「『日本国憲法』を改正」では、日本人が失わされた国家観も、誇りも、真実の歴史も取り戻せない
例え改正し、前文や9条を取り除いたところで、『日本国憲法』を憲法として戴いているという事実__「日本が連合国=米国の属国である」という「呪文」を自らにかけ続けている、という事実__になんら変わりはない。
なぜなら、私達の国「日本国」とは「大日本帝国」のことであり、私達が戴く憲法は『大日本帝国憲法』であるという真実を、『日本国憲法』という「偽憲法」が隠しているからである。
スタジオ・ジブリの人気アニメ『千と千尋の神隠し』には、人の本当の名を奪ってその人を支配する魔女が登場する。本当の名を奪われ、新しい名を魔女に与えられた人は、自分の本当の名を忘れてゆき、その名で歩んだ過去の人生の記憶をすっかり忘れると、魔女に全人格を支配され、奴隷にされてしまう。
連合国は「プレス・コード」という名の検閲__徹底した言論の大弾圧__のもと、日本から「大日本帝国」という名を奪い、日本が日本とアジアの国々の自由の為戦った「大東亜戦争」の名を奪い、日本人が崇敬する天皇の大権をことごとく簒奪して無力な「象徴天皇」とし、日本の悠久の歴史__日本人の誇りの源泉__である万世一系の天皇と、その臣民を、今もなお丸ごと支配している。
連合国は「自由なる世界人民の正義が裁く」と謳う東京裁判という偽裁判で、日本軍と日本政府、日本人全体に数々の冤罪を被せ、「一億総戦争犯罪人」のいわれなき汚名を着せた。
100万人余の無辜の人命を奪った日本全国への焼夷弾爆撃、広島・長崎への原爆投下は「東京裁判で明らかになった日本の犯罪への正当な報復・処罰」である、と世界と日本の人々に思い込ませるのが東京裁判の主たる目的であったが、検閲でこれら連合国側の戦争犯罪に言及することを禁止することで、自らの無法の自覚を曝した。(GHQ検閲項目の詳細については、本ブログ別稿:『「日本人の魂の武装解除」:GHQ検閲リスト30項目で連合国が隠したかったこと』を参照されたい)
天皇と日本国政府に対し、GHQは「米軍の圧倒的・破滅的破壊力を日本国本土全体・日本国民全体に対しいつでも使用することができる」「天皇制を廃絶する」「天皇の命を保証しない」とそれぞれを脅迫し、「有条件降伏」の事実を「無条件降伏」にすり替え、国際法上「一部占領」のみの占領権限を「全部占領」にすり替えた。
表向き「一部占領=間接統治」を謳いながら、その実「全日本列島は我が強制収容所」とマッカーサーが誇る、強権による「全部占領=直接統治」が行われた。
このように、GHQは数々の無法・違法行為を犯しながら、それらを徹底検閲で隠蔽し、且つNHKや新聞社など日本の全メディアを制圧し日本国民と世界の人民を洗脳した。
連合国は、「正義と民主主義の連合軍が打ち負かした日本は『悪の帝国』だった」という自己正当化の虚構を全世界に向けて宣伝した。
有色人種の国でただ一つ、欧米列強の植民地化を拒絶したうえ、近代国家化に成功し、あまつさえ中国・ロシアというユーラシア地域の2つの大国に打ち勝ってしまうほどに、国力を増進させた生意気な国、日本。
2600年以上も連綿と続く、比類なき万世一系の天皇を「至高の権威」として戴き、その統率のもと、心を一つにして勇敢に戦う大日本帝国の将兵はもとより、銃後の臣民、女子供に至るまで、誇りにその瞳輝く__。
アジアで、アフリカで、アメリカで、有色人種日本人の活躍に、喝采を送る声は膨れ上がってきていた。
「この日本人の心を折らねば。」
本当の侵略者、植民地搾取者である連合国・欧米列強の黒い腹の底もまた、一つの同じ考えで共通していた。
日本人の魂の永遠の武装解除。そのための呪いの軛。それが『日本国憲法』の正体である。
『日本国憲法』の基本精神は、「神国日本の『誇り』の否定」「万世一系の天皇の『独裁者の台頭を許さない統治』の否定」「営々と築かれてきた日本文明・伝統と歴史の否定」である。
日本的な生活態度に至るまで、すべての日本文化・日本精神を悪しきものとして断罪し、日本文化・伝統の対極にある国際共産主義の理念をバック・ボーンに誕生した『日本国憲法』は、その後ろ暗い生い立ちを隠すため、虚構・捏造・無法でもってその成立過程を糊塗されねばならなかった。
かくして、戦後70年を経過するも、連合国とその追従者が、尚も隠蔽し続けねばならない無法の数々は、その淵を覗き込む者にはハッキリとその姿を曝す。
以下に、菅原裕『日本国憲法失効論』・小山常実『憲法無効論とは何か』・南出喜久治『とこしへのみよ』による『日本国憲法』『GHQ皇室典範』の無効理由を、著作別に挙げる。

菅原裕『日本国憲法失効論』
■1 . 時期の問題 「およそ立法は、国民の自由、冷静なる意思の下に行わるべきことは申すまでもない。いわんや国家の最高組織法たる憲法の改正においては、国家主権が完全でかつ国民の意思が自由であることは、絶対的に必要な条件である。しかるに国家が、敵軍の占領下にあるときは、国家主権も完全でなく、国民の意思も自由でなく、国家意思の表現も自由でない。したがって占領中に、国家の基本法である憲法を、制定したり、改正したりすべきでないことは他言を要しない。故にかりにそれがなされたとしても当然無効であることは、憲法法理上、一点の疑いをもいれないところである。」(p.31)
「帝国憲法第75条に、摂政時代の憲法改正を禁じたのも、(中略)国家の状態が、正常かつ平穏でなければ、憲法の改正を、なすべきではないという、憲法法理の大原則を示したものに他ならぬ。」(p.32) 「世界の憲法の立法例は、通常憲法の改正時期や方法について、ことさら、制限規定を設けたり、無効原因を列挙したりしないのが、一般的であるが、特殊の国においては、過去の体験によって、特記しておいた方が適当とするものに関しては、注意的に規定しておるものもある次第である。故にかかる特記のない憲法においては、自由に改正し得るように解すべきではないことはもちろんである。」(p.33)
「(占領下)日本の政府機構は、占領軍の間接統治の手段として利用されるべく、占領管理機構として、占領軍の下部組織に、編入された」「占領軍の日本管理の法体系は、当初は、占領独特のポツダム政令と、天皇の統治権を制限した帝国憲法に基く法令との二本建てでやっていたが、後では、改正名義で、日本固有の帝国憲法を廃棄して、それに代わる日本国憲法という、憲法を僭称する占領管理法を制定せしめたので、結局最高司令官の独裁専制を、法的にも確立したことになった」「この偽憲法の上に、占領軍の超憲法的軍権が、厳然と控えて、管理政策は進められた」(p.33)
■2.方法の問題 「占領軍は、占領下において、日本国民の抗拒不能の状態に乗じて、更に強度の圧迫を加え、日本国政府ならびに諸機関の意思を抑圧し、最高司令官の至上命令として、わずか一週間で書き上げた英文の民政局草案を骨子として、日本の関係者をGHQに缶詰にし、徹夜して一日半で、日本政府の改正要綱を作成させ、それを議会に提出させて、憲法改正を強行した」(p.42)
「美濃部達吉顧問官は『帝国憲法第七十三条によって、こんな改正を行うことは、法理上不可能である』と主張して最後まで反対し、ついに唯一人起立をされなかった」(p.44)
■3. 内容の問題 「いやしくも憲法の基本たる国家組織の根本を変革することが、その憲法の改正規定の範疇に属しないことは、当然首肯さるべき事理である」「現行の日本国憲法自体が、いわゆる改正の限界を逸脱して、帝国憲法の根本をなし、立国の大本を規定した、第一条ないし第四条を、抹消して改正されたものであることを、反省すべきであろう」(p.51)
「我が国は万世一系の天皇を仰て終始し、天皇を以て統治権の主体なりと為す観念は歴史の成果、国民の確信にして千古動かず、憲法中、国体に関する規定ありと雖そは国体を創設したるものに非ずして唯国体を宣明したるに過ぎず、従って国体に関する憲法の規定は将来永久に其の変更を為すことを得ず、仮に之を変更したりとするもその変更は何等の効力をも発するものに非ず、即ち国体の根本は憲法の克く左右し得べき所に非ず、天皇の統治権は憲法によりて成立せず、何ぞ憲法を以て之を変更するを得んや」(清水澄博士『帝国憲法講義』p.525:カタカナ表記をひらかなにて表記、菅原裕前掲書p.52)
連合軍の「真実の目的は、日本国の崩壊乃至日本国民の奴隷的無力化にあ」り、「組織的に日本の根幹をなす民俗信仰の打破や、国体の変革に、重点を置き、道徳教育の破壊から、婦人、労働者、農民の解放に名を借る、従来の秩序の壊滅を目的とする赤色戦術までとり入れて、徹底的に実施した」(p.33)
「労働組合法制定」「日本の教育制度の行政に関する覚書」「教職員の調査精選資格決定に関する覚書」「修身、日本歴史および地理の授業の停止」「国防保安法、軍機保護法、言論、出版、集会、結社等臨時取締法の廃止」「治安警察法の廃止」「国家神道の廃止」「陸海軍の解体」「警察の治安維持力破摧」「財閥解体」「没収に等しい農地改革」「公職追放」(p.37)
■4.国際法関係 「ハーグ陸戦法規」「大西洋憲章」「ポツダム宣言」「降伏文書」違反

小山常実『憲法無効論とは何か』
■無効理由(Ⅰ)自由意思の欠如 「あらゆる法律行為は原則として行為主体に一定の自由意思があって初めて有効なものとなるし、独立国の憲法を作る行為ならば尚更、その国の自由意思が基本的に存在しなければならない。」(p.120)
■無効理由(Ⅱ)の1.明治憲法第七五条違反
■無効理由(Ⅱ)の2.明治憲法第七三条違反 「帝国議会の修正権も一切認めないのが、金森や佐々木を含めて、憲法学界の一般的立場であった」「修正権を認める美濃部学説にしても、帝国議会が発案権を持っていないことを理由に、『原案に含まれない条項に付いて修正を加へ又は新なる条項を之に加ふる』(美濃部達吉『逐条憲法精義』p.725)権限を帝国議会に認めていなかった」「ところが、天皇が発議した憲法改正案は、国体規定どころか、明治憲法の全文を廃止し、新たに全文を規定する内容であった。また、議会も、政府案の修正どころか、原案に含まれない条項を新たに提案することまで行っている。それゆえ、憲法改正限界説に立つ多数説に従っても、無限界に説に立つ佐々木学説に従っても、『日本国憲法』は明治憲法第七三条違反の手続きで作られた無効憲法ということになるのである」(p.123)
■無効理由(Ⅲ)の1.ポツダム宣言及びバーンズ回答違反 「『日本国憲法』は、第一に占領初期に、第二に政体だけでなく国体までも改正の対象としたし、第三に天皇とその政府も、国民の代表とされる帝国議会も完全統制した上で、つくられた」(p.126)
■無効理由(Ⅲ)の2.ハーグ陸戦法規違反
■無効理由(Ⅳ) (日本国憲法は)「保護国を目指す憲法」 「憲法とは独立国が持つものであり、自己決定できる国家の在り方を示すものである以上、『日本国憲法』は、内容面からしても総体としても無効な存在であると言わねばならない」(p.128)
■無効理由(Ⅴ)自然法違反 「第九条②の規定が自然法または条理に違反している」「国家は自衛戦争をする権利を保持し、自衛のための戦力を保持して初めて、対外主権を維持することが出来る」(p.128)
■無効理由(Ⅵ)国体法違反 「明治憲法制定以前から、成文法の如何にかかわらず、日本には国体というものがある。国体とは、〈日本国家の歴史上、万世一系の天皇が国家最高の地位にあり続け、国家権力の正当性・正統性を保障する最高の権威であり続けたこと〉を意味する。この国体は、少なくとも千五百年以上の重みを持ったものであり、日本国が守り続けなければならないものである。ところが、『日本国憲法』は、天皇から政治的権威を奪い、象徴天皇制を採用した。明らかに、象徴天皇制は、国体法違反と言えよう」(p.129)
■無効理由(Ⅶ)「日本国憲法」成立過程史の歴史捏造 「成立後の政治・教育面についていえば、社会党を中心とする議員たちも、衆議院小委員会議事録を一九九五(平成七)年まで秘密にし続けることで、GHQは議会による自由な審議と修正を許した、とする虚構を守り続けてきた。また、(中略)憲法学も公民教科書も、一貫して『日本国憲法』成立過程について史実を隠し続けてきた。」(p.129)
「しかも、一九九五年以降はなおさら、国民一般は、全くデタラメな『日本国憲法』成立過程史を教え込まれていることに注目されたい。いや、政治家さえも、正確な成立過程史を把握していないであろう。正確な情報が国民一般に明らかにされていないわけだから、時効・追認・定着のための期間は進行しようがないのである。」(p.129)

南出喜久治『とこしへのみよ』
■無効理由その一 〈改正限界超越による無効〉 「当時の憲法学界の支配的見解は、国体を破壊する典憲の改正はできないとする典憲の『改正限界説』であった。」「立憲主義は、憲法改正限界説と一体のものと理解されてきた」「改正によっては変更し得ない典憲の根本規範(規範国体)の領域にまで踏み込んで、その改正権の限界を超えてなされたものであるから絶対無効である」(p.79)
■無効理由その二 〈「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」違反〉
■無効理由その三 〈軍事占領下における典憲改正の無効性〉 「ポツダム宣言(は…)我が軍の一部の地域を占領し、その地域内における統治権を制限することを限度とする『一部占領』の趣旨であり、国土全部を占領し、統治権自体の全部の制限、即ち、『全部占領』を意味するものではなかった。」「我が国は、独立は喪失したものの連合国の『被保護国』の地位にある国家として講和条約を締結しうる当事国能力は降伏後も存続した」「(にも拘らず)我が国は、その全土が連合国の軍事占領下に置かれたが、統治権が全面的に制限されることを受忍してポツダム宣言を受託したのではないから、その後になされたデベラチオ(直接統治)に近い完全軍事占領は国際法上も違法である。」(p.87)「(占領軍は)公職追放(…)ニ・一ゼネスト中止命令(…)選挙干渉、議会審議干渉、法案制定指示、財閥解体、宮家皇籍剥奪(…)、ありとあらゆる事象において、実質的にはデベラチオ(直接統治)を実施」「ポツダム宣言の結語に『右以外の日本国の選択は、迅速且完全なる壊滅あるのみとす。』と言明され、原爆投下によってジェノサイドの危機に追い込まれ」「皇室を廃絶するという強迫も加わった状態が継続する中で、(…日本政府は)遂に抵抗を諦めて、占領典範と占領憲法を承諾したのである。」(p.89)
■無効理由その四 〈帝国憲法第七十五条違反〉 「伊藤博文著『憲法義解』の第七十五条の解説によれば、『恭(つつしみ)て按ずるに、摂政を置くは国の変局にして其の常に非ざるなり。故に摂政は統治権を行うこと天皇に異ならずと雖、憲法及皇室典範の何等の変更も之を摂政の断定に任ぜざるは、国家及皇室に於ける根本条則の至重なること固(もと)より仮摂の位置の上に在り、而して天皇の外何人も改正の大事を行うこと能わざるなり。』とあり、この規定が国の変局時に関する『例示規定』であることを認識している」(p.91)
■無効理由その五 〈典憲の改正義務の不存在〉 「ポツダム宣言には、帝国憲法と明治典範の改正を義務づける条項が全く存在しなかった。もちろん、降伏文書にもそれを義務づける規定はなかった。」(p.99)「ポツダム宣言を起草した『三人委員会』(国務長官代理ジョゼフ・グル―、陸軍長官ヘンリー・スティムソン、海軍長官ジェームス・フォレスタル)の一人であるジョゼフ・グル―(元駐日大使)は、後になって、『新しく憲法を制定するというような根本的、全面的な憲法改正は考えられていなかった』と述懐していたのである。」(p.101)
■無効理由その六 〈法的連続性の保障声明違反〉 「昭和二十一年六月二十三日の『帝国憲法との完全な法的連続性を保障すること』とするマッカーサー声明と比較しても、『完全な法的連続性』を保障した結果にはなっておらず、改正の限界を保障した同声明の趣旨に自ら違反している。」(p.103)「法的連続性というのは、成立要件要素である合法性と正統性、効力要件である妥当性と実効性のいずれをも満たすことを意味するが、全くそのようなことになっていない」(p.103)
■無効理由その七 〈根本規範堅持の宣明〉 「ポツダム宣言受諾日の昭和二十年八月十四日の詔書によれば、『非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾』せんがためにポツダム宣言を『受諾』したものであり、敗戦後も『国体ヲ護持』すること、即ち、正統憲法と正統典範の上位に存在する根本規範である規範国体を堅持することを国家の要諦として宣明していた。」(p.104)「そして、政府は、その後においてこの『国体護持』の基本方針を撤回する宣明をした事実が全くない。それゆえ、規範国体を護持するという国家基本方針は、占領の前後において一貫して堅持されてきたことになる。従って、これを否定する宣明をすることもなく密かにこれを放棄することは許されず、あえてこれを否定する宣明をすることもなく、規範国体を否定する内容の占領典憲を制定することは、禁反言(エストッぺル)の法理に違反して無効である。」「そもそも、仮に、詔書において『国体護持』の宣明がなされていなかったとしても、規範国体に違反する規範は、いかなる形式のものであっても無効である」(p.105)
■無効理由その八 〈改正発議大権の侵害〉 「改正発議が一身専属の天皇大権であるにもかかわらず、天皇が自発的かつ自律的に改正を発議せず、天皇と枢密院を差し置いて、GHQと占領下政府によって改正案が私議され、改正大権が簒奪されたことが明らかである。」(p.106)「占領憲法の発議は、昭和二十一年二月十三日、マッカーサーが同月三日にGHQ民政局(GS)へ『マッカーサー三原則(マッカーサー・ノート)』に沿って作成を指示したことに基いて完成した英文の『日本国憲法草案』(GHQ草案)を、GHQ民政局長ホイットニー准将とケーディス大佐から吉田茂外相と松本烝治国務大臣らに手交して、これに基づく帝国憲法の改正を強制したことに始まるのであって、天皇の発議とは全く無縁のものであった。この『大権の私議と簒奪』は、『統帥権干犯』というような非難の程度を遙かに超えたものである。」(p.107)「天皇が一切関与できない発議なるものは、発議大権の侵害と言うよりも、発議大権の簒奪に他ならず、これによる改正審議も議決もすべて無効である。」「このように発議大権を簒奪してなされた改正審議において、帝国議会が修正議決した事もまた、二重の意味で憲法改正発議大権の侵害となる。」(p.108)
■無効理由その九 〈詔勅違反〉 「帝国憲法は欽定憲法であるから、告文(こうもん)、憲法発布勅語及び上諭という帝国憲法発布に際しての詔勅についても憲法典と同様に憲法規範を構成することになる。」(p.112)「その憲法発布勅語には『不磨の大典』とあり、さらに上諭には『将来若(モシ)此ノ憲法ノ或ル条章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及朕カ継統ノ子孫ハ発議ノ権ヲ執リ之ヲ議会ニ付シ議会ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外朕カ子孫及臣民ハ敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルへシ』とあることから、これは、帝国憲法改正に関する形式的要件である第七十三条とは別個に、改正のための実質的要件を定めたものと解釈しうる。即ち、その実質的要件は『紛更ヲ試ミルコト』を禁止したことであるから、占領憲法の制定という方法による改正は『紛更』そのものに該当するので無効である。『天皇といえども国体の下にある』ことから、『紛更』が明らかな占領憲法と、皇室家法の『丕基』を破壊した占領典範とは、いずれも天皇による公布がなされたといえども完全に無効であることに変わりはない。」(p.113)
■無効理由その十 〈改正条項の不明確性〉 「(上諭及び第73条にある『憲法ノ或ル条章ヲ改正』『此ノ憲法ノ条項ヲ改正』)というのは、『憲法の全部の廃止又は停止を容認しない』趣旨である。(美濃部達吉) ところが、占領憲法は、帝国憲法の各条項を改正するという手続をとらず、差換え的な全面改正を行ったのである。(…)帝国憲法と占領憲法とは条文の条項毎に一対一に対応しておらず、占領憲法の各条項が帝国憲法の、いずれの条項を改廃したのかが不明である。また、帝国憲法に規定のある機関(帝国議会、枢密顧問、行政裁判所など)や兵役の義務などを廃止するとの規定もないので、これらの機関や義務などは事実上停止されているに過ぎないこととなり、廃止されたのではないことになる。さらに、占領憲法が真に帝国憲法の改正法であれば、『大日本帝国憲法の昭和二十一年改正』として表示すべきであり、あくまでも法規名称は『帝国憲法(大日本帝国憲法)』のままであるはずである。しかし、新たにこれを『日本国憲法』と改称するとの規定すらないまま、『日本国憲法』と呼称することのいかがわしさは拭えない。」(p.115)「(公布の詔勅にも『帝国憲法』という略称が用いられているが)法文、しかも憲法の改正において正式名称を用いずに、慣例的な略取表記を用いることはあってはならないのである。それゆえ、厳密に云えば、『大日本帝国憲法』改正の公布は存在していないことになる。このような不手際は前代未聞のことであり、このことからしても、占領憲法は先帝陛下のご叡智に基づいていないことを推認しうるのである。」(p.116)
■無効理由その十一 〈典憲としての妥当性及び実効性の不存在〉 「昭和天皇は、占領典範によって『初代天皇』として選定されたのではなく、明治典範に準拠して昭和三年十一月の即位礼により第百ニ十四代天皇として践祚され、崩御されるまで一度も退位されたことはない。つまり、明治典範の廃止による退位には全く実効性がなく、占領典範の『初代天皇』ではない。そのことは第百ニ十五代天皇である今上陛下についても同様であり、占領典範は、その意味においても、皇位の継承と選定の本質に関して、いまもなお全く実効性を備えてはいないのである。」(p.118)「さらに、(…)占領憲法の核心条項である第九条には実効性がな(い。『陸海空軍その他の戦力』に該当することが明らかな)自衛隊が存続している事実は、明らかに『違憲状態』の継続であるから、第九条は実効性を完全に喪失している。そして、第九条に実効性がないのであれば、これと一体となる占領憲法全体についても実効性がないのである。」(p.119)
■無効理由その十二 〈政治的意志形成の瑕疵〉 「(占領憲法の)改正過程において、プレスコード指令や神道指令などによる完全な言論統制と厳格な検閲がなされていた」「表現の自由(知る権利)は、民主社会を維持し育成する上で極めて重要な機能を有し、実質的には政治参加の機能を持っている。いわば、参政権行使の前提となる権利であって、この行使が妨げられることは実質的に参政権の行使が妨げられたと同視されるから、言論統制下での改正行為自体が違憲無効なのである。」(p.123)「(…)国民の政治的意志を決定するために不可欠な『知る権利』は全く否定されて徹底した検閲がなされた状況での帝国憲法の改正が有効と肯定されるはずはない。」(p.125)
■無効理由その十三 〈帝国議会審議手続の重大な瑕疵〉 「平成七年になってようやく公開された衆議院憲法改正委員会小委員会の議事録によると、小委員会とは名ばかりで、その審議と称するものの実態は、GHQの求めに従って、英文の翻訳を忠実に行う『翻訳委員会』の翻訳作業手続きに過ぎず、憲法改正手続きとしての実体がなかったことが明らかになった。(…つまり、)帝国憲法の改正を拒否しうることも、その改正案審議に自主性を持つことも全くあり得なかったのである。」(p.147-148)「(昭和二十一年十月六日、貴族院は審議に時間をかけて審議未了により憲法改正案を廃案にしようと画策したが、)GHQは(…)帝国議会の大時計が午後十一時五十五分を指した時に、この大時計を止めて、名目上は同日(六日)に可決させることを強要した。」(p.148)「従って、このような諸事情からすれば、帝国議会の帝国憲法改正案審議自体に実質上も手続き上も著しく重大な瑕疵があったことになり、占領下の憲法制定ないし改正としての占領憲法は、帝国憲法の改正として、かつ、実質的意味の憲法(規範国体)としては絶対的に無効である。」(p.149)
(上記南出喜久治氏の無効理由その一からその十一までは、占領典範、占領憲法共通の無効理由。その十二と十三は占領憲法固有の無効理由である。)
『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は無効である
「『憲法無効論』は感情論だ」とか「『日本国憲法には妥当性・実効性があるので有効である(天皇陛下をはじめ、内閣、国会、裁判所といった国家機能の三権が『日本国憲法』を憲法という前提で動き、いろいろな法律がそれを基に作られている)」という人がいるが、そのような人は上記三氏の無効理由に見るような、『日本国憲法』制定過程の戦慄すべき実相について無知であるか、あるいはそれらを故意に無視して「ロシアやフランスの憲法は…」と見当違いの議論に終始するきらいがある。
数学者であり思想家であった岡潔は「西ドイツは進駐軍治下の憲法というものはありえないといって毅然としてその憲法を変えることを拒否したのに、日本は唯々諾々として進駐軍治下で憲法を変えた。(…)政府はそうしなければ万世一系の皇統を断絶するぞといって恐喝されたからであって、政府はそのとき国民にはかったわけではないが、私はそれが国民過半の感情だったからであると思う。」(南出喜久治『とこしへのみよ』p.131)といったが、日本占領をめぐっての米国とソ連の確執・覇権競争の実相を知らずして、また彼らが日本に新憲法を与えたことの本当の意味を知らずして、『日本国憲法』の正体を正確に見破ることはできない。
一旦『日本国憲法』制定過程の真実を知ったなら、普通の日本の庶民なら誰でも、連合国の無法と卑怯にいまだ蹂躙され続けている我が国の実情に、悔し涙をこらえることができないであろう。
『日本国憲法』を「天皇陛下のご詔勅がついているから本物」と信じてきたのに、実はその『日本国憲法』『GHQ皇室典範』こそが、天皇の大権を簒奪し、「国民主権」という一見正しそうな、実は「『主権者』国民を支配することによって国全体を支配する」独裁主義・全体主義を招来する悪魔の思想でもって、私たちが敬愛する天皇陛下を「主権者国民の下位」に置き、天皇陛下とその御先祖・御子孫までも侮辱しているのだと知ったら…。
いったい誰がこのような代物を、詭弁を弄してまで擁護しなければならないのか?
「偽憲法」=『日本国憲法』の「有効性」を認めるかのように、その改正方式で改正してまで、おこがましい「国民主権」を守り続けなければならないのはなぜか?___そういう疑念に誰もが苛まれることであろう。
そもそも「国民主権」といいながら、マッカーサーの後任マシュー・リッジウェイは、昭和二十六(1951)年五月一日、「GHQから日本政府へ占領下法規再検討の権限を移譲する」と声明、同月六日に政令諮問委員会を設置、その後に移譲手続きとその実施をおこなった。
「主権」は『日本国憲法』公布・施行後も、この時まで日本政府をその代表者とした日本国民にはなく、GHQにあった。なんという茶番か?
また、サンフランシスコ講和条約に署名せず、当事国とならなかった連合国の一部の国とは「戦争状態が継続」しており、日本はずっと「交戦権を行使」し続けている。
『日本国憲法』の「戦力不所持・交戦権否定」は幻に過ぎない。
これでなお『日本国憲法』に実効性があると言い張る人は、左翼思想に脳髄を侵され思考が停止しているとしかいいようがない。
もしも『日本国憲法』が無効でないならば、「交戦権」を否定した『日本国憲法』では戦争行為の一環である講和条約を結ぶことはできず、サンフランシスコ平和条約が無効ということになってしまい、日本は未だ戦争状態(休戦状態)であり、「独立」できていないことになるが、そうではなく、日本は確かに講和条約を結んで法的に独立を果たした。
つまり、日本は無効な『日本国憲法』でなく、日本の憲法であり続けている『大日本帝国憲法』の、「天皇の講和大権」により講和条約を締結したのである。
日本人は、末端に至るまで向上心、向学心に満ち溢れた国民である。
「無知の知」を知り、我が国がいま置かれている、戦後ずっと置かれ続けてきた状況の真実を、『日本国憲法』の正体を、「知りたい」と、日本人なら思うはずだ。
「占領憲法」である『日本国憲法』と「占領典範」の無効確認、大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認・復原宣言を、天皇陛下にしていただくこと__即ち「日本の至高の権威」たる天皇の無効確認・復原宣言だけが、我等日本人皆に、「無知の知」を謙虚に思い知らせてくれるのである。
『日本国憲法=占領憲法』と『GHQ皇室典範=占領典範』の無効を宣言し、同時に大日本帝国憲法・明治の皇室典範復原宣言を。
その日を日本の真の「独立記念日」として、歴史に「戦後レジームからの完全脱却」を刻む。
(2016年10月5日、2017年9月6日に加筆しました)