「天皇が憲法。天皇が国体。天皇が日本。」天皇との相互の信頼に依って立つ国民と天皇観を異にする政府・有識者会議が、絶対に手を触れようとしない「日本国憲法無効論」という名の「パンドラの箱」__正確な現状認識だけが日本を護る⑤

「天皇の譲位の実現」とは、「平成の大政奉還」に他ならない___権力濫用の隠れ蓑にしか使われていない「国民主権」を、「国民の総意」で天皇にお返しし、「万民の父母」「祭祀王」天皇を冠する日本型立憲君主制に立ち返る

唯一法的に正当な道__『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認と、大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認が、天皇の譲位を完全な形で実現し、機能不全に陥った日本政治を救う

「共和制」の『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が、天皇に「天皇本来の在り方をさせていない」という真実を、「象徴天皇」という玉虫色の言葉が、マジック・ミラーのように隠している

「日本国憲法無効論」の存在を国民に周知しないまま、天皇陛下のご意向を「特例法」によって「違憲の退位」という形で曲げてしまうことは、天皇と日本国民への愚弄であり、裏切りである

そうまでして強行される「憲法改正」は、「日本国の為」では、決して、ない。連合国の日本支配体制を、取り返しがつかないまでに永続化してしまう。「日本は侵略国家だった」という連合国の嘘を、国際社会に正すこともできず___それでもなお、「改憲」に執着するのか?


「天皇の公務負担軽減等に関する有識者会議」は、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の有効前提、「東京裁判史観」肯定前提で開催されている。これでは天皇陛下の譲位のご意向の本質・核心には全く触れることができない。

「天皇陛下のご意向」の本質である「天皇の本来的在り方」「祭祀」「国体」の問題から目をそらし、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』による「象徴天皇」「天皇の公務」の定義に無理やり整合させ、「連合国の戦後日本支配」の真実から遠ざかろうとする議論は、ひたすら泥沼にはまってゆく。

その人選を含め、安倍政権の完全統制下で「特例法の結論ありき」で開催された「天皇の公務負担軽減等に関する有識者会議」は、天皇と国民の願いを叶える為でなく、政府の「とにかく改憲」実現のため、「天皇問題を特例法でちゃっちゃと片付ける」ためのもの___3回に亘った16人の専門家ヒアリングが終了して、各人の意見が明らかになり、その確信は「plain fact(明白な事実)」へと変わった。

有識者会議メンバーとヒアリング対象の「専門家」達の意見は、4つに大別される。

■「退位」(どうしても、天皇陛下のおっしゃる「譲位」と言わない)に反対

■「退位」でなく、(天皇陛下が何年も前から何度も否定されている)「公務削減・摂政設置」で対応

■「退位」に賛成だが、(『日本国憲法』違反の)「特例法」で(陛下と国民の願いを無視して)今上陛下御一代にのみ認める

■(GHQ)皇室典範を(『日本国憲法』有効論_内閣と国会が天皇の上位にあり、天皇の進退を内閣と国会が決定する_という前提で)内閣と国会が「改正」したうえで、「退位」を認める

いずれも「『日本国憲法』無効論」無視=「連合国の日本支配体制を継続させる」立場で一致している。政府は「メンバーの思想的左右のバランスをとった人選」といったが、「連合国の日本支配体制を終わらせる」日本国憲法無効論者が一人もいない

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ただ一人、渡部昇一は『日本国憲法無効宣言』という南出喜久治との共著があり、YouTubeでも「無効論」についての南出喜久治との対談もみられるが、7月の最初の「天皇のご意向表明」報道の直後に一度「日本国憲法は本来無効だが」と言及したきり、なぜか以降は全く「無効論」を持ち出していない。それどころか、〈「退位」も「譲位」も、皇室典範に規定はない。一方で、摂政であれば、皇室典範にある。これは伊藤博文が考え抜いた制度だから、皇室典範通りで何の心配もない。〉(『第2回ヒアリング』朝日新聞2016年11月15日)と、陛下に向かって、「無効」だと渡部自身も承知しているはずの『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』を遵守なさい、とやんわりお説教を垂れている。しかも、「(そうすれば)年号も変わらないし、皇室典範にも関係なく、スムーズにいく」と、どうでもよいことを理由に挙げて、『日本国憲法無効宣言』の趣旨とは反対に、安倍政権の「とにかく改憲」をひたすら応援している。実に面妖だ。「何の心配もない」との言葉も、「頑固に駄々をこねているおじいちゃん」をなだめすかしているような調子で、優しそうに見えて、実は「譲位すべきだ」との陛下のお考えをバッサリ否定している、冷酷で失礼な物言いだ。

天皇陛下の譲位のご意向を完全な形で実現するためには、陛下も以前から仰っているように、天皇陛下ご自身が、皇太子殿下、秋篠宮殿下と相談なさってお決めになれるようにすることが必要である。

天皇の務めと皇室の問題に関して殆ど素人であり、その上「反天皇」「反日本」「反国体」の立場にある者達を含めた「内閣と国会」が、天皇の上位に位置して、「決めるのは俺たちだ」と天皇を見下ろしている現在の状況は、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』によって作り出されている。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』を、「無効確認」によって始末し、「大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認」で、改正の発議権など簒奪された天皇大権を奉還するしか、譲位を恒久的に実現する方法はないのである。

つまり、有識者会議が導いた4つのどのオプションも、「陛下のご意向を実現」したことにはならず、「不合格」だ。そもそも「公務負担軽減等に関する」という名称の有識者会議などを設けること自体が、陛下に対して途方もなく失礼である。

天皇陛下は、「公務削減」でも「摂政設置」でもなく、「譲位すべきである」という結論に、6年も前に到達されていた

そして、「その結論に対し国民の意見を聞く有識者会議」は、天皇皇后両陛下を交えた宮内庁参与会議(メンバーは宮内庁長官以外は「国民としての意見を求められて」招集された民間の識者)で、既に済まされている。

最初の大手術を受けられた2003年頃、10年以上も前から、陛下は熟考に熟考を重ねられ、2009年からは「皇族会議」の伝統に則り、皇太子殿下、秋篠宮殿下との「頂上会議」の場も持ってこられた。

2012年には心臓のバイパス手術も受けておられる。ストレスによる激痛に耐え、膨大な激務を笑顔でこなしながら、天皇陛下は6年間、「譲位」を実現させるために、文字通りの激論を重ねてこられたのだ。

陛下の命を削るようなその6年間を、しかし、安倍政権は、『日本国憲法』にもGHQ『皇室典範』にも規定のない「有識者会議」によって、「現行典憲に『退位』の規定がないから」と、無下にひっくり返して、ふりだしに戻してしまった。

失礼にも、「公務削減」と「摂政設置」という、6年前に終わっている論題を持ち出し、「特例法で今上陛下一代のみに退位を認める」という「ほぼ確定」の方針を打ち出して、「お言葉」のなかで「ひとえに念じる」と陛下が仰せられ、大多数の国民も支持した「天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくこと」という希いを、いとも簡単に粉砕して見せた。

「陛下がご高齢であることを考慮し、スピード感のある対応をしていく」と官邸は言っているが、その本音は「陛下の譲位のご意向の速やかな実現」ではなく、「面倒で何年も時間が掛かり、『改憲の邪魔』になる皇室典範改正ではなく、特例法でチャッチャと片付けてしまおう」ということである。

〈政権内には「報道各社の世論調査では特例法の支持は2割前後。皇室典範の改正が6,7割なのだから、皇室典範を改正してもいいのではないか」(首相周辺)との声も出始めてい〉たが、(朝日新聞2016年11月16日『特例法慎重論戸惑う政権 特例法限定なら…世論反発の恐れ』)有識者会議は12月7日に「退位を恒久的な制度とするため皇室典範の本格的な改正に手をつければ、論点が女性宮家の創設や女性・女系天皇の問題にも波及しかねず、法整備に数年を要する可能性がある」ため、「特例法を軸とする方向性を打ち出した」(朝日新聞2016年12月8日『退位「特例法を軸に」』『高齢による特例強調 有識者会議退位違憲論に配慮』)

「国民の意見を広く聞く」といいながら、「天皇陛下の譲位のご意向を『恒久的制度により』速やかに実現してほしい」という大多数の国民の願い=「国民の総意」を、政府はあっさり無視した。

大した「国民主権」もあったものだ。民意を全く反映しない「民主主義」は、北朝鮮の「民主主義」と変わりない。『日本国憲法』は共和制だから、それを戴く日本は既に「日本民主主義人民共和国」…恐ろしすぎて、太い字では書けない。

「皇室典範改正となれば、女性宮家・女系天皇という議論になってしまう、だから典範改正は避けたい」という議論も本末転倒だ。

女性宮家、女系天皇は現在までの皇位継承の伝統に反している。だが、男系男子の皇族の数が極端に少ない現在の危機的状況を、どう乗り切るか、それを決めるのは皇室問題の素人である我々国民ではなく、皇室問題の「識者」の頂点である天皇とその後継者でなければならない。そして、「GHQ『皇室典範』を内閣と国会が改正」ではなく、「明治の皇室典範を天皇と皇族が改正」でなければならない。

政府も有識者会議も、「天皇陛下のご意向の表明そのものが違憲だ」「天皇陛下のご意向に沿う形で退位が実現すると天皇の国政への関与を禁止する『日本国憲法』、退位の規定のない『皇室典範』に違反することになる」といって陛下をたしなめるが、当の「有識者会議」は『日本国憲法』にも『皇室典範』にも規定がない。これは違憲ではないのか?

おそらく彼等の頭の中では整合性が取れているのだろう。なぜなら、「共和制」の『日本国憲法』の下、内閣と国会は天皇の上位に位置し、天皇と皇族は、内閣と国会が決めた『皇室典範』に従わねばならないことになっているからだ。

この事実を、多くの国民は正確に認識していない。『日本国憲法』第2条「皇位の継承」に、「国会の議決した皇室典範により」とあるのを、するっと何も考えずに読み過ごしてしまい、実際にはGHQ『皇室典範』が対になって天皇と皇族をがんじがらめにしていることなど、殆どの一般国民は知らない。第4条には「天皇の権能の限界」とあって、「限界」というくらいだから「多少の制限付き」ぐらいの意味か、と思っている国民は多いだろう。

「国政に関する権能を有しない」とは、天皇の立憲君主としての大権は全て「簒奪」されたという意味であり、憲法と同位であって議会が関与できなかった皇室典範が連合国によって「憲法の下位法」とされたことは、連合国が日本の「内閣と国会」を通じて天皇と皇室を「間接統治・弾圧」できる、という意味に他ならない。

「戦後レジーム」の下、戦後日本政治はこのような『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の悪辣非道な正体を、ひたすら隠してきたのである。

やましいところがなければ、政府は今すぐ、この「『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が天皇と皇室をがんじがらめに縛っている」という事実、「そのせいで天皇陛下の譲位のご意向は、陛下のご意向通りには実現することができない」という冷酷な事実を、国民に周知すべきだ。

そして、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認という、立憲君主たる天皇と日本の主権・独立を取り戻す最速最善のオプションを、なぜ戦後の歴代内閣が周知してこなかったか、「民主主義国の国会議員」として「説明責任」を果たし、国民に納得のいくよう説明してもらいたい。

できないであろう。できるなら、とっくにやっている。「憲法改正」という困難な道よりも、ずっと簡単にできる『日本国憲法』無効確認を、講和条約締結と同時にやっていたはずである。

『日本国憲法』無効論は連合国の犯罪を告発し、同時にその共犯者もあぶり出すことになってしまう。おそらくそれは、戦後日本の政治・行政・司法・学界・教育界・メディア……支配層・権力層に関わる殆ど全ての人を巻き込む。

だから『日本国憲法』無効論は、「パンドラの箱」=「戦後日本最大のタブー」なのである。

『日本国憲法』は、「国民主権」によって実質「天皇制廃止」をしながら、そうと悟らせないための「象徴天皇制」という究極の玉虫色の言葉で偽装した、事実上の「共和制憲法」である。

天皇と皇室を弾圧するために作られた『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は、天皇を内閣と国会の下位に置き、統制する。

内閣と国会は「主権者国民の代表」という建前だが、現実には戦後日本の「真の主権者」は未だ連合国であり、日本の内閣と国会は、連合国の洗脳教育を受けた「真の主権者=連合国」の「子飼いの権力者」である。

天皇とそれを支持する国民を、連合国が「内閣と国会」を使って、占領期と同様「間接統治」しているのである。

「何としてでも改憲」「とにかく改憲」と国民をせかす安倍政権が、『日本国憲法』と対になって天皇を弾圧しているGHQ『皇室典範』の改正となると、なぜか「何としてでも阻止」の様相を見せているのは、彼ら自身が言うように『皇室典範』改正となると審議に何年もかかり、安倍政権の「悲願」である「憲法改正」が遠のいてしまうからだ。

だが、「無効確認」「現存確認」なら、法的に正当に、「即時」主権回復できる。

天皇に、改正発議権をはじめとする天皇大権をすべてお返しし、譲位のご意向も最善の形で即刻実現でき、(明治の)皇室典範の改正は天皇と皇族にお任せできる。でたらめなGHQ『皇室典範』を一から改正するより、その問題点を深く理解していらっしゃる天皇陛下と皇族方が主導して明治典範を改正する方が容易なはず。

■自衛隊は大日本帝国陸海空軍になり、安全保障・自衛権の問題も解決する。

■北朝鮮による日本人拉致被害者の奪還も実現する。

■連合国の日本国への誣告=「東京裁判史観」を告発することで、「南京大虐殺」や「慰安婦性奴隷」「強制連行」等の虚構を全世界に周知できる。中韓北の「歴史認識カード」は無意味になる。

■GHQが削除した刑法の利敵行為項目も復原して「スパイ天国」の汚名を晴らすことができる。

■日本の政治・行政を私物化して、日本国民を搾取している不逞の輩を、正当に罰することができる。

偽憲法を「無効確認」することによって、戦後日本の諸問題が、一気に解決に向かうのである。

しかも、「無効確認」「現存確認」は「事実確認」であるから、そのことについて反日日本人の集団である野党にお伺いを立てる必要もないのだ。

「改憲」によって安倍政権が達成したいことが、「日本の主権と誇りを取り戻すこと」「戦後レジームからの脱却」であるのなら、それは、「無効確認」「現存確認」によって、文字通り「即時実現」できる。野党との根回し等に掛けている時間を、もっと大事な問題の検討に使うことができる。

それなのに、なぜそこまで「改憲」にこだわり、「無効論」を無視するのか?

日本の主権回復と、日本人が願う世界に比類なき歴史を持つ皇室の安定的継承を真に望むなら、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認こそが、最速最善で法的にも正当な唯一の道。

無効論を徹底無視して、その道を自ら閉ざすということは、天皇を内閣と国会の下位に置いて統制する「戦後レジーム」の継続を、安倍政権を含めた歴代政権は、寧ろ望んできた、ということの証左である。

「戦後レジーム」「東京裁判史観」打破の核心である『日本国憲法』無効論を、「保守」「革新」に関係なく戦後のどの内閣もが無視してきたという事実は、戦後日本の権力者が、洗脳のせいとはいえ、全て連合国の「傀儡」「手下」として働かされてきた、或いは洗脳など関係なく、「戦後レジーム利権」の甘い蜜を吸ってきた、ということを意味する。

この人々を、「天皇支持」の日本国民「天皇派」に対する「連合国派」と、ここでは呼ぶ。「改憲派」も「護憲派」も、「連合国の犯罪告発」と表裏一体の「『日本国憲法』無効論」をタブー視する点で共通する、同じ「連合国派」内の2つの「分派」に過ぎなかった。

「護憲派」=「9条死守」「9条盲信」の「中国(北韓)拝跪派」と、「改憲派」=「9条だけ改正」でアメリカの思い通りに、いつでもどこへでもどんな状況でも派兵が可能な「米国専属便利屋」の自衛隊にする「米国隷従派」である。

「連合国派」は、日本のために働かない。左右の思想傾向に関係なく、「戦前の、大日本帝国憲法下の日本は悪かった」「侵略国家だった」という「連合国史観」=「東京裁判史観」に囚われているか、或いは連合国史観の嘘を知ってはいても、何らかの私的な理由で「連合国の犯罪告発」をしたくない、できない。「GHQ検閲」にひっかった者に対する形を変えた「公職追放」が、今でも有効だからである。

安倍晋三首相は、北朝鮮の日本人拉致被害者奪還のために力を尽くし、教育基本法改正にもこぎつけたほか、多くの貢献を果たした名宰相であると思う。「戦後レジームからの脱却」を掲げ、国民に大きな希望を与えた。日陰者だった防衛庁を防衛省に格上げもした。が、宮内庁は宮内省にはならなかった。また、2007年の訪米・日米首脳会談の記者会見で、ブッシュ大統領の「慰安婦問題で安倍首相が謝罪した」という発言を正すことができなかった。戦後70年談話でも、玉虫色言語でお茶を濁し、外務省の英語版では完全に「侵略の過去を認めて謝罪」してしまった。

その陰には、「日中戦争」「日米戦争」=「真珠湾」以来の外務省の暗躍があることは明白だが、安倍首相自身が「外務省畑」出身だからなのか、選挙で世話になった誰かの言いなりになっているのか、全く制御できていない。

「『日本国憲法』無効論」を無視しているのも、「現実主義者」であるらしい安倍首相の、「現実主義」に沿って少しずつ大日本帝国憲法に戻していく「漸進的改憲」なのであろうと、この「天皇陛下のご意向表明」の時まで思っていた。だが安倍政権の支持団体である日本会議は、「日本会議が『帝国憲法復元』を目指しているなど、悪質なプロパガンダだ」(日本会議広報部、2016.9.9.)とまで言って否定している。

昨年11月、安倍首相直属の機関として、意気込んで発足させ、『日本国憲法』の成立過程も検討するはずだった「GHQ占領政策・東京裁判検証委員会」が、一年間殆ど何も進展した様子がないどころか、活動の報告すらも聞こえてこないこと、また、「日本国憲法無効論」について渡部昇一とビデオ対談がある稲田朋美防衛相が、この夏の終戦記念日の靖国参拝を「禁じられた」ことも、皆繋がっているのであろうか?

だが、いま日本は危篤状態である。機能不全の日本政治は、「連合国派」の跳梁跋扈によって、機能完全停止への急勾配を転がり落ちている。

天皇陛下が譲位のご意向についての「お言葉」を、「玉音放送」で述べられたという事実に、日本人なら頬をひっぱたかれたように反応しなければならないところだ。

天皇陛下が「お言葉」で述べられたことは、いま安倍政権がやろうとしているように「ちゃっちゃと片付け」てよい類のものではない。寧ろ、経済よりも優先すべき「国の根幹」に関わる問題である。

天皇のご存在そのものが有り難い、という天皇敬慕の国民感情を逆手にとり、「天皇が連合国による訴追を免れ、『象徴』という立場で存続している」という事実だけを以て「国体護持が成った」という戦後の国民の思い込みを利用して、「『日本国憲法』は国民に支持されている」という欺瞞の陰で、国際共産主義者と「戦後レジーム」利権の受益者たちは、その権力を、私利私欲と連合国=外国の反日勢力の為に振るってきた。

天皇を「象徴」という軛で縛り、「国民主権」のおためごかしの美名で国民をたぶらかした『日本国憲法』が、権力者の専横をのさばらしてきた。

『日本国憲法』が正当化する「天皇の権威の軽視」の日本の権力層への蔓延は、政府の「特例法」ごり押しで一層悪化する。

「特例法」で「退位」すれば、陛下は9条信奉者にとっての自衛隊のように、「違憲の存在」「日陰者」にされてしまう。

「内閣と国会」が天皇の意向を無下にし、天皇支持の大多数の国民の意思も無視しようとしている、この状況こそが、『日本国憲法』による「天皇の権威の低下」「議会制民主主義の空疎化」を証明している。

「国民主権」も「平和主義」も「基本的人権の尊重」も、すべて嘘だと、内閣と国会が天皇と国民に『日本国憲法』の遵守を強要することで、証明される。

天皇陛下が、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の規定にない「譲位」のご意向を、敢えて「違憲」の恐れのある「お言葉」として表明されたことは、「この擬製の典憲を持ち続けていけば、日本は亡びる」という真実を、国民に対して指し示すことになった。

特例法は、陛下の真摯な問題提起をあたかも一人の天皇の「わがまま」であるかのように扱い、一時の「抜け道」を作るかのような印象を与えかねない安易に特例法で対応することは皇室典範の基本的法規の枠組みでも恣意的に変えられる前例となり、法的権威や規範性を損ねるのではないか〉〈宮中祭祀も天皇以外の者は中核儀式を務めることができない。昭和天皇が大正天皇の摂政を務めたのは5年間だったが、中途半端な立場の重圧でとても苦労したと聞く〉(岩井克己元朝日新聞編集委員’86~’12宮内庁担当『第2回ヒアリング』朝日新聞2016年11月15日)

〈(大正天皇の摂政設置に際し)宮内省は大正天皇の病状や能力について人間性を無視したようなひどい表現を使って発表し、摂政を置くことを国民に納得させようとした。一方、大正天皇は書類の裁可に使う御璽を侍従長に渡すことを拒んで抵抗したと側近の日記にはある。昭和天皇は会見で父親の話題をほとんど語らず、「位を奪った」というトラウマを抱え続けていたという〉〈陛下は「国民と共にある」ということを存在意義と考え、被災地訪問など公務の幅を広げてこられた。全ての公務を重要とする陛下に対し、摂政や負担軽減を持ち出すのは失礼だし、日々の行動あってこその天皇だとお考えの陛下の意思に反する〉(保阪正康『第1回ヒアリング』朝日新聞2016年11月8日)

普段左翼的と思っていた言論人の方が、このような「正論」を述べている。彼らは「GHQ皇室典範改正派」であるので、やはり「連合国派」に属し、陛下の譲位のご意向を完全に理解しているとは言えないが、それでも、「天皇問題の専門家」「保守」の学者らの言葉があまりに酷く、不敬千万のうえに、意味不明で筋が通らない分、至極真っ当に聞こえる。

天皇の自由意思による退位は、いずれ必ず即位を拒む権利につながる。男系男子の皇位継承者が次々と即位を辞退したら、男系による万世一系の天皇制度は崩壊する〉〈退位を認めれば、「パンドラの箱」が開く〉(八木秀次麗沢大教授『男系維持派 困惑 / 生前退位 政府が特措法検討』朝日新聞2016年9月10日)

(天皇の)ご存在の尊さは、男系男子による皇位継承という『血統原理』に立脚する。そこに『能力原理』を持ち込むと、能力のある者が位に就くべきだという議論になる。結果として、陛下ご自身が天皇制度の存立基盤を揺るがすご発言をなさったことになってしまう。〉〈退位は明治の皇室典範制定以来、封印されてきた『パンドラの箱』だ。たとえ一回でも退位の前例を作れば、日本の国柄の根幹を成す天皇制度の終わりの始まりになってしまう。〉〈(天皇陛下の譲位のご意向表明は)『天皇は国政に関する権能を有しない』と定めた憲法に触れる恐れがある。陛下のご意向だということで一気に進めるのは問題だ〉〈天皇といえども生身の人間であり、ご自身の考えをお持ちだ。しかし、それが公になれば政争に巻き込まれ、尊厳を汚される。憲法が政治的発言を禁じているのは、天皇をお守りするためでもある。宮内庁のマネジメント能力に問題があると言わざるを得ない〉(八木秀次『生前退位 男系維持派は / 公務縮小し臨時代行も活用を』朝日新聞2016年9月11日)

「パンドラの箱」、「パンドラの箱」と連呼しているが、よほど怖いのだろう。だが言っていることは意味不明だ。なぜ「一回でも退位の前例を作れば天皇制度の終わりの始まりになる」のか?

天皇陛下がおっしゃっているのは「個人の天皇としての能力」ではなく、「全身全霊」で祭祀を執り行うための「体力・知力」のことであろう。また、「能力のある者が天皇の位に就くべき」なのではなく、「天皇という位に就いた者しかできない祭祀がある」ということだ。

「摂政」や「公務代行」では成しえない祭祀があるということは、「摂政設置」「天皇代行」の間、事実上天皇の位が「空位」となる、ということである。この「空位」による真空状態は、内閣総理大臣の不在などには比べようもない、甚大な問題となる。陛下のおっしゃっていることの本質は、そこにある。

天皇の「体力・知力」が天皇の務めを果たすために十分かそうでないかは、天皇ご自身にしかわからないことである。ならば当然、「譲位」のタイミングは、天皇からのご意向を拝して決定されるよりほかにない。

陛下のご意向表明が違憲かどうかを言う暇に、そのような当然至極のことを規定せず、日本の国民精神収斂の要である天皇の権能・自律権を簒奪して、「日本人の精神の武装解除」をするために存在する『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の妥当性をこそ、今問題にすべきなのだ。

連合国による『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の制定自体が、「日本の国柄の根幹を成す天皇制度の終わりの始まり」である、という「明白な事実」を、日本国民は知る権利があり、日本政府は知らせる義務がある。

天皇の存在の尊さは、武力の威圧によってでなく「至高の権威」として存続してきたことにある。一つの血筋で永く存在し続けていることそれ自体に価値があり、その価値を日本人が皆で支えてきた、という歴史こそが尊いのである。天皇とはその尊い「日本の永続性の象徴」である。

天皇をお護りしよう、天皇のお言葉に従おうという気持ちのないものは、もう「日本人」を捨てている。日本が日本でなくなって、「米国の51番目の州」「中国日本自治区」となっても、全然構わないのだろう。彼らが争っているのは、米国と中国のどちらを「宗主国」として仰ぐか、ということだけだ。そんな人間たちに天皇陛下の進退の決定を任せている現在の状況に、非常な不安と焦燥を覚える。

古川隆久は、2011年に「サントリー学芸賞(政治・経済部門)」を受賞した『昭和天皇』という著書のある学者であるが、その著書も今回のヒアリングでの意見も、「『日本国憲法』は、悪かった戦前の制度(=天皇による統治=大日本帝国憲法)を反省した日本国民の自由意思によって、日本国民自身が定めた『民定憲法』である」という間違った「大前提」に立っている

今の質と量の公務ができないなら退位するということが前例化すると今後の公務のあり方が縛られる。例えば健康状態の悪い天皇は退位すべきだとの風潮が生じれば、皇位継承が不安定になる。〉〈大前提として、国民主権の下、世襲の天皇を国の象徴にすると憲法で定めたのは我々国民だ戦前、天皇の権威を笠に着た軍部や官僚によって国民の自由な議論が制限され、最悪の事態となったその反省の上に現在の象徴天皇制がある。〉〈天皇制を続けるうえで、今の終身在位制度のままの方が退位の強制といった問題を防ぐことができ、無難と考える。〉〈退位した天皇が公務を続けると、国民の注目が集まり、現天皇の象徴性が薄らぐ。完全引退すべきで、極論を言えば皇籍離脱という選択肢も検討すべきだ。称号も「上皇」「太上天皇」とすれば権威が生じかねないので、シンプルに「前天皇」「元天皇」でよい〉(古川隆久 日大教授『生前退位 ヒアリング出席者に聞く 国民自ら冷静に判断』日本経済新聞2016年11月11日)

「最悪の事態」とは何だ。国粋主義者らのクーデターのことか?対米戦争そのもののことか?

「統帥権」を笠に着た国粋主義者のクーデターは、彼らが担ぐつもりの天皇に「賊軍」と呼ばれ、「自ら討伐する」とまで言われて潰えたのであって、大日本帝国憲法と立憲君主・天皇の過失ではなかった。(所謂「統帥権干犯問題」は大日本帝国憲法改正の際、熟考される必要は当然あるが)

対米戦争は、国際共産主義者らと「狂人」ルーズベルト(フーバー元大統領の言)の謀略によって、米国議会と米国民が騙され、日本が引きずり込まれたのである。日本による「侵略戦争」では、決して、なかった。

「日本の悠久の歴史と伝統を象徴する天皇」という、欧米人も絶賛する立派な君主を簒奪された、そのことこそを、連合国『日本国憲法』による立憲君主・天皇の「退位の強制」と呼ぶべきである。

連合国と国際共産主義者が世界中にばらまいた、「昭和天皇=Hitler」「日本侵略国家」という誣告のせいで、いま日本がまさに、「最悪の事態」に陥っているという事実こそを、政府も有識者会議も、認識すべきなのである。

譲位には賛成いたしかねる皇室を中心とした日本の国のあり方を考えれば、摂政を置かれるべきだと申し上げざるを得ない。明治の先人は、国民統合の求心力であり国民の幸福と国家安寧の基軸である皇室には、何より安定が必要だと考え、譲位の道を閉ざしたのではないか。譲位には政治利用されてきた歴史もある。〉〈天皇は、いて下さるだけで有り難い存在だ。天皇に求められる最重要のことは、祭祀を大事にして下さるというみ心の一点に尽きる。〉(櫻井よしこ「美しい日本の憲法をつくる国民の会」共同代表『第2回ヒアリング』朝日新聞2016年11月15日)

「天皇が国民の目に見えないところで存在しているだけでよい」と言えるのは、天皇の「至高の権威」が国権を総覧することで、立憲政治がきちんと機能していることが大前提である。

不裁可権を持つ「至高の権威」=立憲君主・天皇を喪失した戦後日本の「疑似アナーキー」の下では、天皇の姿が見えないことは、権力者の専横を一層増長させることになるだけだ。

立憲君主として権力を総覧する天皇の不在が、「第4の権力」メディアを含めた権力層への、日本解体工作員の浸透・跳梁跋扈を許している。

だからこそ、占領以前の原状への復帰により、大日本帝国憲法下の立憲君主、「究極のオンブズマン」である天皇に、「不裁可の大権」「拒否権」を以て、好き放題をしている権力者らを「総覧」していただかねばならない。

『日本国憲法』の「象徴天皇制度」は、「権力側」に位置する政府御用学者達を「思考停止」させ、国民の常識的感覚との間に、深刻な乖離をもたらしている。

■「特例法の制定であろうと皇室典範の改正であろうと、退位を制度化すべきではない。『国民統合の象徴』という機能が低下する」(笠原英彦慶応大教授・朝日11月15日)

■「退位認めれば権威分裂の懸念…(今上陛下は)国民からの信頼も厚く、称号が変わっても国民は先の天皇を意識してしまう…新天皇が活動しにくくなる」(今谷明帝京大特任教授・朝日11月15日)

■「新帝と先帝が同時にいらっしゃることから、『日本国民統合の象徴』たる天皇が二重写しとなり、『国民の精神的統合』に分裂を招きかねない」(百地章日本大学教授・WILL9月号)

■「退位した天皇が公務を続けると、国民の注目が集まり、現天皇の象徴性が薄らぐ。」(古川隆久・同前)

「象徴の機能低下」「権威分裂」「象徴天皇の二重写し」「象徴性が薄らぐ」……?そんな訳のわからないことを心配しているのは、この人達のように、『日本国憲法』絶対主義で思考停止している人だけであろう。

新天皇には、「天皇の務め」に関してのアドバイスが必要だ。「天皇の務め」が天皇にしか理解し得ない事柄である以上、この「アドバイザー」のお役は上皇陛下にしか務まらない。まして、侍従長を始め、宮内庁が丸ごと「天皇の味方でない」現状を鑑みるに、孤独な天皇を支え、正しく導くことは、上皇陛下にしかできないことであろう。少なくとも、大日本帝国憲法復原が成って後、日本人、特に支配層・権力層の者たちが、正気を取り戻すまでは、上皇陛下がおられた方が寧ろ、経験不足の新天皇を「政治利用」する輩への牽制になる。

また、上皇におなりになった陛下が、これまでのように被災地のお見舞いなどに行かれたとして、「やっぱり上皇様の方が権威がある」「新天皇様は『象徴』としての権威がない」などと、国民は思ったりはしない。

国民は、「誠実」「勤勉」「厚情」という日本人の徳を体現しておられる天皇陛下を崇敬しているのであり、「理想の日本人」を体現すべく不断に努力なさっているそのご姿勢ゆえに、陛下を信頼申し上げているのである。

「万民の父母」たる天皇が、譲位後上皇となられても、やはり「万民の父母」であることに変わりはないのだ。「万民の父母」がお二人になっても、国民は戸惑ったりしない。「天皇の赤子」たる国民は、天皇の「権威」の度合いを測ったりしない。そもそもこの人達は、「象徴」をはき違えている。「何もせず、ただそこにいればいい」と権能を取り上げた『日本国憲法』の「象徴天皇」しか頭にないからだ。

宮内庁参与会議で陛下は、「私が上皇になってどんな不都合があるか」と聞かれたが、きちんとお答えできるものは誰もいなかった。『日本国憲法』の欺瞞に囚われているものには、答えることはできまい。

この人達が恐れているのは、「権威の二重写し」などという実体のないものではなく、立憲主義下の「至高の権威」の復活と「ダブル至高の権威」である。

「至高の権威」天皇は、「統治権を総覧」することで、実権力の暴走を抑える。大日本帝国憲法の復原による「立憲君主・天皇」の復活で困るのは、国際共産主義者と現在暴走中の実権力者だけである。

■「(退位後は)完全引退すべきで、極論を言えば皇籍離脱という選択肢も検討すべきだ。称号も「上皇」「太上天皇」とすれば権威が生じかねないので、シンプルに「前天皇」「元天皇」でよい。」(古川隆久・同前)

「皇籍離脱」?「権威が生じかねない」?「権威が生じてはまずい」のか?なぜ?全く意味が分からない。『昭和天皇』という著書があるから「天皇派」の人かと思うから、意味が分からない。だが、古川隆久は実は「天皇制廃棄派」であるようだ。

現行憲法制定時、世襲による天皇制を残した意味は、日本の永続性、歴史を表すのに良いからですが、当人らにとっては息苦しい制度です。職業選択の自由もなく、仕事も過酷。一部の人にやってもらうかどうかから考え直さなくてはいけなくなる可能性もあります。〉(古川隆久「生前退位 こう考える」出典:中日新聞 2016年7月24日朝刊)
(http://blogs.yahoo.co.jp/shimataka373/18068941.html)
「(天皇や皇族)当人らにとっては息苦しい制度」と勝手に決めつけ、「仕事も過酷」だから、「一部の人(皇族)にやってもらう」かどうか、つまりは皇族以外の一般の人間に「やってもらう」ことを考えるべし、と言っているのだが、おためごかしもいいところだ。2676年、125代に亘って連綿と続いてきた皇統を、『スター・ウォーズ』のクイーン・アミダーラのように「民主的に選出される『王』制」にでも変えたいのだろう。そのための布石として、「引退した天皇」は端から「皇籍離脱」させ、「そして誰もいなくなった」ということにしたいのだろう。
しかし、「歴史と伝統」「永続性」に裏打ちされておらず「権威」のない、名ばかりの「王」こそ、「真の権力者」によって簡単に「政治利用」されてしまう。(勿論、古川らの本心は「政治利用したい」のであろうが。)

「天皇」という地位はまさに過酷で、孤独で、「権利」とは無縁の「無私」の存在である。その恒常的な重圧に、一般人は耐えられないであろう。そもそも、天皇が祭祀を行う祭祀王である、という事実をこの人達は失念しているようだ。祭祀王には、誰でもなれるというものではない。

自分たちが天皇を「国民のアイドル」「ハンコを押すロボット」と勝手に蔑視しているからと言って、実態もその通りなのでは決してないということを、全く解っていない。解っているものは誰も、その地位を欲しがったりしない。その地位に就くことが可能であるとすら、思ってもみないであろう。
天皇の地位には、連綿と続く血脈の「軛」を、その過酷な運命を、従容と受け入れる覚悟のある者だけが、上る資格がある。そして、皇族として生まれたものだけが、その覚悟がある。覚悟があるはずだという周囲の「絶対的期待」を背負って、皇族は生まれてくるのである。
八木の言うように、「皇位継承者が次々と『即位を拒む権利』を主張する」ようなことになれば、日本は滅亡する。
だが、自分の「権利の主張」が日本の滅亡に繋がると解っていて、そのような権利を主張するような皇族は、存在しない。少なくとも、日本国民は、そう信じている。だからこそ、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』という「天皇と皇室弾圧装置」は、日本国民が、「無効確認」によって外してさしあげねばならない。

「日本国憲法には、皇位は世襲のものであり、また、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であると定められています。

私は、この運命を受け入れ、象徴としての望ましいあり方を常に求めていくよう努めています。したがって、皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない自由はのぞんでいません。」

(1994年6月4日、天皇陛下訪米前の文書によるお言葉)

「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきました。(中略)」

「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。(中略)」

「始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも、皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話いたしました。

国民の理解を得られることを、切に願っています。」

(2016年8月8日、「象徴としてのお務めについての 天皇陛下お言葉」 宮内庁)

「天皇陛下は、以前から『日本国憲法』を遵守する、と折に触れおっしゃっている。だから、陛下も『憲法改正』反対派だ」という者がいる。「天皇陛下の譲位のご意向」が明らかになった後、中国がしきりに「天皇は安倍政権の『憲法改正』を潰すためにこのようなことを言ったのだ」と言っていたから、「中国拝跪派」の人達なのであろう。
だが、陛下のおっしゃることが常に、100%陛下のおっしゃりたいことだと考えるのは早計である。
天皇陛下の「お言葉」は、「添削」されている。敢えて強い言葉を使うなら、「検閲」されている。
〈お気持ち表明に先駆け、「原案」について安倍晋三首相も加わって宮内庁と直前まで修正作業を繰り返した。官邸関係者は「原案は天皇陛下の意向が強すぎて激しい内容だったが、8月8日のビデオメッセージは、抑制された穏やかな内容になった」と語る。〉(朝日新聞2016年10月18日『検証 天皇陛下お気持ち表明』)
一方、天皇陛下は、「公に語る『おことば』について自ら推敲を重ねるという。」「陛下は『(儀式などでの言葉について)立場上、ロボットになることも必要だが、自分の考えも入れなければならない。その調和が難しいと思う』と打ち明けた。」(朝日新聞2016年8月11日『象徴天皇のこれから 陛下自身の意思どこまで』)
国民の前に表された「お言葉」が、「検閲」によって『日本国憲法』に抵触、或いは『日本国憲法』=連合国批判と受け取られる要素を削除・変更されたものであることを念頭に置いて、陛下のご真意を忖度してみる。
皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない自由はのぞんでいない
これは字義通りの意味であろう。皇族として生まれた以上、天皇という過酷な人生を受け入れる覚悟がある、ということだ。が、以下のことは細かな言い回し、言及そのものや事実の集積から、行間を深く読む必要がある。
■「『日本国憲法』を遵守すること」は、「象徴天皇」と規定された立場上「受け入れるほかない運命」であるが、「憲法を遵守」しその規定通りに行動することと、「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」であることとは、必ずしも一致しない、矛盾するものである。よって、その整合性を「日々模索」する必要があるが、その努力は擬製の『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の嘘を嘘で糊塗することと同義である。

『日本国憲法』の下、天皇は国政に関する権能を有しない。同時に、天皇は「日本国の象徴」として日本の歴史と伝統を体現する存在であり、その在り方を維持するためには、歴史と伝統に則って皇統を維持することもまた、「日本国の象徴」としての務めである。然るに、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の規定に従っていては、祭祀王・天皇の本来の務めが完遂できず、皇統の安定を図ることもできない。

■「国民統合の象徴」として、国民の生の声を直に聞き、その声を政治権力がきちんと掬い取っているか、国民と権力の間に「分裂」がないか見守ることも、天皇の務めである。国政が国民の声を無視し、民主主義を無視した行動に走っている時、天皇は「国民統合の象徴」としてこれを正すよう取り計らう必要がある。然るに、『日本国憲法』は天皇に国政への関与を禁じ、「蚊帳の外」に置いており、「国民統合の象徴」としての務めを果たすことができない。

天皇陛下の譲位のご意向を実現し、上記の不備を正すには、以下のことが最低限必要である。

 

■祭祀王・天皇の最重要の務めである祭祀を、天皇が常に全身全霊を以て行えること、また、天皇が天皇の務めとして重要と判断することを、天皇の判断で自由に行えることができるようにする。従って、天皇自身がその務めを完全に行うための体力・知力に限界を感じた場合は、天皇の自由意思で、最適の時期を選んで譲位を行うことができるようにする

■明治の皇室典範にも退位の規定がないため、天皇が改正発議の大権を行使し、皇室問題の「有識者」の頂点である天皇及び皇位継承者たる皇族等の会議が主導して、これを改正できるようにする

■皇族の「家長」たる天皇が、皇族及び外戚を統率し、皇位継承の安定や、皇室の権威・品位を保つための諸対策を講じることができるようにする

■天皇・皇族の私有財産を、天皇皇族の自由裁量で慈善事業などに使えるようにする

 

現在『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』のせいで不可能となっている上記のことを、最低限可能にしなければ、陛下のご意向を完全に実現できたとは言えない。そして、これらを可能にするためには、「『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認」で天皇陛下にかけられている権能簒奪の呪縛を解き、「大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認」で天皇陛下に立憲君主に戻っていただくほか、方法はないのである。

日本全国の神社をすべて燃やそうとまで考え、「天皇=祭祀王」を否定したいGHQの指令で作られた現行『皇室典範』は、天皇の主務たる祭祀、天皇陛下が「天皇の務めとして何よりも大切」とおっしゃる「祈り」を、「天皇家の私事」「天皇の行うその他の行為」としてしか規定していない。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は、人権が全くない、しかし人権を欲したりしない天皇の、無私の人生を全否定し、その存在理由さえも否定しているのである。

先日薨去された昭和天皇の末弟、三笠宮様が、70年前に「天皇の譲位」問題についてお考えを述べられていた。

「新憲法で基本的人権の高唱されているに拘(かかわ)らず(中略)国事国政については自己の意志を強行することも出来ないばかりでなく、許否権すらもない天皇に更に『死』以外に譲位の道を開かないことは新憲法第十八条の『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』という精神に反しはしないか?」

「天皇と内閣との間に意見が対立した時天皇はどうすればよいか? (中略)天皇に残された最後の手段は譲位か自殺である。天皇が聡明(そうめい)であり、良心的であり、責任観念が強ければ強いほどこの際の天皇の立場は到底第三者では想像のつかぬ程苦しいものとなろう」

三笠宮殿下__1946年11月3日「新憲法と皇室典範改正法案要綱(案)」

熊澤志保 『有識者会議に、天皇ご学友たちの懸念 生前退位はうやむやに?』 https://dot.asahi.com/aera/2016112900180.html

天皇陛下は今まさに、「譲位」か「自殺」かの二者択一を迫られている。その現実を見て見ぬふりし、尚も唯一の「譲位」実現の道=「無効論」を国民に周知せず、隠し通そうとするが如きは、「自殺幇助」「国家反逆罪」にも相当しよう。

「『日本国憲法』無効論」は、救国の正論である。いくら連合国隷従の政府が不周知に努めようとも、必ず、近く、国民の知るところとなる。

そのとき、政府は国民の目をまっすぐに見て説明責任が果たせるのか?

朝日、日経ら「中国拝跪派」は「『日本国憲法』を国民が守ってきた70年の伝統を大切にしろ」といい、安倍政権ら「米国隷従派」は「明治の先人が決めたことを大切にしろ」という。

だが、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は、日本の数千年の歴史と伝統を蔑ろにする外国の無法により与えられた紛い物だし、明治の典憲は、その同じ外国勢力の侵略を跳ね返すため、彼らと同等の文化力があることを見せつけるために、彼らの憲法・政治体制が参考にされたというだけのことだ。

今まさに、天皇の立憲君主としての主権が現に簒奪され、内からの侵略が進行している時に、まずその主権を取り戻すことを最優先することこそが、日本が行くべき法治主義の王道というもの。

いま、国民がまだ安倍首相を信じているうちに、安倍首相が「日本国憲法無効論」を検討しますと国民に向かって発表し、天皇陛下に内奏し、粛々と「日本国憲法とGHQ皇室典範の無効確認」「大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認」を国会に於いて宣言していただく。同時に天皇陛下に大日本帝国憲法改正の発議をしていただけば、即刻大日本帝国憲法改正草案作成作業に取り掛かれる。

改正が実現するまで、『日本国憲法』は暫定法とし、但し9条、前文など『日本国憲法』の最も強い害毒部分は即刻廃棄する。その他はゆっくりと、慎重に公開討議を重ねながら改正してゆけばよい。

いつ何時、また政治的不幸が日本に襲い掛かり、あの民主党政権のようなものが出現しないとも限らない。その時、そのものたちが遂に日本を滅亡させることのないよう、日本に「統治権力を総覧する立憲君主・天皇」を取り戻しておく。

全ての日本人が、国際社会で堂々と日本の弁明ができるよう、真実の歴史と誇りを取り戻しておく。

それが、安倍首相、貴方の使命である。

天皇陛下の譲位のご意向の実現とは、「戦後レジームからの脱却」に他ならず、それこそが日本国民が安倍首相を望んだ理由だからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「象徴天皇制」「人民主権」の『日本国憲法』は「共和国憲法」であるという真実を、「押しつけ論」が隠している__『日本国憲法』無効論で改憲・護憲両派の「敗戦トラウマ」を解消する__正確な現状認識だけが日本を護る④

『日本国憲法』は、GHQ『皇室典範』と対で天皇の権能を簒奪した、実質的「共和国憲法」である。これを始末する唯一の手立てである『日本国憲法』無効論の不周知は、連合国による国体破壊の現実を国民から隠す売国行為、連合国の犯罪幇助である

 日本国民は、「象徴天皇」の意味を善意に解釈して「天皇=国体は護持された」と信じた。だがそれは連合国による「偽装」であった__「70年も改正されずに来た=国民に浸透している」という欺瞞を、制定経緯の再検証で粉砕する

2016年11月3日「文化の日」__『日本国憲法』が公布されて70年を迎えるこの日、「押し付け論は現実逃避 憲法公布きょう70年」と朝日新聞は書いた。11月4日からはシリーズ記事「憲法を考える・押しつけって何?」も始まった。

「なんと、遂に朝日が無効論に言及?」と一瞬思った。「日本国憲法無効論」をネットで検索すると、ウィキペディアの「憲法無効論」がトップにくるが、そこでは「日本国憲法無効論」=「押しつけ憲法論」と呼ばれているようだからである。だが違った。朝日記事が言っているのは「改憲派」のことであった。

最近では、もう滅多に「無効論」という名称すらも使われなくなってきている気がする。完全に、無視されている。これは、日本国憲法無効論を国民が知れば、改憲派も護憲派も一緒に吹っ飛んでしまう、という両派の危機感の表れであろう。

「改憲派の重鎮」小林節と「護憲派の泰斗」樋口陽一が、仲良く安倍政権の憲法改正推進を批判する対談本『「憲法改正」の真実』を出したのも、その流れと見える。なぜなら、彼らが同書で批判しているのは、実は「安倍政権批判」に名を借りた「『日本国憲法無効論』見下し論」だからである。小林節は、「無効論」の名は全く出さずに、「安倍批判」ついでに「無効論」を小馬鹿にしてみせている。

〈(岸信介の孫・安倍晋三、吉田茂の孫・麻生太郎らのように、敗戦時の日本の指導者達の子孫である)自民党世襲議員のなかに、旧体制下の支配層たちの「敗戦のルサンチマン(怨恨)」が脈々と受け継がれ、アメリカに「押しつけられた憲法」を憎悪するという構図になっているのでしょう。/ だから、彼らはハーグ陸戦条約の「占領地の基本法は、占領に支障なき限り、占領した側が勝手に変えてはいけない」という意味を半端に読み違えて占領下につくられた憲法は、国際法上無効だなどと言い出してしまう。そのうえ、日本国憲法が国際法上無効なのだから、正当な憲法は我が日本民族がみずからつくった明治憲法しかないという、とんでもない主張を平然と出してきたりするわけです。〉

「(押し付け憲法は)無効だなどと言い出してしまう」「正当な憲法は明治憲法しかないという、とんでもない主張を平然と出してきたりする」__全く恥ずかしいね(笑)と、「無効論」を「無効論」と呼ばずに軽蔑して見せている。

だが、「『日本国憲法』の制定がハーグ陸戦法規違反でない」或いは「ハーグ陸戦法規に違反しているからと言って『日本国憲法』が無効であるとは言えない」ということへの論拠を、小林は提示していない。そして、勿論、『日本国憲法』の無効理由は「ハーグ陸戦法規違反」だけではない。(当ブログ別稿「【日本国憲法無効論】『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効理由」をご覧ください。)ご立派な憲法学者なのに、「無効論」をまともに勉強していないようである。

押しつけかどうかという以前に、そもそも『日本国憲法』には、「日本の国体を文字であらわす」という、憲法としての本質的資質がない。

日本の国体とは、「万世一系の天皇を至高の権威としていただくこと」であるから、天皇の権能を簒奪した『日本国憲法』には、日本の憲法としての実質的資格が全くない。

大日本帝国憲法は、日本の歴史と伝統をふまえた正当な憲法である。だが、大日本帝国憲法だけが日本の憲法なのではない。戦後の憲法学者は、日本のように万世一系の天皇が一貫して戴かれた数千年の歴史を持たないフランスなどの、「強権の為政者を引きずり下ろし、永遠に縛りつけておくための憲法」を絶対視しているから、話が全くかみ合わないのだ。

さて、朝日の「押しつけ論は現実逃避」「押しつけって何?」に戻ろう。

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朝日新聞2016年11月3日・4日

〈「押しつけ憲法論」を唱える政治勢力は、国としての主権回復を訴える。〉と、朝日記事筆者・編集委員の大野博人は言う。そして〈主権回復を掲げる運動は今日、日本やその憲法についてだけ見られる現象ではない。〉として、英国のEU離脱や、米大統領選のトランプ登場まで引き合いに出して、日本の状況が特殊でないことを強調しようとする。

だが、日本の憲法問題の様相は、国際基準に照らして、かなり特殊である。英国や米国が取戻そうとしているのは、厳密には「主権」ではなく「主導権」であり、日本のように、暴力と脅迫で国体改変を伴う『日本国憲法』制定を強要され、その犯罪を正当化・隠蔽する為に「日本悪玉史観」の誣告を受け、その誣告を真実と信じ込むよう国民全体が洗脳され、今でも連合国の犯罪幇助者らによって洗脳され続けている、という三重の「主権侵害・人権蹂躙」を受けているわけではない。

だが、勿論朝日はその真実を隠したいからこそ「日本だけが特別ではない」とうそぶいているのだ。

グローバル化や高齢化で不平等感が広がり、将来への不安が募る。政治家が国境のない世界から国の枠に戻れば解決すると呼びかける。人々の心も揺れる。この時代の空気が日本の押しつけ論にも表れている。〉〈最近、憲法公布を記念する「文化の日」を「明治の日」に変えようとという動きさえ出ている。近代国家の出発点への郷愁。押しつけ論への傾斜と重なる。しかし、「かつての」国や自分を取り戻すという回顧的発想は、「今とこれからの」困難や不安の軽減にはつながるまい〉(同上)

朝日記事は、不平等感に何の関係があるのかわからない「高齢化」を間に挟んで「グローバル化…で不平等感が広がり、将来への不安が募る」という「現実」を、グローバリストのせいだけではないかのように誤魔化している。

要するに、「押しつけ論」は単なる「センチメンタルな勘違い」だといっているのだ。「国境のない世界」の方が本当は素晴らしく、明治への郷愁も「false memory(過誤記憶)」だから、何の意味もない、と。

中国が着々と有事(戦争状態)に向けて軍区再編など体制を整え、尖閣・沖縄への侵略に備えて演習を繰り返し、潜水艦で日本の領海を侵犯したり、戦闘機も飛ばしてきているなか、「日中の信頼醸成を急げ」「中国は緊張を高めるな」などと寝惚けたことを社説に書くような朝日新聞の、まさに面目躍如たる「お花畑」な文章だ。

だがここに、朝日新聞の立ち位置が明瞭に表れている。連合国=国際主義者・国際共産主義者の推進する「国際化=グローバリゼーション」である。

そして、グローバリストの主敵は祭祀王・天皇とそれを戴く日本である、という事実を、朝日は国民の目から隠そうとしている。

グローバリズム・国際共産主義は、扇動に乗りやすい無知な(権力者によって無知な状態にされた)大衆を操って混沌と対立を招来し、社会不安を醸成して暴力革命・革命戦争を起こす。既に国際市場を統制しているグローバリストは、戦争特需を最も享受できる地位にあり、敵も味方もなく全ての交戦国が彼等の顧客となる。しかも、彼らは戦争を実際に開始した国の政府に戦争開始の咎を擦り付け、裏で政府を操って戦争を引き起こした張本人達は「我関せず」と涼しい顔をしていられる仕組みに守られている。

戦争が起こった方が得をする者、戦争が起こって欲しいと願うのは、グローバリストと国際共産主義者なのである。

ところが日本人は、なかなか共産主義者のオルグに乗せられないばかりか、戦前、コミンテルン日本支部としてスタートした共産党創立の時点で、彼らが「天皇制打倒」を持ち出した途端に共産主義を激しく拒絶し、完全にそっぽを向いていた。(『田中清玄自伝』)

共産主義になびく様な人間は、もともと唯物論的でこの世が全てだと思っている。神もなければあの世もない。だから自分は貧乏で他の者が金持ちだったりすると「不公平だ」と短絡する。文化大革命の中国のように、「持てる者」からは、その者を殺してでも富を奪え!という扇動に乗りやすい。

だが、日本は八百万の神を奉る神の国である。例え人が見ていなくとも「お天道様が見ている」から悪いことはできないし、邪なことをすれば自分の魂が穢れる、だからしたくないのが日本人の性分である。森羅万象のみならず、人の作ったものにすら魂の宿る国柄にあって、祭祀を通してその神々の声を聴き、神々の意思を知り、人々に「しらす」のが天皇である。

天皇は祭祀王であり、人の幸せを祈る祭祀は、利他の精神を育み、共棲と融和を重んじる文化を生む。

だから日本では戦後、戦前と同じように、一致団結の精神で高度経済成長を達成し、「一億総中流」という言葉も生まれたが、そもそも古今和歌集の古代から、「詩歌の前で、帝も貧者も平等」の文化が日本にはあった。

日本人は、かつて「世界で最も自分の持っているものに満足する人々 (contented people)」であるといわれたことがある。そのような人々は、共産主義による暴力革命など欲しない。だから、グローバリストと共産主義者にとって、最悪に不都合な、排除すべき「敵」なのである。

共産主義社会においては、大衆は「皆平等に無知で貧乏」のままに置かれるから、そこから抜け出して「指導層」に入るためには「理論武装」し、常に他者を「理論」で威圧する必要がある。共産主義思想自体が、「無知な大衆を扇動して革命を起こし混沌を招来する」ことが目的であるから、自然その「理論」は矛盾に満ちたものとなるが、大衆を丸め込むことができれば、それで良いのである。だから、左翼学者は常に偉そうに上から目線で人を小馬鹿にしている。

小林節や朝日新聞が「どうしようもない奴らだ、恥ずかしいね」と肩をすくめ、首を振りながら「改憲派(無効論)は回顧的」といってみせているのは、「偉い学者先生やクオリティ・ペーパーが『駄目』と言っているのだからダメなのだろう」と、何も考えていない大衆に思い込んでほしいからだが、彼らがほのめかしているのは、つまり明治と戦前が、そして大日本帝国憲法と、その下で「日本を統治していた天皇」が、悪いものだった、ということである。

連合国・国際共産主義者が、敗戦国日本に、大日本帝国憲法を「改正」させ、『日本国憲法』を制定させた表向きの根拠は、「大日本帝国憲法が、天皇制強権支配と侵略的軍国主義の温床である」ということであった。

だがそれは事実ではなかった。「天皇制強権支配」も「侵略的軍国主義」も、「誣告」であった。

連合国は誣告の罪を犯し、国際法に違反し、検閲・洗脳の人権蹂躙を侵し、日本の国体改変を行った。

そして、彼らはそのことを承知していた。だからこそ、「『日本国憲法』は、連合国・GHQの強制ではなく、新しい主権者である国民の自由な意思によって制定された」という虚偽によって、偽装しなければならなかった。

そのことは、GHQ・SCAP=マッカーサーへの「指令書」SWNCC文書の中で、彼ら自身が告白している。

swncc228-5
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/059/059_005l.html

〈Only as a last resort should the Supreme Commander order the Japanese Government to effect the above listed reforms, as the knowledge that they had been imposed by the Allies would materially reduce the possibility of their acceptance and support by the Japanese people for the future.( 最高司令官がさきに列挙した諸改革の実施を日本国政府に命令するのは、最後の手 段としての場合に限られなければならない前記諸改革が連合国によつて強要された ものであることを日本国民が知る時には、それらを、将来、日本国民が承認し[支持]する可能性は著しくうすれるのである。)〉(p.5 SWNCC228、p.29『 憲法制定の経過に関する 小委員会報告書の概要』pdf)

これは、「SCAP・マッカーサーは日本政府に命令しなかった」という意味ではない。彼らは間接的・遠回しに、公職追放などで脅迫しながら、すべてのことを「日本に命令」した。「あくまでも、日本人自身が自主的にやっていることであると『偽装』すべし」ということなのである。そのために、GHQには5000人もの日本人が占領軍の手足となって働いていた。

このような『日本国憲法』の出自の真実を、日本国民が70年後の今も知らされていない、つまり未だに日本国民が検閲され、洗脳され続けているという事実を知ることなしに、憲法論議は始められない。

『日本国憲法』制定過程の実情を知れば、大多数の日本国民は『日本国憲法』無効論の正当性を理解し、それを支持する。

だが、国際共産主義者だけでなく、日本政府までも、「日本国憲法無効論」をひた隠しに隠し続けている。

1956年6月11日に設置された憲法調査会が、1964年7月3日に内閣と国会へ提出した『憲法調査会報告書』の役目は、『日本国憲法』の制定が連合国による強要であったという真実を国民に周知することであるはずだった。

そして、「日本国憲法無効確認」によって、占領以前の「まともな国・日本」とその正当な憲法・大日本帝国憲法を取り戻そう、と日本国民に訴えるのが、憲法調査会報告書を受け取った内閣と国会の義務であった。

天皇陛下に上奏し、民主主義的議会制立憲君主国の日本に戻るべく、日本国憲法とGHQ皇室典範の無効確認・大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認を、天皇陛下に粛々と宣言していただくのが、総理大臣の使命であった。

だが、そうはならなかった。

調査会報告書のその膨大な量の調査結果にも拘らず、結論は「押しつけとも、押しつけではないともいえない」という日本人得意の玉虫色で終始した。

「憲法調査会」も、内閣も国会も、独立回復後23年を経てなお、連合国の顔色を窺うかのように、『日本国憲法』の制定経過のいかがわしさ__連合国の明白な犯罪性__に触れることはなかった。

_____〈すなわち、原文が英文で日本政府に交付されたという否定しえない事実、さらにたとえ日本の意思で受諾されたとはいえ、手足を縛られたに等しいポツダム宣言受諾に引き続く占領下においてこの憲法が制定されたということは、明らかなのであるから、この面に関する限り、それを押しつけられ、強制されたものであるとすることも十分正当であるというべきである。特に、日本側の受諾の相当大きな原因が、天皇制維持のためであつた事も争えない事実である。ただ、それならば、それは全部が押しつけられ、強制されたといい切ることができるかといえば、当時の広範な国際環境ないし日本国内における世論なども十分分析、評価する必要もあり、さらに制定の段階において、いわゆる日本国民の意思も部分的に織り込まれたうえで制定された憲法であるということも否定することはできないであろう。要するにそれらの点は、この報告書の全編を通じて、事実を事実として判読されることを期待する以外にない。〉(p.77『 憲法制定の経過に関する 小委員会報告書の概要』pdf〔p.82〕太字・下線引用者)____

朝日新聞の「64年調査会、評価踏み込まず」に「事情は決して単純ではない」とあるように、調査会はその肝心要の目的である『日本国憲法』制定の真実について、評価をこの調査報告書の読者に「事実を事実として判読されることを期待する」と、丸投げした。明白な結論を、自らの口で、国民に発表することを放棄したのである。だが、この報告書は本編が781ページ、それに「『憲法無効論に関する報告書(憲法調査会報告書附属文書第10号)』も含めて12冊の付属文書が付いた、膨大な文書である。93ページのダイジェスト版はPDFで読めるが、それにしたところで、真面目に働く普通の庶民はこのようなものを読んでいる暇がない。

国民に代わって吟味調査し、真実を追求して、それを国民に報告するための「憲法調査会」ではなかったのか?

そもそも、『日本国憲法』制定過程の重大問題を、「押しつけ」か、「押しつけでないか」の二分論に集約・矮小化することこそが問題である。

『日本国憲法』は、どんな国の、どんな立場の、どんな人間が、どこをどう見ても、「押しつけ」であって、そこに疑問をはさむ余地はない。

『憲法調査会報告書の概要』の、『日本国憲法』は「押しつけではないともいえる」根拠とは、「制定の段階においていわゆる日本国民の意思も部分的に織り込まれ」ていることであった。

占領当時の「広範な国際環境」とは「連合国・国際共産主義の独裁」状態であったし、「日本国内における世論」は、『報告書』も言及するように、大多数が「天皇支持」であったのだから、これらは「押しつけではない」理由どころか、むしろ「押しつけ」の理由である。

だが、その「部分的に織り込まれた」「いわゆる日本国民の意思」とはどんなものであったのかを、『概要』の「制定過程に関する総括的考察」は、全く書いていない。

GHQが、憲法改正担当国務大臣・松本烝治による草案を、完全に一蹴した理由は、「(松本案では)天皇の権威および権力が、現実的にはなんら変更もされず弱められてもいない(……)天皇制度はそのまま残り、しかも、議会による立法を必要としない皇室典 範に基づき依然運営される」からであった。(p.21『憲法制定の経過に関する 小委員会報告書の概要』[p.25 pdf] 太字引用者)

即ち、『日本国憲法』により連合国が企図する「日本の政治的再編成」の要は以下の通りであった。

◆天皇の権威及び権力のはく奪

◆天皇制度を残さない

◆皇室典範を『日本国憲法』の下位法とする=議会による立法を必要とする=天皇と皇室の自治自律をはく奪し、内閣に統制させる

◆内閣が、天皇の上位

松本案の他にも、7つの政党・民間団体・個人が試案を発表したが、このうち5案は「天皇制維持」で松本案とほとんど変わらず、GHQは同様に却下した。他2案は共産党と高野岩三郎個人によるものであり、「共和制」を採用していた。

GHQが唯一「可」的な批評を加えたのが、この高野岩三郎の「日本共和国憲法草案」であった。

調査会報告書が「GHQがその意思を『部分的に織り込んだ』としている『日本国民』」とは、「天皇制廃止」「共和制樹立」を謳う、左翼運動の仲間うちでも「超過激」といわれる左翼思想の持主だったのである。

調査会報告書は、その重大な事実を指摘することなく、「GHQが日本国民の意思を部分的に織り込んだらしい」(確たる証拠はない)から「押しつけではないともいえる」という府抜けた調子でお茶を濁した。

かくて、調査会は、「膨大なエネルギーを使い、押しつけ議論に区切りをつけた」。そして、「以降、押しつけ論とともに政界での改憲の機運は薄れていく」(押しつけって何?1⃣)

一般国民はもとより、選挙・国会対策に忙しすぎる政治家たちもまた、『憲法調査会報告書』が読者に丸投げした総括を「総括」として終わったこととし、『報告書』が期待したように「(報告書を丹念に読み)事実を事実として判読」することはなかった。

そして、「象徴天皇制」を謳う『日本国憲法』は、天皇の権威・権能をはく奪することで実質的に「天皇制廃止」をした「共和国憲法」である、という真実は、事実上国民から隠された。

それが、「『日本国憲法』無効論は『終わった議論』」といわれて無視されている理由なのである。

だが、知的好奇心旺盛な日本人なら、「無効論は全く終わってなどいない」ことが理解できるだろう。

インターネットのおかげで、現在少なくとも93ページの『憲法制定の経過に関する 小委員会報告書の概要』は、pdfで一般国民も家にいながら読むことが可能だ。

報告書が伝える、『憲法改正草案要綱』が発表された当時の新聞の論調によれば、日本人は新憲法の中に「天皇」の規定がある、という単純な事実をもって「国体が護持された」「天皇制問題がこれで解決された」と喜んでいた。

だが、それと同時に、「本当に国体は護持されているのか」と疑問を持つ者もいることにも触れている。(河原春作枢密院顧問官 【枢密院における憲法改正草案要綱に対する主な論点】『概要』p.50 [pdf p.55])

つまり、日本人は「大日本帝国憲法がGHQによって改正させられる」と正しく認識し、天皇の地位はどうなるのか、日本の国体は護持されるのか?と心配していた。だからこそ、「象徴」という「不思議な言葉」(当時皇太子妃であった美智子様の感想)に取って代わられてはいたものの、とにもかくにも、「天皇」について規定があるならそれは「天皇存続」ということであろう、と解釈して喜んだのである。

だが、日本人は騙されていた。ナイーブでお人好しの日本人は、「条件付き降伏だ」といっておいて後「いや、無条件降伏だ」と言い募り、「日本人を奴隷にはしない」といいながら、検閲・洗脳という非人道的占領政策によって、日本人を事実上「一億総前科者」「敗戦奴隷」に貶めた連合国の卑怯ぶりを、全く甘く見ていた。

「民主主義」を掲げる先進的欧米の立派な大国が、ここまで非道なことをするとは思わなかったであろう。

占領下、天皇も政府も議会も、全て日本人はSCAPマッカーサーの超大権力に隷属させられていた当時と違って、1951年5月3日には、解任されたマッカーサーの後任、リッジウェイによる「占領諸法令を再検討する権限を日本政府に与える」旨の宣言が出され、同年9月8日にはサンフランシスコで平和条約の締結をみ、事実上日本は独立国となった。

それから23年を経て、尚も続く日本人自身による「自虐洗脳」によってか、「戦後レジーム」利権の利得ゆえか、「調査会報告書」を受け取った内閣も国会も、『日本国憲法』が実質「共和国憲法」である事実を、遂に追及することはなかった。

%e6%97%a5%e6%9c%ac%e5%9b%bd%e6%86%b2%e6%b3%95%e5%a4%b1%e5%8a%b9%e8%ab%96ましてそのことを国民に周知し、一刻も早く無効確認・現存確認による占領以前の原状回復をせんと働きかける者はいなかった。いたのかもしれないが、全く無視され、忘れ去られるままにされた。(菅原裕『日本国憲法失効論』は1961年11月10日に初版が発行されている。)

ナパーム弾による全国絨毯爆撃と2発の原爆で日本の国土の壊滅を見せつけられ、20万人の公職追放で連合国に「右翼」とレッテルを張られたものが家族ともども路頭に迷うさまを目の当たりにし、日本人は極度の心的外傷(トラウマ)を負った。小林節が言った「敗戦のルサンチマン」ではなく、「敗戦トラウマ」であった。

全国絨毯爆撃ですべてを失った日本国民は、昭和天皇の二度の「玉音放送」に慰められ、「朕と汝等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説に依りて生ぜるものに非ず」「朕は朕の信頼する国民が朕と其の心を一にして、自ら奮い、自ら励まし、以て此の大業を成就せんことを庶幾(こいねが)う」と仰せられた『新日本建設に関する詔書』(所謂「人間宣言」)に励まされた。そして、ひたすらに前へ進んだ。

だが、連合国=権力側の手足となって日本国民を欺く手伝いをした政府・官僚・学界・メディアは、今も国民をだまし続けている。「敗戦トラウマ」は、日本と日本人を裏切り続けたこの者たちに、より濃く、深く、残っている。

「敗戦トラウマ」患者である政府・官僚・学界・メディアは、『日本国憲法』無効論が、連合国の逆鱗に触れ、今も続く「公職追放」の脅迫によって、何もかも失うことになる、と怯えきっている。

『日本国憲法』無効論を、改憲派も護憲派も、徹底的に無視し続けるのは、この「連合国恐怖症」のせいであろう。

だが、占領の真実に向き合い、「連合国は犯罪者」という現実を認識することでしか、この「敗戦トラウマ」から立ち直ることはできない。

幸い、先日の米大統領選で、日本の敵・北朝鮮と中国から闇献金を受け取り、国際共産主義の黒幕・ユダヤ国際金融資本家ともズブズブの関係だったビルとヒラリー・クリントンの民主党は、日本の自主防衛・核武装を叫ぶビジネスマン、トランプの共和党に大統領の座をさらわれた。国際主義者・グローバリストの専横に、アメリカの「普通の人々」が、NOと言ったのだ。

「戦後レジーム」の継続を、歴史認識の面から強化していた、NYタイムズらアメリカの反日左翼メディアにケンカを売ったトランプが、大統領になるのである。

グローバリストのヨーロッパでの牙城・EUも、英国の離脱によってその崩壊に拍車がかかるだろう。

これは『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認と、大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認をする千載一遇のチャンスである。

「嘘も百回言えば本当になる」と言ったのはナチスのプロパガンダ相・ゲッベルスだが、偽憲法である『日本国憲法』は、70年使おうが、100年使おうが、本物の日本の憲法にはならない。

改正しても、『日本国憲法』のいかがわしい出自に触れ、連合国の犯罪を告発し、日本に着せられた「侵略国家」「制奴隷を持った軍隊」の汚名が誣告である、と世界に周知するのでなければ、「戦後レジーム」は終わらない。日本は永遠に「敗戦奴隷」のままなのである。

連合国の犯罪を告発しなければ、国際社会もまた、永遠に、第二次世界大戦の反省をしないままである。

日本だけではない、世界が騙されている。

来春キプロス島で開かれる国際憲法学界の部会のテーマは「押しつけ憲法(imposed constitution)」だそうだ。

「日本の憲法の際立った特徴は(70年間一度も改正されなかった)長い耐用年数で、私たちに押しつけ憲法の概念の見直しを促している」「押しつけかそうでないかという二分論は、日本の憲法への理解を妨げてしまう。大切なのは、日本の例から憲法への信頼を醸成したのは何かを探ることだ」(国際憲法学界部会責任者コンティアード教授 『押しつけって何?1⃣)

『日本国憲法』が70年間一度も改正されなかったのは、『日本国憲法』が日本人の信頼を得たからではなく、日本人が戦後71年間ずっと、『日本国憲法』が、かけがえのない日本の国体の現身である天皇の権威と権能を簒奪し、天皇と日本国民を苦しめ続けている、という真実を、知らされないままできたからである。

『日本国憲法』は、今も日本をだまし続けている。

この事実を、日本人だけでなく、世界と共有することで、世界は連合国=国連のいう「人権主義」「平和主義」「民主主義」がどんなものか、今一度立ち止まって真剣に考える機会を得る。

国連安保理常任理事国といえども、違法行為は裁かれるという当然のことを、世界は確認する。

国連が自身の裁きを受け入れられないなら、それは国連に自浄作用がないということを意味し、そのような機関は存続する資格がない。

世界に対立と混沌をもたらした国際主義・共産主義の犯罪を問い、天皇という「至高の権威」を取り戻した日本は、白人至上主義・暴力至上主義の旧弊を打ち破り、国際社会に真の意味での法治主義をもたらす。

『日本国憲法』無効論が、国際法を豊かにし、国際社会に真に貢献する日本を再生するのである。

【天皇陛下の譲位のご意向表明】 有識者会議も、特例法も、GHQ『皇室典範』改正も、「連合国への隷属」継続が前提の、亡国への道__正確な現状認識だけが日本を護る③

天皇との6年に亘る激論の末、「参与会議」が証明した「無効論」無視の議論の絶望的不毛

「摂政では駄目なんだ」:天皇陛下は強い口調で、きっぱりと仰った

 天皇陛下の「有識者会議」=「宮内庁参与会議」は、6年にも亘る天皇陛下御自身との激論を経てなお、天皇陛下の譲位のご意向実現の具体的方法について、結局何も決められなかった。この上誰が、どんな議論をして、何を、どう決めるというのか?

 

「私は譲位すべきだと思っている」

「天皇という存在は、摂政によって代行できるものではない。皇太子に譲位し、天皇としての全権と責任を譲らなければならない」

「(大正天皇の摂政設置は)大正天皇ご自身の意思に反するものであり、踏襲されるべき先例ではない」

「前提として天皇の高齢化という条件は必要だと考えるが、退位は、天皇の自由な意思で行われなければならない」

天皇陛下は、強い口調で、きっぱりとおっしゃった…。天皇からのお召しを受けた各界の「有識者」(宮内庁職員ではなく、あくまで「天皇の私的なご相談役」「経験や専門の知見を活かすというより、国民としての立場」での発言を要請され、3年ごとに更新される)3名と宮内庁長官、侍従長を加えた5名で、御所にて開かれる、皇室の重要事項に関して議論する「宮内庁参与会議」__その2010年7月22日の会議に於ける天皇陛下のご発言である。(『文藝春秋』2016年10月号「総力特集 『天皇 生前退位の攻防』  真相スクープ  『皇后は退位に反対した』」__この時のメンバーは元宮内庁長官・湯浅利夫、元外務事務次官・栗山尚一、東大名誉教授・三谷太一郎。2016年9月現在は元検事総長・原田明夫、元警察庁長官・國松孝次ら)

「陛下は激論も辞さないご姿勢でした。摂政案は、こちらがどう申し上げても受け入れられなかった。お考えはすでに固まっているなと思いました」(上記「参与会議」出席者)

話し合いをしながら食事ができるように、人数分並べられたお互いの弁当が、ぶつからないように気を使うほど幅の狭いテーブルをはさんで、午後7時から始まる「参与会議」はその日、稀にみる激論となり、深夜12時を回るまで、天皇の話__「摂政」ではなく「譲位」でなければならないことを「参与会議」出席者に納得させること__は尽きることなく続いた。

〈そんな参与会議で、10年7月以降、退位についての議論が重ねられた。天皇は「譲位」「退位」を主張して譲らず、自分が「上皇」になることで、どのような不都合があるのかとも問いかけられた。〉

〈当初は摂政の設置で解決するべきだとしていた皇后も、天皇の固い意思を確認されて、やがて退位を支持するようになる。〉

長い議論を経て、出席者たちも天皇を説得するのは不可能であることを悟るようになった。11年ごろには、議論は「退位」を前提としたものへと移っていた。〉(同上)

5年前、2011年ごろには、既に、天皇陛下の「有識者会議」である「参与会議」は、「天皇陛下の譲位のご意向は固く翻しがたいものである」との結論に達していたのである。

『文藝春秋』が表紙の大見出しにもした「皇后は退位に反対した」ことは、事実であるにしても実際にはそのこと自体が「スクープ」というほどのことではない。「参与会議」の出席者によれば、皇后陛下は「議論にお強く」「非常にシャープで、議論を厭わない」方であるらしい。その皇后さまも、数度の「参与会議」での議論を経て、陛下のご意思の固いのを確認され、当初の「退位反対」「摂政設置」のご意見を翻され、譲位を支持されるようになった。皇后さまの討論における通常のご姿勢を考えるなら、それは、ただ単に天皇陛下の固いご意思に根負けした、ということではないであろう。天皇陛下のご意向の後ろにある、事実と経験に基づく論拠に、納得された、ということであるはずだ。

当初、参与の誰もが「摂政設置」を主張していた。彼らの根拠は次の様なものであった。

「摂政に公務を任せる分、陛下のご公務が減ったとしても、国民の理解は得られる」

「皇太子殿下に摂政として経験を積んでいただくことは、将来的にも悪いことではない」

冒頭に引用したのが、これらに対する天皇陛下の反論である。

「摂政では、駄目なんだ」「天皇という存在は、摂政によって代行できるものではない」

陛下は、父君・昭和天皇の皇太子時代の、大正天皇の摂政をなさったご経験、そして今上陛下御自身の昭和天皇の公務代行をなさったご経験から、そう仰っている。

日本の歴史と伝統によれば、天皇の地位は、「万世一系の男系の血筋」をその継承資格としている。

天皇は、古代より連綿と、ただ一筋の血筋で125代続いてきた、というその事実により、世界に一人の希少なご存在であり、そうであるからこそ、世界一貴いご存在なのである。

何百年、何千年も生きている古木に霊が宿ると、日本人は信じる。天皇のご存在もまた、それと同様の霊的なご存在であるが故に尊いのである。

天皇の本質は「祭祀王」である。「天皇の務め」の本質は、祭祀である。

宮中祭祀の中には、天皇にしか行えない「秘儀」がある。「即位した天皇」だけが為す秘儀によって、「天皇霊」がその御身体に宿り、正真正銘の「天皇」になられる。

天皇によってのみなし得る「祭祀=天皇の務め」がある、ということである。

摂政や「公務代行者」には、それが務まらない。天皇が崩御され、次代の天皇が即位されるまで、その祭祀は行われない、行うことが出来ない、ということである。

祭祀王=天皇が、その第一の務めたる祭祀を執り行えない。天皇にとって、これ以上の屈辱があろうか?そしてそれは、日本の国体にとっての不仕合せである。

それが、8月8日の陛下の「御言葉」にある「天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であることに変わりは(ない)」ということである。

大正天皇の摂政設置は、大正天皇ご自身の意思に反して行われたことであり、踏襲されるべき先例ではない、と天皇陛下ははっきりと仰っている。昭和天皇も、晩年の御不例の際、ご自身の大正天皇の摂政体験を以て、「摂政設置」を嫌われたといわれている。

「摂政設置」は「天皇の権威の低下」に直結する。

それでなくとも、連合国によって、彼らが日本に強要した『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』によって、天皇の権威は貶められている。

「大変過ぎる公務を、陛下が自ら増やしてしまった」「だから無理ならば止めればいい」という、無知で非情な言説が「識者」達の間に散見される事にも、それは表れている。

「天皇の務め」=「公務」を、式典や行事に出席すること、外国からの賓客を接受すること、出掛けて行って人に会うこと…、等と矮小化しているのだ。

これは天皇の神霊性を軽視・無視しているということ、つまりは天皇の権威の否定である。

GHQ『皇室典範』は、宮中祭祀を「天皇家の私事」として規定し、「公務」として認識していない。天皇を「祭祀王」として認識することを、憚っている。

人種間、国家間の対立を煽って混沌を招来し、利己主義を奨励し、無秩序・無政府状態を醸成して、世界戦争を起こし、世界同時暴力革命を達成するのが目的の国際共産主義者たちにとって、「八紘一宇=人類は皆家族」であらゆる人種を融合する祭祀王=天皇と、その天皇を「万民の父母」として奉じる世俗的家族主義・利他主義の日本人は、一人残らず消してしまいたい邪魔な存在である。

だから連合国は、「祭祀王=天皇」も「立憲君主=天皇」も、その存在を否定し、貶めた。

GHQによって廃止されかけた「宮中祭祀」を、「天皇家の私事」であるということにしてでも存続させた、という経緯が占領期にあったにしても、「国民のために祈る」という行為を「天皇家の私事」とすることは、「祭祀は天皇が勝手にやっているわたくしごと」とみなすこと、つまり「天皇の権威の軽視・無視・否定」を促進しているというその事実を、いま私達は見過ごしてはならない。

「宮内庁参与会議」は、「天皇の譲位のご意向を表明する」ということの他には、何も決められなかった__障害となったのは、政府と『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』であった。

「宮内庁参与会議」では、先述したように、2011年ごろには「天皇の譲位」を前提とした議論に移っていた。しかし、その後5年間、「参与会議」は大きな障害に立ちはだかられ、議論は進まなかった。決まったのは、「天皇のご意向をどういった言葉で表現し、いつ表明するべきか」ということだけであった。

「参与会議では、14年の時点で、翌年の15年12月のお誕生日会見で、退位に関するお気持ちを表明するという案が出ていて、ビデオメッセージという形式も考えていました」(宮内庁関係者  『文藝春秋』10月号 同上記事)

つまり、「参与会議」はたったこれだけのことを決定するのに3年を要し、しかもその決定された「お気持ち表明」は、今年8月8日にようやく実現するまで、さらに2年の「待った」をかけられたわけだ。

退位を実現させるために、政府をどのように動かすか。また、お気持ちの表明にあたり、政府の了承をどのように取り付けるか。それが、当初から最大の問題だったのです。」(宮内庁関係者 同上)

憲法にも皇室典範にも規定がない「退位」の実現には、典範改正か特別法の制定が必要になるため、政府の協力が必要となる。〉(同上)

当時の民主党政権と宮内庁とは、2009年12月の「小沢一郎、陛下のご体調に配慮した『一か月ルール』無視で習近平・天皇特例会見を強要」の一件以来、当然の如くギクシャクしていた。「大変異例なこと。もう二度とこういうことは有ってほしくない」と会見で発言した羽毛田宮内庁長官を、小沢は「一役人が内閣の方針にどうこう言うなら、辞表を出してからいうべきだ」と、公に批判した。宮内庁側からは、とても「退位」の件を相談できる雰囲気ではなかった、というのである。

「宮内庁長官といえど、皇室に関することを独断で発言することはできません。長官の発言は、ほぼ天皇のご意思と見ていい。自由に発言できない天皇のお気持ちを代弁した長官を、小沢氏は叱り飛ばしたのです。」(皇室担当記者  同上)

民主党には他にも「大韓航空機爆破事件」の北朝鮮元工作員(現在韓国在住)金賢姫の「超国賓待遇招聘・ヘリコプターで海自・米海軍基地上空『遊覧飛行』」(2010年7月)「秋篠宮殿下への『早く座れよ』不敬発言」(2010年11月)の中井洽議員という外患誘致容疑者がいるが、小沢同様、中国・韓国・北朝鮮への忠誠心の方が日本への愛国心より大きそうなのは間違いなく、その天皇・皇族への不敬は目に余る。

国会議員の半分は反日・天皇制廃止論者、あとの半分の殆ども、米国追従で、GHQの洗脳で脊髄を犯されており、日本の国体の危機を感じ取る感性を喪失している。このような連合国の意のままに操られる「敗戦利得者」のような人々に囲まれて激務をこなす陛下の焦燥感、孤独感は如何ばかりか…。想像に難くない。

2012年2月、天皇陛下は心臓冠動脈のバイパス手術を受けられた。

今上陛下が、おそらくは敗戦時の十代の頃から、70年以上も、我々国民には想像もできない類の「悪意」に対峙してこられたであろうことを思うと、もうこれ以上、一日たりとも長くお待たせすることはできない。

それが分かっていながら、政府は「有識者会議」による検討、「特例法」制定という間違った道を選んだ。

9月23日、政府が発表した有識者会議の名称は、「天皇の公務負担軽減等に関する有識者会議」である。「公務負担軽減」__天皇の「譲位」の実現を話し合うのではなく、「参与会議」が6年前に通り過ぎ、天皇ご自身が却下された議題を、また掘り起こすというのである。

「私は譲位すべきだと思っている」

この問題の出発点となる2010年7月22日の「宮内庁参与会議」=「天皇陛下の有識者会議」は、陛下のこのお言葉で始まった。

「公務削減」は論外、「摂政設置」は不適切。「譲位」しかない。天皇陛下は6年前、そこから話を始められたのだ。

『週刊新潮』2016年7月28日号によれば、陛下念願のフィリピン訪問を果たされた後の今年春先に、宮内庁は天皇陛下のご公務の大量削減案を提出したところ、「(陛下は)いつになく強いご難色を示され(……)『こうした案を出すくらいなら、以前より私が考えてきたことは、なぜできないのでしょうか』というようなお言葉」で、叱責されていた。(侍従職関係者による)

宮内庁長官は、「参与会議」だけでなく、皇室の将来を案じておられる天皇陛下をお助けするため、皇后陛下が提案され、2009年から実現した、天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下の「三者会談」にもオブザーバーとして臨席している(当初は羽毛田信吾長官、2012年から風岡典之長官)。

にも拘らず、陛下のご苦悩の原因が『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』による天皇の権威の軽視・無視・排除にあるのだ、という真実から、目を背け続けている。

9月26日に、退任した風岡長官の後任として、宮内庁長官に就任した山本信一郎は、2016年7月13日の最初のNHKの「天皇陛下のご意向表明」報道の際、宮内庁として「生前退位」の検討をしているかと聞かれ、「その大前提となる(天皇陛下の)お気持ちがないわけだから、検討していません」と語っていた。

天皇が自身の意向を表明し、それに呼応して政治が動けば「違憲」となる、だからこの「お気持ちの存在自体の否定」は天皇陛下を御守りしようとしてのこと、という「善意の解釈」が複数の「識者」からも聞こえてきている。

だが、それは話が逆さまだ。天皇の「譲位」についての規定がないどころか、崩御に至るまでその地位にあって公務を行い続けよ、と規定し、天皇自身の身の振り方についても天皇自身で決定できず、「主権者(=国民)=政府・国会」の下位に天皇を貶め、その決定に身を委ねさせる『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の非人道性、理不尽さに、まず疑問を投げかけるべきではないのか?

このようなおかしなものを『憲法』『典範』と呼んでいていいのか、これらが本当にその名を冠する資格があるのか、なぜ誰も問おうとしないのか?

天皇陛下の譲位のご意向の実現を阻んでいるのは、「『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が有効である」という欺瞞である。

宮内庁、政府、国会…。現在この問題を動かす立場にあるものの誰もが、『日本国憲法』が天皇の政治への関与を禁じている、GHQ『皇室典範』には退位の規定がない、というところで思考が止まってしまっている。

宮内庁も、そしてなぜか「憲法改正」に執心する政府自民党も、『日本国憲法』の遵守に懸命で、「無効論」への言及すら聞こえてこない。

内閣官房副長官・杉田和弘は、天皇陛下のご意向が明らかになった7月13日直後、「皇室典範改正となれば、きっと物議を醸す。また、陛下のご発言が政治に影響を及ぼしたという事実自体が、憲法違反となりかねない」と周囲に言っていた。(『文藝春秋』2016年10月号上記記事)

杉田内閣官房副長官は、宮内庁長官の政府側のカウンター・パートであり、「有識者会議」の運営など、「天皇陛下のご意向」問題の実働部隊である、皇室典範改正準備室(こちらも独自に天皇の公務削減について検討していた)のトップである。

「陛下のご意向問題実働部隊」の皇室典範改正準備室の長までが、陛下を「違憲」呼ばわりし、「物議を醸すから」とGHQ『皇室典範』改正について躊躇しているのだ。

だが、『日本国憲法』もGHQ『皇室典範』も、改正の必要はない。いや、改正などして、これら無効なものを「有効認定」するようなことはしてはならないのだ。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認、そして大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認で、政府や識者が「困った、困った」と言って頭を抱えている問題は、全て解決するといってもよい。

にも拘らず、誰もが必死になって「無効論」という言葉すら国民の耳に届かないようにしているように思える。

「無効論」を知らないのか?そんなはずはない。自民党内だけでも、過去には稲田朋美、西田昌司らが「日本国憲法無効論」に言及していた。(「憲法無効論 渡部昇一・稲田朋美 YouTube」「現憲法無効論を主流にできるのか 週刊西田 一問一答 YouTube」)

稲田朋美防衛相は、衆議院議員に初当選の翌年2006年から、毎年行ってきた8月15日の靖国神社参拝を今年は見送り、なぜかアフリカ・ジブチを訪問させられた。これを画策したものが、彼らの「日本国憲法無効論」を圧殺しているとみて間違いないであろう。

陛下の譲位のご意向は、実現に向かうどころか、「保守」であるはずの政府自民党によって、また「ふりだし」に戻された。

安倍政権は、この「有識者会議」のメンバー選定にあたり、敢えて皇室問題・憲法の専門家を除いた。過去の発言などから、『結論ありきの人選』との批判を浴びかねず、議論が皇室制度全体に及ぶことへの懸念もありそうだ。議論を早期に取りまとめたい政権の思惑も透ける」と、日本経済新聞は推察する。(2016年9月24日)

要するに、安倍政権は「何も決めない」「(憲法改正のため)早期決着」という結論ありきの人選で、座長には安倍首相に近いとされる経団連(中国寄りか?)名誉会長・今井敬を据え、これまでの「有識者会議」経験者である御厨貴東大名誉教授、清家篤慶応義塾長らを含めた。御厨貴は「時間のかかる方法を避け、特例法で対応する必要がある」といっている。(同上)

「政治、歴史、行政など幅広い分野から選び、国民的議論を印象づける狙いもありそうだ」(同上)というが、この有識者会議の設置を以て「国民的議論が深まった」とされてはかなわない。

第一、「国民としての視点からの自由な意見の聴取」なら、天皇陛下が「参与会議」でもう済ませておられる。6年もかけて。これ以上何を、皇室問題の素人である人々から聞こうというのか?

それに、安倍政権は、「特例法で対処する」と、もう決めている。

しかも、「有識者会議」の議論が始まる前に、「特例法」について、既に法制局の「お墨付き」を取っている。

9月30日、横畠裕介内閣法制局長官が、衆院予算委員会で、「皇室典範そのものを改正せずとも、特例法を制定すれば天皇陛下の譲位の実現が可能である」との「見方を示した」

官邸幹部が「横畠氏の答弁は政府として(有識者会議の)意思統一したものではない」と弁解がましくいい、菅義偉官房長官も「法制局長官は有識者会議で幅広く検討を行うという前提に立ち、あくまでも一般論として言われたこと」と言っているが、これはどう見ても「お墨付き」だし、加えて御厨貴東大名誉教授の声もあり、「(有識者会議には)国民目線で真っ白な視点で議論してもらう」という政府の言は言っているだけ、の感が否めない。

法制局長官答弁は、正確には「皇室典範は特例、特則を定める別法も含みうる」とのことだが、これは『日本国憲法』第2条の「皇位は国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」というのを、「国会の議決した」法律が、皇室典範だけでなく、特例法も対象になる、という解釈である。

特例法は、例え法制局長官のお墨付きがあったとしても、「解釈改憲」にすぎない。

安保法制の時と同様、いづれ野党に矛盾を突かれ、退位後の天皇の地位が自衛隊同様の「違憲」の存在にされてしまうだろう。

「日本の国体の破壊装置」である、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は偽物だ。そんな偽物を国の根幹に据えていることの不条理に知らぬふりをし、そこから噴き出す矛盾に蓋をして回るだけでは、いつか大爆発を起こして汚物をまき散らすことになろう。そして、今のままではその時は近い。

「国民的議論を深めている」というポーズだけの、何も決めない「有識者会議」、天皇陛下のご意向の真意を理解し、「無効論」という法理的に正しい道を探ろうともせず、今上陛下御一代のみの譲位を「解釈によって許可」する「特例法」__これは、天皇陛下への侮辱である。

天皇陛下は、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」ると仰った。それを承った国民は、その大多数が「今上天皇だけでなく、その後の天皇もずっと譲位を可能に」と、政府に要望した。

それを、政府は無視したのである。

政府自民党、安倍政権にお願い申し上げる。

今からでも遅くはない。「有識者会議」に日本国憲法無効論者を招聘し、無効論を国民に周知していただきたい。

正真正銘の公議公論に「日本国憲法無効論」を付し、国民に天皇陛下を補翼する機会を与えて頂きたい。

そうして、天皇陛下に心からの御安らぎを、差し上げて頂きたい。

1947年9月25日、昭和天皇の憲法の師・清水澄博士、大日本帝国憲法に殉ず

『日本国憲法』は、「国民の総意により」成立していない__美濃部達吉顧問官は「憲法改正」に反対して起立せず、枢密院議長・清水澄博士は連合国の無法な「新憲法」制定に抗議の意を表すため、入水自殺した

清水博士の「自決の辞」は、新憲法施行の日の1947年5月3日に書かれた。

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釜坂信幸氏ブログ 『枢密院議長、清水澄博士の思い…。』より

この「自決の辞」に言及されている「共和制採用を希望する私擬憲法案」とは、高野岩三郎の『日本共和国憲法私案要綱』のことであろう。

元東京大学経済学部教授であり、社会統計学者であった高野岩三郎は、敗戦直後の1945年10月29日、左派の同志と共に「憲法研究会」を設立、同年12月に『憲法草案要綱』を発表した。

高野はこの『憲法草案要綱』で「天皇制廃止」「国民主権」を唱え、GHQも新憲法草案の作成の参考にしたそうであるが、左派の「憲法研究会」でも最も過激な左翼思想の持主であったため、GHQ憲法草案の「象徴天皇制」すらも生温い、とばかりに「大統領制」「土地国有化」などを盛り込んだ『日本共和国憲法私案要綱』を発表。自身の所属する「憲法研究会」を含め、天皇制存続を容認する潮流を「囚われたる民衆」と称して批判した。(参考:高野岩三郎 wikipedia)

GHQは、『日本国憲法』の制定が連合国によってなされたことも、その無法で卑劣なる制定に抗議して入水自殺した枢密院議長・清水博士や、不起立で反対の意を示した美濃部達吉顧問官など強硬な反対者がいたことも、当然ながら検閲によって、国民に知られないようにした。(当ブログ別稿『「日本人の魂の武装解除」:GHQ検閲リスト30項目で連合国が隠したかったこと』をご参照ください。)

日本国憲法改正の勅語、憲法公布記念式典の勅語には「日本国民の総意に基いて…」「この憲法は…自由に表明された国民の総意によって確定されたのである…」とある。が、これもGHQの脅迫に怖気づいた日本政府が、何とかつじつま合わせに天皇陛下にお願いして書いていただいたものである、と当時の法制局長官・入江俊郎氏が、1954年の自由党憲法調査会に於いて告白している。(p.73 菅原裕『日本国憲法失効論』新装版)

占領下の日本には、立憲君主の天皇を棄て、『日本国憲法』を自ら選び取る「自由に表明された国民の総意」など、かけらも存在していなかった。

高野岩三郎の『憲法草案要綱』の「国民主権」などを、GHQが参考にしたらしいことを以て、「『日本国憲法』は『押し付け憲法』ではない、日本人の発案によるものである」などと言う輩もあるが、連合国・国際共産主義者であろうと日本人の社会主義者であろうと、「万世一系の天皇がこれを統治する」=「日本の国体」を、姑息卑怯な手を使って改変しようとしたことに変わりはない。

高野は「象徴天皇制」を生温いといい、「天皇制廃止」「共和制」をしつこく主張したが、連合国は、「天皇制廃止」を諦めたのではなかった。

連合国は、『日本国憲法』の「象徴天皇」という「不思議な言葉」によって、「日本の国体が護持された」と日本国民と天皇を騙し、「国体破壊の時限爆弾」を仕掛けたのである。

天皇は、連合国によって、その主権者=元首=立憲君主としての地位を簒奪された。

天皇の正当な地位を、近代的立憲主義のもとに規定した大日本帝国憲法を、連合国は「天皇制強権支配の温床」と呼んで廃棄し、その代わりに『日本国憲法』という「連合国への隷従宣誓書」を、「日本人自身が自由な意思で選び取った」という虚構を打ち立て、世界に宣伝し、徹底的な検閲とプロパガンダで日本人を洗脳した。その洗脳は、今も続いている。

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War Guilt Information Program という洗脳プログラムには、「東京裁判」も含まれるが、最も日本国民一般に影響を与えたのは、連合国の「東京裁判史観」=「太平洋戦争史」(「大東亜戦争」の名称は検閲によって禁止された)に基づくNHKラジオの『真相箱』であろう。(先述の高野岩三郎は、占領初期より検閲・公職追放リスト作成などでGHQに協力した5100人の日本人のリーダー格として活躍し、1946年、GHQのプロパガンダ機関と堕したNHKの戦後初代会長に就任している。社会党顧問でもあった。)

WGIPが振りまいた「戦前の日本は悪かった」「大日本帝国憲法は悪法だった」という嘘の刷り込みが、「大日本帝国憲法を改正」し「民主的で正しい」『日本国憲法』を日本人に「受け入れ」させる土壌をつくった。

清水博士はご自分の無力を嘆いて入水し、「幽界より国体を護持」せんとされた。今、「戦後レジーム」という名の連合国利権を失いたくない利己的な輩が跳梁跋扈する日本に於いては、国民は誰も『日本国憲法』無効論の存在すら知らされず、「無効論」を知る少数の国民ができることの微小さは、占領下のそれと、さほど変わっていない。

だが、日本人は、最後まであきらめない。

清水澄博士の、大日本帝国憲法と天皇陛下への御忠義と誠心が、私達日本人に勇気を与えてくださることを念じ、ここに博士のご冥福をお祈りし、博士の御遺志を継いでいくことを誓うものである。

すめらぎいやさか。

(日本人が『日本国憲法』の真実を知るために、是非読んでおきたい参考図書を以下に挙げます。特に国会議員・官僚・学者、そして「有識者会議」のメンバーの皆さんは必読。逆説的ですが、「無効論」を知れば、「有識者会議」も、「特措法」「特例法」も、『皇室典範』改正も、「憲法改正」も、全く必要ないことが、そして、寧ろ害悪をしかもたらさないことが、お解かり頂けます。『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認と、大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認で、天皇陛下の譲位のご意向を速やかに実現し、なおかつ天皇に主権者=元首=立憲君主としての政治的権威をお返しすることで、正気を無くした日本人に喝を入れる。それが、今一番にしなければならない大切なことです。)

心理的「主権喪失状態」__それが戦後日本の問題の本質。日本に「主権=立憲君主・天皇=国体」を取り戻す__それが『日本国憲法』無効確認の核心。__正確な現状認識だけが日本を護る②

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が有効であるという大前提そのものが、連合国の洗脳の結果である__天皇=国体主権の戦前に、連合国の言う「天皇独裁」など無かった、という事実を思い出せ

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2016年8月8日の天皇陛下の御言葉を、外交評論家の加瀬英明は「天皇によるクーデター」と呼んだ。天皇陛下が皇室典範が規定する摂政制度を退けられたことで、「天皇が法を改めるよう要求されることは、あってはならない」、と。(『孤独の人』 『WILL』10月号)

だが、天皇の権力・権威を奪い日本解体を目指す「クーデター」は、もう既に戦後70年余り、日本で進行中だ。批判されるべきは、本当の「クーデター」主犯の連合国(=米国と国際共産主義者)とそのおこぼれに与る敗戦利得者たちであって、天皇陛下では決してない。

明治の皇室典範で、天皇の譲位を認めないことを規定した当時は、まさか日本が「天皇制打倒」を目論む輩に、こうまで蹂躙されようとは、誰も想像だにしていなかった。敗戦国日本に対する連合国の無法がこれほどまでとは、日本政府も天皇ご自身すらも、予想されていなかったに違いない。

戦争の勝者に国家元首の主権を奪われながら、70年も外国占領軍擬製の『憲法』を奉戴し、また国民全てが騙され、その事実を誰も知らずにいたなどという話は、諸外国にも例がないのであるから、「英国やオランダ等での退位の状況と比較」などしても、全く意味がない。寧ろ、「英国女王は元首で主権者である」という改めて確認した事実に接して、「何故天皇陛下は日本の元首であらせられながら、主権者ではないのか」との疑問を、「日本の天皇は象徴だから」で済ませてしまう思考停止ぶりをこそ、責められてしかるべきであろう。

偽憲法である『日本国憲法』を「憲法」として戴く戦後日本は、「欺瞞の世界」であって、『日本国憲法』が無効であり、大日本帝国憲法が現存している「真実の日本」と、二層構造を成しているのである。

加瀬英明は「あってはならない」と言ったが、大日本帝国憲法下の「真実の日本」に於いては、「憲法改正の発議の大権」は天皇にこそあるのであって、天皇陛下は何も間違っておられない。

強いて言うなら、この度の天皇陛下の「ご意向の表明」とは、連合国の「クーデター」に対する「カウンター・クーデター」であったと言うべきであろう

「天皇陛下のお気持ち表明」とは、この「国家の変局」を国民に報せる「警鐘」であった。

日本人は、70余年に及ぶ連合国の洗脳によって、正気を失っている。

『日本国憲法』が制定されたとき子供であった人々__「軍国少年少女」であったろう人々が、その幼い頭に「日本は軍国主義によって悪い戦争をした」「今日からこの新しい憲法で民主主義になるのだ」と叩き込まれ、その人々に育てられた世代__生まれた時から『日本国憲法』の日本であった世代が、今、日本の支配層、権力層の中枢にいる。

『日本国憲法』の日本が、彼等にとっての「ナショナル・アイデンティティー」なのだ。

彼等にとっては、『日本国憲法』が日本の憲法であって、それが有効かどうかなどとは、考えたこともない、当然すぎることなのだ。

だが、天皇陛下と同じ世代__いわゆる「昭和一桁生まれ」の人々は、自分の親たち、実際に戦争に行った世代が、「新しい、民主的な『憲法』」をもてはやす風潮を、冷めた目で見つめていたことを、知っている。

『日本国憲法』という、文字通り「勝ち組の御輿」を我先に担ごうとしたものと、それを苦々しい思いで眺めていたものとに、占領期の日本は引き裂かれていた。

そのバラバラになりかけの日本を繋ぎ止めたのは、「人間宣言」しても尚「戦前と少しも変わらない『万民の父母』としての天皇」であった。

戦後の「欺瞞の日本社会」にあって、天皇の存在だけが、戦前と変わらず真実のままなのである。

「天皇陛下の譲位のご意向」を、「『日本国憲法』絶対教」の人々が「個人的なお気持ち」に格下げしてみせても、大多数の一般国民は、陛下のメッセージの行間に、本能的に「国家の変局」を感じ取った。9割もの国民が、「違憲」のはずの陛下の「ご意向表明」を「問題ない」と言っているのはその表れである。

だが、陛下を一番理解しサポートするべき宮内庁や、本来、経済よりも安全保障よりも「天皇陛下の御言葉」=「日本の国体の根幹」こそが優先事項であると理解すべき日本政府・国会の反応が鈍すぎる。

日本を動かす立場にある政治指導者達、その深い学識で国民を啓蒙する立場にある学者達の誰にも、「天皇陛下の仰っていることの本質は、単なる老齢による公務遂行の困難についてのお悩みにはとどまらない、日本国家の変局、国体に関する重大事である」との認識があるようには見えない。

占領軍によって、国体改変__国家の歴史と伝統の破壊__を目指して制定された『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の、法的正当性を、天皇陛下の「御言葉=警鐘」を戴いた後にも、なお、支配層・権力層の誰も問わないとは、日本が連合国の洗脳教育で、飽和状態にあることの証左であろう。

皮肉なことに、これら官僚・政治家・識者達の、陛下の国民へのメッセージに対する、鈍感で的外れなコメントの数々を読むと、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』そのものが、天皇陛下の「譲位」のご意向の実現を阻んでいる、ということがはっきりとわかる。

「連合国への服従誓約書」=『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が、どのように天皇の存在を抑圧しているか、日本の「欺瞞の戦後社会」がどのように形成されているか、箇条書きで見てみよう。

『日本国憲法』は天皇から主権を剥奪し、「象徴天皇」とした。

●「象徴天皇」を、天皇も国民も、「『万民の父母』天皇とその『赤子』国民の関係性の象徴」「日本の歴史と伝統そのものの象徴」と解釈した。これは日本の国体の解釈として正しいが、連合国の本音ではなかった。

●GHQ『皇室典範』は、明治の皇室典範と違って天皇家の「家憲」ではなく、只の法律、『日本国憲法』の下位法である。「憲法」と同格の「皇室典範」は議会の干渉を許さなかったが、GHQ『皇室典範』は、寧ろ皇位継承という日本国の根幹の問題に、皇位継承の当事者である天皇の関与を許さない皇室弾圧法、日本の国体破壊法である。

連合国の本音の「象徴天皇」とは、国政に関与を許されず、臣下たる国民にその進退を完全に任せる、無力な「飾り物」としての天皇像であった。

●「国民主権」とは、本当の「主権者」である連合国が、連合国子飼いの「戦後エリート」を操って、「主権者国民」の名を騙って行う「側近政治」のことである。

この「側近」達は、「宮内庁関係者」「政府関係者」等という匿名性に隠れ、日本政府の政策を実際に決定してゆく。

「有識者会議」も、法的根拠がなく、国民の意思を必ずしも反映しない、という点で「側近政治」である。その後ろに誰がいるのか、国民は知らない。

学者も政治家も、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が無効であるという事実から、必死で国民の目を逸らせようとしているように見える。

『日本国憲法』がアイデンティティーとなった彼らにとっては、『日本国憲法』無効論とは、自分たちのアイデンティティーを破壊するものに他ならないのであろう。

彼等の言っていることは要するにこうだ:「天皇陛下の『譲位』のご意向を実現するためには、現行『皇室典範』を改正する必要がある。そうなると議論に何年も要することになり、せっかく盛り上がってきた『憲法改正』論議に水を差す、だから特措法でお茶を濁そう」__。

だが、これは完全に本末転倒だ。

安倍政権は、何のために憲法改正したいのか?

「美しい日本を、とりもどす」ためではなかったのか?

今現在、日本が美しくないのは何故だ?

連合国の暴力に屈服し、敗戦利権の「戦後レジーム」にしがみつく、金と権力の亡者ばかりが日本の支配層・権力層に幅を利かせている。

国連総会の場で日本を「JAP」と呼ぶような、民度の低い北朝鮮から、拉致された日本人被害者を、正当な作戦行動により奪還することもできない。

祖国を護るために戦って散華した、英霊の御霊を祀る靖国神社に参拝することすら、唯物論亡者の親玉・中国と、その腰巾着・韓国の顔色を伺って自由にできない。

自分で戦うことを放棄し、米国に護ってもらう他に道はないのだから仕方がないと、経済政策も安全保障政策も、何もかも米国の言いなり。

明らかに「外患誘致」犯し放題の、極度の親中沖縄県知事や、朝鮮半島の回し者・民主党(当時)の元首相達、日本の名誉を極限まで傷つけた『村山談話』『河野談話』の責任者たちも起訴できず、中国侵略間近の尖閣に自衛隊を常駐させることもできない。

外務省を始めとする「戦後エリート」達は、連合国が占領期に犯した罪の数々を、日本に転嫁するために擦り付けた「東京裁判史観」を、きちんと検証もせずに頭から信じ込んで、日本の先人が残した歴史と伝統に泥を塗って、恬として恥じることがない。

この情けなく、醜く浅ましい「敗戦奴隷」の日本の姿を、私たち国民は、「変えたい」と、そう願った。

だからこそ、日本国民は、二度の安倍政権を誕生させたのではなかったのか?

安倍首相が、日本の為に必死でやっておられることは知っている。『日本国憲法』の始末は「無効論」によらず、「まず『9条第2項を改正』、それから『漸次改憲』することが最も『現実的』」との考えであるらしいということも…。だが、考え直していただきたい。

「天皇陛下の譲位のご意向の表明」が明らかにした問題は、「戦後レジーム」下の数ある問題の「ひとつ」ではない。戦後日本の「本質的問題」なのである。その「本質的問題」とは、

戦後日本は「主権喪失」状態であり、「国体」=「日本のアイデンティティー」をも、いま喪失しようとしている

ということである。

連合国が、天皇の主権者としての権能を、不法に、暴力により強奪したことは、許されざる罪である。その事実を隠蔽し続けることも、罪である。国家の主権侵害、国民の知る権利の侵害である。

このようなことが70年もまかり通ってきたこと自体が、連合国の日本への人種差別に根差していることを考えれば、その犯罪性は二重になる。

その犯人・連合国は、連合国自身が日本に与えた『日本国憲法』が禁ずる「検閲・言論弾圧」を以て、自らの犯行を隠匿している。

この問題を解決できるのは、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認・大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認しかない。『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の「改正」では、「本質的問題」を解決できない。なぜなら、戦後日本の問題は、全て、連合国に与えられた偽の「憲法」という「国体破壊法」、偽の「皇室典範」という「天皇弾圧法」、偽の歴史、偽の罪悪感によってもたらされている。

『日本国憲法』自体が欺瞞であるが故に、それから派生した法律も、深刻な矛盾をはらむことは当然である。

国家の根幹である憲法が、偽物であってはならないのである。

連合国の犯罪を告発し、真実の歴史を回復することでしか、戦後日本の問題は解決しない。

「『日本国憲法』は無効である」と世界に宣言すること、「連合国が押し付けた『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は無効である」と、日本が宣言「できる」ことを、世界に見せつけることの他に、敗戦国・日本が真の主権と名誉を回復する道はない。

「『日本国憲法』の改正」には、「連合国の犯罪の告発」が含まれない。そこが問題である。それでは、日本は主権を連合国に差し出したままだからである。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は、天皇の権威を低下させ、日本の国体を破壊している元凶である。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』が、皇室問題=国体問題=日本国主権問題の最高権威である天皇の「意向の表明」すらも「違憲」扱いにし、国体破壊工作の阻止を阻んでいる。

天皇陛下の譲位のご意向の実現だけでなく、皇室の将来、皇統の安定的継承については、皇室問題の最高権威である天皇陛下と、その陛下が仰っているように、皇太子殿下と、秋篠宮殿下とでご検討いただくのが筋である。

にも拘らず、政府は『日本国憲法』にもGHQ『皇室典範』にも規定のない「有識者会議」で「時間をかけてゆっくり」考えるといっている。問題の核心である「無効論」を無視したままで、何に考えを巡らせるのか?そんな時間はないのだ。

『日本国憲法』は日本の「憲法」ではない、偽物である。GHQ『皇室典範』は、偽物の上に、国民によって決められる「ただの法律」である。

外国に不法に押しつけられた偽物「憲法」が、ひとつの国家の命運・存亡を左右していいはずがない。

天皇陛下が従うべきは『日本国憲法』などではなく、日本の本当の「主権」の在する「国体」のみである。

昭和天皇と今上陛下が70年余堪えてこられた「堪えがたき」こととは、この欺瞞の中に、国民が生きねばならないこと、この恐るべき禍のことである。

国民にこの禍を経験させている「万民の父母」たる陛下の御苦しみを察せよ。この禍は、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認により、今すぐ取り除かねばならない。

(2017年6月21日加筆)

『日本国憲法』無効確認が連合国=国連の欺瞞を正し、国際法が真に機能する法治主義国際社会の未来を示す__正確な現状認識だけが日本を護る①

敵国条項があることによって、「『天皇制ファシスト国家』日本は『正義の』連合国の敵」という大嘘が「国際社会の暗黙の了解」であり続ける。

だから、国連は、敵国条項を未来永劫、絶対に外さない。ましてや、「拒否大権」という伝家の宝刀を持つ安保理常任理事国に、日本を据えたりはしないだろう。

だが、そんなものを欲しがる必要もまた、日本にはない。国連=連合国には本当の権威がないからだ。

連合国=国連が、「第二次世界大戦は『ファシスト枢軸』と『正義の連合国』の戦争だった」という明白な嘘を存在理由にしなければならないこと自体が、国連の「虚構の権威」を象徴している。「人権」という一見美しげな衣に包まれているが、その内側には黒々とした暴力至上主義が透けて見える。

日本に日中戦争・日米戦争を仕掛けた連合国の主体は、国際共産主義者であったが、第二次世界大戦の実相は、「国際共産主義者」vs「民族主義的全体主義=ナチズム」の戦いに巻き込まれた「祭祀王=天皇の国・日本」がアジア・アフリカの有色人種の代表として欧米植民地主義に抗った、ということであった。

既に欧米の植民地になっていたアジア諸国は、宗主国の軍隊に「植民地軍」として編入されて、日本に敵対することになったが、インド、インドネシア、フィリピン等では、独立戦争を戦うための軍隊の組織・訓練・武装を日本軍が行い、実際に敗戦後も数千の日本兵が残留して、ともに独立戦争を戦った。

あの戦争は、日本とアジアにとっては「大東亜戦争」であった。GHQの検閲で「太平洋戦争」と言い換えさせられ、日本とアジア諸国がともに戦った記憶は改竄されたのであった。

連合国の嘘により、日本は第二次世界大戦の悪役にされたが、それは同時に、「アジアの盟主」としての日本を叩き潰すことで、有色人種を二度と白人植民地主義国に楯突かせないためであった。

日本を骨の髄まで「敗戦奴隷」にするには、日本人の魂の象徴である天皇の権威を剥奪するのが一番である。

それが、『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』制定を強制した連合国の本音である。

連合国は、日本に『日本国憲法』を制定させることで、ヒトラー・ナチスの『全権委任法』によるワイマール憲法停止よろしく、正当な日本の憲法であり、近代立憲君主国の憲法として立派に機能していた大日本帝国憲法を停止し、正統な君主であり主権者である天皇の権能を剥奪した。

のみならず、正当な天皇家の家憲である皇室典範を、同名の『皇室典範』という、臣下が恣意的に天皇のあり方を決定できる「ただの法律」と挿げ替えて、祭祀王たる天皇の主たる務めである祭祀を「天皇の私事」とし、皇室全体を統率する権能も奪って皇室運営を不可能にし、皇位継承・皇統維持の手立てさえ天皇自身が決定できない仕組みにした。

しかも、「『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の制定は、『正義の連合国』の賢き指示により、『天皇制ファシズムの強権支配と侵略的軍国主義』を反省した日本自身が行った」ということにされ、日本中、世界中が洗脳されてそれを信じた。

連合国は、原爆投下と全国無差別絨緞爆撃による、究極の暴力で恫喝しながら、日本をひれ伏させ、『日本国憲法』を遵守するよう誓わせた。

政府と行政のみならず、メディアと教育を支配した連合国は、戦後は「公職追放」によって脅迫しながら「日本人自身によって」「自主的に検閲・洗脳」を継続させた。

講和条約でも「東京裁判の判決を受け入れる」ことを誓わせた。東京裁判は「日本の戦争犯罪」など何一つ証明しなかったにもかかわらず。

これら連合国の犯罪の事実のどこにも、「正義」などない。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認は、この連合国の犯罪を全て白日の下に曝す。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認だけが、日本をこの犯罪の行われた以前の、大日本帝国憲法下の原状に回復させる。

「大日本帝国憲法は軍国主義的憲法だった」「戦前の原状とは『天皇制強権支配』だ」というのは事実ではない、連合国の洗脳による虚偽の記憶である、と、日本人は気付かなければならない。

立憲主義と、民主主義のある日本、祖国の歴史と伝統に誇りを持ち、利他の心で諸外国と友好関係を築くことのできる、私達の日本を取り戻せるのである。

連合国が、自身の犯罪を正確に認識することも、連合国自体にとっても、国際社会にとっても重要である。今のままでは、連合国=国連の謳う「自由」も「民主主義」も「人権」も、暴力至上主義者の言う大嘘に過ぎない。それでは国連は、いつまでたっても「国際社会の権威」たり得ない。

本物の権威でないから、連合国=国連は他者の振るう暴力を止められず、自身も他国の紛争への仲裁に、暴力を使うしかなく、暴力の連鎖を止めることが出来ない。

連合国=国連が自身の犯罪を認識することだけが、本当の世界平和への第一歩となる。

日本の権力者たちよ、『日本国憲法』無効論の無視・故意の不周知は、暴力至上主義・国連の無法の片棒担ぎと知れ!

(2016年9月26日・2016年12月14日改訂)

 

「生前退位」という言葉の連呼は、天皇陛下に対する「お葬式いじめ」ではないのか?

「退位」というのは「王位・帝位を退く」という意味しかなく、必ずしも次代への連続性を意味しない。清朝のラスト・エンペラーは退位し、清朝は滅びた。

そして、「退位」は王位・帝位にあるものが行為者であるから、当然その行為者の「死」の前に、つまり「生前」に行われる。

この「いわずもがな」で、しかも「死」を連想させる「生前」という語を、「次はないかもしれない」という意味を含む「退位」に付けた「生前退位」とは、不敬であると同時に、「お葬式いじめ」に匹敵する非道な言葉である。

国民がいままで聞いたこともないこんな言葉を思いついたのは誰だ?

その語の最初の使用者であるNHKか、それとも「天皇陛下のご意向」をリークした「宮内庁関係者」か?

「生前譲与」がOKならこれだってOKでしょ、という軽いノリだったのか?だが、竹田恒泰氏も言っているように、自分の親にでも「生前譲与してよ」のように、平気でこの言葉を使える日本人がいるのか?

天下のNHK、「日本国民のための、日本国民の知性を代表する公共放送」であるはずのNHKが、こともあろうに天皇・皇室がらみの報道で使用される表現にこれほど無頓着であった、という事実、そして、竹田恒泰氏や加地伸行氏らがそれぞれYouTubeやTwitter、論文(加地伸行『「生前退位」とは何事か』_『WILL』2016年9月号)で指摘した後も、反省の色なく、カッコもつけずにしれっと使い続けるのが朝日新聞、日経新聞を始めとする左翼親中メディアに限らず、保守系メディア・識者の中にも散見される、という事実が、この問題の深刻さを象徴している。

『日本国憲法』の「象徴天皇」と、昭和天皇の「人間宣言」を、国民が好意的に解釈して安心しているうちに、連合国・GHQの国際共産主義的洗脳教育で養成された反日的「戦後エリート」達の支配層への蔓延によって、「天皇の軽視」「天皇の権威の喪失」=国体の危機が現実のものとなっている。

最終目標は天皇の処刑

天皇陛下の御命を狙い、日本の国土、尖閣・沖縄の侵略に着々と歩を(船を)進めている中国と、その手下・韓国と北朝鮮が、連合国の「戦後レジーム」利権に乗っかって日本政府と官庁、NHKとメディアの中枢に浸透し、好き放題をやっている。

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効確認・大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認だけが、この無礼・無法を「許さない」と、世界に宣言する効果を持つ。

もう、黙っていてはいけない。天皇陛下と日本の名誉の為に、行動を起こそう。

安倍政権は、せめて「『日本国憲法』無効論」を国民に周知し、公儀公論に付し、正しい方向へ、舵を取るべきだ。

原爆と真珠湾:あの戦争の真実を、オバマ広島演説の自己欺瞞が覆い隠している

「『日米同盟』と『友情』という『希望の選択』」? 原爆投下正当論の修正と、本当の「人道に対する罪」:東京裁判・War Guilt Information Program・「『日本国憲法』の制定」の認罪で「真に対等な日米同盟」を実現せよ__感動のスピーチを「きれいごと」で終わらせないために…。

真珠湾を「騙まし討ち」にした責任を隠蔽してきた外務省と、『日本国憲法』無効・廃棄のチャンスをむざむざ捨てた吉田茂の「未必の故意」を追及し、日本と米国に真の和解を!

「我々には共同責任がある__歴史を直視し、他のどんな違ったやり方をすれば、あのような苦しみを撲滅することができるのか、問う責任が」

“…we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.”

2016年「伊勢志摩G7サミット」のため来日中のオバマ米国大統領は、5月27日広島を訪問し、原爆記念碑に献花した後、被爆者を含めた聴衆を前に感動的な、そして歴史的な演説をした。

「核なき世界」という崇高な理想を唱えて、ノーベル平和賞を受賞した「スピーチのオバマ」の面目躍如たる、格調高さと誠実さを、ともに感じさせる文面である。

「科学の発展は、これまでにない効率の良い殺人機械をも作り出してしまう」(”Science…can be turned into ever more efficient killing machines.”)

「将来、広島と長崎の名が人類最初の核攻撃を受けた場所としてでなく、我々人類の倫理観の覚醒の始まりの象徴として人々に知られるように」(in a future…Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare but as the start of our own moral awakening.)

だがこれは、「(米国が、でなく)科学の発展が、生み出した」原爆という大量殺戮兵器の存在を「人類共通の責任」とすることにより、「その悪魔の兵器を日本の無辜の民に対して使用した」という道義的責任に蓋をした、姑息な言い方でもある。

「原爆投下という『加害責任』を認め謝罪する」ことに繋がりうる言葉を、オバマは慎重に、だが徹底的に排除した。

「原爆投下により戦争終結が早まり、日本が戦争を続行した場合に日本本土決戦で犠牲になったはずの、数百万の米兵と日本の軍民の命が救われた」とする「原爆投下正当論」は、米国の退役軍人・高齢世代を中心に今もなお根強くある。(「日本人の命も救ってやった」という恩着せがましさよ。)

オバマはこれらの正当論者、特に強硬な退役軍人にライス米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)を通じて「米国はいかなる状況でも謝罪しない」と明言することで黙認を取り付け、戦後長らく「タブー」とされてきた広島訪問を、実現した。次期大統領共和党候補指名確実のトランプも、オバマの広島訪問について「大変結構なこと、謝罪しない限りは」と選挙集会で語っていた。

事実、オバマ大統領は黙とうはしたものの、「頭を下げる」というジェスチャーはこれもまた注意深く避けた。

また、演説そのものにも、「非道な戦争行為はお互いさま」「いや、米国と連合国はやはり正義=日本とドイツの悪行を思い出せ」というニュアンスがそこここに散りばめられていた。

「But we have a shared responsibility to look directly into the eyes of history」(歴史を直視する共同責任がある)

Empires has risen and fallen. Peoples have been subjugated and liberated. And at each juncture, innocents have suffered……」(ナチス・ドイツの第三帝国と大日本帝国?「南京大虐殺」?)

「……some 60 million people would die. Men, women, children, no different than us. Shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death.」(「バターン死の行進」とナチ・ホロコースト?)

「shared responsibility」とは、米国の「原爆投下正当論」者にとっては「日本が最初に悪事を働いたのだから、当然日本に大半の責任があるが、原爆のとてつもない殺傷能力は米国の予想もはるかに超えていた。確かにoverkill(過剰殺戮)だったかもしれない…」という「過剰防衛」くらいの責任の度合いであるが、大方の日本人にとってみれば「米国が(『共同』とはいえ)責任を認めた」とはつまり、「これで戦後が終わる」というくらいの重みのある文言である。だから米国の退役軍人はオバマの広島訪問を黙認し、日本人は歓迎一色に染まった。

オバマの広島演説は、安倍首相の戦後70年談話と対をなす「玉虫色の日米和解エールの交換」というべきものであった。

おそらくは、安倍首相(日本)とオバマ大統領(米国)の間には「これで戦後レジームの脱却云々は手打ちにして、今後は『日米同盟調整メカニズム』がスムースに運ぶようお互い努力しよう」という了解があったのであろう、と想像する。

日米同盟強化作戦__といえば対等な同盟の共同作戦のように聞こえるが、実のところ、米国が日本の「集団的自衛権」の行使を、事実上米国が自軍の展開を削減したいアジア地域での、中ロ牽制の役割に特化して、日本に特別に認める、ということである。米国が「被保護国・日本の影の宗主国」として主導権を握る状況に変わりはない。

「対等な日米同盟」は、今のままでは、実現にほど遠い。

オバマ大統領は「The United States and Japan have forged not only an alliance but a friendship」(米国と日本は「同盟関係」だけでなく、「友情」も培ってきた)といい、安倍首相は「熾烈に戦い合った敵は70年の時を経て、心の紐帯が結ぶ友となり、深い信頼と友情によってむすばれる同盟国となりました。」と、昨年2015年の米上下両院合同会議での演説での言葉を引いて、オバマの言葉に応えた。

だが、両者のいう「友情」「同盟」には温度差が歴然としてある。

「オバマ大統領は日本にいる間、真珠湾への卑怯な騙まし討ちのことを話し合ったのか?何千人ものアメリカ人の命が失われたのだ___ドナルド・J・トランプ」(Twitter)

Does President Obama ever discuss the sneak attack on Pearl Harbor while he’s in Japan? Thousands of American lives lost. ___Donald J. Trump https://twitter.com/realDonaldTrump

米国は原爆投下を正当化した。だが日本はひどいことをした。」「訪問を謝罪の枠組みにはめると、本来必要のない議論が起きます。」ジェニファー・リンド 米ダートマス大准教授(朝日新聞2016年4月23日)

「米大統領の広島訪問は、日米関係だけにとらわれると原爆投下についての謝罪の有無が問題になり、逆に日本による真珠湾攻撃の責任も持ち出され、国家のメンツやナショナリズムを刺激しかねない。」入江昭 ハーバード大名誉教授 (朝日新聞2016年5月29日)

「訪問と同時に謝罪も求めると、過去の戦争の評価をし直すことになる。」美根慶樹 平和外交研究所代表・元軍縮大使(朝日新聞2016年5月28日)

米国人保守はともかくとして、左翼学者とはいえ、日本人までもが「真珠湾攻撃」を「卑劣な騙まし討ち」として認識し、まるで「米国の原爆投下への謝罪」に対し「日本の真珠湾攻撃への謝罪」が当然必要かのような話になっている。「米国に謝罪など求めれば、ヤブ蛇的に日本の戦争犯罪のことも突かれてしまうぞ」と、暗にほのめかしてさえいる。

このことこそが、「戦後レジーム」の中にどっぷり浸かった人々の自己欺瞞なのだが、それに気づいていないのか、それとも他の日本人に気づかせたくないのか…。

オバマの最初の大統領選の際、対抗馬のマケインの副大統領候補として奮戦した、当時アラスカ州知事のサラ・ペイリンは「私たちが始めたわけではない戦争を、米軍が終わらせたことが間違いだったと示唆した」と今回のオバマの広島訪問を非難した。

だが本当に、アメリカは日米戦争を「始めなかった」のだろうか?

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Memorandum for the Director  Subject: Estimate of the Situation in the Pacific and Recommendations for Action by the United States p.4/4

米国は1940年10月7日付のマッカラム覚書で、「日本に最初の一撃を撃たせるため」の経済封鎖・石油禁輸など8つの項目を挙げ、その通りに日本を挑発して戦争に向かわせた。

1941年7月23日、側近に国際共産主義者を配したルーズベルトは、コミンテルンのスパイであったラフリン・カリー大統領補佐官の、中国国民党と連携しての日本爆撃計画に承認のサインをしている。

1941年7月26日、同じくコミンテルンのスパイであったハリー・デクスター・ホワイト財務省通貨調査局長の提案で在米日本資産が凍結され、日本の金融資産は無価値となった。

日本側がまだ必死で戦争回避の交渉を続けていた1941年11月に米国から突きつけられ、事実上の対日最後通牒となった「ハル・ノート」の実質作成者は、そのホワイトであった。

ルーズベルトは、日本を対米戦争に向かわせるまでに、完全に追い詰めた「ハル・ノート」の存在を、米国議会に隠したまま、日本の「真珠湾の騙まし討ち」を非難する演説をして、ハミルトン・フィッシュら参戦反対論者を騙し、対日参戦の決議を勝ち取った。

しかも、米国海軍の太平洋での機動力を殺ぐ為の「空母狙い」の真珠湾「奇襲」攻撃は、事前に日本側の暗号を解読し、攻撃目標を察知していたルーズベルトによって、その効果を半減させられた。

1941年12月7日(ハワイ時間)、真珠湾に、空母はいなかった。太平洋艦隊の主力、2隻の空母USSエンタープライズとUSSレキシントン、そして21隻の最新鋭戦艦は、ワシントンからの突然の命により、攻撃数日前にパール・ハーバーを離れ、ウェーキーとミッドウェイにそれぞれ派遣されていた。

マッカラムの「日本挑発行動8項目」の存在を知らされていなかった、真珠湾基地の太平洋艦隊司令長官H.E.キンメル大将は、暗号解読により日本の宣戦布告・ハワイへの攻撃が間近であることを察知し、これを洋上で迎え撃つため、独断で北太平洋へ帝国海軍機動艦隊の捜索部隊を出すが、ホワイトハウスはこれを知ると部隊の引き返しを命じてきた。

日本が機動艦隊を差し向けてくるのが確実な北太平洋を、「空白海域」として米国海軍の航行を禁止する、というのがホワイトハウスの命令であった。日本には自由で順調な航海の後、計画通り真珠湾に「卑怯な騙まし討ち」をかけてもらわねば困るからである。

キンメルと、真珠湾に残されたスクラップ待ちの老朽戦艦たちは、ルーズベルトによって、日本を誘い出すための囮とされたのだった。

1941年12月16日、キンメルは真珠湾の「失策」により少将に降格された。1999年5月25日、キンメルと、同時に降格されたウォルター・ショート米陸軍ハワイ部隊司令官の、名誉回復と階級復元が米国議会で決議されたが、当時の大統領クリントンも、ジョージ・W・ブッシュもオバマも、実行に移していない。

Pearl Harbor resauces 2
“Japan’s Decision for War in 1941” by Jeffrey Record / “FDR: The Other Side of the Coin” by Hamilton Fish, LL.D. / “Day of Deceit: The Truth about FDR and Pearl Harbor” by Robert B. Stinnett

対米戦争を日本に決意させた根本原因は、経済と名誉の問題だった。1941年7月の、ルーズベルトによる在米日本資産の凍結に続く対日経済封鎖は、日本にとって経済的・軍事的破滅の脅威であった。」(”The roots of Japan’s decision for war with the United States were economic and reputational. The termination of U.S. trade with Japan that followed Roosevelt’s freezing of Japanese assets in July 1941 threatened to destroy Japan economically and militarily.” p.48, Japan’s Decision for War 1941, Jeffrey Record)

「(日本国内に無く、アジアには有る日本の製造業が必要とする原材料の)供給が途絶えたら、1000万から1200万の失業者が発生すると、日本は恐れたのです。彼らの開戦目的は、つまり、大部分が安全保障に拠るところが大きかったといえます。」(“They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore in going to war was largely dictated by security.” ) (ダグラス・マッカーサー元連合国軍総司令官の米国議会上院軍事外交共同委員会での証言、1951年5月)

1928年12月7日、ケロッグ米国務長官は、米国議会上院の不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)批准の是非をめぐる討議において、経済封鎖は戦争行為そのものだと断言している。
東京裁判史観は「日本はパリ不戦条約に違反して侵略戦争を行った」というが、その不戦条約の中心人物であるケロッグ自身が「経済封鎖は『戦争行為』である」と断言したということはつまり、真珠湾攻撃の何か月も前に、経済封鎖を日本に仕掛けていた米国こそが、日米戦争において真の「最初の一撃を撃ったもの」であり、真の「侵略者」である、ということになる。
しかし、ケロッグが説明したように、侵略戦争かどうか、自衛戦争であるかどうかを決めるのは、戦争当事国の裁量に任されている。
米国が「侵略ではない」といえば、侵略ではないのだろう。矛盾と欺瞞だらけの国際社会に、我々は生きている。
ここで明白なのは、しかし、全世界のどの国も当然持っている「侵略かどうか、自衛かどうかを決める裁量権」を、独り日本だけには「与えられていない」ということである。それを決めるのは、連合国なのだ。

連合国が与えた『日本国憲法』によって、日本は自分の行う戦争が「自衛かどうか」を決めることができなくされている。

『日本国憲法』が、日本に「国連(連合国)至上主義」の軛をかけ、GHQの洗脳から日本国民が解き放たれるのを阻んでいる。

日本を、今でも事実上の敵国と規定する国連憲章の敵国条項(第53条・第107条)は、1995年の国連総会で、「既に死文化している」という過半数の賛成により、その削除が採択されたにも拘らず、批准されず、いまだ削除されずにいる。キンメルらの名誉回復が米国議会によって決議されながら、大統領によって実効化されずにいるのと同じだ。ここにも「玉虫色」の、「見せかけだけの正義」がある。

敵国条項によれば、「連合国の敵(つまり日本)が侵略戦争を仕掛けている、と連合国(の一国)が信じれば、安保理の許可なしに(日本を)攻撃してよい」ということになっている。つまり、日本を攻撃したければ「日本が侵略しようとしている」と言えばよく、反対に日本はそれへの反撃すらも自衛と認めてもらえない可能性がある。

この戦慄すべき不平等、唾棄すべき日本への差別。

このことを連合国が認識し、国際社会に周知しない限り、彼らのいう「同盟関係」「友情」という言葉に誠はない。

欺瞞に満ちた「偽りの同盟」は「1945年8月のソ連による満州侵略」の再現に繋がる__そこに心からの信頼関係はない。

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米国と連合国は、「日本は『天皇制強権支配』『侵略的軍国主義』によって日本国民を抑圧し、世界征服の野望に燃えて、アジア諸国を侵略した」という誣告=嘘を根拠に、日本の憲法を挿げ替えた。

連合国は、「象徴天皇制」「国民主権」を謳う『日本国憲法』によって、優れた立憲君主として立派に機能していた天皇から政治的権能を奪い、皇室弾圧法である『GHQ占領典範』によって皇室の自治権を奪って、皇統の危機を招来している。

広島と長崎に原爆を落とし、冷酷にも研究対象としてその被害者を観察した米国は、同じ冷酷さで日本人を洗脳した。歴史を書き換え、戦前の日本そのものを「邪悪な存在」として全否定し、「米国・連合国=正義の味方」史観ともいうべき虚構を日本人の頭に刷り込んだ。

『日本国憲法』第21条が禁止する検閲を、徹底的に行使することによって、連合国は今もなお日本人の「知る権利」を蹂躙しながら、日本の言論を弾圧し続けている。洗脳は、今も続いている。

その効果で、中国の露骨な「西太平洋での覇権」を目指す侵略行為を目の当たりににしながら、日本人の多くが、「中国を侵略した日本は中国に意見できない」という、植え付けられた贖罪意識によって、声を上げるのを遠慮してしまう。

同様に、原爆投下正当論は日本人の中にも浸透している。「南京大虐殺」「従軍慰安婦強制連行」等をいまだに事実と思い込んでいる人々は、「原爆投下が日本軍のアジアでの残虐行為をやめさせた」という偽のロジックに反論できない。

だが、本当に、日本と日本人は連合国の言うような邪悪な存在だったのか?

天皇は「国家神道」を臣民に強要して強権支配していたのか?大日本帝国憲法は日本人を搾取する悪法だったのか?日本人の天皇陛下への思慕は、強制されたものだったのか?

Hiroshima Hersey
ジョン・ハーシー『Hiroshima』

被爆者は「戦争を起こした天皇」を憎みながら、死んでいったのか?

第二次大戦中、従軍記者として『ライフ』誌などに寄稿していたジョン・ハーシーは、『ザ・ニューヨーカー』誌の企画記事を書くため、原爆投下の一年後の広島を訪れた。『ザ・ニューヨーカー』1946年8月31日号の大部分を占める長編記事として初出版されたハーシーの『Hiroshima』は、ハーシーがその被爆体験を聞き取った沢山の生存者のうち、6人の体験に焦点を当てて構成されている。

その6人の広島市民(ドイツ人イエズス会神父をふくむ)がハーシーに語った原爆体験は、しかし、原爆の明白な超絶的破壊力にも拘らず、「阿鼻叫喚の地獄絵図」ではなかった。いや、4000度の熱線により即死、或いは即日死を免れた生存者も、多くは恐ろしい火傷を負っていた。程度の差こそあれ、誰もが何かしらの傷を負い、家を破壊され、路頭に迷っていた。咽喉が渇き、空腹だった。それは恐ろしく、悲惨な光景だったであろう。

にも拘らず、日本人は静かだった。

「西洋人であるクラインゾルゲ神父にとって、何百人もの負傷者たちが、ひとかたまりになって、身の毛もよだつような恐ろしい傷に苦しんだ川辺の木立__その場の静けさは、神父の原爆体験の中でも、最も恐ろしく、また畏怖の念を起こさせる、不思議な光景のひとつであった。負傷者たちは静かだった。涙を流して泣くものはいなかった。傷の痛みに大声をあげる者もほとんどおらず、不平を言うものもいなかった。多くのものが死んでいったが、みなひっそりと死んでいった。子供たちですら、泣く者はいなかった。話をする者さえいなかった。クラインゾルゲ神父が、原爆の熱線により、顔形も判別できないほどに焼けただれた人々に水を与えた時、彼らは自分の分をすすったあとで、少し起き上がり、神父にお辞儀をするのだった。」

(“To Father Kleinsorge, an Occidental, the silence in the grove by the river, where hundreds of gruesomely wounded suffered together, was one of the most dreadful and awesome phenomena of his experience./ The hurt ones were quiet; no one wept, much less screamed in pain; no one complained; none of the many who died did so noisily; not even the children cried; very few people even spoke. And when Father Kleinsorge gave water to some whose faces had been almost blotted out by flash burns, they took their share and then raised themselves a little and bowed to him in thanks.” p.49, Hiroshima)

大災害に襲われた時、日本人は騒がない。そのことを、戦争を知らない私たちも、2011年のあの未曽有の大震災の後に確認した。日本人は、太古から自然災害を被り続けるうち、いつしか「文句を言っても仕方がない。今自分のできる最善のことをするだけだ」という達観した態度を身に着けた。それは、子供でも女性でも同じだった。

広島ジャザブイン[ママ]女学校のノブトキ・カヨコは、原爆が炸裂した時、何人かの友達と一緒にお寺の大きな塀の脇で休んでいた。少女たちは爆風で崩落した重量のある塀の下敷きになり、動けなくなった。すぐにその隙間から煙が立ち込めてきて、重い塀の下で、少女達は窒息しそうになっていた。

「少女達の一人が国歌の『君が代』を歌いだした。ほかの少女達も一緒になって歌い、そして死んでいった。[カヨコ] は塀に割れ目を見つけ、何とか必死に這い出した。赤十字病院に運ばれた時、[カヨコ]は友達がどんな風に…皆で一緒に国歌を歌いながら死んでいったか…を伝えた。彼女らはまだ13歳であった。」

“One of the girls begun to sing Kimi ga yo, national anthem, and others followed in chorus and died. Meanwhile one of them found a crack and struggled hard to get out. When she was taken in the Red Cross Hospital she told how her friends died, tracing back in her memory to singing in chorus our national anthem. They were just 13 years old.  p.116, Hiroshima)

広島大学の文学と科学の教授であるヒライワ博士は、東大生の息子と一緒に、原爆に破壊された二階建ての自宅の下に埋もれていた。二人とも、非常な重みの下で、一寸も動くことができなかった。家は既に火に包まれている。

「息子が言った。『お父さん、もうどうにもなりません。覚悟を決めて、お国の為に命を捧げましょう。天皇陛下に万歳三唱しましょう。』 父は息子の音頭で『天皇陛下、万歳!万歳!万歳!』と三唱した。『天皇陛下に万歳三唱したところ、』ヒライワ博士は言った。『不思議なもので、心が静まり、元気が出てきて、とても安らいだ気分になったのです。』その後、息子は脱出に成功し、瓦礫を掘り起こして父親を引っ張り出した。助かったのだ。その時の体験を思い出しながら、ヒライワ博士は繰り返した。『私たちは日本人でなんと仕合わせなことでしょうか!天皇陛下のために死のうと覚悟を決めた時、私は生まれて初めて、あんなふうな素晴らしい気分を味わいました。』」

(“His son said, ‘Father, we can do nothing except make our mind up to consecrate our lives for the county. Let us give Banzai to our Emperor.’ Then the father followed after his son,  ‘Tenno-heika, Banzai, Banzai, Banzai!’ In the result, Dr. Hiraiwa said, ‘Strange to say, I felt calm and bright and peaceful spirit in my heart, when I chanted Banzai to re’ Afterward his son got out and digged down and pulled out his father and thus they were saved. I thinking of their experience of that time Dr. Hiraiwa repeated, ‘What a fortunate that we are Japanese!’ It was my first time I ever tasted such a beautiful spirit when I decided to die for our Emperor.'” p. 115, Hiroshima)

私たち日本人は誰もが、天皇が、ヨーロッパの専制君主のような「搾取者」「強権支配者」等ではない、ということを知っている。

天皇は戦前も、今も変わらず、「立憲君主」であり、「万民の父母」である。GHQの「人間宣言」は、日本の文化と伝統に無知な外国人の、ピントの外れた天皇観からの発想であって、日本人には至極当たり前の話であった。

日本人は原爆に怯えて終戦を決意したのではない。寧ろ、「一億玉砕」を覚悟している国民に、天皇が「もうよい、矛を収めよう」と語りかけたのが「玉音放送=終戦の詔勅」であった。

天皇の「堪え難きを堪え忍び難きを忍び…万世の為に太平を開く 総力を将来の建設に傾けん」という言葉をうけ、敗戦の無念を胸にしまい、日本の明日の為にしっかり生きてゆこう、とういう天皇の言葉を体現すべく、心を一つに立ちあがったのだ。

日本国民が『日本国憲法』を「受け入れた」のは、天皇が公布の詔勅を出したからである。

「この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであって、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によって確定されたのである。即ち、日本国民は、みづから進んで戦争を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基づいて国政を運営することを、ここに、明らかに定めたのである。」(日本国憲法公布記念式典の勅語)

1946年11月3日、貴族院議場で挙行された『日本国憲法』公布記念式典で、国民の熱烈な歓呼を受けたのは『日本国憲法』ではなく、天皇の存在であった。

だが、日本人は知らなかった。この詔勅そのものが、『日本国憲法』誕生のいかがわしさを糊塗するために、「何とかつじつまを合わせようというので(天皇にお願いして)受けた」(公布当時の法制局長官・入江俊郎)ものであったということを。

「帝国憲法を全面的に改正した」といいながら、帝国憲法の改正方法に全く則っておらず、また改正の限界を超越しており、帝国憲法違反であることも、そもそも占領軍による「憲法改正の強要」はハーグ陸戦法規違反であることも、日本人は知らされなかった。

「国体護持」の条件付きで呑んだポツダム宣言に違反して、「象徴天皇制」「国民主権」という左翼全体主義的制度に「国体改変」したGHQの、日本人への差別的な人権無視を批判することさえ、日本人は許されなかった。

全国焼夷弾爆撃と原爆ニ発で「日本国土の完全破壊」を示唆。「天皇の身柄は保証せず」と恐喝。公職追放で、家族ともども路頭に迷う100万人の困窮を見せつけられながら、明日は我が身と怯える帝国議会議員による、実質「英語で書かれたGHQ憲法草案の日本語翻訳作業」でしかなかった「憲法改正委員会」を、「自由に表明された国民の総意」と呼ばせる、連合国の無法無体を、検閲という全体主義的行為によって、GHQは日本国民から隠し通した。

そして、ポツダム宣言のいう「無責任なる軍国主義」「日本国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出づるの過誤」の「証拠」として、偽証罪なし「訴えたもの勝ち」の東京裁判で、2年にも亘って偽の「日本の戦争犯罪」を並べ立て、日本と日本人に無数の冤罪を着せた。

連合国が固執した「憲法改正」の拠り所となった「アジアにおける『残虐非道の侵略軍=帝国陸海軍』による虐殺(『南京大虐殺』)虐待(『バターン死の行進』…後に『慰安婦性奴隷強制連行』)」も、すべては悪質な誣告であった。

『日本国憲法』は、「GHQの押し付けだから」という遥か以前に、連合国の日本人差別に満ちた占領政策における犯罪の集大成であり、当然無効である。

GHQは、言論機関・メディア・教育体制を通じて、東京裁判史観を国民に広め(WAR GUILT INFORMATION PROGRAM)、同時に30項目に亘る検閲(PRESS CODE=CENSORSHIP)で徹底的に真実を隠し通した。それらは全て、犯罪であった。

日本人は、戦後70年余、「知る権利」を蹂躙され続けている。「残虐非道の虐殺者、性奴隷を持った国」の国民として、「一億総前科者」扱いされている。汚されているのは祖父の名誉ばかりではない。

これは人道に対する罪、「正義」に対する侮辱ではないのか?

 

「日米の記憶 結ぶ機会に」と題されたインタビュー記事で、朝日新聞など左翼メディアに人気のコロンビア大教授、キャロル・グラックは、オバマの広島訪問を前に言う:

「原爆投下の記憶をめぐる米国と日本の記憶は対照的で、お互いに重なりません。米国の場合は(…)広島と長崎への投下で終わり、その下で起きた惨状は語られません。一方、日本の場合は原爆投下とそれで生じた被害から始まります。戦後日本が平和国家を目指すためのきっかけとなっていますが、それまで続いた戦争は登場しません。」「(戦後70年余で戦災に関する記憶の多くが変化した。が、原爆の記憶は変わっていない。その訳は)米国は原爆の倫理性、日本は侵略戦争の問題を直視しなくてす(むから。)ホロコーストや南京大虐殺、日本軍の慰安婦などは(人々がどのように記憶し、語るのかが変わった)典型(…)。」 (朝日新聞2016年5月17日)

後半、話の焦点がズレてくるが、要するに、『日本国憲法』とともに連合国の押しつけた「日本悪玉史観」が近年風化しかけている、日本はなぜ「原爆を落とされた」のか、その理由に思いをいたせ、とのご高説である。

だが、グラックは連合国と米国の「占領軍が日本に何をしたのか」については、不問のままだ。

連合国の占領政策と東京裁判を検証しなければ、「日本の侵略戦争」の誤謬を認識できず、正確な知識に基づく、実証主義的歴史認識を持つことができない。

キャロル・グラック、ジョン・ダワー…、国際共産主義者の意を体する米国の高名な学者たちが、いくら偉そうに日本の「侵略戦争」批判をぶっても、もはやかつての権威的圧力は感じられない。戦後70年余、「日本の加害の証拠」は論破され尽くし、「連合国の加害の証拠」ばかりが蓄積されてゆく事実には、寧ろ哀れを催す。

いや、キャロル・グラックの「日本の侵略戦争批判」の歯切れの悪さは、愚民化政策で日本人(と米国人、そして世界中の人々)を無知なままに置こうとした、国際共産主義者たちの「戦後レジーム」が、いま崩壊の崖っぷちに立っていることへの焦慮であろう。

嘘の上に嘘で塗り固めた「連合国善玉史観=日本悪玉史観」は、遅かれ早かれ崩落の運命にある。

だが、それを必死で抑え込もうとしている勢力が、日本国内にもある。もはや死に体の左翼政党や朝日新聞ら左翼メディアのことではない。

真珠湾攻撃が「騙まし討ち」ではなかったと、説明できる立場にありながらそれをせず、結果、「卑怯な日本人」への米国民の激昂を煽り、米国側の「原爆投下正当論」に加担した、日本の外務省である。

外務省の罪を問う

1945年12月7日、ワシントンの日本大使館は、事務執行上の失態により、本省から指定されていた「最後通告」の手交時刻を1時間20分も遅延させ、事実上、真珠湾攻撃を無通告の「騙まし討ち」にしてしまった。

米国務省のコーデル・ハル長官に、その文書を届けた野村大使と来栖大使は、それが日米交渉の打ち切り、つまり「宣戦布告」を意味する「最後通告」である、とは知らなかった。だが、開戦前日に、大使館は本省より「訓令次第何時にても米側に手交し得る様文書の整理其外予め万端の手配を了し置かれ度し」の指示を受け取っていた。そして、手交時刻を「午後1時」と指定してきた。「重要な文書であるので現地のタイピストを使わないように」との指示まであった。

にも拘らず、館務の責任者である参事官の井口貞夫は、大使館内に緊急体制を敷かなかった。そのため、大使館内でただ一人タイプが打てる外務官僚で、開戦前日に暗号で送られてきた「最後通告」の解読文を、タイプに打ち込む担当であった奥村勝蔵は、そんな重要な仕事をおいて、その夜外へ遊びに出てしまった。

真珠湾攻撃が「卑怯な騙まし討ち」になったのは、ワシントンの日本大使館の怠慢・失態のせいであった。

「いや、そうではない、外務省と陸軍参謀本部が共謀して、故意に電文の訂正を送るのを遅らせ、真珠湾攻撃が成功するよう謀ったのだ。」という説もある。(2012年12月8日日経新聞「大使館怠り説 覆す?新事実真珠湾攻撃-間に合わなかった最後通告」)

だが、この手交遅延の大失態の原因が、「事故的」であろうと、「謀略」に拠るものであろうと、関係ない。

重要なのは、手交遅延が発生した後の、野村大使を始めとする外務省の取った、或いは取らなかった処置そのものである。

野村吉三郎大使は、国務省でハルに面罵され(それは日本の開戦を予め知っていたハルの芝居であったが)、沈痛な面持ちで大使館に戻って、初めて日本の真珠湾攻撃を知った。大使館の外には米紙の新聞記者が詰めかけていた。

野村大使は、この時、新聞記者らに、「手違いで遅延してしまったが、日本政府は午後1時に手交せよと指示していた。」と真実を話すべきであった。

「日本は真珠湾攻撃を『騙まし討ち』にするつもりはなかった」ことを、はっきりさせておかなければならなかった。

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杉原誠四郎 『外務省の罪を問う』 (p.79)

米国人、特に将兵達は、「卑劣な日本が『計画的』に真珠湾に『騙まし討ち』をかけ、3,000人以上のアメリカ人の命が奪われた」と信じ、激昂していた。

右表のように、1944年3月~4月のプリンストン大学の調査では、本土にいて、実際の日本軍と対戦していない将兵の67%が、「日本人を一掃せよ」と答えている。

表中、カッコ内の数字は「ドイツ人を対象にした場合」であり、ドイツ人に対しては「(ヒトラーら、ナチスの)指導者を罰せよ」との答えが多いのに対して、日本の場合には、日本人全体への憎しみが大きいことが見て取れる。

このことは、米国人の、有色人種である日本人に対する人種偏見もあるであろう。が、1937年12月、南京攻略戦の折の米軍艦パネイ号誤爆事件では、日本軍が即刻誤爆であることを説明し、謝罪したことで、ニューヨーク・タイムスなど新聞は書き立てたものの、大事には至らなかった。

してみれば、やはり「卑劣な計画的騙まし討ち」の汚名だけは、何としても雪いでおかねばならなかったはずである。

開戦の日の夜、外部との接触を断たれた大使館では、手交遅延の大失態を犯してしまった野村大使が、事の重大さに耐え切れず自殺を図るのではないかと、磯田陸軍武官や横山海軍武官らが心配し、大使の寝室を交代で見張った。後に磯田がそのことを野村に言うと、野村は、しかし、意外そうに言ってのけた。

「私はなぜ自殺などしなければならないのか。私は外交官である。」

野村は、何の責任も、痛痒も感じていなかったのである。考えてみれば、「手交遅延の大失態」の自覚を持てるようなら、そもそも「手交遅延」自体が発生していなかっただろう。コーデル・ハルが言ったように、清書が間に合わないのなら、とにかく指定された手交時刻に米国務省に行き、ハルに面会し事情を説明するべきだった。そうすれば、「日本は事前通告をしようとしていた」ということは事実として残ったのだ。

無能力なうえに、厚顔だったのか、野村は戦後、参議院議員を二期も務めている。が、無能厚顔は野村だけではない。国の一大事に緊急態勢を敷かなかった参事官の井口貞夫、そして重要文書のタイプ打ちを放って、外に遊びに出掛けた奥村勝蔵は、それぞれ、1951年、1953年、講和締結の前後に、吉田茂によって、外務官僚の最高位である外務次官に抜擢されている。

MacArthur and Emperor Showa

1945年9月27日、奥村勝蔵参事官は、第一回マッカーサー・昭和天皇会談に同行した宮内大臣ら6人の中で、何故か只一人会談に同席して、通訳を務めた。

天皇は真珠湾攻撃の「騙まし討ち」を遺憾に思っていた。東條に騙された、と怒っていた。手交遅延の真相を知らされていなかったからである。

真珠湾の件を遺憾に思っている、とマッカーサーに伝えた後で、昭和天皇は、「しかし、日本の戦争行為の一切に対し自分が全責任を負う」と発言した。マッカーサーが自伝に書き、奥村も確かにそうおっしゃった、と証言している。

手交遅延の件をご存じであったかどうかは、民を思う天皇のお気持ち自体に、何ら変化を与えなかったであろうが、それにしても、「日本が卑劣な行いをした」場合と「正々堂々と戦いを挑んだ」という場合では、当然後者の方が、敵軍の将にまみえる天皇のお気持ちは、遥かに軽かったであろう。そのことに、奥村は思いを致したであろうか?

井口貞夫は、ダレス米講和特使と吉田茂首相が、平和条約と日米安全保障条約について会談を行ったときの外務次官であった。

1951年2月9日、井口貞夫外務次官とアリソン(John M. Allison)公使により関連文書への「イニシアル(署名)」が行われ、これらの文書は後の平和条約、日米安全保障条約および日米行政協定の基礎となった。(ちなみに、このアリソン公使とは、日本軍による南京占領下の1938年1月26日「アリソン殴打事件」の、あのアリソンのことである。)

真珠湾の真実に関わる二人が、戦後レジームの構築時にも、日本外務官僚の長として関わったことは、何を意味するのだろうか?

確かに言えることは、吉田茂は、外務省の戦争責任を隠した、ということである。これは吉田の「政治的犯罪」(『外務省の罪を問う』杉原誠四郎)であった。

ダレスが再軍備を要請した時も、『日本国憲法』の無効を宣言して、占領下の不正を糺し、大日本帝国憲法下の、正常な日本に戻すチャンスがあったのにそれをせず、「警察予備隊」でお茶を濁し、その後はGHQの占領政策を事実上引き継ぐ政策をとってゆく。

外務省は、この後も「1982年教科書検定『侵略書き換え』誤報事件」で、積極的に中韓の内政干渉を常態化させ、「近隣諸国条項」等というものを作って、教科書検定という国の主権を中韓に譲り渡すという犯罪を犯した。

「1987年大韓航空機爆破事件」では、逮捕した金賢姫を日本の官憲で取り調べていれば、北朝鮮による日本人拉致事件の解決にも繋がったかもしれぬのに、それをあっさりと韓国に引き渡してしまったし、ODAに関しても、外務省の「屈服外交」の下、中韓などは「日本悪玉史観」を持ち出しつつ、「戦後賠償」として日本から金を搾り取り続けようとしている。2015年にも、外務省は安倍首相に「日中共同宣言に『村山談話』は継承してゆく、とあるのでこれを否定することはできない」とレクチャーし、安倍談話をあのような腰砕けのものにしてしまった。

吉田茂は、日本の経済の立て直しを優先したのかもしれない。だが、それは間違いだったと、日本人は気付かねばならない。日本人が欲しいのは金ではない。経済の発展だけで、日本は幸福になれない。

戦後、働き者の日本人は働いて、働いて、高度経済成長を果たした。GDPは上昇し、世界有数の金持ち国になった。だが、日本人は世界から嫉妬され、「エコノミック・アニマル」と軽蔑された。

合理的な中国人なら、「金儲けして何が悪い」と気にしないであろう。しかし日本人は嬉しくなかった。

日本人は働くのは好きだ。日本人は、一獲千金の狡賢い金儲けを嫌う。「成金」と呼んで軽蔑する。そんなに金持ちになれなくとも、「働き甲斐」のある仕事がしたい、と大部分の日本人は考える。日本人ほど、低賃金のいわゆる「ブルーカラー(非頭脳的)」労働にも頭脳を使い、工夫を凝らして習熟し、誠意をもって一生懸命に働く人々はいない、と思う。

だから日本社会は住み心地が良い。日本に行ったことのある外国人は、口を揃えて言う。「街が清潔だ。食べ物が最高に美味しい。痒い所に手が届くサービスが素晴らしい。人々が親切だ。日本が大好きだ!」

大東亜戦争でも、実際に日本兵と戦った米将兵は、日本兵の軍隊としての戦闘力の高さと、それを支える愛国心の強さに舌を巻いていた。

1944年11月15日、米国戦争省・情報省発行の『日本陸軍に関する軍人の案内書:The Sodier’s Guide to the Japanese Army』は、緒戦の頃に米兵たちの間に広がった「無敵の日本兵」神話を破壊するために、こう書いた:「日本兵はアメリカ兵に比べて体格が小さく、平均身長は160センチに満たず、体重は55キロしかない。四肢は短く、太い。彼らは素早く機敏だと評判だが、その実、かなり訓練を積んでも不器用である。」だが、同書の終盤にはその形容は一変する。

「(戦闘中、平均的日本兵は)強く、頑丈である。攻撃時には、日本兵は決然と、自己犠牲も厭うことなく突き進む。攻撃作戦に従事する時、日本軍の歩兵は終始その計画に従う__もしも多くの死傷者が出て作戦の変更、或いは作戦自体を断念しなければならない事態となってしまったとしても…。個々の日本兵の大胆さ、勇猛さは、彼が仲間とともにいる時、そして彼の部隊が地勢と火力で優位に立っているとき、頂点に達する。日本兵はカモフラージュのエキスパートであり、敵を惑わし、ひっかけることにかけてはピカ一である。日本軍の歩兵は命令に忠実に従う。彼等の訓練、規律は、夜間作戦に於いて特にその真価を発揮する。防御においても、彼等は勇猛果敢であり、規律正しく、射撃統制は卓越している。(塹壕やトンネルなどの)野戦築城の抵抗戦では、日本軍は狂信的とも思える頑強さを見せている。」

“[in battle average Japanese soldier was] …strong and hardy. On the offensive he is determined and willing to sustain sacrificial losses without flinching.When Committed to an assault plan, Japanese troops adhere to it unremittingly even when severe casualties would dictate the need for abandonment or modification of the plan. The boldness and courage of the individual Japanese soldier are at their  zenith when he is with his fellows, and when his group enjoys advantages of terrain and firepower. He is an expert at camouflage and delights in deceptions and ruses. Japanese troops obey orders well and their training and discipline are well exemplified in night operations. On the defense they are brave and determined; their discipline is good and their fire control excellent. In prepared positions the resistance of Japanese soldiers often has been fanatical in its tenacity.”

数日のつもりで攻めてきた米軍を相手に、2か月半も抗戦を続け、日本軍1万人余、米軍2,300名の戦死者を出した太平洋の激戦地、ペリリュー島には、キンメル大将の後任であるニミッツ太平洋艦隊司令長官によるものと言われる碑文がある。

「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本国人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ 米太平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ」
“Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island. Pacific Fleet Command Chief(USA) C.W.Nimitz”

尊敬しあう軍隊は正々堂々と戦う。日本軍も米国軍も、現場の兵士達は、どちらも大義の為、国の為に命を捧げた。不義は、両国を動かす立場の者の中にあった。

日本の2000年余の歴史と伝統、その「結晶」としての「天皇」というものに無知な国際共産主義者達が、ルーズベルトに対日戦争を仕掛けさせた。

同じ無知が、GHQと極東委員会をして『日本国憲法』という呪いを日本に掛けさせた。

自己保全と省益追求しか頭にない亡国の外務省が、「真珠湾」の「未必の故意」により、米国民の怒りを暴走させ、遂には日本人WIPE OUT__原爆投下に「正当性」を与えた。

「平和」の真の敵は、「無知」と「私利」なのだ。

「平和憲法」と左翼が呼ぶ『日本国憲法』は、その前文と9条で、「日本は軍隊を持たせると危険な邪悪な国だ」と宣言しているが、「平和憲法」信奉者は「9条は日本人が自ら戦争を永久に放棄し、戦力を保持しないとしたことを宣言した平和の象徴。これを変えよう、無くそう、というのは『戦争がしたい』と言っているのと同じ」といって純真な日本人を騙し、脅している。

教科書検定は、日本人が、「『日本国憲法』は無効なのでは」と疑わないように、公民教科書を検閲し、『日本国憲法』の成り立ちの真実を隠蔽し、日本国民を「無知」の状態に置くことに汲々としている。

一方で、『日本国憲法』を押し付けた側の米国でも、その国民を「無知」の状態に置くという構図は変わらない。米国の歴史家らが東京裁判史観を振りまいているせいで、米国民はいまだに「真珠湾の非道のせいで日本は原爆を落とされた。原爆は日本の暴虐から世界と日本人を救った」と思い込んでいる。

連合国の犯罪__『日本国憲法』制定と『東京裁判』史観による洗脳__を巡って、戦後、100万の人間が100万の嘘を、100万回言った__「戦後レジーム」とは、そういうものであった。いまや私達の誰もが、「無自覚の共犯者」になってしまっている。

ナチの宣伝相ゲッベルスは「嘘も100回言えば本当になる」と言ったが、しかし、それこそが究極のプロパガンダであった。嘘は100万回言っても真実にはならない。そのことに、私たちは気付くべきだ。

私たち庶民は、自分と家族のささやかな生活を護らねばならない。だが、嘘をついてまで、国を亡ぼしてまで、魂を売り渡してまで、金持ちになどなりたくはない。

そう思うのが、日本人だ。今の日本はそうでなくなっている、だから以前はあったはずの、日本の美しい魂を、とりもどしたい、そう願うのが、日本人の愛国心というものだ。

米国にも、偽善的で欺瞞に満ちた「原爆投下正当論」を心苦しく思っている人々がいる。彼等も、正しいことをしたいと願っている。

「倫理観の革命(moral revolution)が必要だ」といった草の根社会主義者オバマも、そう願っているだろうか?

「戦後レジーム」は、日本だけでなく、米国の誇りも傷つけている。知らないうちに、「嘘つき」「犯罪者」呼ばわりされているのは米国民も同じだからである。

日本人が覚悟を決めれば、日本と米国の、真実の和解はなる。「無知の知」を知り、真実を知ることで、「戦後レジーム」という軛を破壊し、日本人も米国人も、本当の自由を得る。

『日本国憲法』と『GHQ皇室典範』の無効を天皇に宣言していただき、大日本帝国憲法と明治の皇室典範が現存していることを、全日本国民が確認する。全世界に向けて、それを周知する。

それをしてよいかどうか、連合国に伺う必要はない。そんなことが必要だと言う示唆があった時点で、それが日本全体に対する、日本固有の自然権の蹂躙であるという証拠になる。

日本は、全てのことを、世界中の衆目の中で堂々と、そして粛々と行えばよい。

日本は、謝罪も賠償も求めない。求めているのは、真実と、明治維新以来日本人が欲してきた、世界の中の「名誉ある地位」だけだ。日本人は謙虚に、只ひたむきに、それを達成する。世界にそう知らしめるのだ。

大日本帝国憲法現存の確認によって、日本は立憲君主たる天皇を取り戻す。

天皇という「至高の権威」に政治的権力__『不裁可権』という「政治権力の暴走への歯止め」を取り戻す。「不裁可しないのが憲政の常道」であるが、「立憲君主」であると同時に、日本国の危機に際しては「万民の父母」として、国民に正しい道を示してきた天皇による「不裁可の可能性」を自覚させることで、近年目に余る議員・官僚の不勉強とでたらめを減らしてゆくことができるだろう。

大日本帝国憲法下の刑法__GHQに削除された「利敵行為」条項__も復元することで、現在の日本に跳梁跋扈する、日本破壊工作従事者達に、極刑の可能性を示唆することができる。

東京裁判が歪めた歴史の、真実の姿が明らかになれば、「一億総前科者」の汚名は雪がれ、日本人はその勤勉さ、向上心を、晴れ晴れとした心持で各処に発揮することができる。

「万世の為に太平を開く 総力を将来の建設に傾けん」と昭和天皇の終戦の勅語に言われたように、国民の全エネルギーを、いまやっと、「本当の戦後」「新しい日本の建設」の為に注ぐことができるのだ。

教育勅語も復活し、人としての正しい道を教えられる子供たちは、いじめなどという卑怯な行いは、みっともない、恥ずべきことだと、知るであろう。

立法府の議員は、その全エネルギーを、大日本帝国憲法の、現在の日本の状況にあった運用方法を、考えることに集中させることができる。GHQによって廃止させられた貴族院など、復元するのかそれとも今の時代に合った新しい制度を、作っていくべきなのか、といった重要なことを考えることができるようになる。

喫緊の問題である国防についても、大日本帝国憲法復原後の日本では、より現実的な議論ができるようになる。自衛隊は晴れて普通の軍隊になり、また、増加する侵略の危機と、自然災害の頻発の可能性に対応し、「災害救助隊」の別個新設が必要になるかもしれない。

必要ならば、天皇がその大権を行使し、大日本帝国憲法の改正を発議されることであろう。

BREXIT 3
『インディペンデント』紙 2016年6月24日  (黄色=離脱、青色=残留)

2016年6月23日、英国はEUからの離脱か残留かを問うて、国民投票を行った。結果は52%と48%の僅差で「離脱」となったが、このBREXITは英国内の階級・格差社会、移民と地域社会との軋轢の問題点を浮き彫りにするとともに、それが国際社会の争点の縮図であることの再確認にもなった。

「離脱=反EU」派vs「残留=親EU」派とは、そのまま「国家主権奪還」派vs「グローバリスト国際金融資本家=国際共産主義者(=テロ支援)」派であった。

国際金融資本家=ロンドン・シティの銀行家達に代表される成功者=「持てる者」がもっと儲けたい、そのためにはEUに残留した方が都合が良い、そんな本音が透けて見えるキャンペーンでは、「英国ビジネスに主権を取り戻したい」「移民に手厚くし過ぎ」「英国に貢献してきた老人など、英国民の弱者を先に救済してほしい」という、「持たざる者」=労働者階級を納得させることはできなかった。

来年はロシア革命から100年。1989年に一応の決着を見たとされる第二次冷戦の後も、世界は「国際共産主義=国際金融資本主義」vs「自由主義的民主主義=民族自決主義」の構図のまま推移している。

「連合国正義の味方史観」は、米国の日本占領における犯罪を隠すだけでなく、第二次世界大戦後のソ連・共産中国・韓国の日本国領土の侵略行為を助長している。侵略された日本国土はこれら「仮想敵」のさらなる日本侵略拠点となる。

中ロ韓北の太平洋進出の防波堤を、日本が果たしている地政学的立場を考えれば、日本に誇りを取り戻させ、大日本帝国憲法下のプロパーな日本軍との、誠意ある対等な同盟に切り替えることの、米国の利益は小さくはないはずだ。

国際共産主義を利する「戦後レジーム」を打破することは、日米両方の利益となる。

日米同盟は、大日本帝国憲法を復原して初めて、対等な同盟に生まれ変わる。

日本は米国に、謝罪も賠償も要求しない。但し、『日本国憲法』無効・大日本帝国憲法復原の移行がスムーズにいくよう、中ロへの牽制等の支援はしてもらう。

国際法には「誣告罪」を加え、プロパガンダ戦にきちんと対応できる体制を整えることも必要だ。国連は拒否するであろうが…。

「誣告罪」「日本の安保理常任理事国入り」「敵国条項削除実効化」…。これらを拒否する国連には、自浄作用がなく、彼らの言う「人権」にも腐敗臭が漂い始めている。日本が国連を脱退し、台湾と、米国と英国の反共保守派を誘って新組織を立ち上げることも視野に入れてゆかねばなるまい。アジアの、大東亜戦争で日本が独立に協力した国々、捕鯨で日本に味方してきたアフリカや地中海の小国群は、日本についてくるだろう。新しい大東亜共栄圏を、覇権主義の中国中心でなく考え直すには、復原された大日本帝国憲法下の、まともな法制に裏打ちされた誇りある「新皇軍」が必要だ。

「私達はひとつの人間の家族である__過激だが必要な考え方だ__そしてそれこそが、私たち皆が語るべき物語なのだ。」

“…the radical and necessary notion that we are part of a single human family; that is the story that we all must tell.”

連合国と『日本国憲法』が否定した「八紘一宇」__世界を以て一つの家と成す__の精神が、日本と米国をともに照らし出すとき、私達は本当の友情と信頼に包まれているのを知るだろう。

そのとき、「広島」は、私達をしっかりと結んでくれた、心の絆のなまえとして、記憶されることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「天皇制打倒」を謀る国際共産主義者の呪詛である『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』を有効とする改正では、連合国への隷従が永続する__「至高の権威」「立憲君主」たる天皇の復活で、日本の誠をとりもどす

日本は、『大日本帝国憲法』と明治の『皇室典範』という、立派な対の服を追い剥がれ、架空の『憲法』と『典範』という「バカには見えない服」を着せられた、「裸の王様」____「憲法改正」ではなく「『日本国憲法』無効宣言」で、『大日本帝国憲法』という服と、正義の剣を取り戻し、世界を真実の光で照らし出す

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戦後70年余、天皇をはじめとする全日本人の「人権」は蹂躙され続けてきた

『日本国憲法』の事実上の制定者は連合国であるにも拘らず、未だに「確かにGHQが憲法草案を作ったが、それを叩き台にして『日本国憲法』として制定したのは日本人自身だ」という「連合国史観」が幅を利かせている。

南シナ海や沖縄・尖閣諸島周辺での、中国共産党の「海洋帝国」への拡張主義が顕わになるにつけ、日本人の多くが「9条の平和主義では国を護れない」という至極当然の結論に達し、憲法改正の機運が高まってきている。

だが、「憲法改正」が本当に正しい道なのか?

日本人は、「『日本国憲法』が日本の本当の憲法である」と、いまだに信じ込まされている。「日本は悪虐非道の侵略国だった」という連合国の嘘を、いまだに本当だと思っている。戦争中、中国に酷いことをしたのだから、未来永劫謝罪し、中国の言うとおりにするのが「誠意」だと思っている。そんな邪悪な日本を「成敗」した連合国は「民主主義的中立国の集合体であり、『国際倫理の権威』たる正義の味方」だと思い込まされている。

『日本国憲法』は、サギ師の仕立て屋=連合国が、「バカには見えない服」といってお人好しの日本に「着せた」、まやかしである。

日本人の中には、そのまやかしに気づいてはいるが、「バカ」と呼ばれたくなくて「見える」ふりをし、サギ師の片棒を担いでいる情けない人々もいるが、大方の日本人が「王様の新しい服は無色透明の服。だって当の王様が『服だ』といって着ているのだから」と妙な納得の仕方をしている。「王様も、気にしている様子がない。だからいいじゃないか」と。

だが、日本人は知らないだけだ。連合国は日本人を巧妙な嘘で騙し続けている。彼らはまず天皇と日本政府を脅して絶対に連合国の嘘を告発しないと誓約させておいて、日本人全体を「日本悪玉史観」で洗脳し、連合国史観で書き換えられた教科書で教育した。70年も経つうちに、真実を知るものは少なくなり、また学校で習った「連合国史観」に全く疑いを持たず、それを「真実」と思い込み、「被害者=中国」への「加害者=日本」としての「贖罪感」を叩きこまれた世代が、いま日本の政治・行政・教育・経済・メディアの中枢にいる。いわゆる<団塊の世代>である。

団塊の世代は戦後のいわゆるベビー・ブームの生まれで、当然実際の戦争は経験しておらず、子供時代に占領下の不自由さを経験し、GHQの教科書で教育され、感受性の強い青春時代に二度の安保闘争を経験し、理想主義としてのマルクス主義の洗礼を受けた人々だ。

70年安保騒動の描写がある村上春樹の『ノルウェーの森』のように、純粋さと計算高さ、勇気と卑怯さがないまぜになった、複雑な青春時代がそこにはあったのだろう。(そういえば村上春樹は、『1Q84』で主人公の青豆に「満州鉄道」についての本を読ませ、「(満州鉄道は)大日本帝国の中国侵略の尖兵」と断じた。サブリミナルな連合国史観プロパガンダだ。こうやって世界のムラカミハルキ・ファンが「日本=侵略者」を刷り込まれている。)

団塊の世代を一人悪者にするつもりはないが、1993年8月、「先の大戦は侵略戦争であった」と公式に発言した細川護熙元首相のように、祖父・近衛文麿元首相の「日支事変の拡大と仏印進駐は自分の政治的誤りであった」との反省の辞を、「侵略戦争だったとの告白」と曲解するほど、GHQの洗脳教育はある人々の脊髄にまで浸透していた。

実のところその「近衛の反省」とは、コミンテルンのスパイであった尾崎秀実ら複数の国際共産主義者を側近に置き、軍部が必死で休戦協定を模索しているときに「国民党政府を対手とせず」声明を出してぶち壊し、満州の関東軍を集結するソ連軍の前から引きはがして、泥沼の中国戦線・飢餓の東南アジア戦線へ送り込んだことを、後に昭和天皇への上奏文で告白したように、「自分(近衛文麿)は共産主義者らにいいように操られていた」との反省のことであった。

だが、細川護熙はそれを「先の大戦は侵略戦争であったと裏付けるような発言」と曲解した。同様に、「慰安婦問題」で河野談話を出した河野洋平元官房長官も、「日本は侵略国だからそのぐらいのこと(慰安婦強制連行)はしたはず」という先入観で、日本の政府高官としてあまりに軽率に「在りもしない罪を認める」という重大な売国行為を犯してしまった。

 

左翼教育はカルト宗教と同じで、教祖の言うことだけを正しいと思い込むよう洗脳する。オウム真理教が「浅原教祖の教えに背けば無間地獄に落ちる」と信者に叩き込んだように。左翼の場合は「右翼の言うことに耳を傾ければ無間地獄に落ちる」だし、『日本国憲法9条』教は「日本国憲法の否定は平和の否定」「9条反対者は軍国主義者」と、完全に連合国史観の保存がその教条となり下がっている。

だが、カルト宗教は人類普遍の原理とはなりえない。国際共産主義者らが「人類普遍の原理」と呼ぶ「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の左翼三大原則は、一見誰も反対できない「正しい考え」のようであって、実は独裁者の台頭を招来する謀略三原則だ。

このような予備知識なしに、『日本国憲法』の7原則から、むしろ自由主義的な①間接民主主義又は議会政治②天皇制③三権分立④法治主義を差し引いて、上記の左翼三原則を残した、もっと国際共産主義寄りの「自民党憲法改正草案」を、『日本国憲法』を有効扱いして改正してまで選び取ることを、国民に半ば強制するようなことが、今行われている「美しい日本のための自主憲法制定」「憲法改正」推進運動の背後にある。

民主主義の根幹とは、国民の投票行動により、国民が正当に選ばれた代表を通じて、国民の意思決定を国政に反映することにある。これは、国民の「知る権利」の充足があって初めて成立することである。

政治の主体となる国民が、何かを選択するときに、それぞれの選択肢についての、必要不可欠な情報全てを開示され、充分な議論を経て熟考する時間が与えられて初めて、有意義な投票行動が可能となる。

翻って、日本の現状をみるに、いまだに連合国史観=東京裁判史観を信奉するものや、「天皇制打倒」を掲げる国際共産主義者とそのお先棒担ぎらによって、「『日本国憲法』無効論」というオプションの存在どころか、そもそも『日本国憲法』の成り立ちが連合国史観という嘘にまみれた恥ずかしい代物であるという事実すらも、国民から隠し通されている。

いまだ国際共産主義者による検閲と、プロパガンダによる洗脳が横行する日本には、自由主義的民主主義はない。

教科書検定官が、公権解釈も学習指導要領も、学説すらも無視して公民教科書執筆者に左翼全体主義的記述を強いるという、事実上の検閲が行われている日本は、「言論の自由」「教育の自由」を弾圧されている。しかもその事実の認識すら、国民にはない。

これはもう、ファッショだ。

戦後ずっと、日本が解放された、と言われたそのファッショに、連合国によって日本全体が沈められてきたのだ。ジョージ・オーウェルの『1984』の世界が、日本に半分実現している。

 

「『日本国憲法』無効論」を知ることは、日本国民の権利である。

「『日本国憲法』無効論」を知らせることは、日本国民の義務である。

「『日本国憲法』無効論」とは、『日本国憲法』の成立過程の真実など、日本国の命運に関わる核心的事実の数々を徹底検証することである。

国際共産主義者は、自らの思考停止癖を他人にも押しつけ、徹底討論を避ける傾向があるが、少なくとも以下に挙げる事実は周知され、公議公論に付されるのが民主主義というものである。国際共産主義者の反論、それへの再反論は、公開討論の場でなされるのが望ましい。

事実その① 連合国の中枢の本質が、国際共産主義者であるということ。国際共産主義者の本質は「詐欺師」「扇動家」である。お人好しでナイーブな日本人が想像もできないほどに悪辣で、しかも用意周到な、プロの犯罪者集団である。

事実その② ロシア革命以後の20世紀の戦争__特に満州事変に始まり、泥沼の支那事変を経て対米戦争に至り、日本に滅亡の淵をまざまざと見せつけた、「あの最後の戦争」___は、国際共産主義者が謀略により起こしたものであるということ。

事実その③ 連合国の日本占領の究極目的は、日本から「世界に比類なき2600年の歴史に裏打ちされた、万世一系の天皇」を奪い、日本を物質的・精神的に完全武装解除したうえで滅亡させることであった。

事実その④ その目的を遂行するために制定された『日本国憲法』と『占領典範』は、天皇弾圧・皇室断絶の装置である。

事実その⑤ 「象徴天皇制」「国民主権」は、事実上の「立憲君主国」である日本の元首(sovereign=主権者)即ち「立憲君主」である天皇から「至高の権威」を奪い、日本の政体を「疑似『無政府(アナーキー)』状態」といえる状態にしている。

事実その⑥ 『日本国憲法』の謳う空疎な「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の左翼三原則と、左翼の「立憲主義」・左翼の「民主主義」が、国際共産主義者独裁による世界制覇をひそかに推進している。

事実その⑦ 「日本の国体」=「万世一系の『至高の権威』であり、『仁政』を行う『万民の父母』である天皇を中心とした世俗国家」と、立憲君主制を融合した『大日本帝国憲法』下の日本こそが、国際共産主義独裁に対する最後の砦である。

「至高の権威」=天皇の存在が、日本の歴史上、独裁者の台頭を防いできたという事実は、日本が有色人種の国で初めて近代憲法を持ち、立憲君主国として「富国強兵」に成功した事実と相まって、日本を国際共産主義者の「排除すべき敵」となさしめたのは、当然といえば当然のことであった。

「第二次世界大戦は『ファシズム』対『民主主義』の戦いであった」と、最近とみに中国とロシアが喧伝している。が、それは「『国際共産主義者』対『自由主義』の戦い」或いは「知らないうちに進んでゆく『国際共産主義の世界侵食』と、それに対抗する勢力の抵抗」という裏の真実から人々の注意をそらすためのレトリックだ。

20世紀、戦争は思想戦・プロパガンダ戦・情報戦になった。

前世紀の戦争のように、「どの国とどの国が戦っているか」という表面に気を取られていると、本当の敵が誰かを見失う。日本国内の国際共産主義者が、「日本軍が日支事変前に中国にいたことが、『侵略』だった証拠」などと盛んに言うのも、実は国際共産主義者達は、既に日本政府の中枢に食い込んでおり、ソ連の南下政策を遂行しやすくするため、そして中国国民党に殲滅されかけていた中国共産党の延命を図るため、日本を広大な中国大陸で中国国民党と戦わせることが、コミンテルンの謀略であった、という事実を隠すための目くらましである。前述の近衛文麿の「政治上の誤り」はその氷山の小さな一角に過ぎない。

 「大日本帝国憲法は『天皇制強権支配』『侵略的軍国主義』など諸悪の根源である、だから日本は新しい、民主的な憲法を持たねばならない」という理由で、『日本国憲法』は制定された。だが、『天皇制強権支配』『侵略的軍国主義』など、根拠のない言いがかりに過ぎなかった。

ただの言いがかりを理由に、日本は大日本帝国憲法を簒奪されたのだ。国体改変を含んだ「まやかしの憲法」のお陰でGHQの洗脳も解けず、日本と日本の歴史と伝統を体現する天皇の存続を危うくしていることにも気が付かないでいる。ゆっくりと茹でられているのも知らず、「いいお湯だ」と、「お風呂を沸かしてくれた」連合国に感謝さえしている。

2016年5月18日に行われた安倍晋三首相との党首討論で、民進党の岡田克也代表は、憲法9条の平和主義について、「集団的自衛権の行使を全面的に認めることにしたとき、憲法の平和主義は壊れる。絶対に認めるわけにはいかない」と、自民党憲法改正草案が9条改正案が「自衛権の発動を妨げるものではない」と定めていることを批判した。(朝日新聞2016年5月19日『憲法9条の平和主義巡り党首討論』)

岡田氏の言っていることは、「全世界の如何なる国も当然持っている『自衛権』というものを、日本にだけは絶対に認めない」と言っているのと同じだ。連合国側に立って、傲慢至極に「厳命」しているのだ。

「(自衛権を認めてしまえば)『日本国憲法』の平和主義が壊れる」とは、言い換えれば、「連合国が持ってはいけないと命令した自衛権を持つ、つまり連合国の命令に逆らうと、日本の平和は壊れる=連合国が日本を攻撃し完全破壊する。(敵国条項により、国連決議なしですぐに攻撃できる)」という、ポツダム宣言にも見られた連合国お得意の脅迫である。まるで自分の所有する奴隷に対するかのごとき傲慢さではないか。それを岡田克也は偉そうに代弁しているわけである。

これに対する安倍晋三首相の反論も、「東京裁判史観」を踏襲しているという点で、岡田氏と五十歩百歩である。「必要な自衛の措置しか我々はとらない。侵略は二度としない」「自民党草案でも平和主義が貫かれていることは間違いない」……。

「必要な自衛の措置しか我々はとらない」の「必要な自衛」とは何だろうか?安倍氏が首相で自衛隊最高司令官の時は大丈夫かもしれない、だが菅直人ら民主党政権時代の悪夢を思い起こそう。鳩山由紀夫のように、「日本は日本人だけのものじゃない(だから中国が日本を盗ってもそれは侵略じゃない?)」「中国や韓国、北朝鮮に対する自衛は必要ない」と考える政権がまた出現しないと、誰に言えるのか?

賭けてもいいが、次に「失敗だった」と気づいたときは、日本は既に「中国領日本自治区」になっている。

『日本国憲法』の「平和主義」が日本を武装解除し、国際共産主義国の侵略に抵抗できない国にするための「戦争しない・侵略者に抵抗しない主義」であることは、国民の多くが気が付いている。

だが、「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」が国際共産主義の全体主義的三大原則である、との認識はまだあまりない。

「国民主権」とは、国家統治の最高権力を、人気投票で選ばれた人物にも委ねる可能性を意味する。

ヒトラーが「民主的に、合法的に」ワイマール共和国憲法の「国民主権」の下で政権掌握した例が最もわかりやすい。

『日本国憲法』と「自民党憲法改正草案」によるその改正憲法は、独裁者を生む可能性があるが、『大日本帝国憲法』下の立憲君主であり、2600年の歴史に裏打ちされた「至高の権威」である天皇の存在はこれを許さない。

ワイマール憲法の「国民主権」は、日本の天皇のような最高権力を制することのできる最高権威の存在を持っていなかった。

それこそが、『日本国憲法』改正ではなく、『日本国憲法』無効宣言でなければならない最大の理由である。

「象徴天皇」という無力な存在でなく、「行使しないが『不裁可』できる、必要とあれば『拒否権』を行使できる」=「独裁者の台頭を阻止できる」立憲君主たる天皇の「至高の権威」を、『大日本帝国憲法』復原によって取り戻す。

国体そのものが主権であり、天皇がそれを体現する日本__日本の真実の姿__を、とりもどす。

劣化した国会議員の資質向上のためにも、「天皇の御前で議論する」という重圧感、責任感を持たせる以上に効果的なことはない。日本の国会議員は日本の為に仕事をするという、当たり前のことを思い出させる。(大日本帝国憲法復原によって刑法の「利敵行為」条項もまた復原できる。)

第一次安倍内閣で「戦後レジームからの脱却」を唱えた安倍首相は、戦後70年談話に続き、「東京裁判史観」踏襲へ舵を切った。「愛国的現実主義者」(田崎史郎『安倍官邸の正体』)である安倍首相は、「現実的に考えて、『日本国憲法』無効論は無理だから、祖父・岸信介元首相の悲願でもあり、なんとか9条だけでも改正を」と考えているのかもしれない。だが、これは菅原裕氏の言うところの「漸進的改憲論」であり、憲法無効論への「現実主義的反対論」である。

漸進的改憲論

一時に全面的改正では困難だから、少しずつ、改憲していって、漸次に帝国憲法に復活すればよい、という説である。すなわち根本的に無効だといっても、簡単に復元の実現はできないから、それよりも第九条とか、第九六条とかを逐次に改正して、帝国憲法復活の実効を挙げたがよいという考え方である。

これは自ら占領憲法無効という大義名分を放棄して、一つずつ改正して目的を遂げんとする現実主義的考え方だが、こと憲法に関する限り、こうした方便論はとるべきでない。

なんとなれば、憲法が筋道を立てないと、他の法律は、みな便宜主義に陥り、国家の正義も立たず、復興も期し難いからである。

ことにこの種の論者は、第九条だけに重きをおき、第一条の国体論に触れることを避けているところに、わが国の憲法に対する建設的意見とはいい難い。

(菅原裕『日本国憲法失効論』p.94-95)

民進党岡田代表との討論で、安倍首相は「侵略は二度としない」と言った。つまり、「先の大戦は日本の侵略戦争であった」という連合国史観に迎合してしまった、ということだろう。細川護熙元首相の自虐史観まで、日本は後退してしまったのだ。

安倍首相が、国際共産主義者の日本弱体化経済工作によって、窮地に陥った経済立て直しを優先しているのだということはわかる。アフリカ諸国やインド、東南アジアなど対中国で共闘できそうな国々との、中国を牽制するための全方位外交も、安倍首相ならでは。多くの保守論客が安倍晋三氏を傑出した宰相であると褒め称えることに、異論はない。

だが、第二次安倍内閣成立を喜んだ多くの日本人は、「美しい国、日本を取り戻す」「戦後レジームからの脱却」を、安倍さんならやってくれる、それが実現する日が本当に来るのだ、と希望を抱いたはずだ。

それなのに、その希望はもろくも潰え去った。その代わりに憲法改正?それではだめなのだ。

安倍首相しかできないことが、まだある。天皇陛下に上奏して、『日本国憲法』と『占領典範』の無効宣言、『大日本帝国憲法』と明治の『皇室典範』の復原宣言を、お願い申し上げることである。

安倍首相の「変心」は外務省の「指示」であるらしい。藤岡信勝氏によると、外務省が「1998年の日中共同宣言の中に『村山談話』を『遵守』するという文言があるから、村山談話を否定することはできない」とレクチャーしたのだそうだ。(藤岡信勝 『誰が歪めた!!「安倍談話」』『歴史通』2016年1月号)

ここでも、自由主義的民主主義=議会制民主主義の大原則__国民の選んだ国会議員が国政の在り方を決め、官僚はそれを行政の場で実務的に実現する__が逆転現象を起こしている。

大臣=政治家より官僚のほうがカシコイから、大臣が国会で読み上げる答弁書を官僚が代筆する、とかいうレベルの話ではない。国民が望む「一億総前科者」からの脱却を、やっと実現してくれそうな首相が現れたと思ったら、役人の分際でそれを阻止している、というのだ。

こういうことを許していてはいけない。私は国民の一人として、異議を申し立てたい。

外務省は、1941年12月、ルーズベルトに「屈辱の日」演説の材料を与えた、「真珠湾攻撃の20分前になされるはずだった宣戦布告文書(「帝国政府の対米通牒覚書」)の手交の致命的な遅延」についての説明も国民にしていない。国会議員にはある説明責任はないが、日本の命運にかかわる事柄について、国民の要望にも反する「指示」を首相に出す権限はあるというのだろうか?

これは民主主義ではない。官僚独裁の寡頭政治・側近政治ではないのか?

『日本国憲法』と『占領典範』は、日本人を幸福にしてくれていない。寧ろ、天皇ともども日本国民の人権は蹂躙されている。

この軛を取り除いてくれるのは、ひとり、立憲君主としての天皇のみである。

立憲君主であり「万民の父母」である天皇を、日本は取り戻したい。

そのために、『日本国憲法』と『占領典範』の無効宣言は、なされなければならない。

(2016年10月8日編集)

 

 

【日本国憲法無効論】『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』の無効理由__『日本国憲法』は「日本人のアイデンティティー喪失の呪文」である

「『日本国憲法』を改正」では、日本人が失わされた国家観も、誇りも、真実の歴史も取り戻せない

例え改正し、前文や9条を取り除いたところで、『日本国憲法』を憲法として戴いているという事実__「日本が連合国=米国の属国である」という「呪文」を自らにかけ続けている、という事実__になんら変わりはない。

なぜなら、私達の国「日本国」とは「大日本帝国」のことであり、私達が戴く憲法は『大日本帝国憲法』であるという真実を、『日本国憲法』という「偽憲法」が隠しているからである。

スタジオ・ジブリの人気アニメ『千と千尋の神隠し』には、人の本当の名を奪ってその人を支配する魔女が登場する。本当の名を奪われ、新しい名を魔女に与えられた人は、自分の本当の名を忘れてゆき、その名で歩んだ過去の人生の記憶をすっかり忘れると、魔女に全人格を支配され、奴隷にされてしまう。

連合国は「プレス・コード」という名の検閲__徹底した言論の大弾圧__のもと、日本から「大日本帝国」という名を奪い、日本が日本とアジアの国々の自由の為戦った「大東亜戦争」の名を奪い、日本人が崇敬する天皇の大権をことごとく簒奪して無力な「象徴天皇」とし、日本の悠久の歴史__日本人の誇りの源泉__である万世一系の天皇と、その臣民を、今もなお丸ごと支配している。

連合国は「自由なる世界人民の正義が裁く」と謳う東京裁判という偽裁判で、日本軍と日本政府、日本人全体に数々の冤罪を被せ、「一億総戦争犯罪人」のいわれなき汚名を着せた。

100万人余の無辜の人命を奪った日本全国への焼夷弾爆撃、広島・長崎への原爆投下は「東京裁判で明らかになった日本の犯罪への正当な報復・処罰」である、と世界と日本の人々に思い込ませるのが東京裁判の主たる目的であったが、検閲でこれら連合国側の戦争犯罪に言及することを禁止することで、自らの無法の自覚を曝した。(GHQ検閲項目の詳細については、本ブログ別稿:『「日本人の魂の武装解除」:GHQ検閲リスト30項目で連合国が隠したかったこと』を参照されたい)

天皇と日本国政府に対し、GHQは「米軍の圧倒的・破滅的破壊力を日本国本土全体・日本国民全体に対しいつでも使用することができる」「天皇制を廃絶する」「天皇の命を保証しない」とそれぞれを脅迫し、「有条件降伏」の事実を「無条件降伏」にすり替え、国際法上「一部占領」のみの占領権限を「全部占領」にすり替えた。

表向き「一部占領=間接統治」を謳いながら、その実「全日本列島は我が強制収容所」とマッカーサーが誇る、強権による「全部占領=直接統治」が行われた。

このように、GHQは数々の無法・違法行為を犯しながら、それらを徹底検閲で隠蔽し、且つNHKや新聞社など日本の全メディアを制圧し日本国民と世界の人民を洗脳した。

連合国は、「正義と民主主義の連合軍が打ち負かした日本は『悪の帝国』だった」という自己正当化の虚構を全世界に向けて宣伝した。

有色人種の国でただ一つ、欧米列強の植民地化を拒絶したうえ、近代国家化に成功し、あまつさえ中国・ロシアというユーラシア地域の2つの大国に打ち勝ってしまうほどに、国力を増進させた生意気な国、日本。

2600年以上も連綿と続く、比類なき万世一系の天皇を「至高の権威」として戴き、その統率のもと、心を一つにして勇敢に戦う大日本帝国の将兵はもとより、銃後の臣民、女子供に至るまで、誇りにその瞳輝く__。

アジアで、アフリカで、アメリカで、有色人種日本人の活躍に、喝采を送る声は膨れ上がってきていた。

「この日本人の心を折らねば。」

本当の侵略者、植民地搾取者である連合国・欧米列強の黒い腹の底もまた、一つの同じ考えで共通していた。

日本人の魂の永遠の武装解除。そのための呪いの軛。それが『日本国憲法』の正体である。

『日本国憲法』の基本精神は、「神国日本の『誇り』の否定」「万世一系の天皇の『独裁者の台頭を許さない統治』の否定」「営々と築かれてきた日本文明・伝統と歴史の否定」である。

日本的な生活態度に至るまで、すべての日本文化・日本精神を悪しきものとして断罪し、日本文化・伝統の対極にある国際共産主義の理念をバック・ボーンに誕生した『日本国憲法』は、その後ろ暗い生い立ちを隠すため、虚構・捏造・無法でもってその成立過程を糊塗されねばならなかった。

かくして、戦後70年を経過するも、連合国とその追従者が、尚も隠蔽し続けねばならない無法の数々は、その淵を覗き込む者にはハッキリとその姿を曝す。

以下に、菅原裕『日本国憲法失効論』・小山常実『憲法無効論とは何か』・南出喜久治『とこしへのみよ』による『日本国憲法』『GHQ皇室典範』の無効理由を、著作別に挙げる。

 

本 日本国憲法失効論

菅原裕『日本国憲法失効論』

■1 . 時期の問題 「およそ立法は、国民の自由、冷静なる意思の下に行わるべきことは申すまでもない。いわんや国家の最高組織法たる憲法の改正においては、国家主権が完全でかつ国民の意思が自由であることは、絶対的に必要な条件である。しかるに国家が、敵軍の占領下にあるときは、国家主権も完全でなく、国民の意思も自由でなく、国家意思の表現も自由でない。したがって占領中に、国家の基本法である憲法を、制定したり、改正したりすべきでないことは他言を要しない。故にかりにそれがなされたとしても当然無効であることは、憲法法理上、一点の疑いをもいれないところである。」(p.31)

帝国憲法第75条に、摂政時代の憲法改正を禁じたのも、(中略)国家の状態が、正常かつ平穏でなければ、憲法の改正を、なすべきではないという、憲法法理の大原則を示したものに他ならぬ。」(p.32)  「世界の憲法の立法例は、通常憲法の改正時期や方法について、ことさら、制限規定を設けたり、無効原因を列挙したりしないのが、一般的であるが、特殊の国においては、過去の体験によって、特記しておいた方が適当とするものに関しては、注意的に規定しておるものもある次第である。故にかかる特記のない憲法においては、自由に改正し得るように解すべきではないことはもちろんである。」(p.33)

「(占領下)日本の政府機構は、占領軍の間接統治の手段として利用されるべく、占領管理機構として、占領軍の下部組織に、編入された」「占領軍の日本管理の法体系は、当初は、占領独特のポツダム政令と、天皇の統治権を制限した帝国憲法に基く法令との二本建てでやっていたが、後では、改正名義で、日本固有の帝国憲法を廃棄して、それに代わる日本国憲法という、憲法を僭称する占領管理法を制定せしめたので、結局最高司令官の独裁専制を、法的にも確立したことになった」「この偽憲法の上に、占領軍の超憲法的軍権が、厳然と控えて、管理政策は進められた」(p.33)

■2.方法の問題 占領軍は、占領下において、日本国民の抗拒不能の状態に乗じて、更に強度の圧迫を加え、日本国政府ならびに諸機関の意思を抑圧し、最高司令官の至上命令として、わずか一週間で書き上げた英文の民政局草案を骨子として、日本の関係者をGHQに缶詰にし、徹夜して一日半で、日本政府の改正要綱を作成させ、それを議会に提出させて、憲法改正を強行した」(p.42)

美濃部達吉顧問官は『帝国憲法第七十三条によって、こんな改正を行うことは、法理上不可能である』と主張して最後まで反対し、ついに唯一人起立をされなかった」(p.44)

■3. 内容の問題 「いやしくも憲法の基本たる国家組織の根本を変革することが、その憲法の改正規定の範疇に属しないことは、当然首肯さるべき事理である」「現行の日本国憲法自体が、いわゆる改正の限界を逸脱して、帝国憲法の根本をなし、立国の大本を規定した、第一条ないし第四条を、抹消して改正されたものであることを、反省すべきであろう」(p.51)

我が国は万世一系の天皇を仰て終始し、天皇を以て統治権の主体なりと為す観念は歴史の成果、国民の確信にして千古動かず、憲法中、国体に関する規定ありと雖そは国体を創設したるものに非ずして唯国体を宣明したるに過ぎず、従って国体に関する憲法の規定は将来永久に其の変更を為すことを得ず、仮に之を変更したりとするもその変更は何等の効力をも発するものに非ず、即ち国体の根本は憲法の克く左右し得べき所に非ず、天皇の統治権は憲法によりて成立せず、何ぞ憲法を以て之を変更するを得んや」(清水澄博士『帝国憲法講義』p.525:カタカナ表記をひらかなにて表記、菅原裕前掲書p.52)

連合軍の「真実の目的は、日本国の崩壊乃至日本国民の奴隷的無力化にあ」り、「組織的に日本の根幹をなす民俗信仰の打破や、国体の変革に、重点を置き、道徳教育の破壊から、婦人、労働者、農民の解放に名を借る、従来の秩序の壊滅を目的とする赤色戦術までとり入れて、徹底的に実施した」(p.33)

労働組合法制定」「日本の教育制度の行政に関する覚書」「教職員の調査精選資格決定に関する覚書」「修身、日本歴史および地理の授業の停止」「国防保安法、軍機保護法、言論、出版、集会、結社等臨時取締法の廃止」「治安警察法の廃止」「国家神道の廃止」「陸海軍の解体」「警察の治安維持力破摧」「財閥解体」「没収に等しい農地改革」「公職追放」(p.37)

■4.国際法関係 「ハーグ陸戦法規」「大西洋憲章」「ポツダム宣言」「降伏文書」違反

本 憲法無効論とは何か

小山常実『憲法無効論とは何か』

■無効理由(Ⅰ)自由意思の欠如 「あらゆる法律行為は原則として行為主体に一定の自由意思があって初めて有効なものとなるし、独立国の憲法を作る行為ならば尚更、その国の自由意思が基本的に存在しなければならない。」(p.120)

■無効理由(Ⅱ)の1.明治憲法第七五条違反

■無効理由(Ⅱ)の2.明治憲法第七三条違反 「帝国議会の修正権も一切認めないのが、金森や佐々木を含めて、憲法学界の一般的立場であった」「修正権を認める美濃部学説にしても、帝国議会が発案権を持っていないことを理由に、『原案に含まれない条項に付いて修正を加へ又は新なる条項を之に加ふる』(美濃部達吉『逐条憲法精義』p.725)権限を帝国議会に認めていなかった」「ところが、天皇が発議した憲法改正案は、国体規定どころか、明治憲法の全文を廃止し、新たに全文を規定する内容であった。また、議会も、政府案の修正どころか、原案に含まれない条項を新たに提案することまで行っている。それゆえ、憲法改正限界説に立つ多数説に従っても、無限界に説に立つ佐々木学説に従っても、『日本国憲法』は明治憲法第七三条違反の手続きで作られた無効憲法ということになるのである」(p.123)

■無効理由(Ⅲ)の1.ポツダム宣言及びバーンズ回答違反  「『日本国憲法』は、第一に占領初期に、第二に政体だけでなく国体までも改正の対象としたし、第三に天皇とその政府も、国民の代表とされる帝国議会も完全統制した上で、つくられた」(p.126)

■無効理由(Ⅲ)の2.ハーグ陸戦法規違反

■無効理由(Ⅳ) (日本国憲法は)「保護国を目指す憲法」  「憲法とは独立国が持つものであり、自己決定できる国家の在り方を示すものである以上、『日本国憲法』は、内容面からしても総体としても無効な存在であると言わねばならない」(p.128)

■無効理由(Ⅴ)自然法違反  「第九条②の規定が自然法または条理に違反している」「国家は自衛戦争をする権利を保持し、自衛のための戦力を保持して初めて、対外主権を維持することが出来る」(p.128)

■無効理由(Ⅵ)国体法違反  「明治憲法制定以前から、成文法の如何にかかわらず、日本には国体というものがある。国体とは、〈日本国家の歴史上、万世一系の天皇が国家最高の地位にあり続け、国家権力の正当性・正統性を保障する最高の権威であり続けたこと〉を意味する。この国体は、少なくとも千五百年以上の重みを持ったものであり、日本国が守り続けなければならないものである。ところが、『日本国憲法』は、天皇から政治的権威を奪い、象徴天皇制を採用した。明らかに、象徴天皇制は、国体法違反と言えよう」(p.129)

■無効理由(Ⅶ)「日本国憲法」成立過程史の歴史捏造  「成立後の政治・教育面についていえば、社会党を中心とする議員たちも、衆議院小委員会議事録を一九九五(平成七)年まで秘密にし続けることで、GHQは議会による自由な審議と修正を許した、とする虚構を守り続けてきた。また、(中略)憲法学も公民教科書も、一貫して『日本国憲法』成立過程について史実を隠し続けてきた。」(p.129)

「しかも、一九九五年以降はなおさら、国民一般は、全くデタラメな『日本国憲法』成立過程史を教え込まれていることに注目されたい。いや、政治家さえも、正確な成立過程史を把握していないであろう。正確な情報が国民一般に明らかにされていないわけだから、時効・追認・定着のための期間は進行しようがないのである。」(p.129)

本 とこしへのみよ

南出喜久治『とこしへのみよ』

■無効理由その一 〈改正限界超越による無効〉 「当時の憲法学界の支配的見解は、国体を破壊する典憲の改正はできないとする典憲の『改正限界説』であった。」「立憲主義は、憲法改正限界説と一体のものと理解されてきた」「改正によっては変更し得ない典憲の根本規範(規範国体)の領域にまで踏み込んで、その改正権の限界を超えてなされたものであるから絶対無効である」(p.79)

■無効理由その二 〈「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」違反〉

■無効理由その三 〈軍事占領下における典憲改正の無効性〉 ポツダム宣言(は…)我が軍の一部の地域を占領し、その地域内における統治権を制限することを限度とする『一部占領』の趣旨であり、国土全部を占領し、統治権自体の全部の制限、即ち、『全部占領』を意味するものではなかった。」「我が国は、独立は喪失したものの連合国の『被保護国』の地位にある国家として講和条約を締結しうる当事国能力は降伏後も存続した」「(にも拘らず)我が国は、その全土が連合国の軍事占領下に置かれたが、統治権が全面的に制限されることを受忍してポツダム宣言を受託したのではないから、その後になされたデベラチオ(直接統治)に近い完全軍事占領は国際法上も違法である。」(p.87)「(占領軍は)公職追放(…)ニ・一ゼネスト中止命令(…)選挙干渉、議会審議干渉、法案制定指示、財閥解体、宮家皇籍剥奪(…)、ありとあらゆる事象において、実質的にはデベラチオ(直接統治)を実施」「ポツダム宣言の結語に『右以外の日本国の選択は、迅速且完全なる壊滅あるのみとす。』と言明され、原爆投下によってジェノサイドの危機に追い込まれ」「皇室を廃絶するという強迫も加わった状態が継続する中で、(…日本政府は)遂に抵抗を諦めて、占領典範と占領憲法を承諾したのである。」(p.89)

■無効理由その四 〈帝国憲法第七十五条違反〉 「伊藤博文著『憲法義解』の第七十五条の解説によれば、『恭(つつしみ)て按ずるに、摂政を置くは国の変局にして其の常に非ざるなり。故に摂政は統治権を行うこと天皇に異ならずと雖、憲法及皇室典範の何等の変更も之を摂政の断定に任ぜざるは、国家及皇室に於ける根本条則の至重なること固(もと)より仮摂の位置の上に在り、而して天皇の外何人も改正の大事を行うこと能わざるなり。』とあり、この規定が国の変局時に関する『例示規定』であることを認識している」(p.91)

■無効理由その五 〈典憲の改正義務の不存在〉 ポツダム宣言には、帝国憲法と明治典範の改正を義務づける条項が全く存在しなかった。もちろん、降伏文書にもそれを義務づける規定はなかった。」(p.99)「ポツダム宣言を起草した『三人委員会』(国務長官代理ジョゼフ・グル―、陸軍長官ヘンリー・スティムソン、海軍長官ジェームス・フォレスタル)の一人であるジョゼフ・グル―(元駐日大使)は、後になって、『新しく憲法を制定するというような根本的、全面的な憲法改正は考えられていなかった』と述懐していたのである。」(p.101)

■無効理由その六 〈法的連続性の保障声明違反〉 「昭和二十一年六月二十三日の『帝国憲法との完全な法的連続性を保障すること』とするマッカーサー声明と比較しても、『完全な法的連続性』を保障した結果にはなっておらず、改正の限界を保障した同声明の趣旨に自ら違反している。」(p.103)「法的連続性というのは、成立要件要素である合法性と正統性、効力要件である妥当性と実効性のいずれをも満たすことを意味するが、全くそのようなことになっていない」(p.103)

■無効理由その七 〈根本規範堅持の宣明〉 「ポツダム宣言受諾日の昭和二十年八月十四日の詔書によれば、『非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾』せんがためにポツダム宣言を『受諾』したものであり、敗戦後も『国体ヲ護持』すること、即ち、正統憲法と正統典範の上位に存在する根本規範である規範国体を堅持することを国家の要諦として宣明していた。」(p.104)「そして、政府は、その後においてこの『国体護持』の基本方針を撤回する宣明をした事実が全くない。それゆえ、規範国体を護持するという国家基本方針は、占領の前後において一貫して堅持されてきたことになる。従って、これを否定する宣明をすることもなく密かにこれを放棄することは許されず、あえてこれを否定する宣明をすることもなく、規範国体を否定する内容の占領典憲を制定することは、禁反言(エストッぺル)の法理に違反して無効である。」「そもそも、仮に、詔書において『国体護持』の宣明がなされていなかったとしても、規範国体に違反する規範は、いかなる形式のものであっても無効である」(p.105)

■無効理由その八 〈改正発議大権の侵害〉 改正発議が一身専属の天皇大権であるにもかかわらず、天皇が自発的かつ自律的に改正を発議せず、天皇と枢密院を差し置いて、GHQと占領下政府によって改正案が私議され、改正大権が簒奪されたことが明らかである。」(p.106)「占領憲法の発議は、昭和二十一年二月十三日、マッカーサーが同月三日にGHQ民政局(GS)へ『マッカーサー三原則(マッカーサー・ノート)』に沿って作成を指示したことに基いて完成した英文の『日本国憲法草案』(GHQ草案)を、GHQ民政局長ホイットニー准将とケーディス大佐から吉田茂外相と松本烝治国務大臣らに手交して、これに基づく帝国憲法の改正を強制したことに始まるのであって、天皇の発議とは全く無縁のものであった。この『大権の私議と簒奪』は、『統帥権干犯』というような非難の程度を遙かに超えたものである。」(p.107)「天皇が一切関与できない発議なるものは、発議大権の侵害と言うよりも、発議大権の簒奪に他ならず、これによる改正審議も議決もすべて無効である。」「このように発議大権を簒奪してなされた改正審議において、帝国議会が修正議決した事もまた、二重の意味で憲法改正発議大権の侵害となる。」(p.108)

■無効理由その九 〈詔勅違反〉 帝国憲法は欽定憲法であるから、告文(こうもん)、憲法発布勅語及び上諭という帝国憲法発布に際しての詔勅についても憲法典と同様に憲法規範を構成することになる。」(p.112)「その憲法発布勅語には『不磨の大典』とあり、さらに上諭には『将来若(モシ)此ノ憲法ノ或ル条章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及朕カ継統ノ子孫ハ発議ノ権ヲ執リ之ヲ議会ニ付シ議会ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外朕カ子孫及臣民ハ敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルへシ』とあることから、これは、帝国憲法改正に関する形式的要件である第七十三条とは別個に、改正のための実質的要件を定めたものと解釈しうる。即ち、その実質的要件は『紛更ヲ試ミルコト』を禁止したことであるから、占領憲法の制定という方法による改正は『紛更』そのものに該当するので無効である。『天皇といえども国体の下にある』ことから、『紛更』が明らかな占領憲法と、皇室家法の『丕基』を破壊した占領典範とは、いずれも天皇による公布がなされたといえども完全に無効であることに変わりはない。」(p.113)

■無効理由その十 〈改正条項の不明確性〉 「(上諭及び第73条にある『憲法ノ或ル条章ヲ改正』『此ノ憲法ノ条項ヲ改正』)というのは、『憲法の全部の廃止又は停止を容認しない』趣旨である。(美濃部達吉) ところが、占領憲法は、帝国憲法の各条項を改正するという手続をとらず、差換え的な全面改正を行ったのである。(…)帝国憲法と占領憲法とは条文の条項毎に一対一に対応しておらず、占領憲法の各条項が帝国憲法の、いずれの条項を改廃したのかが不明である。また、帝国憲法に規定のある機関(帝国議会、枢密顧問、行政裁判所など)や兵役の義務などを廃止するとの規定もないので、これらの機関や義務などは事実上停止されているに過ぎないこととなり、廃止されたのではないことになる。さらに、占領憲法が真に帝国憲法の改正法であれば、『大日本帝国憲法の昭和二十一年改正』として表示すべきであり、あくまでも法規名称は『帝国憲法(大日本帝国憲法)』のままであるはずである。しかし、新たにこれを『日本国憲法』と改称するとの規定すらないまま、『日本国憲法』と呼称することのいかがわしさは拭えない。」(p.115)「(公布の詔勅にも『帝国憲法』という略称が用いられているが)法文、しかも憲法の改正において正式名称を用いずに、慣例的な略取表記を用いることはあってはならないのである。それゆえ、厳密に云えば、『大日本帝国憲法』改正の公布は存在していないことになる。このような不手際は前代未聞のことであり、このことからしても、占領憲法は先帝陛下のご叡智に基づいていないことを推認しうるのである。」(p.116)

■無効理由その十一 〈典憲としての妥当性及び実効性の不存在〉 昭和天皇は、占領典範によって『初代天皇』として選定されたのではなく、明治典範に準拠して昭和三年十一月の即位礼により第百ニ十四代天皇として践祚され、崩御されるまで一度も退位されたことはない。つまり、明治典範の廃止による退位には全く実効性がなく、占領典範の『初代天皇』ではない。そのことは第百ニ十五代天皇である今上陛下についても同様であり、占領典範は、その意味においても、皇位の継承と選定の本質に関して、いまもなお全く実効性を備えてはいないのである。」(p.118)「さらに、(…)占領憲法の核心条項である第九条には実効性がな(い。『陸海空軍その他の戦力』に該当することが明らかな)自衛隊が存続している事実は、明らかに『違憲状態』の継続であるから、第九条は実効性を完全に喪失している。そして、第九条に実効性がないのであれば、これと一体となる占領憲法全体についても実効性がないのである。」(p.119)

■無効理由その十二 〈政治的意志形成の瑕疵〉 「(占領憲法の)改正過程において、プレスコード指令や神道指令などによる完全な言論統制と厳格な検閲がなされていた」「表現の自由(知る権利)は、民主社会を維持し育成する上で極めて重要な機能を有し、実質的には政治参加の機能を持っている。いわば、参政権行使の前提となる権利であって、この行使が妨げられることは実質的に参政権の行使が妨げられたと同視されるから、言論統制下での改正行為自体が違憲無効なのである。」(p.123)「(…)国民の政治的意志を決定するために不可欠な『知る権利』は全く否定されて徹底した検閲がなされた状況での帝国憲法の改正が有効と肯定されるはずはない。」(p.125)

■無効理由その十三 〈帝国議会審議手続の重大な瑕疵〉 「平成七年になってようやく公開された衆議院憲法改正委員会小委員会の議事録によると、小委員会とは名ばかりで、その審議と称するものの実態は、GHQの求めに従って、英文の翻訳を忠実に行う『翻訳委員会』の翻訳作業手続きに過ぎず、憲法改正手続きとしての実体がなかったことが明らかになった。(…つまり、)帝国憲法の改正を拒否しうることも、その改正案審議に自主性を持つことも全くあり得なかったのである。」(p.147-148)「(昭和二十一年十月六日、貴族院は審議に時間をかけて審議未了により憲法改正案を廃案にしようと画策したが、)GHQは(…)帝国議会の大時計が午後十一時五十五分を指した時に、この大時計を止めて、名目上は同日(六日)に可決させることを強要した。」(p.148)「従って、このような諸事情からすれば、帝国議会の帝国憲法改正案審議自体に実質上も手続き上も著しく重大な瑕疵があったことになり、占領下の憲法制定ないし改正としての占領憲法は、帝国憲法の改正として、かつ、実質的意味の憲法(規範国体)としては絶対的に無効である。」(p.149)

(上記南出喜久治氏の無効理由その一からその十一までは、占領典範、占領憲法共通の無効理由。その十二と十三は占領憲法固有の無効理由である。)

『日本国憲法』とGHQ『皇室典範』は無効である

「『憲法無効論』は感情論だ」とか「『日本国憲法には妥当性・実効性があるので有効である(天皇陛下をはじめ、内閣、国会、裁判所といった国家機能の三権が『日本国憲法』を憲法という前提で動き、いろいろな法律がそれを基に作られている)」という人がいるが、そのような人は上記三氏の無効理由に見るような、『日本国憲法』制定過程の戦慄すべき実相について無知であるか、あるいはそれらを故意に無視して「ロシアやフランスの憲法は…」と見当違いの議論に終始するきらいがある。

数学者であり思想家であった岡潔は「西ドイツは進駐軍治下の憲法というものはありえないといって毅然としてその憲法を変えることを拒否したのに、日本は唯々諾々として進駐軍治下で憲法を変えた。(…)政府はそうしなければ万世一系の皇統を断絶するぞといって恐喝されたからであって、政府はそのとき国民にはかったわけではないが、私はそれが国民過半の感情だったからであると思う。」(南出喜久治『とこしへのみよ』p.131)といったが、日本占領をめぐっての米国とソ連の確執・覇権競争の実相を知らずして、また彼らが日本に新憲法を与えたことの本当の意味を知らずして、『日本国憲法』の正体を正確に見破ることはできない。

一旦『日本国憲法』制定過程の真実を知ったなら、普通の日本の庶民なら誰でも、連合国の無法と卑怯にいまだ蹂躙され続けている我が国の実情に、悔し涙をこらえることができないであろう。

『日本国憲法』を「天皇陛下のご詔勅がついているから本物」と信じてきたのに、実はその『日本国憲法』『GHQ皇室典範』こそが、天皇の大権を簒奪し、「国民主権」という一見正しそうな、実は「『主権者』国民を支配することによって国全体を支配する」独裁主義・全体主義を招来する悪魔の思想でもって、私たちが敬愛する天皇陛下を「主権者国民の下位」に置き、天皇陛下とその御先祖・御子孫までも侮辱しているのだと知ったら…。

いったい誰がこのような代物を、詭弁を弄してまで擁護しなければならないのか?

「偽憲法」=『日本国憲法』の「有効性」を認めるかのように、その改正方式で改正してまで、おこがましい「国民主権」を守り続けなければならないのはなぜか?___そういう疑念に誰もが苛まれることであろう。

そもそも「国民主権」といいながら、マッカーサーの後任マシュー・リッジウェイは、昭和二十六(1951)年五月一日、「GHQから日本政府へ占領下法規再検討の権限を移譲する」と声明、同月六日に政令諮問委員会を設置、その後に移譲手続きとその実施をおこなった。

「主権」は『日本国憲法』公布・施行後も、この時まで日本政府をその代表者とした日本国民にはなく、GHQにあった。なんという茶番か?

また、サンフランシスコ講和条約に署名せず、当事国とならなかった連合国の一部の国とは「戦争状態が継続」しており、日本はずっと「交戦権を行使」し続けている。

『日本国憲法』の「戦力不所持・交戦権否定」は幻に過ぎない。

これでなお『日本国憲法』に実効性があると言い張る人は、左翼思想に脳髄を侵され思考が停止しているとしかいいようがない。

もしも『日本国憲法』が無効でないならば、「交戦権」を否定した『日本国憲法』では戦争行為の一環である講和条約を結ぶことはできず、サンフランシスコ平和条約が無効ということになってしまい、日本は未だ戦争状態(休戦状態)であり、「独立」できていないことになるが、そうではなく、日本は確かに講和条約を結んで法的に独立を果たした。

つまり、日本は無効な『日本国憲法』でなく、日本の憲法であり続けている『大日本帝国憲法』の、「天皇の講和大権」により講和条約を締結したのである。


日本人は、末端に至るまで向上心、向学心に満ち溢れた国民である。

「無知の知」を知り、我が国がいま置かれている、戦後ずっと置かれ続けてきた状況の真実を、『日本国憲法』の正体を、「知りたい」と、日本人なら思うはずだ。

「占領憲法」である『日本国憲法』と「占領典範」の無効確認、大日本帝国憲法と明治の皇室典範の現存確認・復原宣言を、天皇陛下にしていただくこと__即ち「日本の至高の権威」たる天皇の無効確認・復原宣言だけが、我等日本人皆に、「無知の知」を謙虚に思い知らせてくれるのである。

『日本国憲法=占領憲法』と『GHQ皇室典範=占領典範』の無効を宣言し、同時に大日本帝国憲法・明治の皇室典範復原宣言を。

その日を日本の真の「独立記念日」として、歴史に「戦後レジームからの完全脱却」を刻む。

(2016年10月5日、2017年9月6日に加筆しました)