東京裁判と対で、天皇と日本人を虐待し侮辱する『日本国憲法』の「改正」では、日本の「主権と独立を喪失した敗戦奴隷」の立場は変えられない__『日本国憲法』無効確認への道②

国連における『日本国憲法』無効確認・大日本帝国憲法現存確認だけが、日本を東京裁判史観の洗脳から解き放ち、完全な独立主権国家にする

『日本国憲法』の改正は、たとえ「全部改正」であっても、「自主憲法」にはならない__制定の根拠となった東京裁判史観=「日本侵略国家説」が連合国の誣告であることを告発しない限り、「連合国隷従」=「戦後レジーム」から脱却できない

『日本国憲法』の最も大きな役目のひとつは、「日本が侵略者」「連合国が正義」と日本国民に繰り返し言い聞かせ、信じ込ませること__本当の侵略者=連合国の、現実の日本侵略・支配を疑わせないことである

講和条約締結後、吉田茂の密約によって設置された日米合同委員会が「新GHQ」となり、日本と世界の国民を偽の歴史観で洗脳する、国際法にも国際倫理にも反した「連合国=米軍の日本占領」が、現実に継続している

「南京大虐殺」「中国侵略」「満州・台湾・朝鮮植民地奴隷支配」そして「慰安婦強制連行・性奴隷」__

連合国の、「東京裁判史観という日本への誣告」と、それを利用した日本と日本国民に対する「恐喝」にも似た終わりなき搾取を止めさせるためには、その罪を全世界の目前で__国連という場で__告発する、即ち「『日本国憲法』無効確認・大日本帝国憲法現存確認」をするほかに道がない

『日本国憲法』は、日本国の象徴・天皇の統治大権を否定して「主権者」国民を支配して日本ごと支配するための「共和制『憲法』」であり、自衛権・交戦権という国家の「自然権」をも否定する、日本民族のアイデンティティー否定の人権蹂躙「憲法」である

大日本帝国憲法発布

「ナチ全権委任法」がヒトラー独裁政権を「民主主義的・合法的」に成立させたように、「国民主権」の『日本国憲法』が、大日本帝国憲法と天皇を排除して、「戦後レジーム=国連(連合国)至上主義独裁」を「憲法」の名を騙りながら実現させた

「戦後保守55年体制」を引き継ぐ自民党安倍政権の「憲法改正」とは、「至高の権威」天皇の「総攬=実権力の監視機能」を排除し、統治権力(=主権)を連合国(=米軍)に支配させる「『新世界秩序』独裁政治に都合のいい『日本国憲法』の護持」「『新世界秩序』利権の保護」

『日本国憲法』の制定は、それ自体が犯罪であって、『日本国憲法』の制定過程の検証とは、連合国の犯罪と日本政府の「犯罪幇助」を検証するということにほかならない__

だから、それを証明する『日本国憲法』無効論は、70年以上周知されないできた

吉田茂は、「サンフランシスコ講和条約で日本に主権・独立を回復させた」という嘘の裏で、「新GHQ」として機能する日米合同委員会という「ブラック・ボックス」を設置して、「肝心なことは全て米軍と日本官僚の間で秘密裏に決定する、在日米軍による日本占領永続体制」を作った

月2回行われる日米合同委員会の秘密会議で、「米国防省・米軍の意向」を各省庁トップが「伺い」、「日本のためになる」態を装った、その実米国を利するための「法律の調整」が行われる__立法権のない官僚たちによって、「事実上の立法行為」が行われ、三権分立と「権力の監視」という民主主義の根底が崩れ去っている

この「日米合同委員会体制」継続に必要な「権利・権力・権威」を「日米行政協定→日米地位協定」が担保し、行政協定・地位協定を新旧日米安全保障条約が、旧日米安全保障条約をサンフランシスコ講和条約が担保している__そしてさらにその裏で、「国連憲章」と「連合国製『日本国憲法』」が「日本の敗戦奴隷の地位」を担保している

「連合国=正義」を謳う『日本国憲法』と、サンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約の基幹となった国連憲章は、「『幻の国連軍』詐欺」と敵国条項で日本国民をたばかり、束縛し、隷従を強いながら、偽善的人道主義を振りかざして国際金融資本の日本搾取装置となっている

日本政府の「『日本国憲法』無効論の不周知」「連合国の犯罪告発への及び腰」は、「無作為」「未必の故意」による北朝鮮の日本人拉致事件の不解決=「テロの容認・幇助」に、ひいては戦争・テロで儲ける「新世界秩序」の「世界搾取幇助」につながっている

『日本国憲法』無効論を「非現実的な無責任論」と罵倒し、無効論の国民への周知を妨げる「憲法改正」論者こそは、暴力団・連合国の恫喝に怯えて「現実逃避」し、連合国の同胞への「言論弾圧」に手を貸す「敗戦奴隷根性」に染まっている

「大日本帝国憲法=天皇制=戦前の日本=極右=悪」という連合国のプロパガンダによる洗脳が、戦後の日本人を卑怯卑屈な「大日本帝国アレルギー」にした

人類融和の祭祀王・天皇を戴く「強く、誇り高き大日本帝国」と「大東亜戦争の真実」が、日本人を再び世界の庶民の為に起ち上がらせる。そのために、大日本帝国憲法をとりもどす

今上天皇 

2016年「天皇陛下のおことば」は「平成の人間宣言」だった

国難突破解散」__そう安倍晋三首相が銘打った2017年衆院選は、10月22日開票され自公圧勝という結果で終わった。だがそれは、選挙前の世論調査で内閣支持率が37.1%と、不支持率41.8%を下回っていたにも拘らずの「ねじれ勝利」である。日本の選挙民には、2009年「政権交代選挙」で、「驕れる自民党にお灸をすえる」つもりでうっかり「悪夢の民主党政権」を誕生させてしまったことへのトラウマがある。

第4次安倍内閣は、「圧倒的多数の日本の世論」を味方につけて発足したのではない__「自民党が嫌でも、政権を任せられるまともな野党がないから、仕方なかった」__ということに過ぎない。

安倍政権も、それは充分承知しているらしく、「謙虚に向き合う」として、争点の一つだった「憲法改正」も「与党だけで発議しない」と野党への配慮を見せた。だが、安倍首相よ。それこそが日本国民のフラストレーションの原因だと、気付いていただきたい。

「天皇譲位問題」でも、「憲法改正」でも、自民党は天皇陛下御自身のお考えや国民の意見よりも、反日的思考形態を政策の基本におく公明党や革新野党との「すり合わせ」ばかりを重視してきている。

政府が「広く国民の意見を聞く」として開いた「天皇陛下の公務の負担軽減等に関する有識者会議」は、そもそも名称からして「公務の軽減は問題外」と仰っていた天皇陛下のお考えに反していたうえ、安倍政権による人選で、明らかに最初から安倍政権の「特例法対処」方針に収斂する議論をしていた。

天皇の問題も憲法の問題も、ともに離して考えることのできない「日本国の主権」に関わる問題である。

天皇陛下の問題提起は、まさにその「日本の主権」「日本の独立」について考えるべきであることを、国民に示唆していた。

「象徴天皇」とは何なのか、「象徴天皇」をかくまでに縛り付ける『日本国憲法』とは、一体なにものか、と。いま日本がこのような混沌の中にあることの原因は、戦後の日本人の、「経済大国」になってなお止まらぬ自信喪失の原因は、この「憲法」にあるのではないのか、と国民に自問させた。

だが、政府自民党の態度には、天皇陛下の譲位のご意向の表明を「『日本国憲法』への反抗」と見、陛下のご意向実現への国民の圧倒的支持を「『日本国憲法』護持への脅威」と見做しているような、ピリピリした苛立ちと警戒感が感じられた。

《当時、安倍晋三首相の周辺は、「天皇に弓を引く政権だとなれば、内閣が倒れかねない」と漏らしていた。政府関係者は「天皇のパワーが示された。政治と皇室の分離をいっそう徹底すべきだ」と訴える。》(2017年11月1日 朝日新聞『平成と天皇 第3部 政治の波間で③ 陛下の「おことば」権威なのか』二階堂友紀 ※太字引用者)

この「天皇陛下のご意向表明」によって巻き起こった一連の騒動を、日本国民の一人として眺めながら、なにやら「天皇・国民」対「政府自民党」のような、あってはならない対立構造が出現している、と感じたのは気のせいではなかったのだ。

政府自民党は、明らかに、「天皇陛下が、連合国の日本統治法である『日本国憲法』とその下位法である『GHQ皇室典範』の規定に反して、『連合国の日本統治規定にない譲位』をしたいという『わがまま』を、よりにもよって『連合国=米軍の意向』である『憲法改正』を前にして言い出した」ということに苛立ち、その天皇に完全に従う様子の国民の態度に「天皇の権威」の伸張を感じとって、焦っていた。2016年7月13日のNHK「天皇陛下、生前退位のご意向」スクープの直後の首相官邸付近からの最初のリアクションが、天皇陛下のご体調・ご心痛への心配ではなく、「寝耳に水」「聞いてない」という「不快感」だったことでもそれは明らかだ。

《「〔今上陛下が〕被災地訪問などで国民一人ひとりと向き合うことで、ソフトだが市井の人々の内面まで届く強固な『国体』が確立された」と分析し、「おことば」後の流れに危惧を抱》く原武史放送大教授の《「天皇の言動によって、民意や政治が動かされる危険性に、もっと自覚的になるべきだ」》、横田耕一九大名誉教授(憲法学)の《「戦後72年が過ぎ、天皇に影響を受けることなく主体的に判断しなければならないという意識が、薄れてきてはいないか。それは政治家だけでなく、主権者たる国民も同じだ」》(《 》内前出朝日新聞『陛下の「おことば」権威なのか』太字引用者)という、「戦前=天皇中心の国体=悪」という連合国史観で脳を飽和させた物言いが、拝中極左新聞である朝日新聞ばかりか、「知日派外国人」からは「極右」とまで言われる、安倍政権とその周辺の言論人達からも聞こえてくる。

天皇陛下の「おことば」とは「勅語」である。「勅語」は、勿論「権威」である。この者たちのいう「権威であってはいけない」理由とは、一体全体、何なのか?

1946年1月1日、占領軍の「天皇の権威を殺ぐ」方針により出された所謂人間宣言」において、昭和天皇は、それを逆手にとって、「連合国の言う『天皇制強権によって信じることを強制され、盲従を強いられた神話的権威』などではない、現実に基いた『万民の父母』としての人間天皇と『赤子』としての国民の間にある紐帯の、以前と変わらぬ確かな存在」を示し、日本国民を安心させた。

2016年8月8日のおことばで、今上陛下が仰ったことも、これと同じである。


皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共におこなって来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井しせいの人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした


ここに示されたことは、「天皇と国民の関係性に見る日本の在り方」=「『疑似家族国家』としての日本の『国体』」というものの永続性の確認であり、この不確実な時代に在って「天皇の高齢化の問題」=「天皇の人間としての限界」に接した国民の不安を払拭する「父母の赤子に対する慈しみ・慰め・いたわりの言葉」であって、まさしく「平成の人間宣言」であった。

【「天皇=権威」の国民意識に危機感を覚える「戦後レジーム利得者」達

この「おことば」に対し、国民が等しく感動を覚え、天皇の「譲位」の意向の早期の、そして恒久的な実現を望んだことは、政府筋がいうような安っぽい「同情」などではなく、人間として尊敬する「父母」天皇への、その一生を捧げた「務め」に対する「かたじけなさ」「もったいなさ」……、と言った方が正確であろう。

この国民感情を無視し、反対に「国民の気持ちはわかるが、しかし」と「否定」する政府とメディア・論壇を含む権力層は、「天皇と国民の紐帯」の強さに危機感を覚え、「陛下の『おことば』権威なのか」〔「否、権威などではない!」〕「政治判断を天皇の言動に左右されてはいけない」〔「連合国の『日本国憲法』によれば天皇は権威がないのだから、『政治権力の総攬=監視=チェック』は連合国に逆らうことになり、してはいけない!」〕「『主権者である国民とその代表者である政治家』はその『危険性』を自覚せよ」〔「国民の知らないうちに、連合国と政治権力が好き勝手に国民を搾取できるように、連合国によって制定された『日本国憲法』を、『戦後レジーム利権』保護の為遵守せよ!」〕という必死の、だが浮足立った煽動を、「保守」も「極左」も横並びに喚いているように見える。

朝日の記事にみえる「政府関係者」の「政治と皇室の分離を徹底すべき」とは、「天皇に政治への口出しをさせない」というだけでなく、「『至高の権威』的な政治権力の総攬=不裁可権の『不在』を徹底させる」ということであろう。『日本国憲法』GHQ草案の日本語訳の文言について、ケーディスが色をなして日本政府に詰め寄った様に、「内閣が天皇の上に立つ」という原則を徹底させることがGHQの意図であったからである。

そもそも『日本国憲法』は、そのためにこそ制定されたのだから。

だからこそ、「天皇の譲位」問題は「特例法」での対処でなければならなかった。

政府の「特例法による対処」とはつまり、「譲位を『天皇の意向通りに』ではなく、『〔連合国=米軍の意向を忖度する〕政府が』特例法を設置して『特別に』今回だけ『許可する』」ということ、即ち「〔連合国=米軍の下位にある〕内閣が、天皇の上位に位置する」という『日本国憲法』の大前提を、天皇と国民にはっきりと示す必要があった、ということである。

「日本国の象徴」である天皇の、「高齢による務めの完遂への不安から導かれた『譲位』の意向」という、「国政への関与」というより寧ろ「皇位継承=日本の国体の健全な永続の為に必要な措置への提言」を、政府自民党も野党も、憲法学者も、「保守」言論人達でさえも、「天皇の、国政への関与を禁じた『日本国憲法』への歯向かい」として扱い、天皇陛下に対し不敬千万な口調で、「譲位の必要などない」「『日本国憲法』と『GHQ皇室典範』が言う通り、摂政を置けばよい」「天皇陛下はそこに黙って座っておればよいのだ」と横柄に「たしなめて」見せ、そのうえ、「恒久的に天皇自身の意向による譲位に可能性を開く」ということについて、大多数の国民の支持があったという事実を無視し、「特例法の設置で『GHQ皇室典範』にも『日本国憲法』にも全く指一本触れることなく処理する」ことを「政府の独断で」決めてしまった。

日本国民の大多数が「天皇陛下のご意向表明は〔『日本国憲法』に違反していたとしても〕問題ない」と考えたという事実は、「国民が、日本の『最高法規』である『日本国憲法』よりも、天皇の方を『最高権威』として認識している」という真実の浮き彫りであった。

日本国民の「天皇=最高権威」観は即ち、無意識・無自覚ではあるが「米軍主権」「連合国主権」の現状への反発でもあり、安倍政権の「民意無視」は、『日本国憲法』(=日本の最高法規=米軍)絶対主義を忠実に実行して見せた「宗主国=米軍へのへつらい」に他ならなかった。

そして、天皇が日本国の象徴であること、天皇と日本国民が「疑似家族」として一体となる国柄を思う時、「天皇に弓を引く」行為とは、即ち「日本と日本国民に弓を引く」行為と同一である。

それは、吉田茂が「国民の60%が再軍備〔=真の独立〕を望んでいた」という事実を隠し、「『日本国憲法』を受け入れた国民は再軍備を望んでいない」と反対のことを言い、「経済復興が先だ」という詭弁で日本国民を騙しながら、「再軍備」「講和後も米軍による占領状態継続」「日本政府による日本の主権放棄」を秘密裏に決定したことにも匹敵する、「国家反逆」的行為であった。

【「戦後民主主義」政治家・言論人たちの「大日本帝国憲法アレルギー」と「見ザル・言わザル・聞かザル」

大日本帝国憲法を停止した『日本国憲法』のいう「国民主権」とは、「国民の代表・公僕」であるはずの政府・国会と官僚が、その実、「主権者」であるはずの日本国民ではなく、米軍・米国防省の意向を忠実に反映させた政策決定をすることであり、「象徴天皇」とは、天皇主権の否定、即ち日本と日本国民の福利の為に統治権を総攬する「至高の権威」としての天皇大権を簒奪され、「権利も権力も権威も喪失した、無力な天皇」「日本国と日本国民の血税が、政治によって私物化され、私利私欲のために恣意的に運用されていることを、止めさせることができない天皇」であった。

連合国が「大日本帝国憲法下の『天皇制強圧政治・侵略的軍国主義』を糺す」といって「憲法改正」させ、『日本国憲法』を持たせたのは、日本を実質「共和制」の「人民主権」にして、天皇を、永い歴史の始めから、実権力側ではなく無力な民の側に立ち、民を護って来た天皇を無力化することにより、日本全体を支配する為であった。

戦後日本政治が隠し続けてきたその真実が、「天皇陛下の譲位のご意向」問題によって滲み出てきた。「保守言論人」らが「天皇陛下のクーデター」とまで言って警戒したのは、『日本国憲法』の正体について国民が関心を持つことによって、その真実が明るみに出ることを恐れたためである。

「女系天皇」につながる「女性宮家」を推進し、「万世一系の男系天皇による皇位継承」の歴史と伝統に基く国体を破壊せんとする左翼・野党どころか、「尊王」であるとばかり国民が思っていた「保守本流」であるはずの自民党政治家・言論人達までが、こぞって「GHQ製『日本国憲法』を遵守せよ」「連合国に歯向かうな」と天皇陛下に楯突いて見せた、その光景に、さすがのお人好しの日本国民も、戦後保守と連合国の癒着する微かな、しかし確かな、「腐臭」を嗅ぎ取った。

その「腐臭」の源は、連合国の「日本統治法」である『日本国憲法』そのものに在る。

占領中はもちろん「独立回復」後も、現在に至るまで、吉田茂以下、戦後日本政府は、日本の主権喪失状態と米軍の占領状態継続の事実を国民に知らせる「日本国憲法無効論」を国民から隠すことで、積極的に連合国の日本植民地支配を、国民を騙しながら、幇助し続けている。

そして「日本国憲法無効論」の無視は、そのまま「大日本帝国憲法=天皇制=悪」という連合国の誣告・日本国家転覆プロパガンダに連動している。

都議会にも日本政府にも無視された「日本国憲法無効・大日本帝国憲法復活請願」

今年7月2日の東京都議選において、長年の自民党の派閥政治にウンザリした都民が、ここでは「自民党にお灸をすえる」ため替わりに票を投じたのが、都民ファーストの会である。同会はできたての新会派ながら大躍進を果たし、過去最低の23議席「大惨敗」の自民党を抑え、堂々127議席中55議席を獲得し、東京都議会第一会派に躍り出た。

野田数 帝国憲法復活請願

代表の野田数は、東京「維新の会」都議員だった2012年に「日本国憲法の無効と大日本帝国憲法の復活請願」を、希少な「『日本国憲法』無効論者」である西村眞悟議員や南出喜久治弁護士らとともに、都議会に提出していた。請願の要旨は、

憲法、典範、拉致、領土、教育、原発問題などの解決のために必要な国家再生の基軸は原状回復論でなければならないことを公務員全員が自覚すべきであるとする決議がなされること。占領憲法(日本国憲法)が憲法としては無効であることを確認し、大日本帝国憲法が現存するとする決議がなされること」

であって、「国会議員・官僚=公僕」「日本の公僕は、日本全体の為に奉仕する」という当たり前の感覚を失って久しい日本政治が襟を正して聞くべき、究極の正論であった。が、この時野田数等は、日本維新の会の橋下徹代表には「ありえない。大日本帝国憲法復活なんてマニアの中だけの話だ」と非難され、「(東京維新の会との)今後の連携を見直す」とまで言われてしまった。

この「大日本帝国憲法復活の請願」は結局、東京都議会の審査会討論で、共産党議員吉田信夫の「憲法にうたわれた戦争放棄、主権在民などの諸原則は、決して一方的に押しつけられたものではなく、侵略戦争への深い反省に立った日本国民の願いを反映したものであり、世界の流れを反映したもの」つまり「『日本国憲法』は押しつけではなく、日本と世界の『正義の民意』に沿って書かれた」という、連合国(国際共産主義者)のおためごかしの主張が唯一の意見陳述として受け入れられ、全会一致で不採択となった。

この審議会には、無効論者である西村眞悟、南出喜久治らは勿論、野田数ら都議側申請者達も、「審議委員ではない」という理由で参加が許されておらず、その意見を陳述し、共産党議員吉田の反対意見に反論し、反対者を説得する機会は与えられなかった。

国会、地方議会は「国民の意見を政治に反映する」=「国民の政治参加」の場であるはずだが、このようにして、喪失した日本の主権を取り戻すための重要な議論が、国民もよく知らないうちに、潰されてしまったのである。

国民は何も知らない。日本国民は、議会と政府によって、「無知」の状態に置かれている。

「日本『属国』の現状を見ザル」「『日本国憲法』無効と大日本帝国憲法現存の事実確認請願を聞かザル」「『日本国憲法』無効論の存在すら国民に言わザル」__こんな「思考停止ザル」達が、日本滅亡を望む共産主義者だけでなく、「保守」と呼ばれる政治家・言論人にまで蔓延して、日本政治を絶望の崖縁に立たせている。

「せめて日本国憲法無効論を国民に周知し、公議公論に付すべし」

__この請願すら無視することは、民主主義の根幹精神の蹂躙である。「保守」どころか、立憲主義・議会制民主主義下の「主権者国民の代表」としての資格を喪失している。

野田数が2016年に小池都知事の特別秘書(政策担当)となったときも、都民ファーストの会が今年都議選で自民党を「歴史的大惨敗」させたときも、朝日系オンライン・メディアHaffPost日本版や週刊誌、素人ネットユーザーたちがツイッターなどSNSで「大日本帝国憲法復活を主張するガチウヨ」「時代遅れの極右」と騒いだものの、主要メディア記事は概して「『日本国憲法』無効」「大日本帝国憲法復活」の文言を、おそらくは意図的に、完全無視した。従って、この都議選で都民ファーストの会を支持して一票を投じた都民の意識に、この勇気ある請願の件があったかどうかは不明のままだ。

「憲法論議を深める」と、改憲論者はことあるごとに言うのだが、肝心要の「『日本国憲法』の問題点とは何か」「大日本帝国憲法とはどういう憲法であったか」を知らずに、どうして「憲法論議」が深まるというのか。なぜ「大日本帝国憲法は悪法」と決めつけられるのか。

「大日本帝国憲法復活の請願」を否定した都議会でも、既に誰もが事実として知っている「『日本国憲法』押しつけ論」さえ否定し、東京裁判史観=「日本侵略国家」説を振り回す共産党議員の意見のみで議論らしい議論はなされないままに不採択を決めてしまい、「『日本国憲法』無効論も大日本帝国憲法復活論も、『トンデモ論』だ」という大前提で、「保守」も「革新」も一様に思考停止状態である。

その否定・無視の仕方は、単に「大日本帝国憲法には瑕疵があった」という程度の「批判」を遙かに超えて、寧ろ、「その名を口にしたくもない」という感情的な、一種「大日本帝国憲法アレルギー」とでも呼びたくなるような様相ですらある。

『日本国憲法』無効論に、『青山繁晴が、怒って、怒って、怒る!』?

共同通信記者から三菱総合研究所勤務を経てシンクタンク経営者、そして安倍晋三本人に請われて2016年から参議院議員となり、支持者から「国士」とも呼ばれる青山繁晴が、自身のTV番組『青山繁晴が答えて、答えて、答える!』憲法無効論者の不遜と無責任【桜H29/4/14】で、視聴者の「日本国憲法無効→大日本帝国憲法復活」についてどう思うか、との質問に対し、「一体何を言ってるんだ!」「無責任だ、不遜だ!」「許せない!」と声を荒げ、質問書を机から払い飛ばすほどの癇癪を起したのは、まさに「激烈なアレルギー反応」としか言いようのない光景であった。

問題の質問とは、「廃憲について___今回の選挙〔引用者注:この質問は2016年7月に番組に送付されたもの〕で憲法改正が可能な状況になりました。しかし、本当に必要なのは日本国憲法の無効化であると考えます。大日本帝国憲法に戻すべきです。日本の憲法は、日本の歴史、文化、伝統に基いたものでなくてはなりません。また前文は天皇陛下のお言葉でなくてはなりません。現在、国民の殆どは廃憲を認めないでしょう。しかし帝国憲法が正統な日本の憲法です。たとえ民意が廃憲に反対しても、帝国憲法に戻すべきだと考えます。青山さんは廃憲についてどう考えますか?」というものであった。

質問者は言い方を間違えている。「日本国憲法を〔恣意的に〕無効化する」のではなく、『日本国憲法』は始原的に無効なのである。「本当に必要なのは『日本国憲法』無効確認」である、というのが正しい。また、「廃憲」は「憲法の無効化」と同じで、「元々有効に成立したものを恣意的に『廃棄する』『無効にする』」というニュアンスがあり、厳密にいえば「『日本国憲法』無効確認・大日本帝国憲法現存確認により原状回復→調整完了=廃棄」の「日本国憲法無効論」とは趣旨が異なる。

ただ、「たとえ民意が廃憲に反対しても」という部分に最も激しく「イカッた」と、青山繁晴自身もいうのだが、これは青山が「民意が反対しても」を「民意を無視してでも」「民主主義に反してでも」と捉えた故であろう。確かにそう聞こえる。だが、勿論それは質問者の意図ではない、と思う。

『日本国憲法』無効論を国民は知らないから、基礎知識のないままに『廃憲』と聞けば胡散臭く思い、反対するだろう、だが、大日本帝国憲法が日本の歴史、文化、伝統に基いた、正統な日本の憲法であることは紛れもない事実であるから、『日本国憲法改正』ではなく、まず大日本帝国憲法に戻し、大日本帝国憲法の改正方法に基いて、大日本帝国憲法を改正するのが法的に正しいやり方だ」というのが、質問者の言いたかったことだろう。だとすれば、そこを読み取って「語弊」「言葉足らず」を指摘するだけで事は足りたはずだ。

それをせず、質問者を10数分にわたって「面罵」した青山は、自分では何度も否定しているが、非常に「感情的」であり、同時にその「怒り」を正当化しようとしているように見えた。

前文と9条が決定的におかしい、ということすら理解しない国民に『〔日本国憲法は〕無効だ、帝国憲法に戻す』と言って、戻るのか?いい加減なことを言うな!」

「はっきり言って、〔無効論は憲法改正の〕邪魔になるんだ。理屈だけでものをいうんじゃない!」

「北朝鮮拉致被害者を、早く救出しないと、〔被害者もその家族も〕皆亡くなってしまうんだよ!そんなときに、憲法廃止すればいいなんて、何を言ってるんだね、君は!」

青山は、自分で「僕はものすごくイカっている」と言っているのだから、紛れもなく「感情的」なのだった。言っていることにも整合性を欠いていた。論理的・理性的に、「なぜ無効論者が無責任で不遜か」を、質問者と視聴者に解り易く説明することに、完全に失敗していた

この件について視聴者から批判的コメントが多数寄せられたため、青山が「釈明」することになった『青山繁晴が、答えて、答えて、答える!』憲法無効論者の評論に感じた落胆【桜H29/5/5】でも、「明々白々にハーグ条約違反なのだから、勿論『日本国憲法』は本来無効だ」と言いながら、「なぜ無効論ではなく『憲法改正』でなければならないのか」の説明はなかった

4月14日に言っていた「憲法改正論者がこれまで『血を流して』一生懸命やってきたのに」というのは理由になっていない。それではまるで、「王様は裸だ」といった子供を「確かに王様は裸だが、それを知っていて敢えて言わない『大人の事情』を理解せず、真実を言ってしまうのは無責任だ」とこき下ろしているのと同じではないか。

青山は、「『日本国憲法』無効論は、憲法改正の為に頑張って来た人たちの気持ちを汲んで、言わないでおくべきだ」と言いたいのか?だとしたら、それこそが「感情論」であり、民主主義への冒涜ではないのか?

この「釈明番組」は、青山に寄せられた「お前は国賊だ。殺してやる」などという不穏当で感情的・「犯罪的」なコメントについての繰り言、「マナー違反の若者を叱るべき時に叱ることの是非」という、完全に的外れな論題へとシフトしてしまっていた。

なるべく「無効論」から遠ざかろう、話題を変えよう、としているようにすら見えた

「『日本国憲法』無効論は感情論だ」「大日本帝国憲法の復活を望むのはセンチな懐古趣味に過ぎない」というのが、これまで無効論者・大日本帝国憲法復活論者に投げつけられてきた決まり文句であった。だが、冷静な視聴者に「不当」と批判された青山繁晴の「無効論者への怒り」が、「論理的根拠がなく、ただひたすら感情的なのは、寧ろ『反無効論』の方である」という事実を明確にしてくれた。

青山は、2015年に「日本オリジナルの憲法に立ち返る志を持とう」という一文を発表している。(「美しい日本の憲法を作る国民の会」2015.10.01)

上記2つの『青山繁晴が…答える!』で青山が興奮しながら言おうとしたことは、この一文がベースになっているようなので、この一文と『答える!』他での青山の発言を合わせ、論点をまとめ、青山の考える「大日本帝国憲法の問題点」とは何かを、以下に箇条書きにしてみる。

  • 昭和天皇があれほど「民主主義国(英米)とは戦うな」と反対したのに、戦争を止められなかった
  • 陸海軍への指揮権ではなく、統帥権という曖昧な定め」しかなかった
  • 帝国議会はあったが、議院内閣制ではなかった〔筆者注:首相は、元老や重臣会議が推挙した人々の中から、天皇が任命した〕
  • 「不磨の大典」として、一字一句たりとも変えられなかった
  • 西洋からの輸入物だった

結論から先に言えば、このうちのどれも「大日本帝国憲法には重大な欠陥があった」こと、「大日本帝国憲法の欠陥により戦争が起こった(戦争を止められなかった)」ことを証明してなどいない。

そもそも戦争は、起こす者がいるから起こるのだ。満州事変、支那事変を経て、対米英戦争へと、中国、ソ連、日本と米国内の国際共産主義者ら(とそれを操った国際金融資本)によって、日本は完全に戦争に「引きずり込まれた」。それら共産分子と国際金融資本の手先は、軍部にも、メディアにも、日本政府内にもいた。

近衛文麿、そして吉田茂が、その中心にいたことは間違いない。吉田茂は「反戦主義者」という隠れ蓑の下で、国際共産主義者を動かしている、更に上の方__英米の国際金融軍産複合体上層部とつながっていた。

吉田茂が近衛や外務省を使って、密かに英米の上層部・暗部と結んで果たした役割は、「反戦」どころか、寧ろ「戦争開始工作」「日本国家転覆」であった。

226事件

統帥権問題も、問題は大日本帝国憲法にあったのではない。青山はさりげなく「戦争が起きたという事実」と「 『統帥権』及び『指揮権』を問題にする者たちがいたという事実」をリンクさせて「大日本帝国憲法の問題」であるかのように書いているが、それは違う。

大日本帝国憲法の下、天皇には「統帥大権」(第11条)がある。だが、それと同時に、第3条にいう「天皇の神聖不可侵」=「天皇の無答責」がある。つまり天皇の尊厳や名誉が汚されないよう、「国政は国務大臣が輔弼し、その責任を負う」(第55条)のである。

これは、連合国のいう「天皇絶対主義」、戦後左翼のいう「天皇の責任逃れ」という意味ではないのはもちろんだ。

天皇は日本の国体の象徴である。「天皇の尊厳や名誉が汚される」とは、「日本国の尊厳や名誉が汚される」と同義なのである。臣民_日本国民と日本国民の代表たる国務大臣_が日本国の尊厳や名誉を護らねばならないのは当然の話だ。

大日本帝国と大日本帝国憲法の「問題点」として挙げられることが常である「統帥権問題」数件のうちで、もっとも有名な「統帥権干犯問題」とは、1930年のロンドン海軍軍縮会議で、浜口雄幸内閣が海軍の要求していた「対英米比7割」よりも少ない比率で妥協して調印したことを、野党・政友会や国粋団体が「外務省にはそんな権利はない」「(天皇大権である)統帥権の干犯である」と屁理屈をこねてみせた__いわば「いちゃもん」をつけた事件である。

「クーデター未遂」である5.15事件や2.26事件と一緒に、「統帥権を笠に着て、『自分達に命令できるのは陛下だけ』と『暴走』するようになった軍部を、政府が止められなくなって、戦争に突入していった」事の実例のように言われている。

しかし、浜口雄幸首相は「天皇の条約(外交)大権が、外交官にも委嘱されている。だから軍隊についても政府が委嘱されて、ロンドン会議に全権を送った。どこが悪いのか」と衆議院本会議で堂々と回答し、政友会もこの答弁に納得している。(渡部昇一・南出喜久治『日本国憲法無効宣言』)

立憲君主としての天皇の「統治大権」の肝は、本質的に「不裁可権」「拒否大権」である。この大権を以て「権力を総覧」してこそ、「至高の権威」としての「権力のチェック機能」たりうるわけである。

大日本帝国憲法下、天皇は大日本帝国陸海軍の「大元帥」であり「最高指揮官」であったが、それは当然、戦場において軍隊を実際に率いて戦闘行為に参加するという意味ではなく、「大日本帝国軍の尊厳と名誉の象徴」なのであり、その地位の権威によって「軍権力のチェック機能」を果たしていたのである。

立憲政治にとって重要なことは、権力と権威の分散である。天皇は国務大臣の決定を「裁可」するだけで、国務大臣が決定の責をとり、「至高の権威」天皇は、立憲君主として「不裁可権力はあるが行使しない」のである。数少ない例外を除いて…。それが、張作霖爆殺事件で犯人を徹底追及しなかった田中義一首相への叱責であり(昭和天皇は後に、このことが田中内閣解散に繋がったことを「若気の至り」と後悔しているが)、2.26事件で自ら軍を率いて「賊軍を討伐する」意思をあらわしたこと、そして終戦の決断__ポツダム宣言の受諾であった。そしてそれは、内閣・議会が紛糾して機能不全に陥ったとき、「仁政を行う至高の権威」天皇がとった「数少ない例外的緊急措置」であって、必要な行動であった。

大日本帝国憲法下、天皇は「立憲君主」として立派に機能していた、ということだ。

「この明治憲法が抱えていた欠陥が終戦に至るまでの日本の軍国主義化を助長した」と『統帥権Wikipedia』はいう。青山も同意見なのだろう。だが、Wikipediaの筆者と青山は、「軍部が暴走して戦争に突入した」という東京裁判史観に染まりすぎていないか?

現に、「中国大陸で暴走していた」といわれる関東軍は、満州事変前夜の1928年、張作霖ほかの軍閥、中国共産党とそれを排除しようとする「北伐」軍=蔣介石との三つ巴の内乱、さらにそれらを支援して漁夫の利を得んとする英米、ソ連と日本の金融資本の暗躍で混沌を極めていた満州で、日本人・朝鮮人居留民の「保護を名目に軍を派遣し、両軍を武装解除して満州を支配下に置く計画を立てていたが、満鉄沿線外へ兵を進めるのに必要な『勅命』が下りず、この計画は中止された」(張作霖爆殺事件Wikipedia)という。

天皇の「作戦不裁可」(或いは「裁可の遅延」)が、関東軍の作戦行動を中止させていたということは、「天皇が大日本帝国憲法下の立憲君主として、軍部を抑制できていた」ということにならないか?

青山の言う「議院内閣制ではなかった」「不磨の大典で改正できなかった」というのも、決定的な大日本帝国憲法の「欠陥」とは思えない。自分でも言っている通り、『日本国憲法』こそが「不磨の大典」化して「一字一句も変えられない」ではないか。

『日本国憲法』は所詮は「共和制『憲法』」であり、共和制憲法は「人民主権」を謳いながら、人民の自由には決してならない、「不磨の大典」である。

フランス人権宣言

フランス革命後の人権宣言、フランス共和国憲法、ソ連・スターリン憲法、中華人民共和国憲法、北朝鮮=朝鮮民主主義人民共和国憲法、「キリング・フィールド」期カンボジアのクメール・ルージュによる共和国憲法など、共産主義・社会主義・反王政による「人民主権」を謳う共和制憲法は、全て歴史の必然として暴力至上主義独裁体制となった。

《スターリン憲法は、民主主義の発展と国民の幅広い権利の擁護を明記しており、西側先進国の進んだ民主主義手法、人権制度を取り入れつつ、それを如何にしてソ連型社会主義ないしはスターリン主義体制に適用していくかという点を重視して組み立てられていた》(ヨシフ・スターリンwiki 太字引用者)

《ソビエト連邦の各憲法は、言論の自由、結社の自由、信教の自由などの政治的権利を宣言し、更に一連の経済的権利、社会的権利、全市民の義務などを規定し、議会は定期的な選挙で選出されるとされた。しかし各憲法でのソビエト連邦共産党による指導的役割の規定により、実際には国家や社会の全ての政治的決定権は共産党が行う一党独裁制となった》(ソビエト連邦の憲法wiki 太字引用者)

《中国は、労働者階級が指導する労農同盟を基礎とした人民民主独裁の社会主義国家である。社会主義制度は、中国の基本制度であり、いかなる組織又は個人による社会主義制度の破壊を禁止する(憲法第1条)》(『中国憲法の概要』尹 秀鍾・中国律師(弁護士)2012年 8月 9日 太字引用者)

共和政体は改正の対象にすることはできない》(フランス共和国憲法wiki、「第16章 改正」 下線引用者)

共和制憲法の謳う「民主主義」「人権」「国民の権利の擁護」「言論の自由」とはその実、何の権利・権力・権威も持たない人民を、一握りの「指導的立場」にある人間が恣意的に統制し、その国全体を支配する為の、単に聞こえの良いスローガンに過ぎない。

王族・貴族、地主等の旧支配階級から権力と資産を奪い取って「新しい支配階級」に収まった「指導者」達は、それを人民に平等に分け与えるという「公約」をあっさり翻して全てを独占し、「人民主権」の下で人民はやはり「独裁指導者」に搾取され、「平等に」貧乏になった

現在の中国・ロシアや北朝鮮が、彼等「国際共産主義者」らが反吐が出るほど嫌悪し(て見せ)た「アメリカ帝国主義」と全く同様、国の全人口の1%が国富の半分を独占する超格差社会になってしまっている現実を見れば、「人民主権」が実は「人民搾取・支配」の方便だとはっきりわかる。

そもそも共和制憲法が、社会主義・共和政体を絶対として憲法の改正対象から外したところで既に、「社会主義・共和政体に疑問を持つ」国民の権利も言論の自由も、その疑問をすくいあげて「公議公論」に付すべき民主主義も、全て蹂躙している。

「大日本帝国憲法は、改正に改正を重ねて、成熟させねばならなかったのに、一字一句も変えられなかった。それが大日本帝国憲法の、大いなる欠陥だ」と青山は言っているが、『日本国憲法』がそうであるように、共和制憲法が全体主義独裁を維持する為に独善的に「不磨の大典」であることと、その根幹を「国体」におく大日本帝国憲法が、「至高の権威」を「皇祖皇宗の教え=規範国体」とその体現者たる天皇におくことで、当然、安易な改正が難しくなることとは、問題の性質が違うだろう。

国体の規範とは、安易に変えてはならないもの、時代の変遷と共に流行の如く変わるべきではないものだからである。

青山は、番組の放映年月日をいうときに、「私達の大切な『オリジナル・カレンダー』・皇紀では……年」というし、仁徳天皇の「民のかまど」のエピソードを挙げて「日本は古代から『民意』というものを大事にしてきた」と言い、また、聖徳太子の『十七条憲法』(『日本書紀』に登場する「憲法十七条_いつくしきのりとをあまりななをち」が正式な呼び方)を「世界史の奇跡としてわれわれが持った」と、最大限の尊敬を以て紹介している。

これは、生き方の手引きである。利害の調整ではないから、現憲法の百三条の長さより、はるかに短い。そして子供が読んでも分かる簡潔さと明晰さがある。美しい憲法とは、まさしくこれだ。》

まったくそのとおりだ。この一文のタイトル『日本オリジナルの憲法に立ち返る志を持とう』にも、「日本には日本の民主主義、立憲主義がある」との考察にも、膝を叩いて賛成する。

だが、それがなぜ「わたしたちは根っこの目標を定め直し、日本の憲法を初めて創るべき」になるのかわからない。

大日本帝国憲法は『西洋からの輸入物』だから駄目なので、わたしたちの憲法を創る、その前に現憲法に最低限度の改正を実現する」と、「日本には日本の民主主義」「日本オリジナルの憲法に立ち返る」と自分自身が言ったことと全く逆方向のことを、青山は言うのだ。

『青山繫晴が…答える!』で、「大日本帝国憲法は、問題の多い憲法だった…そんなものに戻して、どうするのか」と、青山は言い放った。

南出喜久治の『とこしへのみよ』によれば、大日本帝国憲法だけでなく、『古事記』『日本書紀』、その中の『神武天皇のご詔勅』『憲法十七条』などや、『万葉集』、『五箇条ノ御誓文』、所謂『軍人勅諭』や『教育勅語』なども、これすべて「実質的意味の憲法」であるという。

私達日本人は、その悠久の歴史の中に、沢山の日本製「憲法」を、既に持っているのだ。

そして、これらの「憲法」の中心には、天皇の存在がある。

1854年、ペリーの砲艦外交により江戸幕府が結んだ日米和親条約は、最恵国待遇を米国のみに与える不平等条約であって、これを解決する為、日本も西洋並みの最新式政治形態を運用できる実力があることを、対外的に見せつける必要に迫られた。このような状況下、大日本帝国憲法が西洋式憲法及び立憲君主政体を下敷きにしたことは、当然の流れであった。

しかし、大日本帝国憲法は、単なる「西洋からの輸入物」ではない。

その根幹には、「西洋の帝王」と一線を画する「万世一系」の歴史を持ち、同時に民衆と対立関係にない「万民の父母」たる天皇の存在があった。

伊藤博文が教えを請うたグナイスト、シュタインは、「憲法はその国独自の歴史と伝統と文化に根差したものでなければならない」と言った。

古代より「憲法_いつくしきのり」を、民を支配するためでなく、民とともにより善き道を歩むために発してきた天皇、まさしく日本の「歴史と伝統と文化」を象徴する、「宗教の長」ではない、人類融和の祈りを捧げる「祭祀王」天皇が、その大本をしっかりと支える大日本帝国憲法、それが、「ただの西洋からの輸入物」であろうはずがない。

ひるがえって、『日本国憲法』こそは「西洋からの輸入物」どころか、日本の「歴史と伝統と文化」を破壊するため反日外国人たちが「やっつけ仕事」で作成した、「憲法」という名に値しない「偽憲法」である。

青山は、「『悪法も法なり』であるから、『日本国憲法』の改正方法を使って、コツコツ、一つ一つ改正していく他ない」という。だが、「悪法も法なり」は、その法が有効であれば、の絶対条件付きの話だろう。『日本国憲法』が無効であることは、青山も承知しているではないか。それを、「日本の憲法を『初めて』創る」「その前に現憲法に最低限度の『改正』を実現する」とは、一体どういう意味なのか?筋が通らない。

「北朝鮮拉致被害者を、一刻も早く救出しなければ!」と急き立てながら、「コツコツ、一つ一つ、改正していく」?

完全に破綻している。そして、青山の「憲法改正」論の破綻ぶりは、青山の「親分」である安倍晋三首相の「憲法改正」論の破綻ぶりと、軌を一にしている。

安倍晋三は、憲法改正派→(『日本国憲法』有効追認派?)→無効派(?)→再び憲法改正派???

《「『日本国憲法』は、ハーグ条約に違反していますので、サンフランシスコ講和条約で独立を回復した時に、『これは無効である』と言って……これは、過半数で無効にできますから……そして、まさに、自分たちの手で、憲法を書く。結果として、似たものになるということは、充分あり得るでしょうし……」(2009年5月3日『たかじんのそこまで言って委員会 憲法スペシャル』)》

これは第一次安倍政権を辞任後、野党時代の安倍晋三の発言である。しかしこの2年前の2007年10月18日、第1次安倍内閣時代に、第165回衆議院国家基本政策委員会会合同審議会において、野党民主党党首小沢一郎との党首討論冒頭で、メディアは殆ど報じなかったが、「占領憲法の効力論」が「討論」されていた。そこでは、安倍は「『日本国憲法』有効論」をとっていた。

小沢が「占領中に、占領軍の、少なくとも、深い影響、関与のもとになされた日本国憲法である、(中略)という論理の一貫性からいえば、(中略)日本国憲法は本来無効だ、ということになる、と安倍首相は言っているように思われるが、どうか」と質問したことに対し、安倍首相は、ナチス・ドイツ占領終了後のフランスが「占領憲法破棄」をしたことなどを挙げたうえで、

《「しかし、日本は昭和27年に講和の条約を結び、独立を回復した後も、基本的に現行憲法のもとにおいて今日までの道のりを歩いてきたわけでございます。」

「ですから、現在、であるから、それが無効だという議論は、私はもう既に意味はないのではないのだろうか、このように思っています。」

「私も、現行憲法をすべて否定しているわけではありません。現行憲法の持っている主権在民、自由と民主主義、そして基本的人権、平和主義、この原則は、私は世界的、普遍的な価値であろう、このように思っておりますし、基本的に私は、認識としては、〔日本国憲法は〕既に国民の中に定着し、それを我が国国民が選んだのも私は事実であろう、こうかんがえています」》

これは、安倍晋三が「(共産党議員吉田信夫が言ったような)『日本国憲法』有効論から、無効論に一時的に『鞍替え』した」という話ではなく、青山同様(それとも青山が「安倍同様」なのか)、「無効論について無知なくせに無効論を否定・無視している」という批判をかわすため、アリバイ的に「無効論はもちろんよく知っているが、熟考の結果、『現実的でない』と判断したので、無効論について議論する必要はない」という論理で言っているだけだろう。青山繫晴、安倍晋三の無効論理解はいかにも生半可である。その証拠に、無効論の要である「連合国占領以前の、大日本帝国憲法下の日本への原状回復」と「連合国の犯罪告発」がすっぽり抜け落ちている。

「『日本国憲法』有効論」とは、「日本=侵略国史観」の受容・容認=日本人の父祖への日本人による誣告

1964年の憲法調査会報告書も、「日本国憲法無効論」はまさしく「アリバイ的に」言及しただけで「押しつけでも、内容が良いからいい」という「敗戦奴隷」根性丸出しの結論に終わったが、安倍の言っていることは、まさにそれだ。

ここには、「侵略戦争を反省して『日本国憲法』を受け入れた日本人」とは、「『自分達の祖父が、父が、兄が、友が、侵略者・虐殺者だった』という誣告を『事実』として受け入れ、平然としている、日本人としての矜持も反骨精神も失った、腑抜けの日本人」である、という自覚がない。

日本が主権を取り戻し、独立を回復することは、「侵略国」「虐殺軍」の冤罪を雪いで、日本の尊厳と名誉を取り戻すことと、同義でなければならない。

本 美しい国へ

2006年に出版し、50万部以上のベストセラーとなった『美しい国へ』で、安倍は「国の骨格は、日本国民自らの手で、白地から作り出さなければならない。そうしてこそはじめて、真の独立が回復できる」「憲法の改正こそが、『独立の回復』の象徴であり、具体的な手立てだった」と、「保守合同」で55年体制を築いた自由民主党の結党の理由の「第二」、「自主憲法制定」を説明した。

だが、この高邁な「目標」は、「第一の理由:経済の復興」の「後回し」にされ、《その結果、弊害も現れることになった。損得が価値判断の重要な基準となり、損得を超える価値、たとえば家庭の絆や、生まれ育った地域への愛着、国に対する想いが、軽視されるようになってしまったのである。》(安倍晋三『美しい国へ』)

〔「経済復興」を第一の、「独立の回復」を第二の目標としたことは〕順番としてはやむをえなかったのだろうが》(同上)というところで、安倍は完全に間違っている。

日本は(吉田茂は、岸信介は)、主権と独立の回復を、経済復興の二の次には、絶対に、してはならなかった。

例え戦災・焼け野原・貧窮の時代がもう何年余計に続いたとしても、自立自尊の精神で、独立独歩で歩き出すのと、「敗戦奴隷」として軛をかけられたまま、鞭を当てられて走り出すのとでは、国民精神の在り方が根底から違ってくる。

『日本国憲法』無効確認をしなかった、ということは、連合国の「日本=侵略国」の誣告を告発しなかった、ということであり、それは「独立」の嘘の裏で日本人が知らぬうちに置かれた「被占領国民=敗戦奴隷」という立場が、永久に日本民族の精神に「奴隷の焼き印」として焼き付けられ続けることになってしまった、ということであった。

日本国民が必死に働いて達成した「高度経済成長」にも「GNP世界第2位」にも、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の掛け声にも、国際社会からは常に「戦争中、お前達は残虐な侵略者だったのに」「安保のタダ乗りでうまい汁を吸った」「エコノミック・アニマル」「働き蟻」と、冷たい侮蔑の目が向けられ、全く誇らしいところは一つもなかった。

しかも、実際には「好景気」と「不況」が数年ごとに交互に日本経済を襲い、日本の庶民が心の底から経済的安定を実感できる状況には程遠かった。「一億総中流」の言葉が流行ったときにも、「うちは貧乏のままだが」と思った国民も多かったのではないのか。

朝鮮戦争特需で潤い、「もはや戦後ではない」と、鳩山一郎内閣が経済白書に「戦後復興完了宣言」を出した「神武景気」(54年~57年)も、結局は日本経済の上層部を潤わせただけ、と「天照らす景気」などと揶揄されたことが、「高度経済成長」というものの本質を表している。

また、安倍は祖父・岸信介の60年安保改定を、「〔岸は〕この片務的な条約を対等に近い条約にして、まず独立国家の要件を満たそうとしていたのである。今から思えば、日米関係を強化しながら、日本の自立を実現するという、政治家として当時考えうる、極めて現実的な対応であった」と絶賛しているが、前稿「日本国憲法無効確認への道①」でみたように、岸の「対等な日米関係新時代」は、全くの噓だった。

戦後日本政治・外交における「米軍と日本の官僚との『異常な』直接的関係」

岸の結んだ新・安保条約は、当時の駐日大使マッカーサー(連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の甥)の米国務省あての通信にもあるように、「見かけだけが改善されていた」だけで、「米軍の日本占領」の実質は全く変わらなかった

1972年、沖縄返還交渉を担当した米大使館シュナイダー駐日公使は、《「日米合同委員会のメカニズムに存在する、米軍司令官と日本政府の関係は、極めて異常なものです」「(本来なら、他のすべての国のように)米軍に関する問題は、受け入れ国の中央政府の官僚とアメリカ大使館の外交官によって処理されなければなりません」「(ところが日本ではそうなっていないのは)要するに日本では、アメリカ大使館がまだ存在しない占領中に出来上がった、米軍と日本の官僚との異常な直接的関係が、いまだに続いている、ということなのです。」》と駐日大使への報告に書き残した。

《その後もアメリカ国務省は、日米合同委員会のアメリカ側代表を米軍司令官から外交官(駐日公使)に交替させて、委員会全体を駐日大使のコントロールのもとにおこうと何度も試み》たが、《そのたびに軍部の抵抗によって》《「日米合同委員会はうまく機能しており、日本政府がその変更を求めている事実はない。アメリカ政府は日米合同委員会の構造を、より公式なものにする方向へ動くべきではない」(1972年5月29日、太平洋軍司令官の見解)》《と拒否されてしまった》(矢部宏治『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』)

1952年の「独立」後も、米軍の軍事占領が継続していたことを、アイゼンハワー大統領が主導して作成した『世界の米軍基地に関する極秘報告書(ナッシュ報告書)』の基礎資料となった、ホーシー駐日公使作成の1957年極秘報告書が明らかにしている。

「このような強制された基地のあり方に対し、これまで日本人はおどろくほどわずかな抵抗しかせず」「日本の主権が侵害されるなか、米軍基地の存在を黙って受け入れてきた」》(同上)

日本はいまだに占領されたままであること、国民が「敗戦奴隷」として洗脳され、人権を蹂躙され、搾取されているということを、日本国民は気づかないでいる。日本政府がその事実を隠蔽しているからである。

「(『日本国憲法』の)前文・9条が決定的におかしいということすら理解しない国民」に「無効論」を持ち出すことは「憲法改正の助けにならない」と、青山はフラストレーションを日本国民の「憲法への無関心・不理解」に向ける。「どうして日本はこんな社会なのか」「世界のどんな国の国民でも理解することを、日本人だけが理解しない」と嘆いてみせる。これを本気で言っているのなら、青山本人も、『日本国憲法』のこともGHQ占領政策のことも、何も本当には理解していない、ということになろう。

日本国民が、9条・前文の「日本国の、国防を含めた主権発動の(連合国による)禁止」という、どこからどうみても「決定的におかしい」、世界標準・国際倫理に照らして異常な条文を、何の疑いもなく「平和条項」と呼んで有り難がっているのは、GHQの洗脳でそう信じ込まされてきたからだ。

マッカーサー日本に乗り込む

検閲と洗脳で「受け入れさせられた」東京裁判史観と『日本国憲法』

『日本国憲法』は第21条1項で「言論、出版その他一切の表現の自由を保障」し、2項で「検閲を禁止」しているが、連合国製「新憲法」制定前、占領の最初期から、GHQ/SCAPは5000人の日本人スタッフを動員して、大規模で稠密な検閲を実施していた。その日本人スタッフの月給は、《当時どんな日本人の金持ちでも預金は封鎖され、月に500円しか出せなかったのに、900円ないし1200円の高給》であり、《その経費は全て終戦処理費》__つまり日本国民の税金で、日本国民が日本国民を検閲し、言論統制させられていたのである(《 》内 岡崎久彦『百年の遺産__日本の近代外交史話73』)

その検閲30項目を以下に挙げる。(当ブログ別稿『「日本人の魂の武装解除」:GHQ検閲リスト30項目で連合国が隠したかったこと』も合わせてご覧ください

  1. SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
  2. 軍事裁判(東京裁判)への批判
  3. SCAPが憲法を起草したことについての批判
  4. 検閲への言及
  5. アメリカ合衆国への批判
  6. ロシア(ソ連)への批判
  7. 英国への批判
  8. 朝鮮人への批判
  9. 中国への批判
  10. その他の連合国への批判
  11. (個々の連合国でなく)連合国全般への批判
  12. 満州における日本人の待遇への批判
  13. 連合国の戦前の政策への批判
  14. 第三次世界大戦への言及
  15. 西側世界対ロシアの問題(冷戦)に関する論評
  16. 直接・間接を問わず日本の戦争擁護のプロパガンダ
  17. 直接・間接を問わず日本と日本の天皇が神の子孫とその国であるというプロパガンダ
  18. 軍国主義的プロパガンダ
  19. 国粋主義的プロパガンダ
  20. 大東亜(共栄圏)プロパガンダ
  21. その他のプロパガンダ
  22. 戦争犯罪の正当化と戦犯の擁護
  23. (占領軍兵士と日本人女性の)交渉
  24. 闇市の状況
  25. 占領軍への批判
  26. (日本人の)飢餓の誇張
  27. 暴動・社会不安の扇動
  28. 虚偽の報道
  29. 不適切なSCAP(或いは地方軍政部)への言及
  30. 解禁されていない報道の公表

 

この検閲30項目で、連合国GHQが成し遂げたかったこと、それは、「天皇を頂点とする大日本帝国憲法下の政治システム=悪」「連合国による占領前の日本の歴史・伝統・文化=全て悪」「日本=野蛮で残虐な侵略国」という決めつけ、そしてその一方での「連合国列強=文明的な民主主義国・世界を導く正義の番人」というプロパガンダの強調である。

連合国、特に米国が、日本を「征服」することの、「国際倫理的な正当化」である。

開拓期のアメリカは、北米インディアンの土地収奪を「インディアン=野蛮な虐殺者」「アメリカ騎兵隊=白人開拓者を虐殺者の魔の手から護る文明的な正義の味方」というプロパガンダで正当化した。

この「異民族征服・奴隷化の定石」を、「日本征服」にも適用したわけである。

『日本国憲法』制定はハーグ陸戦法規違反というだけでなく、「日本民族を奴隷化したりしない」と謳ったポツダム宣言にも違反していた、ということである。

また、「征服者」の常として、連合国は敗戦国日本の歴史を書き換えた。

実質「アジア解放戦争」となった大東亜戦争の呼称を禁止し、「対米戦争」の側面を強調した「太平洋戦争」という名称を強要し(今また「アジア・太平洋戦争」に変えろ、といわれているようだが)、『太平洋戦争史』というGHQ製「偽歴史書」を、歴史教科書として学校で使用し、『真相はこうだ』『真相箱』というラジオ番組の下敷きにして、「事実として」老若男女問わず日本国民全体に教え込んだ。

未発表刊行物などに対する検閲とは別に、既刊書籍などを対象に7769点の「没収宣伝用刊行物指定」=「焚書」が行われた。「焚書」リストはGHQによって作成されたが、実際の没収は日本政府によって行われた。東京大学文学部も、GHQに協力した。(西尾幹二『GHQ焚書図書開封1』)

「検閲」「焚書」「洗脳」によって、日本人は歴史を奪われ、記憶を消され、代わりに「侵略戦争の加害者」としての「偽の贖罪感」を植え付けられた「敗戦奴隷」となった。

マッカーサーの言ったように、占領中「日本列島は丸ごと巨大な強制収容所」と化していた。「日本人は誰も、SCAP/GHQの許可なしには何もできない、どこへ行くことも許されない」状態であった。

事実、1945年9月10日に発令された「新聞報道取締方針」「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」(SCAPIN-16)によって、同盟通信、朝日新聞、ニッポン・タイムズ、東洋経済新報らが、24~48時間の業務停止命令を受けた。業務再開が許可されたときには、これらの通信社、新聞社は、GHQの宣伝機関となり果てていた。

検閲には事前検閲と事後検閲があったが、事後検閲は、印刷工程が全て終了し、書店などへの配達も完了してから検閲に引っかかった場合、全費用が水の泡となり、出版社に莫大な損失を与える。このことは検閲がGHQの手を離れ、日本人自身による「自主検閲」へと形を変えて継続することに、実質的な脅迫行為である「公職追放」とともに、大いに寄与した。

このようにして、1951年の「独立」後、「目に見える占領軍」GHQの替わりに「目に見えない占領軍」日米合同委員会に支配されるようになった時、「日本人による日本人の検閲・洗脳」を継続できるシステムが、既に社会に構築されていた

『日本国憲法』が無効であるという事実を知らない日本国民は、占領期の吉田茂内閣を始めとする日本政府、外務省、文部省、法務省、……、最高裁、検察庁、……、日本の三権=政治・行政・司法の全てが、「公職追放」という「GHQの踏み絵」を踏んで「GHQの子飼い」となった者たちで構成されていた、という事実、そしてその状態は今も継続している、という真実も知らない

戦後日本の「国策」は米国防省・米軍が決定し、その決定に沿って日本政府が日本国家運営をしてきた。

これが「戦後レジーム」というものの正体である。

安倍政権が『日本国憲法』無効論を国民に周知せず、「憲法改正」「自衛隊明記」を推進する本当の理由

安倍晋三は、『日本国憲法』を「改正」すべき理由を、3つ挙げている。

  1. 現行憲法は、GHQが短期間で書き上げ、それを日本に押し付けたものである
  2. 昭和から平成へ、20世紀から21世紀へと時が移り、9条など、現実にそぐわない条文もある
  3. 新しい時代にふさわしい、新しい憲法を私たちの手で作ろうというクリエイティブな精神によってこそ、われわれは未来を切り開いていくことができる

(2004年、安倍晋三・岡崎久彦『この国を守る決意』 ※番号まとめ引用者)

ここには、「『日本国憲法』が日本の主権を侵害し、日本人の尊厳と名誉を傷つけ、日本の独立を妨げている」という、日本と日本国民にとって、真に重要な事実への言及がない

3番目の「クリエイティブな精神で作る、新しい時代にふさわしい新しい憲法」も、「日本の歴史・伝統・文化に立脚」という「憲法」のあるべき姿から外れている。

「国の骨格は、日本国民自らの手で、白地から作り出さなければならない。そうしてこそはじめて、真の独立が回復できる」と『美しい国へ』でも言ったように、安倍晋三の国家観・憲法観は「今生きている者達のためだけ」のものであるらしい。

《〔自民党憲法改正推進本部会合でも〕戦力不保持や交戦権の否認をうたった〔9条〕2項削除にこだわる声が出たが、「2項維持の方が他党の賛同を得やすい」と〔1・2項を残して自衛隊を明記する〕首相案を「現実的」と支持する意見が目立った》(朝日新聞2017年12月21日「9条改憲文案 年内見送り」太字引用者)という記事から推して、安倍首相の本心は、先の衆院選の時の言葉通り、公明党や野党と歩調を合わせながら「日本の主権侵害・名誉棄損という『日本国憲法』の有害部分には手を触れず」しかし「自衛隊明記」だけは何としても、ということのようだ。

「憲法に自衛隊明記」が、「『本当に』日本の主権と独立を取り戻す」ことのできる「無効論」よりも、安倍政権にとって重要なのはなぜか?

吉田茂の「統一指揮権密約」によって、「自衛隊は、有事には米軍総司令官の指揮権の下に入る」ことになっている

自衛隊は、本当に戦争になれば、日本と日本国民を守る「国防軍」ではなく、米軍の一部となり、米軍と米軍基地を守る軍隊となるのである。

1977年、横浜市の住宅街に米軍のファントム偵察機が墜落し、日本人の子供2人が死亡した事件では、《その時すぐに現場に飛んできた自衛隊のヘリコプターは、日本人の負傷者に対してなにも救助活動をせず、なんとパラシュートで脱出して無傷だったふたりの米軍パイロットだけを乗せて、厚木基地へ帰ってしまった》のである。(《 》内矢部宏治『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』下線引用者)

「戦時」「有事」でなくとも、日本国民の生命より、米軍将兵の命、或いは「米軍の法的地位」の方が優先されている、理不尽な「日本全土治外法権」の現実が既にある。

ところが、米軍にとっては、これでも十分ではないのである。なぜなら、

「警察予備隊」そのままのポジティブ・リストの「自衛隊法」で動く自衛隊のままでは、ネガティブ・リストの軍規・軍法で動く米軍と完全協調して動くことができない。

自衛官が戦地で敵と対峙しても、「敵兵に味方を撃ち殺されてからでなければ、自衛官は反撃できない」「しかも、その『味方を撃ち殺した当の敵兵』にしか、反撃はできない」「これらの鉄則を破れば、その自衛官は『殺人罪』に問われる可能性が高い」「しかも、軍法も無ければ軍法会議もないので、当該自衛官は戦線を離れ、日本に一時帰国して、日本の裁判所で裁かれる必要がある」「その裁判での証拠とする為に、自衛隊は、演習時に自分達の行動を逐一『敵に背を向け、突撃する友軍を、前から』ビデオで録画する訓練もしている」(イラク派遣の時の「ヒゲの隊長」として有名な佐藤正久参議院議員が、「ビデオを抱えた隊員が、戦場で真っ先に死ぬ!」と憤慨している)等々と、バカバカしくもくだらない、信じられないような本当の話が、現実としてある。

更に、交戦権否定の『日本国憲法』下の自衛官は戦時国際法の規定する『合法な交戦者』ではないから、中国の「便意兵」のように、「非合法戦闘員」となり、法によって護られない。「非合法戦闘員」は、国際法上の人道的待遇が与えられる「正式な捕虜」の資格がないから、たとえ個人が白旗を挙げて降参していても、その場で撃ち殺されても文句が言えない、ということになる。

そんな状態では、いざ本物の戦場で、「米軍の手足」となって軍事行動に携わることに支障をきたす。「日本国民の命は後回し」の現実を目の前にしたとき、国のために自分の命は捨てる覚悟の自衛隊員の士気が、「米軍の手駒」となったときにも、高く保てるという保証もない。

だから「自衛隊は〔世界基準の軍規・軍法を持つ〕軍隊である」と憲法に書かれる必要がある。それが、安倍政権が必死で「自衛隊を憲法に明記する」と言っている本当の理由である。

そこでは、日本国民である自衛官の生命と名誉を守るためではなく、「米軍の都合」が優先されている。

『日本国憲法』は、日本国民である自衛官の生命も名誉も守らない。自衛官の基本的人権・生存権が全く保証されていない。

「憲法に自衛隊を明記」で「軍隊」に格上げされても、自衛隊は米軍に付属する、米国人司令官に指揮される「日系人部隊」と同等の立場であって、「祖国日本を護る国防軍」ではない。

「憲法改正」「加憲」では、日本の主権と独立は取り戻せない。安倍政権のしようとしていることは、「在日米軍による占領体制」「戦後レジーム利権」の継続、護持である。

だが、既に多くの米国側外交官が指摘しているように、現在の「米軍の日本占領=基地植民地状態」は、「異常」であり、「不正」であり、「不法行為」なのである。

その不法行為をやめさせる『日本国憲法』無効確認をしないこと、『日本国憲法』無効論を周知さえしないことは、米軍の共犯或いは犯罪幇助、自分たちの犯罪隠蔽と言ってよい。

南出喜久治は、「『日本国憲法』無効確認とは、即ち『犯罪者の自白=認罪』である」と言った。(『日本国憲法無効宣言』)

吉田茂、岸信介、そして安倍晋三に至る「戦後レジーム利権」利得者達が、『日本国憲法』無効論を必死に国民から隠してきたのは、自分達の行為が「国家反逆罪」にも値する、日本と日本国民への裏切りである、ということを十分承知していたからであり、そして、その「極刑に値する罪を自白」=「認罪」するつもりがない、する勇気がない、ということなのだろう。

日本の根幹の歪みは、原状回復=大日本帝国憲法の復原でしか直せない】

日本国民は、いまだかつて、一度も『日本国憲法』無効の事実を周知されたことがない。

70年使ってきたからと言って、「『日本国憲法』が日本国民に受け入れられている」とは言えない。

無効論の存在すら大多数の日本国民が知らない状態を、日本政府自身が作ってきたことを棚に上げて、「『日本国憲法』を日本国民自身が『選び』、それが『定着している』」というのは、欺瞞である。

連合国の犯罪の「共犯者」である日本政府が、「このような強制された基地のあり方に対し、(……)おどろくほどわずかな抵抗しかせず」「日本の主権が侵害されるなか、米軍基地の存在を黙って受け入れてきた」ことを以て、「日本国民全体が合意していることだから、この異常な状態=占領状態を継続しても構わない」ということは絶対にできない。

日本国民は知らされていないからである。合意などした事実はないからである。

そもそも、「たとえ民意が廃憲に反対しても」という語弊の有る言い方を、『青山繫晴が…答える!』の質問者がしてしまったのは、切羽詰まった現状への焦燥感ゆえの舌足らず、というだけでなく、質問者がせっかく「日本国憲法無効論」というものの存在に気づきながら、「廃憲」「無効化」と混同してしまっていること、その混同は「正確・詳細な日本国憲法無効論の周知」を、戦後日本政府が「故意に怠ってきた」ことに起因している。

「『日本国憲法は無効だ』などというのは無責任だ」と青山は言うでは聞く。

『日本国憲法』無効論の存在を周知しないまま、「改憲(加憲)か、護憲か、二通りの選択肢しかない」と国民を騙したまま、国民投票に持ち込んでその結果を「日本国民が自らの政治意志で決定したこと」とすることは、無責任、いや、「詐欺行為」ではないのか?


「国民の知る権利尊重」「選択肢の開示」は民主主義の根幹である。

■『日本国憲法』は大日本帝国憲法と国際法及び国際倫理に違反して制定されたものであり、始原的に無効であるという事実

■その根幹精神が日本と日本国民を侮辱し虐待する、非人道的なものであるという事実

■日米安保条約と並んで、米軍による「日本基地植民地支配」を担保するものであるという事実

■「新GHQ」=日米合同委員会の決定により、日本政府が日本国民の血税を使って、連合国=国際金融軍産複合体に都合の良い政策を立て、実行しているという事実

日本国の存立にかかわるこれらの事実を、「戦後レジーム利権」利得者達が隠匿してきた。

『日本国憲法』無効論隠匿は、国家反逆に匹敵する大罪である。

『日本国憲法』無効と大日本帝国憲法現存の事実を確認するということは、日本に主権と独立を回復するにとどまらず、天皇に大権をお返しすることで、内閣と官庁と議会が「日本国家の公僕として」「天皇陛下の監視の下で」「責任ある国家運営」をする、という立憲主義国家の本来ある姿に、日本がたちかえる、ということである。

「70年も使ってきて、今更『無効だ』という議論には意味がない」?

『日本国憲法』無効確認と大日本帝国憲法現存確認によって、日本は主権喪失状態を脱するのである。意味がないわけはないだろう。

「憲法が無効だということになれば、そこから派生した法律全部が無効ということになり、大変なことになる、だからそんなことはできない」と、青山は2017年7月17日の『虎ノ門ニュース』で言っていたが、「大変なこと」になるのは、「無効論不周知という犯罪隠蔽」が白日の下にさらされる「戦後レジーム利権利得者」達だけである。

『日本国憲法』無効確認と大日本帝国憲法現存確認は、日本国民には「百害を排除して百利を与える」のである。

寧ろ、GHQ『皇室典範』や「第2の『日本国憲法』」である教育基本法など、「派生した法律全部」を一旦無効確認で始末するほか、現実に、現在の日本の危機的混迷を収拾する術はない

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『日本国憲法』無効確認と大日本帝国憲法現存確認こそが、唯一法的に、倫理的に、現実的に、正しく、即応性・実効性のある「救国の具体策」である

『日本国憲法』無効確認と大日本帝国憲法現存確認が、具体的に何を意味するかを以下に挙げる。

『日本国憲法』無効確認によって、「国民主権」、前文、9条1項2項など、日本の主権を侵害し、天皇と日本国民の尊厳と名誉を毀損する「有害部分」が即時廃棄される。

天皇と皇室を虐待するGHQ製『皇室典範』も、即刻廃棄され、明治の皇室典範が大日本帝国憲法とともに復活し、天皇の譲位問題など皇位継承関係の問題は、本当は120名以上存在するという、GHQによって皇籍離脱させられた皇位継承者達の処遇も合わせ、皇族による皇室会議にて話し合われることになる。

大日本帝国憲法現存確認=占領前の原状回復によって、自衛権・交戦権問題は即時消失する。

日本は、世界中のどの国も持っている自然権である交戦権も自衛権も、当然持っている、という事実が確認される

「国家主権の発動」としての、国家防衛を、自律的に行うことのできる「まともな」独立主権国家に、日本は立ち返るのである。

もう二度と、「破防法は合憲か違憲か」「個別的自衛権はないが、集団的自衛権ならあるのではないか」などという、馬鹿げた「憲法解釈論議」に大切な国政の時間を費やす必要がなくなる。

70年もの間に完全に「米軍依存体質」にされてしまった日本の軍事力の「米軍離れ」をどう実現していくか、独立主権国家として、真の「同盟」はどの国と結ぶべきか、など、喫緊の、本当に重要な問題を、議論することができる。

日本国民の生命と財産を守る「国防」こそが、「国家の第一の役割」である、と教科書に書くことができるようになる。

大日本帝国憲法現存確認により、自衛隊は、即時、大日本帝国陸海空軍という、ネガティブ・リストの軍法・軍規で動く「まともな軍隊」になる。

同時に、北朝鮮有事を目前に喫緊に必要な「戦時情報組織」や、GHQによって削除された大日本帝国憲法下の刑法の「利敵行為」3項目__事実上の「スパイ防止法」__などが、即時復活する。

戦後、「敗戦奴隷国」日本で、好き勝手に日本破壊工作に従事してきたスパイ・敵性行為者・売国奴を一網打尽に検挙し、その罪を相応に償わせることができる。

米軍の意向(米軍の都合)を忖度することなしに、北朝鮮拉致被害者奪還作戦を遂行することが、やっとできるようになる。

『日本国憲法』無効確認・大日本帝国憲法現存確認と同時に、これら事実確認をすることの説明として行われる、東京裁判という連合国の誣告告発により、「侵略国」「侵略軍」の汚名は、日本と日本軍から雪がれる。

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大日本帝国陸海空軍は自信と誇りを取り戻し、日本と世界は初めて、真実に基づいた戦争の世紀の総括を、始めることができるようになる。

「敵国条項」の不当が指摘され、検閲と洗脳という「人道に対する罪」が告発される。

何より、議会制民主主義・立憲主義に最も必要な「権力のチェック機能」である、「不裁可権・拒否大権を持つ『至高の権威』天皇」が、復活する!

連合国=米英ロ仏中とその「手下」である韓国・北朝鮮による日本政治の「内部浸食」を、国民の側に立って政治権力を「総攬」する「至高のオンブズマン」天皇がくいとめる。

「『日本国憲法』が無効ということになれば、『日本国憲法』下で選出された国会議員は皆職を失うことになってしまう」と半ば「脅し」的な「無効論=非現実的」論もよく聞くが、これも全く的外れな心配だ。

『日本国憲法』無効確認と大日本帝国憲法現存確認をしたからといって、「『日本国憲法』フリー」の状態に戻れるわけではないのは当然のことだ。『日本国憲法』は天皇大権を剥奪して立憲君主制という日本の政体を「棚上げ」してしまったわけだから、帝国議会も貴族院も枢密院も、なくなってしまった。調整が必要なのはいうまでもない。しかし、『日本国憲法』制定時も、法律間の調整は1年半で終わっている。逆に大日本帝国憲法に戻すことだけが不可能なわけはあるまい。

『日本国憲法』制定後の調整は、日本が主権を喪失して「敗戦奴隷状態」であることを日本国民には隠し、GHQの顔色を見、「公職追放」に怯えながらの屈辱的作業であった。だが、

大日本帝国憲法の現存事実を確認するとき、それは日本が主権を取り戻し、晴れて真の独立を回復した時なのである。

占領以前の「原状回復」が成され、戦後日本の「根幹の歪み」が真に正されるのである。

日本は、『日本国憲法』制定以来、大日本帝国憲法を「拉致」され、「規範国体」を体現する天皇の大権が封じられることで、「憲法真空状態」になっていた。それが日本民族を、屋台骨を抜かれた「腑抜け状態」にしていた__それがついに正常に戻るのである。

「『日本国憲法』無効確認で職を失う」のは、「戦後レジーム利権」利得者だけである。そして、

国連における『日本国憲法』無効確認は、そのまま「連合国史観=東京裁判史観=『日本侵略国家説』の否定」「連合国の誣告罪の告発」となる。

全世界に向けて、日本の冤罪が晴らされたことを宣言するのに等しい。

日本人は、もう「一億総前科者」ではなくなる__晴れて、心から、自信と誇りを取り戻すことができるのだ。

日本国民の、喜びと希望に輝く笑顔で、日本列島が満ち溢れるだろう。

どんな苦難にも立ち向かえる、そんな勇気が、凛凛と国民の心に沸き立つところを想像してみよ。「大変なこと」?一体何がそんなに大変なのか?

本当の「民主主義」「民意」とは何か、を考える

「『日本国憲法』は無効である」という真実を、日本国民が知らされていない現状では、「憲法問題」に関して「民意」など存在しえない。

真実を知らない国民が国民投票で何を決定しようと、それを「民意」と呼んではならない。

「国政に反映されるべく、国民が意思決定をするにあたり、決定事項についての必要不可欠な情報の開示が、政府によって故意に遮断されている」となれば、それは民主政治ではない。それは、全体主義的言論弾圧である。

そのように考えるとき、『青山繫晴が…答える!』の質問者の、「たとえ民意に反しても大日本帝国憲法に戻すべき」は、語弊の有る言い方ではあるにしても、完全に間違っているわけではない。なぜなら、

『日本国憲法』無効確認と大日本帝国憲法現存確認をすることに、「民意」は関係ない。

『日本国憲法』が無効であるということも、大日本帝国憲法が現存しているということも、ともに歴然たる「事実」だからである。

「事実確認」をすることに、「民意を問う」ことは必要ない。

「日本はこの事実確認により、本日晴れて、完全なる独立と主権を回復いたしました」と発表することは、「民意を問わねばならない」ことではない。寧ろ、憲法に関する「本当の民意」は、『日本国憲法』無効と大日本帝国憲法現存の事実確認をした後でなければ、得ることはできないのだ。

『日本国憲法』が無効である、大日本帝国憲法が現存している、と正しく認識することで、初めて理解できる真実が、ある。

そもそも、大日本帝国憲法が現存していなければ、「戦争放棄」「交戦権否定」の『日本国憲法』の、一体どの部分を以て、「交戦=戦争行為」の一部である「停戦」「終戦」「講和の締結」を為したというのか?

青山は、大日本帝国憲法の天皇の役割の規定が曖昧だったせいで、戦争を終わらせることができなかったように言っているが、大日本帝国憲法第1章「天皇」第13条は、「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」と規定している。

「和ヲ講ス」とは「講和」、即ち交戦国同士の合意により戦争を終決させ平和を回復する行為のことであり、休戦協定を経て講和条約を結ぶまでの「一切の戦争行為の終了」を意味する。つまり、

大日本帝国憲法が現存していたからこそ、大日本帝国憲法下の天皇大権である「講和大権」「条約締結大権」(第1章「天皇」第13条)によって、サンフランシスコ講和条約は締結できたのである。

逆に言えば、「『日本国憲法』を有効とするなら、法的根拠を持たないサンフランシスコ講和条約は無効」ということになる。「日本はまだ戦争状態にある」ということになってしまう。それこそ「非現実的」ではないのか?

日本が占領され続けるために、東京裁判史観と『日本国憲法』が必要だった、この二つは、連合国の「新世界秩序」構想という、出処を同じくする悪質・非人道的なプロパガンダであった、と知ることで、初めて理解できる歴史の真実が、あるのだ。

「日本は侵略国だった」という大前提で始める議論は、歴史問題であろうと人権問題であろうと、全て歪にねじれる。

「憲法=constitution」とは、「体質」「国柄」という意味である。その「日本とはこういう国」と説明するはずの「憲法」が、70年もの間、「日本とは、軍隊を持てば必ず侵略する、悪逆非道の国です」と日本人の頭を叩き続けて来たのだ。

いまの日本政治の根幹には、腐臭を放つ膿のような歪み、倒錯がある。その原因は、『日本国憲法』という、嘘で固めた、日本民族の精神虐待装置にあった。『日本国憲法』無効確認が、それを日本人に悟らせてくれるのだ。

『日本国憲法』が本当に意味することは、「天皇という存在がその中心的役割を果たして、開闢以来培われてきた日本の歴史・伝統・文化」の全否定、即ち日本民族の魂のアイデンティティー=日本精神の全否定であった。

他民族の国家アイデンティティーを破壊しようとする卑怯卑劣な団体=国連に、用はない。

『日本国憲法』無効確認と大日本帝国憲法現存確認を国連で__「国連=連合国の指導者達=安保理常任理事国は、特に米国は、非常に不適切なやり方で第二次世界大戦後の日本と国際社会を搾取してきた」と、国際社会の見守る中、当の国連安保理常任理事国たちの目を見据えて、告発し、脱退を宣言するべきである。

主権と独立を回復し、尊厳と名誉も回復した日本が、国際社会の特権階級だけを利する国際連合を脱退し、「本当に」国際社会の「底辺部の底上げを図る」新組織__大東亜共栄圏のような、「グローバルではなく、地域社会の共栄」を図り、その地域社会の代表者で構成する組織__の設立を宣言すれば、多くの後進・中小国家がついてくるであろう。

現在の、「国際共産主義者の巣窟」と化した国連と「新世界秩序」に嫌気がさしている、米英仏ロ中の指導者層の中にも、賛同者はみつかるであろう。

《わたしは政治家を見るとき、こんな見方をしている。それは、「闘う政治家」と「闘わない政治家」である。》

「闘う政治家」とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家のことである。「闘わない政治家」とは、「あなたの言うことは正しい」と同調はするものの、けっして批判の矢面に立とうとしない政治家だ。

わたしは、つねに「闘う政治家」でありたいと願っている。》(安倍晋三『美しい国へ』)

父の最後の一年間を見ていて、「これは命を賭けるに値する仕事だろう」と思いました。そして政治家は「国民の生命と財産を守る」ということを常に忘れてはいけないと心に刻みました。》(安倍晋三『この国を守る決意』)

「憲法の改正こそが、『独立の回復』の象徴であり、具体的な手立て」(『美しい国へ』)とは、吉田茂がデザインし岸信介が護持した「戦後レジーム利権」保護のための、「おためごかし」の欺瞞である、と安倍晋三は認めよ。

『日本国憲法』無効確認と大日本帝国憲法現存確認を国連で為した時、「批判」は日本国民や世界の国民からではなく、「戦後レジーム利権」利得者と、国連をも私利私欲のため利用している「国際社会の特権階級」から浴びせられる。そこでは安倍首相、あなた自身の生命が危険に晒される可能性もある。

安倍首相、あなたは今一度、自らの胸に手を当てて、問うていただきたい。

あなたの心には今も、「政治家は国民の生命と財産を守る」と、刻まれているか?

日本人には、生命よりも、財産よりも、大切にしたいものがある」ということを、知っているか?

日本人が、生命よりも、財産よりも、大切にしたいと思うもの、それは、日本の尊厳と名誉である」と、知っているか?

日本人の尊厳と名誉を護るために、「闘う政治家」になれるか?

『日本国憲法』無効論から、目を背けるな。

『日本国憲法』無効論は、究極の、「救国の具体論」であると認めて、国民に周知せよ。

『日本国憲法』無効確認と大日本帝国憲法現存確認を、国連で為せ。

国民にせっつかれて、「仕方ない」と愚図々々しながらやるよりも、腹を決めて、自分から進んでやった方がいい。それが、本当の「闘う政治家」の姿だ。

本 この国を守る決意

「天皇が憲法。天皇が国体。天皇が日本。」天皇との相互の信頼に依って立つ国民と天皇観を異にする政府・有識者会議が、絶対に手を触れようとしない「日本国憲法無効論」という名の「パンドラの箱」__正確な現状認識だけが日本を護る⑤

「天皇の譲位の実現」とは、「平成の大政奉還」に他ならない___権力濫用の隠れ蓑にしか使われていない「国民主権」を、「国民の総意」で天皇にお返しし、「万民の父母」「祭祀王」天皇を冠する日本型立憲君主制に立ち返る

唯一法的に正当な道__『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認と、大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認が、天皇の譲位を完全な形で実現し、機能不全に陥った日本政治を救う

「共和制」の『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が、天皇に「天皇本来の在り方をさせていない」という真実を、「象徴天皇」という玉虫色の言葉が、マジック・ミラーのように隠している

「日本国憲法無効論」の存在を国民に周知しないまま、天皇陛下のご意向を「特例法」によって「違憲の退位」という形で曲げてしまうことは、天皇と日本国民への愚弄であり、裏切りである

そうまでして強行される「憲法改正」は、「日本国の為」では、決して、ない。連合国の日本支配体制を、取り返しがつかないまでに永続化してしまう。「日本は侵略国家だった」という連合国の嘘を、国際社会に正すこともできず___それでもなお、「改憲」に執着するのか?


「天皇の公務負担軽減等に関する有識者会議」は、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の有効前提、「東京裁判史観」肯定前提で開催されている。これでは天皇陛下の譲位のご意向の本質・核心には全く触れることができない。

「天皇陛下のご意向」の本質である「天皇の本来的在り方」「祭祀」「国体」の問題から目をそらし、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』による「象徴天皇」「天皇の公務」の定義に無理やり整合させ、「連合国の戦後日本支配」の真実から遠ざかろうとする議論は、ひたすら泥沼にはまってゆく。

その人選を含め、安倍政権の完全統制下で「特例法の結論ありき」で開催された「天皇の公務負担軽減等に関する有識者会議」は、天皇と国民の願いを叶える為でなく、政府の「とにかく改憲」実現のため、「天皇問題を特例法でちゃっちゃと片付ける」ためのもの___3回に亘った16人の専門家ヒアリングが終了して、各人の意見が明らかになり、その確信は「plain fact(明白な事実)」へと変わった。

有識者会議メンバーとヒアリング対象の「専門家」達の意見は、4つに大別される。

■「退位」(どうしても、天皇陛下のおっしゃる「譲位」と言わない)に反対

■「退位」でなく、(天皇陛下が何年も前から何度も否定されている)「公務削減・摂政設置」で対応

■「退位」に賛成だが、(『日本国憲法』違反の)「特例法」で(陛下と国民の願いを無視して)今上陛下御一代にのみ認める

■(GHQ)皇室典範を(『日本国憲法』有効論_内閣と国会が天皇の上位にあり、天皇の進退を内閣と国会が決定する_という前提で)内閣と国会が「改正」したうえで、「退位」を認める

いずれも「『日本国憲法』無効論」無視=「連合国の日本支配体制を継続させる」立場で一致している。政府は「メンバーの思想的左右のバランスをとった人選」といったが、「連合国の日本支配体制を終わらせる」日本国憲法無効論者が一人もいない

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ただ一人、渡部昇一は『日本国憲法無効宣言』という南出喜久治との共著があり、YouTubeでも「無効論」についての南出喜久治との対談もみられるが、7月の最初の「天皇のご意向表明」報道の直後に一度「日本国憲法は本来無効だが」と言及したきり、なぜか以降は全く「無効論」を持ち出していない。それどころか、〈「退位」も「譲位」も、皇室典範に規定はない。一方で、摂政であれば、皇室典範にある。これは伊藤博文が考え抜いた制度だから、皇室典範通りで何の心配もない。〉(『第2回ヒアリング』朝日新聞2016年11月15日)と、陛下に向かって、「無効」だと渡部自身も承知しているはずの『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』を遵守なさい、とやんわりお説教を垂れている。しかも、「(そうすれば)年号も変わらないし、皇室典範にも関係なく、スムーズにいく」と、どうでもよいことを理由に挙げて、『日本国憲法無効宣言』の趣旨とは反対に、安倍政権の「とにかく改憲」をひたすら応援している。実に面妖だ。「何の心配もない」との言葉も、「頑固に駄々をこねているおじいちゃん」をなだめすかしているような調子で、優しそうに見えて、実は「譲位すべきだ」との陛下のお考えをバッサリ否定している、冷酷で失礼な物言いだ。

天皇陛下の譲位のご意向を完全な形で実現するためには、陛下も以前から仰っているように、天皇陛下ご自身が、皇太子殿下、秋篠宮殿下と相談なさってお決めになれるようにすることが必要である。

天皇の務めと皇室の問題に関して殆ど素人であり、その上「反天皇」「反日本」「反国体」の立場にある者達を含めた「内閣と国会」が、天皇の上位に位置して、「決めるのは俺たちだ」と天皇を見下ろしている現在の状況は、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』によって作り出されている。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』を、「無効確認」によって始末し、「大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認」で、改正の発議権など簒奪された天皇大権を奉還するしか、譲位を恒久的に実現する方法はないのである。

つまり、有識者会議が導いた4つのどのオプションも、「陛下のご意向を実現」したことにはならず、「不合格」だ。そもそも「公務負担軽減等に関する」という名称の有識者会議などを設けること自体が、陛下に対して途方もなく失礼である。

天皇陛下は、「公務削減」でも「摂政設置」でもなく、「譲位すべきである」という結論に、6年も前に到達されていた

そして、「その結論に対し国民の意見を聞く有識者会議」は、天皇皇后両陛下を交えた宮内庁参与会議(メンバーは宮内庁長官以外は「国民としての意見を求められて」招集された民間の識者)で、既に済まされている。

最初の大手術を受けられた2003年頃、10年以上も前から、陛下は熟考に熟考を重ねられ、2009年からは「皇族会議」の伝統に則り、皇太子殿下、秋篠宮殿下との「頂上会議」の場も持ってこられた。

2012年には心臓のバイパス手術も受けておられる。ストレスによる激痛に耐え、膨大な激務を笑顔でこなしながら、天皇陛下は6年間、「譲位」を実現させるために、文字通りの激論を重ねてこられたのだ。

陛下の命を削るようなその6年間を、しかし、安倍政権は、『日本国憲法』にもGHQ『皇室典範』にも規定のない「有識者会議」によって、「現行典憲に『退位』の規定がないから」と、無下にひっくり返して、ふりだしに戻してしまった。

失礼にも、「公務削減」と「摂政設置」という、6年前に終わっている論題を持ち出し、「特例法で今上陛下一代のみに退位を認める」という「ほぼ確定」の方針を打ち出して、「お言葉」のなかで「ひとえに念じる」と陛下が仰せられ、大多数の国民も支持した「天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくこと」という希いを、いとも簡単に粉砕して見せた。

「陛下がご高齢であることを考慮し、スピード感のある対応をしていく」と官邸は言っているが、その本音は「陛下の譲位のご意向の速やかな実現」ではなく、「面倒で何年も時間が掛かり、『改憲の邪魔』になる皇室典範改正ではなく、特例法でチャッチャと片付けてしまおう」ということである。

〈政権内には「報道各社の世論調査では特例法の支持は2割前後。皇室典範の改正が6,7割なのだから、皇室典範を改正してもいいのではないか」(首相周辺)との声も出始めてい〉たが、(朝日新聞2016年11月16日『特例法慎重論戸惑う政権 特例法限定なら…世論反発の恐れ』)有識者会議は12月7日に「退位を恒久的な制度とするため皇室典範の本格的な改正に手をつければ、論点が女性宮家の創設や女性・女系天皇の問題にも波及しかねず、法整備に数年を要する可能性がある」ため、「特例法を軸とする方向性を打ち出した」(朝日新聞2016年12月8日『退位「特例法を軸に」』『高齢による特例強調 有識者会議退位違憲論に配慮』)

「国民の意見を広く聞く」といいながら、「天皇陛下の譲位のご意向を『恒久的制度により』速やかに実現してほしい」という大多数の国民の願い=「国民の総意」を、政府はあっさり無視した。

大した「国民主権」もあったものだ。民意を全く反映しない「民主主義」は、北朝鮮の「民主主義」と変わりない。『日本国憲法』は共和制だから、それを戴く日本は既に「日本民主主義人民共和国」…恐ろしすぎて、太い字では書けない。

「皇室典範改正となれば、女性宮家・女系天皇という議論になってしまう、だから典範改正は避けたい」という議論も本末転倒だ。

女性宮家、女系天皇は現在までの皇位継承の伝統に反している。だが、男系男子の皇族の数が極端に少ない現在の危機的状況を、どう乗り切るか、それを決めるのは皇室問題の素人である我々国民ではなく、皇室問題の「識者」の頂点である天皇とその後継者でなければならない。そして、「GHQ『皇室典範』を内閣と国会が改正」ではなく、「明治の皇室典範を天皇と皇族が改正」でなければならない。

政府も有識者会議も、「天皇陛下のご意向の表明そのものが違憲だ」「天皇陛下のご意向に沿う形で退位が実現すると天皇の国政への関与を禁止する『日本国憲法』、退位の規定のない『皇室典範』に違反することになる」といって陛下をたしなめるが、当の「有識者会議」は『日本国憲法』にも『皇室典範』にも規定がない。これは違憲ではないのか?

おそらく彼等の頭の中では整合性が取れているのだろう。なぜなら、「共和制」の『日本国憲法』の下、内閣と国会は天皇の上位に位置し、天皇と皇族は、内閣と国会が決めた『皇室典範』に従わねばならないことになっているからだ。

この事実を、多くの国民は正確に認識していない。『日本国憲法』第2条「皇位の継承」に、「国会の議決した皇室典範により」とあるのを、するっと何も考えずに読み過ごしてしまい、実際にはGHQ『皇室典範』が対になって天皇と皇族をがんじがらめにしていることなど、殆どの一般国民は知らない。第4条には「天皇の権能の限界」とあって、「限界」というくらいだから「多少の制限付き」ぐらいの意味か、と思っている国民は多いだろう。

「国政に関する権能を有しない」とは、天皇の立憲君主としての大権は全て「簒奪」されたという意味であり、憲法と同位であって議会が関与できなかった皇室典範が連合国によって「憲法の下位法」とされたことは、連合国が日本の「内閣と国会」を通じて天皇と皇室を「間接統治・弾圧」できる、という意味に他ならない。

「戦後レジーム」の下、戦後日本政治はこのような『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の悪辣非道な正体を、ひたすら隠してきたのである。

やましいところがなければ、政府は今すぐ、この「『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が天皇と皇室をがんじがらめに縛っている」という事実、「そのせいで天皇陛下の譲位のご意向は、陛下のご意向通りには実現することができない」という冷酷な事実を、国民に周知すべきだ。

そして、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認という、立憲君主たる天皇と日本の主権・独立を取り戻す最速最善のオプションを、なぜ戦後の歴代内閣が周知してこなかったか、「民主主義国の国会議員」として「説明責任」を果たし、国民に納得のいくよう説明してもらいたい。

できないであろう。できるなら、とっくにやっている。「憲法改正」という困難な道よりも、ずっと簡単にできる『日本国憲法』無効確認を、講和条約締結と同時にやっていたはずである。

『日本国憲法』無効論は連合国の犯罪を告発し、同時にその共犯者もあぶり出すことになってしまう。おそらくそれは、戦後日本の政治・行政・司法・学界・教育界・メディア……支配層・権力層に関わる殆ど全ての人を巻き込む。

だから『日本国憲法』無効論は、「パンドラの箱」=「戦後日本最大のタブー」なのである。

『日本国憲法』は、「国民主権」によって実質「天皇制廃止」をしながら、そうと悟らせないための「象徴天皇制」という究極の玉虫色の言葉で偽装した、事実上の「共和制憲法」である。

天皇と皇室を弾圧するために作られた『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は、天皇を内閣と国会の下位に置き、統制する。

内閣と国会は「主権者国民の代表」という建前だが、現実には戦後日本の「真の主権者」は未だ連合国であり、日本の内閣と国会は、連合国の洗脳教育を受けた「真の主権者=連合国」の「子飼いの権力者」である。

天皇とそれを支持する国民を、連合国が「内閣と国会」を使って、占領期と同様「間接統治」しているのである。

「何としてでも改憲」「とにかく改憲」と国民をせかす安倍政権が、『日本国憲法』と対になって天皇を弾圧しているGHQ『皇室典範』の改正となると、なぜか「何としてでも阻止」の様相を見せているのは、彼ら自身が言うように『皇室典範』改正となると審議に何年もかかり、安倍政権の「悲願」である「憲法改正」が遠のいてしまうからだ。

だが、「無効確認」「現存確認」なら、法的に正当に、「即時」主権回復できる。

天皇に、改正発議権をはじめとする天皇大権をすべてお返しし、譲位のご意向も最善の形で即刻実現でき、(明治の)皇室典範の改正は天皇と皇族にお任せできる。でたらめなGHQ『皇室典範』を一から改正するより、その問題点を深く理解していらっしゃる天皇陛下と皇族方が主導して明治典範を改正する方が容易なはず。

■自衛隊は大日本帝国陸海空軍になり、安全保障・自衛権の問題も解決する。

■北朝鮮による日本人拉致被害者の奪還も実現する。

■連合国の日本国への誣告=「東京裁判史観」を告発することで、「南京大虐殺」や「慰安婦性奴隷」「強制連行」等の虚構を全世界に周知できる。中韓北の「歴史認識カード」は無意味になる。

■GHQが削除した刑法の利敵行為項目も復原して「スパイ天国」の汚名を晴らすことができる。

■日本の政治・行政を私物化して、日本国民を搾取している不逞の輩を、正当に罰することができる。

偽憲法を「無効確認」することによって、戦後日本の諸問題が、一気に解決に向かうのである。

しかも、「無効確認」「現存確認」は「事実確認」であるから、そのことについて反日日本人の集団である野党にお伺いを立てる必要もないのだ。

「改憲」によって安倍政権が達成したいことが、「日本の主権と誇りを取り戻すこと」「戦後レジームからの脱却」であるのなら、それは、「無効確認」「現存確認」によって、文字通り「即時実現」できる。野党との根回し等に掛けている時間を、もっと大事な問題の検討に使うことができる。

それなのに、なぜそこまで「改憲」にこだわり、「無効論」を無視するのか?

日本の主権回復と、日本人が願う世界に比類なき歴史を持つ皇室の安定的継承を真に望むなら、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認こそが、最速最善で法的にも正当な唯一の道。

無効論を徹底無視して、その道を自ら閉ざすということは、天皇を内閣と国会の下位に置いて統制する「戦後レジーム」の継続を、安倍政権を含めた歴代政権は、寧ろ望んできた、ということの証左である。

「戦後レジーム」「東京裁判史観」打破の核心である『日本国憲法』無効論を、「保守」「革新」に関係なく戦後のどの内閣もが無視してきたという事実は、戦後日本の権力者が、洗脳のせいとはいえ、全て連合国の「傀儡」「手下」として働かされてきた、或いは洗脳など関係なく、「戦後レジーム利権」の甘い蜜を吸ってきた、ということを意味する。

この人々を、「天皇支持」の日本国民「天皇派」に対する「連合国派」と、ここでは呼ぶ。「改憲派」も「護憲派」も、「連合国の犯罪告発」と表裏一体の「『日本国憲法』無効論」をタブー視する点で共通する、同じ「連合国派」内の2つの「分派」に過ぎなかった。

「護憲派」=「9条死守」「9条盲信」の「中国(北韓)拝跪派」と、「改憲派」=「9条だけ改正」でアメリカの思い通りに、いつでもどこへでもどんな状況でも派兵が可能な「米国専属便利屋」の自衛隊にする「米国隷従派」である。

「連合国派」は、日本のために働かない。左右の思想傾向に関係なく、「戦前の、大日本帝国憲法下の日本は悪かった」「侵略国家だった」という「連合国史観」=「東京裁判史観」に囚われているか、或いは連合国史観の嘘を知ってはいても、何らかの私的な理由で「連合国の犯罪告発」をしたくない、できない。「GHQ検閲」にひっかった者に対する形を変えた「公職追放」が、今でも有効だからである。

安倍晋三首相は、北朝鮮の日本人拉致被害者奪還のために力を尽くし、教育基本法改正にもこぎつけたほか、多くの貢献を果たした名宰相であると思う。「戦後レジームからの脱却」を掲げ、国民に大きな希望を与えた。日陰者だった防衛庁を防衛省に格上げもした。が、宮内庁は宮内省にはならなかった。また、2007年の訪米・日米首脳会談の記者会見で、ブッシュ大統領の「慰安婦問題で安倍首相が謝罪した」という発言を正すことができなかった。戦後70年談話でも、玉虫色言語でお茶を濁し、外務省の英語版では完全に「侵略の過去を認めて謝罪」してしまった。

その陰には、「日中戦争」「日米戦争」=「真珠湾」以来の外務省の暗躍があることは明白だが、安倍首相自身が「外務省畑」出身だからなのか、選挙で世話になった誰かの言いなりになっているのか、全く制御できていない。

「『日本国憲法』無効論」を無視しているのも、「現実主義者」であるらしい安倍首相の、「現実主義」に沿って少しずつ大日本帝国憲法に戻していく「漸進的改憲」なのであろうと、この「天皇陛下のご意向表明」の時まで思っていた。だが安倍政権の支持団体である日本会議は、「日本会議が『帝国憲法復元』を目指しているなど、悪質なプロパガンダだ」(日本会議広報部、2016.9.9.)とまで言って否定している。

昨年11月、安倍首相直属の機関として、意気込んで発足させ、『日本国憲法』の成立過程も検討するはずだった「GHQ占領政策・東京裁判検証委員会」が、一年間殆ど何も進展した様子がないどころか、活動の報告すらも聞こえてこないこと、また、「日本国憲法無効論」について渡部昇一とビデオ対談がある稲田朋美防衛相が、この夏の終戦記念日の靖国参拝を「禁じられた」ことも、皆繋がっているのであろうか?

だが、いま日本は危篤状態である。機能不全の日本政治は、「連合国派」の跳梁跋扈によって、機能完全停止への急勾配を転がり落ちている。

天皇陛下が譲位のご意向についての「お言葉」を、「玉音放送」で述べられたという事実に、日本人なら頬をひっぱたかれたように反応しなければならないところだ。

天皇陛下が「お言葉」で述べられたことは、いま安倍政権がやろうとしているように「ちゃっちゃと片付け」てよい類のものではない。寧ろ、経済よりも優先すべき「国の根幹」に関わる問題である。

天皇のご存在そのものが有り難い、という天皇敬慕の国民感情を逆手にとり、「天皇が連合国による訴追を免れ、『象徴』という立場で存続している」という事実だけを以て「国体護持が成った」という戦後の国民の思い込みを利用して、「『日本国憲法』は国民に支持されている」という欺瞞の陰で、国際共産主義者と「戦後レジーム」利権の受益者たちは、その権力を、私利私欲と連合国=外国の反日勢力の為に振るってきた。

天皇を「象徴」という軛で縛り、「国民主権」のおためごかしの美名で国民をたぶらかした『日本国憲法』が、権力者の専横をのさばらしてきた。

『日本国憲法』が正当化する「天皇の権威の軽視」の日本の権力層への蔓延は、政府の「特例法」ごり押しで一層悪化する。

「特例法」で「退位」すれば、陛下は9条信奉者にとっての自衛隊のように、「違憲の存在」「日陰者」にされてしまう。

「内閣と国会」が天皇の意向を無下にし、天皇支持の大多数の国民の意思も無視しようとしている、この状況こそが、『日本国憲法』による「天皇の権威の低下」「議会制民主主義の空疎化」を証明している。

「国民主権」も「平和主義」も「基本的人権の尊重」も、すべて嘘だと、内閣と国会が天皇と国民に『日本国憲法』の遵守を強要することで、証明される。

天皇陛下が、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の規定にない「譲位」のご意向を、敢えて「違憲」の恐れのある「お言葉」として表明されたことは、「この擬製の典憲を持ち続けていけば、日本は亡びる」という真実を、国民に対して指し示すことになった。

特例法は、陛下の真摯な問題提起をあたかも一人の天皇の「わがまま」であるかのように扱い、一時の「抜け道」を作るかのような印象を与えかねない安易に特例法で対応することは皇室典範の基本的法規の枠組みでも恣意的に変えられる前例となり、法的権威や規範性を損ねるのではないか〉〈宮中祭祀も天皇以外の者は中核儀式を務めることができない。昭和天皇が大正天皇の摂政を務めたのは5年間だったが、中途半端な立場の重圧でとても苦労したと聞く〉(岩井克己元朝日新聞編集委員’86~’12宮内庁担当『第2回ヒアリング』朝日新聞2016年11月15日)

〈(大正天皇の摂政設置に際し)宮内省は大正天皇の病状や能力について人間性を無視したようなひどい表現を使って発表し、摂政を置くことを国民に納得させようとした。一方、大正天皇は書類の裁可に使う御璽を侍従長に渡すことを拒んで抵抗したと側近の日記にはある。昭和天皇は会見で父親の話題をほとんど語らず、「位を奪った」というトラウマを抱え続けていたという〉〈陛下は「国民と共にある」ということを存在意義と考え、被災地訪問など公務の幅を広げてこられた。全ての公務を重要とする陛下に対し、摂政や負担軽減を持ち出すのは失礼だし、日々の行動あってこその天皇だとお考えの陛下の意思に反する〉(保阪正康『第1回ヒアリング』朝日新聞2016年11月8日)

普段左翼的と思っていた言論人の方が、このような「正論」を述べている。彼らは「GHQ皇室典範改正派」であるので、やはり「連合国派」に属し、陛下の譲位のご意向を完全に理解しているとは言えないが、それでも、「天皇問題の専門家」「保守」の学者らの言葉があまりに酷く、不敬千万のうえに、意味不明で筋が通らない分、至極真っ当に聞こえる。

天皇の自由意思による退位は、いずれ必ず即位を拒む権利につながる。男系男子の皇位継承者が次々と即位を辞退したら、男系による万世一系の天皇制度は崩壊する〉〈退位を認めれば、「パンドラの箱」が開く〉(八木秀次麗沢大教授『男系維持派 困惑 / 生前退位 政府が特措法検討』朝日新聞2016年9月10日)

(天皇の)ご存在の尊さは、男系男子による皇位継承という『血統原理』に立脚する。そこに『能力原理』を持ち込むと、能力のある者が位に就くべきだという議論になる。結果として、陛下ご自身が天皇制度の存立基盤を揺るがすご発言をなさったことになってしまう。〉〈退位は明治の皇室典範制定以来、封印されてきた『パンドラの箱』だ。たとえ一回でも退位の前例を作れば、日本の国柄の根幹を成す天皇制度の終わりの始まりになってしまう。〉〈(天皇陛下の譲位のご意向表明は)『天皇は国政に関する権能を有しない』と定めた憲法に触れる恐れがある。陛下のご意向だということで一気に進めるのは問題だ〉〈天皇といえども生身の人間であり、ご自身の考えをお持ちだ。しかし、それが公になれば政争に巻き込まれ、尊厳を汚される。憲法が政治的発言を禁じているのは、天皇をお守りするためでもある。宮内庁のマネジメント能力に問題があると言わざるを得ない〉(八木秀次『生前退位 男系維持派は / 公務縮小し臨時代行も活用を』朝日新聞2016年9月11日)

「パンドラの箱」、「パンドラの箱」と連呼しているが、よほど怖いのだろう。だが言っていることは意味不明だ。なぜ「一回でも退位の前例を作れば天皇制度の終わりの始まりになる」のか?

天皇陛下がおっしゃっているのは「個人の天皇としての能力」ではなく、「全身全霊」で祭祀を執り行うための「体力・知力」のことであろう。また、「能力のある者が天皇の位に就くべき」なのではなく、「天皇という位に就いた者しかできない祭祀がある」ということだ。

「摂政」や「公務代行」では成しえない祭祀があるということは、「摂政設置」「天皇代行」の間、事実上天皇の位が「空位」となる、ということである。この「空位」による真空状態は、内閣総理大臣の不在などには比べようもない、甚大な問題となる。陛下のおっしゃっていることの本質は、そこにある。

天皇の「体力・知力」が天皇の務めを果たすために十分かそうでないかは、天皇ご自身にしかわからないことである。ならば当然、「譲位」のタイミングは、天皇からのご意向を拝して決定されるよりほかにない。

陛下のご意向表明が違憲かどうかを言う暇に、そのような当然至極のことを規定せず、日本の国民精神収斂の要である天皇の権能・自律権を簒奪して、「日本人の精神の武装解除」をするために存在する『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の妥当性をこそ、今問題にすべきなのだ。

連合国による『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の制定自体が、「日本の国柄の根幹を成す天皇制度の終わりの始まり」である、という「明白な事実」を、日本国民は知る権利があり、日本政府は知らせる義務がある。

天皇の存在の尊さは、武力の威圧によってでなく「至高の権威」として存続してきたことにある。一つの血筋で永く存在し続けていることそれ自体に価値があり、その価値を日本人が皆で支えてきた、という歴史こそが尊いのである。天皇とはその尊い「日本の永続性の象徴」である。

天皇をお護りしよう、天皇のお言葉に従おうという気持ちのないものは、もう「日本人」を捨てている。日本が日本でなくなって、「米国の51番目の州」「中国日本自治区」となっても、全然構わないのだろう。彼らが争っているのは、米国と中国のどちらを「宗主国」として仰ぐか、ということだけだ。そんな人間たちに天皇陛下の進退の決定を任せている現在の状況に、非常な不安と焦燥を覚える。

古川隆久は、2011年に「サントリー学芸賞(政治・経済部門)」を受賞した『昭和天皇』という著書のある学者であるが、その著書も今回のヒアリングでの意見も、「『日本国憲法』は、悪かった戦前の制度(=天皇による統治=大日本帝国憲法)を反省した日本国民の自由意思によって、日本国民自身が定めた『民定憲法』である」という間違った「大前提」に立っている

今の質と量の公務ができないなら退位するということが前例化すると今後の公務のあり方が縛られる。例えば健康状態の悪い天皇は退位すべきだとの風潮が生じれば、皇位継承が不安定になる。〉〈大前提として、国民主権の下、世襲の天皇を国の象徴にすると憲法で定めたのは我々国民だ戦前、天皇の権威を笠に着た軍部や官僚によって国民の自由な議論が制限され、最悪の事態となったその反省の上に現在の象徴天皇制がある。〉〈天皇制を続けるうえで、今の終身在位制度のままの方が退位の強制といった問題を防ぐことができ、無難と考える。〉〈退位した天皇が公務を続けると、国民の注目が集まり、現天皇の象徴性が薄らぐ。完全引退すべきで、極論を言えば皇籍離脱という選択肢も検討すべきだ。称号も「上皇」「太上天皇」とすれば権威が生じかねないので、シンプルに「前天皇」「元天皇」でよい〉(古川隆久 日大教授『生前退位 ヒアリング出席者に聞く 国民自ら冷静に判断』日本経済新聞2016年11月11日)

「最悪の事態」とは何だ。国粋主義者らのクーデターのことか?対米戦争そのもののことか?

「統帥権」を笠に着た国粋主義者のクーデターは、彼らが担ぐつもりの天皇に「賊軍」と呼ばれ、「自ら討伐する」とまで言われて潰えたのであって、大日本帝国憲法と立憲君主・天皇の過失ではなかった。(所謂「統帥権干犯問題」は大日本帝国憲法改正の際、熟考される必要は当然あるが)

対米戦争は、国際共産主義者らと「狂人」ルーズベルト(フーバー元大統領の言)の謀略によって、米国議会と米国民が騙され、日本が引きずり込まれたのである。日本による「侵略戦争」では、決して、なかった。

「日本の悠久の歴史と伝統を象徴する天皇」という、欧米人も絶賛する立派な君主を簒奪された、そのことこそを、連合国『日本国憲法』による立憲君主・天皇の「退位の強制」と呼ぶべきである。

連合国と国際共産主義者が世界中にばらまいた、「昭和天皇=Hitler」「日本侵略国家」という誣告のせいで、いま日本がまさに、「最悪の事態」に陥っているという事実こそを、政府も有識者会議も、認識すべきなのである。

譲位には賛成いたしかねる皇室を中心とした日本の国のあり方を考えれば、摂政を置かれるべきだと申し上げざるを得ない。明治の先人は、国民統合の求心力であり国民の幸福と国家安寧の基軸である皇室には、何より安定が必要だと考え、譲位の道を閉ざしたのではないか。譲位には政治利用されてきた歴史もある。〉〈天皇は、いて下さるだけで有り難い存在だ。天皇に求められる最重要のことは、祭祀を大事にして下さるというみ心の一点に尽きる。〉(櫻井よしこ「美しい日本の憲法をつくる国民の会」共同代表『第2回ヒアリング』朝日新聞2016年11月15日)

「天皇が国民の目に見えないところで存在しているだけでよい」と言えるのは、天皇の「至高の権威」が国権を総覧することで、立憲政治がきちんと機能していることが大前提である。

不裁可権を持つ「至高の権威」=立憲君主・天皇を喪失した戦後日本の「疑似アナーキー」の下では、天皇の姿が見えないことは、権力者の専横を一層増長させることになるだけだ。

立憲君主として権力を総覧する天皇の不在が、「第4の権力」メディアを含めた権力層への、日本解体工作員の浸透・跳梁跋扈を許している。

だからこそ、占領以前の原状への復帰により、大日本帝国憲法下の立憲君主、「究極のオンブズマン」である天皇に、「不裁可の大権」「拒否権」を以て、好き放題をしている権力者らを「総覧」していただかねばならない。

『日本国憲法』の「象徴天皇制度」は、「権力側」に位置する政府御用学者達を「思考停止」させ、国民の常識的感覚との間に、深刻な乖離をもたらしている。

■「特例法の制定であろうと皇室典範の改正であろうと、退位を制度化すべきではない。『国民統合の象徴』という機能が低下する」(笠原英彦慶応大教授・朝日11月15日)

■「退位認めれば権威分裂の懸念…(今上陛下は)国民からの信頼も厚く、称号が変わっても国民は先の天皇を意識してしまう…新天皇が活動しにくくなる」(今谷明帝京大特任教授・朝日11月15日)

■「新帝と先帝が同時にいらっしゃることから、『日本国民統合の象徴』たる天皇が二重写しとなり、『国民の精神的統合』に分裂を招きかねない」(百地章日本大学教授・WILL9月号)

■「退位した天皇が公務を続けると、国民の注目が集まり、現天皇の象徴性が薄らぐ。」(古川隆久・同前)

「象徴の機能低下」「権威分裂」「象徴天皇の二重写し」「象徴性が薄らぐ」……?そんな訳のわからないことを心配しているのは、この人達のように、『日本国憲法』絶対主義で思考停止している人だけであろう。

新天皇には、「天皇の務め」に関してのアドバイスが必要だ。「天皇の務め」が天皇にしか理解し得ない事柄である以上、この「アドバイザー」のお役は上皇陛下にしか務まらない。まして、侍従長を始め、宮内庁が丸ごと「天皇の味方でない」現状を鑑みるに、孤独な天皇を支え、正しく導くことは、上皇陛下にしかできないことであろう。少なくとも、大日本帝国憲法復原が成って後、日本人、特に支配層・権力層の者たちが、正気を取り戻すまでは、上皇陛下がおられた方が寧ろ、経験不足の新天皇を「政治利用」する輩への牽制になる。

また、上皇におなりになった陛下が、これまでのように被災地のお見舞いなどに行かれたとして、「やっぱり上皇様の方が権威がある」「新天皇様は『象徴』としての権威がない」などと、国民は思ったりはしない。

国民は、「誠実」「勤勉」「厚情」という日本人の徳を体現しておられる天皇陛下を崇敬しているのであり、「理想の日本人」を体現すべく不断に努力なさっているそのご姿勢ゆえに、陛下を信頼申し上げているのである。

「万民の父母」たる天皇が、譲位後上皇となられても、やはり「万民の父母」であることに変わりはないのだ。「万民の父母」がお二人になっても、国民は戸惑ったりしない。「天皇の赤子」たる国民は、天皇の「権威」の度合いを測ったりしない。そもそもこの人達は、「象徴」をはき違えている。「何もせず、ただそこにいればいい」と権能を取り上げた『日本国憲法』の「象徴天皇」しか頭にないからだ。

宮内庁参与会議で陛下は、「私が上皇になってどんな不都合があるか」と聞かれたが、きちんとお答えできるものは誰もいなかった。『日本国憲法』の欺瞞に囚われているものには、答えることはできまい。

この人達が恐れているのは、「権威の二重写し」などという実体のないものではなく、立憲主義下の「至高の権威」の復活と「ダブル至高の権威」である。

「至高の権威」天皇は、「統治権を総覧」することで、実権力の暴走を抑える。大日本帝国憲法の復原による「立憲君主・天皇」の復活で困るのは、国際共産主義者と現在暴走中の実権力者だけである。

■「(退位後は)完全引退すべきで、極論を言えば皇籍離脱という選択肢も検討すべきだ。称号も「上皇」「太上天皇」とすれば権威が生じかねないので、シンプルに「前天皇」「元天皇」でよい。」(古川隆久・同前)

「皇籍離脱」?「権威が生じかねない」?「権威が生じてはまずい」のか?なぜ?全く意味が分からない。『昭和天皇』という著書があるから「天皇派」の人かと思うから、意味が分からない。だが、古川隆久は実は「天皇制廃棄派」であるようだ。

現行憲法制定時、世襲による天皇制を残した意味は、日本の永続性、歴史を表すのに良いからですが、当人らにとっては息苦しい制度です。職業選択の自由もなく、仕事も過酷。一部の人にやってもらうかどうかから考え直さなくてはいけなくなる可能性もあります。〉(古川隆久「生前退位 こう考える」出典:中日新聞 2016年7月24日朝刊)
(http://blogs.yahoo.co.jp/shimataka373/18068941.html)
「(天皇や皇族)当人らにとっては息苦しい制度」と勝手に決めつけ、「仕事も過酷」だから、「一部の人(皇族)にやってもらう」かどうか、つまりは皇族以外の一般の人間に「やってもらう」ことを考えるべし、と言っているのだが、おためごかしもいいところだ。2676年、125代に亘って連綿と続いてきた皇統を、『スター・ウォーズ』のクイーン・アミダーラのように「民主的に選出される『王』制」にでも変えたいのだろう。そのための布石として、「引退した天皇」は端から「皇籍離脱」させ、「そして誰もいなくなった」ということにしたいのだろう。
しかし、「歴史と伝統」「永続性」に裏打ちされておらず「権威」のない、名ばかりの「王」こそ、「真の権力者」によって簡単に「政治利用」されてしまう。(勿論、古川らの本心は「政治利用したい」のであろうが。)

「天皇」という地位はまさに過酷で、孤独で、「権利」とは無縁の「無私」の存在である。その恒常的な重圧に、一般人は耐えられないであろう。そもそも、天皇が祭祀を行う祭祀王である、という事実をこの人達は失念しているようだ。祭祀王には、誰でもなれるというものではない。

自分たちが天皇を「国民のアイドル」「ハンコを押すロボット」と勝手に蔑視しているからと言って、実態もその通りなのでは決してないということを、全く解っていない。解っているものは誰も、その地位を欲しがったりしない。その地位に就くことが可能であるとすら、思ってもみないであろう。
天皇の地位には、連綿と続く血脈の「軛」を、その過酷な運命を、従容と受け入れる覚悟のある者だけが、上る資格がある。そして、皇族として生まれたものだけが、その覚悟がある。覚悟があるはずだという周囲の「絶対的期待」を背負って、皇族は生まれてくるのである。
八木の言うように、「皇位継承者が次々と『即位を拒む権利』を主張する」ようなことになれば、日本は滅亡する。
だが、自分の「権利の主張」が日本の滅亡に繋がると解っていて、そのような権利を主張するような皇族は、存在しない。少なくとも、日本国民は、そう信じている。だからこそ、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』という「天皇と皇室弾圧装置」は、日本国民が、「無効確認」によって外してさしあげねばならない。

「日本国憲法には、皇位は世襲のものであり、また、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であると定められています。

私は、この運命を受け入れ、象徴としての望ましいあり方を常に求めていくよう努めています。したがって、皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない自由はのぞんでいません。」

(1994年6月4日、天皇陛下訪米前の文書によるお言葉)

「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきました。(中略)」

「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。(中略)」

「始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも、皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話いたしました。

国民の理解を得られることを、切に願っています。」

(2016年8月8日、「象徴としてのお務めについての 天皇陛下お言葉」 宮内庁)

「天皇陛下は、以前から『日本国憲法』を遵守する、と折に触れおっしゃっている。だから、陛下も『憲法改正』反対派だ」という者がいる。「天皇陛下の譲位のご意向」が明らかになった後、中国がしきりに「天皇は安倍政権の『憲法改正』を潰すためにこのようなことを言ったのだ」と言っていたから、「中国拝跪派」の人達なのであろう。
だが、陛下のおっしゃることが常に、100%陛下のおっしゃりたいことだと考えるのは早計である。
天皇陛下の「お言葉」は、「添削」されている。敢えて強い言葉を使うなら、「検閲」されている。
〈お気持ち表明に先駆け、「原案」について安倍晋三首相も加わって宮内庁と直前まで修正作業を繰り返した。官邸関係者は「原案は天皇陛下の意向が強すぎて激しい内容だったが、8月8日のビデオメッセージは、抑制された穏やかな内容になった」と語る。〉(朝日新聞2016年10月18日『検証 天皇陛下お気持ち表明』)
一方、天皇陛下は、「公に語る『おことば』について自ら推敲を重ねるという。」「陛下は『(儀式などでの言葉について)立場上、ロボットになることも必要だが、自分の考えも入れなければならない。その調和が難しいと思う』と打ち明けた。」(朝日新聞2016年8月11日『象徴天皇のこれから 陛下自身の意思どこまで』)
国民の前に表された「お言葉」が、「検閲」によって『日本国憲法』に抵触、或いは『日本国憲法』=連合国批判と受け取られる要素を削除・変更されたものであることを念頭に置いて、陛下のご真意を忖度してみる。
皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない自由はのぞんでいない
これは字義通りの意味であろう。皇族として生まれた以上、天皇という過酷な人生を受け入れる覚悟がある、ということだ。が、以下のことは細かな言い回し、言及そのものや事実の集積から、行間を深く読む必要がある。
■「『日本国憲法』を遵守すること」は、「象徴天皇」と規定された立場上「受け入れるほかない運命」であるが、「憲法を遵守」しその規定通りに行動することと、「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」であることとは、必ずしも一致しない、矛盾するものである。よって、その整合性を「日々模索」する必要があるが、その努力は擬製の『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の嘘を嘘で糊塗することと同義である。

『日本国憲法』の下、天皇は国政に関する権能を有しない。同時に、天皇は「日本国の象徴」として日本の歴史と伝統を体現する存在であり、その在り方を維持するためには、歴史と伝統に則って皇統を維持することもまた、「日本国の象徴」としての務めである。然るに、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の規定に従っていては、祭祀王・天皇の本来の務めが完遂できず、皇統の安定を図ることもできない。

■「国民統合の象徴」として、国民の生の声を直に聞き、その声を政治権力がきちんと掬い取っているか、国民と権力の間に「分裂」がないか見守ることも、天皇の務めである。国政が国民の声を無視し、民主主義を無視した行動に走っている時、天皇は「国民統合の象徴」としてこれを正すよう取り計らう必要がある。然るに、『日本国憲法』は天皇に国政への関与を禁じ、「蚊帳の外」に置いており、「国民統合の象徴」としての務めを果たすことができない。

天皇陛下の譲位のご意向を実現し、上記の不備を正すには、以下のことが最低限必要である。

 

■祭祀王・天皇の最重要の務めである祭祀を、天皇が常に全身全霊を以て行えること、また、天皇が天皇の務めとして重要と判断することを、天皇の判断で自由に行えることができるようにする。従って、天皇自身がその務めを完全に行うための体力・知力に限界を感じた場合は、天皇の自由意思で、最適の時期を選んで譲位を行うことができるようにする

■明治の皇室典範にも退位の規定がないため、天皇が改正発議の大権を行使し、皇室問題の「有識者」の頂点である天皇及び皇位継承者たる皇族等の会議が主導して、これを改正できるようにする

■皇族の「家長」たる天皇が、皇族及び外戚を統率し、皇位継承の安定や、皇室の権威・品位を保つための諸対策を講じることができるようにする

■天皇・皇族の私有財産を、天皇皇族の自由裁量で慈善事業などに使えるようにする

 

現在『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』のせいで不可能となっている上記のことを、最低限可能にしなければ、陛下のご意向を完全に実現できたとは言えない。そして、これらを可能にするためには、「『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認」で天皇陛下にかけられている権能簒奪の呪縛を解き、「大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認」で天皇陛下に立憲君主に戻っていただくほか、方法はないのである。

日本全国の神社をすべて燃やそうとまで考え、「天皇=祭祀王」を否定したいGHQの指令で作られた現行『皇室典範』は、天皇の主務たる祭祀、天皇陛下が「天皇の務めとして何よりも大切」とおっしゃる「祈り」を、「天皇家の私事」「天皇の行うその他の行為」としてしか規定していない。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は、人権が全くない、しかし人権を欲したりしない天皇の、無私の人生を全否定し、その存在理由さえも否定しているのである。

先日薨去された昭和天皇の末弟、三笠宮様が、70年前に「天皇の譲位」問題についてお考えを述べられていた。

「新憲法で基本的人権の高唱されているに拘(かかわ)らず(中略)国事国政については自己の意志を強行することも出来ないばかりでなく、許否権すらもない天皇に更に『死』以外に譲位の道を開かないことは新憲法第十八条の『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』という精神に反しはしないか?」

「天皇と内閣との間に意見が対立した時天皇はどうすればよいか? (中略)天皇に残された最後の手段は譲位か自殺である。天皇が聡明(そうめい)であり、良心的であり、責任観念が強ければ強いほどこの際の天皇の立場は到底第三者では想像のつかぬ程苦しいものとなろう」

三笠宮殿下__1946年11月3日「新憲法と皇室典範改正法案要綱(案)」

熊澤志保 『有識者会議に、天皇ご学友たちの懸念 生前退位はうやむやに?』 https://dot.asahi.com/aera/2016112900180.html

天皇陛下は今まさに、「譲位」か「自殺」かの二者択一を迫られている。その現実を見て見ぬふりし、尚も唯一の「譲位」実現の道=「無効論」を国民に周知せず、隠し通そうとするが如きは、「自殺幇助」「国家反逆罪」にも相当しよう。

「『日本国憲法』無効論」は、救国の正論である。いくら連合国隷従の政府が不周知に努めようとも、必ず、近く、国民の知るところとなる。

そのとき、政府は国民の目をまっすぐに見て説明責任が果たせるのか?

朝日、日経ら「中国拝跪派」は「『日本国憲法』を国民が守ってきた70年の伝統を大切にしろ」といい、安倍政権ら「米国隷従派」は「明治の先人が決めたことを大切にしろ」という。

だが、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は、日本の数千年の歴史と伝統を蔑ろにする外国の無法により与えられた紛い物だし、明治の典憲は、その同じ外国勢力の侵略を跳ね返すため、彼らと同等の文化力があることを見せつけるために、彼らの憲法・政治体制が参考にされたというだけのことだ。

今まさに、天皇の立憲君主としての主権が現に簒奪され、内からの侵略が進行している時に、まずその主権を取り戻すことを最優先することこそが、日本が行くべき法治主義の王道というもの。

いま、国民がまだ安倍首相を信じているうちに、安倍首相が「日本国憲法無効論」を検討しますと国民に向かって発表し、天皇陛下に内奏し、粛々と「日本国憲法とGHQ皇室典範の無効確認」「大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認」を国会に於いて宣言していただく。同時に天皇陛下に大日本帝国憲法改正の発議をしていただけば、即刻大日本帝国憲法改正草案作成作業に取り掛かれる。

改正が実現するまで、『日本国憲法』は暫定法とし、但し9条、前文など『日本国憲法』の最も強い害毒部分は即刻廃棄する。その他はゆっくりと、慎重に公開討議を重ねながら改正してゆけばよい。

いつ何時、また政治的不幸が日本に襲い掛かり、あの民主党政権のようなものが出現しないとも限らない。その時、そのものたちが遂に日本を滅亡させることのないよう、日本に「統治権力を総覧する立憲君主・天皇」を取り戻しておく。

全ての日本人が、国際社会で堂々と日本の弁明ができるよう、真実の歴史と誇りを取り戻しておく。

それが、安倍首相、貴方の使命である。

天皇陛下の譲位のご意向の実現とは、「戦後レジームからの脱却」に他ならず、それこそが日本国民が安倍首相を望んだ理由だからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「象徴天皇制」「人民主権」の『日本国憲法』は「共和国憲法」であるという真実を、「押しつけ論」が隠している__『日本国憲法』無効論で改憲・護憲両派の「敗戦トラウマ」を解消する__正確な現状認識だけが日本を護る④

『日本国憲法』は、GHQ『皇室典範』と対で天皇の権能を簒奪した、実質的「共和国憲法」である。これを始末する唯一の手立てである『日本国憲法』無効論の不周知は、連合国による国体破壊の現実を国民から隠す売国行為、連合国の犯罪幇助である

 日本国民は、「象徴天皇」の意味を善意に解釈して「天皇=国体は護持された」と信じた。だがそれは連合国による「偽装」であった__「70年も改正されずに来た=国民に浸透している」という欺瞞を、制定経緯の再検証で粉砕する

2016年11月3日「文化の日」__『日本国憲法』が公布されて70年を迎えるこの日、「押し付け論は現実逃避 憲法公布きょう70年」と朝日新聞は書いた。11月4日からはシリーズ記事「憲法を考える・押しつけって何?」も始まった。

「なんと、遂に朝日が無効論に言及?」と一瞬思った。「日本国憲法無効論」をネットで検索すると、ウィキペディアの「憲法無効論」がトップにくるが、そこでは「日本国憲法無効論」=「押しつけ憲法論」と呼ばれているようだからである。だが違った。朝日記事が言っているのは「改憲派」のことであった。

最近では、もう滅多に「無効論」という名称すらも使われなくなってきている気がする。完全に、無視されている。これは、日本国憲法無効論を国民が知れば、改憲派も護憲派も一緒に吹っ飛んでしまう、という両派の危機感の表れであろう。

「改憲派の重鎮」小林節と「護憲派の泰斗」樋口陽一が、仲良く安倍政権の憲法改正推進を批判する対談本『「憲法改正」の真実』を出したのも、その流れと見える。なぜなら、彼らが同書で批判しているのは、実は「安倍政権批判」に名を借りた「『日本国憲法無効論』見下し論」だからである。小林節は、「無効論」の名は全く出さずに、「安倍批判」ついでに「無効論」を小馬鹿にしてみせている。

〈(岸信介の孫・安倍晋三、吉田茂の孫・麻生太郎らのように、敗戦時の日本の指導者達の子孫である)自民党世襲議員のなかに、旧体制下の支配層たちの「敗戦のルサンチマン(怨恨)」が脈々と受け継がれ、アメリカに「押しつけられた憲法」を憎悪するという構図になっているのでしょう。/ だから、彼らはハーグ陸戦条約の「占領地の基本法は、占領に支障なき限り、占領した側が勝手に変えてはいけない」という意味を半端に読み違えて占領下につくられた憲法は、国際法上無効だなどと言い出してしまう。そのうえ、日本国憲法が国際法上無効なのだから、正当な憲法は我が日本民族がみずからつくった明治憲法しかないという、とんでもない主張を平然と出してきたりするわけです。〉

「(押し付け憲法は)無効だなどと言い出してしまう」「正当な憲法は明治憲法しかないという、とんでもない主張を平然と出してきたりする」__全く恥ずかしいね(笑)と、「無効論」を「無効論」と呼ばずに軽蔑して見せている。

だが、「『日本国憲法』の制定がハーグ陸戦法規違反でない」或いは「ハーグ陸戦法規に違反しているからと言って『日本国憲法』が無効であるとは言えない」ということへの論拠を、小林は提示していない。そして、勿論、『日本国憲法』の無効理由は「ハーグ陸戦法規違反」だけではない。(当ブログ別稿「【日本国憲法無効論】『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効理由」をご覧ください。)ご立派な憲法学者なのに、「無効論」をまともに勉強していないようである。

押しつけかどうかという以前に、そもそも『日本国憲法』には、「日本の国体を文字であらわす」という、憲法としての本質的資質がない。

日本の国体とは、「万世一系の天皇を至高の権威としていただくこと」であるから、天皇の権能を簒奪した『日本国憲法』には、日本の憲法としての実質的資格が全くない。

大日本帝国憲法は、日本の歴史と伝統をふまえた正当な憲法である。だが、大日本帝国憲法だけが日本の憲法なのではない。戦後の憲法学者は、日本のように万世一系の天皇が一貫して戴かれた数千年の歴史を持たないフランスなどの、「強権の為政者を引きずり下ろし、永遠に縛りつけておくための憲法」を絶対視しているから、話が全くかみ合わないのだ。

さて、朝日の「押しつけ論は現実逃避」「押しつけって何?」に戻ろう。

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朝日新聞2016年11月3日・4日

〈「押しつけ憲法論」を唱える政治勢力は、国としての主権回復を訴える。〉と、朝日記事筆者・編集委員の大野博人は言う。そして〈主権回復を掲げる運動は今日、日本やその憲法についてだけ見られる現象ではない。〉として、英国のEU離脱や、米大統領選のトランプ登場まで引き合いに出して、日本の状況が特殊でないことを強調しようとする。

だが、日本の憲法問題の様相は、国際基準に照らして、かなり特殊である。英国や米国が取戻そうとしているのは、厳密には「主権」ではなく「主導権」であり、日本のように、暴力と脅迫で国体改変を伴う『日本国憲法』制定を強要され、その犯罪を正当化・隠蔽する為に「日本悪玉史観」の誣告を受け、その誣告を真実と信じ込むよう国民全体が洗脳され、今でも連合国の犯罪幇助者らによって洗脳され続けている、という三重の「主権侵害・人権蹂躙」を受けているわけではない。

だが、勿論朝日はその真実を隠したいからこそ「日本だけが特別ではない」とうそぶいているのだ。

グローバル化や高齢化で不平等感が広がり、将来への不安が募る。政治家が国境のない世界から国の枠に戻れば解決すると呼びかける。人々の心も揺れる。この時代の空気が日本の押しつけ論にも表れている。〉〈最近、憲法公布を記念する「文化の日」を「明治の日」に変えようとという動きさえ出ている。近代国家の出発点への郷愁。押しつけ論への傾斜と重なる。しかし、「かつての」国や自分を取り戻すという回顧的発想は、「今とこれからの」困難や不安の軽減にはつながるまい〉(同上)

朝日記事は、不平等感に何の関係があるのかわからない「高齢化」を間に挟んで「グローバル化…で不平等感が広がり、将来への不安が募る」という「現実」を、グローバリストのせいだけではないかのように誤魔化している。

要するに、「押しつけ論」は単なる「センチメンタルな勘違い」だといっているのだ。「国境のない世界」の方が本当は素晴らしく、明治への郷愁も「false memory(過誤記憶)」だから、何の意味もない、と。

中国が着々と有事(戦争状態)に向けて軍区再編など体制を整え、尖閣・沖縄への侵略に備えて演習を繰り返し、潜水艦で日本の領海を侵犯したり、戦闘機も飛ばしてきているなか、「日中の信頼醸成を急げ」「中国は緊張を高めるな」などと寝惚けたことを社説に書くような朝日新聞の、まさに面目躍如たる「お花畑」な文章だ。

だがここに、朝日新聞の立ち位置が明瞭に表れている。連合国=国際主義者・国際共産主義者の推進する「国際化=グローバリゼーション」である。

そして、グローバリストの主敵は祭祀王・天皇とそれを戴く日本である、という事実を、朝日は国民の目から隠そうとしている。

グローバリズム・国際共産主義は、扇動に乗りやすい無知な(権力者によって無知な状態にされた)大衆を操って混沌と対立を招来し、社会不安を醸成して暴力革命・革命戦争を起こす。既に国際市場を統制しているグローバリストは、戦争特需を最も享受できる地位にあり、敵も味方もなく全ての交戦国が彼等の顧客となる。しかも、彼らは戦争を実際に開始した国の政府に戦争開始の咎を擦り付け、裏で政府を操って戦争を引き起こした張本人達は「我関せず」と涼しい顔をしていられる仕組みに守られている。

戦争が起こった方が得をする者、戦争が起こって欲しいと願うのは、グローバリストと国際共産主義者なのである。

ところが日本人は、なかなか共産主義者のオルグに乗せられないばかりか、戦前、コミンテルン日本支部としてスタートした共産党創立の時点で、彼らが「天皇制打倒」を持ち出した途端に共産主義を激しく拒絶し、完全にそっぽを向いていた。(『田中清玄自伝』)

共産主義になびく様な人間は、もともと唯物論的でこの世が全てだと思っている。神もなければあの世もない。だから自分は貧乏で他の者が金持ちだったりすると「不公平だ」と短絡する。文化大革命の中国のように、「持てる者」からは、その者を殺してでも富を奪え!という扇動に乗りやすい。

だが、日本は八百万の神を奉る神の国である。例え人が見ていなくとも「お天道様が見ている」から悪いことはできないし、邪なことをすれば自分の魂が穢れる、だからしたくないのが日本人の性分である。森羅万象のみならず、人の作ったものにすら魂の宿る国柄にあって、祭祀を通してその神々の声を聴き、神々の意思を知り、人々に「しらす」のが天皇である。

天皇は祭祀王であり、人の幸せを祈る祭祀は、利他の精神を育み、共棲と融和を重んじる文化を生む。

だから日本では戦後、戦前と同じように、一致団結の精神で高度経済成長を達成し、「一億総中流」という言葉も生まれたが、そもそも古今和歌集の古代から、「詩歌の前で、帝も貧者も平等」の文化が日本にはあった。

日本人は、かつて「世界で最も自分の持っているものに満足する人々 (contented people)」であるといわれたことがある。そのような人々は、共産主義による暴力革命など欲しない。だから、グローバリストと共産主義者にとって、最悪に不都合な、排除すべき「敵」なのである。

共産主義社会においては、大衆は「皆平等に無知で貧乏」のままに置かれるから、そこから抜け出して「指導層」に入るためには「理論武装」し、常に他者を「理論」で威圧する必要がある。共産主義思想自体が、「無知な大衆を扇動して革命を起こし混沌を招来する」ことが目的であるから、自然その「理論」は矛盾に満ちたものとなるが、大衆を丸め込むことができれば、それで良いのである。だから、左翼学者は常に偉そうに上から目線で人を小馬鹿にしている。

小林節や朝日新聞が「どうしようもない奴らだ、恥ずかしいね」と肩をすくめ、首を振りながら「改憲派(無効論)は回顧的」といってみせているのは、「偉い学者先生やクオリティ・ペーパーが『駄目』と言っているのだからダメなのだろう」と、何も考えていない大衆に思い込んでほしいからだが、彼らがほのめかしているのは、つまり明治と戦前が、そして大日本帝国憲法と、その下で「日本を統治していた天皇」が、悪いものだった、ということである。

連合国・国際共産主義者が、敗戦国日本に、大日本帝国憲法を「改正」させ、『日本国憲法』を制定させた表向きの根拠は、「大日本帝国憲法が、天皇制強権支配と侵略的軍国主義の温床である」ということであった。

だがそれは事実ではなかった。「天皇制強権支配」も「侵略的軍国主義」も、「誣告」であった。

連合国は誣告の罪を犯し、国際法に違反し、検閲・洗脳の人権蹂躙を侵し、日本の国体改変を行った。

そして、彼らはそのことを承知していた。だからこそ、「『日本国憲法』は、連合国・GHQの強制ではなく、新しい主権者である国民の自由な意思によって制定された」という虚偽によって、偽装しなければならなかった。

そのことは、GHQ・SCAP=マッカーサーへの「指令書」SWNCC文書の中で、彼ら自身が告白している。

swncc228-5
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/059/059_005l.html

〈Only as a last resort should the Supreme Commander order the Japanese Government to effect the above listed reforms, as the knowledge that they had been imposed by the Allies would materially reduce the possibility of their acceptance and support by the Japanese people for the future.( 最高司令官がさきに列挙した諸改革の実施を日本国政府に命令するのは、最後の手 段としての場合に限られなければならない前記諸改革が連合国によつて強要された ものであることを日本国民が知る時には、それらを、将来、日本国民が承認し[支持]する可能性は著しくうすれるのである。)〉(p.5 SWNCC228、p.29『 憲法制定の経過に関する 小委員会報告書の概要』pdf)

これは、「SCAP・マッカーサーは日本政府に命令しなかった」という意味ではない。彼らは間接的・遠回しに、公職追放などで脅迫しながら、すべてのことを「日本に命令」した。「あくまでも、日本人自身が自主的にやっていることであると『偽装』すべし」ということなのである。そのために、GHQには5000人もの日本人が占領軍の手足となって働いていた。

このような『日本国憲法』の出自の真実を、日本国民が70年後の今も知らされていない、つまり未だに日本国民が検閲され、洗脳され続けているという事実を知ることなしに、憲法論議は始められない。

『日本国憲法』制定過程の実情を知れば、大多数の日本国民は『日本国憲法』無効論の正当性を理解し、それを支持する。

だが、国際共産主義者だけでなく、日本政府までも、「日本国憲法無効論」をひた隠しに隠し続けている。

1956年6月11日に設置された憲法調査会が、1964年7月3日に内閣と国会へ提出した『憲法調査会報告書』の役目は、『日本国憲法』の制定が連合国による強要であったという真実を国民に周知することであるはずだった。

そして、「日本国憲法無効確認」によって、占領以前の「まともな国・日本」とその正当な憲法・大日本帝国憲法を取り戻そう、と日本国民に訴えるのが、憲法調査会報告書を受け取った内閣と国会の義務であった。

天皇陛下に上奏し、民主主義的議会制立憲君主国の日本に戻るべく、日本国憲法とGHQ皇室典範の無効確認・大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認を、天皇陛下に粛々と宣言していただくのが、総理大臣の使命であった。

だが、そうはならなかった。

調査会報告書のその膨大な量の調査結果にも拘らず、結論は「押しつけとも、押しつけではないともいえない」という日本人得意の玉虫色で終始した。

「憲法調査会」も、内閣も国会も、独立回復後23年を経てなお、連合国の顔色を窺うかのように、『日本国憲法』の制定経過のいかがわしさ__連合国の明白な犯罪性__に触れることはなかった。

_____〈すなわち、原文が英文で日本政府に交付されたという否定しえない事実、さらにたとえ日本の意思で受諾されたとはいえ、手足を縛られたに等しいポツダム宣言受諾に引き続く占領下においてこの憲法が制定されたということは、明らかなのであるから、この面に関する限り、それを押しつけられ、強制されたものであるとすることも十分正当であるというべきである。特に、日本側の受諾の相当大きな原因が、天皇制維持のためであつた事も争えない事実である。ただ、それならば、それは全部が押しつけられ、強制されたといい切ることができるかといえば、当時の広範な国際環境ないし日本国内における世論なども十分分析、評価する必要もあり、さらに制定の段階において、いわゆる日本国民の意思も部分的に織り込まれたうえで制定された憲法であるということも否定することはできないであろう。要するにそれらの点は、この報告書の全編を通じて、事実を事実として判読されることを期待する以外にない。〉(p.77『 憲法制定の経過に関する 小委員会報告書の概要』pdf〔p.82〕太字・下線引用者)____

朝日新聞の「64年調査会、評価踏み込まず」に「事情は決して単純ではない」とあるように、調査会はその肝心要の目的である『日本国憲法』制定の真実について、評価をこの調査報告書の読者に「事実を事実として判読されることを期待する」と、丸投げした。明白な結論を、自らの口で、国民に発表することを放棄したのである。だが、この報告書は本編が781ページ、それに「『憲法無効論に関する報告書(憲法調査会報告書附属文書第10号)』も含めて12冊の付属文書が付いた、膨大な文書である。93ページのダイジェスト版はPDFで読めるが、それにしたところで、真面目に働く普通の庶民はこのようなものを読んでいる暇がない。

国民に代わって吟味調査し、真実を追求して、それを国民に報告するための「憲法調査会」ではなかったのか?

そもそも、『日本国憲法』制定過程の重大問題を、「押しつけ」か、「押しつけでないか」の二分論に集約・矮小化することこそが問題である。

『日本国憲法』は、どんな国の、どんな立場の、どんな人間が、どこをどう見ても、「押しつけ」であって、そこに疑問をはさむ余地はない。

『憲法調査会報告書の概要』の、『日本国憲法』は「押しつけではないともいえる」根拠とは、「制定の段階においていわゆる日本国民の意思も部分的に織り込まれ」ていることであった。

占領当時の「広範な国際環境」とは「連合国・国際共産主義の独裁」状態であったし、「日本国内における世論」は、『報告書』も言及するように、大多数が「天皇支持」であったのだから、これらは「押しつけではない」理由どころか、むしろ「押しつけ」の理由である。

だが、その「部分的に織り込まれた」「いわゆる日本国民の意思」とはどんなものであったのかを、『概要』の「制定過程に関する総括的考察」は、全く書いていない。

GHQが、憲法改正担当国務大臣・松本烝治による草案を、完全に一蹴した理由は、「(松本案では)天皇の権威および権力が、現実的にはなんら変更もされず弱められてもいない(……)天皇制度はそのまま残り、しかも、議会による立法を必要としない皇室典 範に基づき依然運営される」からであった。(p.21『憲法制定の経過に関する 小委員会報告書の概要』[p.25 pdf] 太字引用者)

即ち、『日本国憲法』により連合国が企図する「日本の政治的再編成」の要は以下の通りであった。

◆天皇の権威及び権力のはく奪

◆天皇制度を残さない

◆皇室典範を『日本国憲法』の下位法とする=議会による立法を必要とする=天皇と皇室の自治自律をはく奪し、内閣に統制させる

◆内閣が、天皇の上位

松本案の他にも、7つの政党・民間団体・個人が試案を発表したが、このうち5案は「天皇制維持」で松本案とほとんど変わらず、GHQは同様に却下した。他2案は共産党と高野岩三郎個人によるものであり、「共和制」を採用していた。

GHQが唯一「可」的な批評を加えたのが、この高野岩三郎の「日本共和国憲法草案」であった。

調査会報告書が「GHQがその意思を『部分的に織り込んだ』としている『日本国民』」とは、「天皇制廃止」「共和制樹立」を謳う、左翼運動の仲間うちでも「超過激」といわれる左翼思想の持主だったのである。

調査会報告書は、その重大な事実を指摘することなく、「GHQが日本国民の意思を部分的に織り込んだらしい」(確たる証拠はない)から「押しつけではないともいえる」という府抜けた調子でお茶を濁した。

かくて、調査会は、「膨大なエネルギーを使い、押しつけ議論に区切りをつけた」。そして、「以降、押しつけ論とともに政界での改憲の機運は薄れていく」(押しつけって何?1⃣)

一般国民はもとより、選挙・国会対策に忙しすぎる政治家たちもまた、『憲法調査会報告書』が読者に丸投げした総括を「総括」として終わったこととし、『報告書』が期待したように「(報告書を丹念に読み)事実を事実として判読」することはなかった。

そして、「象徴天皇制」を謳う『日本国憲法』は、天皇の権威・権能をはく奪することで実質的に「天皇制廃止」をした「共和国憲法」である、という真実は、事実上国民から隠された。

それが、「『日本国憲法』無効論は『終わった議論』」といわれて無視されている理由なのである。

だが、知的好奇心旺盛な日本人なら、「無効論は全く終わってなどいない」ことが理解できるだろう。

インターネットのおかげで、現在少なくとも93ページの『憲法制定の経過に関する 小委員会報告書の概要』は、pdfで一般国民も家にいながら読むことが可能だ。

報告書が伝える、『憲法改正草案要綱』が発表された当時の新聞の論調によれば、日本人は新憲法の中に「天皇」の規定がある、という単純な事実をもって「国体が護持された」「天皇制問題がこれで解決された」と喜んでいた。

だが、それと同時に、「本当に国体は護持されているのか」と疑問を持つ者もいることにも触れている。(河原春作枢密院顧問官 【枢密院における憲法改正草案要綱に対する主な論点】『概要』p.50 [pdf p.55])

つまり、日本人は「大日本帝国憲法がGHQによって改正させられる」と正しく認識し、天皇の地位はどうなるのか、日本の国体は護持されるのか?と心配していた。だからこそ、「象徴」という「不思議な言葉」(当時皇太子妃であった美智子様の感想)に取って代わられてはいたものの、とにもかくにも、「天皇」について規定があるならそれは「天皇存続」ということであろう、と解釈して喜んだのである。

だが、日本人は騙されていた。ナイーブでお人好しの日本人は、「条件付き降伏だ」といっておいて後「いや、無条件降伏だ」と言い募り、「日本人を奴隷にはしない」といいながら、検閲・洗脳という非人道的占領政策によって、日本人を事実上「一億総前科者」「敗戦奴隷」に貶めた連合国の卑怯ぶりを、全く甘く見ていた。

「民主主義」を掲げる先進的欧米の立派な大国が、ここまで非道なことをするとは思わなかったであろう。

占領下、天皇も政府も議会も、全て日本人はSCAPマッカーサーの超大権力に隷属させられていた当時と違って、1951年5月3日には、解任されたマッカーサーの後任、リッジウェイによる「占領諸法令を再検討する権限を日本政府に与える」旨の宣言が出され、同年9月8日にはサンフランシスコで平和条約の締結をみ、事実上日本は独立国となった。

それから23年を経て、尚も続く日本人自身による「自虐洗脳」によってか、「戦後レジーム」利権の利得ゆえか、「調査会報告書」を受け取った内閣も国会も、『日本国憲法』が実質「共和国憲法」である事実を、遂に追及することはなかった。

%e6%97%a5%e6%9c%ac%e5%9b%bd%e6%86%b2%e6%b3%95%e5%a4%b1%e5%8a%b9%e8%ab%96ましてそのことを国民に周知し、一刻も早く無効確認・現存確認による占領以前の原状回復をせんと働きかける者はいなかった。いたのかもしれないが、全く無視され、忘れ去られるままにされた。(菅原裕『日本国憲法失効論』は1961年11月10日に初版が発行されている。)

ナパーム弾による全国絨毯爆撃と2発の原爆で日本の国土の壊滅を見せつけられ、20万人の公職追放で連合国に「右翼」とレッテルを張られたものが家族ともども路頭に迷うさまを目の当たりにし、日本人は極度の心的外傷(トラウマ)を負った。小林節が言った「敗戦のルサンチマン」ではなく、「敗戦トラウマ」であった。

全国絨毯爆撃ですべてを失った日本国民は、昭和天皇の二度の「玉音放送」に慰められ、「朕と汝等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説に依りて生ぜるものに非ず」「朕は朕の信頼する国民が朕と其の心を一にして、自ら奮い、自ら励まし、以て此の大業を成就せんことを庶幾(こいねが)う」と仰せられた『新日本建設に関する詔書』(所謂「人間宣言」)に励まされた。そして、ひたすらに前へ進んだ。

だが、連合国=権力側の手足となって日本国民を欺く手伝いをした政府・官僚・学界・メディアは、今も国民をだまし続けている。「敗戦トラウマ」は、日本と日本人を裏切り続けたこの者たちに、より濃く、深く、残っている。

「敗戦トラウマ」患者である政府・官僚・学界・メディアは、『日本国憲法』無効論が、連合国の逆鱗に触れ、今も続く「公職追放」の脅迫によって、何もかも失うことになる、と怯えきっている。

『日本国憲法』無効論を、改憲派も護憲派も、徹底的に無視し続けるのは、この「連合国恐怖症」のせいであろう。

だが、占領の真実に向き合い、「連合国は犯罪者」という現実を認識することでしか、この「敗戦トラウマ」から立ち直ることはできない。

幸い、先日の米大統領選で、日本の敵・北朝鮮と中国から闇献金を受け取り、国際共産主義の黒幕・ユダヤ国際金融資本家ともズブズブの関係だったビルとヒラリー・クリントンの民主党は、日本の自主防衛・核武装を叫ぶビジネスマン、トランプの共和党に大統領の座をさらわれた。国際主義者・グローバリストの専横に、アメリカの「普通の人々」が、NOと言ったのだ。

「戦後レジーム」の継続を、歴史認識の面から強化していた、NYタイムズらアメリカの反日左翼メディアにケンカを売ったトランプが、大統領になるのである。

グローバリストのヨーロッパでの牙城・EUも、英国の離脱によってその崩壊に拍車がかかるだろう。

これは『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認と、大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認をする千載一遇のチャンスである。

「嘘も百回言えば本当になる」と言ったのはナチスのプロパガンダ相・ゲッベルスだが、偽憲法である『日本国憲法』は、70年使おうが、100年使おうが、本物の日本の憲法にはならない。

改正しても、『日本国憲法』のいかがわしい出自に触れ、連合国の犯罪を告発し、日本に着せられた「侵略国家」「制奴隷を持った軍隊」の汚名が誣告である、と世界に周知するのでなければ、「戦後レジーム」は終わらない。日本は永遠に「敗戦奴隷」のままなのである。

連合国の犯罪を告発しなければ、国際社会もまた、永遠に、第二次世界大戦の反省をしないままである。

日本だけではない、世界が騙されている。

来春キプロス島で開かれる国際憲法学界の部会のテーマは「押しつけ憲法(imposed constitution)」だそうだ。

「日本の憲法の際立った特徴は(70年間一度も改正されなかった)長い耐用年数で、私たちに押しつけ憲法の概念の見直しを促している」「押しつけかそうでないかという二分論は、日本の憲法への理解を妨げてしまう。大切なのは、日本の例から憲法への信頼を醸成したのは何かを探ることだ」(国際憲法学界部会責任者コンティアード教授 『押しつけって何?1⃣)

『日本国憲法』が70年間一度も改正されなかったのは、『日本国憲法』が日本人の信頼を得たからではなく、日本人が戦後71年間ずっと、『日本国憲法』が、かけがえのない日本の国体の現身である天皇の権威と権能を簒奪し、天皇と日本国民を苦しめ続けている、という真実を、知らされないままできたからである。

『日本国憲法』は、今も日本をだまし続けている。

この事実を、日本人だけでなく、世界と共有することで、世界は連合国=国連のいう「人権主義」「平和主義」「民主主義」がどんなものか、今一度立ち止まって真剣に考える機会を得る。

国連安保理常任理事国といえども、違法行為は裁かれるという当然のことを、世界は確認する。

国連が自身の裁きを受け入れられないなら、それは国連に自浄作用がないということを意味し、そのような機関は存続する資格がない。

世界に対立と混沌をもたらした国際主義・共産主義の犯罪を問い、天皇という「至高の権威」を取り戻した日本は、白人至上主義・暴力至上主義の旧弊を打ち破り、国際社会に真の意味での法治主義をもたらす。

『日本国憲法』無効論が、国際法を豊かにし、国際社会に真に貢献する日本を再生するのである。

【皇后陛下お誕生日に際し】「生前退位」という語による天皇陛下への不敬に接した皇后陛下の「衝撃と痛み」__そらとぼけるメディア、宮内庁、無為無策の政府

「新聞の一面に『生前退位』という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした」

皇后陛下は10月20日、82歳になられた。

宮内記者会の質問「この1年を振り返って感じられたことをお聞かせください」に答える文書の形で、皇后陛下がお気持ちを語られた。(「皇后陛下お誕生日に際し」http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/3)

熊本地震、阿蘇噴火、珍しく東北・北海道を襲った台風などの自然災害、今年1月に天皇陛下と訪問されたフィリピン、リオ・オリンピックとリオ・パラリンピック、日本研究者の発見になる新元素ニホニウム、大隈良典博士のノーベル賞受賞等に加え、続く視覚障害者の線路転落事故にも「最近心にかかること」として言及された。

終盤、皇后陛下は「天皇陛下のお気持ちの表明」について述べられた。

 

「8月に陛下の御放送があり,現在のお気持ちのにじむ内容のお話が伝えられました。私は以前より,皇室の重大な決断が行われる場合,これに関わられるのは皇位の継承に連なる方々であり,その配偶者や親族であってはならないとの思いをずっと持ち続けておりましたので,皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされたこの度の陛下の御表明も,謹んでこれを承りました。ただ,新聞の一面に「生前退位」という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は,歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので,一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の感じ過ぎであったかもしれません。」

「皇室の重大な決断が行われる場合,これに関わられるのは皇位の継承に連なる方々」

天皇陛下も、即位20年の会見で「将来の皇室の在り方については皇太子とそれを支える秋篠宮の考えが尊重されることが重要」とおっしゃっている。皇后陛下はこれを敷衍して「(皇后陛下御自身を含め、皇位継承に連なる方々の)配偶者や親族であってはならない」とはっきりと述べられた。皇位継承に全く関係のない国会・政府はもとより、素人からなる「有識者会議」なるものに至っては何をかいわんやであろう。

明治維新後に、近代立憲国家としての日本を欧米列強に示すため、大日本帝国憲法とともに制定された『皇室典範』とは、長い伝統に基づく皇室の在り方を記した天皇家の「家憲」であり、大日本帝国憲法と同等のものであった。

大日本帝国憲法第74条第1項には「皇室典範の改正は帝国議会の議を経るを要せず」とあり、議会はその改正に関与できなかった。

そもそも、憲法・典範の改正の発議権は、天皇お独りに属する大権である。

皇室の伝統に精通しない者、皇統断絶を企むGHQ『憲法・典範』を絶対とする、連合国の下僕と成り下がった者達が「皇室の在り方を考える」と言っているのをきくと、背筋が寒くなってくるのである。

そして、7月13日のNHKのスクープの後、新聞の一面に極太文字で書かれた「生前退位」の文字。この語が与えた衝撃を、皇后陛下は「大きなもの」とおっしゃった。

御所にて行われる「天皇陛下の有識者会議」ともいえる「宮内庁参与会議」。その2010年7月22日の会合において、天皇陛下が仰ったのは、「私は譲位すべきだと思っている」であった。皇后陛下もずっとご一緒に、陛下の「譲位」のご意向をどう表明するか、どう実現するかについて、6年間も話し合ってこられたのだ。

「それまで私は,歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかった…」と皇后陛下も仰っている通り、7月13日にNHKが最初に発し、翌日の新聞各紙が一面に太文字で書き、数人の識者から疑問視する声が上がった後も殆どのマスコミが使い続けている「生前退位」とは、国民の誰もが聞いたことのない言葉であった。

皇后陛下は、以前、「象徴天皇」という言葉に関しても、「不思議な言葉…」と微妙な違和感を表現されたことがある。

天皇陛下は、そのお立場の故に、公の場で不平不満を仰るようなことは絶対にない。

1975年、今上陛下が皇太子時代に妃殿下と訪問された沖縄で、左翼過激派に火炎瓶を投げつけられた時にも、眉ひとつ動かされなかったという。幸い皇太子殿下に御怪我は無かったが、妃殿下は警察官に庇われて地面に倒れ、打撲傷を負われた。(ひめゆりの塔事件)「帝王たるもの常に泰然自若、それに比べてやはり庶民出の妃殿下は一瞬避けた…」といって宮中でいじめられたというような、まことしやかな噂もあったくらいである。

このたびも、「新聞の一面に『生前退位』という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした」と、天皇陛下のお心を気遣われながらも、「それまで私は、歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の感じ過ぎであったかもしれません」と、一歩引いた表現に留めておられる。

が、皇后陛下は「痛みを覚えた」と仰っている。少し考えれば明らかなように、「生前」とは「死ぬ前」のことであり、「死」を直接に連想させる言葉である。さらに、「生前__」と言う熟語は「生前贈与」のように、多くの場合「そう遠くない将来に死が訪れるであろう人」の行動について使われるのであるから、もっと酷い。そして、「退位」には必ずしもポジティブな意味合いがない。それを天皇陛下ご自身のお言葉である「譲位」とすり替えることまでしてNHKが使い、日本中のマスコミ、知識人達が、あろうことか「保守」と呼ばれる者達までが、連日連呼している。これはどう見ても天皇陛下への「お葬式いじめ」だ。

日本報道検証機構は、皇后さまの談話を受け、受け止めや「生前退位」という表現が適切だったかどうかについて、NHKをはじめ主要新聞各社に質問した。NHK広報部からは「国会の答弁等でも『生前退位』『退位』という言葉が使われており、視聴者に意味が伝わりやすいよう、この表現を使っています。ニュースの文脈に応じて、『譲位』という言葉も含め、適宜使い分けています」との回答があった。今後も使い続ける方針かどうかも質問したが、明言しなかった。

(「『生前退位』は『歴史の書物にない表現』 皇后さま、違和感表明 NHKの反応は…」日本報道検証機構 弁護士 楊井人文 Yahoo! News http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20161022-00063507/)

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小野寺まさる氏の10月20日のTwitterによると、どこかの新聞が「おことわり」としてこの「生前退位」という語について弁解しているようだ。しかし、弁解にも何もなっていないどころか、全く意味不明である。「存命中に位を譲ることは明治以降の歴史で例がないことから、意味を分かりやすくするために使っています」?いや、「存命中に位を譲ることは明治以降の歴史で例がない」からといって「譲位」の意味が分からなくなっているということは全くないし、そもそも、意味を分かりやすくするためになら「死」を連想させる不吉な言葉を、天皇という日本の最高権威・「万民の父母」に対して使ってよいと考えるその感性がおかしいだろう。

「言霊のさきわう国」日本では、人々は不吉な言葉はなるべく使わない。まして、目上の人に使うなどもってのほかだ。日本人はこういう感性を無くしかけているのか、それとも日本の伝統に暗い外国人の仕業か?

小野寺氏のツイートが言うように、「生前退位」という不敬語の「出典」は、1984年の社民党と公明党の一議員による国会議論であった。このマスコミ・知識人の「生前退位」連呼は、社民党・公明党とこれらの党が代表する人物、或いは外国を、天皇よりも高い権威とみなす者達の差し金であるに違いない。

いづれにせよ、NHKら「『生前退位』いじめ」に加担していたマスコミは、皇后陛下の全く正当なご指摘を受け、右往左往している。日本経済新聞などは、泡を食ったあまり皇后陛下の仰ったことを完全に捻じ曲げ、見出しだけ読む人を騙そうとしている。

〈皇后さま、82歳に 生前退位 反響に「衝撃」〉

〈天皇陛下の生前退位の意向に対する社会の反響の大きさに「衝撃は大きなものでした」とつづり、「驚きと共に痛みを覚えた」と振り返られた。〉(日本経済新聞2016年10月20日)

皇后陛下が「陛下の生前退位に対する社会の反響に『大きな衝撃』」を受けられた?そうではない、皇后陛下が衝撃を受けられたのは「生前退位」という言葉の不敬に対してだ。「衝撃を受けた」という文章のすぐ後に「歴史の書物の中にもこんな表現見たことがなかった」と続くのだから、どこをどう読んでもこれは「生前退位」という語について仰ったのだとしか見えない。そして、それは只の衝撃ではなかった。「痛み」であったのだ。「私の感じ過ぎであったのかもしれません」とは、先に言ったことが良くないことであるがために、「そんなはずはない。思い過ごしかもしれない」と、いじめに加担した者達への非難の度合いを和らげてくださっているのだ。そもそも社会の反響というなら、90%の国民が天皇陛下の譲位のご意向を支持し、速やかに実現するように心から祈っているのだ。「痛み」であるはずがない。

現に本文の方は、「陛下の意向が初めて報道された直後の心境としては」を「衝撃は大きなものでした」の直前に置いている。「報道の直後」では「社会の反響」などあまりわからない。そして、「理由として、生前退位という表現に『接したことが一度もなかった』ために、『一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の考え過ぎであったかもしれません』と吐露された」となっている。「吐露する」とは、隠していたことを打ち明けることなのだから、やはり皇后陛下の仰っているのは「『生前退位』という言葉に傷つきました。天皇陛下が黙っておられるので黙っていましたが、この機会に打ち明けます」ということではないのか?

極めつけに、この記事の最後には「生前退位に関して皇后さまが『痛み』という表現を使われたことについて」、宮内庁関係者の推量を挙げている。

「生前という言葉の裏側にあるものを連想されたのではないか」

今それが分かるのなら、NHKの最初の報道の時に分かったであろう。だが、宮内庁は何の抗議もしなかった。政府も黙っていた。マスコミは調子に乗っていまだに連呼している。

安倍首相におねがいします。

今すぐ、天皇陛下を愚弄する「生前退位」という不敬な言葉の使用をやめさせてください。

天皇陛下のお気持ちを、皇后陛下のように「謹んで承る」気持ちがあるなら、日本国民の「天皇陛下のご意向を実現して欲しい」という願いを叶える気持ちがあるなら、天皇陛下が既に通り過ぎられた事項、天皇陛下にしかお判りにならない事項を議論している有識者会議は中止し、皇室問題は天皇陛下に全てお任せください。

天皇陛下のご意向を実現するのに、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が障害になっていることを直視し、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は、そもそも傲慢・無知な連合国が皇統断絶を企図して制定させた偽典憲であることを思い出し、これらの無効確認、大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認を天皇陛下に宣言して頂くよう、ご奏上ください。

もうすぐ『日本国憲法』施行70周年の記念日がやってきます。

この屈辱の日を祝うという欺瞞から、天皇陛下と日本国民を解き放ってください。

 

(関連稿『「生前退位」という言葉の連呼は、天皇陛下に対する「お葬式いじめ」ではないのか?』)

 

 

 

【天皇陛下の譲位のご意向表明】 有識者会議も、特例法も、GHQ『皇室典範』改正も、「連合国への隷属」継続が前提の、亡国への道__正確な現状認識だけが日本を護る③

天皇との6年に亘る激論の末、「参与会議」が証明した「無効論」無視の議論の絶望的不毛

「摂政では駄目なんだ」:天皇陛下は強い口調で、きっぱりと仰った

 天皇陛下の「有識者会議」=「宮内庁参与会議」は、6年にも亘る天皇陛下御自身との激論を経てなお、天皇陛下の譲位のご意向実現の具体的方法について、結局何も決められなかった。この上誰が、どんな議論をして、何を、どう決めるというのか?

 

「私は譲位すべきだと思っている」

「天皇という存在は、摂政によって代行できるものではない。皇太子に譲位し、天皇としての全権と責任を譲らなければならない」

「(大正天皇の摂政設置は)大正天皇ご自身の意思に反するものであり、踏襲されるべき先例ではない」

「前提として天皇の高齢化という条件は必要だと考えるが、退位は、天皇の自由な意思で行われなければならない」

天皇陛下は、強い口調で、きっぱりとおっしゃった…。天皇からのお召しを受けた各界の「有識者」(宮内庁職員ではなく、あくまで「天皇の私的なご相談役」「経験や専門の知見を活かすというより、国民としての立場」での発言を要請され、3年ごとに更新される)3名と宮内庁長官、侍従長を加えた5名で、御所にて開かれる、皇室の重要事項に関して議論する「宮内庁参与会議」__その2010年7月22日の会議に於ける天皇陛下のご発言である。(『文藝春秋』2016年10月号「総力特集 『天皇 生前退位の攻防』  真相スクープ  『皇后は退位に反対した』」__この時のメンバーは元宮内庁長官・湯浅利夫、元外務事務次官・栗山尚一、東大名誉教授・三谷太一郎。2016年9月現在は元検事総長・原田明夫、元警察庁長官・國松孝次ら)

「陛下は激論も辞さないご姿勢でした。摂政案は、こちらがどう申し上げても受け入れられなかった。お考えはすでに固まっているなと思いました」(上記「参与会議」出席者)

話し合いをしながら食事ができるように、人数分並べられたお互いの弁当が、ぶつからないように気を使うほど幅の狭いテーブルをはさんで、午後7時から始まる「参与会議」はその日、稀にみる激論となり、深夜12時を回るまで、天皇の話__「摂政」ではなく「譲位」でなければならないことを「参与会議」出席者に納得させること__は尽きることなく続いた。

〈そんな参与会議で、10年7月以降、退位についての議論が重ねられた。天皇は「譲位」「退位」を主張して譲らず、自分が「上皇」になることで、どのような不都合があるのかとも問いかけられた。〉

〈当初は摂政の設置で解決するべきだとしていた皇后も、天皇の固い意思を確認されて、やがて退位を支持するようになる。〉

長い議論を経て、出席者たちも天皇を説得するのは不可能であることを悟るようになった。11年ごろには、議論は「退位」を前提としたものへと移っていた。〉(同上)

5年前、2011年ごろには、既に、天皇陛下の「有識者会議」である「参与会議」は、「天皇陛下の譲位のご意向は固く翻しがたいものである」との結論に達していたのである。

『文藝春秋』が表紙の大見出しにもした「皇后は退位に反対した」ことは、事実であるにしても実際にはそのこと自体が「スクープ」というほどのことではない。「参与会議」の出席者によれば、皇后陛下は「議論にお強く」「非常にシャープで、議論を厭わない」方であるらしい。その皇后さまも、数度の「参与会議」での議論を経て、陛下のご意思の固いのを確認され、当初の「退位反対」「摂政設置」のご意見を翻され、譲位を支持されるようになった。皇后さまの討論における通常のご姿勢を考えるなら、それは、ただ単に天皇陛下の固いご意思に根負けした、ということではないであろう。天皇陛下のご意向の後ろにある、事実と経験に基づく論拠に、納得された、ということであるはずだ。

当初、参与の誰もが「摂政設置」を主張していた。彼らの根拠は次の様なものであった。

「摂政に公務を任せる分、陛下のご公務が減ったとしても、国民の理解は得られる」

「皇太子殿下に摂政として経験を積んでいただくことは、将来的にも悪いことではない」

冒頭に引用したのが、これらに対する天皇陛下の反論である。

「摂政では、駄目なんだ」「天皇という存在は、摂政によって代行できるものではない」

陛下は、父君・昭和天皇の皇太子時代の、大正天皇の摂政をなさったご経験、そして今上陛下御自身の昭和天皇の公務代行をなさったご経験から、そう仰っている。

日本の歴史と伝統によれば、天皇の地位は、「万世一系の男系の血筋」をその継承資格としている。

天皇は、古代より連綿と、ただ一筋の血筋で125代続いてきた、というその事実により、世界に一人の希少なご存在であり、そうであるからこそ、世界一貴いご存在なのである。

何百年、何千年も生きている古木に霊が宿ると、日本人は信じる。天皇のご存在もまた、それと同様の霊的なご存在であるが故に尊いのである。

天皇の本質は「祭祀王」である。「天皇の務め」の本質は、祭祀である。

宮中祭祀の中には、天皇にしか行えない「秘儀」がある。「即位した天皇」だけが為す秘儀によって、「天皇霊」がその御身体に宿り、正真正銘の「天皇」になられる。

天皇によってのみなし得る「祭祀=天皇の務め」がある、ということである。

摂政や「公務代行者」には、それが務まらない。天皇が崩御され、次代の天皇が即位されるまで、その祭祀は行われない、行うことが出来ない、ということである。

祭祀王=天皇が、その第一の務めたる祭祀を執り行えない。天皇にとって、これ以上の屈辱があろうか?そしてそれは、日本の国体にとっての不仕合せである。

それが、8月8日の陛下の「御言葉」にある「天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であることに変わりは(ない)」ということである。

大正天皇の摂政設置は、大正天皇ご自身の意思に反して行われたことであり、踏襲されるべき先例ではない、と天皇陛下ははっきりと仰っている。昭和天皇も、晩年の御不例の際、ご自身の大正天皇の摂政体験を以て、「摂政設置」を嫌われたといわれている。

「摂政設置」は「天皇の権威の低下」に直結する。

それでなくとも、連合国によって、彼らが日本に強要した『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』によって、天皇の権威は貶められている。

「大変過ぎる公務を、陛下が自ら増やしてしまった」「だから無理ならば止めればいい」という、無知で非情な言説が「識者」達の間に散見される事にも、それは表れている。

「天皇の務め」=「公務」を、式典や行事に出席すること、外国からの賓客を接受すること、出掛けて行って人に会うこと…、等と矮小化しているのだ。

これは天皇の神霊性を軽視・無視しているということ、つまりは天皇の権威の否定である。

GHQ『皇室典範』は、宮中祭祀を「天皇家の私事」として規定し、「公務」として認識していない。天皇を「祭祀王」として認識することを、憚っている。

人種間、国家間の対立を煽って混沌を招来し、利己主義を奨励し、無秩序・無政府状態を醸成して、世界戦争を起こし、世界同時暴力革命を達成するのが目的の国際共産主義者たちにとって、「八紘一宇=人類は皆家族」であらゆる人種を融合する祭祀王=天皇と、その天皇を「万民の父母」として奉じる世俗的家族主義・利他主義の日本人は、一人残らず消してしまいたい邪魔な存在である。

だから連合国は、「祭祀王=天皇」も「立憲君主=天皇」も、その存在を否定し、貶めた。

GHQによって廃止されかけた「宮中祭祀」を、「天皇家の私事」であるということにしてでも存続させた、という経緯が占領期にあったにしても、「国民のために祈る」という行為を「天皇家の私事」とすることは、「祭祀は天皇が勝手にやっているわたくしごと」とみなすこと、つまり「天皇の権威の軽視・無視・否定」を促進しているというその事実を、いま私達は見過ごしてはならない。

「宮内庁参与会議」は、「天皇の譲位のご意向を表明する」ということの他には、何も決められなかった__障害となったのは、政府と『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』であった。

「宮内庁参与会議」では、先述したように、2011年ごろには「天皇の譲位」を前提とした議論に移っていた。しかし、その後5年間、「参与会議」は大きな障害に立ちはだかられ、議論は進まなかった。決まったのは、「天皇のご意向をどういった言葉で表現し、いつ表明するべきか」ということだけであった。

「参与会議では、14年の時点で、翌年の15年12月のお誕生日会見で、退位に関するお気持ちを表明するという案が出ていて、ビデオメッセージという形式も考えていました」(宮内庁関係者  『文藝春秋』10月号 同上記事)

つまり、「参与会議」はたったこれだけのことを決定するのに3年を要し、しかもその決定された「お気持ち表明」は、今年8月8日にようやく実現するまで、さらに2年の「待った」をかけられたわけだ。

退位を実現させるために、政府をどのように動かすか。また、お気持ちの表明にあたり、政府の了承をどのように取り付けるか。それが、当初から最大の問題だったのです。」(宮内庁関係者 同上)

憲法にも皇室典範にも規定がない「退位」の実現には、典範改正か特別法の制定が必要になるため、政府の協力が必要となる。〉(同上)

当時の民主党政権と宮内庁とは、2009年12月の「小沢一郎、陛下のご体調に配慮した『一か月ルール』無視で習近平・天皇特例会見を強要」の一件以来、当然の如くギクシャクしていた。「大変異例なこと。もう二度とこういうことは有ってほしくない」と会見で発言した羽毛田宮内庁長官を、小沢は「一役人が内閣の方針にどうこう言うなら、辞表を出してからいうべきだ」と、公に批判した。宮内庁側からは、とても「退位」の件を相談できる雰囲気ではなかった、というのである。

「宮内庁長官といえど、皇室に関することを独断で発言することはできません。長官の発言は、ほぼ天皇のご意思と見ていい。自由に発言できない天皇のお気持ちを代弁した長官を、小沢氏は叱り飛ばしたのです。」(皇室担当記者  同上)

民主党には他にも「大韓航空機爆破事件」の北朝鮮元工作員(現在韓国在住)金賢姫の「超国賓待遇招聘・ヘリコプターで海自・米海軍基地上空『遊覧飛行』」(2010年7月)「秋篠宮殿下への『早く座れよ』不敬発言」(2010年11月)の中井洽議員という外患誘致容疑者がいるが、小沢同様、中国・韓国・北朝鮮への忠誠心の方が日本への愛国心より大きそうなのは間違いなく、その天皇・皇族への不敬は目に余る。

国会議員の半分は反日・天皇制廃止論者、あとの半分の殆ども、米国追従で、GHQの洗脳で脊髄を犯されており、日本の国体の危機を感じ取る感性を喪失している。このような連合国の意のままに操られる「敗戦利得者」のような人々に囲まれて激務をこなす陛下の焦燥感、孤独感は如何ばかりか…。想像に難くない。

2012年2月、天皇陛下は心臓冠動脈のバイパス手術を受けられた。

今上陛下が、おそらくは敗戦時の十代の頃から、70年以上も、我々国民には想像もできない類の「悪意」に対峙してこられたであろうことを思うと、もうこれ以上、一日たりとも長くお待たせすることはできない。

それが分かっていながら、政府は「有識者会議」による検討、「特例法」制定という間違った道を選んだ。

9月23日、政府が発表した有識者会議の名称は、「天皇の公務負担軽減等に関する有識者会議」である。「公務負担軽減」__天皇の「譲位」の実現を話し合うのではなく、「参与会議」が6年前に通り過ぎ、天皇ご自身が却下された議題を、また掘り起こすというのである。

「私は譲位すべきだと思っている」

この問題の出発点となる2010年7月22日の「宮内庁参与会議」=「天皇陛下の有識者会議」は、陛下のこのお言葉で始まった。

「公務削減」は論外、「摂政設置」は不適切。「譲位」しかない。天皇陛下は6年前、そこから話を始められたのだ。

『週刊新潮』2016年7月28日号によれば、陛下念願のフィリピン訪問を果たされた後の今年春先に、宮内庁は天皇陛下のご公務の大量削減案を提出したところ、「(陛下は)いつになく強いご難色を示され(……)『こうした案を出すくらいなら、以前より私が考えてきたことは、なぜできないのでしょうか』というようなお言葉」で、叱責されていた。(侍従職関係者による)

宮内庁長官は、「参与会議」だけでなく、皇室の将来を案じておられる天皇陛下をお助けするため、皇后陛下が提案され、2009年から実現した、天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下の「三者会談」にもオブザーバーとして臨席している(当初は羽毛田信吾長官、2012年から風岡典之長官)。

にも拘らず、陛下のご苦悩の原因が『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』による天皇の権威の軽視・無視・排除にあるのだ、という真実から、目を背け続けている。

9月26日に、退任した風岡長官の後任として、宮内庁長官に就任した山本信一郎は、2016年7月13日の最初のNHKの「天皇陛下のご意向表明」報道の際、宮内庁として「生前退位」の検討をしているかと聞かれ、「その大前提となる(天皇陛下の)お気持ちがないわけだから、検討していません」と語っていた。

天皇が自身の意向を表明し、それに呼応して政治が動けば「違憲」となる、だからこの「お気持ちの存在自体の否定」は天皇陛下を御守りしようとしてのこと、という「善意の解釈」が複数の「識者」からも聞こえてきている。

だが、それは話が逆さまだ。天皇の「譲位」についての規定がないどころか、崩御に至るまでその地位にあって公務を行い続けよ、と規定し、天皇自身の身の振り方についても天皇自身で決定できず、「主権者(=国民)=政府・国会」の下位に天皇を貶め、その決定に身を委ねさせる『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の非人道性、理不尽さに、まず疑問を投げかけるべきではないのか?

このようなおかしなものを『憲法』『典範』と呼んでいていいのか、これらが本当にその名を冠する資格があるのか、なぜ誰も問おうとしないのか?

天皇陛下の譲位のご意向の実現を阻んでいるのは、「『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が有効である」という欺瞞である。

宮内庁、政府、国会…。現在この問題を動かす立場にあるものの誰もが、『日本国憲法』が天皇の政治への関与を禁じている、GHQ『皇室典範』には退位の規定がない、というところで思考が止まってしまっている。

宮内庁も、そしてなぜか「憲法改正」に執心する政府自民党も、『日本国憲法』の遵守に懸命で、「無効論」への言及すら聞こえてこない。

内閣官房副長官・杉田和弘は、天皇陛下のご意向が明らかになった7月13日直後、「皇室典範改正となれば、きっと物議を醸す。また、陛下のご発言が政治に影響を及ぼしたという事実自体が、憲法違反となりかねない」と周囲に言っていた。(『文藝春秋』2016年10月号上記記事)

杉田内閣官房副長官は、宮内庁長官の政府側のカウンター・パートであり、「有識者会議」の運営など、「天皇陛下のご意向」問題の実働部隊である、皇室典範改正準備室(こちらも独自に天皇の公務削減について検討していた)のトップである。

「陛下のご意向問題実働部隊」の皇室典範改正準備室の長までが、陛下を「違憲」呼ばわりし、「物議を醸すから」とGHQ『皇室典範』改正について躊躇しているのだ。

だが、『日本国憲法』もGHQ『皇室典範』も、改正の必要はない。いや、改正などして、これら無効なものを「有効認定」するようなことはしてはならないのだ。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認、そして大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認で、政府や識者が「困った、困った」と言って頭を抱えている問題は、全て解決するといってもよい。

にも拘らず、誰もが必死になって「無効論」という言葉すら国民の耳に届かないようにしているように思える。

「無効論」を知らないのか?そんなはずはない。自民党内だけでも、過去には稲田朋美、西田昌司らが「日本国憲法無効論」に言及していた。(「憲法無効論 渡部昇一・稲田朋美 YouTube」「現憲法無効論を主流にできるのか 週刊西田 一問一答 YouTube」)

稲田朋美防衛相は、衆議院議員に初当選の翌年2006年から、毎年行ってきた8月15日の靖国神社参拝を今年は見送り、なぜかアフリカ・ジブチを訪問させられた。これを画策したものが、彼らの「日本国憲法無効論」を圧殺しているとみて間違いないであろう。

陛下の譲位のご意向は、実現に向かうどころか、「保守」であるはずの政府自民党によって、また「ふりだし」に戻された。

安倍政権は、この「有識者会議」のメンバー選定にあたり、敢えて皇室問題・憲法の専門家を除いた。過去の発言などから、『結論ありきの人選』との批判を浴びかねず、議論が皇室制度全体に及ぶことへの懸念もありそうだ。議論を早期に取りまとめたい政権の思惑も透ける」と、日本経済新聞は推察する。(2016年9月24日)

要するに、安倍政権は「何も決めない」「(憲法改正のため)早期決着」という結論ありきの人選で、座長には安倍首相に近いとされる経団連(中国寄りか?)名誉会長・今井敬を据え、これまでの「有識者会議」経験者である御厨貴東大名誉教授、清家篤慶応義塾長らを含めた。御厨貴は「時間のかかる方法を避け、特例法で対応する必要がある」といっている。(同上)

「政治、歴史、行政など幅広い分野から選び、国民的議論を印象づける狙いもありそうだ」(同上)というが、この有識者会議の設置を以て「国民的議論が深まった」とされてはかなわない。

第一、「国民としての視点からの自由な意見の聴取」なら、天皇陛下が「参与会議」でもう済ませておられる。6年もかけて。これ以上何を、皇室問題の素人である人々から聞こうというのか?

それに、安倍政権は、「特例法で対処する」と、もう決めている。

しかも、「有識者会議」の議論が始まる前に、「特例法」について、既に法制局の「お墨付き」を取っている。

9月30日、横畠裕介内閣法制局長官が、衆院予算委員会で、「皇室典範そのものを改正せずとも、特例法を制定すれば天皇陛下の譲位の実現が可能である」との「見方を示した」

官邸幹部が「横畠氏の答弁は政府として(有識者会議の)意思統一したものではない」と弁解がましくいい、菅義偉官房長官も「法制局長官は有識者会議で幅広く検討を行うという前提に立ち、あくまでも一般論として言われたこと」と言っているが、これはどう見ても「お墨付き」だし、加えて御厨貴東大名誉教授の声もあり、「(有識者会議には)国民目線で真っ白な視点で議論してもらう」という政府の言は言っているだけ、の感が否めない。

法制局長官答弁は、正確には「皇室典範は特例、特則を定める別法も含みうる」とのことだが、これは『日本国憲法』第2条の「皇位は国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」というのを、「国会の議決した」法律が、皇室典範だけでなく、特例法も対象になる、という解釈である。

特例法は、例え法制局長官のお墨付きがあったとしても、「解釈改憲」にすぎない。

安保法制の時と同様、いづれ野党に矛盾を突かれ、退位後の天皇の地位が自衛隊同様の「違憲」の存在にされてしまうだろう。

「日本の国体の破壊装置」である、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は偽物だ。そんな偽物を国の根幹に据えていることの不条理に知らぬふりをし、そこから噴き出す矛盾に蓋をして回るだけでは、いつか大爆発を起こして汚物をまき散らすことになろう。そして、今のままではその時は近い。

「国民的議論を深めている」というポーズだけの、何も決めない「有識者会議」、天皇陛下のご意向の真意を理解し、「無効論」という法理的に正しい道を探ろうともせず、今上陛下御一代のみの譲位を「解釈によって許可」する「特例法」__これは、天皇陛下への侮辱である。

天皇陛下は、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」ると仰った。それを承った国民は、その大多数が「今上天皇だけでなく、その後の天皇もずっと譲位を可能に」と、政府に要望した。

それを、政府は無視したのである。

政府自民党、安倍政権にお願い申し上げる。

今からでも遅くはない。「有識者会議」に日本国憲法無効論者を招聘し、無効論を国民に周知していただきたい。

正真正銘の公議公論に「日本国憲法無効論」を付し、国民に天皇陛下を補翼する機会を与えて頂きたい。

そうして、天皇陛下に心からの御安らぎを、差し上げて頂きたい。

1947年9月25日、昭和天皇の憲法の師・清水澄博士、大日本帝国憲法に殉ず

『日本国憲法』は、「国民の総意により」成立していない__美濃部達吉顧問官は「憲法改正」に反対して起立せず、枢密院議長・清水澄博士は連合国の無法な「新憲法」制定に抗議の意を表すため、入水自殺した

清水博士の「自決の辞」は、新憲法施行の日の1947年5月3日に書かれた。

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釜坂信幸氏ブログ 『枢密院議長、清水澄博士の思い…。』より

この「自決の辞」に言及されている「共和制採用を希望する私擬憲法案」とは、高野岩三郎の『日本共和国憲法私案要綱』のことであろう。

元東京大学経済学部教授であり、社会統計学者であった高野岩三郎は、敗戦直後の1945年10月29日、左派の同志と共に「憲法研究会」を設立、同年12月に『憲法草案要綱』を発表した。

高野はこの『憲法草案要綱』で「天皇制廃止」「国民主権」を唱え、GHQも新憲法草案の作成の参考にしたそうであるが、左派の「憲法研究会」でも最も過激な左翼思想の持主であったため、GHQ憲法草案の「象徴天皇制」すらも生温い、とばかりに「大統領制」「土地国有化」などを盛り込んだ『日本共和国憲法私案要綱』を発表。自身の所属する「憲法研究会」を含め、天皇制存続を容認する潮流を「囚われたる民衆」と称して批判した。(参考:高野岩三郎 wikipedia)

GHQは、『日本国憲法』の制定が連合国によってなされたことも、その無法で卑劣なる制定に抗議して入水自殺した枢密院議長・清水博士や、不起立で反対の意を示した美濃部達吉顧問官など強硬な反対者がいたことも、当然ながら検閲によって、国民に知られないようにした。(当ブログ別稿『「日本人の魂の武装解除」:GHQ検閲リスト30項目で連合国が隠したかったこと』をご参照ください。)

日本国憲法改正の勅語、憲法公布記念式典の勅語には「日本国民の総意に基いて…」「この憲法は…自由に表明された国民の総意によって確定されたのである…」とある。が、これもGHQの脅迫に怖気づいた日本政府が、何とかつじつま合わせに天皇陛下にお願いして書いていただいたものである、と当時の法制局長官・入江俊郎氏が、1954年の自由党憲法調査会に於いて告白している。(p.73 菅原裕『日本国憲法失効論』新装版)

占領下の日本には、立憲君主の天皇を棄て、『日本国憲法』を自ら選び取る「自由に表明された国民の総意」など、かけらも存在していなかった。

高野岩三郎の『憲法草案要綱』の「国民主権」などを、GHQが参考にしたらしいことを以て、「『日本国憲法』は『押し付け憲法』ではない、日本人の発案によるものである」などと言う輩もあるが、連合国・国際共産主義者であろうと日本人の社会主義者であろうと、「万世一系の天皇がこれを統治する」=「日本の国体」を、姑息卑怯な手を使って改変しようとしたことに変わりはない。

高野は「象徴天皇制」を生温いといい、「天皇制廃止」「共和制」をしつこく主張したが、連合国は、「天皇制廃止」を諦めたのではなかった。

連合国は、『日本国憲法』の「象徴天皇」という「不思議な言葉」によって、「日本の国体が護持された」と日本国民と天皇を騙し、「国体破壊の時限爆弾」を仕掛けたのである。

天皇は、連合国によって、その主権者=元首=立憲君主としての地位を簒奪された。

天皇の正当な地位を、近代的立憲主義のもとに規定した大日本帝国憲法を、連合国は「天皇制強権支配の温床」と呼んで廃棄し、その代わりに『日本国憲法』という「連合国への隷従宣誓書」を、「日本人自身が自由な意思で選び取った」という虚構を打ち立て、世界に宣伝し、徹底的な検閲とプロパガンダで日本人を洗脳した。その洗脳は、今も続いている。

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War Guilt Information Program という洗脳プログラムには、「東京裁判」も含まれるが、最も日本国民一般に影響を与えたのは、連合国の「東京裁判史観」=「太平洋戦争史」(「大東亜戦争」の名称は検閲によって禁止された)に基づくNHKラジオの『真相箱』であろう。(先述の高野岩三郎は、占領初期より検閲・公職追放リスト作成などでGHQに協力した5100人の日本人のリーダー格として活躍し、1946年、GHQのプロパガンダ機関と堕したNHKの戦後初代会長に就任している。社会党顧問でもあった。)

WGIPが振りまいた「戦前の日本は悪かった」「大日本帝国憲法は悪法だった」という嘘の刷り込みが、「大日本帝国憲法を改正」し「民主的で正しい」『日本国憲法』を日本人に「受け入れ」させる土壌をつくった。

清水博士はご自分の無力を嘆いて入水し、「幽界より国体を護持」せんとされた。今、「戦後レジーム」という名の連合国利権を失いたくない利己的な輩が跳梁跋扈する日本に於いては、国民は誰も『日本国憲法』無効論の存在すら知らされず、「無効論」を知る少数の国民ができることの微小さは、占領下のそれと、さほど変わっていない。

だが、日本人は、最後まであきらめない。

清水澄博士の、大日本帝国憲法と天皇陛下への御忠義と誠心が、私達日本人に勇気を与えてくださることを念じ、ここに博士のご冥福をお祈りし、博士の御遺志を継いでいくことを誓うものである。

すめらぎいやさか。

(日本人が『日本国憲法』の真実を知るために、是非読んでおきたい参考図書を以下に挙げます。特に国会議員・官僚・学者、そして「有識者会議」のメンバーの皆さんは必読。逆説的ですが、「無効論」を知れば、「有識者会議」も、「特措法」「特例法」も、『皇室典範』改正も、「憲法改正」も、全く必要ないことが、そして、寧ろ害悪をしかもたらさないことが、お解かり頂けます。『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認と、大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認で、天皇陛下の譲位のご意向を速やかに実現し、なおかつ天皇に主権者=元首=立憲君主としての政治的権威をお返しすることで、正気を無くした日本人に喝を入れる。それが、今一番にしなければならない大切なことです。)

心理的「主権喪失状態」__それが戦後日本の問題の本質。日本に「主権=立憲君主・天皇=国体」を取り戻す__それが『日本国憲法』無効確認の核心。__正確な現状認識だけが日本を護る②

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が有効であるという大前提そのものが、連合国の洗脳の結果である__天皇=国体主権の戦前に、連合国の言う「天皇独裁」など無かった、という事実を思い出せ

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2016年8月8日の天皇陛下の御言葉を、外交評論家の加瀬英明は「天皇によるクーデター」と呼んだ。天皇陛下が皇室典範が規定する摂政制度を退けられたことで、「天皇が法を改めるよう要求されることは、あってはならない」、と。(『孤独の人』 『WILL』10月号)

だが、天皇の権力・権威を奪い日本解体を目指す「クーデター」は、もう既に戦後70年余り、日本で進行中だ。批判されるべきは、本当の「クーデター」主犯の連合国(=米国と国際共産主義者)とそのおこぼれに与る敗戦利得者たちであって、天皇陛下では決してない。

明治の皇室典範で、天皇の譲位を認めないことを規定した当時は、まさか日本が「天皇制打倒」を目論む輩に、こうまで蹂躙されようとは、誰も想像だにしていなかった。敗戦国日本に対する連合国の無法がこれほどまでとは、日本政府も天皇ご自身すらも、予想されていなかったに違いない。

戦争の勝者に国家元首の主権を奪われながら、70年も外国占領軍擬製の『憲法』を奉戴し、また国民全てが騙され、その事実を誰も知らずにいたなどという話は、諸外国にも例がないのであるから、「英国やオランダ等での退位の状況と比較」などしても、全く意味がない。寧ろ、「英国女王は元首で主権者である」という改めて確認した事実に接して、「何故天皇陛下は日本の元首であらせられながら、主権者ではないのか」との疑問を、「日本の天皇は象徴だから」で済ませてしまう思考停止ぶりをこそ、責められてしかるべきであろう。

偽憲法である『日本国憲法』を「憲法」として戴く戦後日本は、「欺瞞の世界」であって、『日本国憲法』が無効であり、大日本帝国憲法が現存している「真実の日本」と、二層構造を成しているのである。

加瀬英明は「あってはならない」と言ったが、大日本帝国憲法下の「真実の日本」に於いては、「憲法改正の発議の大権」は天皇にこそあるのであって、天皇陛下は何も間違っておられない。

強いて言うなら、この度の天皇陛下の「ご意向の表明」とは、連合国の「クーデター」に対する「カウンター・クーデター」であったと言うべきであろう

「天皇陛下のお気持ち表明」とは、この「国家の変局」を国民に報せる「警鐘」であった。

日本人は、70余年に及ぶ連合国の洗脳によって、正気を失っている。

『日本国憲法』が制定されたとき子供であった人々__「軍国少年少女」であったろう人々が、その幼い頭に「日本は軍国主義によって悪い戦争をした」「今日からこの新しい憲法で民主主義になるのだ」と叩き込まれ、その人々に育てられた世代__生まれた時から『日本国憲法』の日本であった世代が、今、日本の支配層、権力層の中枢にいる。

『日本国憲法』の日本が、彼等にとっての「ナショナル・アイデンティティー」なのだ。

彼等にとっては、『日本国憲法』が日本の憲法であって、それが有効かどうかなどとは、考えたこともない、当然すぎることなのだ。

だが、天皇陛下と同じ世代__いわゆる「昭和一桁生まれ」の人々は、自分の親たち、実際に戦争に行った世代が、「新しい、民主的な『憲法』」をもてはやす風潮を、冷めた目で見つめていたことを、知っている。

『日本国憲法』という、文字通り「勝ち組の御輿」を我先に担ごうとしたものと、それを苦々しい思いで眺めていたものとに、占領期の日本は引き裂かれていた。

そのバラバラになりかけの日本を繋ぎ止めたのは、「人間宣言」しても尚「戦前と少しも変わらない『万民の父母』としての天皇」であった。

戦後の「欺瞞の日本社会」にあって、天皇の存在だけが、戦前と変わらず真実のままなのである。

「天皇陛下の譲位のご意向」を、「『日本国憲法』絶対教」の人々が「個人的なお気持ち」に格下げしてみせても、大多数の一般国民は、陛下のメッセージの行間に、本能的に「国家の変局」を感じ取った。9割もの国民が、「違憲」のはずの陛下の「ご意向表明」を「問題ない」と言っているのはその表れである。

だが、陛下を一番理解しサポートするべき宮内庁や、本来、経済よりも安全保障よりも「天皇陛下の御言葉」=「日本の国体の根幹」こそが優先事項であると理解すべき日本政府・国会の反応が鈍すぎる。

日本を動かす立場にある政治指導者達、その深い学識で国民を啓蒙する立場にある学者達の誰にも、「天皇陛下の仰っていることの本質は、単なる老齢による公務遂行の困難についてのお悩みにはとどまらない、日本国家の変局、国体に関する重大事である」との認識があるようには見えない。

占領軍によって、国体改変__国家の歴史と伝統の破壊__を目指して制定された『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の、法的正当性を、天皇陛下の「御言葉=警鐘」を戴いた後にも、なお、支配層・権力層の誰も問わないとは、日本が連合国の洗脳教育で、飽和状態にあることの証左であろう。

皮肉なことに、これら官僚・政治家・識者達の、陛下の国民へのメッセージに対する、鈍感で的外れなコメントの数々を読むと、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』そのものが、天皇陛下の「譲位」のご意向の実現を阻んでいる、ということがはっきりとわかる。

「連合国への服従誓約書」=『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が、どのように天皇の存在を抑圧しているか、日本の「欺瞞の戦後社会」がどのように形成されているか、箇条書きで見てみよう。

『日本国憲法』は天皇から主権を剥奪し、「象徴天皇」とした。

●「象徴天皇」を、天皇も国民も、「『万民の父母』天皇とその『赤子』国民の関係性の象徴」「日本の歴史と伝統そのものの象徴」と解釈した。これは日本の国体の解釈として正しいが、連合国の本音ではなかった。

●GHQ『皇室典範』は、明治の皇室典範と違って天皇家の「家憲」ではなく、只の法律、『日本国憲法』の下位法である。「憲法」と同格の「皇室典範」は議会の干渉を許さなかったが、GHQ『皇室典範』は、寧ろ皇位継承という日本国の根幹の問題に、皇位継承の当事者である天皇の関与を許さない皇室弾圧法、日本の国体破壊法である。

連合国の本音の「象徴天皇」とは、国政に関与を許されず、臣下たる国民にその進退を完全に任せる、無力な「飾り物」としての天皇像であった。

●「国民主権」とは、本当の「主権者」である連合国が、連合国子飼いの「戦後エリート」を操って、「主権者国民」の名を騙って行う「側近政治」のことである。

この「側近」達は、「宮内庁関係者」「政府関係者」等という匿名性に隠れ、日本政府の政策を実際に決定してゆく。

「有識者会議」も、法的根拠がなく、国民の意思を必ずしも反映しない、という点で「側近政治」である。その後ろに誰がいるのか、国民は知らない。

学者も政治家も、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が無効であるという事実から、必死で国民の目を逸らせようとしているように見える。

『日本国憲法』がアイデンティティーとなった彼らにとっては、『日本国憲法』無効論とは、自分たちのアイデンティティーを破壊するものに他ならないのであろう。

彼等の言っていることは要するにこうだ:「天皇陛下の『譲位』のご意向を実現するためには、現行『皇室典範』を改正する必要がある。そうなると議論に何年も要することになり、せっかく盛り上がってきた『憲法改正』論議に水を差す、だから特措法でお茶を濁そう」__。

だが、これは完全に本末転倒だ。

安倍政権は、何のために憲法改正したいのか?

「美しい日本を、とりもどす」ためではなかったのか?

今現在、日本が美しくないのは何故だ?

連合国の暴力に屈服し、敗戦利権の「戦後レジーム」にしがみつく、金と権力の亡者ばかりが日本の支配層・権力層に幅を利かせている。

国連総会の場で日本を「JAP」と呼ぶような、民度の低い北朝鮮から、拉致された日本人被害者を、正当な作戦行動により奪還することもできない。

祖国を護るために戦って散華した、英霊の御霊を祀る靖国神社に参拝することすら、唯物論亡者の親玉・中国と、その腰巾着・韓国の顔色を伺って自由にできない。

自分で戦うことを放棄し、米国に護ってもらう他に道はないのだから仕方がないと、経済政策も安全保障政策も、何もかも米国の言いなり。

明らかに「外患誘致」犯し放題の、極度の親中沖縄県知事や、朝鮮半島の回し者・民主党(当時)の元首相達、日本の名誉を極限まで傷つけた『村山談話』『河野談話』の責任者たちも起訴できず、中国侵略間近の尖閣に自衛隊を常駐させることもできない。

外務省を始めとする「戦後エリート」達は、連合国が占領期に犯した罪の数々を、日本に転嫁するために擦り付けた「東京裁判史観」を、きちんと検証もせずに頭から信じ込んで、日本の先人が残した歴史と伝統に泥を塗って、恬として恥じることがない。

この情けなく、醜く浅ましい「敗戦奴隷」の日本の姿を、私たち国民は、「変えたい」と、そう願った。

だからこそ、日本国民は、二度の安倍政権を誕生させたのではなかったのか?

安倍首相が、日本の為に必死でやっておられることは知っている。『日本国憲法』の始末は「無効論」によらず、「まず『9条第2項を改正』、それから『漸次改憲』することが最も『現実的』」との考えであるらしいということも…。だが、考え直していただきたい。

「天皇陛下の譲位のご意向の表明」が明らかにした問題は、「戦後レジーム」下の数ある問題の「ひとつ」ではない。戦後日本の「本質的問題」なのである。その「本質的問題」とは、

戦後日本は「主権喪失」状態であり、「国体」=「日本のアイデンティティー」をも、いま喪失しようとしている

ということである。

連合国が、天皇の主権者としての権能を、不法に、暴力により強奪したことは、許されざる罪である。その事実を隠蔽し続けることも、罪である。国家の主権侵害、国民の知る権利の侵害である。

このようなことが70年もまかり通ってきたこと自体が、連合国の日本への人種差別に根差していることを考えれば、その犯罪性は二重になる。

その犯人・連合国は、連合国自身が日本に与えた『日本国憲法』が禁ずる「検閲・言論弾圧」を以て、自らの犯行を隠匿している。

この問題を解決できるのは、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認・大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認しかない。『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の「改正」では、「本質的問題」を解決できない。なぜなら、戦後日本の問題は、全て、連合国に与えられた偽の「憲法」という「国体破壊法」、偽の「皇室典範」という「天皇弾圧法」、偽の歴史、偽の罪悪感によってもたらされている。

『日本国憲法』自体が欺瞞であるが故に、それから派生した法律も、深刻な矛盾をはらむことは当然である。

国家の根幹である憲法が、偽物であってはならないのである。

連合国の犯罪を告発し、真実の歴史を回復することでしか、戦後日本の問題は解決しない。

「『日本国憲法』は無効である」と世界に宣言すること、「連合国が押し付けた『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は無効である」と、日本が宣言「できる」ことを、世界に見せつけることの他に、敗戦国・日本が真の主権と名誉を回復する道はない。

「『日本国憲法』の改正」には、「連合国の犯罪の告発」が含まれない。そこが問題である。それでは、日本は主権を連合国に差し出したままだからである。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は、天皇の権威を低下させ、日本の国体を破壊している元凶である。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が、皇室問題=国体問題=日本国主権問題の最高権威である天皇の「意向の表明」すらも「違憲」扱いにし、国体破壊工作の阻止を阻んでいる。

天皇陛下の譲位のご意向の実現だけでなく、皇室の将来、皇統の安定的継承については、皇室問題の最高権威である天皇陛下と、その陛下が仰っているように、皇太子殿下と、秋篠宮殿下とでご検討いただくのが筋である。

にも拘らず、政府は『日本国憲法』にもGHQ『皇室典範』にも規定のない「有識者会議」で「時間をかけてゆっくり」考えるといっている。問題の核心である「無効論」を無視したままで、何に考えを巡らせるのか?そんな時間はないのだ。

『日本国憲法』は日本の「憲法」ではない、偽物である。GHQ『皇室典範』は、偽物の上に、国民によって決められる「ただの法律」である。

外国に不法に押しつけられた偽物「憲法」が、ひとつの国家の命運・存亡を左右していいはずがない。

天皇陛下が従うべきは『日本国憲法』などではなく、日本の本当の「主権」の在する「国体」のみである。

昭和天皇と今上陛下が70年余堪えてこられた「堪えがたき」こととは、この欺瞞の中に、国民が生きねばならないこと、この恐るべき禍のことである。

国民にこの禍を経験させている「万民の父母」たる陛下の御苦しみを察せよ。この禍は、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認により、今すぐ取り除かねばならない。

(2017年6月21日加筆)