アジアにおける『残虐非道の侵略軍=帝国陸海軍』による虐殺(『南京大虐殺』)虐待(『バターン死の行進』…後に『慰安婦性奴隷強制連行』)」も、すべては悪質な誣告であった。

『日本国憲法』は、「GHQの押し付けだから」という遥か以前に、連合国の日本人差別に満ちた占領政策における犯罪の集大成であり、当然無効である。

GHQは、言論機関・メディア・教育体制を通じて、東京裁判史観を国民に広め(WAR GUILT INFORMATION PROGRAM)、同時に30項目に亘る検閲(PRESS CODE=CENSORSHIP)で徹底的に真実を隠し通した。それらは全て、犯罪であった。

日本人は、戦後70年余、「知る権利」を蹂躙され続けている。「残虐非道の虐殺者、性奴隷を持った国」の国民として、「一億総前科者」扱いされている。汚されているのは祖父の名誉ばかりではない。

これは人道に対する罪、「正義」に対する侮辱ではないのか?

 

「日米の記憶 結ぶ機会に」と題されたインタビュー記事で、朝日新聞など左翼メディアに人気のコロンビア大教授、キャロル・グラックは、オバマの広島訪問を前に言う:

「原爆投下の記憶をめぐる米国と日本の記憶は対照的で、お互いに重なりません。米国の場合は(…)広島と長崎への投下で終わり、その下で起きた惨状は語られません。一方、日本の場合は原爆投下とそれで生じた被害から始まります。戦後日本が平和国家を目指すためのきっかけとなっていますが、それまで続いた戦争は登場しません。」「(戦後70年余で戦災に関する記憶の多くが変化した。が、原爆の記憶は変わっていない。その訳は)米国は原爆の倫理性、日本は侵略戦争の問題を直視しなくてす(むから。)ホロコーストや南京大虐殺、日本軍の慰安婦などは(人々がどのように記憶し、語るのかが変わった)典型(…)。」 (朝日新聞2016年5月17日)

後半、話の焦点がズレてくるが、要するに、『日本国憲法』とともに連合国の押しつけた「日本悪玉史観」が近年風化しかけている、日本はなぜ「原爆を落とされた」のか、その理由に思いをいたせ、とのご高説である。

だが、グラックは連合国と米国の「占領軍が日本に何をしたのか」については、不問のままだ。

連合国の占領政策と東京裁判を検証しなければ、「日本の侵略戦争」の誤謬を認識できず、正確な知識に基づく、実証主義的歴史認識を持つことができない。

キャロル・グラック、ジョン・ダワー…、国際共産主義者の意を体する米国の高名な学者たちが、いくら偉そうに日本の「侵略戦争」批判をぶっても、もはやかつての権威的圧力は感じられない。戦後70年余、「日本の加害の証拠」は論破され尽くし、「連合国の加害の証拠」ばかりが蓄積されてゆく事実には、寧ろ哀れを催す。

いや、キャロル・グラックの「日本の侵略戦争批判」の歯切れの悪さは、愚民化政策で日本人(と米国人、そして世界中の人々)を無知なままに置こうとした、国際共産主義者たちの「戦後レジーム」が、いま崩壊の崖っぷちに立っていることへの焦慮であろう。

嘘の上に嘘で塗り固めた「連合国善玉史観=日本悪玉史観」は、遅かれ早かれ崩落の運命にある。

だが、それを必死で抑え込もうとしている勢力が、日本国内にもある。もはや死に体の左翼政党や朝日新聞ら左翼メディアのことではない。

真珠湾攻撃が「騙まし討ち」ではなかったと、説明できる立場にありながらそれをせず、結果、「卑怯な日本人」への米国民の激昂を煽り、米国側の「原爆投下正当論」に加担した、日本の外務省である。

外務省の罪を問う

1945年12月7日、ワシントンの日本大使館は、事務執行上の失態により、本省から指定されていた「最後通告」の手交時刻を1時間20分も遅延させ、事実上、真珠湾攻撃を無通告の「騙まし討ち」にしてしまった。

米国務省のコーデル・ハル長官に、その文書を届けた野村大使と来栖大使は、それが日米交渉の打ち切り、つまり「宣戦布告」を意味する「最後通告」である、とは知らなかった。だが、開戦前日に、大使館は本省より「訓令次第何時にても米側に手交し得る様文書の整理其外予め万端の手配を了し置かれ度し」の指示を受け取っていた。そして、手交時刻を「午後1時」と指定してきた。「重要な文書であるので現地のタイピストを使わないように」との指示まであった。

にも拘らず、館務の責任者である参事官の井口貞夫は、大使館内に緊急体制を敷かなかった。そのため、大使館内でただ一人タイプが打てる外務官僚で、開戦前日に暗号で送られてきた「最後通告」の解読文を、タイプに打ち込む担当であった奥村勝蔵は、そんな重要な仕事をおいて、その夜外へ遊びに出てしまった。

真珠湾攻撃が「卑怯な騙まし討ち」になったのは、ワシントンの日本大使館の怠慢・失態のせいであった。

「いや、そうではない、外務省と陸軍参謀本部が共謀して、故意に電文の訂正を送るのを遅らせ、真珠湾攻撃が成功するよう謀ったのだ。」という説もある。(2012年12月8日日経新聞「大使館怠り説 覆す?新事実真珠湾攻撃-間に合わなかった最後通告」)

だが、この手交遅延の大失態の原因が、「事故的」であろうと、「謀略」に拠るものであろうと、関係ない。

重要なのは、手交遅延が発生した後の、野村大使を始めとする外務省の取った、或いは取らなかった処置そのものである。

野村吉三郎大使は、国務省でハルに面罵され(それは日本の開戦を予め知っていたハルの芝居であったが)、沈痛な面持ちで大使館に戻って、初めて日本の真珠湾攻撃を知った。大使館の外には米紙の新聞記者が詰めかけていた。

野村大使は、この時、新聞記者らに、「手違いで遅延してしまったが、日本政府は午後1時に手交せよと指示していた。」と真実を話すべきであった。

「日本は真珠湾攻撃を『騙まし討ち』にするつもりはなかった」ことを、はっきりさせておかなければならなかった。

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杉原誠四郎 『外務省の罪を問う』 (p.79)

米国人、特に将兵達は、「卑劣な日本が『計画的』に真珠湾に『騙まし討ち』をかけ、3,000人以上のアメリカ人の命が奪われた」と信じ、激昂していた。

右表のように、1944年3月~4月のプリンストン大学の調査では、本土にいて、実際の日本軍と対戦していない将兵の67%が、「日本人を一掃せよ」と答えている。

表中、カッコ内の数字は「ドイツ人を対象にした場合」であり、ドイツ人に対しては「(ヒトラーら、ナチスの)指導者を罰せよ」との答えが多いのに対して、日本の場合には、日本人全体への憎しみが大きいことが見て取れる。

このことは、米国人の、有色人種である日本人に対する人種偏見もあるであろう。が、1937年12月、南京攻略戦の折の米軍艦パネイ号誤爆事件では、日本軍が即刻誤爆であることを説明し、謝罪したことで、ニューヨーク・タイムスなど新聞は書き立てたものの、大事には至らなかった。

してみれば、やはり「卑劣な計画的騙まし討ち」の汚名だけは、何としても雪いでおかねばならなかったはずである。

開戦の日の夜、外部との接触を断たれた大使館では、手交遅延の大失態を犯してしまった野村大使が、事の重大さに耐え切れず自殺を図るのではないかと、磯田陸軍武官や横山海軍武官らが心配し、大使の寝室を交代で見張った。後に磯田がそのことを野村に言うと、野村は、しかし、意外そうに言ってのけた。

「私はなぜ自殺などしなければならないのか。私は外交官である。」

野村は、何の責任も、痛痒も感じていなかったのである。考えてみれば、「手交遅延の大失態」の自覚を持てるようなら、そもそも「手交遅延」自体が発生していなかっただろう。コーデル・ハルが言ったように、清書が間に合わないのなら、とにかく指定された手交時刻に米国務省に行き、ハルに面会し事情を説明するべきだった。そうすれば、「日本は事前通告をしようとしていた」ということは事実として残ったのだ。

無能力なうえに、厚顔だったのか、野村は戦後、参議院議員を二期も務めている。が、無能厚顔は野村だけではない。国の一大事に緊急態勢を敷かなかった参事官の井口貞夫、そして重要文書のタイプ打ちを放って、外に遊びに出掛けた奥村勝蔵は、それぞれ、1951年、1953年、講和締結の前後に、吉田茂によって、外務官僚の最高位である外務次官に抜擢されている。

MacArthur and Emperor Showa

1945年9月27日、奥村勝蔵参事官は、第一回マッカーサー・昭和天皇会談に同行した宮内大臣ら6人の中で、何故か只一人会談に同席して、通訳を務めた。

天皇は真珠湾攻撃の「騙まし討ち」を遺憾に思っていた。東條に騙された、と怒っていた。手交遅延の真相を知らされていなかったからである。

真珠湾の件を遺憾に思っている、とマッカーサーに伝えた後で、昭和天皇は、「しかし、日本の戦争行為の一切に対し自分が全責任を負う」と発言した。マッカーサーが自伝に書き、奥村も確かにそうおっしゃった、と証言している。

手交遅延の件をご存じであったかどうかは、民を思う天皇のお気持ち自体に、何ら変化を与えなかったであろうが、それにしても、「日本が卑劣な行いをした」場合と「正々堂々と戦いを挑んだ」という場合では、当然後者の方が、敵軍の将にまみえる天皇のお気持ちは、遥かに軽かったであろう。そのことに、奥村は思いを致したであろうか?

井口貞夫は、ダレス米講和特使と吉田茂首相が、平和条約と日米安全保障条約について会談を行ったときの外務次官であった。

1951年2月9日、井口貞夫外務次官とアリソン(John M. Allison)公使により関連文書への「イニシアル(署名)」が行われ、これらの文書は後の平和条約、日米安全保障条約および日米行政協定の基礎となった。(ちなみに、このアリソン公使とは、日本軍による南京占領下の1938年1月26日「アリソン殴打事件」の、あのアリソンのことである。)

真珠湾の真実に関わる二人が、戦後レジームの構築時にも、日本外務官僚の長として関わったことは、何を意味するのだろうか?

確かに言えることは、吉田茂は、外務省の戦争責任を隠した、ということである。これは吉田の「政治的犯罪」(『外務省の罪を問う』杉原誠四郎)であった。

ダレスが再軍備を要請した時も、『日本国憲法』の無効を宣言して、占領下の不正を糺し、大日本帝国憲法下の、正常な日本に戻すチャンスがあったのにそれをせず、「警察予備隊」でお茶を濁し、その後はGHQの占領政策を事実上引き継ぐ政策をとってゆく。

外務省は、この後も「1982年教科書検定『侵略書き換え』誤報事件」で、積極的に中韓の内政干渉を常態化させ、「近隣諸国条項」等というものを作って、教科書検定という国の主権を中韓に譲り渡すという犯罪を犯した。

「1987年大韓航空機爆破事件」では、逮捕した金賢姫を日本の官憲で取り調べていれば、北朝鮮による日本人拉致事件の解決にも繋がったかもしれぬのに、それをあっさりと韓国に引き渡してしまったし、ODAに関しても、外務省の「屈服外交」の下、中韓などは「日本悪玉史観」を持ち出しつつ、「戦後賠償」として日本から金を搾り取り続けようとしている。2015年にも、外務省は安倍首相に「日中共同宣言に『村山談話』は継承してゆく、とあるのでこれを否定することはできない」とレクチャーし、安倍談話をあのような腰砕けのものにしてしまった。

吉田茂は、日本の経済の立て直しを優先したのかもしれない。だが、それは間違いだったと、日本人は気付かねばならない。日本人が欲しいのは金ではない。経済の発展だけで、日本は幸福になれない。

戦後、働き者の日本人は働いて、働いて、高度経済成長を果たした。GDPは上昇し、世界有数の金持ち国になった。だが、日本人は世界から嫉妬され、「エコノミック・アニマル」と軽蔑された。

合理的な中国人なら、「金儲けして何が悪い」と気にしないであろう。しかし日本人は嬉しくなかった。

日本人は働くのは好きだ。日本人は、一獲千金の狡賢い金儲けを嫌う。「成金」と呼んで軽蔑する。そんなに金持ちになれなくとも、「働き甲斐」のある仕事がしたい、と大部分の日本人は考える。日本人ほど、低賃金のいわゆる「ブルーカラー(非頭脳的)」労働にも頭脳を使い、工夫を凝らして習熟し、誠意をもって一生懸命に働く人々はいない、と思う。

だから日本社会は住み心地が良い。日本に行ったことのある外国人は、口を揃えて言う。「街が清潔だ。食べ物が最高に美味しい。痒い所に手が届くサービスが素晴らしい。人々が親切だ。日本が大好きだ!」

大東亜戦争でも、実際に日本兵と戦った米将兵は、日本兵の軍隊としての戦闘力の高さと、それを支える愛国心の強さに舌を巻いていた。

1944年11月15日、米国戦争省・情報省発行の『日本陸軍に関する軍人の案内書:The Sodier’s Guide to the Japanese Army』は、緒戦の頃に米兵たちの間に広がった「無敵の日本兵」神話を破壊するために、こう書いた:「日本兵はアメリカ兵に比べて体格が小さく、平均身長は160センチに満たず、体重は55キロしかない。四肢は短く、太い。彼らは素早く機敏だと評判だが、その実、かなり訓練を積んでも不器用である。」だが、同書の終盤にはその形容は一変する。

「(戦闘中、平均的日本兵は)強く、頑丈である。攻撃時には、日本兵は決然と、自己犠牲も厭うことなく突き進む。攻撃作戦に従事する時、日本軍の歩兵は終始その計画に従う__もしも多くの死傷者が出て作戦の変更、或いは作戦自体を断念しなければならない事態となってしまったとしても…。個々の日本兵の大胆さ、勇猛さは、彼が仲間とともにいる時、そして彼の部隊が地勢と火力で優位に立っているとき、頂点に達する。日本兵はカモフラージュのエキスパートであり、敵を惑わし、ひっかけることにかけてはピカ一である。日本軍の歩兵は命令に忠実に従う。彼等の訓練、規律は、夜間作戦に於いて特にその真価を発揮する。防御においても、彼等は勇猛果敢であり、規律正しく、射撃統制は卓越している。(塹壕やトンネルなどの)野戦築城の抵抗戦では、日本軍は狂信的とも思える頑強さを見せている。」

“[in battle average Japanese soldier was] …strong and hardy. On the offensive he is determined and willing to sustain sacrificial losses without flinching.When Committed to an assault plan, Japanese troops adhere to it unremittingly even when severe casualties would dictate the need for abandonment or modification of the plan. The boldness and courage of the individual Japanese soldier are at their  zenith when he is with his fellows, and when his group enjoys advantages of terrain and firepower. He is an expert at camouflage and delights in deceptions and ruses. Japanese troops obey orders well and their training and discipline are well exemplified in night operations. On the defense they are brave and determined; their discipline is good and their fire control excellent. In prepared positions the resistance of Japanese soldiers often has been fanatical in its tenacity.”

数日のつもりで攻めてきた米軍を相手に、2か月半も抗戦を続け、日本軍1万人余、米軍2,300名の戦死者を出した太平洋の激戦地、ペリリュー島には、キンメル大将の後任であるニミッツ太平洋艦隊司令長官によるものと言われる碑文がある。

「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本国人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ 米太平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ」
“Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island. Pacific Fleet Command Chief(USA) C.W.Nimitz”

尊敬しあう軍隊は正々堂々と戦う。日本軍も米国軍も、現場の兵士達は、どちらも大義の為、国の為に命を捧げた。不義は、両国を動かす立場の者の中にあった。

日本の2000年余の歴史と伝統、その「結晶」としての「天皇」というものに無知な国際共産主義者達が、ルーズベルトに対日戦争を仕掛けさせた。

同じ無知が、GHQと極東委員会をして『日本国憲法』という呪いを日本に掛けさせた。

自己保全と省益追求しか頭にない亡国の外務省が、「真珠湾」の「未必の故意」により、米国民の怒りを暴走させ、遂には日本人WIPE OUT__原爆投下に「正当性」を与えた。

「平和」の真の敵は、「無知」と「私利」なのだ。

「平和憲法」と左翼が呼ぶ『日本国憲法』は、その前文と9条で、「日本は軍隊を持たせると危険な邪悪な国だ」と宣言しているが、「平和憲法」信奉者は「9条は日本人が自ら戦争を永久に放棄し、戦力を保持しないとしたことを宣言した平和の象徴。これを変えよう、無くそう、というのは『戦争がしたい』と言っているのと同じ」といって純真な日本人を騙し、脅している。

教科書検定は、日本人が、「『日本国憲法』は無効なのでは」と疑わないように、公民教科書を検閲し、『日本国憲法』の成り立ちの真実を隠蔽し、日本国民を「無知」の状態に置くことに汲々としている。

一方で、『日本国憲法』を押し付けた側の米国でも、その国民を「無知」の状態に置くという構図は変わらない。米国の歴史家らが東京裁判史観を振りまいているせいで、米国民はいまだに「真珠湾の非道のせいで日本は原爆を落とされた。原爆は日本の暴虐から世界と日本人を救った」と思い込んでいる。

連合国の犯罪__『日本国憲法』制定と『東京裁判』史観による洗脳__を巡って、戦後、100万の人間が100万の嘘を、100万回言った__「戦後レジーム」とは、そういうものであった。いまや私達の誰もが、「無自覚の共犯者」になってしまっている。

ナチの宣伝相ゲッベルスは「嘘も100回言えば本当になる」と言ったが、しかし、それこそが究極のプロパガンダであった。嘘は100万回言っても真実にはならない。そのことに、私たちは気付くべきだ。

私たち庶民は、自分と家族のささやかな生活を護らねばならない。だが、嘘をついてまで、国を亡ぼしてまで、魂を売り渡してまで、金持ちになどなりたくはない。

そう思うのが、日本人だ。今の日本はそうでなくなっている、だから以前はあったはずの、日本の美しい魂を、とりもどしたい、そう願うのが、日本人の愛国心というものだ。

米国にも、偽善的で欺瞞に満ちた「原爆投下正当論」を心苦しく思っている人々がいる。彼等も、正しいことをしたいと願っている。

「倫理観の革命(moral revolution)が必要だ」といった草の根社会主義者オバマも、そう願っているだろうか?

「戦後レジーム」は、日本だけでなく、米国の誇りも傷つけている。知らないうちに、「嘘つき」「犯罪者」呼ばわりされているのは米国民も同じだからである。

日本人が覚悟を決めれば、日本と米国の、真実の和解はなる。「無知の知」を知り、真実を知ることで、「戦後レジーム」という軛を破壊し、日本人も米国人も、本当の自由を得る。

『日本国憲法』と『GHQ皇室典範』の無効を天皇に宣言していただき、大日本帝国憲法と明治の皇室典範が現存していることを、全日本国民が確認する。全世界に向けて、それを周知する。

それをしてよいかどうか、連合国に伺う必要はない。そんなことが必要だと言う示唆があった時点で、それが日本全体に対する、日本固有の自然権の蹂躙であるという証拠になる。

日本は、全てのことを、世界中の衆目の中で堂々と、そして粛々と行えばよい。

日本は、謝罪も賠償も求めない。求めているのは、真実と、明治維新以来日本人が欲してきた、世界の中の「名誉ある地位」だけだ。日本人は謙虚に、只ひたむきに、それを達成する。世界にそう知らしめるのだ。

大日本帝国憲法現存の確認によって、日本は立憲君主たる天皇を取り戻す。

天皇という「至高の権威」に政治的権力__『不裁可権』という「政治権力の暴走への歯止め」を取り戻す。「不裁可しないのが憲政の常道」であるが、「立憲君主」であると同時に、日本国の危機に際しては「万民の父母」として、国民に正しい道を示してきた天皇による「不裁可の可能性」を自覚させることで、近年目に余る議員・官僚の不勉強とでたらめを減らしてゆくことができるだろう。

大日本帝国憲法下の刑法__GHQに削除された「利敵行為」条項__も復元することで、現在の日本に跳梁跋扈する、日本破壊工作従事者達に、極刑の可能性を示唆することができる。

東京裁判が歪めた歴史の、真実の姿が明らかになれば、「一億総前科者」の汚名は雪がれ、日本人はその勤勉さ、向上心を、晴れ晴れとした心持で各処に発揮することができる。

「万世の為に太平を開く 総力を将来の建設に傾けん」と昭和天皇の終戦の勅語に言われたように、国民の全エネルギーを、いまやっと、「本当の戦後」「新しい日本の建設」の為に注ぐことができるのだ。

教育勅語も復活し、人としての正しい道を教えられる子供たちは、いじめなどという卑怯な行いは、みっともない、恥ずべきことだと、知るであろう。

立法府の議員は、その全エネルギーを、大日本帝国憲法の、現在の日本の状況にあった運用方法を、考えることに集中させることができる。GHQによって廃止させられた貴族院など、復元するのかそれとも今の時代に合った新しい制度を、作っていくべきなのか、といった重要なことを考えることができるようになる。

喫緊の問題である国防についても、大日本帝国憲法復原後の日本では、より現実的な議論ができるようになる。自衛隊は晴れて普通の軍隊になり、また、増加する侵略の危機と、自然災害の頻発の可能性に対応し、「災害救助隊」の別個新設が必要になるかもしれない。

必要ならば、天皇がその大権を行使し、大日本帝国憲法の改正を発議されることであろう。

BREXIT 3
『インディペンデント』紙 2016年6月24日  (黄色=離脱、青色=残留)

2016年6月23日、英国はEUからの離脱か残留かを問うて、国民投票を行った。結果は52%と48%の僅差で「離脱」となったが、このBREXITは英国内の階級・格差社会、移民と地域社会との軋轢の問題点を浮き彫りにするとともに、それが国際社会の争点の縮図であることの再確認にもなった。

「離脱=反EU」派vs「残留=親EU」派とは、そのまま「国家主権奪還」派vs「グローバリスト国際金融資本家=国際共産主義者(=テロ支援)」派であった。

国際金融資本家=ロンドン・シティの銀行家達に代表される成功者=「持てる者」がもっと儲けたい、そのためにはEUに残留した方が都合が良い、そんな本音が透けて見えるキャンペーンでは、「英国ビジネスに主権を取り戻したい」「移民に手厚くし過ぎ」「英国に貢献してきた老人など、英国民の弱者を先に救済してほしい」という、「持たざる者」=労働者階級を納得させることはできなかった。

来年はロシア革命から100年。1989年に一応の決着を見たとされる第二次冷戦の後も、世界は「国際共産主義=国際金融資本主義」vs「自由主義的民主主義=民族自決主義」の構図のまま推移している。

「連合国正義の味方史観」は、米国の日本占領における犯罪を隠すだけでなく、第二次世界大戦後のソ連・共産中国・韓国の日本国領土の侵略行為を助長している。侵略された日本国土はこれら「仮想敵」のさらなる日本侵略拠点となる。

中ロ韓北の太平洋進出の防波堤を、日本が果たしている地政学的立場を考えれば、日本に誇りを取り戻させ、大日本帝国憲法下のプロパーな日本軍との、誠意ある対等な同盟に切り替えることの、米国の利益は小さくはないはずだ。

国際共産主義を利する「戦後レジーム」を打破することは、日米両方の利益となる。

日米同盟は、大日本帝国憲法を復原して初めて、対等な同盟に生まれ変わる。

日本は米国に、謝罪も賠償も要求しない。但し、『日本国憲法』無効・大日本帝国憲法復原の移行がスムーズにいくよう、中ロへの牽制等の支援はしてもらう。

国際法には「誣告罪」を加え、プロパガンダ戦にきちんと対応できる体制を整えることも必要だ。国連は拒否するであろうが…。

「誣告罪」「日本の安保理常任理事国入り」「敵国条項削除実効化」…。これらを拒否する国連には、自浄作用がなく、彼らの言う「人権」にも腐敗臭が漂い始めている。日本が国連を脱退し、台湾と、米国と英国の反共保守派を誘って新組織を立ち上げることも視野に入れてゆかねばなるまい。アジアの、大東亜戦争で日本が独立に協力した国々、捕鯨で日本に味方してきたアフリカや地中海の小国群は、日本についてくるだろう。新しい大東亜共栄圏を、覇権主義の中国中心でなく考え直すには、復原された大日本帝国憲法下の、まともな法制に裏打ちされた誇りある「新皇軍」が必要だ。

「私達はひとつの人間の家族である__過激だが必要な考え方だ__そしてそれこそが、私たち皆が語るべき物語なのだ。」

“…the radical and necessary notion that we are part of a single human family; that is the story that we all must tell.”

連合国と『日本国憲法』が否定した「八紘一宇」__世界を以て一つの家と成す__の精神が、日本と米国をともに照らし出すとき、私達は本当の友情と信頼に包まれているのを知るだろう。

そのとき、「広島」は、私達をしっかりと結んでくれた、心の絆のなまえとして、記憶されることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「天皇制打倒」を謀る国際共産主義者の呪詛である『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』を有効とする改正では、連合国への隷従が永続する__「至高の権威」「立憲君主」たる天皇の復活で、日本の誠をとりもどす

日本は、『大日本帝国憲法』と明治の『皇室典範』という、立派な対の服を追い剥がれ、架空の『憲法』と『典範』という「バカには見えない服」を着せられた、「裸の王様」____「憲法改正」ではなく「『日本国憲法』無効宣言」で、『大日本帝国憲法』という服と、正義の剣を取り戻し、世界を真実の光で照らし出す

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戦後70年余、天皇をはじめとする全日本人の「人権」は蹂躙され続けてきた

『日本国憲法』の事実上の制定者は連合国であるにも拘らず、未だに「確かにGHQが憲法草案を作ったが、それを叩き台にして『日本国憲法』として制定したのは日本人自身だ」という「連合国史観」が幅を利かせている。

南シナ海や沖縄・尖閣諸島周辺での、中国共産党の「海洋帝国」への拡張主義が顕わになるにつけ、日本人の多くが「9条の平和主義では国を護れない」という至極当然の結論に達し、憲法改正の機運が高まってきている。

だが、「憲法改正」が本当に正しい道なのか?

日本人は、「『日本国憲法』が日本の本当の憲法である」と、いまだに信じ込まされている。「日本は悪虐非道の侵略国だった」という連合国の嘘を、いまだに本当だと思っている。戦争中、中国に酷いことをしたのだから、未来永劫謝罪し、中国の言うとおりにするのが「誠意」だと思っている。そんな邪悪な日本を「成敗」した連合国は「民主主義的中立国の集合体であり、『国際倫理の権威』たる正義の味方」だと思い込まされている。

『日本国憲法』は、サギ師の仕立て屋=連合国が、「バカには見えない服」といってお人好しの日本に「着せた」、まやかしである。

日本人の中には、そのまやかしに気づいてはいるが、「バカ」と呼ばれたくなくて「見える」ふりをし、サギ師の片棒を担いでいる情けない人々もいるが、大方の日本人が「王様の新しい服は無色透明の服。だって当の王様が『服だ』といって着ているのだから」と妙な納得の仕方をしている。「王様も、気にしている様子がない。だからいいじゃないか」と。

だが、日本人は知らないだけだ。連合国は日本人を巧妙な嘘で騙し続けている。彼らはまず天皇と日本政府を脅して絶対に連合国の嘘を告発しないと誓約させておいて、日本人全体を「日本悪玉史観」で洗脳し、連合国史観で書き換えられた教科書で教育した。70年も経つうちに、真実を知るものは少なくなり、また学校で習った「連合国史観」に全く疑いを持たず、それを「真実」と思い込み、「被害者=中国」への「加害者=日本」としての「贖罪感」を叩きこまれた世代が、いま日本の政治・行政・教育・経済・メディアの中枢にいる。いわゆる<団塊の世代>である。

団塊の世代は戦後のいわゆるベビー・ブームの生まれで、当然実際の戦争は経験しておらず、子供時代に占領下の不自由さを経験し、GHQの教科書で教育され、感受性の強い青春時代に二度の安保闘争を経験し、理想主義としてのマルクス主義の洗礼を受けた人々だ。

70年安保騒動の描写がある村上春樹の『ノルウェーの森』のように、純粋さと計算高さ、勇気と卑怯さがないまぜになった、複雑な青春時代がそこにはあったのだろう。(そういえば村上春樹は、『1Q84』で主人公の青豆に「満州鉄道」についての本を読ませ、「(満州鉄道は)大日本帝国の中国侵略の尖兵」と断じた。サブリミナルな連合国史観プロパガンダだ。こうやって世界のムラカミハルキ・ファンが「日本=侵略者」を刷り込まれている。)

団塊の世代を一人悪者にするつもりはないが、1993年8月、「先の大戦は侵略戦争であった」と公式に発言した細川護熙元首相のように、祖父・近衛文麿元首相の「日支事変の拡大と仏印進駐は自分の政治的誤りであった」との反省の辞を、「侵略戦争だったとの告白」と曲解するほど、GHQの洗脳教育はある人々の脊髄にまで浸透していた。

実のところその「近衛の反省」とは、コミンテルンのスパイであった尾崎秀実ら複数の国際共産主義者を側近に置き、軍部が必死で休戦協定を模索しているときに「国民党政府を対手とせず」声明を出してぶち壊し、満州の関東軍を集結するソ連軍の前から引きはがして、泥沼の中国戦線・飢餓の東南アジア戦線へ送り込んだことを、後に昭和天皇への上奏文で告白したように、「自分(近衛文麿)は共産主義者らにいいように操られていた」との反省のことであった。

だが、細川護熙はそれを「先の大戦は侵略戦争であったと裏付けるような発言」と曲解した。同様に、「慰安婦問題」で河野談話を出した河野洋平元官房長官も、「日本は侵略国だからそのぐらいのこと(慰安婦強制連行)はしたはず」という先入観で、日本の政府高官としてあまりに軽率に「在りもしない罪を認める」という重大な売国行為を犯してしまった。

 

左翼教育はカルト宗教と同じで、教祖の言うことだけを正しいと思い込むよう洗脳する。オウム真理教が「浅原教祖の教えに背けば無間地獄に落ちる」と信者に叩き込んだように。左翼の場合は「右翼の言うことに耳を傾ければ無間地獄に落ちる」だし、『日本国憲法9条』教は「日本国憲法の否定は平和の否定」「9条反対者は軍国主義者」と、完全に連合国史観の保存がその教条となり下がっている。

だが、カルト宗教は人類普遍の原理とはなりえない。国際共産主義者らが「人類普遍の原理」と呼ぶ「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の左翼三大原則は、一見誰も反対できない「正しい考え」のようであって、実は独裁者の台頭を招来する謀略三原則だ。

このような予備知識なしに、『日本国憲法』の7原則から、むしろ自由主義的な①間接民主主義又は議会政治②天皇制③三権分立④法治主義を差し引いて、上記の左翼三原則を残した、もっと国際共産主義寄りの「自民党憲法改正草案」を、『日本国憲法』を有効扱いして改正してまで選び取ることを、国民に半ば強制するようなことが、今行われている「美しい日本のための自主憲法制定」「憲法改正」推進運動の背後にある。

民主主義の根幹とは、国民の投票行動により、国民が正当に選ばれた代表を通じて、国民の意思決定を国政に反映することにある。これは、国民の「知る権利」の充足があって初めて成立することである。

政治の主体となる国民が、何かを選択するときに、それぞれの選択肢についての、必要不可欠な情報全てを開示され、充分な議論を経て熟考する時間が与えられて初めて、有意義な投票行動が可能となる。

翻って、日本の現状をみるに、いまだに連合国史観=東京裁判史観を信奉するものや、「天皇制打倒」を掲げる国際共産主義者とそのお先棒担ぎらによって、「『日本国憲法』無効論」というオプションの存在どころか、そもそも『日本国憲法』の成り立ちが連合国史観という嘘にまみれた恥ずかしい代物であるという事実すらも、国民から隠し通されている。

いまだ国際共産主義者による検閲と、プロパガンダによる洗脳が横行する日本には、自由主義的民主主義はない。

教科書検定官が、公権解釈も学習指導要領も、学説すらも無視して公民教科書執筆者に左翼全体主義的記述を強いるという、事実上の検閲が行われている日本は、「言論の自由」「教育の自由」を弾圧されている。しかもその事実の認識すら、国民にはない。

これはもう、ファッショだ。

戦後ずっと、日本が解放された、と言われたそのファッショに、連合国によって日本全体が沈められてきたのだ。ジョージ・オーウェルの『1984』の世界が、日本に半分実現している。

 

「『日本国憲法』無効論」を知ることは、日本国民の権利である。

「『日本国憲法』無効論」を知らせることは、日本国民の義務である。

「『日本国憲法』無効論」とは、『日本国憲法』の成立過程の真実など、日本国の命運に関わる核心的事実の数々を徹底検証することである。

国際共産主義者は、自らの思考停止癖を他人にも押しつけ、徹底討論を避ける傾向があるが、少なくとも以下に挙げる事実は周知され、公議公論に付されるのが民主主義というものである。国際共産主義者の反論、それへの再反論は、公開討論の場でなされるのが望ましい。

事実その① 連合国の中枢の本質が、国際共産主義者であるということ。国際共産主義者の本質は「詐欺師」「扇動家」である。お人好しでナイーブな日本人が想像もできないほどに悪辣で、しかも用意周到な、プロの犯罪者集団である。

事実その② ロシア革命以後の20世紀の戦争__特に満州事変に始まり、泥沼の支那事変を経て対米戦争に至り、日本に滅亡の淵をまざまざと見せつけた、「あの最後の戦争」___は、国際共産主義者が謀略により起こしたものであるということ。

事実その③ 連合国の日本占領の究極目的は、日本から「世界に比類なき2600年の歴史に裏打ちされた、万世一系の天皇」を奪い、日本を物質的・精神的に完全武装解除したうえで滅亡させることであった。

事実その④ その目的を遂行するために制定された『日本国憲法』と『占領典範』は、天皇弾圧・皇室断絶の装置である。

事実その⑤ 「象徴天皇制」「国民主権」は、事実上の「立憲君主国」である日本の元首(sovereign=主権者)即ち「立憲君主」である天皇から「至高の権威」を奪い、日本の政体を「疑似『無政府(アナーキー)』状態」といえる状態にしている。

事実その⑥ 『日本国憲法』の謳う空疎な「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の左翼三原則と、左翼の「立憲主義」・左翼の「民主主義」が、国際共産主義者独裁による世界制覇をひそかに推進している。

事実その⑦ 「日本の国体」=「万世一系の『至高の権威』であり、『仁政』を行う『万民の父母』である天皇を中心とした世俗国家」と、立憲君主制を融合した『大日本帝国憲法』下の日本こそが、国際共産主義独裁に対する最後の砦である。

「至高の権威」=天皇の存在が、日本の歴史上、独裁者の台頭を防いできたという事実は、日本が有色人種の国で初めて近代憲法を持ち、立憲君主国として「富国強兵」に成功した事実と相まって、日本を国際共産主義者の「排除すべき敵」となさしめたのは、当然といえば当然のことであった。

「第二次世界大戦は『ファシズム』対『民主主義』の戦いであった」と、最近とみに中国とロシアが喧伝している。が、それは「『国際共産主義者』対『自由主義』の戦い」或いは「知らないうちに進んでゆく『国際共産主義の世界侵食』と、それに対抗する勢力の抵抗」という裏の真実から人々の注意をそらすためのレトリックだ。

20世紀、戦争は思想戦・プロパガンダ戦・情報戦になった。

前世紀の戦争のように、「どの国とどの国が戦っているか」という表面に気を取られていると、本当の敵が誰かを見失う。日本国内の国際共産主義者が、「日本軍が日支事変前に中国にいたことが、『侵略』だった証拠」などと盛んに言うのも、実は国際共産主義者達は、既に日本政府の中枢に食い込んでおり、ソ連の南下政策を遂行しやすくするため、そして中国国民党に殲滅されかけていた中国共産党の延命を図るため、日本を広大な中国大陸で中国国民党と戦わせることが、コミンテルンの謀略であった、という事実を隠すための目くらましである。前述の近衛文麿の「政治上の誤り」はその氷山の小さな一角に過ぎない。

 「大日本帝国憲法は『天皇制強権支配』『侵略的軍国主義』など諸悪の根源である、だから日本は新しい、民主的な憲法を持たねばならない」という理由で、『日本国憲法』は制定された。だが、『天皇制強権支配』『侵略的軍国主義』など、根拠のない言いがかりに過ぎなかった。

ただの言いがかりを理由に、日本は大日本帝国憲法を簒奪されたのだ。国体改変を含んだ「まやかしの憲法」のお陰でGHQの洗脳も解けず、日本と日本の歴史と伝統を体現する天皇の存続を危うくしていることにも気が付かないでいる。ゆっくりと茹でられているのも知らず、「いいお湯だ」と、「お風呂を沸かしてくれた」連合国に感謝さえしている。

2016年5月18日に行われた安倍晋三首相との党首討論で、民進党の岡田克也代表は、憲法9条の平和主義について、「集団的自衛権の行使を全面的に認めることにしたとき、憲法の平和主義は壊れる。絶対に認めるわけにはいかない」と、自民党憲法改正草案が9条改正案が「自衛権の発動を妨げるものではない」と定めていることを批判した。(朝日新聞2016年5月19日『憲法9条の平和主義巡り党首討論』)

岡田氏の言っていることは、「全世界の如何なる国も当然持っている『自衛権』というものを、日本にだけは絶対に認めない」と言っているのと同じだ。連合国側に立って、傲慢至極に「厳命」しているのだ。

「(自衛権を認めてしまえば)『日本国憲法』の平和主義が壊れる」とは、言い換えれば、「連合国が持ってはいけないと命令した自衛権を持つ、つまり連合国の命令に逆らうと、日本の平和は壊れる=連合国が日本を攻撃し完全破壊する。(敵国条項により、国連決議なしですぐに攻撃できる)」という、ポツダム宣言にも見られた連合国お得意の脅迫である。まるで自分の所有する奴隷に対するかのごとき傲慢さではないか。それを岡田克也は偉そうに代弁しているわけである。

これに対する安倍晋三首相の反論も、「東京裁判史観」を踏襲しているという点で、岡田氏と五十歩百歩である。「必要な自衛の措置しか我々はとらない。侵略は二度としない」「自民党草案でも平和主義が貫かれていることは間違いない」……。

「必要な自衛の措置しか我々はとらない」の「必要な自衛」とは何だろうか?安倍氏が首相で自衛隊最高司令官の時は大丈夫かもしれない、だが菅直人ら民主党政権時代の悪夢を思い起こそう。鳩山由紀夫のように、「日本は日本人だけのものじゃない(だから中国が日本を盗ってもそれは侵略じゃない?)」「中国や韓国、北朝鮮に対する自衛は必要ない」と考える政権がまた出現しないと、誰に言えるのか?

賭けてもいいが、次に「失敗だった」と気づいたときは、日本は既に「中国領日本自治区」になっている。

『日本国憲法』の「平和主義」が日本を武装解除し、国際共産主義国の侵略に抵抗できない国にするための「戦争しない・侵略者に抵抗しない主義」であることは、国民の多くが気が付いている。

だが、「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」が国際共産主義の全体主義的三大原則である、との認識はまだあまりない。

「国民主権」とは、国家統治の最高権力を、人気投票で選ばれた人物にも委ねる可能性を意味する。

ヒトラーが「民主的に、合法的に」ワイマール共和国憲法の「国民主権」の下で政権掌握した例が最もわかりやすい。

『日本国憲法』と「自民党憲法改正草案」によるその改正憲法は、独裁者を生む可能性があるが、『大日本帝国憲法』下の立憲君主であり、2600年の歴史に裏打ちされた「至高の権威」である天皇の存在はこれを許さない。

ワイマール憲法の「国民主権」は、日本の天皇のような最高権力を制することのできる最高権威の存在を持っていなかった。

それこそが、『日本国憲法』改正ではなく、『日本国憲法』無効宣言でなければならない最大の理由である。

「象徴天皇」という無力な存在でなく、「行使しないが『不裁可』できる、必要とあれば『拒否権』を行使できる」=「独裁者の台頭を阻止できる」立憲君主たる天皇の「至高の権威」を、『大日本帝国憲法』復原によって取り戻す。

国体そのものが主権であり、天皇がそれを体現する日本__日本の真実の姿__を、とりもどす。

劣化した国会議員の資質向上のためにも、「天皇の御前で議論する」という重圧感、責任感を持たせる以上に効果的なことはない。日本の国会議員は日本の為に仕事をするという、当たり前のことを思い出させる。(大日本帝国憲法復原によって刑法の「利敵行為」条項もまた復原できる。)

第一次安倍内閣で「戦後レジームからの脱却」を唱えた安倍首相は、戦後70年談話に続き、「東京裁判史観」踏襲へ舵を切った。「愛国的現実主義者」(田崎史郎『安倍官邸の正体』)である安倍首相は、「現実的に考えて、『日本国憲法』無効論は無理だから、祖父・岸信介元首相の悲願でもあり、なんとか9条だけでも改正を」と考えているのかもしれない。だが、これは菅原裕氏の言うところの「漸進的改憲論」であり、憲法無効論への「現実主義的反対論」である。

漸進的改憲論

一時に全面的改正では困難だから、少しずつ、改憲していって、漸次に帝国憲法に復活すればよい、という説である。すなわち根本的に無効だといっても、簡単に復元の実現はできないから、それよりも第九条とか、第九六条とかを逐次に改正して、帝国憲法復活の実効を挙げたがよいという考え方である。

これは自ら占領憲法無効という大義名分を放棄して、一つずつ改正して目的を遂げんとする現実主義的考え方だが、こと憲法に関する限り、こうした方便論はとるべきでない。

なんとなれば、憲法が筋道を立てないと、他の法律は、みな便宜主義に陥り、国家の正義も立たず、復興も期し難いからである。

ことにこの種の論者は、第九条だけに重きをおき、第一条の国体論に触れることを避けているところに、わが国の憲法に対する建設的意見とはいい難い。

(菅原裕『日本国憲法失効論』p.94-95)

民進党岡田代表との討論で、安倍首相は「侵略は二度としない」と言った。つまり、「先の大戦は日本の侵略戦争であった」という連合国史観に迎合してしまった、ということだろう。細川護熙元首相の自虐史観まで、日本は後退してしまったのだ。

安倍首相が、国際共産主義者の日本弱体化経済工作によって、窮地に陥った経済立て直しを優先しているのだということはわかる。アフリカ諸国やインド、東南アジアなど対中国で共闘できそうな国々との、中国を牽制するための全方位外交も、安倍首相ならでは。多くの保守論客が安倍晋三氏を傑出した宰相であると褒め称えることに、異論はない。

だが、第二次安倍内閣成立を喜んだ多くの日本人は、「美しい国、日本を取り戻す」「戦後レジームからの脱却」を、安倍さんならやってくれる、それが実現する日が本当に来るのだ、と希望を抱いたはずだ。

それなのに、その希望はもろくも潰え去った。その代わりに憲法改正?それではだめなのだ。

安倍首相しかできないことが、まだある。天皇陛下に上奏して、『日本国憲法』と『占領典範』の無効宣言、『大日本帝国憲法』と明治の『皇室典範』の復原宣言を、お願い申し上げることである。

安倍首相の「変心」は外務省の「指示」であるらしい。藤岡信勝氏によると、外務省が「1998年の日中共同宣言の中に『村山談話』を『遵守』するという文言があるから、村山談話を否定することはできない」とレクチャーしたのだそうだ。(藤岡信勝 『誰が歪めた!!「安倍談話」』『歴史通』2016年1月号)

ここでも、自由主義的民主主義=議会制民主主義の大原則__国民の選んだ国会議員が国政の在り方を決め、官僚はそれを行政の場で実務的に実現する__が逆転現象を起こしている。

大臣=政治家より官僚のほうがカシコイから、大臣が国会で読み上げる答弁書を官僚が代筆する、とかいうレベルの話ではない。国民が望む「一億総前科者」からの脱却を、やっと実現してくれそうな首相が現れたと思ったら、役人の分際でそれを阻止している、というのだ。

こういうことを許していてはいけない。私は国民の一人として、異議を申し立てたい。

外務省は、1941年12月、ルーズベルトに「屈辱の日」演説の材料を与えた、「真珠湾攻撃の20分前になされるはずだった宣戦布告文書(「帝国政府の対米通牒覚書」)の手交の致命的な遅延」についての説明も国民にしていない。国会議員にはある説明責任はないが、日本の命運にかかわる事柄について、国民の要望にも反する「指示」を首相に出す権限はあるというのだろうか?

これは民主主義ではない。官僚独裁の寡頭政治・側近政治ではないのか?

『日本国憲法』と『占領典範』は、日本人を幸福にしてくれていない。寧ろ、天皇ともども日本国民の人権は蹂躙されている。

この軛を取り除いてくれるのは、ひとり、立憲君主としての天皇のみである。

立憲君主であり「万民の父母」である天皇を、日本は取り戻したい。

そのために、『日本国憲法』と『占領典範』の無効宣言は、なされなければならない。

(2016年10月8日編集)

 

 

「日本人の魂の武装解除」:GHQ検閲リスト30項目で連合国が隠したかったこと

戦勝国アメリカは「封建主義によって抑圧された日本人を指導し、自由と民主主義への栄光ある道を歩ませる」と意気揚々と日本に乗り込んできた。「文明的支配者」として「野蛮な後進国・日本」を「調教」する為に、アメリカ占領軍はやってきた。

だが、実際にGHQが日本占領中に行ったことは、自らの戦争犯罪「無辜の非交戦者の非道な手段による殺害」=「人道に対する罪」を糊塗するために、検閲・洗脳を以て日本の歴史を捏造し、伝統を破壊すること、そして日本人が二度と米国と連合国に歯向かわないよう物理的・精神的に、永遠に武装解除することであった。

そのために占領軍はWar Guilt Information Programという洗脳工作を実施した。これは日本人に対するだけでなく、同時に国際社会に発信され、「世界のだれもがそう思っている」という相乗効果を生み、虚偽が事実として拡散された。

連合国は東京裁判で日本軍将兵・日本政府高官・官僚のみに留まらず、言外に日本人全体を犯罪者扱いし、「一億総前科者」の心理的刻印を押した。

GHQと極東委員会は、共産主義的国民主権を謳う日本国憲法を、天皇と日本政府・帝国議会の顔に押し付けるような非礼・無体なやり方で強要し、「徳の高い連合国に対し、道徳的最下層に位置する我々日本人は今後絶対に武器を取って歯向かうことはいたしません」と誓わせた。

連合国に対する反省と謝罪を永遠に続けるよう、「世界で一番立派な民主的進歩的平和憲法」を批判し捨て去ることは罪悪である、という教育を推進するため、破防法により収監中の共産主義者たちが釈放され、GHQ主導で日教組が組織された。

その他、占領軍が犯した諸々の日本に対する犯罪行為を隠蔽するため、GHQは自身が日本に押し付けた「日本国憲法」も禁止する「検閲」という言論弾圧を以てした。それは「プレス・コード」という、単なる「基準」のように錯覚する名で呼ばれたが、厳然たる言論弾圧であった。

以下に記すのが30項目に及ぶ「プレス・コード」=検閲の対象リストである。これを見れば、連合国が何を隠したがっていたのかがはっきりわかる。

  1. SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
  2. 軍事裁判(東京裁判)への批判
  3. SCAPが憲法を起草したことについての批判
  4. 検閲への言及
  5. アメリカ合衆国への批判
  6. ロシア(ソ連)への批判
  7. 英国への批判
  8. 朝鮮人への批判
  9. 中国への批判
  10. その他の連合国への批判
  11. (個々の連合国でなく)連合国全般への批判
  12. 満州における日本人の待遇への批判
  13. 連合国の戦前の政策への批判
  14. 第三次世界大戦への言及
  15. 西側世界対ロシアの問題(冷戦)に関する論評
  16. 直接・間接を問わず日本の戦争擁護のプロパガンダ
  17. 直接・間接を問わず日本と日本の天皇が神の子孫とその国であるというプロパガンダ
  18. 軍国主義的プロパガンダ
  19. 国粋主義的プロパガンダ
  20. 大東亜(共栄圏)プロパガンダ
  21. その他のプロパガンダ
  22. 戦争犯罪の正当化と戦犯の擁護
  23. (占領軍兵士と日本人女性の)交渉
  24. 闇市の状況
  25. 占領軍への批判
  26. (日本人の)飢餓の誇張
  27. 暴動・社会不安の扇動
  28. 虚偽の報道
  29. 不適切なSCAP(或いは地方軍政部)への言及
  30. 解禁されていない報道の公表

(The Censorship Operation in Occupied Japan  by Jun Eto; Press Control around the World  Edited by Jane Leftwich Curry and Joan R. Dassin 日本語訳: shiragamihiromi)

まずひと目見て判るのが、「日本が何故戦争へと向かって行ったか」や「日本の歴史・日本人のアイデンティティー」等に関する事柄は全て「プロパガンダ」と決め付けられている。

連合国や国際共産主義者は日本の「精神論」を毛嫌いしている。見下げている。怖がっている。それが日本の強さの源泉と解っているからだ。

その中心に在るのが天皇である。だからこそ、天皇の求心力を殺ぐ為に帝国憲法を、国際法を曲げてまでも始末しようとした。

連合国占領軍がした事が本当に「自由と民主主義の教導」であったのなら、このような言論弾圧が必要だったはずはない。

「日本国憲法」が本当に「日本人自らの意思で、帝国憲法を改正したもの」であったなら、「SCAPが『日本国憲法』草案を起草したことへの批判」を検閲で握りつぶす必要はなかった。

GHQは憲法草案の起草だけでなく、帝国議会議員選挙も統制し、また20万人(その家族を入れると100万人)が路頭に迷った「公職追放」で議会を脅迫した。

GHQは憲法「改正」と偽った「国体変更強要」が純然たる国際法(1907年ハーグ陸戦法規第43条 被占領地の法律尊重、占領中の法規改廃の禁止)違反であると知っていた。「日本人を奴隷にするものではない」とするポツダム宣言にも違反している。

そのポツダム宣言は「GHQの言うことを聞かねば原爆で日本全体が焦土と化す」とあからさまな脅しをかけていた。

占領政策の全ては、無知と曲解、捏造と欺瞞、謀略と暴力で成り立っていた。それを正当化する為の装置である「日本国憲法」は日本国民を騙しながら成立し、戦後70年を経た今でも多くの国民はその事実を知らされていない。

占領政策について少しでも調べたことのあるものなら、検閲と言う言論弾圧と洗脳を組み合わせたWar Guilt Information Programがいかに効果的に「日本人の魂の武装解除」を遂行したかに戦慄するだろう。

恐ろしいのは、占領が終わって60年以上が経過した今も、GHQの洗脳教育で育った世代が各界において自主検閲に勤しみ、戦前の日本を否定することを正義と感じるよう若い世代を教育し、先の戦争に関する「真実の探究」は悪魔の所業かのように宣伝している事である。

連合国も、学究派の真実追究を「歴史修正主義」というレッテル貼りで常に牽制している。上記検閲リストに見る「プロパガンダ」抑圧と同じ構造である。

イラク戦争終結の折、ブッシュ米国大統領は「イラク占領は『GHQ方式』でやる」といっていた。被占領国の国民を日本人のように洗脳するというのだろうか、と心配した事を思い出す。実際にどのような占領政策がとられたのかは知らない。が、日本占領が日本人に及ぼした影響、民族精神の衰退、国家の命運にまで甚大な影響を与えている、という事実を国際社会に周知することは、唯一の被爆国であるうえに、唯一の「国家ぐるみの洗脳実験体」となった国家としての、日本国の義務であると思う。

「『日本国憲法』無効論」を、知っていますか?

 

「『日本国憲法』無効論」とは、私達日本人が『日本国憲法』と呼んでいるこの「占領憲法」が、その実態は「憲法として『無効』」であり、大日本帝国憲法及び明治の皇室典範が現存している、という事実の確認・宣言による国民の「意識改革」の提唱である。

●その「意識改革」とは、自分達が戦後「真実」と思ってきたことのすべてが「真実」というわけではない、という事実に気付くことである。

●「『真実ではないこと=虚偽』を『真実』であると思い込まされてきた」という事実を悟ることである。

●東京裁判を始めとして占領下にスタートし、今も続いている『ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム』と言う名の「日本国民の思想改造」=「洗脳」によって、日本人は「大日本帝国憲法下=『天皇制』下の日本は悪かった」と思い込まされた。その、今では日本人の無意識化に浸透した「一億総前科者」意識を直視し、認識することと、それからの脱却を目指す心構えである。

●そして私達の父祖が命懸けで成そうとした「大東亜共栄圏」の真実と、その真実を隠す為に「大東亜戦争」を「太平洋戦争」と言い換えることを、GHQによって強要された事実を知ることである。

●「日本は侵略国」と繰り返し叫ぶ勢力こそが、本当の「侵略者」とその手先、或いは利得者であり、極東・太平洋に於ける第二次世界大戦の開戦責任はこの者達が擁護する「誰か」或いは「何か」にある、という事実を世界に周知することである。


今、第三次安倍内閣は「『日本国憲法』有効論」方式によって、「憲法改正」を成そうとしている。

安倍内閣は「『日本国憲法』無効論」を知らないのだろうか?それとも、その存在を知ってはいるが、GHQに培養された「戦後憲法学」を信奉する「戦後憲法学者」の言うことを真に受けて、「憲法無効論は既に解決済みの論題」であるから、その存在を周知し「戦後憲法学者」と「無効論者」による国民の面前での公開討論にも意味はない、と考えているのだろうか?

「『日本国憲法』無効論」の存在すら国民に周知せずに、政府がその是非を一存で判断し、「『日本国憲法』有効論」の方式で「憲法改正」を行うということは、第二次世界大戦戦勝国が敗戦国日本に対して犯した罪を、日本人自ら日本国に対して行うに等しい。なぜなら、

「『日本国憲法』有効論」方式による「憲法改正」を行うという事は、「占領憲法『有効』論」の、日本国と日本人による積極的認定、即ち「日本の連合国への隷属状態の恒久化」の積極的容認ということだからである。

そして、それはとりもなおさず、連合国によって日本と日本国民全体に掛けられた「侵略国」「虐殺者」という冤罪を「冤罪である」「真の犯罪者は他にいる」と国際社会に訴える機会を自ら放棄するということである。

私達は、占領下と何も変わらず、何も真実について知らされないままに、日本国の命運にかかわる重大な事柄について、急かされながら決定を下そうとしている。

「『日本国憲法』無効論」は、なんとしてでも国民に周知されねばならない。

占領軍
マッカーサー、専用機バターン号で 厚木飛行場に降り立つ

「憲法無効論」はなぜ周知されないのか?

左翼憲法学者らが「既に解決済みの論題」と退けるのはともかく、「保守論客」までが「破綻した論理」「感情論」と見下して無視するのはなぜか?

全てのカギは「占領政策の検証」にある。

「なぜ日本国憲法は無効か」を問うこと、そのこと自体が、「占領軍・GHQは、戦勝連合国は、敗戦国日本に何をしたのか」を問うことに繋がるからである。

●『日本国憲法』制定の真の目的は、「日本の国体の違法な改変」に在った。

●その違法行為の隠蔽に『日本国憲法』そのものが禁止する「検閲」が使われ、日本国民の「知る権利」は完全に抹殺された。

●『日本国憲法』の内容に関する最終決定権は、「天皇制を廃止し日本を共和国にする」という目的を持つ極東委員会にあった。

●東京裁判により「日本軍の戦争犯罪」と「日本国の世界侵略」が捏造され、「拡張主義的帝国主義の根源であった『大日本帝国憲法』を、天皇制下の軍国主義者の圧政から連合国により解放された、自由な日本国民の総意により『改正した』清く正しい『日本国憲法』」という虚構の「裏付け」とされた。

●大日本帝国憲法に於いては「憲法改正」の発議の大権は天皇に在ったが、その天皇以下、日本国政府も帝国議会も、「日本国土と日本国民の完全なる殲滅」「日本の国体の核心である万世一系の天皇の絶対的権威の排除」という究極的脅迫を受けており、反抗は全く許されなかった。

●憲法制定議会構成のための昭和21年4月の衆議院総選挙で、GHQは反抗が予想される代議士を全て排除した。

●占領軍命令により(天皇を通じて)組織された「帝国憲法改正案委員会」も、「公職追放」という至近な脅迫を受けており、GHQ草案を変更することは困難な状況に在った。

以上の事実は、『日本国憲法』の無効理由の一部(全部ではない!)を成すものであるが、『日本国憲法』が「GHQから押し付けられた」状況が国際法違反であり、連合国自らが高らかに謳う「人道」にも遠く外れている事が明白である。

日本と日本人がされたこと、そして未だに、そのこと自体を忘れさせられている事を思う時、一人の日本人として、人は胸の奥から沸々と湧き起こる感情を抑えることができない。だとしても、それは「『日本国憲法』無効論」自体が「感情論」であるということにはならないであろう。

寧ろ、これらの事実を知って尚「胸の奥から沸々と湧き起こる感情」と無縁の日本人がいたら、その日本人の「愛国心」を疑う方が正しいとも思える。

日本人の受けた侮辱・無体を知り、尚「無感情」で、平気な日本人とは、つまり「日本が日本でなくなっても構わない人間」「万世一系の天皇を戴く日本という国に興味のない人間」であろう。

つまり、「『日本国憲法』無効論」を「破綻した論理」「感情論」と退ける人は、上記の事実を知らないか、でなければ「積極的に無効論の存在を日本国民から隠そうとしているもの=GHQと極東委員会の意思を継ぐもの」なのである。

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占領中も、占領終了後も、GHQの完全無欠の検閲システムによって、日本人は「日本国憲法」は日本国の代表者たる衆議院が「帝国憲法の改正方式に正しく則り」「自由な議論の末」「自由な世界人民」を代表する連合国の代表たるGHQからの「民主主義的なアドバイス」に答える形で「日本国民の総意を反映して」「天皇陛下の御裁可=勅語を頂き」「法的に正当に」成立したものであると信じ込まされ、全く疑わずにきた。

当然、戦後の「憲法学」も、「『日本国憲法』が日本の正当な憲法である」との錯誤の上に成り立っている。

だがその実、憲法学者が「憲法無効論」をまともに取りあげないのは、そもそも「有効論」が「無効論」に対して有効な論証をしえないからである。破綻しているのは「有効論」の方なのだ。

GHQ占領政策=「日本人の魂の永久的非武装化」の恒久的維持の要である「『日本国憲法』有効論」が、その軛の破壊者たる「『日本国憲法』無効論」を必死で攻撃するのは当然である。

積極的に「無効論」の国民への周知を阻止しようとする左翼憲法学者は勿論、保守を自認する人々までもが「無効論は感情論。破綻している」と攻撃し、「無効論」を矮小化しようとするのは、「自分が信じてきたことを否定されることへの拒絶反応」か、「故意・無意識の如何にかかわらず、悪意に満ちた『反日キャンペーン』に加担したことへの罪悪感の裏返し」か、はたまた「核攻撃能力を持った『国際広域暴力団』に睨まれることへの怯儒」か、単なる「思考停止」か?

いずれにせよ、「『日本国憲法』無効論」の国民への周知が喫緊の課題である。

真実を知れば、日本国民はいままた天皇陛下の下に団結し、国際社会の不正に対し声を挙げることができる。

「『日本国憲法』無効論」を圧殺しようとしている勢力が、一番恐れている事がそれなのである。

MacArthur and Emperor Showa

1945年9月27日、マッカーサーと昭和天皇の会見に通訳として同席したバワーズ少佐は、昭和天皇が「Kill me, but not those who acted in my name. (私はどうなってもよいが、私の名の下に行動した人々は救って欲しい)」と仰って元帥を感動させた、と証言している。

だが、米国政府はその感動を共有しないばかりか、GHQ・SCAPをその天皇の頭上に据え、日本国全体に君臨させた。マッカーサー自身の言の通り、「(終戦の日から)日本はいわば、大きな強制収容所になった・・・。そして現在も、その状態を続けている。占領軍は八千万日本人の看守となった・・・」(マッカーサー、「新憲法」発効3年後=1950年、「フォーチュン」誌)

Atom Bomb

ポツダム宣言が日本に突き付けた「日本国本土の完全なる破壊」の恐怖は、同宣言が「現在日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ抵抗スル「ナチス」ニ対シ適用セラレタル場合ニ於テ全「ドイツ」国人民ノ土地、産業及生活様式ヲ必的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ測リ知レサル程更ニ強大ナルモノナリ」とドイツを例にとってみせるまでもなく、1945年(昭和20年)8月15日の終戦当日まで続き、全国で200以上の都市が被災、被災人口は970万人に及んだ、東京大空襲に代表される灼熱地獄のような日本本土空襲と、たった二発で瞬時に20万近くの人命を奪った広島、長崎への原爆投下によって、日本国民全員が骨の髄まで思い知らされていた。

マッカーサーに国民の命乞いをなさった昭和天皇始め、「国体護持」を条件にポツダム宣言を呑んだ日本政府も、「帝国憲法『改正』を強要された」枢密院、帝国議会も、「日本国土の完全なる破壊」と「日本民族の滅亡」の絶体絶命の危機を前に、GHQの無法に抗う術はなかった。

GHQ当局は「(憲法改正の)松本案は絶対に承認できない」と内閣に言い渡し「民政局草案の根本精神にそい、徹底的改正でないもの(引用者注:改正案)は一切承諾されない」と言明した。「帝国憲法及び国体を護持しようとする唯一の反抗も、完全に抑圧された」(菅原裕『日本国憲法失効論』)のである。

「もし総司令部案に沿った憲法改正が行われなければ、総司令部としては天皇の身体を保障することができない」-1946年2月13日の米国側との会談で発せられたホイットニー准将の言葉は、日本側に「憲法と天皇の身体との引き換え」と映った。

SWANCC 初期の対日方針

GHQのいう「民政局草案の根本精神」とは、「降伏後ニ於ケル米国ノ初期ノ対日方針」(SWNCC150)「日本の統治体制の改革」(SWNCC228)がいうように、「天皇制の廃止、もしくは天皇の政治的権威の剥奪」「軍国主義の殲滅」であったが、それはポツダム宣言がおためごかしに言ったような「日本の民主化の為」などではなかった。

「新憲法」の内容に関してはソ連の操る極東委員会に最終決定権があり、極東委員会は「日本の共和国化」=「『主権者』人民を支配することによる国家全体の支配」を目論んでいた。

何のことはない、トンビ(米国)があぶらげ(日本の支配権)をさらった、という話であった。

「当初、ソ連は北海道に侵入して、朝鮮やドイツ同様に、日本分割のいわゆる38度線を引こうとしたが、日本が無血進駐を許したため、マッカーサー元帥の出足が早く、ソ連に乗ずる隙を与えなかった。そこでソ連は今度は、手を変えて、翌年2月26日に第一回総会の開会を予定されていた最初の極東委員会において、日本に共和制を布くことを決定させて、日本を混乱に陥れ、それに乗じて北海道侵入を敢行しようと策動した。(中略)この情報をいちはやくキャッチしたGHQでは、これは一大事と驚き、直ちにその阻止に乗り出したのである。GHQは、占領以来半年、日本の天皇制がいかに根強いものであるかを知りつくしていた。それだけに、もしこの天皇制を廃止して、共和制を実施せんとすれば、大混乱をきたし、アメリカの占領統治が、収拾不能に陥ることは、火を見るより明らかである。したがってこれは絶対に拒否しなければならぬ。(中略)これを回避するにはどうしても、こちらから先手を打って、日本の憲法を早急に改正し、天皇の機能を全面的に剥奪して、極東委員会に対しては、日本は既に民主化を終わった、あえて共和制を布く必要はないとの了解を求め、他方、日本国民に対しては、象徴天皇の名称を憲法に残すことによって、天皇制は存続された、日本の国体は変革されない、と納得させる以外に手はないとの結論に達し、急速にこの謀略憲法草案を作成したものである。(菅原裕『日本国憲法失効論』)

ソ連の日本支配の芽を摘み、「日本征服」の独占を目論む米国・GHQは「極東委員会が日本を共和国化しようとしている」「国民投票にかける」と脅し、「日本の米国への隷属化」に有利なGHQ「新憲法」制定を急かした。

「(ホイットニー)将軍は『もしあなた方(日本政府代表)がこの憲法草案を、即座に、われわれと協議をせずに、また日本側としての提案もしないで拒否するならば、マッカーサー司令官は今度の日本の選挙で、その草案を直接、日本国民に示し、国民投票によって国民が憲法改正について日本政府に賛成するか、GHQに同意するかを問う事になる』と告げたのです。これがその会談(引用者注:1946年2月13日、ホイットニー准将やケーディスをはじめとするGHQの代表4人と、吉田茂外相をはじめとする日本政府代表4人の外務大臣公邸での会談)での唯一の威圧でした。」(民政局ホイットニー将軍の言についての次官ケーディスの証言。古森義久『憲法が日本を滅ぼす』)

国民投票」をちらつかせることが、帝国憲法改正を渋る日本政府への、GHQと極東委員会による「威圧」として効果を発揮した、とはどういうことだろうか。

「日本は敗北せる敵である。そこには交渉というものは存在しない。GHQは、日本政府に対し命令はする。しかし交渉するのではない。交渉は対等者間に行われるのである。しかして日本人には、彼らがすでに世界の尊敬や、あるいは最高司令官の命令に対して折衝することができる地位を獲得したと信じさせてはならない。」(GHQ訓示、1945年9月15日放送。菅原裕「日本国憲法失効論」)

占領軍のこの訓示は国民に聞かせたものであり、ほぼ同時に開始された日本国全土を覆い尽くす「プレス・コード=検閲」という名の言論弾圧で、批判精神の翼をもぎ取られたマス・メディアの様や、21万人に及んだ「公職追放」者とその家族百数十万人が路頭に迷う様を、国民は「明日は我が身」と怯えながら見ていた。

元々従順な性質の日本人は、いまや占領軍に服従する奴隷的無力感に捉われつつあった。

GHQと「進駐軍」は日本人全体の上に文字通り君臨していた。

この状態で「国民投票」をすればどうなるか、火を見るより明らかであろう。

現在も、その状況は変わっていない。ここ数年の、中国や南北朝鮮のあまりにアグレッシブな領土侵犯と敵対的態度に、「さすがにこの期に及んで空疎な『平和憲法』の9条・前文では日本を護れない」と、国民は正しく憂慮している。

だが、日本国民は「『日本国憲法』無効論」を知らない。前文と9条を始末するには「改正」しかない、と思い込んでいる。

その「憲法改正」が「精神を非武装化され、自力で何も決めることができない日本」の恒久化に繋がるという事実を知らない。

カイロ宣言の「暴力及貪欲ニ依リ日本国ガ略取」「朝鮮ノ人民ノ奴隷状態」、ポツダム宣言の「無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者」「日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤」等はすべて虚偽、少なくとも所謂「allegation=十分な根拠のない申し立て」に過ぎない。

にも拘らず、敗戦したというだけの理由で、戦勝国の言うなりにこの「根拠のない申し立て」を全て「真実」として信じ込まされ受け入れさせられ、戦犯として1,000人近くが死刑判決を受け、国際社会に於いても日本国全体をして「犯罪者」の烙印を押され、現在に至るも、その冤罪の事実を訴える努力すら「無反省」として謗られている。

「日本国憲法」とは、「連合国=蹶起セル世界ノ自由ナル人民」が、「犯罪国家=日本」を「他の諸国家にとって危険な存在たらしめた同国の慣行および制度を永久に除去しようと」与えた「punishment=罰」であった。

連合国は、根拠のない申し立てを、無法な私刑裁判=東京裁判で正当化し、日本国民全体に冤罪を着せた。

検閲と言論弾圧で日本国民を騙し、洗脳によって虚偽の日本悪玉史観を信じ込ませた。

国民と国土の完全破壊と、世界最古不二の「万世一系の天皇の統治する」日本の国体の破壊をほのめかして脅迫し、帝国憲法を「改正した」と国民を騙して、天皇の大権を剥奪し、「限りなく左翼全体主義に近い国民主権」を謳う『日本国憲法』に挿げ替えた。

他のアジアの国々のように欧米列強の植民地にされる運命を拒絶するため、国際社会から尊敬される強く豊かな国家を目指して、明治の日本が作り上げた大日本帝国憲法は、かくして強奪された。

当時、憲法問題調査委員会顧問であった美濃部達吉博士は:

憲法の全部の廃止又は停止は、国家存立の基礎を根本的に覆すもので、それは絶対に許されるべきものではない」(『逐条憲法精義』)とし、「帝国憲法第73条によって、こんな改正を行うことは、法理上不可能である」と主張して最後まで反対し、ついに唯一人起立をしなかった。(菅原裕『日本国憲法失効論』)

枢密院議長・清水澄博士は新憲法実施の日に「自決の辞」を認め、9月25日、抗議の入水をした。

「自決の辞」

新日本憲法ノ発布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル団体及個人アリタリ、其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ、或ハ戦争責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ、我国ノ将来ヲ考へ憂慮ノ至リニ堪ヘズ、併シ小生微力ニシテ之カ対策ナシ、依リテ自決シ幽界ヨリ我国体ヲ護持シ今上陛下ノ御在位ヲ祈念セント欲ス、之小生ノ自決スル所以ナリ、而シテ自決ノ方法トシテ水死ヲ択ビタルハ、楚ノ名臣屈原ニ倣イタルナリ

昭和二十二年五月新憲法実施ノ日認ム

元枢密院議長 八十翁 法学博士 清水澄

「天皇陛下、国会、内閣、司法、行政のすべてが日本国憲法を憲法という前提で動き、国民の99%以上が憲法だと認識している。これを法学的に妥当性・実効性を満たしているといいます。」(谷田川惣『決定版・憲法無効論は破綻した論理:質疑応答(スマホ版)』)というのは詭弁である。

これまで縷々例を挙げて説明したように、GHQ・SCAP=マッカーサーは、天皇陛下、日本政府、帝国議会、日本国を司る全ての機関の頂点に君臨し、「いうことを聞かなければ、いつでも直接軍制に変える」「天皇の安全保証せず」「日本を共和国=共産主義国にする」「日本全土を焦土に変える」と脅迫しながら、表向きは「日本人が自発的に憲法を改正した」風を装った。

自らの占領政策の違法性を自覚していたからである。

また、「『日本国憲法』には『日本国憲法公布記念式典の勅語』『憲法改正の勅語』があり、それは天皇のご裁可を頂いた証拠であるので、『無効論』は正しくない」というのも同様の無知或いは詭弁である。

無法者のような暴力と強圧で、「連合国=戦勝国」が「日本人を奴隷にするつもりはない」という自らの約束も反故にし、その伝統・文化と国体をも破壊するという犯罪行為の帰結である『日本国憲法』のどこに「妥当性」があるのか?

『日本国憲法』でも禁止している検閲を徹底的に行って言論弾圧をしながら、リンチ裁判である東京裁判で日本人全体に冤罪をかぶせ、自らを「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会」と持ち上げてみせる偽善的輩の作った勘違い「憲法」の、どこに「妥当性」があるのか?

全世界のどの国も持っている自然権たる「自衛権」「(自衛戦争を行う為の)交戦権」を認めず、放棄するなどという「日本人蔑視」の「憲法」の、一体どこに「妥当性」があるというのか?

「憲法」で「保持しない」と明言した「戦力」を実は持っている事、持ち続けている事の、どこに「実効性」があるのか?

このようなまがいものを天皇陛下が心底お認めになり、本心からご勅語を発せられたと考えること自体、「妥当性」がないではないか。

当時の法制局長官であった入江俊郎氏の自民党憲法調査会における告白によると、

「・・・結局はこの前文は一字一句も変えちゃ困るということをいわれて、そのままの前文をつけて要綱として発表することになったわけであります。・・・ところがその前文を見ますと、ご承知のように、『日本国民が、その代表者である国会議員を選挙して、それによって、憲法を制定する』と書いてあります。そうすると帝国憲法では、天皇が憲法改正案を提案することになっておりますし、明治憲法のもとで新憲法をつくって行くということであるとするならば、どうもそういう前文では非常に困るじゃないかということを、三月五日の閣議で幣原さんが発言されまして、それはもっともだ、その点どういうふうに直したらよかろうかということが問題になりましたが、これもいろいろ相談の結果、そういう前文のついたような憲法草案を天皇が是認されまして、天皇の意思においてそういう前文のついた憲法を発議するということにすれば、明治憲法七十三条の憲法改正の手続きとも違背しないし、また実質からいって司令部側との関係も円満に行くんじゃないかと考えたわけです。それじゃまずその案を総理大臣から内奏して天皇の御了承を得て、あわせてこういったような内容の憲法をつくることについて内閣として努力せよというふうな意味の勅語をいただくことにしたらどうであろうかということになったわけであります。

松本国務大臣なんぞは、なんだか三百代言みたいな議論だといっておられましたけれども、しかしどうもやむを得ない、そういうことにしようというので、三月五日急遽総理大臣が参内されて天皇に申し上げて、翌六日の要項発表と同時に、そういう意味における勅語をいただいて、これもあわせて発表しております。

近頃この憲法はマッカーサー憲法であって、帝国憲法は依然として生きているんだから、マッカーサー憲法がなくなれば、当然に帝国憲法が生き返るんだというような議論があるそうでありますが、そういったこととかあるいはまた、あの当時日本は革命があったので憲法改正じゃないのだ、明治憲法はそのまま消滅して新しい憲法ができたんで、憲法七十三条によって改正したなんということは非常に間違っているという議論もありましたがそういう議論が起こるであろうということを十分考えた上で、政府の責任としては明治憲法から新憲法に移行するのになんとかつじつまを合わせようというので勅語を受けたのであります。之は当時の内輪話として申し上げたわけであります。そこで司令部の案に対していろいろ折衝したのでありますが、だいたい司令部側は非常に強い意見で、たとえば天皇とか、戦争放棄の条文は全然手を触れちゃならぬ、こういう強い意向を示されたのであります。・・・」(全文、自由党憲法調査会、特別資料(一)、73ページ以下。太字引用者)

「これによれば、占領軍の不合理な無理強いに対し、政府としては、占領軍に対して堂々と職を賭して争うこともせず、また法理論をもって相手を説得することもできず、ただ日本国民に対して、一切の矛盾を袞龍の袖にかくれて、勅語を利用することによって糊塗せんと画策したにすぎなかったようである。ことに後でおこるであろう無効論を押えるためにも、勅語を戴いておいたというにいたっては、滑稽至極である。当時の責任者たちが、占領軍の横暴に対し、万策尽きて、当面の糊塗を、天皇にお願いし、おすがりした醜状は、まさに世紀の悲喜劇であった。(菅原裕『日本国憲法失効論』)

日本国憲法公布記念祝賀 宮城前 天皇皇后両陛下
日本国憲法公布祝賀都民大会

「日本の侵略的軍国主義・帝国主義の培養源が帝国憲法であった」という虚構に基づく告発によって「帝国憲法は改変せねばならない」「天皇制は廃止せねばならない」「日本精神を破壊しなければならない」という自己欺瞞的な結論に達し、法理を無視して日本国民を脅迫しながら、欺きながら実行に移した、その結果が『日本国憲法』である、という事実を国民に知らせる。それが「無効論」の使命である。

「『日本国憲法』を無効にする」のではない、「『日本国憲法』は無効である、という事実の確認」であるから、天皇陛下が国会に於いて「『日本国憲法』無効」「大日本帝国憲法現存」を宣言されるだけでよい。

これにより、日本国と日本人を縛り続けてきた『日本国憲法』の前文・9条をはじめとするGHQの軛は、瞬時に解かれる。

「『日本国憲法』を70年も使ってきて、沢山の法律も派生している。これが全部無効になったら大変なことになる」という者は、『日本国憲法』の制定によって「57年使ってきた」大日本帝国憲法が停止され、GHQの命令によって刑法の「利敵行為条項」も削除されるなど、当時のあらゆる現行法律が影響を受け、「大変なことになった」ことを失念していないか?

『日本国憲法』施行時、昭和の日本人は1年半で調整を終えた。平成の日本人が同じことができないわけはあるまい。(洗脳のせいで国会議員や官僚の多くが無能化しているということはあるかもしれないが…。)

具体的にどんな問題があるのか、リストアップして公開討論に付し、丹念に国民全体で考えてゆけばいい。

忘れてはならないことは、独立国には自国の行き方を自律的・自主的に決定する権利が備わっているということである。

『日本国憲法』無効確認・大日本帝国憲法現存確認の後、両方の「良いとこ取り」をする権利も、当然ある。

時代の要請により改正が必要な場合は、大日本帝国憲法の改正方式に則って、天皇の御発議を頂き、改正するのが法的に正統・正当である。

最も重要なことは、無効確認・現存確認によって、日本は「仁政を行う『万民の父母』『至高の権威』天皇」を取り戻す、ということである。何も、心配する必要はないのである。

GHQ憲法下の「象徴天皇」は、左翼の「天皇の戦争責任追及キャンペーン」=「天皇の権威剥奪工作」にも拘らず、戦前と変わらぬ「精神的権威」を保持し続けた。

それは「天皇制廃止」を掲げる共産主義への、国民の拒絶の表明であり、「万世一系の天皇がこれを統治する」日本の国柄への、日本人の支持の表明である。

『日本国憲法』と対で押し付けられた「法律」の『皇室典範』も当然無効であるから、日本は「『日本国憲法』無効宣言」により、『大日本帝国憲法』と明治の『皇室典範』をふたつながらに取り戻すことができる。

これにより、GHQに剥奪された「天皇大権=天皇の『政治的権威』」を天皇にお返しすると同時に、皇室の「家憲」である『皇室典範』(1889年)も天皇家にお返しすることができる。

つまり、皇統の問題など、天皇家の方々が一般国民よりも当然熟知しておられる問題を、国会等の不明な横槍なしに、天皇家で解決して頂くことができるのである。

『日本国憲法』は前文で日本を道徳的下層国と位置付け、「連合国の属国化」「国際社会の保護国化」宣言をしている。

また連合国戦勝国クラブである国連の「国連憲章」は、日本とドイツを未だ「敵国条項」で縛り、日本は、分担金を22%で1位の米国に次いで11%(2位)、ドイツは3位で7%も拠出しているが、両国を「国際社会」の最下層国として扱い、侮辱し続けている。

この「国際社会」の中でも、特にソ連(後にロシア)・中国・北朝鮮ら国際共産主義国家群と、近年ではそれらに支持或いは煽動された韓国が、日本の国土と社会を傍若無人の振る舞いで浸食している。

この「日本は道徳的下層国」の根拠になっている「戦前の『天皇強制崇拝』『軍国教育』が日本を世界侵略の道に進ませた」という連合国の告発が、歴史偽造に基く虚構であった、誣告であった、と全国民が理解し、世界に周知されることで、日本人が戦後持ち続けることを強要された「一億総前科者」の幻の負い目は消える。

それが現在、過去、未来の日本人にどんなに重要なことか、言葉では表しきれないものがある。

「『日本国憲法』無効宣言」によって、日本は戦後初めて、まっとうな国家意識・国防観念を取り戻すことができるのである。

北朝鮮による拉致被害者を全員奪還、北方領土と尖閣、竹島など、ロ中韓によって不法に占領されている、或いは占領されかけている領土の奪還・保全も、国際標準のネガティブ・リストの「交戦規定」を持つことで、完全な軍隊として機動力の増す「新国防軍」と新設「情報省」がやり遂げるであろう。

「『日本国憲法』無効確認」及び「大日本帝国憲法復原確認」は、国際法の発展に寄与する。

「日本国憲法」の無効確認と帝国憲法復原は、ドイツ・ボン基本法やフランス・ビシー憲法の例に見るように、占領中の憲法改廃に関する国際法の一つの先例となるからである。

連合国が戦後行った「東京裁判・太平洋戦争史観」プロパガンダとそれを強化するために行われた検閲・洗脳は、総合的に見て日本国と日本国民に対して犯された「誣告罪」である。

「誣告」も「被占領国の憲法・国体改変」も、戦後日本が今もって脱却できないでいるほどに、前代未聞のスケールで行われた。その影響の大きさは計り知れなく、政治、経済、歴史、教育の問題を超えて、日本国全体の「アイデンティティ・クライシス」をもたらしている。

だとすれば、当然この「誣告」の禁止も、国際法の未来の為、国際社会の平和の為には必要となるのではないか?

1919年のパリ講和会議で日本が提唱した「人種差別撤廃提案」は白人列強に握り潰され、大東亜戦争敗戦と共に「大東亜共栄圏構想」もあえなく潰えた。

「『日本国憲法』無効宣言」には、暴力と強権で日本国の歴史と文化を蹂躙した連合国列強への、明確な拒絶の意味が込められている。

逆にいえば、「『日本国憲法』を『憲法』として受け入れる」ということは、つまるところ、暴力と強権の容認に他ならない。

だからこそ、日本と日本人は、「『日本国憲法』は無効である」と、「我々の独立自尊を目指す『大日本帝国憲法』は現存している」と、声高らかに、堂々と、宣言しなければならない。

世界の全ての国々が、暴力と強権で頭を押さえつけられることなく、世界中の誰もが公正な法により、自由と平和を享受できる、そのような世界を作る為に、日本と日本人は立ち上がらなければならない。

参考文献

日本国憲法無効論1

  • 「憲法が日本を亡ぼす」古森義久
  • 「日本国憲法を考える」西修
  • 「日本国憲法はどう生まれたか」青木高夫
  • 「明治憲法の思想」八木秀次
  • 「日本国憲法」講談社学術文庫
  • 「日本国憲法失効論」菅原裕
  • 「憲法無効論とは何か」小山常実
  • 「とこしへのみよ」「はらひしたまへ」南出喜久治
  • 「正当憲法復原改正への道標」小森義峯
  • 「The United States and Japan」Edwin O. Reischauer
  • 「戦争と検閲 石川達三を読み直す」河原理子
  • 「ひと目でわかる『GHQの日本人洗脳計画』の真実」水間政憲
  • 「Press Control Around the World」Curry and Dassin
  • 「衆議院帝国憲法改正案委員小委員会速記録」衆栄会発行
  • 「Political Reorientation of Japan; September 1945 – September 1948, Volume Ⅰ and Ⅱ」Supreme Commander for the Allied Powers

(2017年9月6日に加筆しました。)

フィリピン人「元慰安婦」の語る「性奴隷(?)生活」……「見張り」の日本兵は一人だけ、そしていつも慰安婦の代わりに四つん這いになって床をゴシゴシ掃除してくれた……。

マリア・ロサ・へンソン “Comfort Woman: A Filipina’s Story of Prostitution and Slavery Under the Japanese Military” を読む

maria rosa henson

兵隊さん達が毎朝の体操の時いつも「見よ東海の空明けて!」と叫んだとか、終了後には「万歳三唱」したとか、またヘンソンさんが「強制連行」されたのち無理やり「慰安婦」にさせられたという「慰安所」が「日本軍司令部の2階」にあったとか、少々不思議な記述にも出くわすが、まっさらな気持ちで読めば、1943年当時のフィリピンでの慰安所の様子がわかって興味深い。

ヘンソンさんは当時、フィリピン最大級の反日共産ゲリラ、「フク」の一員として医薬品や武器・弾薬を密輸送する役目を果たしていた。ヘンソンさんの村は丸ごとゲリラ或いは親ゲリラであり、「フク」のリーダーはヘンソンさんの母親の従兄弟であった。へンソンさんは1943年4月、 (「知らずに」とへンソンさんは言うが) トウモロコシの袋に隠した銃や弾丸を牛車に乗せて、ゲリラのアジトに運んでいて日本軍の検問に引っかかった。

へンソンさんは「検問は無事パスしたかに見えたが、呼びとめられて一緒にいた男の人は帰され、私だけ日本軍の『司令部』に連れて行かれた」という。

「尋問された」「拷問された」とへンソンさんは言うが、ゲリラの疑いをかけられていたのならそれは当然尋問するだろう。「拷問」「強姦」に関しては、日本軍に敵対していた共産ゲリラであるから、共産主義者の常套手段である「プロパガンダ」の線は常に疑ってかからなければならない。

とにもかくにも、このケースを「強制連行」「集団強姦」「性奴隷」として見ようとするには、矛盾が多過ぎる。例えば、

  • へンソンさんは「司令部の2階」で「午後2時から10時まで」「外で順番待ちする兵隊に」「強姦された」といっているが、毎回終了後は「熱いお湯で局所を洗い」「毎週水曜日に日本人軍医が検診に来た」「時々はフィリピン人の医者も来た」「生理の時には4・5日休みをもらえた」とも言っている。
  • 食事は一日三食。ご飯と黒豆、たくあん。時々茹で卵。小さなフライド・チキンがつくこともあった。時々黒砂糖の塊がもらえた。「私はそれをキャンディのようにしゃぶったり、ご飯にまぜたりした。すごくうれしかった。私はそれを自分の部屋に取っておいた」
  • 「見張りの兵隊」は「私達が欲しい時はいつでもお茶を持ってきてくれた」「お茶で顔を洗うとすべすべになるよと教えてくれた」「彼は(そこにいた7人の)全ての女達に優しかった」「朝食後はいつも部屋の掃除をしたが、彼は時々手伝ってくれた。ベッドをきれいに直し、床を消毒薬でゴシゴシ拭いてくれた。」
  • 新しく来た「タナカ大尉」はへンソンさんに「2年前フォート・マッキンリーで会ったことがあった」(慰安所か?だがへンソンさんは「2年前に『強姦された』人だ」という)「前に会ったことがあったね」といって、「タナカ大尉」はへンソンさんに優しくしてくれた。よく話すようになり、へンソンさんを「バラ(ロサ)」と呼んだ。病気になった時には自分の部屋にへンソンさんを寝かせ、薬を飲ませてくれた。上司の大佐がそれを知り、その日は休んでよいと言ってくれた。

「タナカ大尉」はへンソンさんに日本語も教えてくれ、とても優しかった。へンソンさんはその後自分の娘や孫にも「タナカ大尉」の話をした。彼女らはへンソンさんの事を本名のロラ・ロサでなく「ロラ・バラ」と呼んだ。どうみてもロマンティックな関係だったとしか思えない。

その「タナカ大尉」もある日の朝(営業時間外に)へンソンさんを急に抱き締め、「レイプ」し、「ありがとう」と言って去った。この描写はまるで恋人同士の逢引のようだが、へンソンさんは「レイプ」だったと強調する。

ヘンソンさんの母の、金持ちの地主ドン・ぺぺによる強姦被害、その結果としてのヘンソンさんの私生児としての辛い少女時代はこの上なく悲惨な身の上だ。日本兵に輪姦されたのも気の毒だ(本当なら)。

しかし、副題 [A Filipina’s Story of Prostitution] がいみじくも言うように、「慰安所」での体験はヘンソンさんが言うような「強姦」ではなく、「売春」だったのではないか?

1945年に、同じ共産ゲリラであり、その父も共産ゲリラで日本軍に殺されたというドミンゴから結婚の申し込みを受けたとき、日本兵に「強姦」されたことは打ち明けても「慰安婦」になったことだけはどうしても言いたくなかったのは、そのせいではないだろうか?

「セカンド・レイプ」だと非難されそうだが、これだけ不審な点が揃えば、鵜呑みにする前にまず検証してみるべき、と主張することは常識の範囲であろう。

ちなみにこの本が出版される2年前ヘンソンさんは民間支援団体から一時金として百万円もらっているが、そのことに言及はない。

この本の前書きを、南京大虐殺ものや「日本軍の太平洋戦争における悪行」ものでも有名なYuki Tanaka氏が書いている。へンソンさんのこの本はマニラを本拠地とするNGOのAsian Women Human Rights Councilや、Task Force on Filipino Comfort Womenなど左翼活動家集団の支援によって作られた。

慰安婦の強制連行・性奴隷状態を証明し、旧日本軍の罪を裁くのなら、彼らはまず「被害者の言うことは100%正しい」「検証の必要もない」という思い込みを捨て、へンソンさんの供述が完全に正しいことを証明しなければならない。

(2016年10月10日編集)