心理的「主権喪失状態」__それが戦後日本の問題の本質。日本に「主権=立憲君主・天皇=国体」を取り戻す__それが『日本国憲法』無効確認の核心。__正確な現状認識だけが日本を護る②

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が有効であるという大前提そのものが、連合国の洗脳の結果である__天皇=国体主権の戦前に、連合国の言う「天皇独裁」など無かった、という事実を思い出せ

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2016年8月8日の天皇陛下の御言葉を、外交評論家の加瀬英明は「天皇によるクーデター」と呼んだ。天皇陛下が皇室典範が規定する摂政制度を退けられたことで、「天皇が法を改めるよう要求されることは、あってはならない」、と。(『孤独の人』 『WILL』10月号)

だが、天皇の権力・権威を奪い日本解体を目指す「クーデター」は、もう既に戦後70年余り、日本で進行中だ。批判されるべきは、本当の「クーデター」主犯の連合国(=米国と国際共産主義者)とそのおこぼれに与る敗戦利得者たちであって、天皇陛下では決してない。

明治の皇室典範で、天皇の譲位を認めないことを規定した当時は、まさか日本が「天皇制打倒」を目論む輩に、こうまで蹂躙されようとは、誰も想像だにしていなかった。敗戦国日本に対する連合国の無法がこれほどまでとは、日本政府も天皇ご自身すらも、予想されていなかったに違いない。

戦争の勝者に国家元首の主権を奪われながら、70年も外国占領軍擬製の『憲法』を奉戴し、また国民全てが騙され、その事実を誰も知らずにいたなどという話は、諸外国にも例がないのであるから、「英国やオランダ等での退位の状況と比較」などしても、全く意味がない。寧ろ、「英国女王は元首で主権者である」という改めて確認した事実に接して、「何故天皇陛下は日本の元首であらせられながら、主権者ではないのか」との疑問を、「日本の天皇は象徴だから」で済ませてしまう思考停止ぶりをこそ、責められてしかるべきであろう。

偽憲法である『日本国憲法』を「憲法」として戴く戦後日本は、「欺瞞の世界」であって、『日本国憲法』が無効であり、大日本帝国憲法が現存している「真実の日本」と、二層構造を成しているのである。

加瀬英明は「あってはならない」と言ったが、大日本帝国憲法下の「真実の日本」に於いては、「憲法改正の発議の大権」は天皇にこそあるのであって、天皇陛下は何も間違っておられない。

強いて言うなら、この度の天皇陛下の「ご意向の表明」とは、連合国の「クーデター」に対する「カウンター・クーデター」であったと言うべきであろう

「天皇陛下のお気持ち表明」とは、この「国家の変局」を国民に報せる「警鐘」であった。

日本人は、70余年に及ぶ連合国の洗脳によって、正気を失っている。

『日本国憲法』が制定されたとき子供であった人々__「軍国少年少女」であったろう人々が、その幼い頭に「日本は軍国主義によって悪い戦争をした」「今日からこの新しい憲法で民主主義になるのだ」と叩き込まれ、その人々に育てられた世代__生まれた時から『日本国憲法』の日本であった世代が、今、日本の支配層、権力層の中枢にいる。

『日本国憲法』の日本が、彼等にとっての「ナショナル・アイデンティティー」なのだ。

彼等にとっては、『日本国憲法』が日本の憲法であって、それが有効かどうかなどとは、考えたこともない、当然すぎることなのだ。

だが、天皇陛下と同じ世代__いわゆる「昭和一桁生まれ」の人々は、自分の親たち、実際に戦争に行った世代が、「新しい、民主的な『憲法』」をもてはやす風潮を、冷めた目で見つめていたことを、知っている。

『日本国憲法』という、文字通り「勝ち組の御輿」を我先に担ごうとしたものと、それを苦々しい思いで眺めていたものとに、占領期の日本は引き裂かれていた。

そのバラバラになりかけの日本を繋ぎ止めたのは、「人間宣言」しても尚「戦前と少しも変わらない『万民の父母』としての天皇」であった。

戦後の「欺瞞の日本社会」にあって、天皇の存在だけが、戦前と変わらず真実のままなのである。

「天皇陛下の譲位のご意向」を、「『日本国憲法』絶対教」の人々が「個人的なお気持ち」に格下げしてみせても、大多数の一般国民は、陛下のメッセージの行間に、本能的に「国家の変局」を感じ取った。9割もの国民が、「違憲」のはずの陛下の「ご意向表明」を「問題ない」と言っているのはその表れである。

だが、陛下を一番理解しサポートするべき宮内庁や、本来、経済よりも安全保障よりも「天皇陛下の御言葉」=「日本の国体の根幹」こそが優先事項であると理解すべき日本政府・国会の反応が鈍すぎる。

日本を動かす立場にある政治指導者達、その深い学識で国民を啓蒙する立場にある学者達の誰にも、「天皇陛下の仰っていることの本質は、単なる老齢による公務遂行の困難についてのお悩みにはとどまらない、日本国家の変局、国体に関する重大事である」との認識があるようには見えない。

占領軍によって、国体改変__国家の歴史と伝統の破壊__を目指して制定された『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の、法的正当性を、天皇陛下の「御言葉=警鐘」を戴いた後にも、なお、支配層・権力層の誰も問わないとは、日本が連合国の洗脳教育で、飽和状態にあることの証左であろう。

皮肉なことに、これら官僚・政治家・識者達の、陛下の国民へのメッセージに対する、鈍感で的外れなコメントの数々を読むと、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』そのものが、天皇陛下の「譲位」のご意向の実現を阻んでいる、ということがはっきりとわかる。

「連合国への服従誓約書」=『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が、どのように天皇の存在を抑圧しているか、日本の「欺瞞の戦後社会」がどのように形成されているか、箇条書きで見てみよう。

『日本国憲法』は天皇から主権を剥奪し、「象徴天皇」とした。

●「象徴天皇」を、天皇も国民も、「『万民の父母』天皇とその『赤子』国民の関係性の象徴」「日本の歴史と伝統そのものの象徴」と解釈した。これは日本の国体の解釈として正しいが、連合国の本音ではなかった。

●GHQ『皇室典範』は、明治の皇室典範と違って天皇家の「家憲」ではなく、只の法律、『日本国憲法』の下位法である。「憲法」と同格の「皇室典範」は議会の干渉を許さなかったが、GHQ『皇室典範』は、寧ろ皇位継承という日本国の根幹の問題に、皇位継承の当事者である天皇の関与を許さない皇室弾圧法、日本の国体破壊法である。

連合国の本音の「象徴天皇」とは、国政に関与を許されず、臣下たる国民にその進退を完全に任せる、無力な「飾り物」としての天皇像であった。

●「国民主権」とは、本当の「主権者」である連合国が、連合国子飼いの「戦後エリート」を操って、「主権者国民」の名を騙って行う「側近政治」のことである。

この「側近」達は、「宮内庁関係者」「政府関係者」等という匿名性に隠れ、日本政府の政策を実際に決定してゆく。

「有識者会議」も、法的根拠がなく、国民の意思を必ずしも反映しない、という点で「側近政治」である。その後ろに誰がいるのか、国民は知らない。

学者も政治家も、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が無効であるという事実から、必死で国民の目を逸らせようとしているように見える。

『日本国憲法』がアイデンティティーとなった彼らにとっては、『日本国憲法』無効論とは、自分たちのアイデンティティーを破壊するものに他ならないのであろう。

彼等の言っていることは要するにこうだ:「天皇陛下の『譲位』のご意向を実現するためには、現行『皇室典範』を改正する必要がある。そうなると議論に何年も要することになり、せっかく盛り上がってきた『憲法改正』論議に水を差す、だから特措法でお茶を濁そう」__。

だが、これは完全に本末転倒だ。

安倍政権は、何のために憲法改正したいのか?

「美しい日本を、とりもどす」ためではなかったのか?

今現在、日本が美しくないのは何故だ?

連合国の暴力に屈服し、敗戦利権の「戦後レジーム」にしがみつく、金と権力の亡者ばかりが日本の支配層・権力層に幅を利かせている。

国連総会の場で日本を「JAP」と呼ぶような、民度の低い北朝鮮から、拉致された日本人被害者を、正当な作戦行動により奪還することもできない。

祖国を護るために戦って散華した、英霊の御霊を祀る靖国神社に参拝することすら、唯物論亡者の親玉・中国と、その腰巾着・韓国の顔色を伺って自由にできない。

自分で戦うことを放棄し、米国に護ってもらう他に道はないのだから仕方がないと、経済政策も安全保障政策も、何もかも米国の言いなり。

明らかに「外患誘致」犯し放題の、極度の親中沖縄県知事や、朝鮮半島の回し者・民主党(当時)の元首相達、日本の名誉を極限まで傷つけた『村山談話』『河野談話』の責任者たちも起訴できず、中国侵略間近の尖閣に自衛隊を常駐させることもできない。

外務省を始めとする「戦後エリート」達は、連合国が占領期に犯した罪の数々を、日本に転嫁するために擦り付けた「東京裁判史観」を、きちんと検証もせずに頭から信じ込んで、日本の先人が残した歴史と伝統に泥を塗って、恬として恥じることがない。

この情けなく、醜く浅ましい「敗戦奴隷」の日本の姿を、私たち国民は、「変えたい」と、そう願った。

だからこそ、日本国民は、二度の安倍政権を誕生させたのではなかったのか?

安倍首相が、日本の為に必死でやっておられることは知っている。『日本国憲法』の始末は「無効論」によらず、「まず『9条第2項を改正』、それから『漸次改憲』することが最も『現実的』」との考えであるらしいということも…。だが、考え直していただきたい。

「天皇陛下の譲位のご意向の表明」が明らかにした問題は、「戦後レジーム」下の数ある問題の「ひとつ」ではない。戦後日本の「本質的問題」なのである。その「本質的問題」とは、

戦後日本は「主権喪失」状態であり、「国体」=「日本のアイデンティティー」をも、いま喪失しようとしている

ということである。

連合国が、天皇の主権者としての権能を、不法に、暴力により強奪したことは、許されざる罪である。その事実を隠蔽し続けることも、罪である。国家の主権侵害、国民の知る権利の侵害である。

このようなことが70年もまかり通ってきたこと自体が、連合国の日本への人種差別に根差していることを考えれば、その犯罪性は二重になる。

その犯人・連合国は、連合国自身が日本に与えた『日本国憲法』が禁ずる「検閲・言論弾圧」を以て、自らの犯行を隠匿している。

この問題を解決できるのは、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認・大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認しかない。『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の「改正」では、「本質的問題」を解決できない。なぜなら、戦後日本の問題は、全て、連合国に与えられた偽の「憲法」という「国体破壊法」、偽の「皇室典範」という「天皇弾圧法」、偽の歴史、偽の罪悪感によってもたらされている。

『日本国憲法』自体が欺瞞であるが故に、それから派生した法律も、深刻な矛盾をはらむことは当然である。

国家の根幹である憲法が、偽物であってはならないのである。

連合国の犯罪を告発し、真実の歴史を回復することでしか、戦後日本の問題は解決しない。

「『日本国憲法』は無効である」と世界に宣言すること、「連合国が押し付けた『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は無効である」と、日本が宣言「できる」ことを、世界に見せつけることの他に、敗戦国・日本が真の主権と名誉を回復する道はない。

「『日本国憲法』の改正」には、「連合国の犯罪の告発」が含まれない。そこが問題である。それでは、日本は主権を連合国に差し出したままだからである。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は、天皇の権威を低下させ、日本の国体を破壊している元凶である。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が、皇室問題=国体問題=日本国主権問題の最高権威である天皇の「意向の表明」すらも「違憲」扱いにし、国体破壊工作の阻止を阻んでいる。

天皇陛下の譲位のご意向の実現だけでなく、皇室の将来、皇統の安定的継承については、皇室問題の最高権威である天皇陛下と、その陛下が仰っているように、皇太子殿下と、秋篠宮殿下とでご検討いただくのが筋である。

にも拘らず、政府は『日本国憲法』にもGHQ『皇室典範』にも規定のない「有識者会議」で「時間をかけてゆっくり」考えるといっている。問題の核心である「無効論」を無視したままで、何に考えを巡らせるのか?そんな時間はないのだ。

『日本国憲法』は日本の「憲法」ではない、偽物である。GHQ『皇室典範』は、偽物の上に、国民によって決められる「ただの法律」である。

外国に不法に押しつけられた偽物「憲法」が、ひとつの国家の命運・存亡を左右していいはずがない。

天皇陛下が従うべきは『日本国憲法』などではなく、日本の本当の「主権」の在する「国体」のみである。

昭和天皇と今上陛下が70年余堪えてこられた「堪えがたき」こととは、この欺瞞の中に、国民が生きねばならないこと、この恐るべき禍のことである。

国民にこの禍を経験させている「万民の父母」たる陛下の御苦しみを察せよ。この禍は、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認により、今すぐ取り除かねばならない。

(2017年6月21日加筆)

フィリピン人「元慰安婦」の語る「性奴隷(?)生活」……「見張り」の日本兵は一人だけ、そしていつも慰安婦の代わりに四つん這いになって床をゴシゴシ掃除してくれた……。

マリア・ロサ・へンソン “Comfort Woman: A Filipina’s Story of Prostitution and Slavery Under the Japanese Military” を読む

maria rosa henson

兵隊さん達が毎朝の体操の時いつも「見よ東海の空明けて!」と叫んだとか、終了後には「万歳三唱」したとか、またヘンソンさんが「強制連行」されたのち無理やり「慰安婦」にさせられたという「慰安所」が「日本軍司令部の2階」にあったとか、少々不思議な記述にも出くわすが、まっさらな気持ちで読めば、1943年当時のフィリピンでの慰安所の様子がわかって興味深い。

ヘンソンさんは当時、フィリピン最大級の反日共産ゲリラ、「フク」の一員として医薬品や武器・弾薬を密輸送する役目を果たしていた。ヘンソンさんの村は丸ごとゲリラ或いは親ゲリラであり、「フク」のリーダーはヘンソンさんの母親の従兄弟であった。へンソンさんは1943年4月、 (「知らずに」とへンソンさんは言うが) トウモロコシの袋に隠した銃や弾丸を牛車に乗せて、ゲリラのアジトに運んでいて日本軍の検問に引っかかった。

へンソンさんは「検問は無事パスしたかに見えたが、呼びとめられて一緒にいた男の人は帰され、私だけ日本軍の『司令部』に連れて行かれた」という。

「尋問された」「拷問された」とへンソンさんは言うが、ゲリラの疑いをかけられていたのならそれは当然尋問するだろう。「拷問」「強姦」に関しては、日本軍に敵対していた共産ゲリラであるから、共産主義者の常套手段である「プロパガンダ」の線は常に疑ってかからなければならない。

とにもかくにも、このケースを「強制連行」「集団強姦」「性奴隷」として見ようとするには、矛盾が多過ぎる。例えば、

  • へンソンさんは「司令部の2階」で「午後2時から10時まで」「外で順番待ちする兵隊に」「強姦された」といっているが、毎回終了後は「熱いお湯で局所を洗い」「毎週水曜日に日本人軍医が検診に来た」「時々はフィリピン人の医者も来た」「生理の時には4・5日休みをもらえた」とも言っている。
  • 食事は一日三食。ご飯と黒豆、たくあん。時々茹で卵。小さなフライド・チキンがつくこともあった。時々黒砂糖の塊がもらえた。「私はそれをキャンディのようにしゃぶったり、ご飯にまぜたりした。すごくうれしかった。私はそれを自分の部屋に取っておいた」
  • 「見張りの兵隊」は「私達が欲しい時はいつでもお茶を持ってきてくれた」「お茶で顔を洗うとすべすべになるよと教えてくれた」「彼は(そこにいた7人の)全ての女達に優しかった」「朝食後はいつも部屋の掃除をしたが、彼は時々手伝ってくれた。ベッドをきれいに直し、床を消毒薬でゴシゴシ拭いてくれた。」
  • 新しく来た「タナカ大尉」はへンソンさんに「2年前フォート・マッキンリーで会ったことがあった」(慰安所か?だがへンソンさんは「2年前に『強姦された』人だ」という)「前に会ったことがあったね」といって、「タナカ大尉」はへンソンさんに優しくしてくれた。よく話すようになり、へンソンさんを「バラ(ロサ)」と呼んだ。病気になった時には自分の部屋にへンソンさんを寝かせ、薬を飲ませてくれた。上司の大佐がそれを知り、その日は休んでよいと言ってくれた。

「タナカ大尉」はへンソンさんに日本語も教えてくれ、とても優しかった。へンソンさんはその後自分の娘や孫にも「タナカ大尉」の話をした。彼女らはへンソンさんの事を本名のロラ・ロサでなく「ロラ・バラ」と呼んだ。どうみてもロマンティックな関係だったとしか思えない。

その「タナカ大尉」もある日の朝(営業時間外に)へンソンさんを急に抱き締め、「レイプ」し、「ありがとう」と言って去った。この描写はまるで恋人同士の逢引のようだが、へンソンさんは「レイプ」だったと強調する。

ヘンソンさんの母の、金持ちの地主ドン・ぺぺによる強姦被害、その結果としてのヘンソンさんの私生児としての辛い少女時代はこの上なく悲惨な身の上だ。日本兵に輪姦されたのも気の毒だ(本当なら)。

しかし、副題 [A Filipina’s Story of Prostitution] がいみじくも言うように、「慰安所」での体験はヘンソンさんが言うような「強姦」ではなく、「売春」だったのではないか?

1945年に、同じ共産ゲリラであり、その父も共産ゲリラで日本軍に殺されたというドミンゴから結婚の申し込みを受けたとき、日本兵に「強姦」されたことは打ち明けても「慰安婦」になったことだけはどうしても言いたくなかったのは、そのせいではないだろうか?

「セカンド・レイプ」だと非難されそうだが、これだけ不審な点が揃えば、鵜呑みにする前にまず検証してみるべき、と主張することは常識の範囲であろう。

ちなみにこの本が出版される2年前ヘンソンさんは民間支援団体から一時金として百万円もらっているが、そのことに言及はない。

この本の前書きを、南京大虐殺ものや「日本軍の太平洋戦争における悪行」ものでも有名なYuki Tanaka氏が書いている。へンソンさんのこの本はマニラを本拠地とするNGOのAsian Women Human Rights Councilや、Task Force on Filipino Comfort Womenなど左翼活動家集団の支援によって作られた。

慰安婦の強制連行・性奴隷状態を証明し、旧日本軍の罪を裁くのなら、彼らはまず「被害者の言うことは100%正しい」「検証の必要もない」という思い込みを捨て、へンソンさんの供述が完全に正しいことを証明しなければならない。

(2016年10月10日編集)

「慰安婦『強制連行・性奴隷』説」は完全に破綻している__慰安婦には「職業選択・廃業・外出・外泊の自由」があった。__唯一客観的に検証された朝鮮人元慰安婦・文玉珠の体験記を精読する①

慰安婦募集記事 良

「慰安婦急遽大募集」「『軍』慰安婦急募」

この募集広告をみて「カフェのウェイトレスの仕事だ」と勘違いするほど世間知らずの女性は、そうはいないだろう。なにしろ約束された給料は「月収三〇〇円以上(前借三〇〇〇円許可)」、朝鮮半島では女性の月収20円の時代に、である。(右側写真『京城日報』1944年7月26日付広告)

日本では公娼制があり(1958年全面廃止)、旱魃等に見舞われた貧しい農村部での娘達の「親孝行」の手段としての身売りは珍しいことではなかった。

ビルマ戦線楯師団の慰安婦だった私大東亜戦争当時、大日本帝国の一部であった朝鮮半島、大邱出身の文玉珠(ムン・オクチュ)も、両親が両班(ヤンバン、李氏朝鮮の貴族・支配階級)ながら、父が亡くなった後の食うや食わずの貧乏暮しに耐えかね、子供時代から「キーセン(妓生)になって、歌や踊りをじょうずにすれば金持ちになれる」と考えていた。「そのころは、女が金を稼ごうと思ったら、家業を手伝うか、このキーセンになるか、それとも身を売る女郎になるくらいしか方法はなかった」からである。

金を稼ぐため」、文玉珠は年若い時から3度、母親にも内緒で故郷を離れ働きに出ている。

文玉珠の「ビルマ戦線楯師団の『慰安婦』だった私」は、河野談話の根拠となった元慰安婦たちの証言の中で、唯一客観的検証がなされている、希少で詳細な、重要証言である。

文玉珠を1992年から3年半インタビューした森川万智子は、ビルマでの現地調査で、オクチュが「慰安婦として属していた」楯師団及び慰安所「オトメ」を知る、現地人協力者(通訳)のウ・サンぺ氏や朝鮮人慰安所経営者朴氏の証言などから、文玉珠の証言の裏付けをとった。

この資料こそを、外務省は「慰安婦合意」の際提示すべきであった。

何の検証もされていない北朝鮮の「元慰安婦」の、「日本兵は強姦して殺した慰安婦を煮て食べた」などと言う荒唐無稽な証言や、それに全面的に依拠して書かれた『クマラスワミ報告』をきちんと否定せず、「性奴隷」「強制連行」を国際社会に定着させた「日韓慰安婦合意」は、日本軍将兵と日本の名誉を棄損し、日本人全ての人権を侵害している。

以下は「ビルマ戦線楯師団の『慰安婦』だった私」から抜粋した、文玉珠の三度の「慰安所」体験の顛末である。

日本軍の「強制連行」「性奴隷」の罪の挙証たりうるか、よく考えながら読んでほしい。

1.朝鮮人夫婦に「学校に行かせる」「嫁に出す」と言われて大牟田で「子守に」

  • 一度目は12歳のとき。九州の大牟田で料理屋をしているという朝鮮人夫婦が家に訪ねてきて「商売が繁盛していて人手が足りない。子守に来てくれれば学校にもやってゆくゆくは自分の家から嫁にも出してやる」と申し出た。母は「行くな」とだけ言った。オクチュは「食べるものも満足に無い家にいるのはごめんだった」ので、釜山の役所に一人で行って「大人びた言葉遣いをして」年上に見せてまで、日本行きの許可を貰った。結局そこは、日本人経営の遊郭街にある、唯一つの朝鮮人経営の、日本人の芸者が来て働く売春宿であると判明。13歳のとき、何年か後には自分も身を売らされると知って貯金を持って逃げて帰る。

2.日本人と朝鮮人の憲兵二人と朝鮮人の刑事に道で呼び止められてそのまま満州へ

  • 二度目は16歳のとき。歩いて20分のところにある朝鮮人の友人アライハルコの家に遊びに行った帰りに、日本人の憲兵と、朝鮮人の憲兵と、朝鮮人の刑事に「ちょっとこい」と呼びとめられ、憲兵の詰め所に連れて行かれる。事務所の椅子に座らされ「住所、名前、家族」の事を聞かれた。刑事達はあちこちに電話していた。そのまま椅子に座ってうたた寝しながら夜を明かした。翌朝もう一人の朝鮮人少女と共に汽車に乗せられ、丸三日かかって満州北部の東安省(トアンショウ)へ。中国側国境の安東(アンドン)ではパスポートもなかったが、「見張り」の日本人憲兵と朝鮮人刑事、中国人警官が話をつけ、何事もなく通過できた。朝鮮人の主人のいる「グンポール」という名の「慰安所」に着き、オクチュと同じく朝鮮・大邱からきた20人ほどの女達と日本兵相手の「慰安婦」に。17歳になり、煙草を吸い酒を飲むようになり、心が荒んでいく。オクチュを特別に可愛がってくれている、帰省許可証明書を発行する権限を持つ憲兵に「母が病気だから大邱に帰って看病したい」と嘘をつき、証明書を発行してもらう。肺病を病んだ二人と仮病を使った一人と4人で列車に乗った。「兵士に貰った天皇陛下の菊のマーク付きの煙草をふかし、大声ではしゃいで笑いながら」旅していると、憲兵がしょっちゅう見回りに来る。仮病の女はばれて連れ戻された。安東(アンドン)あたりでオクチュも逃亡を疑われ詰め所に連れて行かれるが、「目の澄んだ」若い日本人憲兵が自分の家に連れ帰り、1週間一緒に過ごすことで見逃してくれた。

3.満州の慰安所で一緒に働いた友達の朝鮮人姉妹に誘われてビルマに

  • 三度目は18歳のとき。普通は3年かかるキーセン学校を1年半で修了し、お座敷やヌードモデルを経験したのち、「トアンショウのグンポールで働いたときの友達で、その時は近所に住んでいた」朝鮮人・ヒトミとキファの姉妹が「日本軍の食堂に働きに行こうよ、金もうけができるよ」と誘いに来たのだ。「その頃は、朝鮮人もみんな先を争って軍属になりたがっていた。」「軍隊の食堂で給仕か皿洗いをすれば、決まった収入があって、母に少しは仕送りできるかもしれない。キーセンよりは絶対に堅実な仕事だ。」「二日後、母には言わず、ヒトミとキファと三人で列車で釜山に向かった。いえば反対されるにきまっている。」指定された旅館に行ってみると、トアンショウで一緒だった別の二人の友達、アキミとヒフミがいた。奇遇を喜び合った。顔見知りのマツモトという朝鮮人の男と60歳過ぎの朝鮮人の男とその甥の三人が引率をした。1942年7月10日、釜山の軍専用の岸壁から150人から200人ほどの娘達(15~20人くらいに一人か二人、マツモトのような中年男がついていた)と、他に商売人のような朝鮮人の男女数十人、日本の娘5,6人、軍人6人と一緒に南洋へ向かった。船酔いに苦しむ他の女達を助けながら台湾(台湾バナナを初めて買って食べる)、シンガポール(3,4時間上陸して辺りを見学)からビルマ・ラングーンへ着いたのは2カ月後。オクチュ達マツモト・グループはマンダレーへ行くことにくじ引きで決まり、兵隊の運転するトラックで将校1人、下士官1人とともに移動。マンダレーでは庭付きの、高床式の大きな木造民家。翌朝軍人たちが大工道具を持ってきて「アッと言う間に器用に」大きな部屋を半分に仕切って部屋数を多く作り直した。その中に朝鮮人兵士がおり「だまされたんだなぁ、かわいそうに。おまえたちは間違ったよ、ここはピー屋(慰安所)なんだ」と教えてくれた。娘達は仰天し、泣いたが、オクチュは「驚くには驚いたけれど、その瞬間、ああ、やはりそうか、と妙に納得した」。マツモトは泣いている娘達に「軍人の相手をすれば金になるのだから我慢して働くこと、軍人は切符を持ってくるからそれを受け取って、一日分ずつを自分に渡すこと、朝鮮に帰るときに切符を合計した額を四分六に分けて、六分をわたしたちに渡すからしっかり働くように、等と説明した。」「まだ泣いている娘もいるけれど、わたしはもう泣かなかった。いくら泣いても同じだという事はわかっている。」「ああ、ここで戦争をやっているんだな、だから軍人たちの為に慰安所があるんだな、と思った。」

この三度の体験のうち、最初と最後は文玉珠自身の意思で行ったことが明白である。最後は「食堂で働く」と言う嘘には引っ掛かったが、オクチュもいうように、薄々気づいていたのだ。誘ってきた友人も「慰安所」経験者であり、その手口に全く不慣れなウブな娘たちではない。

問題は「憲兵たちに道で呼び止められて連れて行かれた」=「連行」という体をとっている二度目のケースだが、

  1. 「連行」=「誘拐」ならば、「憲兵隊の詰め所で『住所・名前・家族』について聞かれ、女の子たちを椅子に座らせたまま、憲兵たちはあちこち電話連絡していた」事の説明がつかない。(ケース3のときに、ヒトミとキファ姉妹について「トアンショウで『働いた』時の友達」と説明している。)
  2. 最初から最後まで、賢く、機転が利き、度胸もあるオクチュが逃げる努力をしている様子も、憲兵側が二人の少女が逃げないよう監禁・監視している様子もない。
  3. 「病気の母の看病のため帰郷したい」という希望は「オクチュを可愛がってくれていた憲兵」によって簡単に叶えられた。オクチュは他の3人の慰安婦仲間と一緒に堂々と列車に乗り「煙草をふかし、はしゃいで笑い」他の乗客から奇異の目で見られている。

つまり、オクチュは憲兵によって「連行」されたのではなく、「契約によって働いていた」のであり、「休暇を取る許可をもらって」慰安所を脱け出し、二度とそこへ帰るつもりはなかった。

オクチュら慰安婦は「外出・外泊の自由」「廃業の自由」があり、外泊許可をもらってそのまま慰安所に帰らない慰安婦を、日本軍はそれと知りつつ見逃してやっていた。

娼婦稼業という「醜業」を、「お金のため」と割り切って、逞しく働く慰安婦と、それを寧ろ優しい眼差しで見つめる日本兵の姿が、ここにはある。

 

(この文章は、2016年9月11日に一部改訂、2017年8月14日に改題しました。)