天皇陛下のご意向が、「摂政設置」ではなく「譲位」であることの意味を考える__『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効宣言・原状回復のみが、天皇と日本国民の戦後70年の苦悩を完全解消する

天皇、皇統、国体、憲法と典範、日本の「主権」__もう「無効論」抜きの議論は筋が通らない。天皇のご意向の実現、「有識者会議」では「棚上げ」されるだけ。GHQ『憲法』『典範』の改正ではなく、無効宣言で、天皇と皇室に権威と自治・自決権を取り戻す

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「天皇『生前退位』のご意向」報道が曝した、戦後日本支配層と知識層の無為無策・未必の故意

2016年7月13日、NHKが「天皇陛下が『生前退位』のご意向を示されている」と報道。国内外に驚きをもって迎えられた。「宮内庁関係者の話で明らかになった」とのことだが、一方で宮内庁長官・次長が揃って「否定に躍起」となるなど、異様かつ不審な内容であった。(「死」を連想させる「生前」、必ずしも連続性を伴わない「退位」は不適切な言葉であるが、報道のままに記す。)

「 宮内庁の山本信一郎次長は13日夜、NHKが最初に生前退位について報じた後に宮内庁内で報道陣の取材に応じ、『報道されたような事実は一切ない』と述べた。宮内庁として生前退位の検討をしているかについては『その大前提となる(天皇陛下の)お気持ちがないわけだから、検討していません』と語った。さらに『(天皇陛下は)制度的なことについては憲法上のお立場からお話をこれまで差し控えてこられた』とも話した。」(朝日新聞デジタル2016年7月13日21時50分  http://www.asahi.com/articles/ASJ7F6W4MJ7FUTIL04G.html)

宮内庁として一切検討していない。天皇陛下のご意向と、実現できるかは別の話だ」(宮内庁幹部の話、朝日新聞  2016年7月14日)

宮内庁、近く公表へ」「現行の皇室典範は天皇の譲位を認めておらず、法律の改正が必要となる。関係者によると、陛下は数年前から生前退位を要望され、同町で内々に検討を進めていたという。」(日本経済新聞  2016年7月14日)

 「生前退位  実現手探り」「法整備には時間必要」「天皇陛下自らが公式に意向を表明されるのは、『国政に関する権能を有しない』とする憲法の規定に抵触する可能性も指摘される」(日本経済新聞  2016年7月15日)

「(天皇の「退位」のご意向について)宮内庁の風岡典之長官は14日の定例会見で『天皇陛下は憲法で国政に関する権能を有しないとされており、このような具体的な制度について言及されたことはない』と否定した。/ しかし、ある宮内庁関係者によると、天皇陛下は5年以上前から退位について話されていたという。退位は皇室典範の改正が必要なため、慎重な手順が求められる。「天皇の意向」で法律改正が進められた形になると憲法に抵触するからだ。長官の「否定」はこのためだろう。」「関係者の証言から天皇陛下が退位について述べられていることは事実とみられるが、結果的に論議の前に意向が伝わったことは、改正に向けた動きを制約する可能性もある」(編集委員 井上亮  日本経済新聞 2016年7月15日)

これらの記事を総合して理解できることは、①陛下は5年以上前から「退位」のご意向を示されていた。 ②天皇陛下は、制度的なことについては憲法上のお立場からお話をこれまで差し控えてこられた。③GHQ『皇室典範』は天皇に退位を許していない。④『日本国憲法』は天皇が典範改正への要望を持ち、そのご意向を表明することを許していない。⑤宮内庁は、5年以上前から天皇陛下より要望のあった「退位」について、一切検討していないし、するつもりもなさそうである。ということである。

『週刊新潮』7月28日号によれば、風岡典之長官は2012年6月の長官就任時から、2009年に始まった天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下による「三者会談」に、オブザーバーとして同席していた。「天皇陛下はその場で、皇太子殿下と秋篠宮殿下に対し、御身の処し方について繰り返しお話しになった。居合わせた長官も結果として、聞くともなしに、『ご意向』を聞き及ぶ形となる。直接、幹部に退位のご意向を表明することはお立場上無理なので、こうした手法が用いられたのです。」(宮内庁幹部の話、同上)

だが、風岡長官は、「三者会談」で“漏れ聞いた”天皇陛下の「退位」のご意向を、実質無視した。「ご意向に沿ったプラン作りは、実現性が疑問視され、遅々として進まなかった」(同上)というが、「天皇の御意向の実現への最大の障害は『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』である」というあまりにも明白な事実を宮内庁は無視し、天皇陛下の切羽詰まった末のご要望を無視した。そして、陛下のご不興を買っていた。

今年5月に、宮内庁は陛下の昨年の「拝謁・ご訪問」等のご公務345回のうち「拝謁」100件に関して、大幅見直しを敢行し、その原案を侍従長がまとめて陛下にお見せしたところ、「いつになく強いご難色を示された。『こうした案を出すくらいなら、以前より私が考えてきたことは、なぜできないのでしょうか』というようなお言葉でした」(同上)

宮内庁は、天皇陛下のお苦しみを最も近くで知ることのできる立場にありながら、それに対し指一本動かさなかった。それどころか、「天皇陛下は憲法で国政に関する権能を有しないとされている」などと、逆に、ご意向を「表明」された陛下をたしなめた。陛下の難しいお立場をお察しすべき「三者会談オブザーバー」の意味を理解していなかったのか?まさかお叱りを受けたことへの意趣返しではあるまいが…。

一般国民であっても親が高齢になってくれば、「もしもの時介護はどうしよう」とか、早めに考えておくのが普通であろう。「その備えが全くないGHQ『皇室典範』はおかしい」と対策を講じるどころか、陛下御自身が発しておられるSOSをここまで無視する非道ぶり。宮内庁の仕事は天皇陛下のお世話ではなく、「『日本国憲法』逸脱」を監視することか?

また、「結果的に論議の前に意向が伝わったことは、改正に向けた動きを制約する可能性もある」ということは、陛下のご意向によるGHQ『皇室典範』の改正を疎んじた宮内庁が「自作自演」で陛下のご意向をリークし、否定して見せ、「陛下の発言が違憲であるとの議論が巻き起こり、改正に向けた動きが制約される」よう仕組んだ、と勘繰ることもできる。

反対に、憲法の問題でそれはできないから、改正の必要がある、だから自民党の「お試し改憲」に組み込んでしまおう、という安倍政権の企みでは、とみる向きもあった(いしかわ じゅん 『hanada』2016年9月号)が、いずれにせよ、政府の反応も、報道に見る「識者」のコメントも、どれもこれも論点がズレている。

誰も彼もが、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が有効であり、「無効論」などというものは存在しないという前提で論じているからである。『日本国憲法』の無効に言及したのは、南出喜久治との共著『日本国憲法  無効宣言』のある渡辺昇一の『悠久なる皇室』(『正論』2016年9月号)だけであった。

当然、天皇陛下がなぜ、「摂政」でなく「譲位」を望まれているのかを論考したものは、私が見る限りなかった。

GHQ『皇室典範』16条2項は「天皇が、精神もしくは身体の重患または重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政をおく」としている。つまり、このたび表明された天皇陛下のご意向が、「高齢になり、体調も万全ではなくなってきたので『摂政』を立てたい」とのことだったのであれば、『日本国憲法』やGHQ『皇室典範』の枠内で実現可能なことであり、何の問題もなかったはず。

だが、陛下がお望みになっていることは「摂政の設置」ではなく、「譲位」なのである。

天皇陛下は何故、物議を醸すことが明らかな「譲位」を、と望まれているのだろうか?

私は、「天皇陛下の『生前退位』のご意向」報道と、それへの反応自体に、その答えがあると確信する。

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昭和天皇は、皇太子時代に大正天皇の摂政を経験されたが、ご自身の晩年の御不例時にも、摂政設置をお嫌いになったという。「病弱な大正天皇」という印象を、多くの人は持っているが、実はこれは大正天皇が親しかった原敬首相の暗殺後に流布された「プロパガンダ」であり、大正天皇は政治的に利用され「押し込め」られた、とする説もある。(原武史『大正天皇』)

摂政設置時とは、事実上の天皇「空位」であり、「国家の変局」である。「空位」は天皇という存在そのものの権威の著しい低下と、それに伴う「天皇(位)の政治利用」を招く。

陛下はそのことを以て「摂政設置」をお嫌いになっているのだろう。しかし、それだけではない。

『日本国憲法』の「象徴天皇制」によって、天皇位は戦後ずっと「疑似空位」状態・「心理的押し込め」状態にあった、ということもできるのではないか?

連合国は、『日本国憲法』の前文で日本を連合国の保護国として規定し、9条で二度と武器を取らないよう宣誓させただけでなく、「象徴天皇制」「国民主権」という空文によって天皇からその権能を剥奪し、「人間宣言」「開かれた皇室」というおためごかしによってその権威をも貶めようと企図していた。

『日本国憲法』の「象徴天皇」には、「本音と建前」がある。おそらくは天皇ご自身や、大多数の、天皇陛下を崇敬する国民が、自然に、そして正しく想起するところの「日本の魂・誠の象徴」「日本国民統合の象徴」が「建前」であり、『日本国憲法』の真の制定者であり、真の権力者である連合国の企図する「俗化・無力化・非権威化した、名ばかりの天皇」が「本音」である。

天皇が真実象徴するものは、「日本は万世一系の天皇によって統べられる国である」という事実、日本の歴史・伝統・国体そのものである。

天皇は、世界に類なき、尊い存在であるがゆえに、国際共産主義者の主導する連合国が、暴力と欺瞞と無法を以て破壊せんと躍起になっているのである。

「戦後レジーム」という名の国家の変局において、その初期から既に、天皇の権威は貶められ続けてきた。

天皇陛下は、「摂政設置」による二重の天皇の「権威低下」「空位による政治的真空」を恐れられたのではないか?

『日本国憲法』が天皇から国政に関する権能を剥奪したのは、まさにそれを狙ってのことだったのである。

今、日本のみならず、世界中がテロ、暴力、侵略の混沌の中にある。中国は今この時を狙い澄ますかのように、自衛隊機へレーダー照射、尖閣に230隻の文字通りの「人海戦術」で侵略への準備を着々と進めている。この状況下で天皇の身に深刻な事態が発生したら…。中国は、礼に則って手出しを控えたりは絶対にしない。

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「天皇陛下のご意向」報道で明らかになったことは、「天皇陛下のご意向尊重派」と「GHQ『憲法』『典範』遵守派」の対立構図の存在である。前者は殆ど一般国民であり、後者は主に政府・官庁関係者、学者といった「権力側」の人々である。二極にきっぱり分けることは難しいが、前者を潜在的賛同者も含めて(『日本国憲法』)「無効派」、後者を意図的・無意識的含めて「有効派」と考えることもできる。

日本国憲法で、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると規定されています。この規定と、国民の幸せを常に願っていた天皇の歴史に思いを致し、国と国民のために尽くすことが天皇の務めであると思っています。》(今上陛下、1998年のお誕生日にあたっての会見で、平成10年を迎え昭和の時代と天皇のあり方が変わってきたことについて。『週刊文春』2016年7月28日号)

象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだと考え、大きく公務を減らしたり代役を立てたりして天皇の位にとどまることは望まれていない》(NHK報道、2016年7月13日)

「生前退位 『認めるべき』 77%」「天皇意向表明  80%が問題なし」 (日経新聞 世論調査  2016年7月25日)

昭和天皇の「国民と共に歩む」天皇像を受け継がれ、「国と国民のために尽くす」ことを明言されてきた今上陛下は、二度の大手術とご高齢にもかかわらず、激務をこなしてこられた。国民は、そのお姿に感激しながらも、心配申し上げていた。その陛下が、「天皇の勤めを充分に果たすことができないのであれば『譲位』するべきだ」とのお考えであるらしい、それならば、陛下のご意向通りに一刻も早く「譲位」がなされ、陛下にはゆっくり御静養いただきたい、その為に政府は最善を尽くすべし、と大多数の国民が考えている。

「無効論」は今のところ全く周知されていないが、上記世論調査が示すように、8割の国民が、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の規定よりも、天皇陛下のご意向の方を尊重すべきと考えている。この人々は、「無効論」を知れば賛同するはずだ。

天皇陛下の「譲位」のご意向を、最速で実現するために最善のことは、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認及び大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認を、国会で単純半数の賛成で議決し、天皇陛下に宣言して頂くことである。

天皇が自身の意向を表明することすら「違憲」にしてしまう『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が、天皇の生殺与奪の権を握っているも同然の現状は、異常である。しかもあらゆることが矛盾をはらみながら、複雑に絡み合っている。それを一挙解決できるのは、無効宣言しかない。

GHQ『憲法』『典範』の無効宣言と同時に、大日本帝国憲法と明治の皇室典範の復原が確認され、『日本国憲法』制定以前の原状回復が成る。占領以前に可能であったことが、法的に全て可能になるのである。

簡単に言うと、「いいとこどり」である。「象徴天皇」条項、9条、前文など『日本国憲法』の害毒部分は即刻廃棄し、有用な部分があれば大日本帝国憲法を改正し取り入れる。改正の発議は天皇による自衛隊は「大日本帝国陸海空軍」となり、自衛隊をがんじがらめにしている「ポジティブ・リスト」が普通の軍隊並みの「ネガティブ・リスト」になり、軍隊が国を護るためにすべきことは全てできるようになる。GHQに削除された刑法の利敵行為条項も戻り、「スパイ天国」の汚名も晴らせる。時限立法で『日本国憲法』の有用部分を残し、数年かけて下位法律・法令の改正及び運用により適応させる。無効論者を入れて公開討論しながら進めれば良い。

何より、皇室の自治権が復活し、皇室の問題は皇室内で解決できる、本来の状態に戻る。天皇陛下の譲位のご意向に沿って、(皇室会議でなく、まして有識者会議などでなく)皇族会議で、粛々とお決めになれるのである。そのことは、逆に言うなら、皇室問題について素人である我々国民とその代表たる国会は、皇室問題について考える必要はない、ということである。これで、「退位ご意向」報道が心配していた問題の殆どは解決する。素人や反日集団の関与の恐れが大きい「有識者会議」に丸投げする等は、以ての外である。

「有識者会議」に重要問題を丸投げすることで、無為無策のうちに日本が滅びてゆくのを、傍観しようとしている戦後日本の支配層の「未必の故意」も、無効・復原宣言が粉砕する。

ここで、「GHQ『憲法』『典範』遵守派」の「識者」達のいう、「天皇陛下の『譲位』のご意向」実現に伴う問題がどんなものか、見てみよう。

「…『譲位』が往々にして政争の具にとされ、摂関政治や院政といった変則的政体を生み出して政治が混乱に陥った往時を深刻に反省し、また、皇位継承をめぐる対立から生じた流血の秘史を繰り返さないことを切に願って、皇位継承権を有する者の範囲と皇位継承の原因とを厳しく限定したのが明治の御代に確立した不変の原則であった。明治・大正両帝の戦前期はもとより、戦後も戦争責任への真摯な思いから、何度か「退位」を願われた昭和天皇も最終的には皇位を全うされている。」(『「ご存在」の継続こそ』 大原靖男  『WILL』2016年9月号)

「……政治権力者など外部によって譲位・退位などが強要されたり、時の天皇が影響力を残したりするために恣意的に譲位・退位するケースもあり、皇位の安定を確保するためにはこのようなケースを排除できる制度設計が必要となる。」「憲法が規定する『国民統合の象徴』は、天皇が如何なる政治的な立場にもお立ちにならないことを求めている。特定の政治的な立場にお立ちになれば、賛成・反対の論争の渦中に入って『敵』をつくることになり、国民を統合することはできない。皇室には政治的対立を超越し、国民を統合する機能が求められている。別のテーマでも『ご意向』が示されることがあるとすれば、皇室のご尊厳が傷つくことにもなりかねない」」(「天皇陛下『譲位のご意向』に思う:皇室典範改正の必要はない」 八木秀次 『正論』2016年9月号)

『皇室典範は終身制を採用しており、天皇の退位(譲位)は認められない。そして、憲法と法律に従い、常に内閣の助言と承認のもとに行動するのが立憲君主である。」「(陛下が「退位」のご意向を示され、「皇室典範の改正を希望された」ことは)あくまで内々のご意見であり、…国会や内閣が法的に拘束されるわけではない。もし内閣が天皇の私的ご発言に法的に拘束されることになれば、それこそ立憲君主制に悖ることになろう。」「国民の多くが…ご心配申し上げているのは間違いなかろう。しかしそのことと、生前の「譲位」を認める事とは、区別して考えなければならない。新旧皇室典範の制定に当たっては、過去の歴史を踏まえ、譲位制のメリットとデメリットを検討したうえで終身制を採用しており、その判断は重いからである。」(『「陛下のご意向」と立憲君主制』 百地章 『WILL』2016年9月号)

大原靖男は、昭和天皇が「退位」を望まれながら、「戦争責任への真摯な思いから」断念なされたようにいっている。つまり大原自身も「昭和天皇に戦争責任があった」と思っている、ということか?連合国の「天皇制強権」「軍国主義」説を信じているのか?

百地章は天皇陛下の「ご意向の表明」を「立憲君主制に悖る」というが、現実に日本の元首であり立憲君主である天皇を、まったく権能のない、「象徴天皇」という無力な空気のような存在である、と規定しているのが『日本国憲法』である。天皇に立憲君主としての務めを果たさせていないのは、『日本国憲法』なのである。

そもそも、戦後憲法学者の言う「立憲主義」とは「天皇から権能を剥奪し、皇室統制し、皇統断絶を企図する『日本国憲法』を天皇に遵守させる」主義である。

大日本帝国憲法下、天皇は「不裁可する権限」を持つ「至高の権威」であり、「不裁可しない憲政の常道」を実践する立憲君主であった。

日本に立憲主義を取り戻すためには、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効を確認し、大日本帝国憲法と明治の皇室典範を復原するしかない。

明治天皇と大正天皇の時代と、昭和天皇の戦後時代とでは、皇位継承をめぐる状況が全く違うこともキレイに無視されている感がある。明治・大正時代には、側室制度もあり、宮家ももっと沢山あって、皇位継承者の数を心配することはなかった。

歴史上には、自らの政治的野心から、操りやすい方を天皇に擁立するなどの争乱は確かにあったが、それとて結局は「男系天皇」での継承は成ってきたわけで、今、平成の日本が直面している、皇統断絶の危機には比べようもない。

今まさに、日本は、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』によって、怒涛の侵略を受けているのである。

8月3日朝、秋田沖250㎞の日本の経済水域に北朝鮮からのミサイルが落ちた。こんなことがあっても尚、『日本国憲法』にがんじがらめになった日本政府のできることは「厳重抗議」しかない。だが、その物理的攻撃の危険よりもさらに、皇統の危機は深刻である。ミサイルが降ってこようが、日本の国土が戦場になろうが、日本は必ず復興する。

だが、天皇の存在しない日本は、もう日本ではなくなるのだ。

日本の支配層は今、かつてないほどに、日本が破滅に向かっていることに無頓着になっている。だから、日本の皇統に関する重大問題についての天皇陛下のご意向の表明を、(その表明が『日本国憲法』に抵触する)「天皇の私的な発言」などと言ってしまうのだろう。

 

上に見たとおり、「無効論」を無視した議論では、重大な論点が欠落する。

それは、①日本がポツダム宣言を受諾した瞬間から、ずっと、天皇は日本統制の為に、連合国に政治利用され続けている。②『日本国憲法』の「象徴天皇制」と「国民主権」によって、天皇はいわば「強制的に(立憲君主の地位から)退位させられた」③連合国という外国勢力とそのシンパである国内の国際共産主義者たちは、無神論・唯物論の立場から「万世一系の天皇」を憎悪し、世界同時革命の遂行の邪魔である「祭祀王=天皇」を抹殺したい勢力である。④『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は「天皇制廃止」=「日本の国体破壊」を目的に作られた、「国際共産主義という政治的立場に立った」ものである。⑤『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の制定は違法であり、それを隠蔽するため、連合国・GHQは「日本人が自主的に帝国憲法を改正した」という嘘をついた。⑥その嘘をついたという事実を隠蔽する為に、GHQは日本人にWar Guilt Information Programという洗脳教育を施した。⑦WGIPの一環である東京裁判で、日本人は全員戦争犯罪者にされた。⑧同様に、大日本帝国憲法が「天皇制強権支配と侵略的軍国主義の温床」であったというのは、連合国の戦争犯罪を隠蔽・正当化するための虚偽であったことである。

特に、⑧大日本帝国憲法が「天皇制強権支配と侵略的軍国主義の温床」であるということが虚偽である、という認識は重要である。殆どの戦後憲法学者が「無効論」で大日本帝国憲法の現存が確認されるということに拒否反応を示すのは、「戦前=悪」「大日本帝国憲法=悪法」のプロパガンダを信じているせいだからである。

「戦後レジーム」とは、日本人を「東京裁判史観」という虚偽の歴史認識で洗脳し、検閲で真実を隠蔽して日本を情報統制するシステムである。

中国を侵略して、南京大虐殺をしたのだから中国の言いなりになるのも仕方がない」というのが代表的な「東京裁判史観」に支配されたものの症状である。

「北朝鮮の人民を奴隷扱いしたのだから日本人が拉致されても仕方がない」というのも同様だ。最近は、これに「韓国の女性を拉致して性奴隷にしたのだから、仕方がない」というのも加わって、これらの特定アジア国民への批判だけを罰する、「ヘイトスピーチ法」なる日本人の言論弾圧法もできた。

WGIPは、私達の祖父に「中国侵略」「南京大虐殺」「慰安婦強制連行」の汚名を着せたが、同時に、今上天皇の父君・昭和天皇にも、「HIROHITO=HITLER」という侮辱を与えた。

昭和天皇はマッカーサーに国民の命乞いをされ、国民とともに「堪え難きを堪え、忍び難きを忍」んでその御命を全うされた。今上陛下は、そのご遺志を継いで「国民と共に歩み、国民に尽くす」と仰せられ、今そのご高齢とご不例の御身に鞭打って尚、国民の為にお務めになっている。

1998年5月、今上陛下は皇后陛下と共に英国を訪問された。バッキンガム宮殿正面から延びる大通り「The Mall」を、エリザベス女王と最高位の馬車に乗り、近衛騎兵に護られながらパレードされた陛下は、日の丸の小旗を打ち振って歓迎する群衆の一角を陣取る、第二次世界大戦でビルマなど東南アジア戦線に従軍した退役軍人らに迎えられた。馬車が近づくと、彼らは一斉に馬車から背を向け、英国では中指立てより失礼な「裏Vサイン」を突き出し、ブーイングの嵐を見舞った。「クワイ川マーチ」を口笛で吹き、大きな日の丸の旗が燃やされた。陛下は勿論、何事も無かったかのように平穏なご様子でこれをやり過ごされた。

これに先立つバッキンガム宮殿での饗宴で、天皇陛下は第二次世界大戦における英国軍人の「苦しみに対し、深い悲しみと痛みを覚える」とのお言葉を述べられていた。(新聞報道で分かった元英国兵の言う「日本軍の残虐行為」とは、違反行為のあった捕虜が、水の入ったバケツを持って立たされた等の、小学生の罰並みのものだった。他は「食料・医療品が不足していた」など、日本兵も同じ苦しみを味わった事柄であった。東南アジア戦線の日本兵の80%が疾病・飢餓で亡くなっている。)

その翌年1999年には、中国の江沢民が訪英。天皇陛下が乗られたのと同じ最高位馬車に乗りたいとゴネて顰蹙を買っていた。彼の命令で、「The Mall」に集まった亡命チベット人による抗議活動は、英国の警官隊によって徹底的に排除された。BBC等英国TVはこれを報道したものの、「昨年、日本の天皇への抗議は『言論の自由』として見逃したのに、なぜだ。これが民主主義か」と正論を吐いたのは『チャンネル4ニュース』のジョン・スノウだけであった。

ことほど左様に、「東京裁判史観」は世界中に浸透しており、日本国内では、直接罵声を浴びせられることは少ないだろうが、海外在住の日本人は人種差別とは別の非難の目、蔑んだ目で見られることも珍しくはない。英国では左翼インテリが多く、口角泡を飛ばした悪口雑言罵詈讒謗の嵐に遭うことことすらある。私は故郷の英雄・吉田松陰先生を「好戦的超国粋主義のファシスト」と罵倒され、「天皇陛下を尊敬している」というと、「低能の国粋主義者め」と、毒々しい憎悪の表情で、吐き捨てるように言われた。動悸がし、体中が怒りで震え、頭が真っ白になるあの感覚は、日本では経験したことのないものだった。

天皇陛下の英国ご訪問でも、人々の関心は専ら「HIROHITOの息子AKIHITOは英国に謝罪するのか?賠償金を払うのか?」と下世話な戦争・金絡み。世界で一番古い国の、世界で一番長く続いている皇統の帝王を迎え、そんなことしか言えない人々の民度の低さが悲しい。

だが、大方の日本人と同様、彼等も真実を知らされていない。虚構で固めた歴史観では、本当の反省はできようはずもない。かくて連合国側の国民達も、「国際戦後レジーム」からの脱却を必要としている。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効宣言で、全世界に昭和天皇と日本の名誉回復を宣言、全世界の人々の「無知の知」への覚醒を促す

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『日本国憲法』の真の目的は、日本人の魂の武装解除である。

「日本の美しい魂」の象徴である天皇の無力化こそが、日本人の無力化に直結する__それが『日本国憲法』のいう「象徴天皇」=「権威なき天皇」の正体である。

『日本国憲法』が天皇の権力と権威を、そしてGHQ『皇室典範』が皇室の自立と自治を剥奪し、皇統を途絶えさせ、天皇という存在を消滅させることによって、かつて「精神性」だけで、世界の大国米英に歯向かったあの日本人の牙を折り、腑抜けにすることができる、連合国はそう信じた。

戦前、日本は核を持っていなかった。物量では圧倒的に不利であった。しかし連合国は日本を恐れた。

天皇陛下の為に、いつでも躊躇せず命を投げ出す日本人を、連合国は恐れたのだ。

「天皇を東京裁判にかけて処刑してしまえ」__いきり立つ米国世論を抑えたのは、「天皇を殺せば、日本人は最後の一人になるまで戦いをやめない。米国兵を皆殺しにするまで、日本人は止まらない」という知日派の言い分であった。核兵器でも何でもない、日本人の大和魂を、彼らは恐れたのである。

だが、大日本帝国の皇軍兵士の勇猛さは、「民間人虐殺」を行う「残虐さ」とは違う。天皇陛下の為に戦う、という名誉が皇軍兵士に規律正しさを与えていた。その事実は、日本人と、全ての連合国国民に知ってもらわなくてはならない。

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天皇とは、日本の国体とは、憲法と典範とは、何であろうか?「戦後レジーム」はどのようにしてそれらを軽視し、骨抜きにしてきたのか?

典憲は、『憲法の憲法』である立体構造の『規範国体』を文字で掬い取って平面的に投影して書き写したものである。『規範国体』が『本質』であり、『典憲』はその『属性』としての影絵である

「このうち、皇室の家法である典範とは、明治典範などによってある程度成文化されたものの、成文化による表現に馴染まず、あるいは、成文化することによって誤解や誤用が生じる恐れのある事項、たとえば、『三種の神器』、『宮中祭祀』などの古来から皇統と不可分に受け継がれた不文慣習法の総体としての『正統典範』のことである。天皇と皇族に適用されるものであって、国家と国民の全体に適用される憲法とは、それぞれ法の守備範囲を異にする。」(p.13, p.12 『とこしへのみよ』南出喜久治)

「古代以降、皇位継承について成文化された規定はなかった。1889(明治22)年、大日本帝国憲法とともに、皇室に関する初めての成文法である皇室典範が制定された。」「ただ、皇室典範は一般法規とは異なり、憲法から超越した宮務法とされ、『皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス』(大日本帝国憲法74条)として、議会が法改正に介入することはできなかった。」(編集委員 井上亮  日本経済新聞 2016年7月18日  『「自ら譲位」 封じた歴史』)

だが、GHQ『皇室典範』は「憲法」の下位法、単なる「法律」とされた。

「この新皇室典範の立案過程で、皇室に関する事項だけを定めた同法を一般の法律と同列に扱うべきかどうかが問題になった。皇位継承に関わる重要な法律なので、『天皇の意思を関係させないのは妥当か』『天皇の発議により国会の議を経る特別な法にするのが適当』との意見があった。」「結局、一般法と同列とすることになり、天皇は改正には一切関与できなくなった。国民主権と政治的権能を持たない象徴天皇を定めた新憲法のもと、皇室を特別扱いするする法にすることは避けられた。」(編集委員 井上亮  日本経済新聞 2016年7月18日  『「自ら譲位」封じた歴史』)

さらりと流してあるが、これは大変なことである。私達国民に分かりやすい言葉で言い換えると、

①連合国は、天皇家からその家憲である皇室典範をとりあげ、代わりに「単なる法律」である同名の『皇室典範』を制定したが、②「皇位継承に関わる重要な法律」であるにもかかわらず、その実態は「皇位継承を困難にする」法律である。④「国民主権」「象徴天皇制」により政治的大権を剥奪された天皇は、「改正発議の大権」も奪われ、改正には一切関与できない。⑤「国民主権」の『日本国憲法』の下位法であるGHQ『皇室典範』に縛られる天皇の存在は、「国民の下僕」???⑥『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は、「皇室を特別扱いしない法」である。

「皇室を特別扱いしない」なら、国民と同じかというと、そうではない。天皇には職業選択の自由など、国民が享受している各種の自由と権利がない。私有財産もなく(『日本国憲法』8条、88条)、私的ご旅行ですら、つい最近まで全くなかった。権利など全くなく、義務ばかり。その扱いは完全に非人道的である。

そのうえ、陛下が「国民に尽くす象徴天皇」として完璧であろうと努力されればされるほど、公務は増え、その御身体に鞭を打つ結果となってしまう。そして、「これ以上無理をすると、公務に支障をきたしてしまう」という責任感からの御判断で「譲位の意向」を示せば「違憲」と騒がれ、「慎重に」という一言で、事実上棚上げされてしまう。

これは「特別扱いしない」のではなく、完全な弾圧・迫害である。

だが、GHQ『皇室典範』の立案段階では、当のGHQですら「皇位継承を崩御に限るのは、自然人としての天皇の自由を拘束しすぎる。」として、退位の自由を認めるべきだといっていた。が、GHQお手盛りの「憲法普及会」の副会長となる国務大臣の金森徳次郎は、「天皇に私なし、全てが公事」と言って天皇の意思による退位を否定した。

その後、「終生公人としてその地位を守らなければならないのは天皇のあり方としてひどすぎる。」(1956年5月の参院内閣委員会)といった「天皇の基本的人権」に鑑みた退位論など、退位論議は散発的に行われたが、そのたびに内閣法制局や宮内庁が否定し続けた。その理由は①「歴史上の上皇などの弊害」②「天皇の自由意思に基づかない退位の強制があり得る」③「恣意的な退位は天皇の地位の安定性を損なう」であった。(日経新聞2016年7月18日)

①は非現実的、②・③は話が逆だ。

「象徴天皇」こそが、「天皇の自由意思に基づかない(立憲君主という地位からの)退位の強制」であり、「天皇の地位の安定性を損な」った最たるものであった。

「国民主権」を高らかに宣言した『日本国憲法』が制定された時、事実上主権は連合国総司令官SCAP・GHQにあった。「(象徴天皇という)天皇の地位」を「国民の総意」ではなくGHQが恣意的に決定し、「主権者」と持ち上げられた国民は皆「蚊帳の外」に置かれていたのである。

『日本国憲法』公布記念式典の勅語には「この憲法は…自由に表明された国民の総意によって確定されたのである…」とあり、枢密院では顧問官の美濃部達吉博士が憲法改正に反対の意を示しただ一人起立をしなかったほかは、全員が賛成だったことになっている。が、枢密院議長清水澄博士は、新憲法施行後の9月25日に入水自殺をし、大日本帝国憲法に殉じた。『日本国憲法』施行の日のしたためた『自決の辞』には、昭和天皇の戦争責任の否定、平和愛好の性質故の開戦反対の事などが訴えられ、日本と天皇の将来を憂う言葉が綴られていた。

『日本国憲法』に反対して自殺された清水博士のことは、憲法論議に全く登場しない。だが、今上陛下はご存じのはずだ。清水澄博士は父君・昭和天皇の憲法学の師であったのだから。

清水博士も、東條英機ら「A級戦犯」等という名で処刑された戦争指導者達や、散華した皇軍将兵も、『日本国憲法』が有効とされてのさばっている限り、天皇陛下の公式の顕彰・追悼を受けることができない。

祭祀王たる天皇が、真実と誠の言葉を自由に発することを禁じる『日本国憲法』とは、なんと罪なものであろうか?

天皇陛下のその本当のお苦しみを、我々国民に知らせずにいる『日本国憲法』への盲従とは、なんと情けないものであろうか?

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前述した「憲法普及会」は、GHQの監督下、帝国議会により組織された、「官製の洗脳運動体」(南出喜久治)であった。まず「憲法研修会」で664人の公務員(各省庁及び警察庁から50名ずつ)を教育し、全国各地で講演会を催し、最高学府で学んだ者ほど『日本国憲法』絶対教にはまり、思考停止するという状況が生まれた。一般国民向けの冊子『新しい憲法  明るい生活』も2000万部(全世帯に一冊ずつ)配布され、映画、紙芝居、カルタにまでなり、「臣民の全ての階層を洗脳した。」

そして、今や、学童時からGHQ教育で洗脳された世代と、その世代に育てられた子の世代が、日本支配層・権力層の中枢に蔓延している。「『日本国憲法』有効」を大前提として構築された戦後日本で生まれて育った人々である。

かくして、「天皇軽視」の傾向は左翼政治家のみならず、宮内庁、外務省、文科省にも蔓延することとなった。

『憲法無効論とは何か』の著者で、「新しい教科書をつくる会」理事として『新しい公民教科書』第三版を執筆した小山常実によれば、文科省が行う教科書検定は、公民教科書から「立憲君主」「国体」「家族」という言葉を消し去り、「祖国防衛」を否定し、「国民とは今現在生きている人だけ」と書くよう執筆者に強制しているという。世界が絶賛する日本の素晴らしい伝統である、家族主義という「利他主義」の基本を無くそうとしているのである。亡くなった家族を「国」の一員と認めないなら、先祖崇拝は廃れ、祭祀王たる天皇の存在理由も無くなるというわけだ。

天皇とは祭祀王であり、「万民の父母」であり、天皇家は日本という大きな家族の宗家である。ヨーロッパ王家のような征服王ではないのだ。故に、搾取者である王族をギロチン刑に処した、フランス革命の生んだ人権宣言を、日本に持ってこられても違和感しか覚えないのは当然である。フランス式の「搾取されないよう、権力を縛る為の憲法」ではなく、「権力と権威の分立」の大日本帝国憲法で、戦前の日本は立派に立憲政治が機能していた。

共産主義が人々に受け入れられないのは、彼らの言うことが嘘ばかりだからだ。嘘ばかり言っているくせに、それに賛同しない人々を「頭が悪く理解できない」と見下しているからだ。

同様に、「南京大虐殺」「慰安婦性奴隷強制連行」を事実として戦後70年談話を書いた外務省と政府自民党の政治家も、「東京裁判史観」を真実として国民に提示し続ける学者達も、『日本国憲法』絶対教信者の憲法学者も、「頭が悪い」と見下されるのはどちらか、そろそろ立ち止まってよく考えた方が良い。

貴方達を、私達はもう信用できない。私達の大切な御親である天皇陛下の「譲位」のご意向を、「有識者会議」などにかけて「慎重に何年もかけて検討」するとは、「本当に大変なことになるまで手をこまねいて見ている」ということだと、国民は気付いている。

天皇の「譲位」問題を、「有識者会議」に任せるということは、ナチスの「全権委任法」による政権奪取の如く、国民が知らないうちに日本を滅亡の危機に追い込む謀略である。

そんなことはない、というなら、せめて今すぐ「『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』無効論」を国民全体に周知せよ。嘘ばかりいう貴方達に、「南京虐殺はあった」などと未だに言っている貴方達に、「『無効論』なんてくだらない」と、国民の代わりに勝手に決めて欲しくない。国民に周知し、反論があるなら無効論者を相手に堂々と公開討論でするがよい。

天皇陛下と国民を愚弄するのは、いいかげんにせよ。

日本国民は、やくたいもない「国民主権」など要らない。そもそも、一体本当に、私達は「主権」とやらを行使できたためしがあったか?もし本当にそんなものがあるのなら、私たち国民は、今それを行使したい。

日本国民は、天皇陛下に立憲君主としての大権をすべてお返しし、「至高の権威」として、日本を滅茶苦茶にしている人達に、正気を取り戻させていただきたいのです。

もとの貧しくとも清廉な、美しい誠の心を持った日本に戻すために、国民がはっきりと目を覚まし、しっかりと歩いてゆけるように、「万民の父母」として、見守っていただきたいのです。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効・大日本帝国憲法と明治の皇室典範の復原宣言を、国会が議決し、天皇陛下に宣言していただくことを、国民は望みます。

すめらぎいやさか。

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原爆と真珠湾:あの戦争の真実を、オバマ広島演説の自己欺瞞が覆い隠している

「『日米同盟』と『友情』という『希望の選択』」? 原爆投下正当論の修正と、本当の「人道に対する罪」:東京裁判・War Guilt Information Program・「『日本国憲法』の制定」の認罪で「真に対等な日米同盟」を実現せよ__感動のスピーチを「きれいごと」で終わらせないために…。

真珠湾を「騙まし討ち」にした責任を隠蔽してきた外務省と、『日本国憲法』無効・廃棄のチャンスをむざむざ捨てた吉田茂の「未必の故意」を追及し、日本と米国に真の和解を!

「我々には共同責任がある__歴史を直視し、他のどんな違ったやり方をすれば、あのような苦しみを撲滅することができるのか、問う責任が」

“…we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.”

2016年「伊勢志摩G7サミット」のため来日中のオバマ米国大統領は、5月27日広島を訪問し、原爆記念碑に献花した後、被爆者を含めた聴衆を前に感動的な、そして歴史的な演説をした。

「核なき世界」という崇高な理想を唱えて、ノーベル平和賞を受賞した「スピーチのオバマ」の面目躍如たる、格調高さと誠実さを、ともに感じさせる文面である。

「科学の発展は、これまでにない効率の良い殺人機械をも作り出してしまう」(”Science…can be turned into ever more efficient killing machines.”)

「将来、広島と長崎の名が人類最初の核攻撃を受けた場所としてでなく、我々人類の倫理観の覚醒の始まりの象徴として人々に知られるように」(in a future…Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare but as the start of our own moral awakening.)

だがこれは、「(米国が、でなく)科学の発展が、生み出した」原爆という大量殺戮兵器の存在を「人類共通の責任」とすることにより、「その悪魔の兵器を日本の無辜の民に対して使用した」という道義的責任に蓋をした、姑息な言い方でもある。

「原爆投下という『加害責任』を認め謝罪する」ことに繋がりうる言葉を、オバマは慎重に、だが徹底的に排除した。

「原爆投下により戦争終結が早まり、日本が戦争を続行した場合に日本本土決戦で犠牲になったはずの、数百万の米兵と日本の軍民の命が救われた」とする「原爆投下正当論」は、米国の退役軍人・高齢世代を中心に今もなお根強くある。(「日本人の命も救ってやった」という恩着せがましさよ。)

オバマはこれらの正当論者、特に強硬な退役軍人にライス米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)を通じて「米国はいかなる状況でも謝罪しない」と明言することで黙認を取り付け、戦後長らく「タブー」とされてきた広島訪問を、実現した。次期大統領共和党候補指名確実のトランプも、オバマの広島訪問について「大変結構なこと、謝罪しない限りは」と選挙集会で語っていた。

事実、オバマ大統領は黙とうはしたものの、「頭を下げる」というジェスチャーはこれもまた注意深く避けた。

また、演説そのものにも、「非道な戦争行為はお互いさま」「いや、米国と連合国はやはり正義=日本とドイツの悪行を思い出せ」というニュアンスがそこここに散りばめられていた。

「But we have a shared responsibility to look directly into the eyes of history」(歴史を直視する共同責任がある)

Empires has risen and fallen. Peoples have been subjugated and liberated. And at each juncture, innocents have suffered……」(ナチス・ドイツの第三帝国と大日本帝国?「南京大虐殺」?)

「……some 60 million people would die. Men, women, children, no different than us. Shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death.」(「バターン死の行進」とナチ・ホロコースト?)

「shared responsibility」とは、米国の「原爆投下正当論」者にとっては「日本が最初に悪事を働いたのだから、当然日本に大半の責任があるが、原爆のとてつもない殺傷能力は米国の予想もはるかに超えていた。確かにoverkill(過剰殺戮)だったかもしれない…」という「過剰防衛」くらいの責任の度合いであるが、大方の日本人にとってみれば「米国が(『共同』とはいえ)責任を認めた」とはつまり、「これで戦後が終わる」というくらいの重みのある文言である。だから米国の退役軍人はオバマの広島訪問を黙認し、日本人は歓迎一色に染まった。

オバマの広島演説は、安倍首相の戦後70年談話と対をなす「玉虫色の日米和解エールの交換」というべきものであった。

おそらくは、安倍首相(日本)とオバマ大統領(米国)の間には「これで戦後レジームの脱却云々は手打ちにして、今後は『日米同盟調整メカニズム』がスムースに運ぶようお互い努力しよう」という了解があったのであろう、と想像する。

日米同盟強化作戦__といえば対等な同盟の共同作戦のように聞こえるが、実のところ、米国が日本の「集団的自衛権」の行使を、事実上米国が自軍の展開を削減したいアジア地域での、中ロ牽制の役割に特化して、日本に特別に認める、ということである。米国が「被保護国・日本の影の宗主国」として主導権を握る状況に変わりはない。

「対等な日米同盟」は、今のままでは、実現にほど遠い。

オバマ大統領は「The United States and Japan have forged not only an alliance but a friendship」(米国と日本は「同盟関係」だけでなく、「友情」も培ってきた)といい、安倍首相は「熾烈に戦い合った敵は70年の時を経て、心の紐帯が結ぶ友となり、深い信頼と友情によってむすばれる同盟国となりました。」と、昨年2015年の米上下両院合同会議での演説での言葉を引いて、オバマの言葉に応えた。

だが、両者のいう「友情」「同盟」には温度差が歴然としてある。

「オバマ大統領は日本にいる間、真珠湾への卑怯な騙まし討ちのことを話し合ったのか?何千人ものアメリカ人の命が失われたのだ___ドナルド・J・トランプ」(Twitter)

Does President Obama ever discuss the sneak attack on Pearl Harbor while he’s in Japan? Thousands of American lives lost. ___Donald J. Trump https://twitter.com/realDonaldTrump

米国は原爆投下を正当化した。だが日本はひどいことをした。」「訪問を謝罪の枠組みにはめると、本来必要のない議論が起きます。」ジェニファー・リンド 米ダートマス大准教授(朝日新聞2016年4月23日)

「米大統領の広島訪問は、日米関係だけにとらわれると原爆投下についての謝罪の有無が問題になり、逆に日本による真珠湾攻撃の責任も持ち出され、国家のメンツやナショナリズムを刺激しかねない。」入江昭 ハーバード大名誉教授 (朝日新聞2016年5月29日)

「訪問と同時に謝罪も求めると、過去の戦争の評価をし直すことになる。」美根慶樹 平和外交研究所代表・元軍縮大使(朝日新聞2016年5月28日)

米国人保守はともかくとして、左翼学者とはいえ、日本人までもが「真珠湾攻撃」を「卑劣な騙まし討ち」として認識し、まるで「米国の原爆投下への謝罪」に対し「日本の真珠湾攻撃への謝罪」が当然必要かのような話になっている。「米国に謝罪など求めれば、ヤブ蛇的に日本の戦争犯罪のことも突かれてしまうぞ」と、暗にほのめかしてさえいる。

このことこそが、「戦後レジーム」の中にどっぷり浸かった人々の自己欺瞞なのだが、それに気づいていないのか、それとも他の日本人に気づかせたくないのか…。

オバマの最初の大統領選の際、対抗馬のマケインの副大統領候補として奮戦した、当時アラスカ州知事のサラ・ペイリンは「私たちが始めたわけではない戦争を、米軍が終わらせたことが間違いだったと示唆した」と今回のオバマの広島訪問を非難した。

だが本当に、アメリカは日米戦争を「始めなかった」のだろうか?

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Memorandum for the Director  Subject: Estimate of the Situation in the Pacific and Recommendations for Action by the United States p.4/4

米国は1940年10月7日付のマッカラム覚書で、「日本に最初の一撃を撃たせるため」の経済封鎖・石油禁輸など8つの項目を挙げ、その通りに日本を挑発して戦争に向かわせた。

1941年7月23日、側近に国際共産主義者を配したルーズベルトは、コミンテルンのスパイであったラフリン・カリー大統領補佐官の、中国国民党と連携しての日本爆撃計画に承認のサインをしている。

1941年7月26日、同じくコミンテルンのスパイであったハリー・デクスター・ホワイト財務省通貨調査局長の提案で在米日本資産が凍結され、日本の金融資産は無価値となった。

日本側がまだ必死で戦争回避の交渉を続けていた1941年11月に米国から突きつけられ、事実上の対日最後通牒となった「ハル・ノート」の実質作成者は、そのホワイトであった。

ルーズベルトは、日本を対米戦争に向かわせるまでに、完全に追い詰めた「ハル・ノート」の存在を、米国議会に隠したまま、日本の「真珠湾の騙まし討ち」を非難する演説をして、ハミルトン・フィッシュら参戦反対論者を騙し、対日参戦の決議を勝ち取った。

しかも、米国海軍の太平洋での機動力を殺ぐ為の「空母狙い」の真珠湾「奇襲」攻撃は、事前に日本側の暗号を解読し、攻撃目標を察知していたルーズベルトによって、その効果を半減させられた。

1941年12月7日(ハワイ時間)、真珠湾に、空母はいなかった。太平洋艦隊の主力、2隻の空母USSエンタープライズとUSSレキシントン、そして21隻の最新鋭戦艦は、ワシントンからの突然の命により、攻撃数日前にパール・ハーバーを離れ、ウェーキーとミッドウェイにそれぞれ派遣されていた。

マッカラムの「日本挑発行動8項目」の存在を知らされていなかった、真珠湾基地の太平洋艦隊司令長官H.E.キンメル大将は、暗号解読により日本の宣戦布告・ハワイへの攻撃が間近であることを察知し、これを洋上で迎え撃つため、独断で北太平洋へ帝国海軍機動艦隊の捜索部隊を出すが、ホワイトハウスはこれを知ると部隊の引き返しを命じてきた。

日本が機動艦隊を差し向けてくるのが確実な北太平洋を、「空白海域」として米国海軍の航行を禁止する、というのがホワイトハウスの命令であった。日本には自由で順調な航海の後、計画通り真珠湾に「卑怯な騙まし討ち」をかけてもらわねば困るからである。

キンメルと、真珠湾に残されたスクラップ待ちの老朽戦艦たちは、ルーズベルトによって、日本を誘い出すための囮とされたのだった。

1941年12月16日、キンメルは真珠湾の「失策」により少将に降格された。1999年5月25日、キンメルと、同時に降格されたウォルター・ショート米陸軍ハワイ部隊司令官の、名誉回復と階級復元が米国議会で決議されたが、当時の大統領クリントンも、ジョージ・W・ブッシュもオバマも、実行に移していない。

Pearl Harbor resauces 2
“Japan’s Decision for War in 1941” by Jeffrey Record / “FDR: The Other Side of the Coin” by Hamilton Fish, LL.D. / “Day of Deceit: The Truth about FDR and Pearl Harbor” by Robert B. Stinnett

対米戦争を日本に決意させた根本原因は、経済と名誉の問題だった。1941年7月の、ルーズベルトによる在米日本資産の凍結に続く対日経済封鎖は、日本にとって経済的・軍事的破滅の脅威であった。」(”The roots of Japan’s decision for war with the United States were economic and reputational. The termination of U.S. trade with Japan that followed Roosevelt’s freezing of Japanese assets in July 1941 threatened to destroy Japan economically and militarily.” p.48, Japan’s Decision for War 1941, Jeffrey Record)

「(日本国内に無く、アジアには有る日本の製造業が必要とする原材料の)供給が途絶えたら、1000万から1200万の失業者が発生すると、日本は恐れたのです。彼らの開戦目的は、つまり、大部分が安全保障に拠るところが大きかったといえます。」(“They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore in going to war was largely dictated by security.” ) (ダグラス・マッカーサー元連合国軍総司令官の米国議会上院軍事外交共同委員会での証言、1951年5月)

1928年12月7日、ケロッグ米国務長官は、米国議会上院の不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)批准の是非をめぐる討議において、経済封鎖は戦争行為そのものだと断言している。
東京裁判史観は「日本はパリ不戦条約に違反して侵略戦争を行った」というが、その不戦条約の中心人物であるケロッグ自身が「経済封鎖は『戦争行為』である」と断言したということはつまり、真珠湾攻撃の何か月も前に、経済封鎖を日本に仕掛けていた米国こそが、日米戦争において真の「最初の一撃を撃ったもの」であり、真の「侵略者」である、ということになる。
しかし、ケロッグが説明したように、侵略戦争かどうか、自衛戦争であるかどうかを決めるのは、戦争当事国の裁量に任されている。
米国が「侵略ではない」といえば、侵略ではないのだろう。矛盾と欺瞞だらけの国際社会に、我々は生きている。
ここで明白なのは、しかし、全世界のどの国も当然持っている「侵略かどうか、自衛かどうかを決める裁量権」を、独り日本だけには「与えられていない」ということである。それを決めるのは、連合国なのだ。

連合国が与えた『日本国憲法』によって、日本は自分の行う戦争が「自衛かどうか」を決めることができなくされている。

『日本国憲法』が、日本に「国連(連合国)至上主義」の軛をかけ、GHQの洗脳から日本国民が解き放たれるのを阻んでいる。

日本を、今でも事実上の敵国と規定する国連憲章の敵国条項(第53条・第107条)は、1995年の国連総会で、「既に死文化している」という過半数の賛成により、その削除が採択されたにも拘らず、批准されず、いまだ削除されずにいる。キンメルらの名誉回復が米国議会によって決議されながら、大統領によって実効化されずにいるのと同じだ。ここにも「玉虫色」の、「見せかけだけの正義」がある。

敵国条項によれば、「連合国の敵(つまり日本)が侵略戦争を仕掛けている、と連合国(の一国)が信じれば、安保理の許可なしに(日本を)攻撃してよい」ということになっている。つまり、日本を攻撃したければ「日本が侵略しようとしている」と言えばよく、反対に日本はそれへの反撃すらも自衛と認めてもらえない可能性がある。

この戦慄すべき不平等、唾棄すべき日本への差別。

このことを連合国が認識し、国際社会に周知しない限り、彼らのいう「同盟関係」「友情」という言葉に誠はない。

欺瞞に満ちた「偽りの同盟」は「1945年8月のソ連による満州侵略」の再現に繋がる__そこに心からの信頼関係はない。

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米国と連合国は、「日本は『天皇制強権支配』『侵略的軍国主義』によって日本国民を抑圧し、世界征服の野望に燃えて、アジア諸国を侵略した」という誣告=嘘を根拠に、日本の憲法を挿げ替えた。

連合国は、「象徴天皇制」「国民主権」を謳う『日本国憲法』によって、優れた立憲君主として立派に機能していた天皇から政治的権能を奪い、皇室弾圧法である『GHQ占領典範』によって皇室の自治権を奪って、皇統の危機を招来している。

広島と長崎に原爆を落とし、冷酷にも研究対象としてその被害者を観察した米国は、同じ冷酷さで日本人を洗脳した。歴史を書き換え、戦前の日本そのものを「邪悪な存在」として全否定し、「米国・連合国=正義の味方」史観ともいうべき虚構を日本人の頭に刷り込んだ。

『日本国憲法』第21条が禁止する検閲を、徹底的に行使することによって、連合国は今もなお日本人の「知る権利」を蹂躙しながら、日本の言論を弾圧し続けている。洗脳は、今も続いている。

その効果で、中国の露骨な「西太平洋での覇権」を目指す侵略行為を目の当たりににしながら、日本人の多くが、「中国を侵略した日本は中国に意見できない」という、植え付けられた贖罪意識によって、声を上げるのを遠慮してしまう。

同様に、原爆投下正当論は日本人の中にも浸透している。「南京大虐殺」「従軍慰安婦強制連行」等をいまだに事実と思い込んでいる人々は、「原爆投下が日本軍のアジアでの残虐行為をやめさせた」という偽のロジックに反論できない。

だが、本当に、日本と日本人は連合国の言うような邪悪な存在だったのか?

天皇は「国家神道」を臣民に強要して強権支配していたのか?大日本帝国憲法は日本人を搾取する悪法だったのか?日本人の天皇陛下への思慕は、強制されたものだったのか?

Hiroshima Hersey
ジョン・ハーシー『Hiroshima』

被爆者は「戦争を起こした天皇」を憎みながら、死んでいったのか?

第二次大戦中、従軍記者として『ライフ』誌などに寄稿していたジョン・ハーシーは、『ザ・ニューヨーカー』誌の企画記事を書くため、原爆投下の一年後の広島を訪れた。『ザ・ニューヨーカー』1946年8月31日号の大部分を占める長編記事として初出版されたハーシーの『Hiroshima』は、ハーシーがその被爆体験を聞き取った沢山の生存者のうち、6人の体験に焦点を当てて構成されている。

その6人の広島市民(ドイツ人イエズス会神父をふくむ)がハーシーに語った原爆体験は、しかし、原爆の明白な超絶的破壊力にも拘らず、「阿鼻叫喚の地獄絵図」ではなかった。いや、4000度の熱線により即死、或いは即日死を免れた生存者も、多くは恐ろしい火傷を負っていた。程度の差こそあれ、誰もが何かしらの傷を負い、家を破壊され、路頭に迷っていた。咽喉が渇き、空腹だった。それは恐ろしく、悲惨な光景だったであろう。

にも拘らず、日本人は静かだった。

「西洋人であるクラインゾルゲ神父にとって、何百人もの負傷者たちが、ひとかたまりになって、身の毛もよだつような恐ろしい傷に苦しんだ川辺の木立__その場の静けさは、神父の原爆体験の中でも、最も恐ろしく、また畏怖の念を起こさせる、不思議な光景のひとつであった。負傷者たちは静かだった。涙を流して泣くものはいなかった。傷の痛みに大声をあげる者もほとんどおらず、不平を言うものもいなかった。多くのものが死んでいったが、みなひっそりと死んでいった。子供たちですら、泣く者はいなかった。話をする者さえいなかった。クラインゾルゲ神父が、原爆の熱線により、顔形も判別できないほどに焼けただれた人々に水を与えた時、彼らは自分の分をすすったあとで、少し起き上がり、神父にお辞儀をするのだった。」

(“To Father Kleinsorge, an Occidental, the silence in the grove by the river, where hundreds of gruesomely wounded suffered together, was one of the most dreadful and awesome phenomena of his experience./ The hurt ones were quiet; no one wept, much less screamed in pain; no one complained; none of the many who died did so noisily; not even the children cried; very few people even spoke. And when Father Kleinsorge gave water to some whose faces had been almost blotted out by flash burns, they took their share and then raised themselves a little and bowed to him in thanks.” p.49, Hiroshima)

大災害に襲われた時、日本人は騒がない。そのことを、戦争を知らない私たちも、2011年のあの未曽有の大震災の後に確認した。日本人は、太古から自然災害を被り続けるうち、いつしか「文句を言っても仕方がない。今自分のできる最善のことをするだけだ」という達観した態度を身に着けた。それは、子供でも女性でも同じだった。

広島ジャザブイン[ママ]女学校のノブトキ・カヨコは、原爆が炸裂した時、何人かの友達と一緒にお寺の大きな塀の脇で休んでいた。少女たちは爆風で崩落した重量のある塀の下敷きになり、動けなくなった。すぐにその隙間から煙が立ち込めてきて、重い塀の下で、少女達は窒息しそうになっていた。

「少女達の一人が国歌の『君が代』を歌いだした。ほかの少女達も一緒になって歌い、そして死んでいった。[カヨコ] は塀に割れ目を見つけ、何とか必死に這い出した。赤十字病院に運ばれた時、[カヨコ]は友達がどんな風に…皆で一緒に国歌を歌いながら死んでいったか…を伝えた。彼女らはまだ13歳であった。」

“One of the girls begun to sing Kimi ga yo, national anthem, and others followed in chorus and died. Meanwhile one of them found a crack and struggled hard to get out. When she was taken in the Red Cross Hospital she told how her friends died, tracing back in her memory to singing in chorus our national anthem. They were just 13 years old.  p.116, Hiroshima)

広島大学の文学と科学の教授であるヒライワ博士は、東大生の息子と一緒に、原爆に破壊された二階建ての自宅の下に埋もれていた。二人とも、非常な重みの下で、一寸も動くことができなかった。家は既に火に包まれている。

「息子が言った。『お父さん、もうどうにもなりません。覚悟を決めて、お国の為に命を捧げましょう。天皇陛下に万歳三唱しましょう。』 父は息子の音頭で『天皇陛下、万歳!万歳!万歳!』と三唱した。『天皇陛下に万歳三唱したところ、』ヒライワ博士は言った。『不思議なもので、心が静まり、元気が出てきて、とても安らいだ気分になったのです。』その後、息子は脱出に成功し、瓦礫を掘り起こして父親を引っ張り出した。助かったのだ。その時の体験を思い出しながら、ヒライワ博士は繰り返した。『私たちは日本人でなんと仕合わせなことでしょうか!天皇陛下のために死のうと覚悟を決めた時、私は生まれて初めて、あんなふうな素晴らしい気分を味わいました。』」

(“His son said, ‘Father, we can do nothing except make our mind up to consecrate our lives for the county. Let us give Banzai to our Emperor.’ Then the father followed after his son,  ‘Tenno-heika, Banzai, Banzai, Banzai!’ In the result, Dr. Hiraiwa said, ‘Strange to say, I felt calm and bright and peaceful spirit in my heart, when I chanted Banzai to re’ Afterward his son got out and digged down and pulled out his father and thus they were saved. I thinking of their experience of that time Dr. Hiraiwa repeated, ‘What a fortunate that we are Japanese!’ It was my first time I ever tasted such a beautiful spirit when I decided to die for our Emperor.'” p. 115, Hiroshima)

私たち日本人は誰もが、天皇が、ヨーロッパの専制君主のような「搾取者」「強権支配者」等ではない、ということを知っている。

天皇は戦前も、今も変わらず、「立憲君主」であり、「万民の父母」である。GHQの「人間宣言」は、日本の文化と伝統に無知な外国人の、ピントの外れた天皇観からの発想であって、日本人には至極当たり前の話であった。

日本人は原爆に怯えて終戦を決意したのではない。寧ろ、「一億玉砕」を覚悟している国民に、天皇が「もうよい、矛を収めよう」と語りかけたのが「玉音放送=終戦の詔勅」であった。

天皇の「堪え難きを堪え忍び難きを忍び…万世の為に太平を開く 総力を将来の建設に傾けん」という言葉をうけ、敗戦の無念を胸にしまい、日本の明日の為にしっかり生きてゆこう、とういう天皇の言葉を体現すべく、心を一つに立ちあがったのだ。

日本国民が『日本国憲法』を「受け入れた」のは、天皇が公布の詔勅を出したからである。

「この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであって、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によって確定されたのである。即ち、日本国民は、みづから進んで戦争を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基づいて国政を運営することを、ここに、明らかに定めたのである。」(日本国憲法公布記念式典の勅語)

1946年11月3日、貴族院議場で挙行された『日本国憲法』公布記念式典で、国民の熱烈な歓呼を受けたのは『日本国憲法』ではなく、天皇の存在であった。

だが、日本人は知らなかった。この詔勅そのものが、『日本国憲法』誕生のいかがわしさを糊塗するために、「何とかつじつまを合わせようというので(天皇にお願いして)受けた」(公布当時の法制局長官・入江俊郎)ものであったということを。

「帝国憲法を全面的に改正した」といいながら、帝国憲法の改正方法に全く則っておらず、また改正の限界を超越しており、帝国憲法違反であることも、そもそも占領軍による「憲法改正の強要」はハーグ陸戦法規違反であることも、日本人は知らされなかった。

「国体護持」の条件付きで呑んだポツダム宣言に違反して、「象徴天皇制」「国民主権」という左翼全体主義的制度に「国体改変」したGHQの、日本人への差別的な人権無視を批判することさえ、日本人は許されなかった。

全国焼夷弾爆撃と原爆ニ発で「日本国土の完全破壊」を示唆。「天皇の身柄は保証せず」と恐喝。公職追放で、家族ともども路頭に迷う100万人の困窮を見せつけられながら、明日は我が身と怯える帝国議会議員による、実質「英語で書かれたGHQ憲法草案の日本語翻訳作業」でしかなかった「憲法改正委員会」を、「自由に表明された国民の総意」と呼ばせる、連合国の無法無体を、検閲という全体主義的行為によって、GHQは日本国民から隠し通した。

そして、ポツダム宣言のいう「無責任なる軍国主義」「日本国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出づるの過誤」の「証拠」として、偽証罪なし「訴えたもの勝ち」の東京裁判で、2年にも亘って偽の「日本の戦争犯罪」を並べ立て、日本と日本人に無数の冤罪を着せた。

連合国が固執した「憲法改正」の拠り所となった「アジアにおける『残虐非道の侵略軍=帝国陸海軍』による虐殺(『南京大虐殺』)虐待(『バターン死の行進』…後に『慰安婦性奴隷強制連行』)」も、すべては悪質な誣告であった。

『日本国憲法』は、「GHQの押し付けだから」という遥か以前に、連合国の日本人差別に満ちた占領政策における犯罪の集大成であり、当然無効である。

GHQは、言論機関・メディア・教育体制を通じて、東京裁判史観を国民に広め(WAR GUILT INFORMATION PROGRAM)、同時に30項目に亘る検閲(PRESS CODE=CENSORSHIP)で徹底的に真実を隠し通した。それらは全て、犯罪であった。

日本人は、戦後70年余、「知る権利」を蹂躙され続けている。「残虐非道の虐殺者、性奴隷を持った国」の国民として、「一億総前科者」扱いされている。汚されているのは祖父の名誉ばかりではない。

これは人道に対する罪、「正義」に対する侮辱ではないのか?

 

「日米の記憶 結ぶ機会に」と題されたインタビュー記事で、朝日新聞など左翼メディアに人気のコロンビア大教授、キャロル・グラックは、オバマの広島訪問を前に言う:

「原爆投下の記憶をめぐる米国と日本の記憶は対照的で、お互いに重なりません。米国の場合は(…)広島と長崎への投下で終わり、その下で起きた惨状は語られません。一方、日本の場合は原爆投下とそれで生じた被害から始まります。戦後日本が平和国家を目指すためのきっかけとなっていますが、それまで続いた戦争は登場しません。」「(戦後70年余で戦災に関する記憶の多くが変化した。が、原爆の記憶は変わっていない。その訳は)米国は原爆の倫理性、日本は侵略戦争の問題を直視しなくてす(むから。)ホロコーストや南京大虐殺、日本軍の慰安婦などは(人々がどのように記憶し、語るのかが変わった)典型(…)。」 (朝日新聞2016年5月17日)

後半、話の焦点がズレてくるが、要するに、『日本国憲法』とともに連合国の押しつけた「日本悪玉史観」が近年風化しかけている、日本はなぜ「原爆を落とされた」のか、その理由に思いをいたせ、とのご高説である。

だが、グラックは連合国と米国の「占領軍が日本に何をしたのか」については、不問のままだ。

連合国の占領政策と東京裁判を検証しなければ、「日本の侵略戦争」の誤謬を認識できず、正確な知識に基づく、実証主義的歴史認識を持つことができない。

キャロル・グラック、ジョン・ダワー…、国際共産主義者の意を体する米国の高名な学者たちが、いくら偉そうに日本の「侵略戦争」批判をぶっても、もはやかつての権威的圧力は感じられない。戦後70年余、「日本の加害の証拠」は論破され尽くし、「連合国の加害の証拠」ばかりが蓄積されてゆく事実には、寧ろ哀れを催す。

いや、キャロル・グラックの「日本の侵略戦争批判」の歯切れの悪さは、愚民化政策で日本人(と米国人、そして世界中の人々)を無知なままに置こうとした、国際共産主義者たちの「戦後レジーム」が、いま崩壊の崖っぷちに立っていることへの焦慮であろう。

嘘の上に嘘で塗り固めた「連合国善玉史観=日本悪玉史観」は、遅かれ早かれ崩落の運命にある。

だが、それを必死で抑え込もうとしている勢力が、日本国内にもある。もはや死に体の左翼政党や朝日新聞ら左翼メディアのことではない。

真珠湾攻撃が「騙まし討ち」ではなかったと、説明できる立場にありながらそれをせず、結果、「卑怯な日本人」への米国民の激昂を煽り、米国側の「原爆投下正当論」に加担した、日本の外務省である。

外務省の罪を問う

1945年12月7日、ワシントンの日本大使館は、事務執行上の失態により、本省から指定されていた「最後通告」の手交時刻を1時間20分も遅延させ、事実上、真珠湾攻撃を無通告の「騙まし討ち」にしてしまった。

米国務省のコーデル・ハル長官に、その文書を届けた野村大使と来栖大使は、それが日米交渉の打ち切り、つまり「宣戦布告」を意味する「最後通告」である、とは知らなかった。だが、開戦前日に、大使館は本省より「訓令次第何時にても米側に手交し得る様文書の整理其外予め万端の手配を了し置かれ度し」の指示を受け取っていた。そして、手交時刻を「午後1時」と指定してきた。「重要な文書であるので現地のタイピストを使わないように」との指示まであった。

にも拘らず、館務の責任者である参事官の井口貞夫は、大使館内に緊急体制を敷かなかった。そのため、大使館内でただ一人タイプが打てる外務官僚で、開戦前日に暗号で送られてきた「最後通告」の解読文を、タイプに打ち込む担当であった奥村勝蔵は、そんな重要な仕事をおいて、その夜外へ遊びに出てしまった。

真珠湾攻撃が「卑怯な騙まし討ち」になったのは、ワシントンの日本大使館の怠慢・失態のせいであった。

「いや、そうではない、外務省と陸軍参謀本部が共謀して、故意に電文の訂正を送るのを遅らせ、真珠湾攻撃が成功するよう謀ったのだ。」という説もある。(2012年12月8日日経新聞「大使館怠り説 覆す?新事実真珠湾攻撃-間に合わなかった最後通告」)

だが、この手交遅延の大失態の原因が、「事故的」であろうと、「謀略」に拠るものであろうと、関係ない。

重要なのは、手交遅延が発生した後の、野村大使を始めとする外務省の取った、或いは取らなかった処置そのものである。

野村吉三郎大使は、国務省でハルに面罵され(それは日本の開戦を予め知っていたハルの芝居であったが)、沈痛な面持ちで大使館に戻って、初めて日本の真珠湾攻撃を知った。大使館の外には米紙の新聞記者が詰めかけていた。

野村大使は、この時、新聞記者らに、「手違いで遅延してしまったが、日本政府は午後1時に手交せよと指示していた。」と真実を話すべきであった。

「日本は真珠湾攻撃を『騙まし討ち』にするつもりはなかった」ことを、はっきりさせておかなければならなかった。

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杉原誠四郎 『外務省の罪を問う』 (p.79)

米国人、特に将兵達は、「卑劣な日本が『計画的』に真珠湾に『騙まし討ち』をかけ、3,000人以上のアメリカ人の命が奪われた」と信じ、激昂していた。

右表のように、1944年3月~4月のプリンストン大学の調査では、本土にいて、実際の日本軍と対戦していない将兵の67%が、「日本人を一掃せよ」と答えている。

表中、カッコ内の数字は「ドイツ人を対象にした場合」であり、ドイツ人に対しては「(ヒトラーら、ナチスの)指導者を罰せよ」との答えが多いのに対して、日本の場合には、日本人全体への憎しみが大きいことが見て取れる。

このことは、米国人の、有色人種である日本人に対する人種偏見もあるであろう。が、1937年12月、南京攻略戦の折の米軍艦パネイ号誤爆事件では、日本軍が即刻誤爆であることを説明し、謝罪したことで、ニューヨーク・タイムスなど新聞は書き立てたものの、大事には至らなかった。

してみれば、やはり「卑劣な計画的騙まし討ち」の汚名だけは、何としても雪いでおかねばならなかったはずである。

開戦の日の夜、外部との接触を断たれた大使館では、手交遅延の大失態を犯してしまった野村大使が、事の重大さに耐え切れず自殺を図るのではないかと、磯田陸軍武官や横山海軍武官らが心配し、大使の寝室を交代で見張った。後に磯田がそのことを野村に言うと、野村は、しかし、意外そうに言ってのけた。

「私はなぜ自殺などしなければならないのか。私は外交官である。」

野村は、何の責任も、痛痒も感じていなかったのである。考えてみれば、「手交遅延の大失態」の自覚を持てるようなら、そもそも「手交遅延」自体が発生していなかっただろう。コーデル・ハルが言ったように、清書が間に合わないのなら、とにかく指定された手交時刻に米国務省に行き、ハルに面会し事情を説明するべきだった。そうすれば、「日本は事前通告をしようとしていた」ということは事実として残ったのだ。

無能力なうえに、厚顔だったのか、野村は戦後、参議院議員を二期も務めている。が、無能厚顔は野村だけではない。国の一大事に緊急態勢を敷かなかった参事官の井口貞夫、そして重要文書のタイプ打ちを放って、外に遊びに出掛けた奥村勝蔵は、それぞれ、1951年、1953年、講和締結の前後に、吉田茂によって、外務官僚の最高位である外務次官に抜擢されている。

MacArthur and Emperor Showa

1945年9月27日、奥村勝蔵参事官は、第一回マッカーサー・昭和天皇会談に同行した宮内大臣ら6人の中で、何故か只一人会談に同席して、通訳を務めた。

天皇は真珠湾攻撃の「騙まし討ち」を遺憾に思っていた。東條に騙された、と怒っていた。手交遅延の真相を知らされていなかったからである。

真珠湾の件を遺憾に思っている、とマッカーサーに伝えた後で、昭和天皇は、「しかし、日本の戦争行為の一切に対し自分が全責任を負う」と発言した。マッカーサーが自伝に書き、奥村も確かにそうおっしゃった、と証言している。

手交遅延の件をご存じであったかどうかは、民を思う天皇のお気持ち自体に、何ら変化を与えなかったであろうが、それにしても、「日本が卑劣な行いをした」場合と「正々堂々と戦いを挑んだ」という場合では、当然後者の方が、敵軍の将にまみえる天皇のお気持ちは、遥かに軽かったであろう。そのことに、奥村は思いを致したであろうか?

井口貞夫は、ダレス米講和特使と吉田茂首相が、平和条約と日米安全保障条約について会談を行ったときの外務次官であった。

1951年2月9日、井口貞夫外務次官とアリソン(John M. Allison)公使により関連文書への「イニシアル(署名)」が行われ、これらの文書は後の平和条約、日米安全保障条約および日米行政協定の基礎となった。(ちなみに、このアリソン公使とは、日本軍による南京占領下の1938年1月26日「アリソン殴打事件」の、あのアリソンのことである。)

真珠湾の真実に関わる二人が、戦後レジームの構築時にも、日本外務官僚の長として関わったことは、何を意味するのだろうか?

確かに言えることは、吉田茂は、外務省の戦争責任を隠した、ということである。これは吉田の「政治的犯罪」(『外務省の罪を問う』杉原誠四郎)であった。

ダレスが再軍備を要請した時も、『日本国憲法』の無効を宣言して、占領下の不正を糺し、大日本帝国憲法下の、正常な日本に戻すチャンスがあったのにそれをせず、「警察予備隊」でお茶を濁し、その後はGHQの占領政策を事実上引き継ぐ政策をとってゆく。

外務省は、この後も「1982年教科書検定『侵略書き換え』誤報事件」で、積極的に中韓の内政干渉を常態化させ、「近隣諸国条項」等というものを作って、教科書検定という国の主権を中韓に譲り渡すという犯罪を犯した。

「1987年大韓航空機爆破事件」では、逮捕した金賢姫を日本の官憲で取り調べていれば、北朝鮮による日本人拉致事件の解決にも繋がったかもしれぬのに、それをあっさりと韓国に引き渡してしまったし、ODAに関しても、外務省の「屈服外交」の下、中韓などは「日本悪玉史観」を持ち出しつつ、「戦後賠償」として日本から金を搾り取り続けようとしている。2015年にも、外務省は安倍首相に「日中共同宣言に『村山談話』は継承してゆく、とあるのでこれを否定することはできない」とレクチャーし、安倍談話をあのような腰砕けのものにしてしまった。

吉田茂は、日本の経済の立て直しを優先したのかもしれない。だが、それは間違いだったと、日本人は気付かねばならない。日本人が欲しいのは金ではない。経済の発展だけで、日本は幸福になれない。

戦後、働き者の日本人は働いて、働いて、高度経済成長を果たした。GDPは上昇し、世界有数の金持ち国になった。だが、日本人は世界から嫉妬され、「エコノミック・アニマル」と軽蔑された。

合理的な中国人なら、「金儲けして何が悪い」と気にしないであろう。しかし日本人は嬉しくなかった。

日本人は働くのは好きだ。日本人は、一獲千金の狡賢い金儲けを嫌う。「成金」と呼んで軽蔑する。そんなに金持ちになれなくとも、「働き甲斐」のある仕事がしたい、と大部分の日本人は考える。日本人ほど、低賃金のいわゆる「ブルーカラー(非頭脳的)」労働にも頭脳を使い、工夫を凝らして習熟し、誠意をもって一生懸命に働く人々はいない、と思う。

だから日本社会は住み心地が良い。日本に行ったことのある外国人は、口を揃えて言う。「街が清潔だ。食べ物が最高に美味しい。痒い所に手が届くサービスが素晴らしい。人々が親切だ。日本が大好きだ!」

大東亜戦争でも、実際に日本兵と戦った米将兵は、日本兵の軍隊としての戦闘力の高さと、それを支える愛国心の強さに舌を巻いていた。

1944年11月15日、米国戦争省・情報省発行の『日本陸軍に関する軍人の案内書:The Sodier’s Guide to the Japanese Army』は、緒戦の頃に米兵たちの間に広がった「無敵の日本兵」神話を破壊するために、こう書いた:「日本兵はアメリカ兵に比べて体格が小さく、平均身長は160センチに満たず、体重は55キロしかない。四肢は短く、太い。彼らは素早く機敏だと評判だが、その実、かなり訓練を積んでも不器用である。」だが、同書の終盤にはその形容は一変する。

「(戦闘中、平均的日本兵は)強く、頑丈である。攻撃時には、日本兵は決然と、自己犠牲も厭うことなく突き進む。攻撃作戦に従事する時、日本軍の歩兵は終始その計画に従う__もしも多くの死傷者が出て作戦の変更、或いは作戦自体を断念しなければならない事態となってしまったとしても…。個々の日本兵の大胆さ、勇猛さは、彼が仲間とともにいる時、そして彼の部隊が地勢と火力で優位に立っているとき、頂点に達する。日本兵はカモフラージュのエキスパートであり、敵を惑わし、ひっかけることにかけてはピカ一である。日本軍の歩兵は命令に忠実に従う。彼等の訓練、規律は、夜間作戦に於いて特にその真価を発揮する。防御においても、彼等は勇猛果敢であり、規律正しく、射撃統制は卓越している。(塹壕やトンネルなどの)野戦築城の抵抗戦では、日本軍は狂信的とも思える頑強さを見せている。」

“[in battle average Japanese soldier was] …strong and hardy. On the offensive he is determined and willing to sustain sacrificial losses without flinching.When Committed to an assault plan, Japanese troops adhere to it unremittingly even when severe casualties would dictate the need for abandonment or modification of the plan. The boldness and courage of the individual Japanese soldier are at their  zenith when he is with his fellows, and when his group enjoys advantages of terrain and firepower. He is an expert at camouflage and delights in deceptions and ruses. Japanese troops obey orders well and their training and discipline are well exemplified in night operations. On the defense they are brave and determined; their discipline is good and their fire control excellent. In prepared positions the resistance of Japanese soldiers often has been fanatical in its tenacity.”

数日のつもりで攻めてきた米軍を相手に、2か月半も抗戦を続け、日本軍1万人余、米軍2,300名の戦死者を出した太平洋の激戦地、ペリリュー島には、キンメル大将の後任であるニミッツ太平洋艦隊司令長官によるものと言われる碑文がある。

「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本国人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ 米太平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ」
“Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island. Pacific Fleet Command Chief(USA) C.W.Nimitz”

尊敬しあう軍隊は正々堂々と戦う。日本軍も米国軍も、現場の兵士達は、どちらも大義の為、国の為に命を捧げた。不義は、両国を動かす立場の者の中にあった。

日本の2000年余の歴史と伝統、その「結晶」としての「天皇」というものに無知な国際共産主義者達が、ルーズベルトに対日戦争を仕掛けさせた。

同じ無知が、GHQと極東委員会をして『日本国憲法』という呪いを日本に掛けさせた。

自己保全と省益追求しか頭にない亡国の外務省が、「真珠湾」の「未必の故意」により、米国民の怒りを暴走させ、遂には日本人WIPE OUT__原爆投下に「正当性」を与えた。

「平和」の真の敵は、「無知」と「私利」なのだ。

「平和憲法」と左翼が呼ぶ『日本国憲法』は、その前文と9条で、「日本は軍隊を持たせると危険な邪悪な国だ」と宣言しているが、「平和憲法」信奉者は「9条は日本人が自ら戦争を永久に放棄し、戦力を保持しないとしたことを宣言した平和の象徴。これを変えよう、無くそう、というのは『戦争がしたい』と言っているのと同じ」といって純真な日本人を騙し、脅している。

教科書検定は、日本人が、「『日本国憲法』は無効なのでは」と疑わないように、公民教科書を検閲し、『日本国憲法』の成り立ちの真実を隠蔽し、日本国民を「無知」の状態に置くことに汲々としている。

一方で、『日本国憲法』を押し付けた側の米国でも、その国民を「無知」の状態に置くという構図は変わらない。米国の歴史家らが東京裁判史観を振りまいているせいで、米国民はいまだに「真珠湾の非道のせいで日本は原爆を落とされた。原爆は日本の暴虐から世界と日本人を救った」と思い込んでいる。

連合国の犯罪__『日本国憲法』制定と『東京裁判』史観による洗脳__を巡って、戦後、100万の人間が100万の嘘を、100万回言った__「戦後レジーム」とは、そういうものであった。いまや私達の誰もが、「無自覚の共犯者」になってしまっている。

ナチの宣伝相ゲッベルスは「嘘も100回言えば本当になる」と言ったが、しかし、それこそが究極のプロパガンダであった。嘘は100万回言っても真実にはならない。そのことに、私たちは気付くべきだ。

私たち庶民は、自分と家族のささやかな生活を護らねばならない。だが、嘘をついてまで、国を亡ぼしてまで、魂を売り渡してまで、金持ちになどなりたくはない。

そう思うのが、日本人だ。今の日本はそうでなくなっている、だから以前はあったはずの、日本の美しい魂を、とりもどしたい、そう願うのが、日本人の愛国心というものだ。

米国にも、偽善的で欺瞞に満ちた「原爆投下正当論」を心苦しく思っている人々がいる。彼等も、正しいことをしたいと願っている。

「倫理観の革命(moral revolution)が必要だ」といった草の根社会主義者オバマも、そう願っているだろうか?

「戦後レジーム」は、日本だけでなく、米国の誇りも傷つけている。知らないうちに、「嘘つき」「犯罪者」呼ばわりされているのは米国民も同じだからである。

日本人が覚悟を決めれば、日本と米国の、真実の和解はなる。「無知の知」を知り、真実を知ることで、「戦後レジーム」という軛を破壊し、日本人も米国人も、本当の自由を得る。

『日本国憲法』と『GHQ皇室典範』の無効を天皇に宣言していただき、大日本帝国憲法と明治の皇室典範が現存していることを、全日本国民が確認する。全世界に向けて、それを周知する。

それをしてよいかどうか、連合国に伺う必要はない。そんなことが必要だと言う示唆があった時点で、それが日本全体に対する、日本固有の自然権の蹂躙であるという証拠になる。

日本は、全てのことを、世界中の衆目の中で堂々と、そして粛々と行えばよい。

日本は、謝罪も賠償も求めない。求めているのは、真実と、明治維新以来日本人が欲してきた、世界の中の「名誉ある地位」だけだ。日本人は謙虚に、只ひたむきに、それを達成する。世界にそう知らしめるのだ。

大日本帝国憲法現存の確認によって、日本は立憲君主たる天皇を取り戻す。

天皇という「至高の権威」に政治的権力__『不裁可権』という「政治権力の暴走への歯止め」を取り戻す。「不裁可しないのが憲政の常道」であるが、「立憲君主」であると同時に、日本国の危機に際しては「万民の父母」として、国民に正しい道を示してきた天皇による「不裁可の可能性」を自覚させることで、近年目に余る議員・官僚の不勉強とでたらめを減らしてゆくことができるだろう。

大日本帝国憲法下の刑法__GHQに削除された「利敵行為」条項__も復元することで、現在の日本に跳梁跋扈する、日本破壊工作従事者達に、極刑の可能性を示唆することができる。

東京裁判が歪めた歴史の、真実の姿が明らかになれば、「一億総前科者」の汚名は雪がれ、日本人はその勤勉さ、向上心を、晴れ晴れとした心持で各処に発揮することができる。

「万世の為に太平を開く 総力を将来の建設に傾けん」と昭和天皇の終戦の勅語に言われたように、国民の全エネルギーを、いまやっと、「本当の戦後」「新しい日本の建設」の為に注ぐことができるのだ。

教育勅語も復活し、人としての正しい道を教えられる子供たちは、いじめなどという卑怯な行いは、みっともない、恥ずべきことだと、知るであろう。

立法府の議員は、その全エネルギーを、大日本帝国憲法の、現在の日本の状況にあった運用方法を、考えることに集中させることができる。GHQによって廃止させられた貴族院など、復元するのかそれとも今の時代に合った新しい制度を、作っていくべきなのか、といった重要なことを考えることができるようになる。

喫緊の問題である国防についても、大日本帝国憲法復原後の日本では、より現実的な議論ができるようになる。自衛隊は晴れて普通の軍隊になり、また、増加する侵略の危機と、自然災害の頻発の可能性に対応し、「災害救助隊」の別個新設が必要になるかもしれない。

必要ならば、天皇がその大権を行使し、大日本帝国憲法の改正を発議されることであろう。

BREXIT 3
『インディペンデント』紙 2016年6月24日  (黄色=離脱、青色=残留)

2016年6月23日、英国はEUからの離脱か残留かを問うて、国民投票を行った。結果は52%と48%の僅差で「離脱」となったが、このBREXITは英国内の階級・格差社会、移民と地域社会との軋轢の問題点を浮き彫りにするとともに、それが国際社会の争点の縮図であることの再確認にもなった。

「離脱=反EU」派vs「残留=親EU」派とは、そのまま「国家主権奪還」派vs「グローバリスト国際金融資本家=国際共産主義者(=テロ支援)」派であった。

国際金融資本家=ロンドン・シティの銀行家達に代表される成功者=「持てる者」がもっと儲けたい、そのためにはEUに残留した方が都合が良い、そんな本音が透けて見えるキャンペーンでは、「英国ビジネスに主権を取り戻したい」「移民に手厚くし過ぎ」「英国に貢献してきた老人など、英国民の弱者を先に救済してほしい」という、「持たざる者」=労働者階級を納得させることはできなかった。

来年はロシア革命から100年。1989年に一応の決着を見たとされる第二次冷戦の後も、世界は「国際共産主義=国際金融資本主義」vs「自由主義的民主主義=民族自決主義」の構図のまま推移している。

「連合国正義の味方史観」は、米国の日本占領における犯罪を隠すだけでなく、第二次世界大戦後のソ連・共産中国・韓国の日本国領土の侵略行為を助長している。侵略された日本国土はこれら「仮想敵」のさらなる日本侵略拠点となる。

中ロ韓北の太平洋進出の防波堤を、日本が果たしている地政学的立場を考えれば、日本に誇りを取り戻させ、大日本帝国憲法下のプロパーな日本軍との、誠意ある対等な同盟に切り替えることの、米国の利益は小さくはないはずだ。

国際共産主義を利する「戦後レジーム」を打破することは、日米両方の利益となる。

日米同盟は、大日本帝国憲法を復原して初めて、対等な同盟に生まれ変わる。

日本は米国に、謝罪も賠償も要求しない。但し、『日本国憲法』無効・大日本帝国憲法復原の移行がスムーズにいくよう、中ロへの牽制等の支援はしてもらう。

国際法には「誣告罪」を加え、プロパガンダ戦にきちんと対応できる体制を整えることも必要だ。国連は拒否するであろうが…。

「誣告罪」「日本の安保理常任理事国入り」「敵国条項削除実効化」…。これらを拒否する国連には、自浄作用がなく、彼らの言う「人権」にも腐敗臭が漂い始めている。日本が国連を脱退し、台湾と、米国と英国の反共保守派を誘って新組織を立ち上げることも視野に入れてゆかねばなるまい。アジアの、大東亜戦争で日本が独立に協力した国々、捕鯨で日本に味方してきたアフリカや地中海の小国群は、日本についてくるだろう。新しい大東亜共栄圏を、覇権主義の中国中心でなく考え直すには、復原された大日本帝国憲法下の、まともな法制に裏打ちされた誇りある「新皇軍」が必要だ。

「私達はひとつの人間の家族である__過激だが必要な考え方だ__そしてそれこそが、私たち皆が語るべき物語なのだ。」

“…the radical and necessary notion that we are part of a single human family; that is the story that we all must tell.”

連合国と『日本国憲法』が否定した「八紘一宇」__世界を以て一つの家と成す__の精神が、日本と米国をともに照らし出すとき、私達は本当の友情と信頼に包まれているのを知るだろう。

そのとき、「広島」は、私達をしっかりと結んでくれた、心の絆のなまえとして、記憶されることになる。