『日本国憲法』無効確認が連合国=国連の欺瞞を正し、国際法が真に機能する法治主義国際社会の未来を示す__正確な現状認識だけが日本を護る①

敵国条項があることによって、「『天皇制ファシスト国家』日本は『正義の』連合国の敵」という大嘘が「国際社会の暗黙の了解」であり続ける。

だから、国連は、敵国条項を未来永劫、絶対に外さない。ましてや、「拒否大権」という伝家の宝刀を持つ安保理常任理事国に、日本を据えたりはしないだろう。

だが、そんなものを欲しがる必要もまた、日本にはない。国連=連合国には本当の権威がないからだ。

連合国=国連が、「第二次世界大戦は『ファシスト枢軸』と『正義の連合国』の戦争だった」という明白な嘘を存在理由にしなければならないこと自体が、国連の「虚構の権威」を象徴している。「人権」という一見美しげな衣に包まれているが、その内側には黒々とした暴力至上主義が透けて見える。

日本に日中戦争・日米戦争を仕掛けた連合国の主体は、国際共産主義者であったが、第二次世界大戦の実相は、「国際共産主義者」vs「民族主義的全体主義=ナチズム」の戦いに巻き込まれた「祭祀王=天皇の国・日本」がアジア・アフリカの有色人種の代表として欧米植民地主義に抗った、ということであった。

既に欧米の植民地になっていたアジア諸国は、宗主国の軍隊に「植民地軍」として編入されて、日本に敵対することになったが、インド、インドネシア、フィリピン等では、独立戦争を戦うための軍隊の組織・訓練・武装を日本軍が行い、実際に敗戦後も数千の日本兵が残留して、ともに独立戦争を戦った。

あの戦争は、日本とアジアにとっては「大東亜戦争」であった。GHQの検閲で「太平洋戦争」と言い換えさせられ、日本とアジア諸国がともに戦った記憶は改竄されたのであった。

連合国の嘘により、日本は第二次世界大戦の悪役にされたが、それは同時に、「アジアの盟主」としての日本を叩き潰すことで、有色人種を二度と白人植民地主義国に楯突かせないためであった。

日本を骨の髄まで「敗戦奴隷」にするには、日本人の魂の象徴である天皇の権威を剥奪するのが一番である。

それが、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』制定を強制した連合国の本音である。

連合国は、日本に『日本国憲法』を制定させることで、ヒトラー・ナチスの『全権委任法』によるワイマール憲法停止よろしく、正当な日本の憲法であり、近代立憲君主国の憲法として立派に機能していた大日本帝国憲法を停止し、正統な君主であり主権者である天皇の権能を剥奪した。

のみならず、正当な天皇家の家憲である皇室典範を、同名の『皇室典範』という、臣下が恣意的に天皇のあり方を決定できる「ただの法律」と挿げ替えて、祭祀王たる天皇の主たる務めである祭祀を「天皇の私事」とし、皇室全体を統率する権能も奪って皇室運営を不可能にし、皇位継承・皇統維持の手立てさえ天皇自身が決定できない仕組みにした。

しかも、「『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の制定は、『正義の連合国』の賢き指示により、『天皇制ファシズムの強権支配と侵略的軍国主義』を反省した日本自身が行った」ということにされ、日本中、世界中が洗脳されてそれを信じた。

連合国は、原爆投下と全国無差別絨緞爆撃による、究極の暴力で恫喝しながら、日本をひれ伏させ、『日本国憲法』を遵守するよう誓わせた。

政府と行政のみならず、メディアと教育を支配した連合国は、戦後は「公職追放」によって脅迫しながら「日本人自身によって」「自主的に検閲・洗脳」を継続させた。

講和条約でも「東京裁判の判決を受け入れる」ことを誓わせた。東京裁判は「日本の戦争犯罪」など何一つ証明しなかったにもかかわらず。

これら連合国の犯罪の事実のどこにも、「正義」などない。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認は、この連合国の犯罪を全て白日の下に曝す。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認だけが、日本をこの犯罪の行われた以前の、大日本帝国憲法下の原状に回復させる。

「大日本帝国憲法は軍国主義的憲法だった」「戦前の原状とは『天皇制強権支配』だ」というのは事実ではない、連合国の洗脳による虚偽の記憶である、と、日本人は気付かなければならない。

立憲主義と、民主主義のある日本、祖国の歴史と伝統に誇りを持ち、利他の心で諸外国と友好関係を築くことのできる、私達の日本を取り戻せるのである。

連合国が、自身の犯罪を正確に認識することも、連合国自体にとっても、国際社会にとっても重要である。今のままでは、連合国=国連の謳う「自由」も「民主主義」も「人権」も、暴力至上主義者の言う大嘘に過ぎない。それでは国連は、いつまでたっても「国際社会の権威」たり得ない。

本物の権威でないから、連合国=国連は他者の振るう暴力を止められず、自身も他国の紛争への仲裁に、暴力を使うしかなく、暴力の連鎖を止めることが出来ない。

連合国=国連が自身の犯罪を認識することだけが、本当の世界平和への第一歩となる。

日本の権力者たちよ、『日本国憲法』無効論の無視・故意の不周知は、暴力至上主義・国連の無法の片棒担ぎと知れ!

(2016年9月26日・2016年12月14日改訂)

 

「慰安婦『強制連行・性奴隷』説」は完全に破綻している__慰安婦には「職業選択・廃業・外出・外泊の自由」があった。__唯一客観的に検証された朝鮮人元慰安婦・文玉珠の体験記を精読する①

慰安婦募集記事 良

「慰安婦急遽大募集」「『軍』慰安婦急募」

この募集広告をみて「カフェのウェイトレスの仕事だ」と勘違いするほど世間知らずの女性は、そうはいないだろう。なにしろ約束された給料は「月収三〇〇円以上(前借三〇〇〇円許可)」、朝鮮半島では女性の月収20円の時代に、である。(右側写真『京城日報』1944年7月26日付広告)

日本では公娼制があり(1958年全面廃止)、旱魃等に見舞われた貧しい農村部での娘達の「親孝行」の手段としての身売りは珍しいことではなかった。

ビルマ戦線楯師団の慰安婦だった私大東亜戦争当時、大日本帝国の一部であった朝鮮半島、大邱出身の文玉珠(ムン・オクチュ)も、両親が両班(ヤンバン、李氏朝鮮の貴族・支配階級)ながら、父が亡くなった後の食うや食わずの貧乏暮しに耐えかね、子供時代から「キーセン(妓生)になって、歌や踊りをじょうずにすれば金持ちになれる」と考えていた。「そのころは、女が金を稼ごうと思ったら、家業を手伝うか、このキーセンになるか、それとも身を売る女郎になるくらいしか方法はなかった」からである。

金を稼ぐため」、文玉珠は年若い時から3度、母親にも内緒で故郷を離れ働きに出ている。

文玉珠の「ビルマ戦線楯師団の『慰安婦』だった私」は、河野談話の根拠となった元慰安婦たちの証言の中で、唯一客観的検証がなされている、希少で詳細な、重要証言である。

文玉珠を1992年から3年半インタビューした森川万智子は、ビルマでの現地調査で、オクチュが「慰安婦として属していた」楯師団及び慰安所「オトメ」を知る、現地人協力者(通訳)のウ・サンぺ氏や朝鮮人慰安所経営者朴氏の証言などから、文玉珠の証言の裏付けをとった。

この資料こそを、外務省は「慰安婦合意」の際提示すべきであった。

何の検証もされていない北朝鮮の「元慰安婦」の、「日本兵は強姦して殺した慰安婦を煮て食べた」などと言う荒唐無稽な証言や、それに全面的に依拠して書かれた『クマラスワミ報告』をきちんと否定せず、「性奴隷」「強制連行」を国際社会に定着させた「日韓慰安婦合意」は、日本軍将兵と日本の名誉を棄損し、日本人全ての人権を侵害している。

以下は「ビルマ戦線楯師団の『慰安婦』だった私」から抜粋した、文玉珠の三度の「慰安所」体験の顛末である。

日本軍の「強制連行」「性奴隷」の罪の挙証たりうるか、よく考えながら読んでほしい。

1.朝鮮人夫婦に「学校に行かせる」「嫁に出す」と言われて大牟田で「子守に」

  • 一度目は12歳のとき。九州の大牟田で料理屋をしているという朝鮮人夫婦が家に訪ねてきて「商売が繁盛していて人手が足りない。子守に来てくれれば学校にもやってゆくゆくは自分の家から嫁にも出してやる」と申し出た。母は「行くな」とだけ言った。オクチュは「食べるものも満足に無い家にいるのはごめんだった」ので、釜山の役所に一人で行って「大人びた言葉遣いをして」年上に見せてまで、日本行きの許可を貰った。結局そこは、日本人経営の遊郭街にある、唯一つの朝鮮人経営の、日本人の芸者が来て働く売春宿であると判明。13歳のとき、何年か後には自分も身を売らされると知って貯金を持って逃げて帰る。

2.日本人と朝鮮人の憲兵二人と朝鮮人の刑事に道で呼び止められてそのまま満州へ

  • 二度目は16歳のとき。歩いて20分のところにある朝鮮人の友人アライハルコの家に遊びに行った帰りに、日本人の憲兵と、朝鮮人の憲兵と、朝鮮人の刑事に「ちょっとこい」と呼びとめられ、憲兵の詰め所に連れて行かれる。事務所の椅子に座らされ「住所、名前、家族」の事を聞かれた。刑事達はあちこちに電話していた。そのまま椅子に座ってうたた寝しながら夜を明かした。翌朝もう一人の朝鮮人少女と共に汽車に乗せられ、丸三日かかって満州北部の東安省(トアンショウ)へ。中国側国境の安東(アンドン)ではパスポートもなかったが、「見張り」の日本人憲兵と朝鮮人刑事、中国人警官が話をつけ、何事もなく通過できた。朝鮮人の主人のいる「グンポール」という名の「慰安所」に着き、オクチュと同じく朝鮮・大邱からきた20人ほどの女達と日本兵相手の「慰安婦」に。17歳になり、煙草を吸い酒を飲むようになり、心が荒んでいく。オクチュを特別に可愛がってくれている、帰省許可証明書を発行する権限を持つ憲兵に「母が病気だから大邱に帰って看病したい」と嘘をつき、証明書を発行してもらう。肺病を病んだ二人と仮病を使った一人と4人で列車に乗った。「兵士に貰った天皇陛下の菊のマーク付きの煙草をふかし、大声ではしゃいで笑いながら」旅していると、憲兵がしょっちゅう見回りに来る。仮病の女はばれて連れ戻された。安東(アンドン)あたりでオクチュも逃亡を疑われ詰め所に連れて行かれるが、「目の澄んだ」若い日本人憲兵が自分の家に連れ帰り、1週間一緒に過ごすことで見逃してくれた。

3.満州の慰安所で一緒に働いた友達の朝鮮人姉妹に誘われてビルマに

  • 三度目は18歳のとき。普通は3年かかるキーセン学校を1年半で修了し、お座敷やヌードモデルを経験したのち、「トアンショウのグンポールで働いたときの友達で、その時は近所に住んでいた」朝鮮人・ヒトミとキファの姉妹が「日本軍の食堂に働きに行こうよ、金もうけができるよ」と誘いに来たのだ。「その頃は、朝鮮人もみんな先を争って軍属になりたがっていた。」「軍隊の食堂で給仕か皿洗いをすれば、決まった収入があって、母に少しは仕送りできるかもしれない。キーセンよりは絶対に堅実な仕事だ。」「二日後、母には言わず、ヒトミとキファと三人で列車で釜山に向かった。いえば反対されるにきまっている。」指定された旅館に行ってみると、トアンショウで一緒だった別の二人の友達、アキミとヒフミがいた。奇遇を喜び合った。顔見知りのマツモトという朝鮮人の男と60歳過ぎの朝鮮人の男とその甥の三人が引率をした。1942年7月10日、釜山の軍専用の岸壁から150人から200人ほどの娘達(15~20人くらいに一人か二人、マツモトのような中年男がついていた)と、他に商売人のような朝鮮人の男女数十人、日本の娘5,6人、軍人6人と一緒に南洋へ向かった。船酔いに苦しむ他の女達を助けながら台湾(台湾バナナを初めて買って食べる)、シンガポール(3,4時間上陸して辺りを見学)からビルマ・ラングーンへ着いたのは2カ月後。オクチュ達マツモト・グループはマンダレーへ行くことにくじ引きで決まり、兵隊の運転するトラックで将校1人、下士官1人とともに移動。マンダレーでは庭付きの、高床式の大きな木造民家。翌朝軍人たちが大工道具を持ってきて「アッと言う間に器用に」大きな部屋を半分に仕切って部屋数を多く作り直した。その中に朝鮮人兵士がおり「だまされたんだなぁ、かわいそうに。おまえたちは間違ったよ、ここはピー屋(慰安所)なんだ」と教えてくれた。娘達は仰天し、泣いたが、オクチュは「驚くには驚いたけれど、その瞬間、ああ、やはりそうか、と妙に納得した」。マツモトは泣いている娘達に「軍人の相手をすれば金になるのだから我慢して働くこと、軍人は切符を持ってくるからそれを受け取って、一日分ずつを自分に渡すこと、朝鮮に帰るときに切符を合計した額を四分六に分けて、六分をわたしたちに渡すからしっかり働くように、等と説明した。」「まだ泣いている娘もいるけれど、わたしはもう泣かなかった。いくら泣いても同じだという事はわかっている。」「ああ、ここで戦争をやっているんだな、だから軍人たちの為に慰安所があるんだな、と思った。」

この三度の体験のうち、最初と最後は文玉珠自身の意思で行ったことが明白である。最後は「食堂で働く」と言う嘘には引っ掛かったが、オクチュもいうように、薄々気づいていたのだ。誘ってきた友人も「慰安所」経験者であり、その手口に全く不慣れなウブな娘たちではない。

問題は「憲兵たちに道で呼び止められて連れて行かれた」=「連行」という体をとっている二度目のケースだが、

  1. 「連行」=「誘拐」ならば、「憲兵隊の詰め所で『住所・名前・家族』について聞かれ、女の子たちを椅子に座らせたまま、憲兵たちはあちこち電話連絡していた」事の説明がつかない。(ケース3のときに、ヒトミとキファ姉妹について「トアンショウで『働いた』時の友達」と説明している。)
  2. 最初から最後まで、賢く、機転が利き、度胸もあるオクチュが逃げる努力をしている様子も、憲兵側が二人の少女が逃げないよう監禁・監視している様子もない。
  3. 「病気の母の看病のため帰郷したい」という希望は「オクチュを可愛がってくれていた憲兵」によって簡単に叶えられた。オクチュは他の3人の慰安婦仲間と一緒に堂々と列車に乗り「煙草をふかし、はしゃいで笑い」他の乗客から奇異の目で見られている。

つまり、オクチュは憲兵によって「連行」されたのではなく、「契約によって働いていた」のであり、「休暇を取る許可をもらって」慰安所を脱け出し、二度とそこへ帰るつもりはなかった。

オクチュら慰安婦は「外出・外泊の自由」「廃業の自由」があり、外泊許可をもらってそのまま慰安所に帰らない慰安婦を、日本軍はそれと知りつつ見逃してやっていた。

娼婦稼業という「醜業」を、「お金のため」と割り切って、逞しく働く慰安婦と、それを寧ろ優しい眼差しで見つめる日本兵の姿が、ここにはある。

 

(この文章は、2016年9月11日に一部改訂、2017年8月14日に改題しました。)

 

「一億総前科者」、もうやめませんか?

日本人が如何にのほほんと平和に過ごしていようがお構いなく、世界の人々は「日本は第二次世界大戦でアジアを侵略した。アジア人女性を拉致して性奴隷にした」と思っている。学校の授業で中高生にそう教えている。

世界の人々にとって、日本人は「今は更生した残虐非道な前科者」なのだ。

日本人は御人好しだから「気にしない」で済むと思うかもしれない。だが、大半の日本人が知らないうちに着せられている「道徳的下層民族」の汚名は、未来永劫・子々孫々日本人について回るのである・・・日本人が自ら声をあげて「私達は犯罪者ではない!」と言わない限り。

日本が現在その「道徳的・政治的最下位」に置かれている所謂「戦後レジーム」の役割というのはつまり、

「第二次世界大戦の戦勝者である連合国(特に国連安全保障理事会常任理事国・米英仏ロ中)が、永遠に『戦勝国』という特権階級に収まり他国を収奪したい。その為には、大戦中彼らの植民地を解放する等してその邪魔をした日本は『己の犯した罪を反省しない前科者』として永遠にその『罪科』を忘れぬよう釘を刺し続けなければならない」

ということである。だがその日本が犯したという「罪科」とは何か?日本は本当にそんな罪を犯したのか?答えは「否」である。

ナチスは戦争と関係ないところでホロコーストという民族浄化政策を行い、主としてその罪をニュルンベルク裁判で裁かれ、「人道に対する罪」によって12人が死刑、7人が終身禁錮刑となった。(注;無罪放免も3人) ここで特筆すべきは、ドイツは国家としては裁かれていない、ということである。裁かれたのはあくまでもナチス、ゲシュタポ(秘密警察)、ナチ親衛隊、保安隊という犯罪団体のみである。翻って・・・

東京裁判によって連合軍は日本国を、一般市民さえ含めた「全体として」裁いた。

「日本軍の中国大陸における最悪の所業」といわれる『南京大虐殺』を例にとろう。

中支那方面軍を率い南京攻略戦を指揮した松井石根大将は、東京裁判で『南京大虐殺』の責を問われた。訴因は以下の二つ。

訴因54:残虐行為の命令・認可または許可

訴因55:戦時国際法遵守と違反行為防止の徹底不行届

松井石根大将は、他の訴因(米英蘭支ソへの戦争行為)とともに 「訴因54:残虐行為の命令・認可または許可」では不起訴になった。

東京裁判は、日本軍当局が『南京大虐殺』を命令したことを証明できなかったのである。

にも拘らず、松井大将は「訴因55:戦時国際法遵守と違反行為防止の徹底不行届」で有罪とされ死刑になった。東京裁判の冒頭陳述で日本の行為を「文明に対する挑戦」と呼んだ主席検察官ジョゼフ・キーナンですら、『なんという馬鹿げた判決か!松井の罪は部下の罪だ。終身刑がふさわしいではないか』と憤ったという。

軍当局からの命令の事実が無かったとなれば、それはつまり『南京大虐殺』は松井大将の部下の「兵隊達が勝手にやった」ということになり、中国共産党が日本の世論分断の為よく使う「二分論」=「日本の中国侵略は支配階級である軍国主義者・帝国主義者の仕業であるから、日本軍の下級兵士は上官の命令に従っただけで、一般の日本人や中国人民と同じ被害者である」を完全否定している。

東京裁判は「『南京大虐殺』は支配層の日本軍国主義者でなく普通の日本人である兵隊達がやった」といっているのだ。

では、『南京大虐殺』はあったのか?

否、『南京大虐殺』などなかった。『バターン死の行進』も『田中上奏文』も『満州事変』も『中国侵略』も、東京裁判でその存在が証明されることはなかった。つまり、プロパガンダであった。

連合国は占領中、日本を「巨大な捕虜収容所」(マッカーサーの言)に変え、緻密な検閲による完全な言論統制を敷いたうえで、直接統治・公職追放・戦犯裁判の恐怖で天皇及び日本政府以下全ての日本人を強圧下におき、日本の歴史・文化・伝統の全てを否定し、東京裁判で連合国が決めた「日本人の犯罪」をWar Guilt Information Program という洗脳によって信じ込ませ、「自分達は犯罪者だから連合国の定めた憲法によって永久に武力を放棄せねばならない」として、明治維新の独立自尊の憲法である大日本帝国憲法を『日本国憲法』というものに『改正した』と騙した。

これは新しいタイプの「植民地経営」である。

日本国は独立しているようで独立出来ていない。自由に泳ぎ回っているようで、実は連合国の「戦後レジーム」という名の水槽の中で生殺与奪の権を握られているのだ。

この状況を打破し「戦後レジーム」から脱却するために必要なことは以下の通り。

1. 『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認・大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認

2. 東京裁判・『太平洋戦争史』への反論

3. 大東亜戦争と大東亜共栄圏の真実を周知

4. 以上の国民運動による推進

要するに、日本人が知らされていない事実・歴史の真実を、国民全員で取り戻そう、という話である。大日本帝国憲法現存確認によって、自衛隊は自動的に「国防軍」になり、「スパイ防止法」も「緊急事態法」も帝国憲法に準じて用い適時改正すれば足りる。

何より、日米同盟は対等化に向かい、日本の制空権問題集団的自衛権問題も解決する。

領土問題拉致問題も遙かに容易に対処・解決できるようになる。

生け簀の魚が飛び出して大海に戻ってしまえば、それは魚屋は怒るであろうが、魚にも元の棲み家の大海で泳ぎ回る権利があろう。

日本が真実を突きつけて困るのは、日本軍の援助によって独立した東アジアの植民地の宗主国達、極東の地に暗躍し日本を戦争に引きずり込んだ共産主義者達・・・。70年もの長きに亘って洗脳下にあった日本人は「アメリカが許さない」「中国との関係が悪化する」と真の独立を掴むのに二の足を踏むかもしれない。

だが、連合国が第二次世界大戦の開戦責任数世紀に亘る過酷な植民地政策、そして日本への占領政策の違法性を反省しないなら、国際社会に明るい未来はない。旧連合国による国際法の濫用、悪用、蹂躙と、国際機関の私物化・宣伝活動を指摘・糾弾しないなら、世界はテロや戦争を根絶する討議の席すら設けることを得ず破滅するだろう。

この問題は日本の誇りと誠の問題であり、同時に世界平和への希求の問題なのである。

(2017年10月9日、旧題「日本は侵略国家ではない。東京裁判を見直し、大東亜戦争の真実を、日本の誇りを、取り戻す。」を改題しました。)